産経新聞の2年生記者の記事が話題になっているらしい。

【若手記者が行く】科学取材…専門用語飛び交い理解不能の世界、頭が真っ白に


リンク切れとかするとアレなので、念のため以下にあらすじを説明しておこう。

彼は滋賀県草津市を担当する記者2年生である。で、立命館大びわこ・くさつキャンパスで「筋力余裕度計」が開発された、という話をきいたので取材に行ったのである。しかし、その説明をする科学者のコトバが全然わからない。彼は正直にこう書いている。

説明が終わり質疑応答に入った。質問したいのだが、「何がわからないのか」が、わからず声をあげることができない。頭が真っ白になった。


ま、そこはそれ、いろいろ苦労したが、何となく納得できるようなところまで話をきいて記事は書き上げた。やっぱ新聞記者っていうのは、いくら難解な話であっても「普通の人たち」にそこそこわかるように記事を書いてナンボだよね、そういう意味じゃ苦労したけどイイ体験だったよ、そういう話を記者さんは書いているのである。

しかし、一部に「おいおい新聞記者さんよ、そんな危なっかしいことでいいのかよ」的リアクションが出てきておる、というのである。こないだの森口某の誤報事件の一件もあったし、世間さまのそういう反応もむべかるかな、というところはある。

ただ、ちょっと言っておきたいことがある。そもそも一般社会の人たちは新聞記者の一般的なキャリアを知らないから、こういうツッコミを入れてしまうのではないか。

細かいところは各社によって違うのだろうが、一般的にいうと、新聞記者というのは入社早々、田舎の支局に送りこまれて数年を過ごす。たまたまその赴任地で何らかの「ニュース」があれば、事件、事故、政治、経済、文化、科学、なんでも記事にする。多くの場合、えり好みをしているヒマはない。私大文系卒だから科学ネタはカンベン、なんていう余裕はない。とにかく行って取材して書け。オン・ザ・ジョブ・トレーニングあるのみ。むろん、こういう事例であれば本社の科学部に相談して、という手もある。しかし時間との競争の中で、なかなかそんな悠長はことは言ってられない。「オマエが当事者に会って、実際に話を聞いたんだろ? じゃ、オマエが書くしかないんだヨ」という世界である。

そういうシステムはおかしい、と外野からいうのは自由である。が、しかし、比較的「大ニュース」に出くわすことの少ない地方で「トレーニング」をしながら記者を育てていく、というシステムは、どうしても場数を踏んでいくことでしか成長できないこういう職業にとっては必要悪というか、オーターナティブがなかなか考えにくいところなのも確かなのだ。

とゆーか、今回の産経記者さんが遭遇したような場面で、「あ、こういうネタなら科学に強い××クンだよね」とかいって××クンが支局から派遣されるようなシステムを構築するとなると、日頃そういう記者を「飼っておく」費用が必要になりますから、新聞代はたぶん今の3倍になるでしょう(笑)。あるいは「△△クンだったら宇宙物理学から万葉集まで何でもござれだから、このネタも十分ハンドリングできるよネ」みたいに評される、そういう人材を支局レベルでも揃えるとなると、そういう人材はまぁ超一流文化人クラスになりますから、やっぱりコストが何十倍にもなるんではないか。

というわけで、けっきょくアンタの住んでるこの国の文化・教育水準がせいぜいこんなモンなんだから、新聞記者ばかりに「おまえスーパースターじゃねーのかよ」といって難癖をつけるというのはムリなのですよ、という話。