天声人語子が、けさの新聞で珍しく自己批判をしている。大変けっこうなことである。こういう話である。

わが身の不明を恥じている。以前、電車の中で化粧をする女性がいつごろ出現したのかについて触れた。20年ほど前の本紙に、近ごろ多いとの投書が載っていると報告した。それどころではなかった▼驚いたことに、1935年6月の本紙にあった。電車や人混みで顔をはたき口紅を塗る女性をよく見かけるが、感心しない、人の見ない場所でしなさい、と。実は戦前すでに珍しいことではなく、年長者は眉をひそめていたらしい▼お年寄りや重い荷物を持った人に電車の席を譲ろうとしない青年をとがめる文章もある。眠るふりをしたり、読んだ新聞に再び目を落としたりという描写は今日でも通用しそうである。37年4月の本紙だ

で、読み進めると、じつはコレ、よそ様から指摘を受けて気づいたらしいのだな。以下はその続きであるが、つまり本を読んで気づいた、というハナシである。

▼こうした事例を集めて一冊の本ができた。コピーライターの大倉幸宏(ゆきひろ)さん(41)による『「昔はよかった」と言うけれど』。現代日本のモラルの低下を憂える声に疑問をもった。戦前はこんなではなかったって本当か、と。5年かけて材料を集めた▼古きよき時代を懐かしみ、今時の若い者を嘆く。人の世の歴史はその繰り返しだろう。昔はよかったとは往々、印象論か個人的な感慨にとどまる。過去への幻想や錯覚をもとに「取り戻せ」と唱える危うさを、大倉さんの本は指し示す

なるほと、これまでにも管賀江留郎『戦前の少年犯罪』とか、「むかしは良かった」というジジイの思いこみを吹っ飛ばす好著はあったわけだが、またその手の本が出たのだな。よろしい。ただし、このあとのシメの部分がいかにも天声人語調である。こんな調子である。

▼小中学校の道徳教育を教科に格上げするという。文科省の懇談会が案をまとめた。政権の悲願だ。何をどう教えるか。かつての修身はよかった、戦後教育の罪は大きいという、ありがちな発想に陥ることのないよう願う。

でもね、よくよく考えると、「昔は良かった、今は良くない」っツーのは、「戦後民主主義は良かった、今はどんどん悪い方向に向かっている」ッて朝日新聞がさんざん煽ってきたストーリーとまったく同型ではないのか。もちろん右翼の皆さんが「道徳教育だっ!」とか叫ぶのはアナクロで、「成果」は全然上がらんのは目に見えているから結論としてはまぁそんなに外していないんだが、でも「お前が言うか!」という気はするぞ。

が、であればこそ、今回の「反省」がホンモノであるかどうかを、ワレワレとしてはじっくり見届けていきたいものである。「朝日史観」がホントーだったのかどうか、日々検証を重ねて反省をしていって欲しい、みたいな。