というわけで、ソチ五輪男子フィギュアでは見事羽生選手が金メダルをとった。

おめでとう。あんなにクルクル回ったり跳ねたりするというのは、やっぱ並外れた修練のみが可能にする超人のワザでアル。

と褒めたそばからナンだが、でもやっぱアレってスポーツ競技としてはどうなんだろうネと改めて思うのだった。いつも言ってるのだが、採点競技とゆーのは採点基準がけっこー恣意的に決められているので「勝った負けた」についてどーしても釈然しないところが残ってしまう、という例の問題である。

まぁ今回の羽生選手のフリーなんかも、4回転ジャンプですっ転んでいるんだが「いや、採点上は4回転成功デス!」とかナンとかテレビで解説してるので、「ふーん・・・。そういう決まりなんですネ良かったですネ」とオレは内心でイヤミを言うのだった。

・・・いや、今回はそんなことを言いたいのではなかった。問題は、フィギュアの演技のバックに流れる音楽のコトなのである。

たとえば、こういうコトを考えて欲しい。テレビのニュース番組ではふつう、バックに音楽なんか流さない(ワイドショーは違うだろうけど)。何故かというと、「凶悪犯罪の容疑者逮捕!」→「ジャジャーン!!と怖ろしげな音楽」みたいなコンボを発動させると、どうしたって視聴者のほうはニュートラルな気分でニュースをみられなくなる。

「そうかー、コイツが犯人なのかー悪いヤツだなー」と反射的に思ってしまって、「ひょっとしたらその容疑者が無罪なのかもしれない」といった思考はアタマの中からすっ飛んでしまう。BGMっつーのは、どうしたってその場の人間の冷静な判断を狂わせて、情緒的な反応を呼び覚ましてしまうのでアル。だからこそ、公明正大を旨とするニュース番組では、そういうBGM的音楽を流すのは禁じ手なのだな。

で、話はフィギュアに戻る。よくよく考えてみると、ワザの「正確さ」とか「美しさ」(とゆーのもかなり主観的なものには違いないが)を、それでもできるだけ公平・客観的に評価するというタテマエで、こういう競技は成り立ってるのではないか。しかし、ここで音楽という要素が入ってきてしまうと、たとえば「音楽の力」で「実際よりよく見えてしまう」という事態だって十分考えられるではないか。

BGMにあわせて演技する「スポーツ」とゆーのは、フィギュアのほかに新体操とかシンクロナイズトスイミングとかもあるけれども、そういった意味で、こういうのはオレ視点ではいずれも「擬似スポーツ」である。「音楽の選曲しだいで結果が変わってくる」となると、もう、これはスポーツとゆーより「興行」とか「エンターテインメント」といったものに近いのではないか? それがオレのこの種の採点競技に対する根源的なギモンなのであった。

「イヤイヤそうはおっしゃいますが、それが現代のスポーツとゆーものなのデスヨ、テレビに流した時も絵になりますしネ」とIOC委員がいうのであれば、オレ的には「そこまで言うならもう分かった、じゃあポールダンスとかフレンチカンカンあたりもオリンピック競技に入れなさいヨ」と提案をしたい気分である。まぁ羽生クンには悪いけれども、オレ的にはそっちのほうが観ててずっと楽しめそうだし(笑)。

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左が妖精然とした羽生クン。右は将棋の天才のほうの羽生