もはや日本の秋の風物詩といっても過言ではない超常同人誌「UFO手帖」刊行の時期が今年もやってきた。これまた恒例ではあるが11月11日に開催された文学フリマ東京では早速に頒布が行われたところであり、さらには近々通販も始まるという話になっているようだ。
小生は今号にも少しばかり原稿を載せてもらった利害関係者であるわけだが、それだけにこの「UFO手帖8.0」はゼヒ多くの人に読んでいただきたいのである。というわけで今回は、この新刊の内容を簡単に紹介してみたい。
小生は今号にも少しばかり原稿を載せてもらった利害関係者であるわけだが、それだけにこの「UFO手帖8.0」はゼヒ多くの人に読んでいただきたいのである。というわけで今回は、この新刊の内容を簡単に紹介してみたい。
今号の特集というのは題して「UFO DIG-UP!」。直訳すれば「UFOの掘り起こしだよっ!」といったところか。その狙いは冒頭部に書いてある。
「UFO手帖」というのは2005年創刊の「Spファイル」の後継誌であるわけだが、この「Spファイル」のキャッチフレーズは「オカルトをほじくれ!」であった。要するに彼らの原点は「ヘンテコな事件や人物や書籍や作品をほじくりかえすこと」。であれば、これまでの「UFO手帖」ではイロイロひねった特集もやってきたけれども、ココは初心に返ってあんまり知られてない事件・忘れられつつある事件を「さあどうだっ!」とズラリ広げてお披露目してやろうじゃないの。本号というのはおおよそそういうノリで作られている。
さて、特集のしょっぱなで紹介されている「サンダウン事件」というのがまさにこの「さあどうだっ!」事例の典型である。ひと言でいえばコレは、英国で1973年5月、子供二人がピエロみたいな怪人物に遭遇したという奇譚なのだったが、ソイツの風体は一見「オズの魔法使い」の「ブリキの木こり」みたいなソレで(ただしコイツは金属製のロボットではなかったようだ)、自分が住んでいるらしい小屋に子供たちを招いて何だかよく分からない禅問答みたいなやりとりを交わしたりした。
ちなみにこの小屋は金属製で「着陸したUFO」みたいに見えないこともないので「サンダウン事件」はいちおうUFO関連事象とされているのだけれども、別にこの小屋が空中に浮かんだワケでもない。なのでたとえば妖精譚といってもさほど違和感はないだろう。最近であれば変質者出没情報にもなりかねない。それぐらい既成概念のワクをはみ出している。ワケわからん。そしてワケわからんからこそ面白いでしょう。そういう話になっている。
本特集には以下、こういうヘンな事件が目白押しである。「日本昔ばなし」の如き不思議な味わいを漂わせる「伊豆事件」(1979年)。ナゾのエンバンが貨物列車を50キロ以上牽引した――というか昨今のエネルギー問題を考えると「牽引してくれた」といいたくなるw――「ソビエト列車番号1702事件」(1985年)。UFOに殺されたりエイリアンとSEXしたりというエログロ趣味の読者諸兄が大好きなエピソード集もある。
で、こういうのを続けざまに読んでいると、「UFO現象というのはなんてバカバカしいのだろう」と思わざるを得ない。だがこのバカバカしいというコトバ、実はちょっと高尚に「不条理」と言い換えることも可能なのであって、実際にジャック・ヴァレはUFO現象の本質をこの「不条理性」に求めていたりする。すると何だか違う世界が見えてくる。この不条理というのは、ヘンテコなUFO体験を懲りもせず証言し続けてきた人間存在の不可解さともどこかでつながっているんではないか。凄いことなんじゃないかこれは。
――とまぁヘリクツを並べてしまったがそんな話はともかく、ここで一つ確実に言えることがあるとすれば、原点に回帰した今号の特集はなかなかに新鮮であるということだろう。ということは、来年以降はここからまた何か新しい展開があるのではないか。今号の特集はそんな余韻を漂わせている。
さて、ずいぶん長くなってしまったので特集以外の記事については簡単に。
「UFOと音楽」「UFOと映画」「シリーズ超常読本へのいざない」といった連載モノは相変わらず好調である。とりわけ小生の琴線に触れたものを挙げておくと、西尾拓也のマンガ作品「むー」を論評した「UFOと漫画」は出色であった。細かい内容には触れないが、「ここではないどこか」を希求する少年少女の心性とUFOはどこかで繋がっているのではないか、そうした世界を断念することで人はオトナになっていくのではないか――といった深いことがココでは語られている。
「冷戦下における中国・ソ連の日本向け雑誌から」というタイトルの「古書探訪」の論考も興味深かった。資本主義と合体した近代主義モダニズムとUFOとの間には密接な関係アリというのが小生の持論であるが、冷戦末期に至ってUFOをめぐる言説が中ソで浮上したという指摘にはなかなか考えさせるものがあった。そうそう、それから雑誌に載ったUFO記事を網羅する「新編・日本初期UFO雑誌総目録稿」は1968-70年に突入。地味だけど後世に残るのはこういう仕事のような気がする。
連載以外の単発モノもそれぞれに面白くて、例えば科学雑誌とオカルト雑誌の間を振り子のように揺れた雑誌「UTAN」の数奇な運命をたどったエッセイには世代的に懐かしさを覚えた。
あ、そうだ、それで最後に一つ言っておきたいことがあった。「UFO手帖」はこのところ気鋭の新たな書き手をいろんなところからスカウトしてきて誌面が活性化してきたのであるが、今号でもザクレスホビーさん、夜桜UFOさんといった方たちがデビューを飾っている。
コレは今号の「寄稿者紹介」の小生のスペースに書いたことでもあるのだが、「UFO手帖8.0」の成否について易を立ててみたところ、火風鼎の初六を得た。平たくいえば「器の中のものをいったん全部外に出して新しいものを入れると調和が取れてさらに発展する」ぐらいの意味である。初心に返り、かつ新しい書き手も迎え入れた「UFO手帖」の今後はますます明るい……ハズである。(おわり)