2024年10月

■第13章 悪い情報

    調査員に正しい情報を7年間与え続けてみよう。そして8年目の最初の日、あなたが彼を思うがままにしたいと考えて間違った情報を伝えたら、く彼はそれを信じてしまうかもしれない。――『心理戦ケースブック』 (1958年)


「我々はリンダに良い情報と悪い情報を渡した。彼女は悪い情報を選んだ」。リックの言葉は私の心にこびりついて離れなかった。ラフリン・コンベンションが終わろうかという頃、私はディーラーズルームに戻った。そこではたくさんの人々が自分の商品を値引きして販売していた。数多くの本、数多くの雑誌、そして大量の知識。私はちょっと悲しい気持ちになって、こんな風に考えた。ここに並んでいるのは全部悪い情報なのだろうか。仮にそうだとしたら、これはどこからやってきたのだろうか。

■ブラックゲーム

第二次世界大戦中に若き印刷工であったエリック・ハウは、何の拍子か、英国の政治戦執行部(PWE)で働くことになった。彼が部下として就いたのはデイリー・エクスプレスの元外報記者であったデニス・セフトン・デルマーであった。デルマーは英国の敵を欺き、士気をくじいてしまう策を編み出す「ブラックアート」の専門家で、自らを兵士というよりは芸術家だと見なしていた。デルマーの最も悪名高いプロジェクトの一つとして「グスタフ・ジークフリート・アインス」というラジオ局の運営があった。この局は、1941年6月から1943年12月まで、謎のドイツ貴族「デア・シェフ」(指導者の意)による反ナチスの激しい演説をドイツに向けて放送した。デア・シェフのセンセーショナルな演説は、イギリスの情報機関が集めた本当の情報と、政治的腐敗や性的放蕩といった話も含めたナチ高官への誹謗をまぜこぜにしたものだった。デルマーは次のように書いている。「我々が広めたいのはドイツ人たちに打撃を与えて彼らを混乱させてしまうようなニュースだ。それは高尚な政治的動機というよりは普通の人間の弱さに訴えかけることで人々の政府への不信を募らせ、彼らが政府に背くよう仕向けていくことになるだろう」

デルマーのもとで働いていたエリック・ハウの専門分野は印刷で、その仕事は切手や配給カードの偽造にはじまって、より精巧な出版物の製作まで手掛けていた。その一例が「仮病の人 the Malingerer」として知られる104ページの小冊子で、これはヨーロッパ全域のドイツ軍に広く流通した。この小冊子ではヴォールタートと名乗る医学博士(ドクトル・ドゥ・グッド)が、兵士たちが病気や負傷を装って軍務を回避するための様々な方法を推奨していた。その内容は激しい症状を引き起こす薬草の蒸留法から始まって、医師の処方箋の偽造法、靱帯損傷や記憶喪失を装う方法にまで触れていた。この冊子は敵に相当な影響を与えたようである。というのもすぐにドイツ製のバージョンが現れて、それが連合軍兵士の間でも広がったからである。

PWEの最も奇抜な印刷プロジェクトの一つとしては、1942年から1943年までの間に6号まで発行された偽の占星術雑誌「天頂 Der Zenit」があった。エレガントなデザインのこの雑誌は、もともと迷信深かったナチスの心理に影響を与えたのだが(ヒトラーとヒムラーはいずれもお抱えの占星術師を雇っていたほどだ)、その記事は、占星術の見地からヒトラーの主治医の選択からUボートの発進のタイミングに至るまで、ありとあらゆることに疑問を唱えていた。また、この雑誌は巧妙に歪曲されたデータやその解釈をデッチ上げるため本物の占星術師を起用しており、それは多くの真っ当な占星術師ですらしばらくは騙されてしまうほどの説得力を持っていた。こうしたブラックプロパガンダの効果はすぐに明らかになるわけではなく、数ヶ月、時には数年を要することもある。しかし、一度疑念の種が撒かれれば、それはやがて不信の森へと成長する可能性があるのだ。

デルマーのPWEはほぼ白紙の状態から立ち上げられたのだが、第二次世界大戦後、ニセ情報の技術は次第に洗練されていった。冷戦時代には、KGBやアメリカの数多くの情報機関がそれぞれ偽造専門部門を持つようになった。ソビエトがニセ情報活動に費やした金額は推定で年間約30億ドルだが、アメリカはそれを上回る規模で、CIAだけで35億ドルをブラックアート(ないしはグレイアート)に投入していたと推定される。

両陣営がよく用いた手法の一つはニュース記事を「仕込む」ことであった。それは、国内外のニュース機関にエージェントを配置したり、あまり浸透できていない地域ではジャーナリストや編集者を買収したりすることで行われた。世界的なネットワークニュースメディアの成長により、例えばナイジェリアで仕込まれた話が数ヶ月、あるいは数年後になって対立国のメディアに毒のようにしみ出していく、といったことも起きるようになった。

KGBの偽情報専門部門である「アルファ部隊」が「積極的措置」として行った工作のうち最も成功した作戦は、1983年7月16日、インドの親ソ系日刊紙『パトリオット』に掲載された投書から始まった。そのタイトルは「エイズはインドに侵入するかもしれない:アメリカの実験によって引き起こされたナゾの病」で、執筆者は匿名の「著名な科学者と人類学者」とされた。内容は、エイズウイルスはメリーランド州フォート・デトリックでペンタゴンの生物兵器専門家によって作られたもので、もともと黒人やアジア人を標的にする「エスニック・ウェポン」として開発されたことをほのめかしていた。

このストーリーが成功への足掛かりを得たのは2年後だった。1985年10月、ソ連の週刊誌『リテラトゥールナヤ・ガゼータ』は、「インドで尊敬を集めている新聞パトリオット」からの引用だとしてこの手紙を掲載した。この新たなバージョンでは、アメリカがエイズを媒介する蚊を繁殖させ、他国に駐留している米軍兵士に感染させているという話が付け加わっていた。しかし快心の一撃が放たれたのは1986年だった。この年、ジンバブエで開催されたエイズ会議で、東ドイツの3人の科学者(東ベルリン生物学研究所の前所長ヤコブ・ぜーガル教授、その妻であるリリ・ぜーガル博士、そしてロナルド・デームロウ博士である)がこのテーマに関する論文を発表したことで、学術的な権威が付与され、まじめに考察される対象になったのである。

工作は成功した。1986年8月には、この説が『ロイヤル・ソサエティ・オブ・メディシン・ジャーナル』誌上で公然と議論され、10月26日には英国の日曜紙『サンデー・エクスプレス』の一面に「エイズは実験室で作られた-衝撃の事実」という見出しが踊った。この時点で、物語は制御不能となった。クウェートの新聞『アル・オアバス』にはエスニック・ウェポンの発射シーンを撮った写真が掲載され、ロイターにより配信されたのち、1987年3月にはアメリカのCBSイブニングニュースでも報じられるに至った。インドの新聞の取るに足らない記事から始まった話が、今や何百万ものアメリカの家庭に放送され、何百万ものアメリカ人の心に浸透していった。

ソビエトはそのようなストーリーを創作したことはないと終始主張していたが、1988年末、アメリカの圧力を受けて、これ以上この話を積極的に広めないことに同意した。しかし、すでに損害は生じていた。エスニック・ウェポンには「プラス・モービフィック・プラス」というコードネームさえ与えられていた。この話は主流メディアから姿を消したが、エイズ兵器の話はアンダーグラウンドの陰謀文化の中で根強く残り、今でもインターネット上で生き続けている。

当初は否定に回っていたKGBも、ソビエト連邦崩壊後には真相を明らかにした。1992年3月19日、ロシアの新聞『イズベスチヤ』で、ロシアの情報機関長官だったエフゲニー・プリマコフ(1998年に首相になった人物である)は、そもそもの話はアルファ部隊の特別工作によるものだったと認めた。「アメリカの科学者たちの巧妙な陰謀を暴露した記事は、KGBのオフィスで作成されたものだ」と彼は述べている。「プラス・モービフィック・プラス」は、冷戦中に両陣営のニセ情報の作り手によって作られた多くの話のなかの一つに過ぎないのだろう。

読者諸兄は「こんな話とUFOにどんな関係があるのか」とお考えかもしれない。その答えはこうだ――こうした話は一から十までUFOと関係しているのだ。1980年代半ば、PWEの文書偽造技術とKGBのアルファ部隊が巧妙に用いたターゲット型プロパガンダが融合するかたちで、アメリカで力を得つつあったUFOコミュニティの団結や信用をほとんど壊滅させてしまうような攻撃が行われた――おそらくそれは、空軍が関わった情報戦の中にあって最も壊滅的な集中攻撃というべきものであった。

■MJ-12

1984年12月11日、テレビプロデューサーであり、ビル・ムーアと共にUFOの調査を行っていたジェイミー・シャンデラの元に、アルバカーキの消印が押されたマニラ封筒が届いた。その中には35mmフィルムがあり、1952年11月18日の日付が入った文書が撮影されていた。その文書は、CIAの初代長官だったロスコー・ヒレンケッター少将によって作成されたもので、現職大統領であるドワイト・アイゼンハワーに対し、マジェスティック12作戦の存在を説明するものだった。「マジェスティック」または「MJ-12」と呼ばれるグループは、1947年のロズウェルUFO墜落事件の後、その残骸と乗員を研究するために選ばれた12人の科学者、軍関係者、及び情報機関の専門家で構成されていた。文書には、グループの研究を支援するため、データを収集する組織として「プロジェクト・サイン」、次いで「プロジェクト・グラッジ」が設置されたことも記されていた。さらに文書は、1952年にUFOの目撃情報が急増したことに触れ、MJ-12プロジェクトは新しい大統領の政権下でも「厳格なセキュリティ対策を課した上で」継続されるべきだと結論づけていた。ブリーフィング文書には添付資料リストも含まれていたほか、1947年9月24日付でハリー・トルーマンが署名したメモがプロジェクトを開始する旨を伝えていた。

政府のUFO文書に関しては、この時点でムーアは散々はぐらかされるような体験をしてきたが、「マジェスティック12」というグループにはなじみがあった。というのも、それはポール・ベネウィッツに渡すようリック・ドーティから託された「アクエリアス文書」に出てきたものだったし、実際この文書は彼らが準備していた本のベースになるはずのものだった。過去何年か、彼らは小出しにされた情報をたどってきたわけだが、この新たな文書というのは辿り着いた先にあった宝物なのだろうか? これは大鉱脈なのだろうか?

この文書をどうすべきかと考えたムーアは、しばらく手元に置いておくのがベストだろうと考えた。もっとも、限られた研究者仲間数人にはコピーを送っておくことにし、その中にはロズウェル研究者であるスタントン・フリードマンや航空宇宙産業に携わっていたリー・グラハムがいた。こうして何も起きぬまま時間が経過したことに、荷物の送り主は苛立ったのだろう。それからの数か月、ムーアとシャンデラの元にはハガキが何通か届いた。この時の消印はニュージーランドで、差し出し人はエチオピアのアディスアベバ、ボックス189とあった。ハガキには「リースズ・ピースズ」や「スートランド」といった短いフレーズが書かれていたが、ムーアたちには何の心当たりもなかった。その後、これは思いもかけない偶然が起きたというべきなのだろうが、カナダ在住のフリードマンから、「国立公文書館で最近機密解除された空軍文書があるので見てきたらどうか」とムーア、シャンデラに連絡があった。この国立公文書館がある場所は、メリーランド州スートランド。同文書館の主任アーキビストの名前はエド・リースだった。

果たせるかな、新文書コレクションのボックス189の中に、シャンデラとムーアはMJ-12文書を裏付けるように思われる証拠を発見した。その決定的証拠というのは1954年7月14日付のメモで、国家安全保障会議のメンバーで大統領補佐官のロバート・カトラーが、空軍参謀総長でMJ-12メンバーとされるネイサン・トワイニングに、MJ-12会議の日程変更を通知したものだった。

このメモにはアーカイブのカタログ番号が付いていなかったが、当時カーボンコピー用に使われていた「オニオンスキン」紙に印刷されていたため、一連の文書が撮影されていたフィルムよりは信用できそうだった。ただし、この時代のカーボンコピーにしては奇異に感じられる点もあった。この紙は折りたたまれており、まるでシャツのポケットに入れられていたもののようだった。

MJ-12文書を公開しようというシャンデラとムーアの気持ちを後押しするために、何者かが彼らににこの文書を発見させようとしていたのは明らかだ。しかし誰が? それに公文書館に密かに文書を持ち込むようなことがどうしてできたのか? 国立公文書館のセキュリティは厳重で、文書をシステムに滑り込ませることは、不可能ではないが難しい。もしそれが偽造であったとすれば、おそらく公文書館に収められる前にボックス189に挿入されたのだろう。しかし、もしそうであるならば、なぜ他の文書にはあるカタログ番号が付いていなかったのか?

ムーア、シャンデラ、そしてフリードマンはMJ-12文書を極秘にしていたが、その存在はUFOコミュニティの内輪に徐々に漏れ始めた。そして、何者かはその情報をさらに広めたいと思っていた。1986年、英国で最も有名なUFO研究者であるジェニー・ランドルズは、匿名の情報提供者から、アメリカ政府がUFOの証拠を隠蔽しているという証拠を提示された。しかし、彼女は騙されることを警戒し、その資料を受け取らなかった。

1987年初夏。同じくイギリスの新進気鋭のUFO研究者ティモシー・グッドは彼女のように選り好みはせず、エサに飛びついた。彼は、MJ-12文書を7月に出版予定の自著『アバブ・トップ・シークレット』の付録として発表することにしたのである。この話がビル・ムーアの元に伝わると、彼は公開すべき時は来たと判断し、1987年6月13日の全米UFO会議で発表した。主流メディアはすぐにこの話を取り上げ、数日内にはABCテレビの有名なニュース番組「ナイトライン」や『ニューヨーク・タイムズ』で報道された。

KGBのエイズ捏造と同様、MJ-12文書がどこか遠くの曖昧な話から全国ニュースに登場するまでには3年を要した。一方、ティモシー・グッドの『アバブ・トップ・シークレット』は国際的なベストセラーとなり、再びUFOが世間の注目を集めた。これこそが偽情報のあるべき形だった。MJ-12文書はUFOコミュニティ全体に巨大な亀裂を引き起こし、「この文書こそ長年待ち望んでいた証拠だ」として信用する者と、それはただの捏造だと考える者との間に対立が生まれた。25年が経過した今もなお、その対立は続いており、新たなMJ-12関連文書が次々と現れ、新たな論争と混乱を巻き起こしている。

1988年、FBIの防諜部門は、空軍特別捜査局(AFOSI)の依頼でMJ-12文書の調査を行った。FBIの訓練生が「トップシークレット」の印が押された文書のコピーを所持しているのが見つかったのである。これは機密情報の漏洩として、重大な連邦法違反となる可能性があった。

FBIの長期にわたる調査は、調査ジャーナリストであるハワード・ブラムが著書『アウト・ゼア』で詳述している。FBIの捜査官たちは文書のコピーを多くの政府機関に見せたが、どの機関もその文書について何も知らなかった。次に彼らは敵国であるソ連や中国に目を向けた。FBIは、CIAが冷戦工作の一環として敵対国にUFOの話を広めていたことを知ったため、MJ-12文書はその報復の一環ではないかと考えたのである。しかし、この仮説を裏付ける証拠は見つからなかった。

次にFBIは、AFOSI自体に――とりわけカートランド基地のAFOSIチームに目を向けた。だが、やはり手がかりは得られなかった。ブラムはこう記している。

    彼ら全員が、例外なくMJ-12文書の作成には関与していないと断言した。さらに問題を複雑にしたのは、多くの調査官が突然退職を決めてしまったことであった。彼らは今や民間人であり、そうなってしまえば――これは彼らが強硬に主張したところであり、或る時には呼ばれて立ち会った弁護士も繰り返し訴えたところであるが――彼らは今や民間人として憲法上のあらゆる権利を有していた。

あるFBIの捜査官は憤慨しつつこう結論づけた。「我々はこのMJ-12文書に関してワシントン中のあらゆるドアを叩いた。そこで分かったのは、政府は自分たちが何を知っているのかすらわかっていない、ということだった。秘密の層があまりにも多すぎるのだ……この文書が本物かどうかを永遠に知ることができないとしても、私には何の驚きもない」

結局、答えはAFOSIからもたらされた。彼らはこの文書が「完全な偽物」であることを認めたのである。AFOSIがMJ-12文書を作った者を知っていたとしても、それを明かすことはなかった。我々が知っているのは、リック・ドーティが捜査の一環として尋問を受けた一人であり、彼は1988年に空軍を退職し、一民間人になったということだ――ちなみに彼は西ドイツのヴィースバーデン空軍基地にいた1986年、詳細不明のある出来事の後にAFOSIを離れるよう求められていたのだという。

MJ-12文書は、カートランド基地のAFOSIがUFOコミュニティに対して行ったニセ情報キャンペーンにうまく合致していた。分かっている範囲でMJ-12について最初の論及があったのは1980年11月のことで、それはビル・ムーアがカートランドで見たアクエリアス文書の最後に登場した。この文書の唯一公開されたバージョンは、ムーアが自ら「手直し」してからポール・ベネウィッツやリンダ・ハウらに提供したものである。その最終段落にはこうある。「プロジェクト・アクエリアスについての米政府のスタンスとその帰結は依然としてトップシークレットであって、公的な情報ルート外には公開されず、そこへのアクセスもMJトゥエルブに制限されている」

「ナショナル・エンクワイアラー」の記者ボブ・プラットは、1982年1月にムーアと交わした会話の記録を残しているが、そこで彼は、のちのち小説に盛り込む予定だったMJ-12がいかなるものかについて、以下のようにスケッチしている。「政府…UFOプロジェクトはアクエリアスと呼ばれる。トップシークレットに分類され、アクセスはMJ 12に制限されている(MJは‘マジック’を意味するものと思われる)」。その一方で、ムーアとロズウェルの研究家であるスタントン・フリードマンは、もともとのアクエリアス文書に示されていた12人のメンバーというのは誰なのかについて延々と考察を重ねていた。そして、これには実に驚かざるを得ないのだが、そうやって推測した人々のうち11人は、後にジェイミー・シャンデラに郵送された文書の中に名前が記されていた。

この文書については、出所に関する問題の他に、技術面や事実関係にかかわる問題も多く存在している。中でも最も深刻なのは、ロズウェルUFO墜落事件の「現場とされる場所」である――ここにはMJ-12の存在意義がかかっている。元々のブリーフィング文書には、ETの宇宙船が発見された牧場は「ロズウェル陸軍航空基地の北西およそ75マイルの場所にある」と記されている。しかし、実際にはその場所までは空路で62マイル、道路を利用すると100マイル超となる。こんな細かいことにこだわるのは無意味だと思われるかもしれない。しかし、世界最大の秘密を守る者たちが新しくボスになる人物に報告を上げる時、事実を間違えないよう万全を期すのは当然ではないか。奇妙なことだが、ウィリアム・ムーアとチャールズ・バーリッツが墜落事件について初めて書いた『ロズウェル事件』にも、これと同じ距離が記されているのである――75マイルと。

では、誰がMJ-12文書を作成したのか。容疑者を指さすとすれば、その先にいるのは明らかにAFOSIだ。AFOSIはビル・ムーア、ボブ・プラット、スタントン・フリードマンが何気なく伝えた情報を捏造に利用したのかもしれない。しかし、その場合でも疑問は残る。もしAFOSIが偽造に関与していたとしたら、彼らは文書をAFOSIの本拠地であるアルバカーキから送付するほど間が抜けていたのだろうか。

推測できるのはこういうことだけだ。誰が文書を送ったにせよ(それは必ずしも文書の作成者や写真撮影者と同じとは限らない)、その人物は文書が基地から発せられたものだと思わせたかったのだろう。これはムーア自身も示唆していることだが、おそらく彼は「この文書が送られてきたのは、自分のAFOSIに対する貢献への論功行賞だろう」と思ったのではないか。あるいは、文書を作ったのが誰であれ、その人物はこれがニセモノだとばれても構わないと思っていたのかもしれない――バレるかどうかは重要ではなかったのかもしれないのだ。ハッキリしているのは、MJ-12文書がUFOコミュニティをターゲットに発せられたものだということだ(だから、ムーアとシャンデラが公開を控えている間に、文書は二人の英国のユーフォロジストに送られた)。そしてもう一つ明らかなことがある。作り手たちは人々がずっとUFOを信じ続けるよう仕向けたかったのだ。しかし、それは何故なのか?

■秘密とステルス

MJ-12文書が公開されたタイミングというのは、ポール・ベネウィッツをペテンにかけるところから始まった一連の工作がピークを迎えた時期でもあったわけだが、それは米空軍が当時有していた秘密技術のうち筆頭格であったF-117A「ナイトホーク」ステルス戦闘機の初期飛行とも密接なつながりがあった。このステルス戦闘機の生産決定が下されたのは1978年だったが、それはエルスワースのニセ情報事件があり、UFO墜落事件の話空軍からリークされ始めた年でもあり、そうした動きはやがてロズウェル事件の復活へとつながっていった。この飛行機の最初の試作機は1981年6月に飛行し、完成機は1983年10月にエリア51から飛び立ったが、この飛行機は1988年まで極秘扱いであった。これら初期のステルス機はネバダのエリア51や隣接するトノパ試験場でテストされていたため、航空機マニアやUFOハンターたちの目をそこからそらしてカートランドやダルシェにおびき寄せ、MJ-12文書という紙のチャフ(欺瞞情報)を使って攪乱するというのは最善の策だったのではないだろうか。

関係者間を行き交った文書のやりとりをたどってみると、こうした主張には裏付けがあるようにも思われる。AFOSIとの協力関係にあったビル・ムーアが調査をするよう指示された人物の中には、リー・グラハムという人物がいた。彼はカリフォルニア州アズサにある「エアロジェット・エレクトロシステムズ」社で、ステルス戦闘機や防衛衛星の部品を製造していた。グラハムと彼の同僚ロン・レゲールはUFOにも興味を持っていて、機密技術に関わる仕事をしている折々にそうした話をすることもあった。自分たちが製造に関わっている航空機がどのようなものかを知りたいと思ったグラハムとレゲールは、飛行中のナイトホークをひと目見ることができないかと考え、しばしばトノパに出かけては「ステルス・ハンティング」を試みていた。むろん彼らは、請負業者としてそんなことが許されないことは重々分かっていたのではあるが。

リー・グラハムが最初にムーアに連絡を取ったのは、『ロズウェル事件』を読んだ後のことで、彼らはUFOに関するデータを交換しあった。両者の関係にはAFOSI(空軍特別捜査局)も驚いたに違いない。ほどなくしてムーアは、グラハムにアクエリアス文書、次いでMJ-12文書を提供するようになったからである。グラハムは或る日、こうした文書をどのように入手したのかムーアに尋ねた。すると、ムーアは国防調査局(DIS)のバッジを見せた。DIS(現在の国防安全保障局)は、政府プロジェクトの産業安全保障を担当していた。グラハムはムーアに疑念を抱き始めた。これ以上深入りすれば、自身の機密クリアランスが危険にさらされ、仕事を失うかもしれないと心配になったのである。グラハムはUFO文書をエアロジェットのセキュリティ責任者に見せ、ムーアの行動を調査するよう提案した。

ところが、捜査対象になったのはグラハムの方だった。最終的に彼は、FBIの捜査官と民間人らしき風体をした男の訪問を受けた。彼らはグラハムに「ステルス機を追い回すようなことはやめろ」と強い調子で言った。ところが、UFOについてはこれからもどんどん話して良いし、MJ-12文書も広めていくようにと促した。この矛盾した指示というのは、1950年代にオラヴォ・フォンテスやサイラス・ニュートンに与えられたものを想起させるものがある。

後にグラハムは、FBI捜査官と一緒にいた男がマイケル・カービー少将であることを突き止めた。彼は空軍立法連絡事務所の所長で、ステルス戦闘機の飛行をはじめとするやエリア51での秘密プロジェクトを担当していた。数年後、グラハムは自身に対するDISの調査報告書を入手した。そこには、彼は国家に反逆するような人物ではないが、とりわけビル・ムーアのようなUFO愛好家に騙されて機密データを流出させてしまう恐れがあると記されていた。

グラハムのセキュリティファイルにはもう一つ、重要な人物の名前が記されていた。バリー・ヘネシー大佐である。ヘネシーの空軍での勤務歴によれば、彼は国防情報上級役員会のメンバーであり、かつ空軍長官室の対敵諜報および特別プログラム監視担当セキュリティ部長であった。そこには、彼は「安全保障と対敵防諜政策、ならびに空軍の全ての安全保障・特別アクセスプログラムの管理・監督に責任を有しており、そこには米国の防衛能力に大きな影響を与える可能性のある各種研究プロジェクトのセキュリティを保持する任務も含まれている」とあった。

彼がセキュリティ部長を務める前、MJ-12文書の公開やベネウィッツ事件が進行していた時期には、ヘネシーは国防総省でAFOSIの特別プロジェクト部門(PJ)を統括していた。1989年にリー・グラハムに送られた手紙には、PJの役割が以下のように記されていた。

「B-2およびF-117A航空機のような区分特別アクセスプログラムのためのセキュリティポリシーおよびその関連手続きを開発し、実施する。政府および産業界のプログラム参加者全員について、セキュリティに関連する活動を指導および監督する。特別な空軍の活動に対して対敵諜報およびセキュリティ支援を提供する。秘匿された場所に置かれた2つの分遣隊を運営している」

リック・ドーティとポール・ベネウィッツを邂逅させる作戦を担当していたのはヘネシー率いるPJ部門だったのだろうか? ドーティから提供された情報やムーアから得た情報を使ってアクエリアス文書やMJ-12文書を捏造したのは彼らだったのだろうか? 現在のところ、それが最良の答えということになる。となると、これが意味するのはヘネシーこそが「ファルコン」であって、ビル・ムーアに最初に接触してドーティを紹介した「赤いタイ」の男であったということだろうか? そうであれば完全につじつまがあうが、彼もムーアもそれは否定している。かくて研究者たちは別の可能性を探っているのだが、その中には、ドーティ以外に「ファルコン」たりうる者などいない、という信じがたい仮説も含まれている。だが、思い出してほしい。ドーティは、1988年10月のテレビ番組『UFOカバーアップ・ライブ!』には「ファルコン」として登場していた。

が、ファルコンが誰であろうと、この指揮系統の存在が示唆しているのは工作活動が上意下達で行われたということだ。そしてリック・ドーティは、その底辺近くにあって「現場」のエージェントとして活動していた。秘密のお宝を守るために米空軍はどんな手段を取り、どのようなことに注意を払い、UFOコミュニティに対してどんな対応を取るのか――こういった事について、ドーティ~ムーア~ベネウィッツ~グラハムと連なるエピソードは多くのことを物語っている。空軍にとって、UFO研究家は厄介な存在であり、時には必要な厄介者でもある。しかし、彼らが機微にわたるデータに手を出した時には――グラハムやおそらくポール・ベネウィッツのように――厳重に監視され、試され、時には利用され、そして時には無力化されねばならないのだ。

多くの研究者にとってのMJ-12文書は、「ロズウェルでのUFO墜落事件は本当にあったことで、その隠蔽は事件直後から始まった」ということを示すものとして、いわばUFO陰謀論における聖杯となっている。が、この問題の核心には奇妙なパラドックスがある。UFOコミュニティは、「米政府は真実を語らずウソをついてきた」と繰り返し主張するのだが、政府文書が然るべき形で提示されると、それは確たる証拠とされて真実を正当化するものになってしまう。

そうした信仰を持つ者たちにとってMJ-12文書が示しているのは、「権力の迷宮のどこかには地球外起源のUFO現象が本当にあると知っている者がいる」ということなのだ。これは即ち、いつの日にか情報開示が行われ、本当のことが暴露されるだろうということでもある。こうした情報開示は、ドナルド・キーホーの時代からこの方、UFOコミュニティにとっては希望の灯火であり続けてきた。その灯はこれからも消えることはないだろうし、意地でも灯し続けられるだろう。そして、この灯が燃え続けることは――1980年代や50年代がそうであったように――ヘネシーがやっていた仕事を今日担っている者にとっても重要なことであるに違いない。何故なら、UFOというものが消滅してしまえば、国防総省の手からは特別なプロジェクトを隠すための覆いが失われてしまうことになるからだ。


AFOSIとMJ-12文書のつながりを明確に示すデータがあるにも関わらず、信仰心篤きUFOの信奉者たちはこれを受け入れようとせず、今にいたるまでMJ-12やロズウェル墜落事件を喧伝し続けている。ここでもまた、我々は集団的な認知的不協和が働いているのを目にしているのだ。明らかになりつつある事実に直面しながらも、この現実を深く否定してしまうというアレだ。我々はここで一種の「ストックホルム症候群」が作動しているのを目撃しているのかもしれない。捕虜が捕獲者の心情に共感し始めてしまうというアレだ。MJ-12文書は1984年以来、UFOコミュニティを捕らえ続けており、政府のUFO陰謀を証明するための唯一の希望となっている。これらの文書がニセモノであることを受け入れた人間であっても、それはより深い真実があることを指し示しているニセ情報だとして擁護している者がいるのだ。そして、文書は次々と登場してくる。1990年代初頭からは、ゆっくりと拡大しつつあるもう一つの宇宙のように――あるいはロールプレイングゲームの拡張版のように――一連の新たな文書が現れ、MJ-12のシナリオにさらなる複雑さを加えてきた。これらの新しい文書のコピーはオンラインで見つけることができるが、その中でも最も想像力豊かなのは、1954年の特殊作戦マニュアル(SOM1-01)であり、地球外の宇宙船の回収作戦に関わる者へのブリーフィングガイドとなっている。

もしMJ-12文書の目的がUFOコミュニティを混乱させ、分裂させ、弱体化させることだったとすれば、それは作り手たちの期待をはるかに上回る成功を収めたと言えるだろうし、これは黒魔術の傑作とみなすべきだろう。誰がやったことであれ、彼らはJ.R.R.トールキンやジョージ・ルーカスが想像したものに匹敵する神話を生み出した。そしてそれは同じくらい長く続いていくに違いない。

■エイリアンシード

1980年代後半、MJ-12文書に含まれていた情報、ビル・ムーアやリック・ドーティが流布した文書、ポール・ベネウィッツのプロジェクト・ベータの情報といったものは、当初広まっていたUFO研究家のインナーサークルを越え出て、一般社会にも広がり始めた。この当時、インターネットは人々の生活に広まりつつあった。テキストオンリーのダイヤルイン方式の掲示板が、こうした奇妙な話を保管し、伝えるための格好の手段となっていた。

アメリカの真剣なUFO研究者たちの中には、インターネットが情報収集および共有のツールとしての潜在力を早々に認識した者もいたが、それはまた、新たに登場したコンピュータ愛好家やハッカーたちの注目も集めた。彼らの多くは(実は私もその中の一人なのだが)ロールプレイングゲームやビデオゲーム、ファンタジー、ホラー、SF文学を通じて世界を見つめて育った世代だった。こうした新たな愛好家のグループは、コンピュータ端末の下に広がるケーブルの束に足を置きつつ、その目は星々に向けるようなタイプで、UFO文化から流れ出してくる奇妙な情報のパッチワーク(それは複雑で詳細を極め、感情にアピールするものだった)を受け入れる準備はすっかりできていた。

この時期に最も影響力のあった情報のソースは、おそらくジョン・リアーであろう。彼の疎遠だった父親は、リアー・ジェットや8トラックテープレコーダーの発明者ウィリアム・リアーで、地球の大気圏の内外を自由に飛べる飛行機というのは電磁的に重力場を制御することで可能になるであろうという信念を常々公言している人物だった。ジョン・リアーは何年もの間、プロのパイロットとして働き、CIAの命を受けた「エア・アメリカ」社のミッションで東南アジアに飛ぶなど、様々な仕事をこなしてきた。腕利きのパイロットということで空軍や諜報の世界における彼の声望は高かったから、1987年後半にUFO情報を広め始めた際には、彼は一目置かれる情報ソースになっていた。

リアーがUFOに夢中になったのはその年の初めで、彼はそれ以降、可能な限り多くの情報を猛烈なスピードで集め始めた――本を読み、映画を観て、ポール・ベネウィッツやビル・ムーアといった人物と話し合ったりした。リアーがUFOに関して公に発した最初の声明は、各種の掲示板を通じて広く拡散された。それは、アクエリアス文書やMJ-12文書のニセ情報、そしてポール・ベネウィッツが体感した地下世界への妄想めいた恐怖を完全にまとめ上げたものだった。

1988年2月14日に行われたリアーへのオンラインインタビューからは、彼が広めていた情報の内容がうかがえる。その内容の多くは、今日の我々には馴染み深いものとなっている。曰く――戦略防衛構想(SDI)はロシアのミサイルを迎撃するためではなく、地球外生命体の攻撃から私たちを守るために開発されている。ロナルド・レーガンとミハイル・ゴルバチョフがアイスランドで会談を行ったのは、地球外生命体の脅威について話し合うためで、それが冷戦の緊張緩和の主な要因だった。CNNはMJ-12のメンバーによる暴露インタビューと、ロスアラモスで空軍大佐が地球外生命体とテレパシーで対話する様子の映像を放送しようとしていた。別のビデオにはETの映像装置が映っており、そこにはキリストが磔にされる場面が出てくる。一方でETたちは、ダルシェの地下基地で人間や動物を誘拐し、恐ろしい遺伝子交配実験を行っている。捕獲されたETの乗り物はエリア51で政府によって飛ばされている……そういった話が延々と続いていた。

1989年のMUFON会議でビル・ムーアが告白をした頃には、リアーが広めたこれらの話はUFOコミュニティに新たな血を注ぎ込んでいたが、一方ではそのコミュニティを分裂させてもいた。その内容はセンセーショナルで、恐怖を煽り、ほとんど馬鹿馬鹿しい内容だった。まさにSF的な悪夢そのものであったわけだが、実際それは悪夢を生み出した。ビル・ムーアとリック・ドーティが生み出してポール・ベネウィッツに伝えた話は、こうした新たな経路を通じて広がり、新たに夢中になる人々を生み出した。そうやって夢中になった人間は、明らかに政府やペンタゴンの最深部にもいた。

このような話は、新聞や雑誌、テレビのニュース、ドキュメンタリー番組(たとえば『UFO カバーアップ・ライブ!』や『未解決ミステリー』だ)といった主流メディアにも時折姿を現したである。1990年代半ば、つまり事がAFOSIの手を離れてから10年が経過した頃には、これらのアイデアは再び形を変え、今度はフィクションの世界に入り込んだ。『X-ファイル』や『ダークスカイズ』、そして大ヒット映画『インデペンデンス・デイ』は、その伝播のための非常に効果的な手段となり、20年前にスピルバーグの『未知との遭遇』が大衆の想像力に与えた影響に匹敵するものとなった。

さらにその10年後、ラフリンでのUFOコンベンションでも、同じ話は依然として語られ続けていた。新しいMJ-12文書、新しいビデオ、新しい証言者や告発者が現れ、皆同じメッセージを繰り返し伝えていた。ETは実在し、彼らはここにおり、アメリカ政府と対話しているというのである。こうしたメッセージは何度も繰り返され、語り直されるうちに、それを聞く者の記憶に永続的な痕跡を刻み込むようになる。疑わしいという気持ちを退け、真実であるとして親しみを覚えるようになってしまう。

しかし今、そのコンベンションは終わりを迎えた。ほとんどの参加者は、少なくとも次回の会合まで自分の惑星に帰っていくだろう。私とジョンは、過去1週間の狂気から解放されることに安堵していたが、一方でビル・ライアンとの別れを惜しんでいた。1週間のストレスに消耗したとはいえ、大衆の前で初めてひと仕事終えた彼は、自信と新たな使命感に満ち溢れていた。そして、新しい仕事には余得がなかったわけでもなかった。ビルは、予定していたイギリスへの帰国を取りやめ、講演の後に近づいてきた魅力的な黒髪の女性と数日間ラスベガスで過ごすことになったのである。「信じられないだろうけど」と彼は興奮気味に私たちに告げた。「彼女には人間の親は一人しかいないんだ。もう一人の親は地球外生命体なんだよ」

我々はビルの幸運を祈り、冷静に行動するよう助言した。誰もその時点では知らなかったが、セルポの大使としての彼の役割はもうすぐ終わろうとしており、さらに壮大な任務が彼を待ち受けていたのである。とまれ、私とジョンはといえば、アルバカーキに向かおうとしていた。インタビューのため、そこでリックと落ちあう約束をしていたのだ。 (14←15→16)

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■第12章 百聞は一見にしかず

    「その目的は……テレビ画面を通じて数十億の人間の心を直接条件付けすることだ……情報をコントロールする者が世界を支配する……そこではもはやメッセージに伝えるべき内実などない。メッセージは印象的な誘惑なのだ」
     ――ロフティ・マヘルジ、アルジェリア・アクチュアリテ、1985年3月13-19日

ホテルのバーに戻った我々に、リックはまた色々な話を聞かせてくれた。それによると、ウディ・アレンは大のUFO信者で、あるとき私立探偵を雇ってその真実を探らせたことがあったのだそうだ。その探偵はアレンのクレジットカードを使って1万5000ドルを使い込み、そのまま姿を消した。リックはスティーヴン・スピルバーグの家を訪れたことがあり、彼が空軍から購入したF-16やC-130のフライトシミュレーターを見たそうだ。リックは『Xファイル』や、スピルバーグがエイリアンによるアブダクションをテーマに手がけたミニシリーズ『テイクン』のコンサルタントとしても働いていた。軍のUFO関係者の中には、このような仕事に就いた者も少なくないという。リックは『Xファイル』のエピソードの1つに吸血鬼としてカメオ出演したこともあると言っていた。

ポール・ベネウィッツの精神を乱し、UFOの研究コミュニティを汚染する計画に関与した男が、その後、テレビを通じて何百万もの熱心な視聴者たち――その多くは将来UFO研究者になったはずなのだ――に影響を与える立場にあった。そう考えると、私はいささか心穏やかではいられない気分になった。そうしたコンサルタントたちは、自分たちが作り上げた神話を大衆の意識へと拡散していった時点で、なお空軍やDIA(国防情報局)に所属していたのだろうか?

私はリックに尋ねた。もし政府がUFOやエイリアンに関する真実を知っているのなら、なぜそれを我々一般市民に隠し続ける必要があると考えているのか? 1950年代であれば、エイリアンは共産主義者と同様、恐れるべき存在だったのかもしれない。しかし、『未知との遭遇』や『ET』を体験した我々は、宇宙の隣人に出会う準備ができているのではないか? 異星人とのコンタクトがあってもそれはあまたあるニュースの一つになり、数週間か数か月間は話題になるとしても、やがてはセレブをめぐるニュースやスポーツニュースに飲み込まれてしまうのではないか?

それに、もし1947年にエイリアンとの接触があったのなら、それから何か成果が上がっているのではないか? 世界は何か変わっただろうか? 我々は今でも資源を巡って争い、環境を破壊している。クラトゥのような、銀河を股にかける警察官はどこにいるのか? 人類の技術の進歩を考えてみても飛躍的な進歩などあったろうか? フリーエネルギーはどこにあるのか? 個人で飛ばせる空飛ぶ円盤は? 物質転送装置は? 僕のジェットパックはどこにあるのか?

「君は自分で答えを言ったじゃないか」。そうリックは言った。「フリーエネルギーだよ。エイリアンはフリーエネルギーを持っているが、そのことを抑えている連中は、一般人がそれを知ったらどうなるかを恐れているんだ。無限のクリーンエネルギー源があれば、石油経済が崩壊し、世界がひっくり返るかもしれない。世界中がカオスに陥る可能性がある。彼らはそういうことを心配しているんだ」

私は納得できなかった。たとえフリーエネルギー源が出てきたとしても、使用量は記録されるだろう。つまりインフラの費用は誰かが負担しなければならないのだ。しかし、確かに移行シナリオは複雑だろうと私は認めた。突然、リックは席を立ち、テーブルを離れた。私は彼を怒らせたのだろうか? 数分後、彼は我々のためにビールを、自分にはクラブソーダを持ってきた。彼は腰を下ろし、ガラスのテーブルの反対側から笑顔をみせた。遠くのスロットマシンのチラつく光が彼の頭の周りで炎のように揺らめいていた。

「君たちが好きだよ」。彼はなお微笑みを残しながらそう言った。「君たちは賢い」

「ありがとう」。私たちもリックが好きだと言った。何かが起きつつあった。

「この一週間、一緒に多くの時間を過ごしたよな。なぜだと思ったことはあるか?」

「ええと、ただ気が合っているんだと思っていました」

「まあ、そうだな。確かに気が合っている。でも、僕のほうは君たちを観察していたんだ。君たちが本当に言っている通りの人物なのか確認する必要があったからね」

「どういう意味ですか? インターネットで調べたとか?」

「そうだ。でも指紋も採取したし、いろんなデータベースでも調べた」

ジョンと私は、お互い顔を見合わせた。信じられない。

「指紋?! 一体どうやって?」。ジョンの声は震えていた。

「それは簡単だよ」。リックは、我々が困惑するのを横目に微笑んだ。「君たちが触ったものから採取できるんだ。ビール瓶みたいなものでもね」。彼はビール瓶を1本持ち上げた。「ここには指紋がびっしりだ。でも心配しないでいい。君たちはリストには載っていない。クリーンだ。問題ない」

「何のリストですか?」

「外国のスパイじゃないか、犯罪者じゃないか。そんなことを調べたのさ」

「でも僕たちはミステリーサークルを作った。あれは犯罪だよ!」。ジョンはそわそわしつつ笑った。

「心配ない。そんなことでは逮捕しないよ!」

しばし間が空いて、空気がちょっと軽くなるのを感じた。

「そこでだ。僕はDIAや政府の友人たちと話をしていたんだが、君たちが関心をもつかもしれないような提案が彼らからあった」

おっと、何てことだ。

「君たちがかなり乏しい予算で活動しているのは知っている。それで彼らは、その点で君たちを少し助けてあげられるかもしれないと言うんだ。要するに、撮影をいくらか支援してやれるということだろうね。……ただし、もし自分たちが作っている映画の内容に関していくつか提案を受け入れる用意があれば、だが」

重苦しい空気が漂った。ジョンの顔が青ざめていた。私は少しめまいを感じた。リックがビールに何かを入れたのか? 彼は続けた。

「彼らは君たちの映画用に映像素材を提供しようとしているのかもしれない――僕が昨日見たようなものをね。あるいは、この映画プロジェクト全体を指揮する代わりに、君たちが要した時間分も含めて全予算を負担しようということかもしれない。よく分からないが、25万ドル、いや50万ドル出すつもりかもしれないね。……こういう話に興味はあるかい?」

私は咳払いをし、口を開こうとした。と、そこでジョンが話し始めた。「リック、僕たちはお金のためにやっているわけじゃないんだ。もしそうだったら、こんなことはしていない。何か別の映画を作っているだろうね」

「君たちが倫理的な人たちだということは評価しているし、だからこそ嬉しい。それが僕が君たちを好きな理由の一つなんだ。君たちは偏見を持たず、えこひいきはしない。物事の真実を知ろうとしているだけだ。その点は尊敬しているし、同じ立場だったら、僕もそうするだろう」

「そうですねえ」。私はできる限りビジネスライクに聞こえるように言った。「彼らの提案には目を通してみましょう。そのまま通すつもりはありませんが、良いアイデアや良い素材があるかもしれない。大手スタジオや広告代理店のために映画を作るようなものだと思えばいいのかもしれないですね。ただし、そこで宣伝するのはUFOなんですが!」

「そうだね、そんなふうに考えることもできるだろう。とにかく、この話について考える時間を君たちにあげるよ。僕は明日ニューメキシコに戻る予定だ。出発前にもう一度会おう。そして、来週アルバカーキでまた会えればいいね」

リックが見えなくなると、ジョンと私は同時に安堵のため息をつき、笑い出した。信じられない気持ちだった。こんなことが起こるかもしれないとは予想していたが、実際に起こるとは思ってもみなかった。それにしても、何が起きたのだろう? あれは現実だったのか、それともまたまたリックのいたずらだったのか?

私たちは、どんな提案であれ少なくとも検討はしてみるべきだということで一致した。最終的には自分たちの有利になるように事を運べるかもしれないし、優位を保つこともできるだろう。政府のニセ情報とUFOに関する映画を作るのに、実際のニセ情報を使うことができたら、これほど適切なことはないだろう。もし彼らが「ETはいる」という宣伝映画を作れと言ってきたら、そのお金をどこにつぎ込むべきかを教えてあげることになるだろう――もちろん丁寧にではあるが。そして、彼らの提案を受け入れなかった場合には、映画冒頭に次のようなテロップを入れるのも面白いかもしれない。「『ミラージュ・メン』の制作中、アメリカ国防情報局は我々に50万ドルを提供し、彼らの望む映画を作るように求めた。我々はその提案を断った」

結局のところ、リックのいかがわしい提案は実らなかった。彼は「向こうから連絡を取ってくるだろう」と言って情報畑のある人物の名前を教えてくれた。しかし、それから数週間、首を長くして待ったジョンと私は、つれない現実を受け入れねばならなくなった――米政府は我々に関心を示さなかったのか、そうでなければリックの教えてくれた人物はそもそも実在しなかったのである。いずれにせよここで言えることは、我々の映画が仮にアメリカの防衛当局から便宜を受けたとしても、それは初めての事例ではなかったということだ。

1953年当時、CIAのロバートソン・パネルは、「未確認飛行物体に付与されてしまった特別な地位や、残念ながらそれがまとってしまったナゾめいたオーラをはぎ取る」ために、「広範な教育プログラム」を立ち上げることを勧奨していた。こうした教育プログラムに関わった企業として名前が取り沙汰された会社の中にはウォルト・ディズニー社があり、同社を代表するアニメーターの一人によれば、こうした活動は2年後に実際に行われたのだという。ウォード・キンボールはウォルト・ディズニーに近い立場にあったアニメーター兼デザイナーだった。彼は『ピノキオ』のジミニー・クリケットや『ダンボ』におけるカラスたちを作り出し、ディズニーの短編映画で2度オスカーを受賞している。

1950年代半ば、キンボールはドイツのロケット科学者ウェルナー・フォン・ブラウンをフィーチャーした3つのテレビ番組、すなわち『宇宙における人類 Man in Space』『人類と月 Man and the Moon』『火星とその彼方へ Mars and Beyond』の脚本を執筆し、監督した。これらの「科学ドキュメンタリー」映画は非常に人気があり、アメリカの宇宙開発プログラムへの支持を広めたり、将来宇宙飛行士になることを夢見る子供たちを多数生み出す効果をもたらした。いかめしいが慈愛を感じさせるフォン・ブラウンはここで、4段ロケットや宇宙ステーション、そして最終的に火星やそれ以遠に人類を送り込む原子力宇宙船の計画を披露した。アイゼンハワー大統領は『宇宙における人類』を個人的にコピーしてくれるよう求めたとされ、ロシアの著名な宇宙科学者レオニード・セドフも同様な求めをしたと言われている。

ウォード・キンボールはまた、熱心なUFO愛好家でもあり、生涯にわたってその興味を持ち続けていた。1979年、彼は予告なしに「ミューチュアルUFOネットワーク」の年次会議に現れ、アメリカ空軍は1955年、ウォルト・ディズニーにUFOに関するドキュメンタリー映画を作ることを提案したことがあると語った。空軍はディズニーに実際のUFO映像を提供することを約束し、ディズニーは映画に登場させるエイリアンのキャラクター作りの仕事をアニメーターたちに命じた。しかし、結局空軍はUFO映像を提供せず、ディズニーはプロジェクトを中止するに至った。ただし、この時のエイリアンのキャラクターのうち幾つかは、一般公開されなかった15分のUFO映画に登場している。

キンボールは、空軍とディズニーがコラボした目的は、アメリカ人をETとの接触の現実に備えさせるためだと考えていた。こうした噂は、キリスト教色の強いUFO寓話ともいえるロバート・ワイズ監督の『地球が静止する日』(1951年)や、25年後のスピルバーグの啓示的映画『未知との遭遇』にもつきまとっている。スティーブン・スピルバーグやロバート・ワイズの動機がどんなものだったのかはハッキリしないが、おそらく彼らも他の我々と同じように新聞やUFO本で読んだことに影響を受けたのであり、彼らの映画はその影響の産物だった可能性は高い。

しかし、それらとは別に空軍によって完全に公認された映画も一つある。そのメッセージは明確だった。「UFOは実在する」というものだった。

■UFO: 過去、現在、未来

ボブとマーガレット・エメネガー夫妻は親しみやすくて陽気なカップルで、年齢は60代後半から70代前半である。彼らは、アーカンソー州の緑豊かな農地にあって、美しいイギリス風のアンティーク家具が並ぶ美しくて大きな家に住んでいる。夫妻が出会ったのは二人がロサンゼルスにある巨大な広告会社「グレイ」で働いていた頃で、マーガレットはデザイナー、ボブは最終的にクリエイティブ・ディレクターになった。マーガレットは愉快で弁舌鋭く、折れないタイプ。ボブも同様に快活ではあるが、性格はより穏やかでリラックスしたタイプだ。

夫妻は共に引退しているが、地域社会では活発に活動している。ボブは地元の音楽イベントを仕切り、地域のオーケストラで演奏をしている。彼は才能ある音楽家であり、ユーモアのセンスもある。1970年代初頭の人気テレビシリーズ『チンパン探偵ムッシュバラバラ Lancelot Link: Secret Chimp』の音楽を作曲したことを誇りに思っている。ちなみにこれは、主人公のチンパンジーがロックバンドで演奏しながら二重スパイとして活躍するという番組だ。


ボブとマーガレットは、ETはかつて地球を訪れたことがあり、おそらくは今でも地球にいるのではないかと信じている。マーガレットは、元サッカー選手から陰謀論者に転じたデイヴィッド・アイクの説だとか、2001年9月11日の事件にまつわる疑問、そして人間とエイリアンのハイブリッドでサイキック能力を持つ「インディゴ・キッズ」について話すのが好きだ。ボブは必ずしもマーガレットの全ての見解に同意しているわけではないが、UFOに関しては一定の知識を持っている。映画制作者として、ボブはおそらく他の一般市民よりもUFOの真相に近づいているのだが、そうした仕事をするよう仕向けたのはアメリカ空軍であった。

1970年代初頭、ボブ・エメネガーと彼の制作パートナーであるアラン・サンドラーは、古くさくなってしまった企業ブランドを復活させるような仕事で評判を得ていた(例えばリチャード・ニクソン大統領の再選キャンペーンといったものである)。1972年、彼らはペンタゴンのためにそのマジックを披露するよう依頼された。当時の国防総省は困難な状況に直面していた。ベトナム戦争は10年近くもダラダラ続き、アメリカ国民が政府に抱いていた僅かばかりの信頼はほとんど無に帰そうとしていた。国防総省には後押しが必要だったのだ。ひとつには自らの士気を高めるため、もう一つには人々に入隊を促すために。サンドラーとエメネガーはその手助けをできるのだろうか?

彼らの映画は、当時の軍内部にあって特にエキゾチックで刺激的なネタに焦点を当てることになった。エメネガーは、海軍で訓練を受けているイルカ、新たな原子融合技術、人間の心とコンピュータをつなぐインターフェース、偵察や爆弾探知の訓練を受けた犬を見たことを覚えている。いくつかの犬が頭にマイクロチップが埋め込まれているシーンもあったが、しかし、それは映画館でポップコーンを食べながら見たいようなネタではなかった。

先進的なレーザー技術やホログラフィーといった新技術も目玉の一つであった。アラン・サンドラーは、とりわけ印象的なホログラフィックのデモンストレーションを見せられた。映写室には端っこに小さな舞台があった。カーテンが開くと一人の男性が登場し、ペンタゴンの最新鋭ホログラフィー投影技術を紹介した。するとその瞬間、突然小さな鳥が舞台袖から飛び出し、その男性の肩に止まった。彼が微笑むと、その男性と鳥は消えてしまった。それ自体がデモンストレーションだったのだ。

犬やイルカ、レーザーは確かに興味深いが、それだけでは足りなかった。グレイ社の二人はもっと劇的なものを求めていた。そして、ペンタゴンの担当者はそうしたものを差し出すことになった。UFOである。サンドラーとエメネガーは、ロサンゼルス郊外のノートン空軍基地に招かれ、基地のAFOSI(空軍特別捜査局)長や、AFOSIに関係する保安担当官であり、空軍の映画取得部門の責任者でもあったポール・シャートルに会った。

空軍がUFO調査機関「プロジェクト・ブルーブック」を閉鎖してからまだ3年しか経っていない時期だった。それだけに、UFOに関するプロモーション映画をグレイ社に依頼することにはほとんど意味がなかった。しかし、ペンタゴンは真剣だった。二人は空軍のトップであるジョージ・ワインブレナー大佐とウィリアム・コールマン大佐に引き合わされた。ワインブレナーは、ライト・パターソン空軍基地にある外国技術部門(FTD)の司令官であった。FTDは今日の国家航空宇宙情報センターであるが、過去も現在も変わらることなく、空軍が保持していない技術に関する情報の中心地だった。もし本物のUFOについて知っている者がいるなら、それはワインブレナーであった。あるいはコールマンが知っていた可能性もある。彼は1960年代にブルーブックの広報連絡官を務めており、会見の時点では空軍の最高情報責任者だった。

ブルーブック時代のコールマンは、アメリカのトーク番組の司会者であるマーヴ・グリフィンにこう語ったことがある。「UFOのタイヤを蹴飛ばすことでもできたらUFOを信じますよ」。この発言に対しては「UFOにはタイヤなどない」という手紙が大量に寄せられたという。だが、コールマンが当時言及しなかったことがある。彼は1955年、B-52爆撃機でアラバマ州とフロリダ州の州境上空を飛行中、自らUFOを目撃していた。それは完璧な銀色の輝く円盤で、あまりにも至近距離であったため、彼は衝突を避けようとして巨大な爆撃機の方向を急ぎ変える必要があったという。円盤はいったん消えた後、飛行機から約2,000フィート下方、地表から100フィート付近に再び出現し、影を落とす一方で巨大な土煙を巻き上げた。

幻覚では土煙は立たない。コールマンと4人のクルーは非の打ち所のない報告書を作成し、プロジェクト・ブルーブックに提出した。コールマンが10年後にブルーブックから退くことになった時、彼は自分の報告書の記録がないことを知って驚いた。1999年にインタビューされた際、コールマンはこれを管理の不備に起因すると寛大な解釈を下していたが、UFOハンターたちは長い間、ブルーブックというのは、より秘密に行われているもう一つの作戦の隠れ蓑だと主張していた。この主張が真実であったことは、1979年に公開された1969年作成のメモ(これはブルーブックの閉鎖を記すものだった)によって最終的に証明された。その核心部分にはこうある。「国家安全保障に影響を与える可能性のある未確認飛行物体の報告は……ブルーブックのシステムの所管外である」

コールマン大佐とワインブレナー大佐は、空軍がUFOに関心を持っていることを示すのに熱心だった。空軍のファイルに自由にアクセスできると告げられたサンドラーとエメネガーは、UFOに関する映画を作ることを決めた。大佐たちは、機密情報を扱う際の危険性について映画製作者に警告しながらも、米国上空のみならず宇宙空間のものも含むUFOの膨大なデータ、写真、映像を提供することを約束した。さらに彼らは、CIAの高官を含む人たちによる至近距離からのUFO目撃の証拠だとか、とりわけ劇的な事例として1971年にホロマン空軍基地で実際に起きたETの宇宙船の着陸映像があることをほのめかした。映画『UFO: 過去、現在、未来』は、アメリカ空軍はUFOに本気で関心を持っているだけではなく、UFOとは何であり、その中に誰がいるのかを知っていることを示す作品になる予定だった。

大佐たちはこの資料を映画製作者たちに提供するためなら、どんなことでも厭わなかった。サンドラーはNASAに宇宙空間でのUFOの写真や映像を求めたが、NASAは門前払いをくらわし、そんな資料は持っていないと拒絶した。サンドラーがこのことをアメリカ空軍の担当に伝えると、空軍は「UFOが目撃されたNASAのフライト」「関係した宇宙飛行士の名前」、さらには「関係する映像のフレーム番号」にいたるまで詳しく記したペーパーを渡してくれた。この新情報を携えてNASAを再訪したサンドラーは、目当てのものを手にすることができた。もっとも、その画像にはぼやけて不鮮明なものしか映ってはいなかったのであるが。

なぜ空軍は、この程度の曖昧模糊とした資料を映画製作者たちに渡すために、多大な努力を払ったのか。これはこの事案にまつわる多くの疑問の中の一つに過ぎない。

さらに不可解なのは、コールマンを通じて映画製作者たちと接触したロバート・フレンド中佐が、彼らに語った話の内容である。フレンドはAFOSI(空軍特別捜査局)で働いていたが、1958年から1963年まで、少佐としてプロジェクト・ブルーブックの責任者を務めていた(ちなみにこのプロジェクトの要員は彼が去る頃には2名に減っていた)。

1959年7月初旬、フレンドはCIAの国家写真解釈センター(NPIC)で海軍情報部の司令官2人とCIAの職員たちと会うように求められた。U-2偵察機による写真データの分析を行うため1954年に設立されたNPICは、ワシントンDCの5番街とKストリートの区画にある駐車場ビル最上階にひっそりと置かれていた。2人の海軍司令官はメイン州のフランシス・スワンという女性を訪問してきたのだが、その女性によれば、彼女はAFFAという名の地球外生命体とテレパシーで交信しているのだという。このAFFAはOEEVという組織のリーダーで、EUNZAと呼ばれる地球での調査プロジェクトを進めているということであった。海軍の司令官たちは懐疑的であったが、スワンに複雑な技術的・天文学的な質問を投げかけると、驚いたことに彼女は正しい答えを返してきたのだという。AFFAはその後、交信チャンネルは切り替えられるので、海軍の人物を介して交信したいと提案。その海軍の司令官は同僚の発する難しい質問にちゃんと答え続けたという。[訳注:要するに海軍の軍人がチャネリングに挑戦したという話である]

この奇妙な出来事がワシントンに伝えられると、2人の司令官はCIAの写真センターに召喚された。かくて1959年7月6日、。先の海軍の人物をAFFAとの伝達役として、彼らは再び交信実験を行うことになった。ここでエイリアンが実在する証拠を求められたAFFAは、「窓のところに行け」と言った。するとその時、ごく近い距離を一機の空飛ぶ円盤がゆっくりと通過していった。驚いた列席者は近隣のレーダーセンターに問い合わせをしたが、返ってきた返答は「スコープ上には何も見えない」というものだった。彼らはこの時点でロバート・フレンドに助けを求めたのである。

3日後、フレンドは新たな交信セッションに立ち会うことになった。AFFAはこの時も前回同様、海軍の司令官を通じて話をすることになった。この時はフレンドが「空飛ぶ円盤を見たいのだが」と言ったところ、AFFAは「今はまだダメだ」と答えた。飛ぶのを見られなかったことには失望したが、海軍の司令官のトランス状態は本物だと確信したフレンドは、ライト・パターソンの上官に報告書を提出した。

ボブ・エメネガーは、フレンドを通じてこの会合についてのCIAのメモを入手したが、このメモは、NPICの創設者であり、CIAのロバートソン・パネルのために写真分析を行ったアーサー・ランダールが書いたものであると目された。このメモによってフレンドの説明通りの出来事が起きたことが裏付けられた形となり、これはエメネガーの映画の中でETとのコンタクトがあった証拠として取り上げられた。しかし、1979年にランダールとの連絡が取れた際、彼は1959年7月6日にNPICの窓のところに空飛ぶ円盤が現れたことを否定した。また彼は、件のメモを書いたことも否定した。

    私は一瞬たりとも、件の海軍将校が宇宙と交信していると信じたことはないし、UFOを見たこともない。我々がそんなデモンストレーションをやってみせろと言ったこともない。彼の説明によれば、スワン夫人は「自動書記」なるものを見せてくれたということで、もし求められれば私にも見せようということを言っていた……彼が私を [会議の出席者に] 選んだのは、私が彼の友人だったからだと思う……私は地球以外に知的生命体が存在することを信じているが、この件に関して言えば、彼に対してただただ同情と恥ずかしさを感じるばかりだった。厄介ごとに巻き込まれた男、私の友人だった男、そして上官に知られたら確実にキャリアを台無しにしてしまうような目に遭った男に対する思いとして。

もしランダールが真実を語っているなら、エメネガーに渡されたCIAのメモは誰が作成したのか。宇宙人に関する話に信憑性を与えるように詳細が改竄されたのは何故か。ランダールは、この会合が実際に行われたこと、CIAと海軍情報部が関与していたことは明確に認めている。ロバート・フレンドが調査に呼び出されたことも確かである。しかし、重要な細部――とりわけ本物の空飛ぶ円盤の出現が報告書に追加されてしまったことで、事態はよりドラマティックになり、空飛ぶ円盤の信者たちの掲げる火には油が注がれ、懐疑的な人々の疑念は膨らむことになった。この出来事は、ベネウィッツ事件に先駆けること10年前、エメネガーに対して示されたAFOSIの古典的ニセ情報作戦の一例であったように見えるのだ。

しかし、映画製作者たちにとって垂涎の的となったのは、エメネガーが聞かされたストーリー、すなわち1971年5月の早朝にホロマン空軍基地で起こったUFO着陸の話であった。彼が聞いた話では、まず最初に3機の飛行円盤が基地上空に現れ、そのうちの1機が不安定に揺れながら降下を始めた。それは地上から数フィートの高さで短時間ホバリングした後、3本の脚で着地した。偶然ではあったが、ヘリコプターに乗っていた空軍の映画撮影班はこの降下の様子を撮影しており、地上からは別の撮影班がこのシーンを捉えていた。

エメネガーはこの映画にリンクして刊行されたミリオンセラーの中で、空軍のフィルムアーキビストで、この出来事を目撃したと主張するポール・シャートルから聞いた話を描写している。


    司令官と2名の将校、それから空軍の科学者2名が到着し、不安げに待っていた。やがて、機体の側面にあるパネルが開いた。そこから外に1人、次に2人目、そして3人目が現れた。彼らは、タイトなジャンプスーツを着た人間のように見えた。背丈は我々の基準では低いかもしれず、顔色は奇妙な青灰色で、目は遠く離れて配置されていた。大きく目立つ鼻を持ち、頭部にはロープ状のデザインを思わせるヘッドピースを着用していた。

司令官と2名の科学者が前に進み、訪問者たちを迎えた。音声を介さないような形でのコミュニケーションが行われ、グループはすぐに「キング1」エリアの室内に入っていった。


その後何が起こったのか、宇宙人が何を話したのか、何を食べたのか、彼らが贈り物を持ってきたかどうか。これらは不明である。

ホロマンでの撮影を準備する中、エメネガーは管制官の一人に着陸について尋ねた。彼は「飛ぶ浴槽」のような物体が着陸するのを見たことを覚えていたが、それ以上の話はしなかった。エメネガーは火星ストリートにあるビルディング930に案内された。そこには宇宙人とその機体が滞在中保管されていたというが、今では特に異常なものはなかった。ホロマンでの撮影が完了した後、サンドラーとエメネガーは、このプロジェクトをUFOドキュメンタリーから歴史的事件に生まれ変わらせてしまう映像が届くのを待ちわびていた。しかし、映像は決して現れなかった。

落胆した様子のコールマン大佐は、こう告げた。――ペンタゴンの上層部が「今はこのとりわけ厄介な問題を掘り下げるのに良い時期ではない」と判断したのだと。当時、ウォーターゲート事件やニクソン政権の崩壊は人々を神経質にさせていたのだ。彼らは、その代わりにこの事件を「将来起こるかもしれないこと」として描くよう勧められた。せめてもの慰めとして、映画製作者たちは、何やらハッキリしない物体がホロマンの滑走路と思われる場所に降下する映像をいくつか映画に取り入れた。この映像は実際の着陸映像の一部だという噂は根強く残っているが、エメネガーはそれを「単にホロマンで実験機が着陸する様子を自分たちのカメラマンが捉えたものだ」と述べている。エイリアンとの遭遇についていえば、サンドラーとエメネガーは、ポール・シャートルの説明を基にしたアーティストの想像画で代用するしかなかった。

怒ったエメネガーは、ライト・パターソンにいるワインブレナー大佐との面会を要求し、なぜ映像が自分たちから奪われたのかを問いただした。ワインブレナーは不満そうに大声で言った。「あのミグ25のせいだ!こちらは持っているものを全部公開しているというのに、ソ連には我々が知らないものがたくさんある。もっとミグ25について知る必要がある!」。彼は前年に出版されたJ・アレン・ハイネックの『UFO体験』を本棚から取り出し、その中にある自分宛の献辞をエメネガーに見せた。「カフカの物語の一場面のようだった」。エメネガーはそう回想している。

それでは、映像は実際に存在していたのか、それとも単なる「撒き餌」だったのか? それは映画製作者たちに、自分たちの「ドキュメンタリー」はUFO現象の虚偽広告以上のものになるという確信を抱かせるためのルアーだったのだろうか?ポール・シャートルは、自分が見たのは本物だとしつつ、それは空軍が訓練用に映画スタジオから購入したフィルムだったのだろうと主張している。だが彼は、それはニセモノだと考えるにはあまりに「本物っぽかった」とも言っていて、何とも役に立たない。

『UFO: 過去・現在・未来』は、興味深いコーダ(締めくくり)で終わる。そこでは、社会学者のグループがETとの接触に関する真実をどのように公開するのが最善かを調べるため、大衆の信念のありようについて論じている。

ある社会学者は、「ETたちがあまりにも進歩していたり、アメリカの新しい友人より優れているように見えたらよろしくないのではないか」という懸念を表明している。アメリカ人が「ETたちは最初の開拓者がインディアンを扱ったように自分たちを扱うのではないか」と恐れるかもしれないから、というのだ。そこで彼は政府にこんなアピールをするよう推奨する。ETたちは「宇宙の平和、がんの治療法、太陽エネルギー」といった多くのものを提供してくれるかもしれないが、アメリカ人にだってETたちに与えられるものはいっぱいある。「ジャズ、ヤル気、カーネル・サンダースのフライドチキン」といったものがあるんだ、と。

別の社会学者は心理学者A.C.エルムズを引用している。「本当に必要とされているのは、宇宙からの敵対的な侵略者だ。そうすれば我々は一つの種として団結し、侵略者を追い出し、その後は平和に暮らすことができるだろう」。これはバーナード・ニューマンの『フライングソーサー』でおなじみのテーマである。最も興味深いのは、匿名の社会学者である。彼は、テレビでホロマンの映像のようなものが放映された時のインパクトに考えをめぐらした末、そこに登場するであろう「自称地球外起源人間型有機物 Humanoid Organisms Allegedly Extraterrestrial」という仮説的概念――略してHOAEXについて論及している。これについては我々が思うがままに解釈すればよいだろう。[訳注:舌足らずなので捕捉すると、HOAEXというのはもちろんHOAX デッチ上げのもじり。映像を信用しない人々によって「エイリアンの飛来はウソだ」という主張が盛り上がるだろうという含意]

こうした研究を集約しているのは、UFOカルト研究の古典『予言が外れるとき』(1956年)の著者、レオン・フェスティンガーである。フェスティンガーと2人の同僚は、シカゴの主婦マリオン・キーチ率いるUFOカルトに参加した。キーチはクラリオンという惑星からの宇宙人からメッセージを受け取っていた。1954年12月21日に起こるとされた世界的な洪水の予言が外れたとき、彼女の信者たちの多くはグループを去るどころか、むしろ信仰にさらに固執するようになった。フェスティンガーは、人が何かを真実であると信じているのに全ての証拠がそれを否定した場合、人は新しい信念体系に基づいて人生を再出発させるよりも、しばしば古い信念に執着し、現実との矛盾に対抗する新たな説明を生み出すということを発見した。フェスティンガーはこの反応を「認知的不協和」と呼んだが、これはUFOの分野や他のあまたの信念体系において繰り返し見られる現象である。

好奇心をそそってやまない『UFOs: 過去・現在・未来』は、『トワイライト・ゾーン』の創作者ロッド・サーリングがナレーションを担当した。それはUFOの実在を裏付ける真っ当な事例を紹介するもので、ロバート・フレンド、ウィリアム・コールマン、J.アレン・ハイネックが出演している。1974年の公開時にはそこそこの成功にとどまったが、スピルバーグの『未知との遭遇』が大ヒットした1979年に同作は再び注目された。『UFOs: それは始まっている』という新タイトルが付けられたこの拡張版には、キャトル・ミューティレーションがETによって行われている事を示唆する新たな素材や、ダルシェ周辺で行った調査について語るゲイブ・バルデスのインタビューが含まれている。

ボブ・エメネガーとUFOストーリーとの関わりはこれで終わらなかった。1980年代半ば、彼は国防音響映像局(DAVA)の高官2名から接触を受けた。1人は同局の局長ボブ・スコットで、もう1人は彼の補佐役にして、退役陸軍大将のグレン・ミラーだった。ミラーはかつてジョージ・パットン将軍と共に働き、さらにロナルド・レーガンのハリウッドでの最初のエージェントでもあった。スコットは以前、東欧を中心にアメリカ支持のプロパガンダを発信していた米国情報局で働いていた。今回も、プロジェクトを進めたのはコールマンとシャートルで、彼らはスコット、ミラー、エメネガーを引き合わせた。そして再び、空軍がUFOの秘密を公にする準備ができていると約束したのである。何回か奇妙な会合が開かれたが、そんな機会にスコットが「地球は複数のET種族の訪問を受けている」といった確信を語ったこともあった。だが、結局このプロジェクトは中止された。

1988年、ホロマン着陸事件は、『UFOカバーアップ・ライブ!』という悪趣味な番組が全国放送されたことで再び国民の前に浮上した。これは1988年10月18日に放映されたもので、番組はエメネガーがグレイ社で働いていた当時の同僚、マイケル・セリグマンがプロデュースした。彼はかつてはアカデミー賞授賞式を制作していた人物だが、エメネガーによれば、UFOの陰謀論に首を突っ込むようなことよりはカネ儲けの方にはるかに興味があった。この番組では、ボブ・エメネガーが自らの話を語り、シャートルはホロマンでの着陸映像を見た話を改めてしゃべった。

番組で最も印象的なシーンの一つは、ファルコンとコンドルという名前で紹介された空軍内部のインサイダー2人へのインタビューであった。その顔は影で隠されていたが、このインサイダーたちは驚くべき話を語った。エイリアン種族との条約について、そしてエリア51に収容されている生きたETについてである(彼らは野菜やストロベリーアイスクリームを好み、チベット音楽を聴くのが好きなのだという)。彼らは交換プログラムについても触れたが、それを「セルポ」とは呼ばなかった。この「鳥さん」たちが誰だったのかといえば、他でもない、別名ファルコンのリック・ドーティ(ただしもちろんビル・ムーアの言うオリジナルのファルコンではない)であり、別名コンドルのロバート・コリンズであった。ちなみにこの二人は、2005年に『Exempt from Disclosure』の共著者として再び手を組むことになる。

では、『UFOs: 過去・現在・未来』の目的は何だったのだろうか? 空軍はUFO問題に対する思いは一緒なのだというふりをしてUFOに関心を持つ新兵を引き付けようとしたのだろうか? それとも、ETは来ているという信仰を推し進める心理的プログラムをより広い範囲に広めようとしたのだろうか? UFOに対する一般の関心を高めながら、同時にこの問題への自らの関与を否定するというのは矛盾しているように思えるが、事がUFOに関わる限り、空軍の行動の多くは同様に矛盾している。この映画は空軍内部の意見の分裂を示しているのだろうか。あるいは、コールマンとワインブレナーの背景に見えるAFOSIや外国技術部門を念頭に入れると、むしろカウンターインテリジェンスやディスインフォメーションが目的だった可能性が高いのだろうか?

映画には確かにインパクトがあった。映画の中心にあるホロマン着陸事件は、UFOの世界で長く卓越した地位を占めることになった。『未知との遭遇』のクライマックスは、この事件を基に精巧なディスコ風の再現をしてみせたものであり、30年後にはセルポ事件の中心的な要素ともなった。しかしその前にこの事件は、AFOSIの汚い仕事によるところのもう一つの古典的事案においても重要な役割を果たすことになる。そして我々は、またもやその中心部にリック・ドーティを見ることになる。

■ETファクター

1983年までに、ポール・ベネウィッツの関心というのは、その殆どの部分がダルシェの宇宙人基地に集中するようになっていた。彼の「プロジェクト・ベータ」報告のおかげで、彼の存在と「エイリアンの侵略」というセンセーショナルなストーリーはUFOコミュニティでよく知られるようになっていた。それと同じ時期、ドーティ、ムーア、ボブ・プラットは自分たちのSF小説『アクエリアス・プロジェクト』についての議論をかわしていたのだが、そこで彼らが考えたアイデアの幾つかは、AFOSIがベネウィッツや他の研究者たちに流していたニセのUFO文書に盛り込まれていた。

そんな研究者の一人がリンダ・モールトン・ハウだった。彼女はコロラド州を拠点とするライター兼映画監督で、キャトル・ミューティレーションを扱った1980年のドキュメンタリー『奇妙な収穫』では地域エミー賞を受賞していた。彼女はキャトル・ミューティレーションの調査を通じてポール・ベネウィッツやゲイブ・バルデスと知り合い、この現象にはUFOが関わっていると確信していた。だからHBOがUFOについての映画制作を依頼してきた時、彼女はその好機を逃さなかった。『UFOs: ETファクター』というそのタイトルは、HBOが何を狙っていたのかを物語っている。それは『未知との遭遇』や『ET』の実話版だったのだ。

1983年4月、ハウはドーティからカートランド基地に招かれた。彼女がアルバカーキ空港に到着したとき、UFOは大きな話題となっていた。地元紙の一面には、1980年にカートランドのコヨーテキャニオン上空でUFO目撃が記録されたという空軍文書の公開についてのニュースが掲載されていた。また、地元の科学者ポール・ベネウィッツが、相互UFOネットワークのアルバカーキ支部でUFOについて講演を行ったことも報じられていた。

ドーティは予定通り空港でハウに会うことができず、ようやく姿を見せた時の彼は不安そうで苛立っているように見えた。彼らがカートランドへ向かう途中、ハウはホロマンでのUFOの着陸についてドーティに尋ねた。ドーティはそれは本当にあったことだと答えたが、正確な日付は1964年4月25日で、それはニューメキシコ州ソコロの外れの乾いた谷で、警官ロニー・ザモラが卵型の飛行物体が着陸するのを目撃した数時間後だったと言った。

ドーティはハウを上司のオフィスだという場所に案内し、机を挟んで座った。頑健な牧場主や軽薄なテレビ業界の連中と一緒にいることに慣れていたハウは、民間人然とした服装のドーティをあまり印象に残らないタイプだと思ったが、彼はハウの注意を引く術を知っていた。彼はハウに、彼女の映画『奇妙な収穫』は政府の人々を動揺させたと伝えた。彼女は何か重要なものに近づきつつあるというのだ。彼は、AFOSI(空軍特別調査局)のメンバーとともに、彼女がドキュメンタリーを通じて真実を伝えるのを手伝いたいのだと言った。彼が提供できるもののサンプルとして、ドーティは引き出しを開けて書類を幾つかリンダに手渡した。「上司からこれを見せるように言われています」。そう彼は言った。さらに彼は、窓から遠く離れたところにある大きな鏡の前の椅子に座って書類を読むように言った。「窓越しに監視されているということもあるかもしれませんからね」。彼はそう言った。ハウは、鏡の向こう側では誰かが彼女の反応を見ていたのではないかと今でも考えている。

この時ハウが見たのは、AFOSIが作成した「アクエリアス文書」であり、それは彼女の心を揺さぶった。「アメリカ合衆国大統領へのブリーフィングペーパー」と題されたその文書には、あまり知られていないUFO墜落事件の話が書かれていて、そこにはロズウェル事件のほか、1952年までロスアラモスで生存していたエイリアンEBEの話も書かれていた。EBEの語ったところでは、彼らの種族は数千年前から地球に来ていて、今もなお地球にいるということだった。彼らは人類を遺伝的に作りだし、霊的指導者を通じて我々の進化を導いてきたが、その中には、2千年前に「平和と愛を教えるために送られた」者も含まれていた。こうした内容の多くはビル・ムーアとボブ・プラットが彼らの本について語り合っていた話から出たもので、元はといえばエーリッヒ・フォン・デニケンの『神々の戦車』のおかげでポピュラーになっていたものだった。ムーアはそのアイデアをドーティに渡し、今やそれがハウに伝えられるに至ったというわけだ。

アクエリアス文書によれば、プロジェクト・ブルーブックというのは、極秘にされていた本物のETの技術から大衆の注意を逸らすためにのみ存在したもので、実際のUFOに関する問題はMJ-12という組織によって管理されていたとしている。その文書は、フランク・スカリーの『空飛ぶ円盤の背後で Behind the Flying Saucers』で採り上げられた後、ほとんど忘れ去られていたアズテックでのUFO墜落事件についても言及していた。これは1970年代後半、匿名の空軍情報源からの情報漏洩がうまいこと仕組まれたこともあって再び注目を浴びていたのである。この事件を掘り下げたビル・ムーアは、リック・ドーティやボブ・プラットと議論を重ねていたのだが、その内容はドーティ経由でアクエリアス文書に入り込み、それが再びUFOコミュニティに広まっていったということになる。しかも今度は政府のお墨付きという形だ。そのプロセスというのは実にグルグルと循環しているようで、めまいを覚えざるを得ないほどだ。

ドーティはハウに対して、墜落したUFO、エイリアンの遺体、ホロマンへの着陸映像、そして何とも驚くべきことに生きているイーバEBEの映像を提供しようと言った。さらに彼は、現在米国政府の「客」として滞在しているEBE3に会って、場合によってはその撮影すらできるかもしれないと仄めかした。しかし、これには一つ落とし穴があった。ハウの撮る映画では、UFOのストーリーはソコロ事件があった1964年までに限定されるというのだった。なぜこの年が切り取り線として選ばれたのかは不明だが、おそらくそれはハウをダルシェやベネウィッツの問題から遠ざけるためだったのだろう。

ハウは驚愕した。自分はついにUFOの真実を世界に伝える存在になるのだ。しかし、なぜ空軍はそんな素材をニューヨーク・タイムズやメジャーなテレビのニュース番組にではなく、彼女に与えようというのか。ドーティは、警告を発するような素振りは一切見せずに率直な調子でこう言った――個人の方が大組織より操りやすいし、簡単に信用を失墜させられるからさ、と。

ハウはHBOに「世紀の物語」に備えるように伝えたが、HBOのプロデューサーは、提供されるという映像について後々責任を問われないことを保証する書簡が欲しいと米空軍に主張した。ドーティはハウにそうした書簡を用意すると約束した。数週間が経ち、数ヶ月が経った。ドーティは、EBE1を世話していた空軍大佐とのインタビューをセッティングすることを約束したが、その前に彼女と彼女のスタッフの身元調査を行う必要があると主張した。そして、結局は何も進まなかった。HBOはその間、不安を募らせていた。映像はどこにあるのか? 1983年10月までに、ハウのHBOとの最初の契約は失効し、彼らはその映画制作を断念した。ハウは打ちひしがれた。

数年後、ドーティはハウとの間にこうしたやり取りがあったことを否定したが、ハウはやりとりが実際にあったとする宣誓供述書に署名して対抗した。彼女はまた、ドーティとの間のやり取り、そしてHBOとの間のやり取りを記した文書も明かした。なぜAFOSIがリンダ・ハウを欺こうと決めたのかは不明である。当初からHBOの制作をやめさせる計画であったのか、それともただ予期せぬ事態があってこうなったのか? 理由は正確にはわからないが、彼らがそうしたことをしたのは確かであったし、ドーティは24年後になってハウが述べたようなやり取りがあったことを認めた。その目的は、ベネウィッツに対するAFOSIのニセ情報プログラムに関連していた。ドーティの言葉によれば、「我々はリンダに良い情報と悪い情報を渡した。彼女は悪い情報を選んだ」。彼はこの件についてこれ以上の事は言っていない。

こんな風に徹底的にごまかされて自らのキャリアを害されたリンダ・ハウは、UFOの問題から完全に足を洗ってしまったのではないか――あなたはそう考えるかもしれない。だが実際は、レオン・フェスティンガーの認知的不協和理論に従うように、彼女は地球上にETが来ているというのは本当だとさらに確信するようになり、以来、その事実を記録することに生涯のほとんどを費やしている。

これはユーフォロジーの領域では何度も繰り返されるパターンであって、そこには矛盾とパラドクスがあまりに多くあるために、ビリーバーたちはETの存在を信じ続けるため込み入った理屈を日々新たに発展させていかねばならないのだ。この辺はニセ情報戦略の設計者たちであれば熟知していることであり、ハウを欺いたのを契機に、彼らはさらなる傑作を作りだそうとしたのだった。 (13←14→15)



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■第11章 狂気の縁

    錯乱の極みというのは、かくあれかしという願望によって何かを信じてしまうことだ ――ルイ・パスツール

リック・ドーティは、ジョンと私を気に入ってくれた。私たちの側もそうだった。ラフリンでの一週間の間、彼はほとんど常に私たちと一緒にいた。そんな状況は時に私たちを不安にさせた。知り合って間もない頃、私たち三人は、ラップトップをワイヤレスでインターネットにつなぐことのできる小さなショッピングモールに行くことになった。ホテルの外の賑やかな大通りを渡っている時――それは実際にはほとんど高速道路だったのだが――私は突然、めまいがするような妄想に襲われた。その時点までにリックは、コンピュータをハッキングする自らのスキルを我々に話していたし、DIA(国防情報局)の仲間と会ったことだとか、その連中がUFO会議の参加者のうち何人かに関心をもっており、それはとりわけリックの言い方でいうところの「外国人」であることなどを明かしていた。

突然、ピンときた。コンピューターを手元に置いたリックの近くでPCをオンラインにつなぐということは、我々のことや我々の映画についての情報が詰まったマシンに、諜報機関の侵入を許すことにならないだろうか? 目の前には小さな黒い星が踊りだしたが、もう後戻りはできないことに気づいた。この波に乗って、事態を最後まで見届けるしかないのだ。

白いタイルが敷かれ、エアコンの効いた、ムサカ料理の匂いが香るモールで、私たちは同じテーブルについた。ジョンと私は片側、リックは反対側に座り、ラップトップの画面が背中合わせになるような配置だった。ワイヤレスの送信機にはパスコードが設定されていて、そのサービスを提供しているカフェは閉まっていた。我々は、リックがシステムをハックして繋げてくれるのではないかと冗談を言ったが、彼は別に異議を唱えることもなかった。しかし1分ほどしてもそういうことにはならないことが分かったので、私は振り向いて別のテーブルに座っていたラップトップのユーザーからパスワードを教えてもらった。我々はこれをエリント(電子諜報 ELINT)に対するヒューミント(人的諜報 HUMINT)の勝利だといって記録にとどめることにした。どういうわけか、それ以降リックといて不安になることはなくなった。

だからといって、彼が奇矯な行動を取らなかったわけではない。ある日の午後、私がロビーで自分のラップトップを操作していたところへ、自分のラップトップを持ったリックが近づいてきた。

「やあ、マーク!」。リックの声には秘密めかした調子があり、私は瞬時に警戒態勢に入った。「見せたいものがあるんだ」

彼はラップトップをテーブルに置いて画面を開いた。そこには異星人の写真や絵がずらりと並んでいたが、いずれも「グレイ」タイプだ。灰色の肌、無毛で膨らんだ頭、大きくて黒いアーモンド型の目、口の位置にある裂け目、鼻のところにある穴、そして鉛筆のように細い首。

「これを見てどう思うかい?」と彼は聞いた。

私はほとんど全部の写真を見たことがあったので、そうリックに伝えた。同時に、それらはすべて偽物だと思うとも伝えた。いくつかは模型で、いくつかは映画の特殊効果による創作物だ。二、三、非常によくできたものもあった。

「どうしてこれを見せているんです?」と、私は疑念を隠すことなく尋ねた。
「この中の一つは本物だ。どれだと思う?」
「全部偽物だと言ったでしょう」
「私は生きたEben エベン を見たことがあるんだ。そしてこの中の一つがその写真だ」

彼は、生物の一つを指さした。それは横を向いたグレイで、通常よりも顔は長く、気品があって意志を感じさせる表情だった――エイリアンの顔から感情を読み取れるとしたら、の話だが。腕は体の横に下ろしていて、画像は肘の上からしか写っていなかった。私は疑わしいと言った。

「これは本物だよ」とリックは主張した。「我々はこれをEBE2と呼んでいたんだが、1964年から1984年までアメリカ政府のゲストとして生きていた。私はロスアラモスでこいつがインタビューされているのを見たよ」。リックは著書『情報解除免除 Exempt from Disclosure』の中でもこの件について触れている。1983年3月5日、彼は名前が明かされていない、とある人物に連れられて、ロスアラモス国立研究所の地下深くにある部屋に入った。そこには「テーブルが二つと椅子が数脚、録音機器が置かれていて、私はドアの近くに座った」。空軍の大佐が入室し、インタビュー中は黙っているようリックに指示した。リックが「インタビューされるのは何者か」と尋ねると、「別の惑星からのゲストだ!」と言われた。5分ほど後に、身長4フィート9インチの人間とは異なるように見える生物が現れた。それはクリーム色をしたタイトなスーツを着ていて髪の毛はなく、リックは「これはEBE2だ」と教えられた。

質問者は大佐と正体不明の民間人2人で、彼らはEBE2に主として故郷の惑星やその大気について質問した。「このインタビューで興味深かったのは、EBE 2の向かいに座っていた3人が発する質問が、私には一切聞こえなかったことなんだ」。リックが聞いたのは、ETの返答だけだった。それは「完璧な英語だったが、機械的な声のように聞こえた」。EBE2は、ニューメキシコの気候は故郷を思い出させるので気に入っていると述べた。

リックと一緒にEBE 2の写真を見ていると、そこにジョンが現れた。私はEBE2を指し示し、リックが話していた話を繰り返した。「それは胸像だ」とジョンは即座に言い切った。「知り合いのUFO研究家がそれを家の暖炉の上に置いているよ」

リックの声にはかすかな苛立ちが入りこんでいた。「もしそれが胸像だとしたら、写真を元にして作られたんだ。だって私はこれが本物だと知っているからな!」

「それは胸像だ」とジョンは言い張り、そのまま立ち去った。

我々と一緒にいない時のリックは、ビル・ライアンと連れ立っていた。リックは我々に対してはセルポの話をしたがらなかったが、ビルがいるところでは必ずその話題が出た。もっとも、私たちは会議中あまりビルと話す機会がなかった。彼はこの会議では注目の的だったからだ。彼はいつ見てもジャーナリストにインタビューされたり、UFO研究家に質問されたりしていた。

木曜日の午後、ジョンと私はラウンジでリックと一緒に座り、ビルを待っていた。そこに黒い服を着た男がやって来て、同席してもいいかと尋ねてきた。我々は皆うなずいて承諾した。彼は体格こそ良かったが、どこか女性的な感じで、黒いタートルネックはいささかピチピチ過ぎるのではないかという気がした。座るや否や、その男性は自らのUFO体験を30分間にわたってしゃべり続けた。彼はまるで催眠術にかかっているか夢を見ているかのように、奇妙で声で歌うように話した。それによれば、自分はシングルファーザーで、数年前にアリゾナ州フェニックスの野外で空飛ぶ円盤を見たことがあるという。その出来事のすぐ後、彼は奇妙な男2人に会ったのだが、一人の目は赤く、もう一人の目は金色に輝いていた。一人目の男との出会いはおおむね良い感じで、電話番号も聞いた。だが、二人目との出会いはトラウマが残った。「いいですかと聞きもしないでずかずかと入り込まれたような感じ」がしたのだという。

そのおしゃべり男は二か月間、その体験を忘れていたが、ふと最初の男の電話番号を聞いていたことに気づき、電話をかけてみた。出たのはその男の妻だった。「主人は外出中です」と彼女は言い、「すみません、オーブンにエンチラーダ [メキシコ料理の一種] を入れてるところなんです」と続けた。そして彼女が電話を切った瞬間、記憶が一気に蘇ってきた。彼が覚えていたのは、ただ一つ、男たちの目のことだった。それは「花火のように回転し、閃光を放っていた」。男の話も終わりかけたところへ、ビルが現れた。彼は動揺した様子で、マニラ封筒を握りしめていた。

「みんな、話したいことがあるんだ」。私たちは黒服の男に失礼を告げ、別のテーブルに移動した。

「この封筒をロビーで渡されたんだ。誰かが僕のために置いていったらしい」。封筒には、太い緑のマーカーで「B. Ryan」と書かれていた。「ちょっと見せてくれ」とリックが言った。「封を開けるのは得意なんだ」。しかし、ビルは自分で封筒を開けた。

中には、ワープロで印刷された紙が三枚入っていた。印刷はかすれていて、プリンターのインクが切れかかっていたらしい。それは、セルポの宇宙飛行士の日誌の知られていない部分で、彼らが連れて行かれた異星人Ebenの惑星では彼らと意思疎通を取るのに苦労したことが記されていた。加えてそこには小さな紙片も入っていた。そこには手書きでのたうつ文字のようなものが書いてあり、合計16本の線が歪んだ格子を形作っていた。これはエイリアンの文字なのだろうか? 我々は何度か紙を回転させて、そのグニャグニャがどっちからどっちに向かっていくのかを確かめようとした。繰り返し出てくる文字がないかと探してもみた。しかし、何も分からなかった。ビルは中に入っていたものを封筒に戻した。

「失礼するよ、皆さん。もう行かないと。会議の主催者たちとUFOのビデオを一緒に見る約束をしているんだ」

我々は、夕食後にホテルのロビーでビルと会うことにした。翌日は彼が発表をする大切な日だった。彼が上映会に向かって走り去る姿を見ながら、私は考え込まざるを得なかった――エイリアンの真実という霧深い海を航行する船長として、ビルは自らの船を自ら操船しているといえるのだろうか。ラフリンに到着してからのこの数日、彼はアメリカのUFOコミュニティに熱烈に迎えられてきた。しかし私は、彼が誰かに操作され調教されている可能性を捨てきることができなかった――その「誰か」の正体は分からないにしても。私の最大の懸念は(それはジョンとグレッグも共有していたのだが)彼が「もう一人のポール・ベネウィッツ」になってしまうのではないか、ということだった。

■プロジェクト・ベータ

1981年の後半、UFOコミュニティに出回った「プロジェクト・ベータ:現状の要約と報告(推奨ガイドライン付き)」という文書がある。それは驚くべき文書であり、かつ今から考えればポール・ベネウィッツの壮大な妄想に満ちた悲劇的な文書でもある。その詳細な内容というのはベネウィッツのような優れたエンジニアなくしては得られなかったもので、この文書は、彼が収集し、迷宮めいたファンタジーを作り上げるのに用いたデータをまとめ上げたものなのだ。そしてこれが悲劇だというのは、精神疾患についての記録に出てくる他の有名な事案などとは異なり、この妄想がAFOSI(空軍特別調査局)からベネウィッツに与えられたニセ情報によるものであり、もっぱら彼自身の空想に基づくものだったわけではないという点にあるのだ。さらに言えばこの文書は、AFOSIがベネウィッツにニセ情報を提供するため、どれほど徹底的な操作を行ったかも明らかにしている。

25ページにわたるこの報告書は、まず「調査員 物理学者 ポール・F・ベネウィッツ」によって収集された情報の概要から始まっている。

    エイリアンの通信およびビデオチャンネルの探知と解読(いずれも地域・地球・近宇宙レベルでのもの)。エイリアンの船や地下基地のビュースクリーンからの映像を常時受信(受像内容としては典型的なエイリアン、ヒューマノイド型。時としてホモ・サピエンスと思われる存在)。

    エイリアンとの直接通信を常時確立(コンピュータと16進法コードの一種を使用。出力はグラフィックとプリントアウトによる)。エイリアンの通信ループを通じて地下基地の真の位置がエイリアンから明かされ、正確に特定された。引き続いて空中および地上からの写真撮影により、着陸用パイロン・地上の船・入り口・ビーム兵器・打ち上げポートが確認された。このほか地上には静電現象を利用した乗り物に搭乗したエイリアンも確認された。ビーム兵器の充電もやはり静電気によるものと見られる。

ベネウィッツは、異星人の心理について学んだことをまとめている。「異星人は狡猾であり、欺瞞を用い、平和構築プロセスへの意図は一切もっておらず、いかなる事前の合意にも従うつもりはない」

ここで彼は、自らがアルチュレタ・メサにいると信じている地球外生命体について語っているわけであるが、それは同時に彼の「友人たち」、つまりカートランド空軍基地の人々に向けた言葉であったのかもしれない。時折、彼は与えられた情報の矛盾点に注意を向けていたようでもある。「確かに彼らにはウソをつく傾向がある。が、ウソをついたという記憶は長持ちしないので、コンピュータから出力したものと直接比較してみれば事実は明らかになる。いわば『ひび割れから抜け落ちる』というヤツで、そこから真実は現れるのだ」。さらに彼は、異星人についてこう述べている。

    彼らは信用できない。もしエイリアンが「友人」ということになっていたとしても、差し迫った物理的脅威の時にその「友人」を呼び出した場合、その「友人」はすぐに敵側につくであろう……彼らは如何なる状況でも絶対に信用できない……彼らは完全に欺瞞的であり、死をためらうこともなく、人間や人間の命に対する道徳的な尊重は全くない……両者が署名したどのような合意も、エイリアンによって尊重されたり遵守されたりすることはない。彼らは「そんなことはない」と我々を信じさせようとするかもしれないが。

こうした発言から、無意識下ではあれ、彼には自らの状況について一瞬明晰さを発揮した瞬間があったのだ、ということを読み取らずに済ますのは難しい。ただ彼に対する工作が功を奏したおかげで、その鋭い洞察は影を投げかけている者にではなく、壁に映った影たちに向けられたのではあるが。

ベネウィッツは、エイリアンは人類を支配するために無慈悲な野望を抱いていると警告し、彼らが人間を奴隷にするためのマインドコントロール用のインプラント技術、彼らの兵器や宇宙船、そしてダルシェ(ダルシー)基地について詳述している。報告書は、この脅威を無化する唯一の方法は武力であると結論付け、ダルシェ基地への水供給を断つという精巧な計画を論じている。ベネウィッツは、ETとその乗り物に対抗するため開発した特殊なビーム兵器についても記述しており、これには軍の担当者も大いに関心を寄せたに違いない。

そして、冷ややかな最終声明で彼はこう宣言する。
    全面的に成功を収めるための鍵は「彼らは武力をのみ尊重する」ということである……アメリカ人として言うならば、今回のケースにおいては、答えを出すために我々がこれまで受け継いできた道徳的原則に頼ることはできない。そのことを認識しなければならない。交渉は不可能だ。この特定の集団は、狂犬に対するのと同じように対処する以外に方法はない。そのことを彼らは理解している……従って、この脅威に対処するにあたり、我々が「侵略者」と呼ばれる筋合いは全くない。我々は文字通り侵略されているのだから。

ベネウィッツにはかくも明確に精神的な不安定の兆候が出ていた。ところがカートランド基地の関係者は、既に手に負えなくなった事態を終わらせるのではなく、さらに別レベルの工作をするよう決定したのである。その心中は察するほかない。そしてAFOSIのベネウィッツに対するキャンペーンは少なくとも1984年まで続き、彼の精神状態はさらに悪化していった。

リック・ドーティがポール・ベネウィッツについて語る時、彼はベネウィッツを「友人」であり「素晴らしい人間」という風に語った。ドーティは我々に「ベネウィッツに起こったことをひどく後悔している」と話した。私はそれを信じた。ドーティのベネウィッツの事案への関与は1984年に終わった。彼は2年間、ドイツに配属されたのである。ビル・ムーアのAFOSI(空軍特別調査局)関係の仕事もその翌年に終わった。彼らがAFOSIの作戦が終了した後もベネウィッツと連絡を取り続けていたことは、彼らが築いた関係が真っ当なものであったことの証である。しかし、その時点では、もはやベネウィッツを救うことはできなかった。

ドーティが1986年にカートランドに戻ったとき、ベネウィッツの精神状態は著しく悪化していた。ドーティは、ベネウィッツにUFO研究をやめるよう説得しようとした。それは家族や事業、そして健康のためでもあった。それら全てが損なわれていたのである。彼はベネウィッツに「あなたがこれまで渡されてきたUFO情報はAFOSIが作ったものだ」とすら語った。しかしベネウィッツは、それを受け入れなかった。彼自身がニューメキシコ州が異星人に侵略されていると信じ込んでいるのに加えて、今では他のUFO研究者たちもその話に耳を傾けていた。彼にはオーディエンスがいたのだ。彼らは異星人の侵略から世界を救うことはできたのかもしれない。だが、ベネウィッツを彼自身から救い出すことはできなかった。

1987年、ビル・ムーアが最後にベネウィッツを訪ねたとき、彼はほとんど眠らず、食事も摂っていなかった。彼はチェーンスモーキング状態で(ムーアがグレッグ・ビショップに語ったところでは、ある時数えたら彼は45分間で28本のタバコを吸っていたという)、言葉をつなげるのに苦労していた。彼は強烈な被害妄想を抱き、ドアや窓に追加の鍵を取り付け、家じゅうに銃やナイフを隠していた。ベネウィッツはムーアやドーティに、異星人が夜中に彼の寝室に入り込み、彼に薬を注射して奇妙な行動をさせていると語った。彼は時折、砂漠の真ん中で、自分の車の運転席に座った状態で目を覚ますことがあった。グレッグ・ビショップによれば、ドーティとムーアの二人は、それぞれ別個に「ベネウィッツの右腕に針跡のようなものがある」という話をしていたという。彼は、政府機関の何者がベネウィッツに薬を注射し、それから砂漠に連れ出して異星人の恐ろしさだなどといった不条理な話を彼に植え付けているのではないかと疑った。ドーティは、ベネウィッツが自分で薬を注射しているのではないかと考えていた。しかし彼は、ベネウィッツの家の1階の窓の外に梯子の跡があるのを見たとも主張している。それはまさにベネウィッツが異星人が家に侵入している場所だと言っていたところだった。

事態がついに頂点に達したのは、1988年8月であった。61歳になったベネウィッツは、半分おかしくなっていた。彼の会社サンダー・サイエンティフィックは、成人した二人の息子によって経営されていた。家の中では、彼は妻のシンディが異星人に支配されていると非難していた。最終的には、彼が自室に砂袋を積んで立てこもるという事態に至った。

このままではいけないと家族は判断し、ポールはアルバカーキにあるプレスビテリアン・アンナ・カセマン病院の精神科施設に隔離された。そこで彼は1ヶ月間監視下に置かれた。ドーティがこの古い友人を訪ねたとき、ベネウィッツは彼のことが分からなくなっていた。

では、なぜこのような事態になったのか?

ドーティの説明はこうだ――AFOSIの作戦というのはカートランド空軍基地のセキュリティにのみ関わるものであって、1980年代半ばには終了した。一方で国家安全保障局(NSA)は、自分たちがカートランド基地から発している通信がベネウィッツに傍受されるのを防ぐため、向かいの家からニセ信号をビーム状に浴びせかけていたが、これは陸軍の作戦終了後も数年間続けられた。その理由は不明である。

NSAの関与は本当にあったのだろうか?AFOSIが作りだし、ムーアとベネウィッツに提供した政府のニセUFOメモは、政府によるUFO隠蔽の多くはNASAが元凶だと名指ししていた。ドーティは現在、このNASAというのは実際にはNSAをほのめかしていたのだと述べているが、当時のアメリカ空軍がNASAをおとしめようとした理由は十分に理解できる。NASAとアメリカ空軍は1950年代末にNASAが設立されて以来、宇宙に関する苦い対立を繰り返してきた。アメリカ空軍は常に宇宙に対して強い関心を抱いていたため、多くの航空宇宙予算が民間組織であるNASAに割り当てられることは癪の種だった。さらに、空軍はUFOという厄介ごとを押しつけられたのが気に入らなかったのかもしれない――宇宙の問題はNASAの領分じゃなかったのかよ、というワケだ。

UFOに関する空軍の広報活動は、1947年からプロジェクト・ブルーブックが閉鎖された1969年まで続いたが、それは空軍にとってずっと悪夢とでも言うべきものだった。ブルーブックの閉鎖後、空軍はUFOに関する問い合わせに対して「調査は終了しました」という定型文で回答していた。もちろんこれはウソだった。空軍がUFO事件の調査investigating(扇動 instigating かもしれないが)をやめたとしても、ファルコンやドーティ、AFOSIの活動が示すように、それについて考えることやUFO団体を監視することは明らかに継続していた(ちなみに大空を自分の縄張りだと考える空軍が調査をやめたというのはありそうもないことではある)。

UFOはその後も飛来し続けた。1975年にモンタナ州でICBM基地の目撃が報告されたのに続いて、1977年11月16日にはスティーヴン・スピルバーグの映画『未知との遭遇』が公開され、世界中でUFOに対する関心が再燃した。その流れの中にはは、国連にUFO調査機関を立ち上げようとしたグレナダの大統領、エリック・ゲイリーの試みもあった(結局は実らなかったが)。UFO目撃情報は世界中で急増し、新世代のUFO愛好家たちが生まれ、彼らは空に飛び交っているものについての真実を知りたいと願った。こうした大衆の要求にこたえて、当時のジミー・カーター大統領は、選挙活動に自らUFOを目撃した経験を公然と語りつつ、新たなUFO調査はNASAが主導すべきだと提案した。

しかし、NASAは乗り気ではなかった。「私たちはUFOの調査をやりたいとは思っていません。なぜなら、私たちに何ができるのかハッキリしないからです」。NASAの広報担当者はAP通信にそう語っている。「金属片や生物組織、布の一部といった、測定可能なUFOの証拠は全くありません。ラジオ信号すらないのです。写真は測定できるものではないですし……理論や記憶なんてものじゃらちがあかない。緑色の小人が一人でもいれば、何百万ドルもの予算がつくでしょうけどね」

いずれにしても、アメリカ空軍は困難な立場に立たされる可能性があった。もしNASAが調査を開始すれば、UFOのナゾに空軍が過去どのように取り組んできたかを蒸し返そうとするだろう。それは時間も予算もかかるだろうが、空軍にとっては少なからずバツが悪いことになりかねなかった。逆にNASAが手を出さなければ、次にUFO問題に取り組むべきは空軍だという期待が生まれるだろうが、10年前にようやくUFO問題から手を引いた空軍にしてみれば、再びその泥沼に戻るようなことも避けたかったであろう。

最終的にNASAも空軍も新たなUFO調査を強いられることは回避したが、それは際どいところであり、両組織の間に新たな遺恨を引き起こしたことは疑いようがない。従って、1981年に出回った偽造文書「アクエリアス文書」において、AFOSI が政府の秘密UFOプロジェクトの首魁としてNASAを名指しした時、空軍は注目を自分たちからそらしただけでなく、ライバルに一矢報いることにも成功したのだった。結果としてNASAは、狂気じみて胃の痛くなるようなUFO広報の悪夢をちょっぴりとではあったが体験することになった――UFOについて山のように寄せられる問い合わせに象徴されるような、そして空軍が20年以上苦しんできた広報の悪夢というものを。

AFOSIはまた、NASAというおとりを持ち出せば、ビル・ムーアがいとも簡単に引っかかってしまうことも知っていた。ムーアとバーリッツの共著『ロズウェル事件』には、NASAが隠蔽したとされる宇宙飛行士絡みのUFO事件がいくつか挙げられている。最も注目すべきは、歴史的なアポロ11号の着陸地点が他の「宇宙船」で「あふれかえっていた」ために、最終段階で変更されたという主張である。ちなみにこの本には、パイロットのバズ・オルドリンとミッションコントロールの間で交わされたとされる身も凍るようなやりとりが出てきており、その記述に対してオルドリンはムーアとベルリッツを相手取った訴訟を起こしている。

しかし、ベネウィッツ事件の真の黒幕は、ドーティがいう通り、この宇宙機関から「A」が一文字が取れただけのNSAであったかもしれない。1990年代初頭、NASAの電話交換手が好奇心旺盛なUFO研究家たちからの問い合わせに疲弊していた頃、ビル・ムーアはこんなことを言っている。――オリジナルのアクエリアス文書にはNSA(国家安全保障局)という名前が書かれていたのではないか。そして含み笑いをしながらそれをNASAに書き換えたのはAFOSIの関係者たちだったのではないか、と。

NSAはベネウィッツに関心を持っていたのだろうか? 彼が傍受していた信号が空軍のものではなくNSAのものであったとしたら、そういうこともありえただろう。加えてNSAは、「ベネウィッツは情報源として使えるかもしれない」という内容のソ連サイドの通信を傍受していた――ベネウィッツ自身がそのことを知る由はなかったのであるが。となると、AFOSIやNSAが最も恐れていたであろうシナリオというのはこういうものになる。すなわち、ベネウィッツがUFO情報を誰彼かまわずばらまくことで、その情報がカートランドで行われている何らかの秘密の研究開発プログラムにソ連の注意を引きつけてしまう――。

しかし真の疑問は、米空軍なのかNSAか、あるいは他の組織かもわからないが、何者かがポール・ベネウィッツを廃人に追い込もうとした理由である。

グレッグ・ビショップは、ベネウィッツはカートランドで行われていた極秘の航空機や衛星技術のテストに偶然出くわしてしまったのだと考えている。ベネウィッツは異星人の本物の宇宙船が極秘に飛行しているのを見てしまったのだと考えている人もいる。しかし、いずれの説も、この才能豊かではあるが脆弱な心に対して、空軍が執拗な心理的攻撃を行った理由を十分に説明するものではない。さらにこれらの説は、空軍が――あるいは別の組織かもしれないが――新しいオモチャ、それもとりわけ一番大事なエイリアンのオモチャをテストする時、それをするのに適した数マイル四方の地所を人里離れた砂漠地帯に所有しているのに、わざわざ人目のある住宅地で行った理由も説明できない。

「秘密技術」説にとって最も致命的な反論としては、もしベネウィッツが見てはならないものを見たのなら、空軍は彼に黙っているよう頼むだけでよかったはずだ、というものがある。愛国者であり、軍と契約関係にもあった彼なら、ほぼ確実にその要請に従ったことだろう。仮に彼が拒否したとしても、軍は法的に圧力をかけることができたはずだ。ブラッド・スパークスやバリー・グリーンウッドが指摘するように、政府や軍の秘密の通信を傍受したら、1934年の通信法や1917年のスパイ法に違反することになっただろう。もしベネウィッツがNSAの機微にわたる通信を傍受していたなら、彼は逮捕され、機材は押収され、事業は閉鎖されたであろう。しかし、そうはならなかった。代わりに彼は妄想を煽られた。なぜだろうか?

この事件についてのグリーンウッドとスパークスの見立てによれば、AFOSIには(そしてベネウィッツになされた工作には)より悪意に満ちた、計画的な意図があったとされる。カートランド基地のAFOSIが初めてベネウィッツを認識したのは、おそらく1979年4月にアルバカーキで開催されたハリソン・シュミットのキャトル・ミューティレーション会議だった。その翌月、リック・ドーティはエルスワースからカートランドに転任したのだが、カートランド基地ではその前年、UFOをテーマとしたニセ情報作戦を『ナショナル・エンクワイアラー』に仕掛けることに成功していた。さらに4か月後の1979年7月、ベネウィッツは自宅の近くのマンザノ山脈で光を撮影し(それはおあつらえ向きなことに彼の家から見える場所だった)、無線通信の記録も始めた。それを彼はUFOと関係したものであるに違いないと考えた。

1980年1月27日、ベネウィッツは初めてエイリアンからの通信を受信した。彼は1981年に空軍の情報参謀補佐長宛てに送った手紙の中で、こう主張した。すなわち、最初の電子通信セッションに際しては、カートランドの警備部隊の指揮官にして、ベネウィッツが最初にUFOの目撃を報告したアーネスト・エドワーズ少佐その人が立ち会い、「非公式ながら得がたい後方支援」をプロジェクト・ベータに提供してくれた、と。空軍は、最初から積極的にベネウィッツに関わり、彼の妄想を助長していたのである。1980年7月、AFOSIはカートランドでのUFO事件に関するクレイグ・ウェイツェル名の手紙をAPROに送り、APROはビル・ムーアに調査を依頼した。9月になるとムーアはファルコンとリチャード・ドーティから連絡を受け、ベネウィッツ作戦は第二段階に入った。

このように見てくると、事件は全く新しい様相を呈してくる。ベネウィッツはカートランド上空のUFOを偶然目撃したのではなかった。それらは彼のために飛ばされていた、明るく輝く撒き餌であった。一方、ウェイツェルの手紙はUFO研究者を引き寄せるために意図されたものであった。ムーアとベネウィッツは共に餌に引っかかり、捕まった。AFOSIは最初から彼らをUFO情報操作の媒体として利用しようと計画していたのである。彼らの本当の標的はベネウィッツではなく、UFOコミュニティ全体であった。

■ユーフォロジーでの戦争

AFOSIの公的な任務は、「空軍、国防総省、米国政府に対する犯罪、テロリスト、情報活動の脅威を特定し、把握し、無力化すること」である。AFOSIの活動の多くは「情報作戦」に含まれ、空軍政策指針10-7(2006年)では、これが三つの主要カテゴリー、すなわち「電子戦作戦(EW Ops)、ネットワーク戦作戦(NW Ops)、影響作戦(IFO)」に分類されている。

ここで我々の注目を引くのは「影響作戦」である。これには「軍事欺瞞(MILDEC)、作戦保安(OPSEC)、心理作戦(PSYOP)、防諜(Cl)、広報作戦(PA)、および反プロパガンダ」が含まれる。この文書によれば、こうした作戦は「我々自身を防御しつつ、敵対する人間や自動化された意志決定システムに影響を与え、妨害し、あるいは拘束するため」に展開されるもので、空軍はこれらの能力を「物理攻撃兵器によるのと同様の効果を達成するため使用する可能性がある」としている。

仮にあなたが空軍だと想像してほしい。あなたが目標とするのは空域での絶対的な優位であり、それを維持するためには、多くの秘密を守る必要がある。それはたくさんある。作戦上の秘密。戦術上の秘密。航空機・衛星・兵器に関する技術上の秘密。こうした秘密――とりわけテクノロジーの秘密――を守ることは死活問題である。UFO研究者たちはあなたの秘密計画を覗き見しようとしており、情報公開法に基づく要求を次々と送りつけ、あなたがDNAを盗むエイリアンと共謀してUFOの真実を隠蔽していると非難している。けれども、あなたはそんなものは絵空事だと知っている。UFO研究者たちの目的は、あなたが守るために何百万ドルも費やしているすべての秘密を暴露することだ。あなたが彼らを脅威と見なし、無力化しようとするのは当然のことである。

あなたのすぐ近所の住人で、UFO陰謀論を大声で唱えているポール・ベネウィッツ。UFOコミュニティで最も尊敬されているビル・ムーア。彼らをコントロールできれば、あなたはこの厄介な人々への攻撃を始めるための完璧な拠点を持つことになる。

ドーティが繰り返し我々に話したように、一度ベネウィッツに対する作戦が始まってしまえば、それは難しいことではなかった。ベネウィッツが自らの信念を保っていくためには、外からあれこれ応援してやらなくても、時折ちょっとした後押しをすれば十分だった。そしてベネウィッツはとてもよくその役割を果たした。ユーフォロジーの主流派の注目を集め、「善対悪」「我々対彼ら」「人類対異星人」という、センセーショナルだが単純な物語を広めたのである。

サイラス・ニュートンやジョージ・アダムスキーらの初期の作り話と同様に、ベネウィッツの「プロジェクト・ベータ」は、UFOコミュニティを集中させ、分裂させ、UFOに関する真剣な研究を困難にする騒音の壁を作り上げた。このテーマに真剣に取り組もうとする多くの人々は、その取り組みを断念せざるを得なかった。これは情報戦の見事な手本であったが、その代償は非常に大きかった。

ポール・ベネウィッツ問題の最終局面において、断崖の縁でよろめいていた彼は自ら身を投げたのか? それとも後ろから押されたのだろうか?

■ビルの大事な日

我々はその晩、ビル・ライアンが異星人へのインタビュー映像なるものを見た後に、彼と会うことになっていた。明日は彼の大事な日だった。いよいよ彼による「セルポ」の発表があるのだ。1時間経った。ジョン、リック、そして私はロビーで待った。しかしビルは姿を見せなかった。彼のホテルの部屋に電話をかけたが応答はなかった。ジョンが部屋を訪れノックしたが、電気は消えており、誰もいない。ビルはどこにもいなかった…。

翌朝、我々はロビーにいるビルを見つけた。彼は明らかに動揺していた。ビルによると、「セルポ文書」の情報源であるナゾの人物、アノニマスが、ラフリン・コンベンションの理事会の一員であるベテランUFO研究家、ドン・ウェアに連絡を取ってきて、ビルの講演を評価し報告するよう指示したという。ビルは、何かうまくいかないことがあって、セルポの代弁者としての役割を失うのではないかと恐れていた。しかし、これは驚くべきことではなかった。人類史上最も重要な発表の代弁者として、常に試されているというのは当然のことだった。アノニマスは見守っていたのである。

緊張していたものの、ビルは発表の前にカメラを回してのインタビューを受けることに同意した。だが、準備をしているとリックが現れた。

「みんな、ちょっと問題が起きた。誰かカメラの操作はできる? ちょっと面白いことになりそうなんだ。私のDIAの相手方が、これまで公開されたことのない映像を見せたいと言っているんだ」

「それには何が映っているんです?」とジョンが尋ねた。
「ETのインタビューだ。」
「またですか?いったい何回目なんだ?昨日見せてくれた写真とは関係があるんですか?」

「いや、違う。」リックの声には少し苛立ちがにじんでいた。「これは別物だ。この映像は誰も見たことがないし、向こうさんは君たちがドキュメンタリー用にカメラを持ち込むことを許すかもしれないぞ」

ビルはインタビューを受ける態勢に入っていて、我々に話したいことがあるような様子だった。一方でリックはUFO史上の「聖杯」を提供しようとしていた。そう、本物の「生きたエイリアン」だ。しかし、なぜDIAは我々にそれを見せようと思ったのだろう? 4日間にわたる駆け引きを経て、我々の忍耐は限界に近づいていた。「リック、今はビルの件で忙しいんです」と私は言った。「私たちがビルをインタビューしてる間は、女性カメラマンが小型のカメラで撮影できるかもしれない」

リックは、歴史的な提案を拒否されたことに少し驚いた様子だったが、自分の相手方の意思を確認すると言って立ち去った。その間に我々はビルに注意を向けた。ビルはラジオマイクを装着し、そわそわしていた。何かが彼を苛んでいることは明らかで、彼は言葉に詰まっていた。ビルは緊張するとどもる癖があるのだ。

「昨日届いた新しい文書…今日の話の中心に据えたかったんだ…あのエイリアンの文字を人々に見せて、その解読を始めたかった。でも、それができないんだ…知らせを受けたんだ…まだ話すことができないんだ」

「誰から言われたの?」と私は尋ねた。
「それは言えない。でも彼の意向には従わなければ」

「新しいものを見せられないのは残念だが、他にもたくさん話すことがあるじゃないか」
「そうだね。そうだと思う」

トイレに行ってきたビルは、インタビューのために腰を下ろした。我々はラジオマイクがまだオンになっていることを彼に伝えるのを忘れていた。

その後のビルへのインタビューはドラマチックなものとなった。この会議は彼にとって心理的な地雷原のようなものであり、彼は深刻なストレスを受けているように見えた。ビルはユーフォロジーの新たな英雄、忖度ナシで話す男として讃えられ、毎日多くの支持者やインタビュアーに囲まれていた。彼はユーフォロジーの中心部で歓迎を受け、会議の要人たちと肩を並べてはUFOやエイリアンの映像を見ていた。彼らはビルを抱擁していた。それは確かだ。しかしその目的はなんだったのだろう?

「すべての行動が監視され、分析されているような気がするんだ」と彼は言った。「すべての会話が盗聴されている」。我々は、彼がラジオマイクをつけたままトイレに行ったことは口に出さなかった。

「もう誰を信じていいのか分からない。正直なところ、これ以上耐えられるか分からない」

リックについてはどうか? ビルは彼を信頼しているのか?

「リックは本当に大きな助けになってくれた。彼はまさに導きの光だよ。UFO分野での彼の経験は私にとってとても貴重だった。この間ずっと、彼はガイドをしてくれた。彼がいなければここまでやってこれなかっただろう」

リックは具体的にはどのようにビルを助けてきたのか、またビルがセルポの話に関わるようになった当初から彼は支援していたのかどうか。そう尋ねようとしたが、ちょうどその時、リックがロビーに現れた。まるで獲物を手にした猫のように満足そうだった。

トラブルの兆しを感じたジョンは、リックをビルから遠ざけるように誘導し、私は素早くインタビューを締めくくった。リックがビルの肩越しに監視している状況では、これ以上の情報を引き出すのは難しいだろう。

我々は一緒にテーブルを囲んで座った。リックの目はキラキラと輝いていた。

「エイリアンの映像を見たよ。本当に素晴らしいやつだ。でも、撮影するのはダメだそうだ。特別な上映が行われたんだ。参加者は会議の主催者であるボブとテリー・ブラウン、DIAのエージェントが2人ほど、あと見知らぬ2人だった。ホテルの一室で、上映の準備が整えられていた。使用していた機材はパナソニックだ。政府はいつもパナソニックを使うんだ」

我々はリックのいる方に身を乗り出した。彼は映画の内容を話してくれるのだろうか? それとも政府のエージェントが映画を見る時は、どのブランドのポップコーンを食べるのかを教えてくれるのか?

「うん、映像は古いものだ―1940年代後半から1950年代初期のものだろう。車が施設の外に停まるんだ。ロスアラモスの施設に見えたな。あそこには何度も行ったことがあるんだ。外には民間と軍の車両が停まっていて、いかにもあの年代のクルマという感じだった。1人の男が建物に入り、カメラが彼を廊下の奥まで追っていく。僕の見るところ、あれはロバート・オッペンハイマーだったね」

ジョンはカメラの動きを尋ねた。それはトラックに乗っているのか、それとも三脚に据えられているのか?

「三脚に据えられて移動していったように思うね。オッペンハイマーがセキュリティドアを二つ通っていく時、少し揺れていたからな。ドアは、彼の付き添いがインターホンに話しかけた後に開いた。廊下の最後にもう一つのドアがあり、その前にMP(軍警察)が立っていた。彼の記章には“ダグラス”という名前があった。彼の制服と武器は1940年代か1950年代のものだったな。ドアが開くと…そこにいたんだ、Ebenエベンが。ノドの周りに発声器みたいなものがあって、そのせいか喋る時には機械音声のような声がしたな」

「彼らは何を話していたんです?」とビルが興奮して尋ねた。「彼らの母星についてですか?」

「いろいろなことを話していたよ。そう、Ebenエベンは自分たちの星についても話していた。それは40光年先で、二つの太陽があって、乾燥した砂漠のような風景なんだそうだ」

「まるでセルポみたいだ」。ビルは微笑んでいた。数分前の不安はすっかり消えていた。

「そうだな、そうかもしれない」。リックは答えた。

ビルは講演の準備のために立ち去った。彼の講演まであと20分だった。彼の足取りは軽く、新しい自信がみなぎっていた。リックの激励トークが功を奏したようだった。

ビルのプレゼンテーションには満員の観客が集まった。音声が何度か途切れ、少し話が長引いたかもしれないが、彼は聴衆が聞きたかった話をちゃんと話していた。米政府とETとの接触の証拠とされる資料。内部情報源の裏付け。そしてさらなる情報が控えていることのほのめかし。彼は最後まで聴衆の注目を引き続けた。

ただし、一つのテーブルだけは様子が違った。今週の初めから目にしていた男たち、つまり鋭い目をしたフライトジャケットの男と、二人の屈強な付き添いがいつものように無表情で同じテーブルに座っていたのだ。ビルがポール・マクガヴァンの名前を出した時――ちなみにマクガヴァンというのはドーティの話によればDIAの情報源で、最初にEメールでセルポのストーリーの多くの部分を補強した人物とされる――オールド・スティーリーのような目をした男は突然落ち着きを失い、テーブルを立って部屋を出て行った。ひょっとしたら彼はポール・マクガヴァンだったのだろうか? [訳注:Ol' Steely-eyes という言葉はよくわからない]

ビルの講演が終わった後、人々が質問のために列を作ったが、私はロビーに出て、残りの観客が退場する様子を見ていた。その雑踏の中から現れたリックは、私のそばに来て、ビルのプレゼンテーションについてどう思うか尋ねてきた。

「私ならもうちょっと整理して話したかもしれませんね」。私は如才なく答えた。

リックは同意した。「採点したらC+といったところだ。彼はスライドを使うべきだろうな。講演にはスライドを使わないとな、パイロットにとってのコンパスのようなものだから。アレは発表をリードしてくれる」

ビルが講演ホールから出てきた。ファンに取り囲まれ、ほとんど運ばれるようにしてテーブル席に腰を下ろした。質問に答えるビルは、とりわけ40代前半の魅力的な女性に注意を払っていた。その女性は背が低く、顔も髪も黒っぽい感じだった。ビルとその女性はしばし話し込んでいた。リックと私は「ああなるほどね」といった感じでお互いにほほえみあった。

群衆が散った後、ジョンと私はビルと話をするチャンスを得た。ビルはすべてが終わって、反応も良かったことに満足しているようだった。彼は始まる前は不安感で体が痺れるほどだったと言った。というのも、ステージに上がるちょっと前には主催者から「もし照明が消えたらすぐに地面に伏せて下さい」と言われていたのだった。主催者側もビルの発表が行われている間に何かトラブルが起きるかもしれないと忠告されており、舞台脇には万一に備えて屈強な警備員数人が舞台袖で待機していたのだという。

私は「オールド・スティーリーの目をした男」が突然出ていったことに触れ、彼がロビーをこっそり通り抜けていったことをビルに教えてやった。私は、彼がポール・マクガヴァーンなのではないかと彼に聞いてみたのだが、ビルはそれを否定し、その男からは以前話しかけられたことがあったと言った。彼はテリーという名前で、アリゾナ州出身のUFOコンタクティだった。ビルに語ったところでは、彼はあらゆるUFO会議に出席しているということだった。私は、なぜコンタクティがあんなに陰険な顔をしているのか、そしてなぜいつも両脇に大男たちをはべらせているのか、疑問に思った。彼ら全員がコンタクティだとでもいうのだろうか? あの3人はあらゆるUFO会議に揃って参加しているのだろうか?

その日の午後、我々はリックの撮影をする予定だったのでロビーで彼を待っていた。いつもそんなことはないのだが、彼は1時間ほど遅れてやってきた。その間、私は物理学者でありながらオカルトを実践しているという人物や、インターネットラジオの司会者、さらには『ハスラー』誌に会議についての記事を書くというジャーナリストと話をすることができた。リックがようやくやってきた時、彼は我々との約束を忘れていたようだったが、それでも撮影には快く応じてくれた。

私たちはホテルのエレベーターに向かったが、角を曲がると「オールド・スティーリーの目をした男」と突然出くわした。彼とリックはまるで磁石がはじきあうようにお互いに飛びのき、鉢合わせしたことに一瞬驚いた表情を浮かべ、大げさに貧乏揺すりをしたり地面に目をやったりしていた。エレベーターの扉が開くと我々は乗り込み、緊張した空気の中、2つ上のフロアに向かったが、リックと「オールド・スティーリーの目をした男」は、怒った雄猫同士のように殊更にお互いを無視しあっていた。

目的の階に到着したリックと私はホッとしてエレベーターを降り、中二階へと進んでいった。

「じゃあ、あれがポール・マクガヴァーンだったわけですか?」。私は笑いを抑えながら尋ねた。

「どうしてそれがわかったんだ?」。リックは驚いたような、それでいて嬉しそうな顔をした。

私は笑いながら、彼とその仲間を一週間ずっと観察していたこと、リックと彼の間で目配せが交わされるのを見たこと、そして彼がビルの話の中でマクガヴァーンの名前が出た途端に退席していったことを説明した。

「よくやったな。MI6で働けるんじゃないか? しかしだ。君がジョンと一緒にパンダエクスプレスで麺を食べているのを、我々がホテルのバーから見ているのは気づかなかっただろ!」。リックは破顔一笑し、満足げに私を見た。彼にとってはこういったこと全てがゲームなのだろう。そんなことを強く思った。そのゲームが何なのか、私には全くわからなかったのだけれど。

撮影はうまく進んだ。リックはカメラの前では自然体であった。彼はポール・ベネウィッツについて、そしてこういった会議を情報機関が監視する必要性について、ちょっとだけ話した。また彼は、自分はセルポに関する件には全く関わっていないのだと主張した。彼はただの民間人として興味を持っただけだというのだった。

その夜、メインホールではミステリーサークルに関する映画が上映された。ジョンと私はそれを見に行くことにした。我々は、ミステリーサークルの作り手たち(自分たちもそうだったわけだが)の仕事と、リックが関与していた情報操作の仕事の類似点ということについて考えていた。どちらのグループも秘密裏に活動し、UFOに関する新たな物語を作り出し、そしてその物語は独り歩きしていった――書籍やUFO会議、ハリウッド映画、強力な信仰の体系といったものとして。どちらのグループも、自分たちの活動を取り巻く神話がますます大きく、複雑になっていく様子をリングサイド席から見守ってきた。どちらのグループも当初は沈黙を強いられた。やがて彼らは、ビル・ムーアや一部のミステリーサークルの作り手がそうしたように沈黙を破った。だが、その時点で彼らは、神話を信じる者たちによって「自分たちが作り手であったこと」を否定されてしまった。実際のところ、ミステリーサークルの作り手と情報操作のアーティストたちの違いは、彼らはその仕事で報酬を得ているが、私たちは得ていないという点ぐらいだ。もしもUFO神話の発展に関与した組織が、自分たちの役割を明らかにしたとしても、すぐに同じように滑稽な状況に陥ってしまうだろう。信者たちは真実を知りたがっているのではない。ただ自分たちの既存の信念が確認され、詳しい話が積み重ねられていくことを望んでいるだけなのだ。

ジョンと私は暗くなったホールに入り、小麦が押しつぶされたウィルトシャーの畑の見慣れた光景を目にした。そこには、リックが一人で座っているテーブルがあった。私たちは横に座った。ミステリーサークルの専門家が異常な放射線値や遺伝子操作された作物について発言するたびに、ジョンと私は笑いをこらえるのに苦労した。私たちのチームがデザインしたいくつかのサークルも、荘厳にスクリーン上を滑っていった。私は思った。AFOSIのエージェントがUFO雑誌をめくるたびに感じているのも、こういうことなのだろうな、と。

私たちの喜んでいる姿はリックの注意を引いた。ジョンは彼に身を寄せて、「こういうサークルの中には僕が作ったものもあるんだ」と言うと、リックはびっくりしたようだった。「どうやって!?」と彼は小声で叫んだ。これには我々もリック以上に驚いた。彼は、ミステリーサークルが人間の手で作られていることを知っているはずではないか? そして彼は、我々と会う前にジョンの「サークルメーカーズ」のウェブサイトを調べていたはずではないか?

スクリーンでは、2つの光の玉が巨大なミステリーサークルを作り出す像が流れていた。この業界では「オリバーズ・キャッスル映像」として知られているものだ。「あれを作ったのは僕です」とジョンが言った。実際そうなのだった。彼は1996年、他の2人の仲間とデジタル特殊効果の技術者と一緒にこれを制作したのだ。リックは明らかに感銘を受けたようすで、観客から漏れたかすかな驚きの声にも、彼がそんな反応をしても当然だろうと思わせるものがあった。

映画が終わった後、リックはそれほど驚いてはいないのだという風を装った。「まあ、全部知ってたさ」と彼は言いながら、シャツの隅でメガネを拭いていた。「ミステリーサークルが人の手で作られていることは知っていたよ。君たちに夢を壊されたわけじゃない! でも……どうやって作ったんだ?」

外に出た我々は、クロップサークルの作り方やUFOをデッチ上げる方法、デジタルを用いたトリックなどについて話した。そして、最近ではUFOのビデオが偽物かどうかを判断するのはほぼ不可能であり、奇妙な乗り物がクッキリ映っているほど本物である可能性は低いという、とても残念な状況が生まれているといったことも。

「それでですが」とジョンが尋ねた。「あなたが今朝見たエイリアンへのインタビュー映像、それは特殊効果の産物ではなかったと明言できますか?」

「うん、あれは本物だよ。」リックの顔に狡猾そうな表情が一瞬浮かんだ。そして彼は微笑んだ。「さあ、君たちもあの映像を見に行ったらどうだい。部屋は11012号室だ。ノックすれば入れてくれるかもしれないよ」

ジョンと私は顔を見合わせ、リックとは後でホテルのバーでまた会うことにしてから、笑顔を交わしてエレベーターへと向かった。エレベーターの中に入ると、急に緊張感が高まった。計画を立てるような時間はほとんどなかった。

「じゃあ、ドアをノックして『こんにちは。エイリアンの映像を見せてくれるのはここですか?』って言えばいいんだな。ロビーにいたら誰かが近づいてきてここで特別上映があるって教えてくれた、と言えばいい。最悪、追い払われるだけだ」

「ずっと僕たちのことを監視していたかもしれないよ」。そうジョンが言った。「リックと一緒にいたことは彼らも見ていたはずだ。リックに教えられたってことは分かってるだろう」

「でもどうすればいいっていうんだ?」。私は不安を隠そうとしつつ応えた。「ノックするしかないだろう……」

廊下には誰もいなかった。そして長かった。廊下は奥に行くにつれて、閉所恐怖症になるんじゃないかと思わせるほどすぼまって見えた。気がつけば、カーペットの上にはタイルが並ぶ柄が催眠術のように何度も繰り返され、頭上では蛍光灯が点滅していた。手のひらが汗ばんできた。

前方には「起こさないでください」という札がかかったドアが見えた。この廊下にはこのドアしかない。11012号室。何の変哲もない。私たちはドアの前に立ち、耳を澄ませた。静寂。私は深呼吸をしてノックした。反応なし。いつ「オールド・スティールの眼」をした男と彼の仲間たちが廊下を突進してくるか、気が気ではなかった。「もう一度ノックして」とジョンがささやいた。

私は再びノックした。返事はなかった。私は鍵穴から中を覗いた。電気は消えていた。誰もいなかった。ドアの下にメモを差し込むことも考えたが、代わりに「起こさないでください」の札を裏返していくことにした。名刺代わりということで。

我々は急いでエレベーターに向かい、これは一体何だったのだろうと考えた。また別のゲームなのだろうか? あの部屋は誰のものなのか? DIAの上映室だったのだろうか? それともリックの部屋だったのか?

ホテルのバーに戻り、瓶ビールを飲んだ。少なくとも私たちが挑戦してみたのは確かなことだ。

私たちの会議での一週間は終わろうとしていたが、頃合いはもうギリギリということのようだ。この間、我々はほとんどの時間をUFOやETについて話をすることに費やしていた。我々を現実につなぎ止めているロープは端の方でほつれ始めていた。あと一週間この状態が続いたら、我々はいとも簡単に大海に漂流することになっただろう。あまりにも長くUFOの魅惑的な輝きを見つめていると、そうなってしまうということなのだろうか? ビル・ライアンの身に起きつつあるのもそういうことではないのか? ポール・ベネウィッツの身に起きたのもそういうことではなかったのか? (12←13→14)

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久しぶりに天声人語ネタ。

今朝の天声人語は酷かった。批評に必要な範囲の引用は著作権法でも許されているので今回もその冒頭部を貼っておく。

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要するにイタリアに比べると日本はまだまだちゃんとした防災対策が出来ていないという話で、司令塔をちゃんと作って行政の縦割りもやめなさいという説教をしている。ああそうですかという話であるが問題はソコではない。

冒頭部を読んでいて、オレはこの箇所に引っかかった。

 私はその7年後、震災復興策の一環でできた高校で学ぶ機会を得た。

オレの知る限り「震災復興」という言葉が日本で一般化したのは阪神大震災以降のことである。阪神大震災があったのは1995年。しかしこの文章を読むと1976年の7年後というから1983年に「震災復興策の一環でできた高校」が存在していたことになる。

ん? どして? ここで5秒ほど考えた末にやっと疑問が解けた。そうかこの筆者は当時日本にいたわけではなくて、イタリアにいたのである。日本の新聞で日本語の文章を書いている記者なので基本的にはこの国で生まれ育った人間なのだろうというアタマでいたのだが、実はそうではなかった。たぶん筆者は帰国子女というヤツで、当時はイタリアの高校に通っていたのである。しかしこの人はその辺のことをハッキリ書かない。なのでオレも勘違いしてしまったのだ。

要するに、文章のイロハとしては、だからここで「自分はイタリアにおりました」という話をひと言しておけばよかった。そうすれば誤解される恐れはない。なのにそれをしなかったというのは「文章がヘタ」という風に言ってしまえばそれまでなのだが、要するにこの筆者は日本にフツーに住んでフツーに暮らしている人々への想像力が悲しいほどに欠落しているのだろう。

「イタリアで高校生活を送った人」というのは我々からするとちょっと変わった体験をしてきた人物と映るのだが、たぶんこの筆者のアタマの中では「まぁ天声人語書いてるような人間はそもそも国際派のエリートなんよ。別に私はイタリアの高校出ましたとかダサいこと書かんでもそれぐらい察しろよ」ということになっているのだろう。そしていわゆる「出羽守論法」を披瀝してしまうのである。

この辺がオレが常々言っている「朝日新聞のエリート趣味」の表れであって、若い頃から世界的な視野を養ってきたオレ様が何も知らんアホどもに説教してあげましょうとゆー傲岸不遜な態度が透けてみえる。

ついでに「出羽守論法」についてひと言いっとくと、そもそもイタリアと日本はその社会の成り立ちや現況なども違うワケで何でもかんでもイタリアみたいにできるハズがない。たまさかおまえさんがイタリアで高校生活を送ったからといってそんな説教をする権利を自動的に得たと思ったら大間違いなのである。(おわり)


【注記】なお、朝日新聞批判だというのでたまたま迷い込んできたが別にアカ批判もしとらんので拍子抜けしたという人がいるかもしらんので念のため書いておくが、オレは基本リベラルであって別に特別高等警察のように朝日の思想傾向を断罪しようとしているワケではない。オレが問題にしているのは朝日の紙面から漂う「わしらインテリが無知蒙昧な連中に啓蒙を施してあげよう」的な貴族趣味である。今はもうそういう時代ではないのである
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