ここんとこ、ワイドショーやニュースとかは殆ど毎日大谷翔平の活躍を取り上げている。
確かに世界に冠たるMLBでこれほどの大活躍をみせているのだから当たり前のような気もするのだが、しかしこの現象、オレには何だかずっと違和感があった。
何故なのかよくよく考えてみると、これは「実はMLBには1ミリも関心がないのに大谷翔平の成績にのみこだわる」という報道姿勢に偏執狂的な精神の歪みを感じたからなのだった。
だってそうでしょう、本当にMLBに関心があるンだったら「アメリカンリーグ東地区の首位ってドコだったかな?」みたいなコトを考えるのがスジである(ちなみに今の首位はレイズらしい)。しかし日本のテレビなんか観てると「首位がドコか」なんてことは全く報道しない。どうでもいいのである。
これを日本に当てはめてみると、たとえば「佐々木朗希が勝ったかどうか」にのみ関心を示し、パ・リーグの首位争いなんてものはどうでもイイというファンのようなもので、まぁフツーの感覚だとこういうのは野球ファンとすら言えないのではないか。そういう事態がMLB報道では当たり前になっている。
で、オレは、「そういえばこういう歪んだ報道スタンスというのは以前どっかで見かけたような気がする」と思ってイロイロと思い出してみたのだが、結果、これはむかし地方のテレビ局や新聞で盛んにやっていた「昨日の郷土力士の成績」みたいなコーナーに酷似していることに気がついた。
大相撲の優勝争いなんてこととは無関係に、とにかく地元出身の力士がどうだったかを伝えることのみに注力する。これはまさに大谷翔平報道とソックリである。要するに日本人の精神性というのはあんまり変わっていない。「オラがムラのヒーロー」が都会に出かけていって大活躍、ああ痛快だべなあという心理がそこにある。
最近は若い連中も「尻だして相撲取るのは恥ずかしい」とか言い出すようになったから結果相撲取りはモンゴル人ばっかになってしまい、こういう郷土力士自慢は成立しなくなった。そこで代替品として見いだされたのが日本というムラ代表の大谷翔平だったということであるに違いない。
まぁ「昨日の日本選手の成績」報道も悪いとは言わんが、そんなものはあくまでも脇役であるべきだろう。こういう倒錯した現象の背後には、ドンドン落ちぶれていく我がニッポンの惨状から束の間目をそらして元気をもらいたいという一般大衆の切ない思いも垣間見えるので、そんな正論を言っても仕方ねえのかなとは半ば思うのではあるけれども。(おわり)
確かに世界に冠たるMLBでこれほどの大活躍をみせているのだから当たり前のような気もするのだが、しかしこの現象、オレには何だかずっと違和感があった。
何故なのかよくよく考えてみると、これは「実はMLBには1ミリも関心がないのに大谷翔平の成績にのみこだわる」という報道姿勢に偏執狂的な精神の歪みを感じたからなのだった。
だってそうでしょう、本当にMLBに関心があるンだったら「アメリカンリーグ東地区の首位ってドコだったかな?」みたいなコトを考えるのがスジである(ちなみに今の首位はレイズらしい)。しかし日本のテレビなんか観てると「首位がドコか」なんてことは全く報道しない。どうでもいいのである。
これを日本に当てはめてみると、たとえば「佐々木朗希が勝ったかどうか」にのみ関心を示し、パ・リーグの首位争いなんてものはどうでもイイというファンのようなもので、まぁフツーの感覚だとこういうのは野球ファンとすら言えないのではないか。そういう事態がMLB報道では当たり前になっている。
で、オレは、「そういえばこういう歪んだ報道スタンスというのは以前どっかで見かけたような気がする」と思ってイロイロと思い出してみたのだが、結果、これはむかし地方のテレビ局や新聞で盛んにやっていた「昨日の郷土力士の成績」みたいなコーナーに酷似していることに気がついた。
大相撲の優勝争いなんてこととは無関係に、とにかく地元出身の力士がどうだったかを伝えることのみに注力する。これはまさに大谷翔平報道とソックリである。要するに日本人の精神性というのはあんまり変わっていない。「オラがムラのヒーロー」が都会に出かけていって大活躍、ああ痛快だべなあという心理がそこにある。
最近は若い連中も「尻だして相撲取るのは恥ずかしい」とか言い出すようになったから結果相撲取りはモンゴル人ばっかになってしまい、こういう郷土力士自慢は成立しなくなった。そこで代替品として見いだされたのが日本というムラ代表の大谷翔平だったということであるに違いない。
まぁ「昨日の日本選手の成績」報道も悪いとは言わんが、そんなものはあくまでも脇役であるべきだろう。こういう倒錯した現象の背後には、ドンドン落ちぶれていく我がニッポンの惨状から束の間目をそらして元気をもらいたいという一般大衆の切ない思いも垣間見えるので、そんな正論を言っても仕方ねえのかなとは半ば思うのではあるけれども。(おわり)