井村宏次氏というと、1970年代以降ということになるのか、関西で「生体エネルギー研究所」という組織を作ってサイ科学の研究をしていた人で、かの松岡正剛氏の雑誌『遊』に登場するなどその筋では有名な人であった。オレの記憶によれば、阿含宗の桐山靖雄あたりが「キミも超能力者になれる!」的なコピーで名前を売っていた時代で、つまりは日本でも「精神世界」のブームが広がっていた時期である。

で、この井村氏であるが、その後も鍼灸師などをしつつずっと超常っぽい研究に取り組んできたらしく、ネットで検索すると雑誌なのかムックなのかよくわからんが「地球人」という出版物の編集に今もかかわっているようだ。「編集責任/帯津良一 企画編集委員/上野圭一 太田富雄 井村宏次」とあるから何となくそのトーンは想像できる。

実のところオレなんかは1980年代とかには何故かこの人に全く関心がなかったンだが、のちにオレが私淑している或る宗教学者の方が若い頃この人のところに出入りしていたという話をきいて「相当な人物だったのだ」と認識を改め、爾来なにか機会があれば本でも読んでみたいな~と思っていたのだった。

前振りが長くなってしまったが、さて。先日ふと通りがかった古本屋でこの井村氏の書いた『サイ・テクノロジー』(工作舎)を発見、購入するにいたった。主著であるらしいし、500円と安かったしな。今回はこの本を読んでの感想文である。

風呂敷はデカイ。西洋の分析的な思考ではとらえきれない宇宙の実相をサイ科学的な視点から再構築してみようじゃないの、みたいなスタンスである。で、それこそ鍼灸的な「経絡」とか「生体オーラ」「山オーラ」「音波オーラ」(ちなみにヴァンゲリスの音楽は青オーラだそうだ!)とか、その手のテーマをところどころ科学機器による計測データとかを差し挟みながら探っていくのである。「アトランティスの霊視」みたいな話まで出てくるのは如何なものかという気もするが、とにかく気宇壮大。もうひとつの科学としての「気の科学」を打ち立てねばならん、というわけで、「どんなもんじゃい! こちとらニュー・エイジだオラオラオラ」みたいな鼻息の荒さが感じられ、これが80年代だったのだなぁ~と感慨を禁じ得ないのだった。

そして、ある意味もっと面白かったのが、行間から浮かび上がってくる井村氏自身のたたずまいであった。オーラ視のできる人間を(言い方は悪いが)とっつかまえて仲間に引き入れる。で、いろいろ実験するンだが、「予備知識とかがあるとちゃんとした実験にならない」ということらしく、説明抜き、行き場所とか全く知らせないであちこち引っ張り回して実験実験実験みたいな雰囲気があったようで、周囲の人たちにとってみりゃ「困ったなぁ」ということもあったンじゃないかと思うわけだが、まぁそういうところを補うに足るカリスマのある人物なのだろう、ときおり現代社会を批判して悲憤慷慨するくだりなんかは文学青年みたいでなかなかイケてる。

で、コンテンツ自体についての感想。生活にくたびれ果てて人智を超えた不思議などなかなか信じられなくなっちまった中年男にしてみりゃあ、もちろん著者の語ることにいちいち「ご説ごもっとも」とか頷いていられないのは当然なのだが、時に理屈を超えて「何かそういうことってあるかもな~」と一瞬折伏されそうになってしまう瞬間があるんだよなー。たとえば彼が霊能者に未来を予知させる実験のくだりがあって、そこで能力者が漏らしたというこんなセリフを読んだ瞬間、オレはギョッとしたぞ。

「北日本は、人が住めない感じ……」(243頁)

北日本を襲うという凶作について語っていたときの言葉で、さらにいえば1980年代の予知らしいンで残念ながら「当たり」じゃないんだが、今読むとホント気持ち悪い。当たってはいなくても、なにかグサリと胸に刺さるものがある。無視してもいいんだが、しかしなんなんだコレは、というザラッとした違和感みたいなものが残る。

この手の超常現象というのは逃げ水のようなもので、いつまでたっても「その場所」には行き着けないものだと今のオレは思っている。だがその周辺には、いつだって「SENSE OF WONDER」というか「何かがある/いる」的感覚は漂っているのだ。そしてそういう世界のナゾに魅せられた人の生きざまというのも何か他人事とは思えないものがある。この本を読んでそんなことをオレは考えた。


サイ・テクノロジー―気の科学・気の技術

サイ・テクノロジー―気の科学・気の技術

  • 作者: 井村 宏次
  • 出版社/メーカー: 工作舎
  • 発売日: 1984/07
  • メディア: 単行本