小林朝夫サンの創作字源シリーズであるが、今回は

「県」

である。例によって引用してみる。

古代中国においては、自分たちの「県」を守るために、他の県との争いが絶えなかった。

  (中略)

そんな中、隣県との戦争に勝利したある県の長が、二度と自らの県を襲ってこぬよう、部下達に残虐な命を与えた。
「相手の兵士の死体から、一つ残らず首を切り落とせ」
こうして、戦争に敗れた県の兵士の亡骸の首は次々に切りおとされた。

  (中略)

長の指示はこれにとどまらない。部下たちは、さらに首を逆さまにして木の棒を突き刺すように命ぜられた。

  (中略)

「県」とは、「首」を逆さまにして、そこに「一本の棒」を突き刺した形を表している、怖ろしい漢字なのである。

今回の朝夫説も部分的に正しいところはあるんだが、ほとんどがトンデモである。以下、例によって白川静先生の『字統』などに拠って解説させていただこう。

「県」の元の字は「縣」である。で、「縣」という字は「県」と「系」というパーツにわかれるのだが、「県」というのはもともとこの下側の「小」の部分が「巛」になった字で、つまり逆さまにされて髪の毛が「巛」みたいに垂れ下がっている首、を示していたのだった。つまり、朝夫も正しいことを言っているというのは、「県」とは逆さまになった「首」である、という点にかぎってのことである。

ところがあとは全部ダメ。

話をもとに戻すと、「縣」の字のもうひとつのパーツである「系」というのは、木の枝などにかけるヒモをいう。そうすると「縣」全体では「木にヒモで吊された生首」という意味になる。で、それがいつのまにか「上のほうからかけてぶらさげる」という意味に転じた。同時に「懸」の字を用いるようになって、今では「懸ける=ぶらさげる」という表現をみんな使っている、という次第。

では「縣=県」の字がなぜ行政単位のことも示すようになったか、については定説がないようなのだが、一説に、諸侯が争っていた時代、敵将をたおした者はその土地の住民にむけて「わかったか、これからこの一帯はオレのものだからな」という意味で当地の首領の生首をつるしてみせたから、という説があるらしい。その支配地域=県になった、という話だな。


さて、ここから朝夫の珍説の検証にもどる。

まず明らかにヘンなのは、「県」=「さかさまになった首の字」+「たての棒」というロジックである。これは上に述べたような漢字の成り立ちからいって、「たての棒」なんてものは全然関係ないのでウソである。

あと、これは根源的な疑問なのだが、およそ文字などというものは多くの人に認知されることによって発生するものであろう。つまり、「え、何でこの字がそんな意味になんのよ?」という素朴な問いにたいして、「いやそれはかくかくしかじかで・・・」といって、それなりにリクツが通って、それではじめて文字はみんなに認められていくんではないだろーか。つまり、「たまたま或る地方でおきた一回限りの偶発的な事件が、ある漢字の成り立ちを決めてしまう」というようなことは多分ないと思うのだ。

となると、朝夫説が成り立つためには、「ある時代の中国では相当に広い地域において、殺害した敵の兵士の首を全部切り落としては棒に刺す風習があった」と仮定せねばなるまい。しかしそんな話があるんだろうか?
朝夫は、勝った連中は木の棒のささった生首をひきずりながら町を示威行進した、とシュールなマンガみたいなことまで書いているんだが、そんなものひきずって歩いたら10メートルもいかないうちに首はとれてしまうのではないか、などと余計な心配までしてしまうぞ。そんな妄想めいたストーリーよりは、まだ「みせしめに吊された敵将の生首」みたいな説明の仕方のほうが百万倍説得力があろう。

ま、もちろん「県というのはさかさまになった生首」ということでいーじゃん、あとは全部ウソだって、という方もおられるだろうが、この男が「むかしは国語塾の人気講師だった」とかいって威張っている以上、そういうインチキを許してはいけないと思うのだった。