金正日が死んだということだ。享年69歳。

まぁ既にして何かチラ裏的な備忘録というか個人的な思いを記録する日記になりつつある当ブログなのでこの際ひと言書いておくのだが、何というかなぁ、まず倒れることはないと思われていたカダフィも今は亡く、あの英雄ムバラクもボロボロになって退陣、というこの2011年にあって、最後まで「将軍様」のまま逝くことができたあの男は、ある意味とても幸せだったのかもしれないなぁ、と思う。

あと何年か生きながらえたとしたら、あるいは彼もどんな目に遭わされたか。

いやいやしかし、なんか昔「アジア的専制」みたいな言葉を聞いたこともあった、つまりこのアジアに生きる民は、なんやかやいって「専制」みたいなのに親和性があってダな、という議論で、そういうのを信用するならば金正日だってず~っと安泰だったかもしれないゼ、という話にもなろう。

これなんかいささかアヤシイ議論ではあるんだが、ただ、福島があんなことになっちまってなお、「いやー、やっぱりしっかりしたエネルギー供給のためには原子力みたいな頼りになる巨大技術は捨てられないよネ」とかついつい言ってしまうわが同胞たちのことを思うと、「専制だって頼りになりゃいイインジャネ」的なパターナリズムっていうんでしょうか、なんかけっこう「アジアの呪縛」みたいなのはシッカリしているような気がしないでもない。

ましてや戦前の日本の国家有機体論をマンマ引き取ったといわれる北朝鮮である、あの金正恩だって必ずしも「唐様で書く三代目」として没落すると決まったワケではないのかもしれぬぞ、と思ったり。

というわけで、たとえばオレが死ぬまでに金正恩の治世が続くかあるいはポシャルのか、それはたとえば昨今流行のグローバリズム――それは偶像的なものを徹底的に破壊し、フラットな世界を構築しようというムーブメントであると思う――が勝つか、あるいは「いやいや民族的な固有のアイデンティティみたいなものは意外に手強いものであるぞ」という結論になるのかの試金石ともいえるわけで、まぁ今んとこオレは「金正恩はたぶん駄目だろう」と思っているのだが、そこはソレ、こんなことを書き残しておくのもチラ裏的日記の醍醐味ではある。