朝日新聞の「天声人語」は名文の手本、みたいな神話を朝日が広めているのは周知の事実。毎日これを書き写せば国語力バッチリ、みたいな宣伝もよくみかける。俺は、そんなこたぁねぇだろ、何か偉ぶったジジイの偽善ぶりがにじんでて気色わりイ文章だ、こんなものお手本にすると妙に老成した訳知り顔のクソガキになるからやめろ、と常日頃思ってる。

ここでちと脱線するけれども、朝日というのは「庶民の味方」みたいなポーズをとっているけれども、「あ、いっとくけど俺たちは庶民を指導するエリートの側だから」的な尊大さがあって、気に入らん。

たとえば公教育は大事だ、貧乏人が行かざるを得ない公立小・中学校は何としても建て直さないといかん、みたいなコトは言うのだが、その実、ここの社員、そろいも揃って自分の子供はシッカリ「お受験」させてるじゃねーか、みたいな。庶民の味方面はやめてくれ。

閑話休題。そんなことを言いたいんではなかった。単にけさの「天声人語」が気にいらなかったのであった。英国の「ロイヤル・ウェディング」の絡みの話なのだが、こういう文章が書いてある。「民間から皇室に入られた皇后」云々。

この言い回しはマスメディアではすっかり定着したもので、スッと読んでしまうのだが、ここでいう「民間」って何なのだ、と考え始めると眠れなくなるのである(ウソだが)。だって、「民間」と「皇室」はホントに対比すべきものなのか?

広辞苑で「民間」をみてみる。
①人民のあいだ。世間。坊間。「―語源」
②公的な機関に属さないこと。「―活力」


この①のほうは、「名も無きそこいらの人々が住んでいるセカイ」みたいな意味だろうな。②のほうが一般的な用法のような気がするな。民間の反対側に、国家やら自治体にかかわる公的なものモロモロ、公務員とか役人とか役場みたいなものの総体があるとして、その「公的・官的」に入らないセカイ=民間、といったところだろう。

じゃ、天声人語でいう「民間VS皇室」はどうなんだ。②の意味での対比なのか? すると「皇室=公的機関」なのか? 戦前「天皇機関説」というのがあって、法学的には正しかったけれども、「天皇を機関扱いするとは何事!」という右翼の皆さんの攻撃で「政治的には正しくない」ということになった一件もありましたな。ま、皇室=公的機関でもいいんだが、なんかそういう解釈でいうと、皇室に入る→お役所としての皇室に就職する、みたいなニュアンスが出てきてしまって、意味が違ってしまうだろう。

するとここでいう「民間」というのは①の意味なんだろう。「人民のあいだ」から皇室に入る・・・ふむ、そう言い換えればかろうじて意味は通るような気もするんだが、人民という言葉は大和言葉ではないので、皇室と対比させるにはやはり違和感がある。隔靴掻痒、やはりここはどうしても言葉のセレクトが違うといわざるを得ない。「名コラム」と称するのであれば、このような表現を使うのは好ましくない(笑)。

で、結論をいいたいのだが、ここは「平民から皇室に入られた」というしかないのだと思う。そこを天声人語は無理に言い換えているのだ。だってそうだろう、仮に旧華族の子弟で、フツウに暮らしている人が皇室に入ったとしたら「民間から」というか? たぶん言わんだろう。ポリティカル・コレクトネスからいうと「平民」とは言えない、言いたくないので「民間」と言い換える。これが違和感の源泉であり、欺瞞なのである。そういう言葉狩りをすると、現実を見る目にフィルターがかかってしまって、むしろ人間はバカになってしまうのである。

「華族」と「平民」の間に格差はあるべきでないとしても、現実に皇室というフィールドにあっては、両者の間に「差異がある」。そこを見て見ぬふりをしてきたからこそ、たとえば雅子さんの問題なども出てきたのではなかったか。

というわけで、まぁこれは朝日に限った話ではなくて、たまたま天声人語でみかけたから書いてしまったが、「民間VS皇室」という表現はやめて「平民VS皇室」とハッキリいってほしい。それが俺の年来の希望である。