車で昔の岡林信康を聴いていてふと思ったんだが、1970年の前後、彼を筆頭とするフォーク歌手たちがプロテストソングを歌い出したっていうのは、実は当時としてはとんでもないメディア革命だったんじゃないだろうか(誰かがさんざん言ってるような話だが)。

もちろんそれまでにも添田唖蝉坊とかある種の社会批判を込めた唄をうたってた人々はいるにはいたんだろうが、70年代フォークっつーのは、ごくふつうに学生やってたような連中が「あ、そーか、フォークギター一本あれば、オレの考えてることみんなに伝えられるじゃん!」みたいなユリーカ体験をして、で、実際に街頭に飛び出していったという事象だったのだ。たぶん。

つまり、何もマスメディアなんかに頼らなくても「発信」はできることに気づいた。もちろん「わたしコード知りません」みたいな人間にゃあまだまだ敷居が高かったんだろうが、しかしガリ版刷ってビラ配ったり同人誌作ったりしなくても良くなったというわけで、ともかくもフォークソングというものが「自前のメディア」として発見された。

いまさら何でこんなことを言ってるかというと、そういや、この10年20年でウェブサイトからブログ、SNSにいたるまで、考えてみりゃあ「自前のメディア」はスッゲー進歩してるじゃん、もうギター弾けなくなっていいんだし、俺たちのこの数十年はまさに革命の時代だったんだなー、全然気がつかなかったけど、みたいなことを岡林を聴きながら思ったのだった。

俺たちは岡林から始まって、ずいぶん遠くまできてしまったようだ。加速度的に進む革命の時代。だがそれはこれから何を生み出していくのか? その辺になると中年にはなかなか見通せないものがあるんだが、たとえば東浩紀「一般意志2.0」あたりはその可能性をけっこうつかみ取ってるのかもしれないな。いろいろ批判はあるみたいだけど、「熟議があれば世の中良くなるって? 誰もそんなこと信じてねーじゃん」みたいなところまで俺たちは来ちまったんだから。

ともあれ、死ぬまでそんな景色の移り変わりを見続けていく。