久しぶりに天声人語のことでも書くか。今朝のはまた酷かった。

日めくりの暦がどうも苦手である。馬齢のせいか、目に見えて「残り日」が減るのが面白くない。愛用者も多いけれど、24時間すごせる回数券を日々ちぎるような、デジタル的な喪失感がきつい▼他方、ひと月ごとのカレンダーは、きょうとあすの間の余白に味がある。アナログの安らぎとでもいおうか、消えていく時が見えにくいのがいい

一読して、意味が全然わかンなかった。日めくりカレンダーをめくっていくと、当然のことながらだんだん嵩が減っていく。これを「デジタル的な喪失感」といっているんだが、ハテ、これは逆で「アナログ的な喪失感」ではないのか? 読者諸兄もご存じのように、何か物理的な「量」として存在するもの、体感的に「量」を感じ取れるものをアナログという。であれば、どんどんやせ細っていく日めくりカレンダーというのはまさしくアナログ的なものであって、デジタルという概念とは真逆のものである。

「消えていく時がみえにくいのはアナログ的だ」とか言ってるが、アナログというのは、むしろそういう変化が見えやすいものなのである。推測するに、まず「デジタルは味気ない=ダメ」「アナログは安らぎをもたらす=スバラシイ」という先入観があって、それからこの筆者はたまたま日めくりカレンダーがキライなので、日めくりカレンダー→悪いもの→デジタル、というワケのわからない論理を展開してしまったのだろう。

結局、この筆者は辞書の引き方も知らんことがわかった。校閲もこんな文章を黙って通しているので失格。議論がトンチンカンなのは毎度のことだが、言葉の用法ぐらいはちゃんとチェックしなさい。