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たまたま今朝の朝日新聞の投書欄を読んでいたら、例の東京五輪誘致のスピーチの中で、滝川クリステルが「お・も・て・な・し」といってから合掌したのを「あれ何かヘンじゃね? いまどきの日本人、合掌なんて〈いただきます〉のときしかせんだろう日常生活じゃ」的な指摘をしている人がいた。

なるほど、確かにオレもあれは何かヘンだなーと思っていたのだった。

つまり、「日本人にはよそからマレビトを歓待しようという精神がビルトインされているのだよ」という売り込み方は、まぁそういうのはアリかもしれないと思うのだが、「合掌スル」というのは、なんつーか、もうひとつランク上の「心から有り難いと思う・感謝したい・場合によっては平伏してでも」というニュアンスがある。

「遠いところからよう来なさったなぁ、ゆっくり休んでケレ」みたいなホスピタリティがあるからといって、別に「ありがたやありがたや、あぁもったいなや」みたいに客人に崇敬の念を抱いているワケではないのである。

つまりだな、あのスピーチというのは、その辺の日本人の心情の機微みたいなものがわからない外国人に、「あぁそうか、日本人のおもてなしの精神というのは宗教倫理的な根っこをもっていて、だから合掌というかたちでそういう気持ちを表しているのネ、日本人というのはホント敬虔な人たちなのであるなぁいいなぁ」と誤解させる狙いがあったのではないか。

いや、ここで「誤解」と書いたが、たしかあのスピーチはプレゼン対策に雇った英国人だか何だかに書いてもらったという話もあるので、そのスピーチライターが「日本人ノおもてなしスピリットの象徴っていったら合掌じゃネ?」とか、なんかタイあたりの光景と日本をごちゃまぜにして完全にトンチンカンなことを考えてしまい、ああいう振り付けを指導していた可能性もあるぞ。

ま。その辺の真相はよくわからんけれども、改めて考えてみるに、滝川クリステルだか猪瀬直樹だか知らんが、そういうスピーチの構成には当然日本人の一行もチェックを入れている筈なのだが、誰も「いや日本人はそんなに合掌とかしないから。おもてなしと合掌、ぜんぜん関係ないから」と指摘しなかったワケである。なんつーか、つまり外国の連中に「古き良きホスピタリティをいまに伝える東洋の仏教国」という、いまどき珍しいバリバリのオリエンタリズム的ステレオタイプを抱いていただいて、とにかくも票をとりにいったのではないか。

いいのか、とオレあたりは思うのだ。なんちゅーか、日本文化についてウソをついてまで誘致したいのか。・・・ま、したかったのだろうな。