今年の花田英次郎賞UFO本部門(笑)は該当作ナシというのは先に述べた通りであるが、今年11月に出た『さみしいUFO』というのは、実は或る意味その有力候補になってもおかしくない一冊であった。
本書はアマゾンのKindle ダイレクト・パブリッシングで販売されていてフツーの商業出版ではないンだけれども、改めて読んでみると実にユニークで面白い。ただし本作に賞をあげてしまいますとちょっと内輪ボメみたいな感じになってしまってあんまりよくない事情がある。
どういうことかと言いますと、著者の秋月氏はUFO愛が昂じたあまり20年ほど前からほぼ毎年のように編集長としてUFO同人誌を刊行してきたという在野の熱血UFO研究家であり、国内のUFOシーンにあって知る人ぞ知る人物なのだが、たまさかオレは縁あってその同人誌「UFO手帖」に何度か寄稿をしたことがある。そんな立場でありながら賞をアゲてしまいますとインディー系UFO問題評論家(笑)としてのコケンにかかわる。それで贈賞は見送ったのであるが(オオゲサダナ)それはそれとして多くの人の手に渡ってほしい本ではある。過疎ブロガーの分際でスマンけれども、そんなワケで今回はこの本を取り上げさせていただくことにした。
本書はアマゾンのKindle ダイレクト・パブリッシングで販売されていてフツーの商業出版ではないンだけれども、改めて読んでみると実にユニークで面白い。ただし本作に賞をあげてしまいますとちょっと内輪ボメみたいな感じになってしまってあんまりよくない事情がある。
どういうことかと言いますと、著者の秋月氏はUFO愛が昂じたあまり20年ほど前からほぼ毎年のように編集長としてUFO同人誌を刊行してきたという在野の熱血UFO研究家であり、国内のUFOシーンにあって知る人ぞ知る人物なのだが、たまさかオレは縁あってその同人誌「UFO手帖」に何度か寄稿をしたことがある。そんな立場でありながら賞をアゲてしまいますとインディー系UFO問題評論家(笑)としてのコケンにかかわる。それで贈賞は見送ったのであるが(オオゲサダナ)それはそれとして多くの人の手に渡ってほしい本ではある。過疎ブロガーの分際でスマンけれども、そんなワケで今回はこの本を取り上げさせていただくことにした。
さて、バカ話は切り上げてそろそろ本題に入ろう。この『さみしいUFO』という本の成り立ちであるが、上述のようなキャリアをもつ秋月氏はどうやら従来の雑誌スタイルとは違うUFO本シリーズを定期的に刊行していきたいというアイデアをお持ちだったようで、これまで毎年出してきた同人誌「UFO手帖」はお休みし、書籍シリーズ第一弾として今秋刊行したのがこの本ということになる(表紙には「UFO手帖BLUEBOOKS 1⃣」 とあるからたぶん今後も続くのだろう)。「まえがき」にあるように実は2018年に氏が薄い冊子として出版した「さみしいUFO。」がベースになっているのだがだいぶ加筆・改訂がなされているようだし「UFO手帖」などに発表した文章も加えられた構成なので、既に冊子版を読んだ方でも楽しめるだろう。先日開かれた「文学フリマ東京」でも頒布されていたが上述の如く現在はアマゾンで販売されているから買う側としても大変お求めやすい。イロイロな意味で要注目の一冊なのだ。
で、この本がどういうものかをひと言でいってしまえば「UFOエッセイ」ということになる。系統としては大槻ケンヂがたまに書いてるようなヤツである。全部で22編。文中には「モーリー島事件」「ジョー・シモントン事件」といった事件も出てくれば、美麗UFO写真で知られたポール・ヴィラや宇宙人との間に子を成してしまった(と言い張った)エリザベス・クラーラーとか玄人受けしそうな面々も登場してくる。2、3頁の短いものから十数頁のものまで長短あるけれども、著者は各編でこうした事件・人物をめぐるストーリーを紹介しつつ、おのが胸に去来する思いを重ねていく。さらに言えば、全編を貫く執拗低音として文中に終始鳴り響いているのが「UFOはさみしい」というテーゼなのだった。
この「UFOのさみしさ」というのはそれぞれの事件・事例に即して語られる。UFOは人里離れた場所に出現することが多い。体験者もたったひとりというケースがほとんどである。自らの体験を語れば周囲からは怪しまれる。騒動になって家族が崩壊してしまうこともあった。UFO体験というのはリア充みたいなものとはあまり縁がなく、孤独や孤立、淋しさのほうと結びついている。これは一体なんなのだろうね――著者は繰り返しそう問いかけている。
これを考える上でのヒントも与えられている。1966年、フランスで歯車のついた車輪様のUFO(?)が地表を走行していた奇妙な事例を引いて著者は言う。「これが特殊な例なのかと言えば、UFOのカタチは実は他もそれほど統一されていません」「UFOにしても宇宙人にしても、それぞれ個々の事例の間に共通項は少なく、なんら一つに集約することはできません。つまりそれは、共感しうる最大公約数的な世界を越えた視界であり、その視界はほぼ誰とも共有できないという意味において、孤独なのです」。
ここで示唆されているのは、UFOというのは「客観的な存在」などではなく目撃者ひとりひとりの主観的な体験として立ち現れるものだ、ということなのだろう。であるからこそ一口に「UFOの体験者」とかいって括ってみても彼らは同床異夢。互いにわかり合うことはできないし誰にも分かってもらえない。だからこその孤独。何ともさみしい。
ここで示唆されているのは、UFOというのは「客観的な存在」などではなく目撃者ひとりひとりの主観的な体験として立ち現れるものだ、ということなのだろう。であるからこそ一口に「UFOの体験者」とかいって括ってみても彼らは同床異夢。互いにわかり合うことはできないし誰にも分かってもらえない。だからこその孤独。何ともさみしい。
しかし勘違いされると困るのだが、コレは「そうかそうかしょせん妄想なんだからUFOの目撃者が孤立するのはしょうがないよネ」といった話ではない。それでもなお著者は奇っ怪なUFO譚について愛を込めて語り、UFOに憑かれた人々へのシンパシーを隠さない。で、ここから先は推測をまじえての話になってしまうのだが、筆者のUFO愛の根源にあるのは「UFO体験をどうしても必要としてしまう人間への共感」というものなのだろう。
おそらくこれは宗教心の喪失といった問題とも絡んでいるのだが、現代に生きる多くの人々は内面に何らかの違和感ないしは欠落感を抱えている。日々の生活、暮らし、社会といったものは一見滑らかに進行している。しかし本当にこれがすべてなのか。現実の皮一枚がめくれたらそこには驚嘆すべき何ものかが潜んでいるのではないか。そして、そんな異界との遭遇は畏怖と魅了感動とが渾然一体となった感情――神学者ルドルフ・オットー言うところの「ヌミノーゼ」をもたらしてくれるだろう。そのようなモノとしてUFOは我々の前に立ち現れる(ことがある)。これを魅力と言わずして何と言おう。だからこそ人々は幾千万のUFO譚を心の中に生起させてしまう。それが単一のストーリーに帰着しないのは淋しさの源ではあるけれど、だからこそ千変万化の物語は人の心を打つともいえる。「幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」(トルストイ)
ということで勝手な批評をしてきたがこれはこの本にはイロイロと読者の想像を喚起する部分があるなぁというだけの話で、実際の本は平易な文章で書かれていて妙な理屈が出てくるわけではないのでご安心を。自費出版系にありがちな行間ギチギチみたいな本ではないし生成AIを使ったイラストなんかも配していてレイアウト的にも読みやすい。興味をおもちの方はゼヒ注文してみると良いと思います。Xのアカはこちら。全140頁。(おわり)
【追記】ちなみにUFOは基本「さみしい」のだが、UFO体験をした人の中には家庭はぶっ壊れたけれどもその後コンタクティー仲間の若い美女と再婚したという人物もいるようだし「フリーセックス教団じゃネ?」と騒がれたUFOカルトを立ち上げた人もいる。人生イロイロではあるw
【追記】ちなみにUFOは基本「さみしい」のだが、UFO体験をした人の中には家庭はぶっ壊れたけれどもその後コンタクティー仲間の若い美女と再婚したという人物もいるようだし「フリーセックス教団じゃネ?」と騒がれたUFOカルトを立ち上げた人もいる。人生イロイロではあるw











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