2025年01月

■16章 政策の問題
    「国民の知る権利は、ロシア人の知る権利なのだ。ロシア人は、我々の新聞や雑誌、技術関係の刊行物を非常に注意深く読んでいる」
      ――CIA長官リチャード・ヘルムズ(1978年のデヴィッド・フロストによるインタビューで)


UFO神話の見取り図というのは複雑なもので、なおいくつかの部分は欠けたままだった。だが、その輪郭は徐々に姿を表しつつあった。1947年の夏、空飛ぶ円盤の目撃報告ウエーブが初めてアメリカの新聞に殺到した時点で、ライト・パターソンにいて事情に通じていた者たちは知っていた――真実の核心は見間違いや「ヒステリーめいた報道」の中に埋没しているということを。空飛ぶ円盤は「未来」にまつわるものなどではなかった。それは単に或る種の航空機を作る作業の中から生まれたもので、実際には何十年も前から存在していたのだ。航空技術諜報の研究開発チームは、ドイツが固定翼式で円形の航空機を作ることを少なくとも検討していたことは知っていたし、ロシアは既にそうしたものを作っていた可能性があることも知っていた。もっと言えば、彼らはアメリカ海軍が自前で「フライング・フラップジャック」を飛行させたことを知っていたかもしれない。

1950年代初頭までに、アメリカ空軍とCIAは秘匿すべき自前のUFO、すなわちU-2を手にしていたし、アブロ社が開発していたような新型の円盤型航空機の設計にも取り組んでいた。その10年後にはオックスカートやブルーバードが無人ドローンに護衛されながらほとんど宇宙空間に近い高度を飛行していたし、さらにその10年後にはステルス機がこっそりとデビューを果たしていた。仮に宇宙人の宇宙船が地球にやって来ていたとしても、そうした航空機がひしめいていた空の中から見つけ出すことは難しかっただろう。こうした冷戦期の秘密テクノロジーこそがUFO神話の骨組みを形作った。そこに肉付けをしたのは地上にいる人々の想像力であり、それを後押しし潤色したのはAFOSI(空軍特別調査局)やCIAといった、しばしば略語で言い表される諜報機関であった。

ジョンと私が組み上げていったストーリーは、最終的にビル・ムーアが公に告白を行った1989年の時点にまで我々を連れていった。しかし、UFOやそれにまつわる話はその後も途絶えることなく続いた。2006年11月7日にシカゴのオヘア空港で目撃されたUFOはメディアに大きな騒動を引き起こしたし、2008年1月にはテキサス州スティーブンビルでの一連の目撃事件が同様の興奮を生んだ。そして「セルポ計画」もあった。我々はこれを悪質な欺瞞工作だろうと疑っていたが、いまだ証拠を掴むには至っていなかった。我々としては、「ミラージュ・メン」は今なお活動しているのであって、UFOを巡る偽情報作戦というのは単に昔あったものというにとどまらず今もなお諜報機関にとって日常業務であることを証明する必要があった。

攻守が逆転し、私が標的になり始めたのはちょうどそうした頃合いだった。発端は、一見心配げな表情をしたリック・ドーティから転送されてきた匿名のメールだった。

「DIA(国防情報局)の高官である××(原注:実名は削除した)は、私に対して単刀直入にこう話してくれました。すなわち、英国人でフリーの映画製作者であるマーク・ピルキントンはMI6(英国の対外情報機関)の情報源である、というのです。彼は他の映画製作者をスパイするために使われ、現在はミステリーサークルに関する情報を英国情報機関に提供しているのです。彼は1998年10月以降、英国の情報機関から報酬を受け取っています……自分があなたの立場にいたら、自らの『友人の輪』にはよくよく気をつけるでしょう」

それから間もなくして、UFOの世界での知り合いが私に連絡を取ってきた。「念のため知らせておこう。誰からとは言えないが、君は英国の情報機関の人間だという警告を受けたよ...そういう話がいまアメリカ中に広まっているんだ、冗談抜きに」

UFOコミュニティと当局の間の関係は、それが最も良好な時であっても葛藤に満ちている。彼らは自国の政府がUFOに関する真実を隠していると信じているのだが、同時にその同じ政府がすべてを明らかにする黙示録的な瞬間――それを彼らは「情報開示」と呼んでいるわけだが――を熱烈に待ち望んでいる。その時、世界中の人々の目から鱗が落ちるのだ。『未知との遭遇』ですらお手軽なホームムービーに見えてくるような壮大な光のショーが展開される中、宇宙人が地球に降り立つ。そしてこれが最も重要なことなのだが、ユーフォロジストたちはそこに至るまでの間ずっと正しかったことが証明されるというのである。

軍や諜報機関の「インサイダー」になると、さらに話は複雑になる。UFOシーンには「地下基地」や「銀河間の条約」といった話で我々を楽しませてくれる内部告発者たちが満ちあふれており、彼らはその証拠だといって人目を引く文書を振りかざす。ビリーバーたちにしてみれば、こうした人々は明らかにユーフォロジーの側に立ってくれる者たちで、歓迎されるべき存在である。AFOSIを初めとする機関がそれと同じような文書を配っていることは20年前から広く知られてきたのだが、そのことはいまだ一般には浸透していないようだ。一方で、UFO現象というのは安全保障・国家機密・心理学・社会学・政治・民俗学といったものが複雑に絡み合ったもので、まれにしか起きないけれども真性の異常現象によって引き起こされているのでは――と示唆するインサイダーたちもいるのだが、彼らもまた明らかに隠蔽の一部に組み込まれている。

私自身のケースでいえば、私をMI6のエージェントだと名指しすることには、二つの目的があったのではないか。それは民間のUFOコミュニティの中に私に対する疑念をかきたてただろうし、そんなことがなければ私に話をする気になったかもしれない軍や諜報機関の関係者を躊躇させることにもなっただろう。世界の諜報機関はしばしば協力し合うものの、互いに警戒しあってもいる。機微にわたる情報を「外国人」に渡すことは、特にその者が諜報機関と関係がある場合、非常に危険な状況をもたらす可能性がある。同時に「リックは(あるいは別の誰かでもいいのだが)MI6がアメリカのUFO界にエージェントを送り込んでいることを確信している」ということになれば、「UFOのストーリーにはやはり何かがあるのだ」と思い込ませる効果があるかもしれない――結局のところ、それが何かを隠す煙幕に過ぎなかったのだとしても。おそらく彼らは、私がそんな風に考えるよう仕向けたかったのだろう。

あるいは、このMI6の話はリック自身が発したものだったのかもしれない。ジョンと私は、とても不可能だと思われたリック・ドーティとのインタビューを実現させた。しかも我々は、会えないとすら思われた彼と或る種の友人にもなっていた。しかし、我々が聞いたのは彼の言い分だけで、その話の一部が大げさであることを見抜くためには諜報の専門家の手を煩わせる必要もなかった。我々はリックが好きになったが、人々と親しくなってその信頼を得ることが彼のかつての仕事であったことも知っていた――それは彼自身が言っていたことなのだ。彼の話には信じられる部分もあったが、そうでない部分も多かった。となると我々は、単にリックがやってきた長い長いゲームにおける最新の犠牲者に過ぎなかったのだろうか?

「ビル・ムーアとリック・ドーティは共謀してMJ-12文書をデッチ上げた。それはおそらくは金儲けのため、そして不運続きで混乱状態にあったUFOコミュニティを騙すためだった」――そのような解釈がある。だがそれは通るまいと我々は考えた。ベネウィッツ事件、そしてその後のMJ-12文書のリリースが、AFOSIによって許可され実行されたより大がかりな偽情報プログラムの一環であったことは明らかだった。エアロジェット社でのリー・グラハムの調査や、後にFBIが行ったMJ-12文書に関する捜査は、明らかにこの機関の関与があったことを示していた。また、1970年代初頭にボブ・エメネガーがウィリアム・コールマン大佐と関わったことも、AFOSIが何十年とは言わぬまでも何年間かにわたってUFOシーンのはるか先を行っていたことを証明していた。

仮にジョンと私がAFOSIのUFO作戦のより新しい事例を発掘できれば、ポール・ベネウィッツに対してやったようなことが単なる一度きりのものでなく標準的な手法であって、さらには政策の一部であることを示すことができただろう。だが我々は、まさにこの調査が今や『ミラージュ・メン』の間に波紋を広げはじめていることも知っていた。時間は刻々と迫っていた。

■WHAT'S THE FREQUENCY DENNIS?

ニューメキシコ州ロズウェルは特に目立った特徴のない場所である。起伏がなく、殺風景で、相当に寂れていて、町の美人コンテストというようなものがあったとしてまず勝てる見込みはないだろうし、人気投票をしても優勝することなどありえない。牧畜地帯の奥深くに位置し、世界最大級のモッツァレラチーズの製造工場を抱えている以外、「これぞ」というものは一切ない。しかし、町というのは――それは人間も同じだが――自分で自分の運命を完全にコントロールすることはできない。実際にロズウェルはあまりにも衝撃的な事件に関わってしまったがために、人々が「かくあってほしい」と寄せる期待にこたえて存続していくようなことは不可能になってしまった。そして、仮にロズウェル事件が神話の語り部たちが語るようなものとして起こったとしても、その正確な場所は誰一人として知らない。少なくとも三つの場所が「公式なUFO墜落現場」という称号をめぐって相争っているのだ。

1947年夏に何が起こったのか。その場所はどこだったのか――そうした点についてはいまだ混乱が続いているが、にもかかわらずそうした事態がロズウェルをアメリカにおけるUFOの最重要地へと変じていくプロセスを押しとどめることはできなかった。ここでは地元銀行の看板も含めてあらゆるものが円盤型をしており、街灯は古びたプラスチック製のエイリアンの顔を乗せている。ロズウェルのUFOフェスティバルやパレード(最近では [ロックバンドの] 「ジェファーソン・スターシップ」が参加した)に訪れる観光客を迎えるため、街には数多くのモーテルがある。ファーストフード店も多く、そのいくつかは求人を出していた。若者の姿はあまり見られず、小洒落た「ロズウェル・カバーアップ・カフェ」のウェイトレスたちは爽やかな感じこそあったが結構な年配だった。通りに並ぶ建物は荒れていて、空港――そこはかつてUFOの残骸が保管されたという陸軍航空基地跡だった――へと向かう途中の住宅地はスラム街のような印象を与えた。

町が宇宙に轟く名声を得ていることを喜んでいない人々もいる。キリスト教系のカイロプラクターの事務所で話をした受付の女性は彼女の言うところの「UFOのくだらない話」について声高に不満を漏らした。彼女は墜落事件があったとされる日の数日後に生まれたが、1990年代初頭までそんな話は全然聞かなかったという。今では訪れた人たちのほとんどが彼女にUFOの話をする。強いて言えば軍が何らかの隠蔽を行った可能性はあるだろうが、それはエイリアンやUFOとは関係ないと彼女は言う。ただし、ロズウェルUFO博物館の人々にそういう話はしない。

この国際UFO博物館とリサーチセンターはかつて映画館だったメインストリートの建物を改装して設立されたのだが、この施設がロズウェルにおけるUFO熱を盛り立てるために少なくとも一定の役割を果たしたのは事実だ。この博物館は1991年に開館したが、これに取り組んだのは地元の開発業者マックス・リッテルと、ロズウェルにおけるUFOストーリーのキーマンともいえる二人の人物だった。一人はウォルター・ハウトで、「陸軍航空隊が空飛ぶ円盤を捕らえた」と報じるプレスリリースを作成した人物である。もう一人は地元の葬儀屋グレン・デニスで、彼は「墜落した乗り物に乗っていた何者かのために密封できる小ぶりな棺を準備するよう頼まれた」と主張してきた人物である。

その後、UFO研究者たちはデニスの話を細部まで検証し、あげつらったのだが、一方のハウトの役割は、彼がUFO博物館に関わるようになってからますます大きなものになったようだ。彼と事件との関わりは彼がプレス声明を書いたという紛れもない事実から始まったのだが、2007年に彼が死んだ後に宣誓供述書が公開されたことにより、それはより胡散臭いものに変じてしまった。その宣誓供述書には、自分は実際に死んだエイリアンと墜落した宇宙船を見たとあったからである。晩年のハウトは「エイリアンは地球に来ている」という考えについては曖昧で如何様にも取れることを言っていたから、死後のこの方向転換にはいささか当惑してしまう。より現実主義的な立場を取ってみれば、ここで問題になったのは「事実関係」というよりも「ビジネス」であったようにも見える。

それにもかかわらず、博物館自体は一見の価値がある。見どころとしては、ナチス時代の空飛ぶ円盤の模型ジオラマ、病院のセットの中に置かれた作りもののエイリアン(これは1994年のテレビドラマ「ロズウェル」に登場したものだ)がある。ハウトはこの人形を「ジュニア」と呼んでいたが、時折「実際の生きたエイリアン」という触れ込みでアップにした写真が出回ることがある――要するに、歴史上の出来事を適当に解釈して作ったフィクション映画の小道具が、「この事件は映画そのままに起こったものなのだ」という証拠にされてしまったわけだ。この認識上のねじれは、まるごとのUFO体験を象徴している完璧なメタファーである。

1997年5月、この博物館とロズウェルは町にとって至高の時――すなわちロズウェル事件50周年の記念日を間もなく迎えようとしていた。そしてその週末、何百人ものニュースクルーやジャーナリスト、何千人もの観光客は、ロズウェルをUFO世界の中心地へと変えた。その前年、長年UFOに関心を持ち、仕事をやめたばかりの構造エンジニア、デニス・バルサザーは、ロズウェルに引っ越してきて博物館で働き始めていた。彼はよく手入れされた白髪のヒゲにハゲ上がった頭という風体の人物で、頭は切れて人当たりも良く、いかにも誠実な中高年男性である。彼は妻のデビー、ペットのカメ9匹とともにロズウェルに住んでいるが、彼は転居以来、地元のUFOコミュニティにおいても、そして全国組織においても重要な地位を占めるメンバーになっていた。今から数年前に博物館の役員たちとはケンカ別れしたが、彼はそれ以降も毎年のUFOフェスティバルには関わっている。だが、1997年の狂騒に匹敵するような経験をしたことは今にいたるまでなかったという。

1997年5月下旬、緊張した様子の男が博物館に電話をかけてきて、こんな話をした。――自分の父親はがんで療養所に入り、余命幾ばくもない。これは直近で会いに行った時のことなのだが、父親は金属片の入った小箱を渡してきた。金属片の大きさは1ドルコイン(直径3インチ)ほど。その金属はクシャクシャに丸めても瞬時に元の形に戻ってしまい、まるで知性を持ったアルミホイルのようだった。これが何なのか尋ねたところ、父親は「自分は1947年当時、ロズウェル陸軍航空基地で軍警察官をしていたのだ」と言った。そして、「自分はUFOの残骸を片付ける手伝いをしていて砕け散った乗り物の小さな破片を拾ったのだが、そればかりか基地内の病院に歩いて向かう子供のようなエイリアンも目撃したのだ」とも言った。

臨終間際になってから博物館に告白をしてきたり、ことによってはUFOの破片を送りつけてきたりする人はそれまでいなかったわけではない。だが、この息子は誠実そうに思われた。デニス・バルサザーはオクラホマ州にいるこの男にはるばる会いに行くことにした。

デニスが出発する前にかわした最後の会話の中で、その息子は、家族の友人である退役情報将校にこの金属片のこと、そしてこれをデニスに渡すつもりだということを話したと言った。その将校は彼にUFOやETについて知っていることを二、三話したという。さらにその息子は、安全のためにその金属片は友人の家に預けているとも話した。こうした話を聞いてデニスは少し不安になったが、彼は自分が何をやっているか分かっているのだろうと思って、何も言わなかった。それから10日後に彼は旅に出た。

オクラホマのモーテルに着いたデニスは、息子の番号に電話をかけた。電話に出たのは女性で、「息子は急な用事で出かけており、翌日戻る予定だ」と言った。何やらおかしいと感じたデニスは電話帳で息子の名前を調べてみた。しかしその名前は載っていなかった。良くない予感がした。彼は息子に教えられた住所を確認し、その場所へ車で向かった。そこにあったのはトレーラーパークの中の一台のトレーラーだった。弁護士が住んでいるとは思えない場所だったが、そこでデニスは考えた。オレが見定めようとしている人間はいったい何者なのだ?

翌朝、デニスは息子に三度電話をかけたが、いつも留守番電話のメッセージだけが返ってきた。彼はモーテルの部屋番号を伝え、折り返し電話するようメッセージを残した。デニスは次第に胡散臭いものを感じ始めていた。

午後になって電話が鳴った。クリスティと名乗る女性が電話に出て、自分とエドという男性が一緒に行くので、午後7時にデニーズのレストランで落ち合おうと告げた。エドはダークスーツ、自分はライトグリーンのドレスを着ていくということだった。デニスは「先に着いたら禁煙席を取っておいてほしい」と頼まれた。

デニスは時間に間に合うようにデニーズに赴いた。ちょうど午後7時、先に言った通りの服装をした男女が店に入ってきて、自分たちはダラスのAFOSI(空軍特別調査局)から来た特別捜査官なのだと名乗った。彼らは、あなたはもともと会う予定だった人物とは会えないだろうと言った。次いで彼らは、その前日に息子のもとを訪れてUFOの金属片を引き取ったことを伝えた――ちなみにその物体は実際に彼が言っていたような挙動を示したという。さらに彼らは、ロズウェル博物館の電話は盗聴されており、彼が旅に出る5日前にはその予定を把握していたと告げた。

それからエドは、奇っ怪な話を幾つもデニスに話して聞かせた。ロズウェル事件は本当にあったのだということ。ETは実在しており、今も地球にいること。政府はその事実を世界に伝えたいのだが、そのためにどんな方法を取ればいいのか模索していること等々。またエドが言うには、これはロズウェルでの墜落事件の後日談だが、ETは位置情報を知らせるビーコンを砂漠に残しており、それは1960年代になって米政府によって発見されたのだという。このビーコンは73時間ごとに信号を発しており、CB無線の特定の周波数で受信できたということだった。またエドは自らの身分についてUFOの問題に特化した50人ほどのエージェントの一人なのだと語り、さらに彼の上司はCIAによって前の週に射殺されたとも言ったが、殺された理由は明らかではなかった。また、ロズウェルにはAFOSIのエージェントが3人、CIAの工作員が1人潜入しており、博物館にいるデニスとその同僚たちは、自分たちの話す内容、そして話をする相手には十分注意すべきだと警告した。彼は「何か大きなことが近々ロズウェルで起こる」とも言った。それは50周年記念のイベントののことではないな――デニスはそう思ったという。

3時間半後、エドとクリスティは立ち去ったが、後には非常に混乱し戸惑ったデニスが一人残された。注文したコーヒーを飲み干し、アイスクリームを食べ終わった彼はモーテルへと戻ったが、何から何まで意味がわからなかった。ハッキリ理解していたのは、自分が金属片を持ち帰ることはできなくなったということだけだった。

数日後、ロズウェルに戻ったデニスは、最後に一回だけということで再び息子に電話をかけてみた。今度はつながった。しかし、電話はすぐに先の2人とは違うAFOSIのエージェントに回された。無愛想でビジネスライクな態度からすると、そのエージェントがより上の位階の人物であることは明らかだった。話をした後で、エージェントは「自分の名前はチャールズだ」と名乗り、バージニア州のラングレー空軍基地に駐屯するAFOSIの一員であると告げた。チャールズは、これから金属片を持ち帰ってそれが何であるかを特定するつもりであり、こうしたことについては実績があると述べた。やりとりの最後に、チャールズは「UFO問題に関してアメリカ国民の税金は有効に使われているのだ」と主張した。それが彼から聞いた最後の言葉だった。その後、デニスは9月にもう一度オクラホマの男性に連絡を試みたが、不審な声が「間違い電話だ」と告げ、それで全ては終わった。

この話をどう考えればいいか。考え方は三つあるだろう。

その一。これは最も説得力を欠く説明であるが、すべてはデニス・バルサザーのでっち上げだというものである。確かにこれがスパイものもかくやという陰謀のただ中にデニスが登場するドラマティックでエキサイティングな物語であるのは確かだが、彼は何年間にもわたって同じストーリーを公の場で語り続けており、博物館でのかつての同僚たちから矛盾点の指摘があったわけでもない。しかも、その元同僚たちの中には彼とあからさまに仲違いしている人物もいるのだ。

その二。ロズウェルをめぐって盛り上がりをみせていた当時のメディアの狂騒の中で、何者かがロズウェル博物館、またはデニス・バルサザー個人に対して巧妙ないたずらを仕掛けた――というものである。その可能性は否定できない。いたずらとしては複雑で、数か月間にもわたって複数の人物が関与する必要があったわけだが、それだけに成功すれば仕掛け人たちの満足感は大きかったことだろう。多くの人が考えているのとは違って、いたずらというのは常に明確な目的を持っているとは限らず、それ自体が目的であったりする。UFOコミュニティは伝統的にこうした「お手軽なお遊び」を求める者たちにとって格好の餌食となっている。ここで、AFOSIや他の情報機関の悪辣なトリックスターたちが仕掛ける誤情報工作について考えてみてもよい。それは、それは特定の戦略的目的を念頭に置いているとはいえ、実際には多額の資金をかけて注意深く仕込まれたデッチ上げ工作といった形を取るのではないだろうか。

そして三つ目。荒唐無稽に思えるかもしれないが、バルサザーの話には真実味がある。ポール・ベネウィッツの身に起こったことと比較すれば、これはさほど突飛ではない。金属片は実際に存在したのだろうか? それはわからない。この作戦の目的が何であったのかも我々にはわからない。1997年当時の「Xファイル」の大人気を考えると、AFOSIのエージェントが男女ペアであったこと、彼らの上司がCIAに暗殺されたという陰謀めいた話などは、実にシャレていた。互いの機関同士の対立がそこまでエスカレートすることは現実の世界では考えにくいとしても、そうしたことはFBIのエージェントや宇宙人を題材にするテレビ番組ではまさしく起こり得ることなのだ。

さらに真実味を帯びているのは、AFOSIのエージェントが指定した待合場所だ。スパイの基本原則によれば、接触者と会う場所としては公の場が適しており、特に人の多い野外が良いとされている。隠しマイクやその他の監視機器を仕掛けられる可能性が低いからである。そもそも「デニーズ」はUFOの世界のインサイダーに人気のある場所のようだ。リック・ドーティがグレッグ・ビショップとのインタビューの場所に選んだのは「デニーズ」だったし、1980年にドーティとファルコンが初めてビル・ムーアに会ったのも「デニーズ」だった節がある。エドというAFOSIのエージェントがETやUFOについて語った内容というのも、そう、これまで我々がこれまで何度も耳にしたことのあるシロモノだ。もっとも追跡用ビーコンの話は新しいもので、これはまだあまり広まっていないようではあるが。

では、なぜアメリカ空軍はロズウェル事件を宣伝する必要があったのか? 大胆に推測してみよう。1990年代後半には、ロズウェルはアメリカのUFO神話の中心的な柱となっていた。もしロズウェルが崩れれば、空軍やその他の組織がUFO関連の作戦を展開している土台もが丸ごと崩壊してしまう可能性があったのだ。

しかし、AFOSIがUFO愛好家に伝える内容と、一般の世界に伝える内容とは必ずしも一致しない。3年前、空軍はロズウェル事件に関する1000ページに及ぶ報告書を発表した。その筆者は、空軍特別プログラムの元担当者であり、AFOSIの大佐でもあったリチャード・ウィーバーで、彼はリック・ドーティの元上司でもあった。この報告書では、当時極秘だった「モーグル気球説」が最終的な結論として提示されていた。しかし、ウィーバー自身が添付したステートメントで予言した通り、UFO関係の圧力団体はこの報告書を一蹴した。結果、第二の報告書「ロズウェル報告:事件は解決された」が作成されることとなったが、この報告書では、目撃者が語ったエイリアンというのは墜落実験で用いられたダミー人形の記憶が混同されたものであると説明されていた。この第二の報告書は1997年6月に公開されたが、これはバルサザーがAFOSIのエージェントと称する人物と会った数週間前のことだった。

かくして、我々はこんな印象を抱くに至る――アメリカ空軍は2つのチャンネルを活用しているのではないか。1つのチャンネルは一般大衆向け、つまりエイリアンの話に対する予防注射が効いている人々向けである。彼らは、物見遊山でロズウェルに来て博物館を訪れるぐらいのことはあっても、ロズウェルのUFO話をあまり真剣に受け取らないよう仕込まれる。もう一つのチャンネルは既にUFOウイルスに感染している者向けであり、これらの「治療不能」な人々は、時折その信念を刺激するようなネタが与えられる。おそらくそれは、情報機関の工作で必要とされる時が来るまで、その物語を温存してもらおうということなのだろう。そうした人々の名前を我々は知っている。サイラス・ニュートン。オラボ・フォンテス。ボブ・エメネガー。ポール・ベネウィッツ。ウィリアム・ムーア。リンダ・モールトン・ハウ。ビル・ライアン。デニス・バルサザー。しかしこれで終わりではない。それ以外にももっともっと多くの人々がいることは言うまでもない。


■ウォルター・ボズリーの秘密の生活

ウォルター・ボズリーは体格が良く陽気で社交的な40代の男性である。彼は一目で親しみを感じさせるタイプで、コミックやゲームセンターの経営者だと思われてもおかしくないようなキャラクターだ。腰まで届くほど髪を伸ばし、ウルトラ級のオタクといった雰囲気を漂わせているから、RPGの「ダンジョン&ドラゴンズ」のシナリオに出てくる完璧なダンジョンマスターもさながらという感じなのだが、それもむべなるかなである。というのも彼は、趣味の一環としてカリフォルニアの砂漠で「地球内部の空洞」への入り口を探すことに大いに時間を費やしているからだ。ウォルトは――彼はそう呼ばれるのを好むのだ――時代がかった大衆ファンタジー小説やSFをペンネームで執筆しているほか、カリフォルニアのディズニーランドにおけるフリーメーソンの象徴に関するノンフィクションも書いている。我々がウォルトに会ったのは、とめどもなく拡大していくロサンゼルスに吸収されてしまった或る町であったが、彼の仕事は思ったよりも日常的なもので、エドワーズ空軍基地と契約を結ぼうとする業者のセキュリティチェックをすることだった。彼はFBIとAFOSI(空軍特別調査局)で10年ほど勤務した経験を持っており、今の職はその信用が認められて就いたポジションだった。

ウォルトは子供の頃に強烈な体外離脱体験をしており、それ故に彼は、今ここにある世界を超えた世界というものは実在するのだと確信していた。そうした感覚は青年時代もずっと消えずに続き、彼は幽霊やUFOをはじめ、現実の周縁に存在するものについての話を貪欲に読み続けた。彼は数年間ウェストバージニア州に住んでいたことがあるが、その時期、当地でジョン・キールが著作『モスマンの黙示』に記した奇妙な現象が起こったこともそうした傾向を助長した。こうした発達期にあって彼の導き手となったのは、生涯FBIに奉職し続けた一人の親類で、好奇心旺盛なこの若者に「UFOの真実を知りたいのであればFBIに入るべきだ」と語ったのはこの人物だった。何としてもFBIに入ろうと考えたウォルトは、ジャーナリズムの学位を取得後、1988年にFBIへの入局を果たした。ウォルトはFBIで5年間働いたが、その間にロシア語を学び、監視任務の専門家として訓練を受け、物理的手段や電話を介した監視業務に取り組んだ。

1993年、ウォルトは転職してAFOSIの特別捜査官となり、ライト・パターソン空軍基地で勤務した。彼は第18格納庫の秘密について知ることを期待していたというが、彼は「仮にETのテクノロジーがかつてライト・パターソンにあったとしても、今はもうそこにはないだろう」といささか残念そうに語った。ウォルトはライト・パターソンの対スパイ部門の責任者を務めたが、彼が監視対象としたのはもう一つのUFO、すなわち「未確認の外国人スパイ Unidentified Foreign Operatives」だった。彼の履歴書によれば、ウォルトは「国家レベルで指示されたミッションを果たすべく、FBIやCIAと協力しつつ国際的な場で二重スパイ作戦を管理、設計、実行した」とのことであった。

職務に関するこの短い記述からでも多くのことが読み取れる。まず、リック・ドーティが自分勝手な行動を取っていた工作員だったという考えは排除される。AFOSIの対スパイプロジェクトが上部から指示され、国レベルで運営されていることは明らかである。ウォルトが訓練を受けている間に、カートランドのAFOSIがポール・ベネウィッツやUFOコミュニティに対して行った作戦が話に上ったことがあるかどうかを尋ねると、ウォルトはそういうことが実際にあったのを覚えていた――もっともそれは、「やってはいけないこと」の事例としてであったという。ウォルトの履歴書から分かることはまだある。AFOSIはCIAやFBIと協力して作戦を行っていたという部分で、これは「NSAはベネウィッツへの工作に関与していた」というリック・ドーティの話を補強するかたちになっている。ウォルト自身もFBIでの対諜報活動からAFOSIで似たような仕事に転じるにあたってはスムーズな移行を果たしており、これはこうした機関が行う仕事には互いに重なりあう部分があることを示唆している。

ウォルトは、自分がFBIからライト・パターソン基地のAFOSIに移ったのは、UFOをめぐる状況が本当はどうなっているかを知ろうとしたのが一つの理由だったと認めている。そして、ある意味、彼はその答えを得た。FBIでもAFOSIでも、超常現象に対して興味を持っている人間は自分だけではないことをウォルトは知った。大規模な組織であるこうした機関は、より大きな社会の縮図である――むろん訓練制度や装備がよそより充実しているのは確かではあるが(ただし必ずしも給料が良いわけではない)。あらゆる社会と同じように、様々な宗教的信念を持つ者はかなりいるし、そうした中でもUFOやミステリーに夢中になる者はとりわけ目立っているのだ。

リック・ドーティとは異なり、ウォルトは「レッド・ブック」や「イエロー・ブック」――政府の金庫に秘匿されているというET情報のことだ――を垣間見ることはなかった。彼がUFOに関する情報を得た方法はもっと微妙なものであった。秘密情報を収集する組織の要員であればさもありなんという話なのだが、奇妙なものに興味をもっている人物がいると知れば、「彼ら」は向こうからあなたを見つけ出してくれる。ウォルトは我々にこう語った。「こんな感じだよ――カフェテリアにいると誰かが横に座って話しかけてくる。『やあ。UFOがどこから来たか知ってるかい? 地球の空洞からだよ。さもなくば南極か、あるいは……』みたいにね」

ウォルトが聞いた話の多くは、遊び場で耳にする「友達の友達がこう言っていたよ」といったたぐいの話ではあったが、諜報の世界にいるということは、すなわち世界で最もエキサイティングと言えそうな遊び場にいるということだ。そこにいる友人は知られざる世界で本当は何が起こっているのかを知っていてもおかしくはないのだ。仮にその情報が二次的、三次的なものであっても、いざという時には危機を脱するため頼ることになるかもしれないような人物から聞いた内部情報は、インターネットから無作為に引っ張り出した情報とは比較にならないほどの価値をもっている。

軍や諜報機関内部のネットワークにはこうした根っからの信頼関係があるわけだが、それこそがUFOの神話が長い間掣肘されることもなく、こうした世界で生き延び繁栄してきた理由である。アポロ宇宙飛行士のエド・ミッチェルが、自ら見たことはなくても「UFOや地球外生命体が地球を訪れていることを知っている」と公言することができるのはそういう理由であり、そんな彼に皆が耳を傾けようとする。ウォルトもエド・ミッチェルも「ETは来ている」と彼らに教えた人々を信頼しているのであって、インサイダーであれば彼らを信じることになる。

ライト・パターソン、そしてAFOSIにおいて、ウォルトがUFOのストーリーに抱く思いは強固なものになっていったが、その時点ではウォルト自身も特殊捜査官としてその種の話を流布させる手助けをするようになっていた。ただしAFOSI はUFOをテーマにした作戦にかかりっきりだったわけではなく、それはウォルトが担当していた多くのプロジェクトの一つに過ぎなかった。もっともそれは広範な防諜プログラムの一部として認知されたカテゴリーだったし、その内容に興味を抱くウォルトにとっておあつらえ向きのものではあった。

自分が何をしていたのかについては、ウォルトは正確なところは教えてくれなかった。ただ、彼がしていたのは、ある極秘の航空機について、それが存在していることを知ってはならない人間に目撃されてしまった時であっても、その存在を隠し通すことだったという。そして「知ってはならない人間」というのは実はあらゆる人間であって、ウォルト自身もその例外ではなかった。彼自身もその航空機が何であるかは知らなかった。彼の任務というのは監視を怠ることなく、目撃者が「これは地球外のものだ」と信じるよう仕向けることだった。

このような状況が2年間ほど続いた後、ウォルターは限界に達した――自分が何を隠しているのか知らねばならないと思ったのである。彼は空軍の連絡調整官に「その航空機を見せてもらえるか」と尋ね、それは自分の仕事をより効果的に行う助けになると主張した。何本か電話をかけて、ウォルトの職務記録には一点の曇りもないことが確認されたようだった。数日後、彼のところに電話がかかってきた。その航空機を見ることができるというのだ。指定された日時と場所が告げられた。彼はまた別の工作員と会うことになった。指定されたのは真夜中、辺りに何もない場所だった。

その日に、ウォルトは夜の闇に車を走らせた。約束の場所には空軍のジープが暗闇の中で待っていた。ウォルトは車を停め、外に出てからジープの運転手に挨拶をした。

「飛行機はいつ来るんだ?」とウォルトは尋ねた。 「もう来てるよ」と運転手は答えた。「上を見ろ」

ウォルトは上を見たが、夜空の星明かりしか見えなかった。辺りは静かで、彼らが交わす会話と遠くを走る車の音以外には何も聞こえなかった。 「何も見えないんだが」。ウォルターは困惑して言った。「どこを見ればいいんだ?」
 「上を見ろ」と運転手は言った。

ウォルトは上を見た。しかし、何も見えなかった。彼はからかわれたのだと思った。メッセージは明らかだった――お前が見てはいけないものを見ることはできないのだ。戻らねばならない時間になった。 

「そうだ、ちょっと待て」と運転手が言った。「これを君に渡すのを忘れていた」。 彼はウォルトにゴーグルを手渡した。ウォルトはそれを着けた。 「さあ、上を見てみろ。」 ウォルトは上を見た。 「なんてこった!」

こう話す時のウォルトは、そのとき自らの体内を駆け巡ったアドレナリンの高まりを再度味わっているようで、ほとんど地面に倒れ伏しそうだった。

「それ」はいた。それは低空に浮かんでいて、手が届きそうな気がした。完全に無音で、目視では絶対に見えない。そして、完全に気違いじみていた。

ウォルトはそのとき心に浮かんだのはただ一つ、こんな思いだったという。「今まで目にしてきたものの中でこれが一番クールだ……」

それから何年経っても、ウォルトはその光景を思い出すと興奮して心がざわついたという。もちろん、その詳細については彼は何も話せないというのだったが。

「それで、どんな風に見えたんだ?」と私は尋ねた。
「おいおい、言えるわけがないだろう。それに、言うつもりもない」 
「三角形だったの? 球体? 楕円形? 四角形? ブーメラン形?」 
「驚くべきものだったということ以外、何も言えないな。仮に言いたくても、上手く説明できるかどうかもわからない。あれが何だったのか、誰もちゃんとした事は言えないと思う。ただ、我々の頭上にはとんでもないものが飛んでいるってことは信じてほしい。そして、その中には我々のものではないものがあると思う……」

「ちょっと待って」と私は口をはさんだ。「『我々のものではない』ってどういう意味?」
「つまり、そのテクノロジーは我々のものではないということだ。人間のものではない……少なくとも、我々のような人間のものではない」

私はもうちょっと情報が取れないかとさらに一押しした。奇妙な話が始まる予感にめまいがしそうだった。 「ええと、どれだけ奇妙な話をしてもいいのかい?」とウォルトは尋ねた。何だか大げさなことを言うなと私は思った。「必要ならどんなに奇妙でも構やしない」と私は答えた。ウォルトは突拍子もない話を始めた。

 「まあ、これは空軍で一緒に働いていた連中から聞いた話なんだけど……彼ら、つまりUFOを持っている者たちというのは、正確にはエイリアンではないんだ……まあ、中にはエイリアンもいるんだが……ただ我々が相手にしているのは……彼らは『我々』なんだ……彼らは『人間』なんだ……ただし別の星系、シリウスから来た人間で……彼らはタイムトラベラーなんだ……それで、この惑星に生命を植え付けたのは彼らだったんだ…」

なるほど。そういう話は以前に聞いたことがあったから、受けとめることができた。タイムトラベルがある世界にひとたび飛び込んでしまえば、タイムトラベルのシナリオは理にかなっている。それは「UFOに人間に似た搭乗者が乗っていた」という報告を説明できるだろう。それは同時に、彼らが圧倒的に優れたテクノロジーを持ちながら、いまだに我々を地球上から消し去っていない理由をも説明できる。なぜなら、彼らにとっての我々は、祖先、曾祖父母、あるいはさらにその先の祖先であり、我々がいなければ彼らは存在できなくなるからである。また、政府がUFOの真実を隠したがる理由もこれで説明がつく――もし自分たちが歴史を変えることができると知ったら、あるいは敵がそうできると知ったら、統治者にのしかかってくる圧力は如何ほどのものになるだろうか。

ウォルトの奇妙な話に、私は安心し始めていた。実際、これはそれなりに論理は通っている。私も折り合っていける考えだと思った。「そして、これはナチスとも関係があるんだ」と彼は言った。

後ろでジョンがため息をついた。気がつけば、私もウォルトをいぶかしげに見ていた。ぽかんと空いた口から空気が流れ込んでくるのがわかった。「変な話になるとは言っておいたよね?」。彼は決まり悪そうに言った。「正直言うと、どこでどういう関係があるのか正確にはわからない。だけど、ナチスが……ええと、何かしら関わっている……それで、彼らは地下に住んでいるんだと思う……」

「わかったよ」とジョンが遮った。「もう十分だ、ウォルト。これでインタビューは終わりにしよう」。

「変な話過ぎたかな?」とウォルトは尋ねた。「いいや、でももう十分な話は聞けたから……」
「変な話が過ぎたんだな、悪かった。たまにこうなるんだよ。この話は変なことだらけだからさ……」

我々は夕食を取るために地元のダイナー(ちなみに「デニーズ」ではなかった)に行った。ウォルトは我々に9月11日の攻撃に関する当局がしている説明には疑念があると語った。「政府の仕組みについて知れば知るほど、ますますこの件が狂ったものに見えてくるんだ」と彼は言った。

そして、彼の言うことは実際正しいのだ。リック・ドーティの件で我々はそれを目の当たりにしたし、それはウォルトに関しても同じだった。ボブ・エメネガーや他の内部通報者と称する者たちの話でも同様のことは語られてきた。ニュースソースに近づくほど話は奇妙になり、人はその奇妙さに感染しやすくなり、他者にも感染させやすくなる。「UFOは精神病だ」とジョン・キールはかつて言った。キールは正しかった。UFOは病的なもので、非常に伝染しやすいのである。

このような素材に触れていると、たとえ自分がその一部をデッチ上げていると知っていたとしても、人は深層心理に影響を受け、不安定になり、ほとんど可能性のないことでも信じやすくなり、信号と雑音を区別できなくなるのではないだろうか。ウォルトやリックに起こったのはこういうことではないのか? そしてそれはジョンや私にも起こる可能性があるのだろうか?

『CIAと諜報というカルト The CIA and the Cult of Intelligence』という書籍の中で、ヴィクター・マルケッティとジョン・マークスは、特殊作戦に従事する工作員にとって特に深刻となる「情緒的愛着」の問題について論じている。彼らは、中国からチベットという国を取り戻すという目撃で、1950年代後半、ダライ・ラマに忠誠を誓うチベット人を訓練したチームについて記述している――ちなみにこのミッションはそもそも絶望的なもので、多くの死者をもたらした。その後、CIAで訓練に当たっていた者たちの中からは、彼らが訓練していた相手の祈りや信念を自ら取り入れるようになった者も出てきた。同書によれば、情緒的愛着というのはとりわけ特殊作戦の分野で顕著であり、従事する将官たちは「帰属と信仰とを希求する深い心理的な欲求を持つ。こういった心理的欲求は、同時に自らが進んで引き受けた苦難・危機的状況と結びついた時、度外れた大義を奉じて不可能な目標を追い求める方向へと彼らを追いやってしまいがちだ」 

こんな風にして事は起こっているのではないか? UFOだとか、「外宇宙からの救世主」「テクノロジー的な天使」「未来からタイムトラベルでやってきた人たち」だとかいった観念にはあまりにも深く人の心を打つ何かがある。であるが故に、UFOと関わりをもった者は最終的には一人残らず「感染」をさせられてしまうのではないか? 向こう側にいる「何者か」は我々を救ってくれる――あるいはその「何者か」は少なくとも地上の生命が織りなす永遠の混乱を生き延びていけるという希望を我々に与えてくれる。我々はそう信じないではいられないということなのだろうか? 

UFO神話の根底に在るのは「常識」と「パラドクシカルな馬鹿馬鹿しさ」の対立である。これはすなわち認知的不協和であるわけだが、それがあまりにも強力で、我々のあまりに深いレベルにまで語りかけてくるので、UFO神話は人の魂に直結するルートを開いてしまう。政府はこういう事態から人々を守ろうとしているのではないか? 仮に明確な答えを持っていないということだとしても、政府が常に「ノー」と言わねばならないのは何故なのか? その素材があまりにも有害なものだからではないのだろうか?

私は「然り」と言いたい。そして、リック・ドーティやウォルター・ボズリーのような「感染者」が権力の中枢に入ったりすると、そうした感染の拡大、つまりはETウイルスの拡大をもたらしてしまう可能性は十分にある(実際に彼らはそうした行動を取った)。そこから感染が危険な状態に広がってしまうまでに、さほどの時間は要しない。(17←18→19

mixiチェック

在野のUFO研究家でオレなども若干おつきあいのある小山田浩史先生から、このほど妖怪マニア界隈の方々が作っている同人誌「南瓜」(亀山書店)のご恵投を頂いた。この雑誌には小山田先生が「南米円盤魔界紀行 エンバウーラの章」なるUFOエッセイ――というか論考を寄せており、「アンタもこれ読んでちったぁ勉強せいや」ということかとは思うけれども(笑)ともかくありがたやということで早速拝読させて頂いた。まぁ何かお返しがしたいところだが実際は何もできん。ここはご厚意にこたえるべくせめて感想文でも書いて僅かなりとも恩返しができれば……ということで今このエントリーを書いている。

04

小山田先生のことを知らん人のためにココで簡単な紹介をしておこう。この方はもともと民俗学・文化人類学が専門で大学院にまで行ったというインテリである。ウワサでは大学でUFOをテーマにした論文を書こうとして指導教官にうしろから羽交い締めにされて止められたという武勇伝があるらしく、要するに筋金入りのUFO者。生業は別におありのようだが、ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)という民間団体のメンバーとして『UFO事件クロニクル』(彩図社)といった本に怪事件の紹介記事を書いてたり、あるいはNHKの「幻解!超常ファイル」で栗山千明様にジャック・ヴァレについて講義するという輝かしい経歴(笑)もお持ちである。

ちなみに小山田先生のスタンスはフツーのUFO研究家とは若干違う。先のASIOSのメンバー紹介のページをみると「大学・大学院で民俗学・文化人類学を学んだことにより超常現象を『「ある/ない(いる/いない)』だけでとらえず、人間や社会にとってどのような意味があるのかといったことまで含めて眺めて楽しむ視点を得た」とある。コレをオレ流にいいかえると、小山田先生は「UFOの正体は何か」といった問題はひとまず脇に置き、むしろ「そのような現象を体験し報告してきた人間とはいったい如何なる存在なのか」といった問題意識からUFOにまつわる出来事を捉え直そうとしているのだろう。

こういうアプローチは「UFO肯定派と否定派がゲキトツ!」みたいなテレビ番組でよくみる安直なフォーマットからは外れているが故になかなか理解されにくいとは思うのだが、これはUFO現象というのは畢竟一種の宗教類似現象なのではないかと考えているオレにとってもとても共感できる。そういう意味で、小山田先生にはフレイザーの『金枝篇』のUFOバージョンみたいな大きな仕事をいつかまとめていただきたいものだとオレは常々思っているのだった。



というワケでずいぶん前振りが長くなってしまったが、今回の眼目はあくまでも小山田先生の書いた「南米円盤魔界紀行 エンバウーラの章」の紹介である。で、ひと言でいうとコレは「日本でも通称エンバウーラ事件としてそこそこ知られているUFO事件をめぐるナゾ解きのおはなし」ということになる。どういうことかというと、小山田先生によれば、この事件についてはかねてより大きなナゾがあった。同じ事件のハズなのに、日本で流布してるおはなしにはワールドワイドに広まっている情報と齟齬をきたしている部分がある。「一体それは何故なのか」といったところを名探偵・小山田は追っていく。

具体的にいえば、ここで俎上に上げられているエンバウーラ事件について国内で流通しているストーリーというのは以下のようなものだ。



1969年2月6日の朝、ブラジルのピラスヌンガ市でティアゴ・マチャドなる19歳の青年は遠くに降下していく物体に気づき、近くまで行ってみた。すると着陸した物体からは宇宙服にヘルメット姿の「宇宙人」が出現。いろいろやりとりもあったようだが、この小柄な宇宙人は「エンバウーラ!」と叫んでからマチャド青年を光線銃で銃撃。あわれマチャド青年は気を失ってしまった――。


ナゾの宇宙語(?)である「エンバウーラ」という言葉がなかなかに印象的である。であるが故にこの事件は「エンバウーラ事件」という戒名をつけられたのだが、さて、実はココで困った事態が生じてしまう。肝心かなめの「エンバウーラと叫んでから撃った」というパートであるが、改めて調べてみるとどの海外文献を漁ってみてもそんな話は全然出てこない。となると、この事件を日本に紹介した人物の捏造が疑われる。その人物の名は超常現象モノで知られたライターの中岡俊哉! やはりコレは怪人物・中岡のやらかしなのか? と、そこに急遽もうひとつの「エンバウーラ事件」が浮上し……!?

……とまぁこんな感じでナゾ解きは進んでいくワケであるが、ネタバレになってしまいますのでここから先は現物をどうにかして入手してお読みください。


で、結論を秘したままでイロイロ言ってもよくわからんとは思うのだが、コレ読んでオレが感じたのは日本のユーフォロジーの後進性みたいなものである。

要するに、日本においてUFOというネタはもともと中岡とか黒沼健みたいな怪奇作家やライターといった人種が先導して移入してきたものである(むろん研究家という人種もいたが社会的影響力でいえばあまりにも微力だったろう)。いやもちろん本場アメリカでも雑誌屋のレイモンド・パーマーあたりが「面白い読みもの」という文脈で最初期のUFO話の流布に尽力したという事実というのはあるのだが、単なる面白ネタを超えた問題として軍部だとか科学者とかがやがてこの界隈にクビを突っ込んでいったのもまた事実。比較すると、どうしても日本では「面白ければヨシ」の風潮がなかなか抜けない。だったら筆の立つ読みものライターが主戦場に出るし、テレビでもバラエティ番組のネタとして消費される。イロイロと問題が起こる。そういうことではないのだろうか。

とまぁ別に小山田先生がそんなことを言いたかったワケでもないとは思うけれども、今回の論考からもUFOをめぐるあれやこれやを考えさせていただいた。それと、どうやら先生は今回ポルトガル語の文献なども入手してイロイロと調査をされたようであり、そういう真摯な姿勢は我々も見習いたいものである。次回作も頑張ってください。(おわり)

mixiチェック

246


ガテン系B級グルメの雄「ラーメン二郎」というと一種独特の注文方法とか作法があるせいで何だか苦手である。従ってああいうのが食いたくなると二郎流の「鉄の掟」がいくぶんか緩い「二郎インスパイア系」「二郎クローン系」というような類似店舗に向かうことになる。

そういうインスパイア系の一つとして、むかし「ラーメン バリ男」の日本橋店があった頃にはソコが今は辞めた勤め先に比較的近かったのでたびたび通ったものであるが、そこもいつの間にか閉店してしまった。その代替という感じでたまに行くようになったのが東京駅地下街にできた「ラーメン豚山」である。チェーン店は各所にあるようだが、ココはラーメン屋が建ち並ぶ一角にあって昼の前後にはひときわ長い行列のできる人気店だ。

むろん「野菜マシマシで」みたいなジャーゴンはココでも飛び交っているのだがカウンターの前に注文方法のガイドみたいなのが貼ってあったりしてソコは初心者にも比較的フレンドリーである。

着丼するや否や太めの麺をワシワシガツガツ食らうのはいつもの通りだが、それでもだんだん年を取るにつれこういう脂っこいラーメンはあんまり食えなくなってきた。それはそれでたまに行くと「一期一会だよなあ」という感慨がにじんできたりするのでソコは頑張ってワシワシガツガツと食う。そういうのも、ま、悪くはない。次はいつ来られるのかな――などと考えつつ辞去。

PS 最近は天候不順とかでキャベツひと球が400円超とかになっているようで、そのせいか今回は若干キャベツの量が絞り込まれてモヤシでカバーされているような気がした。商売もなかなかタイヘンである。



mixiチェック

 あけおめことよろ。
465724

 そして
1

mixiチェック

↑このページのトップヘ