われわれ日本人というのはアジェンダセッティングというのが非常に苦手で、明治以降を振り返ってみると、なんつーか、こう「西洋先進諸国」のあとを金魚のフンのようにくっついて回っている分にはソコソコ達成というものがあったわけだが、古くはかの文豪夏目漱石が「現代日本の開化」で喝破していたように、それは全然「内発的」なものではなくて、畢竟「現代日本の開化は皮相上滑りの開化である」「涙を呑んで上滑りに滑って行かなければならない」のが近代以降の日本人の宿命なのである。

で、そういう流れは実は今になっても全然変わっていないのだなあと思う。

ここんとこ「日本人も世界のグローバル化に対応しなけりゃいかん」という話になっていて、つまりそれは皮相なレベルでいえば「ちゃんと自己主張する」「言うべきことは言う」=グローバル経済で生き残り可能、みたいなジョーシキとして流布している。

そういう流れの中で例えば「就活」という問題なんかを考えてみると、昨今の学生サンは「オレはこんなことができます、エライでしょ」「オレを雇うとこんなメリットがありますよ」という自己宣伝をさんざっぱらしないといけないらしい。世界標準からいってもそれが当たり前なんだから、とかいって。

バカらしい。

今月の「中央公論」で、最近就活小説を書いたことで話題になってる朝井リョウが言ってることを読んでナルホドと思ったのだが、かみ砕いていうと、われわれ日本人の文化の中にあっては「オレはこんなに有能です」みたいなことをシラフで語れる人間というのは、端的にいって「バカ」である。

本来オレたちの文化の中にあっては、そういうことを言うヤツは非常識で傲慢で鼻持ちならないヤツで、つまり基本的に相手にされない。にもかかわらず、企業の採用担当者なんかも、ハラん中では「だいたいオレ等の会社ン中だって、オレがオレが、みたいなヤツばっかいたらたまらんぞ。アホらしいよなー」と思いつつ、就活学生のイヤイヤながらの自己宣伝を感心した風に聴いていなければならないのである。

つまり、漱石のいうように、今になっても全然自分で信じていないモノサシに従って、こういう就活とかいうバカバカしいお芝居をみんなでしているのだった。いや、実際30年ぐらい前の、オレが「シューカツ」していた時からそういうバカバカしさっつーのはあったけれども、最近の学生さんたちは、もっともっと露骨な自己宣伝ゲームをやらなきゃいけないようなのでホント可哀想だ。

まぁ、そうはいってもそういう自己宣伝ゲームに連戦連敗で、内定とれない→オレってダメなんじゃないのか、みたいに落ち込む若者も多いだろうから言っておくんだが(我ながら偉そうだナw)、今の時代に夏目漱石が生きてたら「ケッ、いつまで猿芝居やってんだオマエラ」って嘆息するぞ。いやむしろバカ笑いするか。

「皮相上滑りの開化」に心の底からつきあう必要なんてないぜ。なんせこっちには漱石先生がついているんだから(笑)。