朝日新聞の近藤康太郎編集委員の連載「アロハで田植えしてみました」が、けさの新聞に載っている。
この人は確かもともと文化畑の記者で、音楽記者かと思っていたんだが読書面でも名前をみかけた記憶があり、あぁそういえば確か何か本を出してたような気もするし、で、いまは編集委員ということであるから、非常に多才な、いわゆる朝日のスター記者といっていいのであろう。
で、この人が諫早に住み込んで、素人ながら四苦八苦しながら「田んぼ作り」に挑戦してみます、というのが今回の企画である。月イチ掲載らしく、今回のが3回目の筈である。なかなか面白い。つまり都会派で田舎の農村なんか全然知らないヒトが野良仕事に汗水流し、かつそのようなムラの人々の生活くらし文化みたいなところを「おやまぁ」という目で眺める、という立ち位置がなかなか絶妙なのである。
で、もうひとつ、この企画は朝日新聞のブレークスルーにつながる可能性を秘めていると思っている(いささか大袈裟だw)。どういうことか。
けさの記事でも書いていたが、田舎の農村では「水利権」みたいなものが生命線で、そのためムラの実力者のごきげんをとったりしないといけないのである。人間関係なにより大事、ってワケで、四方八方気を配って暮らしていかないといけないのである。それは一方で「ムラのしきたりは守ってもらう!」という同調圧力の強い世界で暮らすということでもあるから、たとえば「今度の選挙、自民党の××先生に入れてけろや。こないだ農道通してもらったし」とか顔役が言ってきたら、ハイハイといって清き一票を投じないといけないのでアル。
で、そもそも朝日新聞というのは、そういう村落共同体の封建的体質みたいなものをずっと批判してきた。「田中角栄みたいに農村に露骨に利益誘導してそのかわりに票をもらう、みたいなのは民主主義に反するゾ。集団主義はやめて、ちゃんと個人の意志を尊重しなさいッ!」「地域のしがらみとかカネの誘惑にホイホイ乗って原発誘致するとは何事ぞ!」などと言ってきたのである。
いってみれば、農村に縁もゆかりもない、都会暮らしの自立した知識人(笑)の「正しい民主主義」観に従って、クソ貧乏くさい田舎の現実を切って捨ててきたのが朝日新聞である。オレなんかも田舎育ちだが、そういう田舎の息苦しいのが嫌いで東京に出てきたクチであるから、そういう朝日的スタンスが悪いとはいわん。いわんけれども、でも、何か自分がひとつ高みに立って、蒙昧な百姓どもを啓蒙してやるゾ的な姿勢を感じさせるあたりには、何とナシにイヤ~な感じをもっているのであった。
さて、そういう文脈で「アロハで田植えしてみました」を読んでみる。近藤記者はどうもバリバリの個人主義者であるらしいが、しかし個を滅して集団の中で生きる農村暮らしに直面して、先にも書いたように「おやまあこんな世界があったとは新鮮ナリ」と感じているようである。となると、これはひとつの「改宗の物語」になっちゃったりするんじゃねーかな、とオレはにらんでいる。
そう、「個人主義とか自立した個人なんてクソ喰らえ、田舎の共同性の中でどっぷり漬かって生きるというのが人間の本質的なあり方ではないか。農村=自民党の金城湯池=遅れた人々みたいなこと言ってスイマセン、そっちのほうが正しうございました」とか言い出したら面白いのではないか。いや、逆に「バカヤローおれはオレで勝手に生活したいんだよ、田舎モンにはこりごりだー」とかいって周囲とケンカして連載終了、というのも面白いかな。
ま、いずれにせよ今後の展開が注目される(笑)。
この人は確かもともと文化畑の記者で、音楽記者かと思っていたんだが読書面でも名前をみかけた記憶があり、あぁそういえば確か何か本を出してたような気もするし、で、いまは編集委員ということであるから、非常に多才な、いわゆる朝日のスター記者といっていいのであろう。
で、この人が諫早に住み込んで、素人ながら四苦八苦しながら「田んぼ作り」に挑戦してみます、というのが今回の企画である。月イチ掲載らしく、今回のが3回目の筈である。なかなか面白い。つまり都会派で田舎の農村なんか全然知らないヒトが野良仕事に汗水流し、かつそのようなムラの人々の生活くらし文化みたいなところを「おやまぁ」という目で眺める、という立ち位置がなかなか絶妙なのである。
で、もうひとつ、この企画は朝日新聞のブレークスルーにつながる可能性を秘めていると思っている(いささか大袈裟だw)。どういうことか。
けさの記事でも書いていたが、田舎の農村では「水利権」みたいなものが生命線で、そのためムラの実力者のごきげんをとったりしないといけないのである。人間関係なにより大事、ってワケで、四方八方気を配って暮らしていかないといけないのである。それは一方で「ムラのしきたりは守ってもらう!」という同調圧力の強い世界で暮らすということでもあるから、たとえば「今度の選挙、自民党の××先生に入れてけろや。こないだ農道通してもらったし」とか顔役が言ってきたら、ハイハイといって清き一票を投じないといけないのでアル。
で、そもそも朝日新聞というのは、そういう村落共同体の封建的体質みたいなものをずっと批判してきた。「田中角栄みたいに農村に露骨に利益誘導してそのかわりに票をもらう、みたいなのは民主主義に反するゾ。集団主義はやめて、ちゃんと個人の意志を尊重しなさいッ!」「地域のしがらみとかカネの誘惑にホイホイ乗って原発誘致するとは何事ぞ!」などと言ってきたのである。
いってみれば、農村に縁もゆかりもない、都会暮らしの自立した知識人(笑)の「正しい民主主義」観に従って、クソ貧乏くさい田舎の現実を切って捨ててきたのが朝日新聞である。オレなんかも田舎育ちだが、そういう田舎の息苦しいのが嫌いで東京に出てきたクチであるから、そういう朝日的スタンスが悪いとはいわん。いわんけれども、でも、何か自分がひとつ高みに立って、蒙昧な百姓どもを啓蒙してやるゾ的な姿勢を感じさせるあたりには、何とナシにイヤ~な感じをもっているのであった。
さて、そういう文脈で「アロハで田植えしてみました」を読んでみる。近藤記者はどうもバリバリの個人主義者であるらしいが、しかし個を滅して集団の中で生きる農村暮らしに直面して、先にも書いたように「おやまあこんな世界があったとは新鮮ナリ」と感じているようである。となると、これはひとつの「改宗の物語」になっちゃったりするんじゃねーかな、とオレはにらんでいる。
そう、「個人主義とか自立した個人なんてクソ喰らえ、田舎の共同性の中でどっぷり漬かって生きるというのが人間の本質的なあり方ではないか。農村=自民党の金城湯池=遅れた人々みたいなこと言ってスイマセン、そっちのほうが正しうございました」とか言い出したら面白いのではないか。いや、逆に「バカヤローおれはオレで勝手に生活したいんだよ、田舎モンにはこりごりだー」とかいって周囲とケンカして連載終了、というのも面白いかな。
ま、いずれにせよ今後の展開が注目される(笑)。