算数・数学は論理的思考を磨くためにある、と前回書きました。
だけどどうも微積一生懸命やっても
論理的思考はなかなか身につかない、
しょせん「点数のため」だけの勉強に終始してしまうのが
いまの日本の教育ではないか。そう思います。

そんなことを考えさせてくれる一冊の本があります。

河合幹雄「安全神話崩壊のパラドックス

法社会学の先生の本なのですが、一読、目から鱗がおちます。
「最近の日本では凶悪犯罪が増加し、犯人もなかなかつかまらない。治安は悪化している」
などとよく言われます。でもほんとか?

この本は「決して治安は悪化していない」と主張しています。
読んでいただくのが一番早いのですが
いま手元に本がないので記憶に頼って書けば
たとえばこういうカラクリがあるというわけです。つまり
以前の警察は、何とか理由をつけて事件の被害届を
受理しないことがままあった。

ところが被害者の訴えを門前払いした結果
大事件になってしまった桶川ストーカー殺人というのがあった。
その反省から警察は「被害届の門前払いはしない」という風に
方針転換をしたのだそうです。

するとどうなるか。
事件の認知件数が上がる→「犯罪数」増加→しかし手は回らない
→検挙率低下→「治安悪化」が叫ばれる、云々。

こんな調子で、実は「治安悪化はイメージ的なもの」
といった結論を河合さんは導き出すのです。

話が遠回りしました。結局こういうことです。
ものごとをロジカルに、批判的に考えていく姿勢があれば
統計の数字だってウラがあることがわかる。
そういうときにこそ論理的思考が必要なのだけれど
われわれ、全然そういうことができるようになってないじゃないか。

あるいはネットから出た本として話題になった
反社会学講座」という本も同じようなことを教えてくれます。

「血液型占い」というのもありますが、これなんかも
けっこう真面目に受け取ってる人が多いのじゃないか。
しかし、これはむしろ
「こういう人だ、と思って見ていると、本当にそういう人に見えてくる」
というだけの話であってハッキリいえば嘘八百でしょう。

まあこういう日本人の弱点を塾通いと結びつけるのは
こじつけに過ぎないといえばいえるでしょう。
もちろん読み書きソロバンの基本は
最低たたきこまなけりゃいけないから
学校が機能してないんだったら塾が必要だ、
というケースもあるでしょう。

一方で「じゃその論理的思考とやら、どうすれば身につくの?」
って言われたら答えに窮するところもありますよ。

ただ何となく今の塾、それに学校も含めて
いまの教育というのが小手先に走ってるんじゃないかなぁという
不信感があるわけです。

結局、塾だ何だと言ってる連中のなかから
たいしたものは出てこないだろうなあ、と
いうのが私の信念であり願望(?)であるわけです。

で、娘はほっといていいのか、という問題が残ります。
「勉強みてやる!」といっても嫌がりますし(笑)。
しょうがないので「Z会」の通信教育やらせてます。
「Z会の勉強はホンモノなのか」ってツッコミもあるでしょうね。
う~、そこはわかりません。すいません。