2023年07月

ここんとこ、ワイドショーやニュースとかは殆ど毎日大谷翔平の活躍を取り上げている。

確かに世界に冠たるMLBでこれほどの大活躍をみせているのだから当たり前のような気もするのだが、しかしこの現象、オレには何だかずっと違和感があった。

4686

何故なのかよくよく考えてみると、これは「実はMLBには1ミリも関心がないのに大谷翔平の成績にのみこだわる」という報道姿勢に偏執狂的な精神の歪みを感じたからなのだった。

だってそうでしょう、本当にMLBに関心があるンだったら「アメリカンリーグ東地区の首位ってドコだったかな?」みたいなコトを考えるのがスジである(ちなみに今の首位はレイズらしい)。しかし日本のテレビなんか観てると「首位がドコか」なんてことは全く報道しない。どうでもいいのである。

これを日本に当てはめてみると、たとえば「佐々木朗希が勝ったかどうか」にのみ関心を示し、パ・リーグの首位争いなんてものはどうでもイイというファンのようなもので、まぁフツーの感覚だとこういうのは野球ファンとすら言えないのではないか。そういう事態がMLB報道では当たり前になっている。


で、オレは、「そういえばこういう歪んだ報道スタンスというのは以前どっかで見かけたような気がする」と思ってイロイロと思い出してみたのだが、結果、これはむかし地方のテレビ局や新聞で盛んにやっていた「昨日の郷土力士の成績」みたいなコーナーに酷似していることに気がついた。

大相撲の優勝争いなんてこととは無関係に、とにかく地元出身の力士がどうだったかを伝えることのみに注力する。これはまさに大谷翔平報道とソックリである。要するに日本人の精神性というのはあんまり変わっていない。「オラがムラのヒーロー」が都会に出かけていって大活躍、ああ痛快だべなあという心理がそこにある。

最近は若い連中も「尻だして相撲取るのは恥ずかしい」とか言い出すようになったから結果相撲取りはモンゴル人ばっかになってしまい、こういう郷土力士自慢は成立しなくなった。そこで代替品として見いだされたのが日本というムラ代表の大谷翔平だったということであるに違いない。

まぁ「昨日の日本選手の成績」報道も悪いとは言わんが、そんなものはあくまでも脇役であるべきだろう。こういう倒錯した現象の背後には、ドンドン落ちぶれていく我がニッポンの惨状から束の間目をそらして元気をもらいたいという一般大衆の切ない思いも垣間見えるので、そんな正論を言っても仕方ねえのかなとは半ば思うのではあるけれども。(おわり)


mixiチェック

今朝の天声人語はフランツ・カフカをネタにしていた。まぁオレもカフカは嫌いじゃないのでそれはそれでイイのだが、今回は日本語表現が稚拙だったのでその点を指摘しておく。

15


問題は「20世紀を代表する作家がチェコ・プラハに生まれ、きのうで140年を迎えた」という表現である。この言い回しだと「カフカは実は存命で、きのう140歳になった」という誤読を誘うおそれが大きい。

筆者はたぶん「いや、だからソコは140歳じゃなくて140年と書いてるわけで。それに朝日新聞の読者はインテリばっかなンでカフカが故人なんてのはジョーシキなんだよ。誤読なんて言い出すのは無学なヤツなんでほっとけや」とでも言うのだろうが、やはり文章としてコレはおかしい。

ご説明しよう。

この文章の述語は「迎えた」という言葉であるワケだが、じゃあその「迎えた」主体は何なのか。そういう風に考えると、コレはどう考えても「カフカ」以外に主語は見当たらないのである。そうすると「カフカが140年を迎えた」という事になるワケで、これもまた日本語としてはヘンだが意味としては「カフカが140歳になった」と理解するほかないのである。

要するにかくも日本語能力を欠いた人間が看板コラムとか書いてていいのかということをオレは言いたいのだった。

念のため添削してやると「20世紀を代表する作家が140年前のきのう、チェコ・プラハに生まれた」とかサラッと書けば良いのである。オレの言語感覚だと「140年前のきのう」という表現を使うのはあんまり好かんのだが、まぁ許容範囲だとして。 (おわり)


mixiチェック

↑このページのトップヘ