で、けさの朝日の天声人語である。まずはガンを患っていた桑田佳祐が仙台で復活ライブをしたという話。次いで(またこれか、と思うンだが)なでしこジャパンが五輪出場を決めた話だ。で、こういう展開になる。

歌える人は歌い、走るべき者は走る。こうして、今の日本はどうにか持っている▼つい比べ、泣きたくなるのが政治の惨状である。すぐ辞めた経産相は憎むべき放射能でふざけ、防衛相は「私は素人」と言い放つ。民主党の国対委員長は、臨時国会を早じまいする理由を「内閣の態勢が不十分」と語ったらしい


おいおい、俺だって桑田の才能は認めてるし、まぁなでしこジャパンの女の子たちだって実際頑張ったんだろう。だが「歌手やスポーツ選手が頑張ってるから日本はなんとかもっている」はないだろ。彼らのやってることってぇのは、なんか自分でも止むにやまれずやってることであって、それがたまさか人を勇気づけたりすることもあるかもしれないな、ぐらいの話じゃないのか。

別に彼らが「日本をもたせてる」わけじゃあない。ホントに「もたせてる」のは彼らみたいに脚光を浴びることもなく(ま、なでしこはちょっと前までそうだったけどネ)、苦しいところで自分を励ましながらどうにかこうにか社会を支えてる人たちじゃねえのか。こういうところに、はからずも朝日記者の貴族主義が顔をのぞかせるのである。

で、これに引き比べて政治は全然ダメ、「放射能でふざけ」る経産相はなってない、のだそうだ。だが福島第1原発の周辺が「死の街」であるのは冷厳な事実だし、偏屈ルキウス氏もいっていたけれども顔見知りの記者相手に「あんたらも放射能まみれのこの世界を生きてかなきゃいかんのだから一蓮托生なんだよ」的なやるせなさを込めて放射能をすりつけるようなそぶりをしてみせたのだとすれば、それはそんなに致命的なことなのか。しかも彼がその際に正確にはどんな言葉を発したのかいまだに定かではない、というのは、これがその場の流れからすれば記者たちが悪意とかを感じることもない、どうでもいい出来事だったからではないのか。

政治家をバカにしていれば事もナシ。「言葉狩り」で大臣のクビでもとれば殊勲功。そんなホンネがすけてみえる。愚劣な言葉。


追記

ちなみにけさの読売新聞編集手帳はこんな風に書いている。

失言の責任を取って鉢呂吉雄経済産業相があっさり辞表を出し、野田首相もあっさり受理した。あっさりしすぎて、かえって気にかかる◆「死の街」の稚拙な表現力も、「ほら、放射能」の悪ふざけにしても、かばうつもりはさらさらないが、読者のお叱りを覚悟の上で正直な感想を述べれば、「謝罪」以上、「辞任」未満あたりが妥当な“量刑”に思えてならない


ま、執筆者の方もけっきょくはサラリーマンなのであんまりハッキリ書けなかったのだろうが、言葉というものへの真摯さは朝日天声人語子よりは格段上らしく、「それほど問題じゃないだろ」的なことを暗に主張していらっしゃる。