田中真紀子がまた暴走開始、である。

田中文科相:3大学の新設認めず…審議会の答申覆す

つまり文科省の審議会が「新設OK」といったんゴーサインを出した大学について、いきなり「いや新設まかりならん!」と言い出したというハナシである。ま、確かにワケワカラン駅弁大学ばっか作りやがって、税金入ってんだロ?的な一般大衆の憤懣というのはどっかにあって、そーゆー意味ではさすが大衆の俗情に寄り添った田中角栄のDNA(笑)を引き継いだ人だけのことはある。もちろん角栄のほうは根回しの人だったようだから、こういうイキナリの暴挙はなかったと思うけど。

ま、それはそれとして、この日本という国では前例踏襲がオールマイティでもあることだし、まず形式的に破綻をきたしていない限り、こういう大学新設は粛々と手続きを踏んでいけばうまくいくはずなのである。キチンと根回ししていけばある程度計算できる世界、っつーか。それをいきなりひっくり返すというのは、ある意味、日本文化への挑戦である。どうしても乱暴な感じは否めないのである。

しかし、よくよく考えると、最近の日本ではそういう型どおりの「官僚的」な段取りの世界は何となく忌避されてきたのではなかったのか? むしろ「政治主導」でダイナミックな変革を、というのが皆さんの希望してきたことなのではないか? 慣習や習わしなんかどうでもいい、変えるべきところは蛮勇をふるってでも変える、という主張に皆さん快哉を叫んできたような気がする(小泉さんときとかネ)。するってーと、いきなりハシゴをハズされた大学設置者に同情するよりは、いいぞ真紀子ヤレヤレーということになるのではないか。

「田中真紀子的な手法」は、こうやって着々と日本に根づいていくのかもしれんな。政治的独断専行が常に悪いこととは言わんが、コントロールの方法を欠いたときに俺たちがどこに連れていかれるか。それはよくよく考えておいたほうが良いと思うが。