天声人語の珍妙なロジックを定期的に拾い上げてネタにしているんだが、朝日新聞にはときおり一般の記事でもけっこうツッコミどころのある逸品が掲載されることがあるので、カテゴリー「朝日新聞を嗤ふ」というのを作ることにした。

で、ちょっと前なんだが、またちょっと嫌なかんじの記事があったので、遅ればせながら紹介しておこう。こういう話である。

北杜夫さんは窒息死? 医師の説明不適切、解剖行われず(2012年9月9日11時11分)


 昨年10月に84歳で亡くなった作家の北杜夫(本名・斎藤宗吉)さんは、死亡診断書で死因を「腸閉塞」とされたが、吐いたものを気道に詰まらせた窒息死だった可能性があることがわかった。当時、医師が不適切な説明をしたため病理解剖は行われず、入院先の病院は死因を確定できなかったことなどについて遺族に謝罪した。


 北さんは昨年10月23日午後、脱力感と吐き気を訴え、救急車で東京都目黒区の独立行政法人国立病院機構・東京医療センター(松本純夫院長、780床)に運ばれた。その際は普通に会話ができ、救急外来の医師は「緊急性はない」と話したため、家族は午後8時ごろ病院を出た。ところが翌朝に容体が急変、午前6時過ぎ、死亡が確認された。


 長女の斎藤由香さん(50)によると、死亡を確認した30歳代の内科の男性当直医は「死因は腸閉塞による敗血症性ショック」と説明。病理解剖に応じるかどうかの意思を確認する際、「解剖すると(すぐには)自宅に帰れなくなる。(体を)ガッと開けるので見栄えのこともある」などと言ったという。(以下は有料記事)



「え、なんで? 別にいいじゃん? 何がまずいの?」とお考えの向きもあろう。しかし、つねづね朝日新聞の貴族趣味に閉口してきたオレなんかからすると、ちょっとムカつく。説明させていただこう。

確かに北杜夫の死因について、遺族が不信感を抱くようなふるまいが、病院側にはあったのだろう。しかしコレ、まぁ別に誤診されて死んだとかそういう致命的な過誤があったとかいう話ではないようだ。言ってみれば「人の生き死ににかかわる病院側はもうちょっと真摯な対応してくれよ」的な話である。

確かに遺族にとっちゃ無念だろう。だが、しかし。その程度の話なら、オレたちの身の回りには掃いて捨てるほどあるだろうが。「あの医者のヤロウ、いいかげんなこと言いやがって!」とか。それを、なんでこんなにデカデカと報道するのか。そこらへんから朝日の貴族主義的人間観がぷんぷんと臭ってきて、読む側もいたたまれなくなってしまうのである。

いや、そりゃ朝日にも言い分はあるだろうさ。読者相談室に電話をかけてきいてみたら、たぶんこんな「模範解答」が帰ってくるんじゃないのかな。

「いや、そういう病院への不信感みたいなもの我々は日頃感じているわけでしょ? だから、あの有名人の北杜夫さんの家族だってそういう目に遭った、と報じることはですネ、まぁこういう有名人ということですと皆さんの注目も引くでしょうから、病院に対する反省を強いるというか、患者不在の医療という現状に一石を投ずる意味でも重要だと考えたのでして」云々。

しかし、別に有名人がそういう目に遭おうが遭うまいが、「こういう現状にはおおいに問題アリ」というんであったら、一般大衆に取材してとっとと話にすりゃよかったんじゃねーの? 

やっぱね、こういう記事の背景には、「まぁそこいらの一般庶民が病院に泣かされてたりしたって、ま、当たり前のことなんでニュースにゃならねーが、一流の作家センセイがこういう目に遭ったからにゃあ、やっぱ問題視して取り上げねーとまずいゼ!」という気持ちがあるのだ。ひごろ、進歩主義の砦として「人の命に貴賤ナシ」みたいな偉そうなことを言ってるクセに、こういう時には「大先生>一般庶民」という貴族主義的ホンネがポロリと漏れ出てくるのである。


そりゃ、個人的なことをいえば、北杜夫はわが故郷の旧制松本高校の出で、どくとるマンボウ青春記とか素晴らしい本も遺してくれたし、無類の阪神ファンだったというからその辺の親近感もある。死んだ時には「あぁ惜しい人を亡くしたなー」と感無量だったんだが、しかし、それはそれ。オカシイものはオカシイ。二枚舌、ダブルスタンダードはいけない。

いやそうじゃない、というなら、これからでもいいから病院の死因判定に異議アリとかいってキャンペーンでも始めなさい。