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AKBの峯岸みなみさんが、AKB御法度の異性交遊(笑)を犯してしまったので「ごめんなさい、反省のしるしに坊主刈りにしますので許してください」といってyoutubeに登場した件について、一言。

いやあ、実にオモシロイ。というのも、こういう「醜聞」さえも、このAKBという課金システムは話題作り―ネタに回収していくのだなあというのを改めてみせつけてくれたから。もちろんこないだの指原の「異性交遊+左遷=メディア大騒ぎ」という展開の再現ではあるけれども。

そもそもAKBをめぐる空間というのは、ひとつの、とても良くできた小宇宙をなしている。何十人もの少女たちを集めて競わせ、「売れる―売れない」を軸に、いわゆる「センター」から地方組織・研究生へと広がるヒエラルキーを作り上げ、そこでの個々のふるまいが全体として大きな物語を構成している。AKBは宗教だ、みたいなオモシロイことを言った人がいるらしく、オレはその本を読んでいないが、確かに宗教にはあらゆる存在の根拠を説明する統一的な宇宙観を示すはたらきがあるので、そういうダイナミックな小宇宙を創造している点ではコイツは宗教なのであろう。

そしてその小宇宙には、どういう根拠があるのかはしらないけれども、何故か誰も疑うことの許されないルールがある。「ファン投票で序列を決める」というのがそうだし、「異性とナニしてはいけない」というのもそうだ。何でかはわからない。しかしその宇宙の根源的ルールを疑いだすと、もうAKBという神々の鎮座する喜ばしき世界を楽しめなくなるので、そこに参入しようという人間はソレを疑ってはならない。

で、おそらく秋元某というこの世界の造物主は「ではそういう神々の舞台でお前は何を提供できるのか? どんなネタをもってきてくれるのか? さぁ考えろ」という洗脳をみなさんに施しているのだろう。彼女たちはそれで必死になって自分なりの物語を考える。「振り付け」は、たぶん彼女たち一人一人が考えているのであってお仕着せではない。そこにはそれなりのリアリティも発生するし、だからこそファンもその世界に絡め取られていく。

で、たまさかそのルール=タブーに抵触するようなふるまいがあっても、この世界は微動だにしない。そう、彼女が人気者で、そこで「期待されるふるまい」を演じきれるような人材であったら、そういうふるまいもAKBの小宇宙における「ちょっとした事件」として消費するシステムができあがっているから。

じっさいに峯岸さんは、「こういう時にはどうふるまえばいいのかナ? 反省しないといけないんだろうな。どうすればいいのかな? ああ、坊主にすればインパクトあるよね」というシナリオを無意識的に思いついてしまったのではないか。もちろん取り巻きのスタッフが「坊主なんてどう?」とそそのかした可能性もあるが、そこで峯岸さんは「あ、いいねソレ」と自ら賛同したに違いないとオレは思う。いかなる状況でも何かそこから物語を紡ぎ出せないかと考え続けるエンターテイナー。秋元イズムの正しき後継者。

いわば、すべては壮大なるお芝居なのである。そこでオレたちは「坊主刈りに追い込むなんて、なんて非道い!」みたいなトンチンカンな反応をしてしまうのだが、それも思うツボ。彼/彼女たちにとってはそういう世間さまの反応も織り込み済み。

そもそも異性交遊が本当のタブーだったら、問答無用でAKBの王国から完全に放逐すればいいのだ。なぜ峯岸さんはそうならないのか? それはたぶん、そういうシチュエーションでひと芝居打てる人材だから。オレはよく知らんが、これがメンバー最下層の売れない子、そこでストーリーを紡ぎ出せない子だったら容赦はしない(そういう子は週刊誌になど狙われないだろうけど)。

いってみれば、実は筋書きや落としどころが決まっている昭和プロレスの世界。悪いとはいわない。オレも馬場や猪木のプロレスは好きだったし。だから楽しめば良いのだ。いつかこの小宇宙のしかけが見切られ、見捨てられてしまうまで。