- 「いま真実というものが失われているのなら、明日現れるのは神話だろう」 ――ユーリ・ハリトン
2024年05月
■Mirage Men 01
マーク・ピルキントン『ミラージュ・メン』(2010)
■第1章 境界部へ
「船はそこにあるのさ。見上げた人々の目には見えるんだ」 ――グレイ・バーカーの『アダムスキの書』(ソーサリアンブックス、1965)
「あのクソったれは何だ!」とティムが叫んだ。彼の声は恐怖というよりも驚きをにじませていた――それは初めてUFOを見た人間にとってはさもありなんというものだった。
1995年の7月中旬、明るく晴れた午後のこと。友人のティム、当時のガールフレンドのリズ、そして私は、パンクしたタイヤを取り外す作業をしていた。場所はヨセミテ国立公園の東の境界から27マイル離れたティオガパス・ロード沿いのテナヤ湖。私は22歳だったが、私が前輪を取り替えようとしていたクルマも同い年だった。それは1973年製のオンボロで青空のような色をしたフォード・ギャラクシー500。バックシートにはマットレスを敷いていた。私たちは80日以上かけてアメリカを一周する旅に出ていて、ほとんど2ヶ月ほどが過ぎていた。しかし、そのクルマは限界に達していた。直近でクルマを点検した整備士たちは、あえぐように走る2トンのケダモノで私たちが旅を続けるのをやめさせようとした。そこから私たちは200マイルほど進んできたわけだが、私がスパナを握りしめてそのクルマの下に入り込んでいたのにはそんな事情があったわけだ――そこでティムが叫び声を上げた。
ティムは私の前に棒立ちになり、信じられないという風に言った。「あれは何だ?」。私は「わからない。でも30分ほど前に同じものを見たぜ。ここから数マイル下のほうで」と応じた。
私はタイヤのナットを回し続けたが、心もまるでコマのようにグルグルと回転し続けた。私たちが見たものが何であれ、それは20分ほど前に道路上で目撃したものと全く同じものだった。
ヨセミテからここに向かう途中で、クルマのタイヤはパンクしてしまった。新しいタイヤを持ってこようと、リズと私は最寄りの町、リー・ヴァイニングへヒッチハイクをして向かった。それはモノ湖のわきにあって、石灰に覆われたような殺風景な光景の広がっている、かつては採鉱業の最前線にあった小さな町だった。仕事が済んだ私たちは、通りかかった2人乗りのコンバーチブルスポーツカーに乗り込んだ。リズは前に座り、髪をきれいになでつけたドライバーとぎこちない会話をしていた。一方の私は、ドライバーシートの後ろの空間に足を突っ込んで、修理されたホイールを抱えながら座っていた。
風の強い二車線の舗装道路を走りながらヨセミテへと戻ってくると、涼しい山の空気が吹き付けてきた。樹木が密集した北側の森のところをカーブした時、木々の間に光るものが目に入った。防火帯になっている直線道路の90フィートほど先、高いモミの木の間に全く予想もつかないものがあったのだ。それは地表3フィートのあたりに滞空しているようで、静止していた。
それは光を反射する銀色の完全な球体で、直径はおそらく8フィート。磨き上げられた巨大なクリスマスツリー用のオーナメントのようだった。それは私にルネ・マグリットの謎めいた作品『La Voix des Airs 天の声』に描かれた、緑豊かな風景の中に吊されたベルを連想させた。それは美しく、穏やかで、不気味で、そして違和感に満ちていた。
La Voix des Airs
私が自分が見ているものがどんなものかを認識した途端、それは木々の後ろに消えてしまった――私たちが曲がりくねった道路を走っていく間に。数秒後、私たちはまた別の防火帯用の道路を通過していったのだが、さきほどと同じ場所に目をこらした。それはまだ同じ場所にいた。水銀のように輝き、不動で、奇妙なほど完璧だった。一瞬の閃光を放ってからそれは木々の間に消えたのだが、それからまた別の曲がり角、別の道路を経て、再びあのいまいましい球体が出現した。私は、頭の中で説明を探したけれど、それを口に出すことはなかった。リズやドライバーは特に異常なものを見たような様子もなかったし、仮に私が何を言うべきかわかったとしても、爆音するエンジンと風の音の中でそれを伝えることは不可能だった。
球体と森を後にした私たちは、自分たちのクルマに戻ってきた。それはきらめく湖と険しい岩山の間に挟まれた場所にあった。クルマをジャッキアップしてその下に潜り、ホイールを取り付ける作業をしている間、私は自らが見たものについて口にすることはなかった。ティムが叫び声を上げたのは、その時だった。私の視界にあったのは彼の足首と足だけだったが、彼とリズは興奮して大きな声を上げた。
「早く!これを見ろ!いったい何なんだ!?」
立ち上がった時、私はそこで何を見ることになるかは分かっていた。
午後の日差しを受けて、それは湖の上を意志を持っているかのように滑り、私たちに向かって進んできた。穏やかに浮かんでいるさまは、まるでどこかの粘性のある流れに運ばれているかのようだった。それは先に見た球体とまったく同じように見えたが、同じものではなかった。というのは、それは約1/3マイル離れた湖の反対側からやってきたからだ。それは私たちの頭上約50フィートほどのところを飛んでいたが、全く音をたてず、急いでいる感じもなく、それでもどこか決然としたものを感じさせるような動きだった。そして、丘の穏やかな輪郭に沿うようにしてそれは視界から消えていった。この間の時間は1分足らずだった。
「あれ、何だったの?」。リズが私たち全員の思いを代弁するように言った。虚無が一帯を満たした。頭は答えを探そうとしたが、何も出てくることはなかった。
クルマの下に戻った私は、さらに少しナットを外して、不安が忍び寄ってくる感覚を抑えようとした。が、無理だった
「まったくもって信じられない!もう一つ来るぞ!」とティムが叫んだ。
急いで体を出すと、ちょうど間に合ってもう一つの球体を見ることができた。前のものとまったく同じで、湖の上をゆっくりと私たちに向かって進んできた。そのルートは先ほどのものとまったく同じだった。そして、それは丘を越えるように上昇し、まるでそこを毎日通っているのだという風に穏やかに進んでいった。
私はカメラを取りにクルマに飛び込んだが、間に合わなかった。球体は消え去っていた。それが最後だった。
おそろしく奇妙で、本当の話である。これは他の何千ものUFOの物語とも似ている。この話には、その当時私がUFOに多少興味を持っていたという事実によって、いささか奇妙さの度が増しているところもある。正直に言うと、その当時私はUFOに取り憑かれていた。私はこれまでずっと超常現象と異常なものに興味を抱き続けてきた――ほとんどの子供がエニド・ブライトンを読んでいる間に、私はH.G.ウェルズやブラム・ストーカーを読んでいたのだ。 しかし、どういうわけか1980年代後半になると、徐々にUFOが私の主要な関心事になっていったのである。
1989年、16歳の時、私はスペイン南部で最初の目撃をした。友達と私は、9つの光るオレンジ色の球が地平線沿いに振幅の大きい正弦波を描くようにして転がっていくのを見た。私はそれらが次々と過ぎていったのを覚えているが、それはまるで粘っこい液体の中を見えない糸で結ばれて動いているかのようだった。私も友人もその光景にそれほど仰天したわけではなかったし、それが「エイリアンの宇宙船」だという可能性も頭には浮かばなかった。しかし、私はその出来事を何度も思い返しては、こう思ったものだ――私たちが見たものはいったい何だったのだろう、と。
1990年代の初め、UFOは私にとってのすべてになっていた。後から考えると、私は無意識のうちに千年紀前夜の時代精神に捕らえられていたのかもしれない――星々の魅力に魅せられてしまった他の何千人もの人々と同様に。一方には冷静にしてハイテク技術をめぐるワクワク感に満ちたティモシー・グッドのUFO本(そこでは明らかにありえない航空体と軍とのコンタクトが論じられていたのだ)があり、他方にはホイットリー・ストリーバーの魂を揺さぶるエイリアン誘拐の回想録があった。そのはざまにあって、エイリアンとのコンタクトの可能性、そして我々の世界のそれとは違う生命体がいる可能性、島のようなこの地球を離脱できる可能性、そうしたものは大いにありそうなことと思われるようになっていたのだ。
そして今や私は再び目撃を果たすことになった。
ヨセミテでの出来事の奇妙さをさらに倍可させたのは、旅の途中で読んでいた本だった。それはカーラ・ターナーの『Into the Fringe』。心理学者にしてUFO研究者でもあった彼女は、私たちが目撃をした1年後に脳腫瘍で亡くなった。自分の家族のUFO体験について彼女が記した記録は、もともと奇怪なこの分野にあって、さらに折り紙つきの奇妙なものの一つであった。そこにはいくつかの浮遊する銀色の球体が登場しているのだが、ターナーはその球体を「貯蔵庫」になぞらえて、「そこでは人間の魂が何らかのかたちでリサイクルされるのだ」としている。その球体の中にあって、人間の魂は或る意味では他者 [訳注:原文はエイリアン] でもあるわけだが、それは母親の胎内に植えつけられる。それは外科手術のようでありながらもスピリチュアルなプロセスであり、UFO伝説の核心にある神秘的次元を医療のコトバで映したものなのだった。
しかし、私たちがその日ヨセミテで見たものに、そんな魔術めいた要素は一切なかった。その遭遇に続く何年間か、「私たちの頭上を飛んでいたものについてありふれた説明はできないだろうか」という風に私は自問自答していた。
あれはアルミ箔で覆われた風船だったのではないか?その可能性は否定できなかった。ただ、あれは風船というにはあまりに固いもののように見えた。もし私たちが岩を投げたら、カツンという音をしっかり立てただろう(投げなくて良かったが)。あれが飛んでいく時、水の上のコルクのように上下に揺れ動き、そして私たちの後ろの丘の輪郭に従ってスムーズに飛んでいった様子もまた、風船の動きとは全く異なっていた。風船であれば、ガレ場の斜面に無様にぶつかってから稜線を超えて飛んでいったことだろう。それだけではない。私の記憶では、気味が悪いことに、その物体を運んでいくに足るような風は少なくとも私たちが立っていた場所では吹いていなかった。
もしかしたら、あれは球電やセントエルモの火のような珍しい大気現象だったのではないか? こうした電気的性格をもつ気体が泡だったものは、より超常的なUFO目撃のいくつかについては良い候補になろうし、昼間は銀色に見える可能性があるとされている。アメリカ空軍は何十年もの間、兵器化する可能性を探ってプラズマをの生成・コントロールするすべを探ってきた。しかし、再び言わせてもらえば、私たちが見た球体は明らかに固体で、「気体」ではなかった。
あれは何らかのドローン機だったのか?私たちがいたのはチャイナレイク海軍航空兵器基地からそう遠くない場所だったが、その基地は海軍が新しいオモチャを試す試験場の一つであるから、その可能性はある。しかしかりにそうだったら、あれを空中に飛ばしていたテクノロジーはいかなるものだったのだろう。球状の物体がレーダーの訓練とその補正のために軍用機から投下されることがあるが、あれは垂直に落下していたわけでもパラシュートで降下していたわけでもなく、水平に飛んでいたのだ。
こうしたプラグマティックな試みがうまくいかない場合、神秘的な説明だったらどうなるだろう? あの物体は、カーラー・ターナーの本に触発された私自身の無意識から湧き上がったもので、それから皆が共有できる現実にしみ出してきたものだったのではないか――そう、チベットの神秘主義における精霊トゥルパのように。違うだろうか? ふむ、一つの考えではある。そして告白せねばなるまいがそれは当時私が考えていたものだった。
もしそれらが物理的な物体であったとすれば(私はそうだと信じているのだが)、アメリカ政府が秘密を保管している「ブラック・ボールト」や最新の軍事装備が収容されている倉庫にアクセスできない限り、「私たちがあの日見たものは何か」という問題に満足のいく答えを見つけることはできまい。そして、とらえどころのないこの現象ならではということになるが、少なくとも第二次大戦以降のUFO文献には同様な物体の報告が散見される。例えば1944年12月14日のニューヨークタイムズの記事にはこうある。「ドイツの新兵器が西部戦線に現れたことが本日明らかになった。アメリカ空軍のパイロットの報告によれば、彼らはドイツ領空上空で銀色の球体に遭遇している」
謎の発光オーブは最初1942年にヨーロッパ上空で航空兵によって目撃された。これらの光の球は、黄色、オレンジ、銀色、緑、または青とその描写は一定しなかったのだが、航空機を追尾したとされ、激しい回避操作をしても攻撃したり、損傷を与えてきたりすることはなかった。イギリスのパイロットはこれらの光を「例のヤツ the thing」と呼び、アメリカ人は「フーファイターズ foo fighters」と呼んだ。これは人気のある漫画の消防士で、「フーのいるところ火事あり!Where there's foo, there's fire!」という決まり文句を持つスモーキー・ストーバーにちなんで命名されたものだった。元英空軍の情報将校(そして「グーン・ショー」のコメディアン)だったマイケル・ベンティンは、バルト海上空を飛行する際にパイロットを悩ませた怪光について、航空兵たちから報告を受けていたという。射撃手たちはその光に向けて発砲したが、それが応戦してくることはなかった。「その光は何をするでもなく、ただ脈動しながらあたりを飛び回っただけでした。我々は、それは疲労のせいだということで片付けましたが、のちに私がアメリカの情報機関G2に報告を出したところ、将官からは米軍の爆撃機でも空中に光をみていたと言われました――彼らはそれをフーファイターズと呼んでいたそうです」*
フーファイターズの報告は、空軍省によって真剣に受け取られたが、他のパイロットからは笑い話とされることが多かった。それは球電のような珍しい自然現象だったのだろうか?それとも、多くの人が推測したように、秘密兵器、あるいは敵のパイロットに恐怖を与えるために意図された新しい種類の対空砲やデコイだったのだろうか?これらは無線で制御されていたのだろうか?他の航空機を追尾する仕組みを有していたのだろうか? ベンティンは、1943年のペーネミュンデ空襲に際して銀青色の球体に追跡されたというポーランドのパイロットから事情を聴取したことがある(ペーネミュンデはV2ロケットの生産地であった)。ここでまた別の進歩したテクノロジーが開発されていたことと、この件には関係があったのだろうか? それは定かでないし、今に残る戦時の記録に答えはない。ベンティンの個人的な結論は、もしそれがポーランド機を攻撃しなかったのだとすれば「それは大した兵器ではなかった」というものだったが、それはいささか鷹揚に過ぎるように思われるし、デコイや電子対抗手段(EMC)が戦争のスタンダードを占めている今日にあってはウブな考えでさえあるだろう。しかし、それは彼の上官の態度を反映したものであったわけで、我々の知る限り、上層部の人間はその問題に深入りしなかった。結局のところ、その時点で戦争は続いていたのだから。
では、私がヨセミテで見た球体はどうだったのか?アメリカの諜報活動に関わったバックグラウンドを持ち、UFOに興味を持っている或る人物は、それはアメリカ軍の偵察用ドローンだったのだと私に語った。これはチャイナレイクの理論を支持するものかもしれない。また、アメリカ政府のために「遠隔視」(RV)を行ったと主張する超能力者は、球体は地球外に起源があり、そのことは一部の政府グループにはよく知られていると私に語った。また、あるアメリカ陸軍大佐は、球体はカンザス州のどこかに大量に集合していて、その一帯に幾何学的な模様を形作っていると彼女に [訳注:誰?] 語っていた。
あり得る話だと読者諸兄も考えているかもしれない。ひょっとしたら、そういったものが広大なカンザス州の大草原にもミステリー・サークルを作っているのではないか? しかし、それから数年後、かつてサイエンスライターのパトリック・ハイグが著した『スワンプ・ガス・タイムズ』を読んでいた時のことが頭に浮かんできた。彼女は1980年代にカンザスの草原に住む人の話を記していたのだが、その農夫は、晴れた夜に最新式のコンバインで農作業をしているときの喜びについて語っていた。そういう場所が大好きだったと彼は言った。
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「ヤツらが来るまではね」
「...ヤツらとは誰ですか?」
「光が降りてきたんだ」と彼は言った。「ふと見るとヤツらはそこにはいない。次の瞬間、側面の窓から外を見ると、そこにいる。こっちと同じ早さで動き続けている。それから、まばたきしている間に、彼らは周りを回って反対側に姿をみせる」
「UFOですか?」
...その男はそれが何であるかは言わなかった。ただ、「こういうものではない」というものの名を挙げた。「ヘリコプター、航空機、ヘッドライト、反射...」
「で、これからどうしますか?」
「やらなければならないことをするだけだよ。私はただ仕事をするだけだ」。そう彼は答えた。
「最後にヤツらは空に飛び去って消えるんだ。本当に神経を逆なでするがな」
・・・おそらくカンザスの球体は1995年7月のあの日、ヨセミテで休暇を楽しんでいたのかもしれない。ちょうど私たちがそうしていたように。(01→02)
■OZ factor
■オズ・ファクター
以下はUFOにかかわるストーリーの中でオズ・ファクターが報告された一事例である。それは1978年7月21日、まだ暑さの残る夏の夜、午後10時15分頃にイギリス・マンチェスターのデイヴィフルムで起こったもので、ランドルズが「W夫妻」と呼んでいるカップルが薄明の空に黒っぽい円盤が浮かんでいるのを目撃した。この円盤はオーラに包まれており、そこからは30~40本の美しい紫色の光線が車輪のスポークのように様々な角度に発射されていた。その長さは真ん中にある円盤の直径の12倍ほどまで伸びていた。ランドルズの記すところでは、一分半ほどすると「光線は順番に内側にたたみ込まれていき、物体はゆっくりと消えていった。その大きさは向かいの家の屋根と比較しても相当に巨大なものであった」。W夫妻が当惑しつつ語ったことによれば、その目撃の間、いつもは賑やかな通りは不思議なほど静かで、クルマや歩行者は全くみえなかった。W婦人はのちに、二人でその物体を見ている間、自分は「特別な存在」になっていて、かつ「孤独」な感じだったと語った。
以下に示す物理的効果を伴った刮目すべきオズ・ファクターのエピソードは―― これを専門用語でいえば第二種接近遭遇となるわけだが――1959年12月の或る日の朝、5時45分頃にカリフォルニア州プロベルタの南方半マイル地点で発生したとされている。ラリー・ジェンセンはその日、米ハイウェイ99号線を仕事にいくため走っていたのだが、ラジオが「パチパチ」という音を立て始め、ライトは暗くなった。そこで道路脇に車を止め、ヘッドライトを点検するために車から降りたところ、彼はヘッドライトが使い古しの電池で動く懐中電灯のように弱々しく光っているのを見て愕然とした。
ランドルズの見解は以下の通りである。「オズ・ファクターの存在が、UFOとの遭遇の核心には目撃者の意識というものがあることを指し示しているのは明らかだ…客観的現実を上書きする主観的データは、内側から(つまりは我々の深層から)発しているものかもしれないし、外部から(例えば他の知性から)来ているものかもしれない。あるいはその双方から、ということもあるのかもしれないが」
―― ジェローム・クラーク編「UFOエンサイクロペディア第3版」より
■Jacques Vallée
■ジャック・ヴァレ(1939年~)
フランス・ポントワーズ生まれの世界的なUFO研究者で、スティーブン・スピルバーグ監督の「未知との遭遇」でフランソワ・トリュフォーが演じたフランス人科学者のモデル。天文学者、ベンチャー・キャピタリスト、小説『亜空間Le Sub-Espace』でフランスのジュール・ヴェルヌ賞を受賞したSF作家としても知られる。
1954年にヨーロッパで起きたUFOの目撃ウェーブを機に、UFOに関心を抱く。パリ天文台に一時勤務した後、1962年に渡米。ノースウェスタン大でコンピュータ科学の博士号を取得するなどの活動を続ける一方、J・アレン・ハイネックとの交友を深める中で本格的にUFO研究を始める。妻ジャニーヌとの共著『科学への挑戦
Challenge to Science』(1966年)でUFOにかかわるデータの統計分析に取り組むなど、当時は科学的な方法論に依拠したアプローチで知られていた。
ET仮説については当初肯定的な姿勢を取っていたが、1969年に刊行した『マゴニアへのパスポート Passport to Magonia』で、ヴァレはそのスタンスを一変させる。同書では、民俗学・宗教学的な知見を援用して、西洋における妖精や精霊の伝承とUFO現象の類似点を指摘。UFOは歴史を超えて人類が体験してきた奇現象に類したものだとして、一転してUFO=宇宙船説を否定する議論を展開した。
有力研究者であるヴァレの「転向」は、ET仮説が主流の米国では一大スキャンダルとなり、多方面から批判を浴びたものの、ヨーロッパのUFOシーンにおいては総じて好意的な評価を受け、UFO研究における「ニュー・ウェーブ」という流れを作り出す上で大きな役割を果たした。
次いで1975年に刊行した『見えない大学 The Invisible College』では、UFOとサイキック現象との関連性を指摘するとともに、「コントロール・システム」というユニークな概念を提唱する。室温を制御するエアコンのサーモスタットのように、「UFOは人間の信仰や意識をある方向に誘導する働きをしている」という主張である。そのコントロールを意図している主体が何者かは明示しておらず、いささか思弁的な議論として批判も多いが、単純なET仮説に甘んじることのないヴァレの真骨頂を示すものである。
このほか、『欺瞞の使者 Messengers of Deception』(1979年)、『レベレーションズ
Revelations』(1991年)などの著書では、UFO現象をよこしまな活動の隠れみのとして利用しようとする組織の存在について考察を加えた。こうした一種の陰謀論もヴァレにとっては重要な一つのテーマであるが、その主張には論拠が乏しいとの批判もある。
その後はUFO研究から距離を置いた時期もあったが、2010年には古代から1947年までのUFO類似現象をカタログ化したクリス・オーベックとの共著『ワンダーズ・イン・ザ・スカイ Wonders in the Sky』を刊行。2021年にはイタリアのジャーナリスト、パオラ・ハリスとの共著『トリニティ Trinity』を出版した。同書は1945年8月、米ニューメキシコ州に未知の飛行体が墜落し、搭乗者ともども米軍によって回収されたという触れ込みの「サンアントニオ事件」を検証したもので、ヴァレはこの事件は現実にあった可能性が高いと主張。墜落物体を異星人の宇宙船とみなす立場からはなお距離を置きつつも、いわゆるUFOの墜落回収事件には懐疑的だったヴァレがそのスタンスを変えたことで大きな話題となった。ただし、同事件をめぐる関係者の証言には疑問点も多く指摘されており、軽挙妄動しない冷静なスタンスで知られたヴァレの「変節」を危ぶむ声も多い。現在は米サンフランシスコ在住。
邦訳書に『人はなぜエイリアン神話を求めるのか』
(竹内慧訳、徳間書店、1996年:原著は「Revelations」)、アレン・ハイネックとの共著『UFOとは何か』 (久保智洋訳、角川文庫、1981年:原著は「The Edge of Reality」)、『核とUFOと異星人』(礒部剛喜訳、ヒカルランド、2023年:原著は「Trinity」)。小説としては『異星人情報局』 (礒部剛喜訳、創元SF文庫、2003年)がある。
注:なお『人はなぜエイリアン神話を求めるのか』『UFOとは何か』の著者名表記はジャック・ヴァレー
■主な参考資料
・Jacques Vallée『Forbidden Science: Journals 1957-1969 2nd Edition』(North Atlantic Books, 1992)
・Jerome
Clark『The UFO Encyclopedia』2nd
edition(Omnigraphics Books, 1998)
■ジェフリー・クリパル『不可能なるものの書き手たち』
不可能なるものの書き手たち ジェフリー・クリパル
初めてジャック・ヴァレを読んだとき、私はすぐさま思ったものだ。西洋の秘教の歴史、伝統的なフォークロアの真実、現代のSFの神秘的なまでの魅力、超常現象のリアリティといった事どもについて――ヴァレの言い方によるならば「人間の意識のうちに明らかに存在する魔術的性質」[1] にかかわってある「イメージの世界のリアリティ」や「呪われた事実」の一切合切に関して、ということになるわけだが――我々に教えるに足る「何か」を手にした書き手を私は発見したぞ、と。言い方を変えるならば、私はそこで、自分はいま、もう一人の「不可能なるものの書き手」に出会っている、ということに気づいたのだった。
私はまた、彼が古代・中世から我々の生きている超近代的な世界にいたるまで、様々な素材を関連づけていく方法にも魅せられてしまった。これは明確に言えることだが、彼は特定の「時代」というものを絶対視していないし、ある地域の文化を他との比較におけるモノサシとして絶対視するようなこともしない。彼にとっての歴史研究というのは、「われわれ」と「かれら」を区別するものではなく、自分たちの時代や言語、その文化に基づくものを「我尊し」とばかりに特別視するものでもない。それは汎地球的な「わたしたち」を対象とするものであって、その領域は時間的にいえば何千年もの期間に渡り、広大なるサイキック・システムがそれぞれのかたちをとった無数のものどもを含み込んだものなのである。
同様に重要なことなのだが、ヴァレの比較対象を旨とするイマジネーションは、知識というものが或る一つの秩序の中に閉じこめられてしまうことを断固として拒否する。結局、ここにいる人物は、先駆的なコンピュータ科学者にしてベンチャーキャピタリストでありながらも、同時にパラケルススの稀少本を購入し、神秘的なものへの志向をもつ人文学者でもあるのだ。彼は若いころ、文化系か技術系かということで進路を選ばなければならない教育の仕組みの不備をあざ笑い、SFをバカにする科学者たちに対しても嫌悪以外の感情をもつことができなかったという。少なくとも彼にとって、ファンタジーというのは真面目な思索のひとつのかたちであった。[2]
結局のところ、彼もまた、自らの取り扱う問題を言い表す際には「条理を超えた」という表現を用いているわけだし、自らの人生は「禁じられた科学」への探究に情熱を注いだものだと言っている――ちなみに「禁じられた科学」というのは、可能性の極限を追求すべく、条理を重んじる主張をラディカルに否定してみせた日記を彼が出版した際につけたタイトルでもある。[3] 彼はそのような物言いで、「新たにフランス流の思考の元締となった、融通のきかない合理主義者たち」に軽蔑のまなざしを投げかけているわけなのだ(『禁じられた科学』1巻192頁)。
同じようにして彼は、啓蒙・合理主義にたつ哲学者たちに対しても、退屈きわまりない「官僚的なオリの中に200年間にわたって」(同1章97頁)われわれを閉じこめている、とのあざけりを浴びせている。彼は、UFO問題の実在を否定する「古い科学者たち」に対してもほとほとウンザリしている、という。1961年、自らの日記に次のように記した時点で、彼はすでに合理的で世の受けは良いけれども馬鹿げた彼らの言い分に対して飽き飽きしていたのだ――「我々のリサーチは、彼らの創造性の欠如や、何でもかんでもひとしなみに画一的なものの中に落とし込んでしまおうという欲求(それを彼らは誤って「合理主義」と名づけているわけだが)によって骨抜きにされてしまうだろう」(同1章52頁)
が、ヴァレが自らのうちに秘めたその深遠なる霊知主義に照らせば、教義を有する宗教ならばドグマに満ちた合理主義よりはマシ、といった話になるわけでもない。彼は既成の宗教には徹頭徹尾懐疑的で、概していえばそれを社会的なコントロールシステムの如きものであって、永遠の真実を託すに足るものなどとは全く考えていない。かくて彼は、自らは「一般的なイメージでいうところの神への信仰などはない」と告白する。それは、彼がスピリチュアルな感受性をもっていない、という意味ではない。のちに見ていくように、実際には彼の霊的な感受性には実に奥深いものがあるのだけれど、彼はそれを宗教的なものというよりは、神秘主義の領分にかかわるものだとしている。
ヴァレにとって、神秘主義というのは宗教やその教義の体系とは全く関係のないもので、「通常の時空から離れたところに意識を方向づけるものであり、思考を差し向けるもの」である。[4] そして、これもあとで見ていくことになるが、彼は文字通りの意味でそのような主張をしているのだ――科学界からは「禁じられている」けれども、彼にしてみれば至極科学的な方法を用いることによって。
かくてヴァレは「条理」と「信仰」のいずれをも超越した場所で、秘された知識(すなわち霊知である)の保持者――いや、それに取り憑かれた者というべきかもしれないが――としての立場から文章をつづっている。そのような、「知」における第三の道というのは、彼の言う「より高次元にある精神」と密接に結びついている。それは伝統的にはイマジネーションやファンタジーの世界を介して、さらに近年でいえばSFを通じて表現されてきたものである。そんな彼にとっての「知の世界におけるヒーロー」というのは、次のような人々だった。
ニコラ・テスラ――彼は現代に生きたアメリカの天才で、電気やレーダー、ラジオ技術といったものをあまりにも奇抜な方法でオカルトと融合させたという意味において天才と称すべき人物のひとりであった。アイザック・ニュートン――彼は正統的な科学に取り組む一方で自ら錬金術と占星術とを実践した人物だった。そしてヘルメス主義の哲学者にして物理学者でもあったパラケルスス――そのテキストについて、ヴァレは十分な注意を払いつつ研究を進めてきたのだった (同1章96頁)。実際、パラケルススのような人物やそのヘルメス主義的な科学に敬意を払っていたヴァレには、「こうした古き時代のヘルメス主義者たちは、他にどんなことをしていようとも、現代思想の真の創設者として称賛されるべきだ」という強い思いがある (同書176頁)。
ヴァレにとって、西洋の思想――それは表面を覆う合理主義と宗教を突き抜けたところにある「真の思慮」に満ちた思想のことである――というのは根本的に秘教的な営みなのであって、その全体像や、その意味といったものに対して、我々は最近になってようやく注意を払い始めるようになったに過ぎない。それはなお我々の手には負いかねる。だからこそ我々は、それを自分たちの目に届かないところに置いているのだけれど。
だが、ジャック・ヴァレが「禁じられた知識」という時、その「禁じられた」という側面がもっぱら彼の神秘主義にのみ由来するものでないことは強調しておくべきだろう。それはまた、米国政府の活動が生み出したものでもあるのだ。いや、より正確にいえば、ここは「米空軍の活動」というべきだろう。実際のところ、ヴァレは非公式な立場で4年間、政府のプロジェクト(すなわち「プロジェクト・ブルーブック」である)がまとめたファイルについて独立した立場から研究にかかわった人物なのだが、その相方はといえば軍所属のプロフェッショナルや科学者たちで、彼らは他の人間たちが知らない、そして知るべきでもなく、実際に知り得ることもできなかった事について「知っていた」者たちだった。
しかしヴァレは、そのような人々が、とても重要な或る事柄に限っては本当は「何も知らない」ことを悟ったのである。どういうことか? 彼らは、何とも愚かなことに「ここより外側にある」何ものかを追いながら、馬鹿げた、そして実ることのない行動を「この場所」で展開していたのである。彼らは、いわば「キッチリと組織された昆虫のコロニーが、予期せぬ出来事によって突然の災難に見舞われたときのような」反応をみせた(同書1章55頁)。彼らがその「リサーチ」で何をしようとしたかといえば、それはロケット科学者を集めて作戦遂行計画を作り、撃墜しようという意図をもってUFOをジェット戦闘機で追跡することに過ぎなかった。彼らにとってUFOとは、「この世界や我々の存在とはいったい何であるのか」といった問題について、我々の認識を大きく転換させる可能性を秘めた深遠なる謎などではなかったのだ。それらは単なる「ターゲット」に過ぎなかった。
彼がのちに著した英語の小説『ファースト・ウォーカー』(訳注:邦訳『異星人情報局』)で、彼は自らの考えを仮託するかたちで、作中の困惑したパイロットに語らせている。その登場人物はこう自問する。「オレたちは、自分たちの理解できないものはすべて撃ち落とさねばならない、といった具合で、空にある物体は何でもあっても自動的にターゲットになるんだと思ってきたんだが、いったいどこがまずかったんだろうか?」[5] こうした軍部ならではの思考は、愚かとはいわぬまでも、いかにも単純で思慮を欠いたものとしてヴァレに衝撃を与えた。それは明らかに無駄なことだった。
言い換えてみれば、ジャック・ヴァレが知るに至ったのは、厳密な意味で「これは主観的なものである」とか「客観的なものである」といった断定的な説明をするのは無効だ、ということなのだ。そうした説明は「ともに真である」ともいえるし、「ともに間違っている」ともいえる。ヴァレが超常現象のことを書く時――そしてこれこそが、私を彼の「不可能なるものを書く」営みに引きつけた理由なのだが――彼は純粋に心的なもの、ないしは主観的に存在するもの(それはそれで非常に興味深く、深遠なるものではあるが)についてのみ考えているわけではない。彼が考えをめぐらせている対象は、次のようなものなのだ――繰り返しレーダースクリーン上に出現する根源的に不可解な現象。過去何十年にもわたって各国の政府やその軍隊との間に深い関わりあいをもってきた、もしかしたら「潜在的な敵」であるかもしれない勢力。我々の最強のジェット戦闘機からも容易に逃げおおせてしまう、進歩した未来のテクノロジー。そして、我々のフォークロアや宗教、文化を何千年にもわたって裏面から規定してきた、不可解というしかない「神話的なもの」の存在・・・。つまり彼は、神話的でありながら同時に物理的にも存在し、スピリチュアルなものでありながら同時に物体でもある、そのような「何ものか」について考えているのだ。
読者諸兄がいま戸惑っておられるとしたら、それはむしろ結構なことだ。合理主義に基づく「確からしさ」や宗教的な信仰は、ここでは「敵」である――混乱は幸福を運ぶ天使である。不条理と疑念は、我々をはばたかせる翼である。だからこそ、いまこの状況に在る根源的な不可思議さというものは、改めて論ずるに足るものなのだ。
だからこそ注目し、強調したい点がある。
結局のところ我々は、西洋の文化史上、特異的な地点へと近づきつつあるわけだ。それは人間の意識のうちにある妖しくも神秘的な特性をターゲットとして政府が極秘の調査プログラムを開始した時代であって、いわば超自然現象が国家の安全保障の上で留意せねばならぬものになってしまったがために、各国の政府がレーダー上に出現したオカルト的なものを超音速ジェットで追いまわしているという世界である。[6]
一方では、我々は、フォークロア的な要素をもつ未来のテクノロジーについてイメージを得ることのできる地点にも接近しつつある。そのプロセスを通じて我々は、「平行宇宙」が存在する可能性や、我々の文化のソフトウエア的な部分を書き換えるべく、我々の意思とはかかわりのないところで、ホログラムの幻像が時間を超えてこちら側に投影されている可能性――といったものに思いをはせるようになるのかもしれない。そんな世界を想像してみる。そこでもなおUFOはモノとしての形をとった「物体」であり続けているかもしれない。が、それと同時に、UFOが或る種の象徴、ないしは他の次元に対して開かれた形而上学的な「窓」として、さらにいえば我々が「他の惑星から来たエイリアン」などではなく「別の時代から来た進化した人間」と遭遇するであろう時空への入り口として観念され、その役割を果たしていくということも考えられるのである。(つづく…?)
[2] ジャック・ヴァレ『禁じられた科学:1957-1969年の日記』(ニューヨーク:マーロウ&カンパニー、1996年)44頁。『禁じられた科学2巻:1970-1979年の日記』(ベルモント・イヤーズ社)は自費出版(著作権は2007年、ドクマティカ・リサーチ社)。以下では書名に続いて巻数と頁を記す