というわけで、きょう仕事を終えて駅から歩いて帰ってくる途中、立ちションベンをしている男を目撃したのだった。

う、そういやぁ立ちションしてるのを見るの久々だわい、と思う。

そうなのだ、最近立ちションをする男というのはほとんど絶滅危惧種なのである、少なくともオレの身の回りでは。こいつは意外な発見であって、そういえばこのまえテレビで見た映画「転校生」は1980年代の邦画の傑作としてオレの心に深く刻まれている名画なのであるが、その最後のほうで尾美としのりが気持ちよさそうに立ちションをするシーンがあった。あの映画を知ってる人であれば頷いていただけると思うけれども、あれは確かにストーリー上、必要なシーンではあった。が、同時にあれは当時のジョーシキからすれば別段違和感のあるシーンではなかった。

つまり何を言いたいかというとだな、何やかやいって、ああいう品のないふるまいをする人間というのは、この日本ではどんどん減っているのではないか、ということなのだ。

たとえば、ワケもなく駅員に暴力をふるう人間とかがしばしば報道されて「最近のニッポンは怖い」みたいな印象操作がなされたりもする昨今なのであるが、いやよく考えてみると「イキナリ暴力をふるう粗暴なヒト」というのは本当は昔のほうが多かったのではないか。殺人事件とか昭和30年代なんかと比べると激減したっていうのは有名な話でもあるし。

これは、例の映画「三丁目の夕日」をみては「むかしは良かったよねー」と遠い目をする連中への違和感とも重なってくるわけだが、やっぱり何やかやいって、日本人は豊かになったのであり、そしてそのプロセスのなかで「衣食足りて礼節を知る」ようになったのである。それはそれでちゃんと評価しないといけないことではないのか。

これとちょっと関連した話をもうひとつ。昼間、銀座の界隈を歩いていると、よく中国人観光客がデカイ声で話をしながらぶらついておる。若干失礼なことを言わせていただくと、オレのイメージの中では、中国人というのは街を歩いていても、のべつまくなしに「ガラガラペッ」とタンを吐き散らす人たちだ、というイメージがある(あと行列は絶対守らない、とかね)。

しかるに、最近銀座で見かける中国人観光客は、まぁ行列を守るかどうかは知らんが、どうやら街路にタンをペッと吐き出したりしてはいないのである。もちろん日本に観光にくるような連中はかなり裕福な層だということもあるンだろうが、まぁタンは吐きそうもない。たぶん。

何やかやいって、小ガネを貯めた中国の皆さんも「やっぱタン吐いちゃいけないよねー」と思うようになったに違いない。やっぱ「衣食足りて礼節を知る」なんである。

というわけで、話をもとに戻しますけれども、ナニカっつーと「昔は良かったー」という人たちがいるけれど、決してそういうのは真に受けてはいけないのである。ノスタルジーはノスタルジーでいいけれども、まぁ今の自分たちにもっと自信もったほうがいいんじゃねーの、とオレは常に思っているのである。立ちションが減った日本。どうだ、素晴らしいではないか。

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【追記その1】 ↑まぁ、たしかにこういう風景と立ちションベンはすごくマッチするような気はしますナ

【追記その2】 もっとも、路上喫煙とか立ちションとかを、居丈高になって「絶滅せよ!」とか叫ぶような連中もまた願い下げではある。ああいうのは自分が「やめた!」と決めてやめるものであって、強制してやめさせるというのはやはり宜しくない。