「年をとってもなぜか子どもの頃のことはよく覚えているものだ」みたいな話はよく聞くのだが、ここんとこ耄碌が入ってきたせいか、はて、あの頃はどうだったんだろうと思うことがたまにある。たとえば最近ふと思ったんだが、「六甲おろし」といって(正式には「阪神タイガースの歌」というらしいが)今なら誰でも知ってる歌があるんだが、あれはいつごろから市民権を得たんだったか。

というのも、物心ついたときには何故か虎ファンになっていた小生、小学生のころ、阪神球団本部にお手紙を出した記憶があるのだ。で、その内容はというと、こんな感じだったように記憶している――僕は阪神ファンなのですが、「六甲おろし」という球団歌があるとききました。でもどんな歌かわかりません。楽譜などあったら送ってもらえないでしょうか。

この辺はうろ覚えなんでハッキリしないんだが、当時のアニメ「巨人の星」の中では巨人の球団歌「闘魂込めて」がしばしば流されてた、ような気がする。対抗上、「じゃあこっちは六甲おろしだ!」と、どこかで阪神球団歌の存在を聞き知った田舎の少年は思ったんだろうね。

で、この手紙に対して球団本部から返事があった。届いた封筒の中には、たしかに楽譜が入っていたのだった! さっそく家にあるピアノで爪弾いてみたんだが、古関裕而作曲によるあの勇壮なメロディーも、ぽろんぽろんというピアノの旋律にしてみると何やらヘンな調子。「ふーん、こんなかー」と思った記憶がある。あれがたぶん小学校3、4年生のころ。逆算すると1970年前後だ。つまり、その時点であまり知られてなかった「六甲おろし」が、いつの間にか「六甲おろし? あぁ、あれね」という感じで世に出ていくのである。

で、ちょっと調べてみた。Wikipediaの「阪神タイガースの歌」の項にはこうある。

『阪神タイガースの歌』に改題の際(引用者注:1961年)、若山彰の歌唱により再吹き込みされたものが甲子園球場でのタイガース戦で流されるようになり、それで歌詞を覚えた当時朝日放送アナウンサーであった中村鋭一が、自身が司会をつとめたラジオ番組『おはようパーソナリティ中村鋭一です』で歌ったことにより、1970年代の多くのファンに広められた。1972年(昭和47年)に発売された中村の歌唱によるレコード(テイチクレコード発売)は、40万枚以上のヒットを記録し(以下略)


つまり1960年代には地元・甲子園あたりではみな聞き知っていた「知る人ぞ知る」的な曲だったんだが、それが70年前後になってラジオを介して全国区の曲になっていった、ということらしい。

そうすると、オレが「楽譜ください」とかいって手紙出した当時というのは、「六甲おろし」ブレーク三秒前、みたいな時代だったのか。う~ん、大げさにいうと「オレってそんな時代から生きてきたのか!」だよなー。年もとるはずだ。昭和は遠くなりにけり。