ソチ五輪の話なのだが、新聞の見出しにいきなり「カーママ」とかあって、一瞬何のことかわかんなかった。

いや、もちろん3秒後にはカーリングママ=カーリングのママさん選手とゆー意味であろうという推測が閃いたのではあったが、しかし何だかなぁという思いが胸中に兆したのだな。

サムラゴウチさんとかオボカタさんの報道をめぐって、「本人がなし遂げたこと」を掘り下げていくよりも、それにまつわるエエ話みたいな、ある種エピソード方面にもっぱら注力して報道していくとゆーのは正しいことなのだろうかという問題が提起されたことは記憶に新しいが、ヤッパこの国ではそういうエピソード万能主義は不滅なのだな。

つまりカーリング選手の「ワザ」というものがあるとして、本当ならその選手がママだろうが婆さんだろうが未亡人だろうが不倫OLだろうが一切関係なく「ワザ」方面から話を説き起こしていくのがスジであるにもかかわらず、しかし実は誰もそんなことを求めてはいない、たぶんそういう話なのであろう。

カーリング選手のワザとか、サムラゴウチ作といわれてきた交響曲のスバラシサとかをじっくり吟味しようともせず、その周辺の撒き餌みたいなもの、わかりやすいお話にばっかり引っかかってしまうというのは、おそらくはワレワレの知性の欠如の反映なのだろう。あるいは痴性の過剰か。

そーいう意味では、このタイミングで見出しに「カーママ」とかつけた新聞が出回ってくるとゆーのは、メディアのサイドからいえば「オマエラしょせんバカなんだからこんなのでおkだよなー」という時宜になかったメッセージであるに違いない。ま、そりゃそうかもしれんけどな。