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今日はヒマなので自分が前に書いたブログを読み返していたのだが、そうしたら2013年3月の記事で「森で屁をこく」というサイトを激賞していたのを見つけた。

このサイト、別に特段の主張があるわけではないけれども日常生活の中のひっかかりだとか感情の起伏だとかをふざけた文体で書いていて、要するにオレのスキなタイプのサイトである。

ちなみにこの「森で屁をこく」、1997年から2003年まで続いていたサイトであったようなのだが、それが突然何の前触れもなく途絶したようだ。いわば「突然死」である。今回改めて訪問してみたがその状況に変わりはなく、サイトはそのまんま放置されていた。

いやしかし、と思う。このサイトが生きてたのはもう20年近く前のことになってしまったわけだが、当時、出版社の中の人か何かが「面白いからちょっと週刊誌にコラムでも書かせよう!」か何かゆうて話をもっていったら、この書き手はどうなっていたか。最後の記事に「32歳」だというようなことが書いてあるので、生きていれば(笑)いま51歳ぐらい。けっこう堀井憲一郎みたいな中堅コラムニストになってたかもしんないぞ。

何十年前から変わらないまま無造作に放り投げられたテキストが、逆に「ありえた未来」みたいなものを想像させる。それなりに年を経てきたネット文化の一断面である。




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映画「Fukushima 50」(2020)を観た。以下感想。

この映画、東日本大震災後の福島第1原発危機をノンフィクション風に描いた作品ということで、公開当時はけっこう話題にもなった。主演は渡辺謙、佐藤浩市。

で、オレも年をとったせいか、すでに福島第1原発危機の展開なんてものはだいぶ忘れてしまっていた。なので「あぁそういやこんな感じだったんだよなぁ。当時はオレらもすげえ不安だったよ」みたいな感慨はあった。そして、「いつもタイヘンな時は現場にしわよせがきて、安全地帯でふんぞりかえってるエライさんは気楽でいいよなあ」という映画の主張自体はよくわかった。わかったんだが、しかし何かどうも釈然としない気分が残る映画であった。

それはどういうことか。

この映画の主人公である吉田昌郎所長(渡辺謙)は「アホな東電本社やトンチンカンな官邸に抗して、ひとり現場で陣頭指揮をして事故を収束に導いたエライ人」という風に描かれている。そりゃまぁこの凄まじい現場で彼がすげー獅子奮迅の働きをしたことは確かなんだが、じっさいにはこの映画で描かれていない重大な事実というものがある。

というのは(これは以前このブログでも書いたことがあるんだが)吉田氏は事故の3年前の2008年、東電の原子力設備部長というのをやっていた。これは原発関連の設備整備を担当する部署なんだそうだが、その頃、社内の調査チームから「福島第1原発には高さ10数メートルの津波がやって来る危険性がある」という報告が上がってきた。当時の吉田部長がどうしたかというと、まぁいろいろと上と相談した結果ではあるのだろうが、最終的にこれに備える津波対策というものを取らなかった。

この「ミス」は全部が全部、吉田所長の責任だったといえるのかどうかはしらん。それこそ「熱心に危険性を訴えたのだが上に潰された」みたいな可能性もある。が、最終的にその時に津波対策をしておけばあの事故は防げた可能性がある。いったん重大事故が起きれば、それこそ日本という国が破滅してしまう危険性を秘めているのが原発である。針の穴ほどの危険であってもそこは十分な手を打たねばならなかった。なのに、それを怠ってしまった。

そういう事実をココに重ねてみると、事故当時の吉田所長を「アホな上司に苦しみながらも仕事を成し遂げた偉人」みたいに単純に持ち上げていいのかという気がする。当時の彼の心中には、そうした過去の「失敗」への贖罪の念があったのではないか。いや、実際に彼がどう考えていたかは分からんが、少なくとも事実に基づくフィクションというのだから、その辺の苦い事実にまで視野を広げてこそ、この映画は単なる勧善懲悪の構図を超えた作品になりえたのではないか(ちなみに作中では吉田所長の「予想もしなかった津波がきた」みたいなモノローグが流れていたが、こういう経緯からするとこれは違うんでないかとオレは思う)。

勧善懲悪といえば、この映画に出てくる首相(佐野史郎)はえらくヒステリックで、いつもやたらと金切り声を上げて怒っている。善玉・悪玉という区分でいうと完全な悪玉である。ちなみに当時は民主党が政権を取っていたから首相は菅直人である。彼も相当に「瞬間湯沸かし器」タイプの人間だったと言われるし、現場がすげー修羅場になっておった3月12日の朝にヘリで飛んできて作業の邪魔をした(これは映画でも描かれていた)というのも事実である。

従って、こういう菅直人批判みたいな演出をするのは別におかしいことではない。ただオレなんかからすると、「政治家批判をここでもってくるなら、菅直人なんかよりもっと悪いヤツいたんじゃねーの?」という気がしないでもない。

あの時点で「まかり間違えば関東含む本州の東日本に人が住めなくなる」みたいな、そういう危険があったのは事実である。で、そりゃ吉田所長率いる現場は死を賭して仕事をしていたにせよ、官邸がコンタクトをとっておる東電本社はなんとも頼りない。そういう場面で首相が激高するのは分からんでもないし、現場にいきなり乗り込んでいくというようなミスも(とてもマズかったのだが)心情的には理解できんことはない。

そこでよくよく考えてみると、そもそも「日本の原発はメルトダウンなんか絶対起こさない」とかゆーてガンガン建設を進めてきたのは民主党が政権をとる前の自民党政権である。そんな負の遺産が時限爆弾よろしくイキナリ爆発したからって、菅直人ばっかり責めるのは酷というものであろう。

ということであれば、もっと責任を負うべき政治家というのは他にいるわけで、たとえば安倍晋三である。

これは事故以前の2006年のことであるが、このとき安倍は首相をやっていた。それで当時の安倍は、原発に詳しい共産党の吉井英勝とゆー議員から「日本の原発いうのは巨大地震で全電源喪失になって冷却できなくなる危険があるからなんとかしろ」という追及を受けていた。

ところが安倍は「原発には非常用ディーゼル発電機が置いてあるから大丈夫っしょ」とハナにもかけない。吉井議員が「しかしディーゼル発電機のバックアップとか複数系用意しとかないと危ないだろ。全然用意たりてないでしょ」とさらに追及しても「いやいやいや全電源喪失は起きないから。そんなん要らんて」ゆーて無視してしまったのだった。

それでどうなったかというと、福島第1ではその非常用ディーゼルが津波をくらってダメになってしまった。そしてあの原発事故というのは、ちゃんとした電源さえ生きていれば起きなかった。吉井議員のいうように、別のもっと安全な場所にリザーブの電力供給源を置いとけばあんな事故にはならんかったのである。

こういう事故回避のチャンスを潰してしまった安倍こそが希代の大戦犯だとオレは思うのだが、たまたま自分トコが政権失ってた時代に事故が起きたので、安倍は鼻クソほじりながら平気の平左で高見の見物をしていたのである。マトモな神経であればその時点で責任を感じて切腹するところである。

もちろん劇中で「あ、そういや数年前、国会で共産党の議員が全電源喪失の危険性訴えてたよな。まさに今回の事態じゃんかよ」みたいなセリフを言わせるのも不自然なのでそれはしょうがないのであるが、なんか「激高する菅直人を演出して事足れり」というのはいかにも浅く思われてくるのである。

というわけでいろいろ不満の残る映画というのがオレの結論である。アメリカで作ったテレビシリーズ「チェルノブイリ」なんかに比べると残念ながら格段劣っている感は否めず、いささか残念であった。














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内野恒隆著『にっぽん宇宙人白書』(1978年、ユニバース出版社)というUFO本を手に入れた。これは、その方面ではかつて一世を風靡した「UFOと宇宙」という雑誌の編集者が、いわゆるエイリアンとの遭遇譚を日本各地に取材したというテイの本で、おそらくは「UFOと宇宙」に載った記事をリライトしてまとめたものなのだろう。

で、「自分のクビを取り替えてくれ」という宇宙人に会った話など――といってもほとんどの人には意味不明であると思うが――ともかく奇妙な話が満載されていて、UFOファンの間ではなかなかに評判の良い本なのだった。

なのでオレも前から探していたのだが、これまでなかなか見つからなかった(これはたぶん、UFO好きで名高い大槻ケンヂがこの本を各所で激賞しているので品薄になっているせいではないかとオレは睨んでいる)。そんなワケで、福島市の「UFOふれあい館」に行った時、UFO本ライブラリーにコレがあるのをみつけてすかさず借り、二階の大広間に寝っ転がってザッと目を通してきたのも良い思い出である。

さて、そんな本を今回ようやく入手したのであるが、改めてペラペラめくってみると実にまぁ怪しい話ばっかりで、「これぞUFO本の醍醐味だっ!」と叫びたくなるほどであった。ちょっと感動したので今回は最初のほうをチラッと読んでの感想文を書いてみたい。

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ボロボロだったので「ニチバン製本用カバーフィルム」で包んで解体を阻止した『にっぽん宇宙人白書』



しょっぱなに出てくる話は関東大震災の時にエンバンに先導されて逃げたら助かったという老女の体験談である。ケネス・アーノルド事件の四半世紀前であるから、なんか時代感覚がムチャクチャなスチームパンクSFみたいな味わいがあってよろしい。

で、二番目に出てくるのも素晴らしい。これはオレが超常同人誌「UFO手帖」の関係で知り合った在野のUFO研究家、ものぐさ太郎αさんが「カクヨム」に「創作に使える(?)不思議話 ~第8話 大原で何が起こったか」と題してコラムを書いているぐらいで、つまり関係方面ではとても名高い事案である。

なので今回の感想文はこの案件について語ろうと思うのだが、ひと言でいうとコレ、京都・大原で旅館「紫雲」を経営していた河上むつさんの体験談である。で、この人、何やらヘンな体験を山ほどしている。だいたい1974~76年頃の話が中心なのだが、最初に書いてあるのは、夜中に「白い光のかたまり」のように見える身長30-40センチほどの小人が現れて、そいつに光を浴びせられた――という話である。ちなみにたぶんこの怪光線のせいなのだろう、河上さん、ずっと苦しんでいた交通事故の後遺症がこのあと急に直ってしまったのだという。

で、また別の話であるが、彼女がある日の夜、調理したカボチャを冷やそうと鍋ごと外にもって出ていったら、そこで泡状の飛行物体(これはちょっと意味不明である)に遭遇し、そのあと気がついたら鍋の中のカボチャが灰になっていた――という出来事も報告されている。ちなみにこの件については、その後、アメリカの「博士」をなのる男がやってきて「これは貴重なものなので」とかいって鍋を持ち去ってしまったという後日談がある。これなんかは「カボチャを煮た鍋」というリアリズムと奇現象との取り合わせが意表をついており、かつ Men in Black テイストをまぶしているという点でオリジナリティの感じられる素晴らしいストーリーである。

こうした「怪しい人物」にまつわる話はまだあって、ある日、性別不詳ながら身長165センチぐらいの眉目秀麗な人物が彼女の旅館の玄関先に現れたことがあるのだという(ちなみにぴっちりした服装で、アダムスキの妄想に出てくるオルソンに似ていたようである。ただし外国人風だったとかそういう事は一切書いていない)。

この人物とは特に言葉をかわしたりすることはなかったようだが、こういう事が都合三度あって、3回目には河上さん、また例の白い光線を浴びせられて卒倒してしまった。その後、玄関先には謎の足跡も見つかった。

そのほか、家の前の道路を通りがかったクルマの前輪が何故か空中に1メートルほど浮き上がってしまい、その場で立ち往生してしまったという話、近くの高圧線上に飛行物体が出現し、その際には一帯でクルマのエンジンやライトが止まってしまった話など、ともかく旅館「紫雲」の周囲ではスゲー怪現象が目白押しなのだった。

さて、この河上さんにまつわる一連の事件報告の素晴らしいところは、「京都・大原にある旅館紫雲」という固有名が示されていること、つまり一連の事件の現場が特定されてる点である。となると、こんな旅館ホントに実在するのかイロイロと調べたくなってくる。実際に先に触れたものぐさ太郎αさんも、この旅館に泊まろうと一度は試みたらしい。もっとも前述の「創作に使える(?)不思議話」には「電話が繋がらず、実現できていない」と書いておられるので、最終的にはうまくいかなかったのだろう。返す返すも残念である。

しょうがないので、ネットで情報収集する。

ちなみにこの旅館、本の中には京都大原の阿弥陀寺から国道367号線を隔てた向かい側にあるとか書いてあるので、Googleマップのストリートビューで辺りをうろついてみる。するとどうやら国道367号線は新道に切り替わったようで、本の中で言っている367号線というのはおそらく旧道なのだろう。確かにその旧367号線とおぼしき道路からは阿弥陀寺に上がっていく道がついており、近くには『にっぽん宇宙人白書』で言うところの紫雲のそれとおぼしき黒塀のある家屋が認められる。だが、少なくともこの家屋が旅館をやっているような形跡はなく、いつの間にか廃業してしまったようである。遅かりし、である。

もっとも、Google先生のおかげでなかなかに興味深い情報も見つかった。

無断でリンクを貼らせてもらうが、行き着いたのは

「B級グルメを愛してる! 味な人生、味な生活。~米川伸生のB級グルメ食べ歩記」

というブログで、ここに「ありえないくらいの大量の松茸と湯ばーばの怪 ~京都「紫雲」の至福と驚異と~」というエントリーがある。

どうやら、これはその幻の旅館「紫雲」にメシを食いに行った人のレポートであるらしい。それは「大原三千院の近くにある『紫雲』」についての話で、「店は旅館のような佇まいをしている」などとあるから、どうも旅館「紫雲」は後に食べ物屋に業態を変えたということであるらしい。そして、この記事の日付は2005年10月8日とあるから、少なくともその時点で(ないしは直前まで)紫雲は営業していたという事がわかる。

さらに、このブログの主の米川さんは「アンビリバブーな松茸を食わせる店」「1年のうち、この時期だけオープンする松茸を食わせるだけにためにある店」などと書いている。要するに、この時点での紫雲は、とにかく食い切れないほどの松茸を出してくれる季節営業の店として知る人ぞ知る名店(?)であったようなのだ。

だが、このエントリーでオレが一番注目したのはそういうことではなく、この店の女将(一貫して「おばば」と表記されておるw)が相当な変人として描かれていることだった。筆者はこのおばばに対して、「金をごまかす」「ありえない丼勘定をする」などと、なかなかに辛辣なことを言っている。

その辺はリンク先のブログを見て頂くと一番早いのだが、万一リンクが切れてしまったりした時に備えて簡単に説明しておくと、どうやらおばばは料金を全部時価扱いにしているらしく、その流れで客にずいぶんと無茶な要求をふっかけてくるようなのだった。具体的にいうと――

おばばは二級の日本酒を出しているにもかかわらず「お銚子は一本一万円」と主張してきたが、抗議されると「じゃ一本千円で」とかいって折れた

おばばは「お釣り」という概念を否定しているらしく、たとえば1万4千円で万札2枚を出したりすると「お釣りがない」と言われて徴収されてしまう(なので事情を知った人は1000円札を大量に用意していくらしい)

おばばはバイトの青年たちをダシに「若い者たちに心付けをあげてくれないかのぉ」などとチップを要求した


というわけで、もちろん「食い切れないほど松茸を出す」のだから、結果的にそんなにボッてるワケではない可能性もあるンだが、だったらなんでこういう怪しい言動を取るんでしょうかという疑問が兆さないでもない。おばばはどうも「ちょっと変わった人」であったようなのだ。

となると、仮にこの「松茸をだす紫雲のおばば」が、くだんの河上むつさんであったとしたらどうなるか。河上さんが「変人」であった可能性が俄にクローズアップされてくるのであった。

もちろん、ブログの中には残念ながらおばばの実名とかは出てこないので、この人こそが30年後の河上むつさんであったと断定することはできない。だが、ここには「最近腰痛がひどくてね」「もう体にガタがきているから来年はどうなることやら…」といったセリフが引用されているので、このおばばが相当の年配だったことは間違いない。

一方、『にっぽん宇宙人白書』のほうを見ると、当時の河上さんが何歳だったのかは書いてないけれど、「パンタロンをはいた大柄な河上さん」とある。1970年代というとパンタロンは若者の間で流行っていたような気もするが、旅館を経営しているというぐらいだから20歳代というのはまずないだろう。となると若くて30代、フツーに考えれば40代ぐらいか。

で、仮にその想定が正しいとすると、ブログの話はそれから約30年後なので、このとき河上さんは60代から70代。おばばも丁度それぐらいと思われるので、両者が同一人物だとしても何となく平仄はあう(ちなみに、ググってたら1974年の時点で河上さんの年齢を「49歳」と書いてるサイトがあった。いろんなメディアで報道されたらしいンで、どっかに年齢が書いてあったのかもしれない)

とまれ、「河上さん=松茸おばば」である可能性は高い。すると、不思議な話を語った河上さんの証言を文字通りに受け取ってよいのかという気がしてくる。「いや、変人の証言だから体験談も怪しいっていうのかい? そりゃフェアじゃないよ」という声もあるかもしらんが、まぁ基本的に変人の言うことはその分、ちゃんと検証していかないと危ないというのがオレのスタンスである(というかオトナの世界はそういう理屈で動いているのである)。

そういう目で改めて『にっぽん宇宙人白書』をみてみると、ちょっと気になるところもある。

そもそも著者は「テープレコーダーで証言を録らせてほしい」と頼むのだが、「気違い扱いされるので」とかいって河上さんは最初渋ったらしく、ここには何かちょっと引っかかるものを感じる。彼女は「言った/言わない」の証拠になるような証言記録が残るのがイヤだったのではないか。

あと、河上さんの証言の信憑性を判断するためには第三者の証言が欲しいところだが、この本の中ではそうした人々に積極的に取材をかけた形跡が(あんまり)ない。具体的にいえば、自宅近くの田んぼに赤いハート型の光体が現れた時、これを「隣り町のAさん」と一緒に目撃したという記述があるのだが、Aさんがどう言ってるかはよくわからない。クルマの前輪が浮き上がって走れなくなってしまった事案については、あるテレビ局が「ここらでは不思議なことが起こる」というトラック運転手の証言を取ったとされる。だが、そんな証言はホントにあったのか。京都新聞が取材に来たことがあるらしいが、どんな記事が出たのか。「話をききつけてやってきた立命館大の学生と一緒にUFOを目撃した」という話はホントに確認されているのか。

唯一、オルソン似の宇宙人が残した足跡なるものを見たと報じられた日本UFO研究会の平田留三代表に対しては、取材をして「その通り」という言葉をもらったようなンだが、そもそもその足跡というのはコンクリート上にあったものを半紙に写したものらしく、そんなものどうやったら写せるのかよく分からんし、河上さんはその「足跡の現物」を著者に絶対に見せようとしなかったというから、これとて初手からいかにもスジ悪の話なのである。

さらに身も蓋もないことを言ってしまえば、大体これが「UFOと宇宙」という円盤ファン向けの雑誌用に取材した話だったとしたら、ちゃんと検証した結果、「HOAXっぽい」みたいな情報が出てきてしまうとかえってマズいのである。「少なくともこう言ってる人がいる」という事実を押さえ、そこから先に行かない・寸止めするというのは、商売としては合理的な判断である。

だから、決してそういうことが事実としてあったと思う必要は全くない。ただ、そのようなことを「確かなこととしてあった」と語る人間が面白い。オレはそのような視点でこの本を読んでいる。そして、この本はそういう読み方にも十分に応えてくれる深度を備えているように思えるのだ。(以下つづく・・・かはどうかは知らんw)





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超常・オカルト方面のネタ番付というものがあるとして、かつて「UFO」は東の正横綱クラスに堂々君臨する王道ネタであった。

時移って、残念ながらそんなUFOネタも今では小結辺りでウロウロしている感があるのは否めない。が、そんな風潮に抗って孤軍奮闘している同人誌が

「UFO手帖」

である。UFO好きの有志が様々な切り口でUFOを論ずる雑誌として、これがギョーカイで独自の存在感を放っていることは、こんなサイトをわざわざ訪ねてきたアナタであるならば重々ご承知であろう(願わくは、たぶん)。

で、待望久しかったその最新版「UFO手帖5.0」が、このほど1年間のインタバルを経て遂に刊行された。通販等にさきがけて現物を入手することができたので、今回は簡単にその内容をご紹介しよう。


■特集

今回の特集は、映画『UFO―オヘアの未確認飛行物体』である。2018年製作のこの作品、日本はもちろん本国アメリカでも劇場では公開されなかったというぐらい地味なUFO映画なのだが、その実、篤実なUFOファンにとっては噛めば噛むほど味の出るスルメのような佳作である。では一体どこが凄いのかという話になるワケで、異常な嗅覚をもってどっかから本作を見いだしてきた秋月朗芳編集長ほか有志の方々が、その魅力を深掘りしたのが今回の特集である。

簡単に説明すると、この映画は2006年にアメリカ・シカゴのオヘア国際空港で実際にあったUFO事件を下敷きにしている。

空港の上にエンバン状の物体が出現する。衆人環視の中、しばし滞空したエンバンはやがて上空の雲を突き破って飛び去る。その雲には「まん丸な穴」が開いていた――実際にあった事件はそのような奇妙なものであったワケだが、本作もまたこれと同様な事件が起きたという設定で始まる。

もちろん、映画にはこれにプラス・アルファの要素が加わっている。エンバンは空港上空に出現した際、管制塔の交信記録の中に謎めいた音声信号を残していった。で、数学好きの地元の或る大学生が、ひょんなことからその事実に気づいてしまい、それが人類に向けたメッセージであることを見抜く。右往左往した結果、彼はその解読に成功するのだが……といったのが大体のストーリーだ。

いや、大したスペクタクルがあるわけではない。映画としては実に渋い。渋いのだが、しかし、このストーリーには、実は我々UFOファンの琴線に触れる部分がある。そこが本作のキモなのである。

「誰も気づいていないUFOの秘密にオレは肉迫しているッ!」というのは、UFOファンであれば一度は妄想してしまうシチュエーションである。ここで描かれるのは、まさにその陶酔感、恍惚感。そこいらあたりの描写が我々としては身につまされる。何だか浸みる。いや、かつて矢追純一UFOスペシャルを食い入るように見て、一瞬でも「ひょっとしてマヂ?」と思ってしまったアナタであれば、その感覚に覚えがないとは言わせないッ(笑)。

というわけで、本特集ではこうした本作の魅力が紹介されるほか、モデルとなったオヘア事件や、空港が舞台になったUFO事例、多くの人々が目撃した1980年代以降の事件などが幅広く紹介されている。もう一つ言っておくと、この映画の中では主人公が数学の才能を生かして暗号のデコードに励んでいくンだが、特集ではそのあたりについての解説もある。典型的文系脳のオレは映画を観ててもその辺の理屈がほとんどわかんなかったのだが、その「微細構造定数の彼方に」という論考を3、4回読むことで、その理屈をなんとか七割ぐらいまでは(笑)理解することができた。

表紙を含め、随所に掲載された窪田まみ画伯のイラストもそそる。UFOファン必読の企画である。


■連載など

連載も好調である。ポップカルチャーにUFOが刻印を残した事例を取り上げた「邦楽とUFO」「洋楽とUFO」「UFOと漫画/アニメ」。ラインホルト・O・シュミットというオールド・ファッションド・コンタクティーを紹介する「アダムスキーみたいな人たち」。

「古書探訪」は岡山のコンタクティ、安井清隆・畑野房子夫妻にまつわる不思議な話を取り上げたローカル本を発掘している(ついでにいうと、この記事の書き手は我が子にUFO英才教育を施すという戦慄すべき実践に取り組んでおり、その成果の一端は今号掲載のミニコラムに記されている…)。「シリーズ 超常読本へのいざない」は、比喩的にいうならば「追いかけると逃げてしまう」超常現象特有のアポリアを森達也氏などの著作を通じて追究した意欲作。

「乗り物とUFO」は、UFO現象に付随して、何故だかしらんがしばしば登場するヘリコプターにズームイン。「ブルーブックもつらいよ」は、しょうもない事例なんかにも付き合わあわざるを得なかった米国の調査機関、プロジェクト・ブルーブックの悲哀(?)を今回もしみじみと描いている。

あと、連載関係ということでひとつ触れておくと、以前の「UFO手帖」には筆者がそれぞれにイチオシのUFO事件を紹介する「この円盤がすごい!」という奇っ怪な企画があったのだが、これは今回休載。ちょっと残念である。次号ではどなたか書いてほしい。


■その他

このほか、エッセイ「飛鉢の法」は「信貴山縁起絵巻」などに出てくる「空飛ぶ鉢」にスポットを当ててて読むと何だかスゲー自分がインテリになった気分になれるし、UFOに触れた1947-79年の雑誌記事を網羅しようという「新編・日本初期UFO雑誌総目録稿」(今回のはその第一回という位置づけだが)はたぶん30年後にスゲー価値が出てくる資料である。もちろん、毎号人気の四コママンガ「フラモンさん」もいつもながらジワる。



■最後に

で、なんかここまでは評論家みたいなことを偉そうに書いてきたけれども、実はオレもここ何年かこの同人誌に原稿を載せてもらっている関係者のひとりで、今号にも1本書いている。アメリカのボブ・プラットという研究家が「ブラジルのUFOは如何に乱暴か」ということを書いた『UFO Danger Zone』という本の感想文である。買った人はヒマな時にこれも読んでください(笑)。


ということで、本号は11月22日に開かれる「第三十一回文学フリマ東京」で頒布されると聞いている(コロナで中止にならなければ)。もちろん早晩通販も開始されるハズである。文学フリマ終了後にココをご覧になった方は、版元の「Spファイル友の会」のサイトを定期巡回されたい。


追記

なお、何年も後にコレを読んだ人が疑問に思うといけないので老婆心ながら書いておくが、表紙にあるコピー「ぼくたちは、UFOをまさわなければならない」というのは、ちょうどこの本が出た時期には新型コロナウイルスが流行しており、結果経済活動が停滞しがちであったことから「いや、経済はまわさないといけないよネ」という言説が広まったのをもじっているのであって、海老一染之助・染太郎とは全く関係ない。というかこの時点でこの2人は物故しておられる



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米映画「スキンウォーカー・プロジェクト」(原題はSkinwalker Ranch)のDVDをレンタル落ちで売ってたので買った。以下感想文。



オレがなんでこのDVDを買ったのかというと、これが一種のUFO映画であると聞いたからだ。

とりあえず、その背景をWikipediaに従って説明しよう。

アメリカはユタ州の田舎に「スキンウォーカー・ランチ」という、その筋ではとても有名な牧場がある。なんでここが有名になったのかというと、1990年代の後半に「この牧場の一帯では奇妙な現象が多発している」という話が広まったからだという。

要するにUFOが出たり、いわゆるキャトルミューティレーションがあったり、目を赤く光らせたナゾの巨大動物(しかも撃っても死なない!)が出現したり、ともかくいろんな不思議なことが起こる、というのである。

ちなみにこの「スキンウォーカー」というのは動物とかに変身できる魔人のことで、もともとナバホ族の伝説に出てくる存在であるらしい。その辺にちなんだ名前もなんか「とても効いてる」感じがする。スキンウォーカー牧場にまつわるアレコレは、「Hunt for the Skinwalker」(2005年刊)という本に書いてあるようなので、興味のある方は読まれるが宜しかろう。

さてこのスキンウォーカー牧場、1996年になって、アメリカの大金持ちであるロバート・ビゲローが設立した「National Institute for Discovery Science」――「全米科学発見研究所」とでもいうのだろうか――という組織によって買い取られる。このビゲローはUFOとか超常現象とかが大好きな愉快なじいさんで、この研究所もその手の研究をするという道楽のために作ったものらしい(もっともこの研究所、2004年には解散してしまったようだ。なかなか道楽というのも大変である)。要するに、このオバケ屋敷ならぬオバケ牧場を我が物にして、存分に調査してやろうという事であったらしい。

その後、2016年になると、ピゲローは実業家のブランドン・フューガル(Brandon Fugal)なる人物にこの牧場を売っぱらってしまうのだが、それまでの間、実際にいろいろと科学的な観測機材など持ち込んで調査をしていたという話である。

その内容というのは公開されてないためいろいろと憶測を呼び、研究調査に参画したという触れ込みの人物が「いろいろ出ましたゼ」的な怪しげな話をふりまいたりもしているらしく、そんなこんなでスキンウォーカー牧場、いまや米国オカルト界における、ちょっとしたアイコンになっているようなのだった。

実際、UFOをテーマにしたアメリカのドラマシリーズ「プロジェクト・ブルーブック」シーズン2ではこの話がネタに使われているらしい(残念ながら未見だが)。あるいはCSのヒストリーチャンネルでもこの話をネタにしたシリーズが作られたらしく、その辺を絡めてUFO研究家の並木伸一郎氏が「ムー」のサイトでコラムを書いておられたりする。

と、まぁ長い長い前振りになってしまったが、たまたま最近になって、この実在の牧場にインスパイアされての映画というのも実はあったのだ、ということを知った。じゃあ念のため観ておくかと思ったのである。

Amazonレビューなんかではけっこう高得点つけてる人がいるんでアレなんだが、結論を先に言ってしまうと、まぁオレ的にはそんな面白い映画ではない。なので、今回はこの作品にいろいろと文句をつけてみようと思うわけだが(笑)とりあえず以下、ネタバレありで簡単にあらすじを説明する。知りたくないという人はここでお帰りください。



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映画は、基本的に手持ちカメラの映像によるドキュメンタリーを模したかたちで進んでいく。舞台はユタ州の「スキンウォーカー牧場」。2010年のある日、その家族の8歳の息子が家の前で遊んでいたところ、空に光がきらめいたと思ったその瞬間、父親の目の前でパッと姿を消す。翌年の夏、少年失踪のナゾを解くべく「Modern Defense Enterprises」(略称MDE)なる組織の研究チームが牧場にやってくる。牧場の内外に監視カメラを配置し、どんなことが起きるのか、長期間泊まり込んで確認しようというのである。

怪異は、さっそくチームのメンバーを襲う。

キーンという怪音が家中に響き渡る。
屋根の上を誰かが歩き回る音がする。
外に出てみると何故か無数のコウモリが屋根の上で死んでいる。
牧場内で血を抜き取られた家畜が発見される。
家の中では、失踪した息子の幻影が毎日夜の決まった時間になると現れ、走り抜けていくようになる。
ネイティブインディアンの祈祷師みたいなのを呼んでみたら、祈祷をはじめる間もなく「おれには手が負えない」とかいって逃げ出していく。
巨大なオオカミのような動物が牧場を襲い、トラックすら破壊する。

やがて、牧場の納屋の中を捜索することになったチームは、そこで「MDE」という文字の入った機材を発見する。どうやらMDEは1960年代にも同じ牧場の調査に来ていたらしい。併せて、そこで前回の調査チームが撮ったらしいビデオテープも見つかる。これを再生してみると、当時の牧場では小さな娘ひとりを残して家族全員どっかいっちまった風で、調査メンバーらしき連中は感染症の拡大を疑ってるのか防護服きた状態で娘を保護するンだが、なんだかメンバーがいきなり発狂したり、娘がエクソシストのリンダ・ブレアよろしく取り憑かれたみたいな表情になっちまったりで、なんだか凄いカオス状態だったことが判明する。

あれやこれやあり、チームのメンバーは「オレらも危ないんじゃネ?」ということで命の危険を感じはじめるが、クルマが壊れていて脱出もままならない。翌朝に救援隊が来るという状況下、みなで一夜を過ごすことになるが、最後、何やらエイリアンのような姿の怪物が家の中にまで乱入してくる。おかしくなって自殺するメンバーも出てくる。ハッキリとは描かれないが、おそらくは全員が死亡したのであろうことを示唆して映画は終わる…。

とまぁ、ここまでの話でおわかりだと思うがコレ、なんだか怪奇要素をムチャクチャ詰め込んでみましたというテイの映画である。いや、実際にUFO現象の周辺ではキャトルミューティレーションはつきものだし、怪しい人物の徘徊(MIBなどというヤツ)やら怪現象(奇妙な電話がかかってきたりポルターガイストが起きたりというアレだ)、怪しい動物の出現(チュパカブラなどというのもある)等々、いわゆる超常現象的なものがしばしば起きるとされている。で、まさにそういう奇っ怪なフィールドをめぐる「実話」があるというので、制作者の皆さんも「それじゃあ」というワケで思いっきりネタを濃縮した作品を作ってみたくなったのであろう。

ただ、見終わってみると、なんだか散漫なのである。いったいここで描かれた一連の現象を我々はどう理解すればいいのか。最後にエイリアンみたいなのが出てくるので、コイツが実は「首魁」としていろいろ仕組んだということなのだろうか? いや、だが何のために? 映画では子供が掠われたテイになっているのだが、彼はどこに誰が連れていったのか? この子供が亡霊みたいにして家の中を走っていたりするのはどういう意味なのか? 事ほどさように、現象を束ねてみせる「意味」とか「意図」みたいなものが一切示唆されないので、観ている者は困ってしまうのである。

加えていえば、劇中に出てくる「Modern Defense Enterprises」なる研究組織は、おそらくはピゲローの「National Institute for Discovery Science」をもじったものなのだろうが、この組織が1960年代にも調査に入っていたという設定がうまく後段につながっていない。仮に前回調査が大惨事に終わったのであれば、その教訓を得て二回目はもうちょっとマトモなやり方を考えるのではないか? しかしその割には連中無防備すぎるのではないか? なんだか理解に苦しむ。

もちろん先に言ったように、確かにUFOと超常現象というのは何故か強いつながりをもっていて、それが一緒くたになってワッと出てくる世界というのはアリといえばアリなのである。だが、ただ「ハイ並べてみました」というだけでは作品にならない。

そこんところを自分なりのロジックにおさめようとして、UFO研究家なんかはこれまでイロイロと屁理屈をこねてきたのである。例えばジョン・キールは「超地球人説」ということを言ったのだし、ジャック・ヴァレは「コントロール・システム」というものを提唱したのである。映画作った人たちも、及ばずながらソコはちゃんと屁理屈を考えないとダメである。

もっとも、「事実とされていることをベースにした作品」という事になると、あんまり好き勝手にやるのも憚られるというところはあるだろう。その手の怪現象を映画化するというのはかくも難しい。志半ばで散ったこの作品、改めてそんなことを我々に伝えてくれているようでもある。


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UFOドキュメンタリー映画とも称すべき「虚空門 GATE」(2019)のブレーレイ・ディスクを買ったので以下感想文。




なお、思いっきりネタバレなので嫌な人はここで帰るように。



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はい、ではここから。

この映画をひと言でいうと、或るUFOコンタクティーの佇まいを描いたドキュメンタリーである。冒頭、「NASAが月でみつけた女性宇宙人のミイラ」という触れ込みの映像が紹介されたり、UFO映像を自ら撮影して店先で売っている男鹿半島・入道崎の「みさき会館」のオヤジへのインタビューなどもあったりするが、それは話の本筋とは全く関係がない(ちなみにこの入道崎には以前一度行ったことがあるのだが、このときオヤジを訪ねてちゃんと話を聞いてくれば良かった。店先覗いただけで帰ってしまったのは大失敗だった)

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 これが行った時の写真。UFOラーメンがウリらしい


閑話休題。とりあえず大体のあらすじを紹介しておこう。

この映画の主人公は庄司哲郎なる人物だ。かつてはそこそこ活躍したこともある元役者だというのだが、どうやら小さい時から何度も宇宙人に会っているというコンタクティーで、UFOなんてものは呼べばすぐに飛んでくるというのが口癖だ。ならば、ちゃんとUFOを呼んでもらって、撮影させてもらおうじゃないの――おそらくはそういう狙いで監督は本格的に撮影を開始する。

監督は、この庄司氏を山の上とかに連れてってはUFO呼びをさせる。彼のスマホには何か怪しい影みたいなのが写ったこともある。だが、ちゃんとした映像は撮れない。何度かそんなことを繰り返していたのだが、「きょうロケ行くから」という日に庄司氏は突然姿を消す。当然「なんちゅー無責任なやつや」という話になるワケだが、実は彼、違法薬物で逮捕されていたのだった(ちなみに本人は冤罪を主張)。

そう言われてみると、確かに元俳優ということで目鼻立ちは整ったイイ男ではあるが、何で生計を立ててるのかもよく分からんチャラい中年男といった風情であるし、単なるホラ吹き男じゃねえのかという疑念が胸中に兆す。

「UFOのストーリーだというから買ったのに、なんだクズ人間のドキュメンタリーかよ」と一瞬殺意がわきあがるのだが、気を取り直してさらに観ていくと、庄司氏はやがて執行猶予付きの判決をうけて拘置所から出てくる。地道に警備員の仕事も始めたので、まぁとりあえず真っ当な生き方をする気なのか良かった良かったと思っていたら、やがて再開したUFO呼びロケで大変なことが起きる。つまり彼が、スマホの前にこよりみたいなのチラチラさせたり、或いは針金みたいなのを吊してニセUFO写真を撮っている(としか見えない)光景が撮影クルーのカメラに写ってしまったのだった! 

当然監督は釈明を求めるのだが、彼は「こよりみたい見えるのは、たまたま手にもってた楊枝」「針金みたいなのは宇宙人が送ってくれたマイクロUFO。コッチ方向を撮れば母船撮れるよという合図をしてくれる道具で撮影後に消えた」とかよく分からない説明をするのだった。

その後も決定的な写真・映像などというものは全く写らない。ただ、ラストシーン、主人公たちも参加したUFO呼び会で、夜空を移動していく光体が何度も出現する。「あ、出てくれた」とかいってみんなが喜ぶ声が流れる。アレってひょっとしてUFOなんじゃないのか――そんな余韻を残して映画は終わる。


ということでこの映画、実際のところは「UFO周りの人間のケッタイさ」を通じてUFO現象を描いたものだといえるだろう。そもそもUFOに興味・関心を抱くような人間はどこかヘンなのであるが、とりわけコンタクティという人種はそれに輪をかけておかしい。「宇宙人からこう言われた」「宇宙人とはいつでも連絡できる」等々、常識的には理解不能なことを彼らは口走る。証拠はあるかといえば、ない。あるかと思えば、それは決まってフェイクだ。

にもかかわらず、彼らは「自分はマトモだ」という。当人は自らのストーリーを信じ切っているようにみえる。そして、確かにその主張にミクロレベルながら正当性があるように感じられる瞬間も(人によって、ではあるが)ないではない。あからさまなウソのようでいて、どっか完全に妄想とは断じがたい部分がある。一体なんなんだUFOってヤツは――というのはワレワレUFOファンがしばしば痛感する思いであるわけで、おそらくこの映画もその辺りに突っ込んでいこうとしたのであろう(むろん企画段階からそこまで考えていたわけではなく、出たトコ任せでやってたらそうなったのだろう)。

が、オレなどからするとその意図は必ずしも成功していない。どうしてかというと、この映画のキモは「フェイク野郎!?」と観客から見放された主人公が、いやそれは濡れ衣だよといって反転攻勢をかけることに成功するかどうか、押し戻せるかというところにあるわけだが、そこが弱い。

確かに主人公の庄司氏は、上記のような「マイクロUFO」理論を持ち出して作中で反論をしているが、如何せんこれが説得力を欠く。いや、ここで苦しい釈明をするトコロはコンタクティーの宿命なので或る意味「見せ場」としてあってもいいのだが、だったらその後でバンカイしないといけない。

具体的にいうと、ラストシーンの「UFOらしきもの」が夜空を行き交うシーンで、監督は「UFOってフツーにいるんだ!」方向に観客をグイグイ引っ張っていかねばならないが、オレがみるところ、ここで出てくる光体はいずれも等速直線運動をしており、まぁ天体現象には素人なのでよくわからんが人工衛星か隕石でしょうよという感じが強い。つまり衝撃度弱すぎである。ダメじゃん、全然押し返してないじゃん、という話である。

とまぁ、いろいろケチをつけたのだが、上に記したように「UFO問題に特有の虚実ない交ぜのグレーンゾーン」を描き出そうという意図だけは買える。そんなスゲー面白れーって映画でもないのでこのBlu-rayディスクの値段は高いような気もするが、まぁUFOファンなら知っておいても悪くはない映画だった。

あと、UFO研究家の竹本良氏が「庄司哲郎氏を高く評価する専門家」という立ち位置で再三登場するのだが、上記の「フェイクUFO写真」を真正と断定し、「間違ってたら研究者失格ですよ」的なことをいってたのが面白かった。で、今もUFO研究家の看板は下ろしてないのかな(笑)











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