原発事故の民間事故調報告書が、けっこう突っ込んだ内容ということもあってか、ひとしきり話題になったんだが、実はアレ、けっこうイイカゲンなのかもしれない。

まぁとりあえず「どういう報道があった」のおさらいの意味で、以下に新聞記事引用。

 菅首相が介入、原発事故の混乱拡大…民間事故調



 東京電力福島第一原発事故に関する独立検証委員会(民間事故調、委員長=北沢宏一・前科学技術振興機構理事長)は27日、菅前首相ら政府首脳による現場への介入が、無用の混乱と危険の拡大を招いた可能性があるとする報告書を公表した。


 報告書によると、同原発が津波で電源を喪失したとの連絡を受けた官邸は昨年3月11日夜、まず電源車四十数台を手配したが、菅前首相は到着状況などを自ら管理し、秘書官が「警察にやらせますから」と述べても、取り合わなかった。


 バッテリーが必要と判明した際も、自ら携帯電話で担当者に連絡し、「必要なバッテリーの大きさは? 縦横何メートル?」と問うた。その場に同席した1人はヒアリングで「首相がそんな細かいことを聞くのは、国としてどうなのかとゾッとした」と証言したという。


 翌12日朝、菅氏は周囲の反対に耳を貸さず、同原発の視察を強行。この際、同原発の吉田昌郎前所長(57)が東電本店とのテレビ会議で、「私が総理の対応をしてどうなるんですか」と難色を示す場面を目撃した原子力安全・保安院職員もいたという。


 報告書は、官邸の対応を「専門知識・経験を欠いた少数の政治家が中心となり、場当たり的な対応を続けた」と総括し、特に菅氏の行動について、「政府トップが現場対応に介入することに伴うリスクについては、重い教訓として共有されるべきだ」と結論付けた。


(2012年2月28日05時02分 読売新聞)



一方で、東電社長が「もう手がつけられんので撤退させて頂きます」――という風にしかとれないことを言い出した時に「そんなこと許さん!」といって菅が激怒した点はこの報告書も評価していたようだが、この記事がその点を完全にネグっているのは、まぁこの新聞のお立場上「そういうこと」なんでしょう(笑)。

で、本論に戻ると、ここで「首相がそんな細かいことを聞くのは、国としてどうなのかとゾッとした」という証言は、とうぜん「菅はダメダメだった」という文脈で受け取られてしまうんだが、その証言をしたという人物が「オレの真意はそういうことじゃない」と言い出したのである。

具体的にいうと、内閣審議官のジャーナリスト・下村健一氏なのだが、ツイッター( @ken1shimomura)でこんなことを言っている。

民間事故調が一昨日公表した、原発事故の検証報告書を巡る報道…ツマミ喰いは各メディアの自由だけど、《正しく認識せねば、正しい再発防止策は導けない》という意味では、この全体イメージの歪み方は本当にマズい。同事故調に全面協力した者の1人として、明日以降、順次ここでコメントしたい。 via web

2012.03.02 01:17

【原発・民間事故調報告書/1】400頁以上の大部、日々少しずつ精読中。3章「官邸の対応」、4章「リスクコミュニケーション」、付属資料「最悪シナリオ」の部分を中心に、コメントしていきたい。目的はただ一つ、微力ながらも《本当に有効な再発防止策》に近づく為。立ち会った者の責任。 via web

2012.03.04 00:53

【民間事故調/2】まず、大きく報道された、《電源喪失した原発にバッテリーを緊急搬送した際の総理の行動》の件。必要なバッテリーのサイズや重さまで一国の総理が自ら電話で問うている様子に、「国としてどうなのかとぞっとした」と証言した“同席者”とは、私。但し、意味が違って報じられている。 via web

2012.03.04 00:53

【民間事故調/3】私は、そんな事まで自分でする菅直人に対し「ぞっとした」のではない。そんな事まで一国の総理がやらざるを得ないほど、この事態下に地蔵のように動かない居合わせた技術系トップ達の有様に、「国としてどうなのかとぞっとした」のが真相。総理を取り替えれば済む話、では全く無い。 via web

2012.03.04 00:54


というわけで、菅がこんなことまで言い出さざるを得ないほど、原子力村の面々は茫然自失の体で突っ立っておった、というハナシであったわけだ。

もちろん菅が12日に現地視察に飛んだこととか、やっぱりありゃダメだったよなとオレも思ったりするんだが、そもそも原子力行政の根幹が腐っていたワケで、それを上手くコントロールできなかったからといって菅は「悪者」なのか、という思いが一貫してある。彼の功罪を検証しつつ、でもやっぱり問題の根源は「安全ですから」の一辺倒で有事を想定せず、有事が到来したらしたで思考停止に陥ってしまった原子力ムラそのもののありようにあるんではないか、という視点が大事だとおもうんだが。

メディアもメディアで、そういう本質論を糊塗する方向に議論をもっていくのは明らかなミスリードであり、ちゃんとしていただきたいものだ。