本日の天声人語。クリスマスで暴飲暴食する向きもあろうが、世界には日々のメシにも事欠く人たちもいるのだから自戒めされよ、みたいなことをかいている。最後の部分を引用する。

▼どこで聞いたか、「大人とは、垂直方向には発育をやめたが、水平方向にはやめていない人」という寸言があった。腹の周りを気にしつつ、日本も週末のクリスマス。ご馳走(ちそう)にスイーツに食欲全開の大人もおられよう▼やぼは申すまい。体重計を放念し、存分に味わうも良しである。ただ一つだけ、パンにバターをたっぷりつけてあげたい子が、地球に多く暮らすことを忘れないようにして。


馬鹿まるだし、である。

まず第一に、別にクリスチャンでも何でもないわれわれが、クリスマスとやらで浮かれることの愚に全く無自覚であるのがきにくわん。もちろんクリスマスがキリストの誕生日だというのは後付けの牽強付会で、冬至起源の民俗行事が習合したものだという話もあるから、必ずしもクリスマス=クリスチャンの宗教行事とはいえないのかもしらん。

しかしだな、やはりこれはキリスト聖誕祭だから有り難いという話なのである。「人間は生まれながらに原罪を背負って生まれてくるのだが、神の遣わされたイエスさまが身代わりに死んで下さったので救われた、で、そのあとイエスさまはいったん生き返った」みたいな教義は、まぁ仮に事実そのままではなくある種の比喩だと考えるとしても、オレにはどうしてもリアリティを感じることができんし、それは大多数の日本人にとってもそうであるから、日本のキリシタンはどうやっても1%の壁を越えられないのではないか。

つまり、今の日本のクリスマスというのは「なんか南蛮渡来の神様が有り難そうなので俺たちも一緒に騒いでみますか」といった程度のもの。少なくともそのあたりに後ろめたさを感じていて欲しいのだが、この天声人語子の「暴飲暴食する日だよねー」みたいな馬鹿丸出しの発言をきくと、もう、これが日本のクオリティ・ペーパーを自認する新聞の看板コラム(笑)かと哀しくなるぞ。

それから、最後につけたしのように「パンにバターをたっぷりつけてあげたい子が、地球に多く暮らすことを忘れないように」などと恥ずかしげもなく書く傲慢さが許せん。忘れなかったら、なにかが変わるのか? オマエ自身が「あぁ俺様って可哀想な子供たちのことも忘れない良心的コラムニストだよな~」と自己満足する以上の効用はないのではないか。パンにも事欠く子供たちを、こんな馬鹿話のだしに使うな。

そもそも本当のクリスチャンだったら「クリスマスには暴飲暴食して騒ぐばっかりじゃなくて、世の片隅で泣いている人のことも思ってね」などと異教徒から説教されたら、「アホかおまえは。オマエは何にもわかってない」と怒るんじゃないのか? いまごろ朝日新聞には抗議の声が殺到してるんじゃねーのか? そういや、こないだ橋爪大三郎と大澤真幸の出した「ふしぎなキリスト教」なる本が、「もう全然キリスト教がわかってない!」とかいって関係筋から徹底的に叩かれてるそうだしね、天声人語子もあんまり世の中を甘くみないほうが良いのではないか。