「小林朝夫ネタはもうやめる」とずいぶん前から言っておきながらナンなんだが、もうひとつだけ書かせてもらおう。我ながらしつこい。ごめんなさい(笑)。ほんともうやめようとは思うのだが。

小林氏、確か「いぜん週刊誌に取り上げられてバッシングされたので叩かれるのには慣れている」みたいなことをツイッターだか何だかに書いていた。改めて確認してみると、4月4日のツイッターであった。

ありがとう、、袋だたきは慣れてます。以前、週刊文春と新潮に叩かれたときは電車の中吊り全部ボクの顔でしたから、あのときは家族が参っていました。ボクはドMですから、ぜんぜん平気でしたが(笑 もう、みなさん忘れていると思いますので、こんなふうにツイートできますが・・

2ちゃんねるではたしか「それは不倫絡みの話」みたいなことを言ってる人もいたんだが、結局それって何の話だったのかわからんかった。小林氏は「忘れていると思います」というが、そもそも記憶がない。そこで当時の雑誌など調べてきた。以下、その「事件」の顛末。


【第一幕】

1999年9月19日(日)付 朝日新聞朝刊掲載

「あなたが選ぶ この人が読みたい」


同日の朝刊社会面アタマの連載企画「あなたが選ぶ この人が読みたい」に、東京・三鷹駅近くで国語塾の先生をしているという小林朝夫先生(当時38歳)が登場した。見出しにはこんな言葉が躍っている。

塾の世界で、小林先生を知らない人はいません 「国語の神様」です

なんと例の「国語の神様」というのは朝日新聞上で高らかに喧伝された呼称だったわけだ。

さてこの記事、「ぜひ取り上げてほしい人物」を一般読者から募集した上で、記者がその人物に会いに行って記事にする、という企画モノである。この月のアタマから鳴り物入りで始まったばかりの企画だったらしい。小林氏を推薦するメールを朝日新聞に送ったのは、塾に子供二人を通わせていたというH・Jさん(当時37歳=記事では実名)。上に記した「小林先生を知らない人はいません」云々の文言は、どうやらこのH・Jさんの言葉から引いたようだ。

読んでいくと、その前半生が簡潔に紹介されている。朝夫氏が作曲家・小林亜星氏の二男であること。若き日にはテレビの戦隊モノ「サンバルカン」で主役を張っていたこと。しかしアルバイトではじめた塾講師が性に合ったこともあり、結局はその道に進んだこと。ブっとんだ「小劇場的授業」がやがて評判となり、独立して1992年に今の塾を開いたこと。小3~6年向けの塾は「学年ごとにキャンセル待ちが七十人ほど」という盛況を誇っていること。といったわけで、なかなか読ませる記事ではある。余談ながら、その直後の「女性自身」10月12日号にも「その道のカリスマに訊け!」のタイトルで「塾講師のカリスマ 小林朝夫さん」の記事が登場してる。内容は同工異曲なのでパクったのかもしれない。

だが好事魔多し。ほどなく一部週刊誌がこの記事を問題視しはじめる。


【第二幕】

「週刊文春」1999年10月21日号掲載

朝日が「国語の神様」に祭り上げた小林亜星二男に“不適切な関係”


この記事で、朝日に推薦メールを送った女性と小林さんは「夫婦同然なんです」という驚愕の証言が飛び出す。証言者は「小林氏の塾の近くに住む主婦」。この主婦によれば、メール女性には離婚歴があるらしいのだが、その娘が通う学校の名簿をみると「父親の欄に朝夫さんの名前があります」。こんな個人情報をペラペラ喋っちまうというのは、個人情報保護とかウルサイ今だとかなりマズかろうが、当時は許されたのだろう。実に感慨深い。

まぁ余談はともかく、「夫婦同然」にしている実質上の配偶者が第三者を装って新聞社にダンナの売り込みを図り、それが天下の朝日新聞に大きく載ってしまった――という話だったとすればかなり問題である。そして、塾の案内書には本部住所としてメール女性の自宅が書いてあった、との記述もある。

文春としては当然朝夫氏サイドの言い分を聞きにいくわけだが、くだんの女性は「夫婦同然」というのを否定。朝夫氏も、女性には不定期で経理の仕事を頼んでいるだけで、学校の名簿についても、片親だと肩身が狭かろうと配慮して単に「名義貸し」をしただけ、みたいな釈明をしている。ちなみに朝夫氏、自分もメールの女性もともにその時点で独り身であることをさりげなく語っているので、どうやら「不倫疑惑」という話ではないらしい。それはまぁいいのだが、やはり客観的にみると自作自演疑惑は払拭しきれない。スキャンダルの発覚であった。

もっとも、全体的に記事のトーンは「小林氏を非難する」というより朝日批判に主眼をおいているようで、「別の全国紙記者」にこんな言葉を語らせている。「朝日新聞の社会面トップで紹介すれば、仮に金銭的なメリットはないにせよ、世間的な評価や格は上がります(中略)社会的影響力を考えると、取材の確認方法は感心しませんね」。たしかに推薦者が「たまに経理を手伝ってただけ」だったとしても、表向き「かつての教え子の親」という立場で朝夫氏を推薦したのだとすれば、そのへんしっかり確認せずに記事を出しちゃったのは軽率だ。文春は朝日新聞広報室から「今回のケースは大きな反省材料です」というコメントを引き出しており、行間からは担当記者のドヤ顔が透けてみえるようだ。


【第三幕】


「週刊宝石」1999年10月28日号掲載

「朝日新聞」が小林亜星の息子に騙された!


このあと、今はなき「週刊宝石」も後を追った。「文春」から一週遅れてしまったせいかけっこう過激で、「朝日新聞の関係者」に「社会部の記者がなぁ、小林亜星の息子に騙されて、とんだPR記事を書いちゃったようなんだよ」などと言わせている。こちらも朝夫氏を直撃しているが、言い分は同じ。例の女性には「この学習塾の経理を担当してもらっている」だけだと言ってる。

これにかんして「宝石」は、「塾の経理を担当している女性が、利害関係のない母親を装って推薦のメールを送れば、それはもう立派な“騙り”ではないのか。/小林氏にその意図があったかどうかは別にしても。」と書いている。正論である。記事のトーンは、総じて「文春」より朝夫氏に厳しい。なお、こっちの記事でも、朝日新聞広報室は「今回のケースは大きな反省材料です」と言ってる。

なお、後追いの意地をみせたというべきか、この時の「宝石」はけっこういい取材をしている。朝日新聞は「塾の世界で、小林先生を知らない人はいません」などと書いている。だったら、三鷹駅前で聞き込みすれば「国語の神様」の塾なんてすぐみつかるだろう。そんな目論見で取材を始めるのだが、駅前の大手塾で聞いてみると「う~ん、まったく知りませんねぇ」。また、ある塾の国語講師はこう言ったという。「私は長いこと三鷹で学習塾をやってますが、そんな名前は聞いたことがないですよ。キャンセル待ちが70人で、何年も前から予約がいっぱい? こんな時代に、そんな話があるわけないでしょう」。取材記者、6軒目の学習塾でようやく朝夫塾の情報を得ることができたそうだ。足で稼いだ取材だからこそよく見えてくるものがある。

ちなみに、朝夫氏は週刊文春と新潮に書かれたと言っていたが、俺が確認できたのはこの「週刊文春」と「週刊宝石」だけだった。


【終幕】


以上が「事件」のあらましである。まぁこういう記事であるから、朝夫氏の側にも相当のダメージがあっただろうことは想像に難くない。あるいは彼の人生設計を根本から狂わせた事件であったのかもしれぬ。が、その結果はやはりご当人が背負っていくしかないものであろう。

もちろん朝夫氏にも言い分はあるだろうが、仮にも「教育者」を名乗っていた人物である。客観的にみて、マスコミを使って仕掛けた売名行為と受け取られかねないふるまいは避けるのが賢明な判断というもの。4月4日のブログでは「ボクはドMですから、ぜんぜん平気でした」とかおちゃらけて書いているが、教育に携わるものとして、こういう嫌疑をかけられても「平気でした」とかいってしまう神経は如何なものか?

「李下に冠を正さず」ともいう。心ある人であれば、最終的には朝日新聞には丁重にお引き取り願うべきであった。なぜそれができなかったのだろう? ひょっとして朝夫氏には「下心」があったのか? これはもう、読者諸兄の判断におまかせするしかないのだが。

ただ、ここでひとつ、気になったことがある。この方が現在経営している店について、ヤクオクのストア情報でみてみると、代表者はH朝夫(苗字はあえてイニシャルとする)となっている。奇しくも1999年の朝日新聞に実名で出てくるメール女性=H・Jさんと苗字が同じなのである。まぁこの方が誰と結婚しようが勝手ではあるのだが、こういう名乗りをされているということは、ひょっとしたら小林氏はこの女性とその後結婚し、戸籍上婿入り?でもされたのだろうか? 4月4日のツイッターでは「あのときは家族が参っていました」と書いていたが、この家族というのはH・Jさんのことなのだろうか? 深読みのしすぎだったら恐縮だが、もしこの推測が当たっていたとしたら、上の「週刊文春」「週刊宝石」の記事の読み方も自然と変わってこようというものである。

もっとも、公平を期していっておくが、先の朝日新聞の記事も彼の授業自体はかなり評価していたし、「週刊文春」も地元での塾の評判は悪くないと書いている。こんな「事件」を起こすことなく、朝夫氏がその後も地道に国語教師としての力を積み重ねる努力を続けていったとしたら、彼はいまどんな人生を送っていただろう? そんな「イフ」を語っても詮ないことなのだが、「誤字が多い」「文章がヘン」等々2ちゃんねる界隈でボロクソ言われながらネット上で扇情的な言葉をまき散らしている今の彼とは違う、もっとちゃんとした人物がそこにはいたような気がしないでもない。そう思うと、俺はちょっとだけ哀しい気持ちになる。


【おまけ】

なお今回の騒動に絡んで「予言が的中した!」と朝夫さんを持ち上げていた最近の雑誌2点も確認してみた。女性週刊誌の「週刊女性」「女性自身」、それぞれ5月3日号である。

ちなみにこういう週刊誌の場合、なんか珍しい人間が出てきたときに「持ち上げる」か「こきおろすか」は、けっこう恣意的であるようだ。編集長が「褒めよう!」といえばそういう材料を集めるし、「叩け!」といえばネガティブな情報を集める。別にロジカルに議論して評価を定めようみたいな空気はなくて、「どっちのスタンスでいけば売れるかな~」というのが基準になる(たぶん)。で、一般論としては、世の中に出始めた人間に対しては比較的好意的で、そこそこ有名になっちゃったあとは引きずりおろす、みたいなパターンが多いような気がする(ホリエモンが好例)。

小林氏はどうなのかといえば、一般的にはあまり知名度がないから、とりあえず定石通り持ち上げたんだと思う。ひとたび持ち上げることにしたら、「場所とか規模とか全然違ってたってサ、何か地震が来る来る言ってたらそのうちホントにどっか来たんだからサ、当たったっていやぁ当たってんだよ」というノリで突っ走ればいいのである。

だから「こんな外れっぱなしの予知を持ち上げるなんてヘンだよ」という批判は編集部には全くこたえない。連中も本気で「当たってる!」と思って記事作ってるわけじゃないから。

ちなみに先の「事件」当時に叩かれたのは、父親の亜星氏も勢いのある時代だったし、なにより朝日新聞にデカデカと登場した直後だったから、バッシングのしがいがあった、ってことなのだろう。今回の提灯記事でももちろん亜星氏の名前は出てくるんだが、若い連中にとっちゃ「亜星?ダレそれ?」みたいなモンだろうから、叩いたとしてもツマラナイ。

さらにもうひとつ。おまけのおまけ。「FLASH」1999年9月14日号の『この9月もヤバい! 2000年問題「11の危険日」』なる記事の一角、小さな囲みの中にも朝夫氏は登場していた。いわゆるコンピュータの2000年問題に警告を発する記事なのだが、今読むとけっこう興味深い。ここで朝夫氏は、「2年前から2000年問題に注目し危機感を募らせ」「20人が1年間暮らせるだけの水、食料、燃料などを別荘に備蓄しています」と語ってる。「家族、親戚を連れ、年末に東京を脱出する」予定だとも書いている。これが今いる八ヶ岳の別荘なんだろうか? 既視感がある(笑)。まぁ今の日本にはホンモノの危機が到来してしまったわけだが、朝夫氏の思考回路は、あの2000年問題の空騒ぎのときも同一パターンで作動していたのかと思うと感無量である。(おしまい)

追記 4月4日の小林氏のツイッター内容が確認できたので、若干書き加えました(2001/6/2)