ニュースみてますと、またぞろ政府主導で「夏のネクタイやめませんか」的な呼びかけが始まりましたね。しかし、何回やってもダメなんですな、これが。

ちなみに、ネットで検索するとネクタイの起源というのは諸説あるようですが、クロアチアの傭兵が弾よけの縁起物みたいにして首にまいてたものがはじまり、みたいな説が有力なようです。戦うクロアチア人、ミルコ・クロコップのご先祖さんですか。

で、話をもどすと、なんでノーネクタイはダメか。熱帯並みの夏がある国で、なんでネクタイを結ぶというバカなことをやめられないのか。横並びで互いに牽制しあう国民性というのは確かに一因なのですが、不合理とわかっていてもどうしてもやめられない、というのはもはや「呪術」の世界なんですな。「理屈にはあわんけど、これやっとかないとどうしても気分が悪い」とか、そういう心性の発露というわけですから、実はこれはもクロアチア以来の伝統(笑)を引き継いでいるともいえる。

で、思いつきでいうならば、おそらくそれは、なんやかやいって未だ残る「西洋コンプレックス」に起源しているのではないか。裸の自分に自信がなくて、「せめて服装だけでも西洋風に武装しとかなきゃいかん」という強迫観念があるところで、意味不明のネクタイが「踏み絵」になるわけですな。
「実のところ、このネクタイが何か、俺らもわからん。しかし俺らの世界に入りたいというんなら、おまえもこれつけないといかんだろうな~。さ、どうする?」と。この西洋の恫喝が根っこにあって、それがおそらく近代的な会社組織の恫喝とふたつながらにまじりあって、「はずせない」という心理的呪縛というやつになってるんでしょうなぁ。

「近代化」をお題目にやってきたこの日本が、無意識のうちに抱いてしまった奴隷根性の象徴がネクタイ。これがワシの仮説です。