カテゴリ:朝日新聞を嗤ふ > アロハ記者

朝日新聞でオレが楽しみにしている数少ない企画のひとつ、「アロハ記者」シリーズが本日の朝刊でまた始まっていた。今回のタイトルは「こりずにアロハで猟師してみました」というのである。

エセ紳士がバッコする朝日新聞の社内にあって、この手のお行儀の悪い連載は「いかがなものか」的なマナザシを浴びていることが予想されるのであるが、こうやってたびたび紙面にサバイバってくるあたりは流石である。

そういえば、作曲家の團伊玖磨には「パイプのけむり」と称する大長編エッセイシリーズがあった。で、「続パイプのけむり」「続々パイプのけむり」あたりまではまだ分かるのだが、「なおかつパイプのけむり」「どっこいパイプのけむり」などと奇妙なタイトルをつけてはしつこく刊行を続け、このシリーズは結局27冊に及んだ。今回のアロハ記者シリーズが第何弾になるのかは知らんが、どうせならこれぐらい続けて頂きたいものである。

閑話休題。で、再開第一回目はどういう話であるかというと、アロハ記者のもとには社の内外から弟子が集まってきていて(むろん百姓の仕事を教えてほしいという弟子ではなく、ジャーナリストとしての弟子である)そこには一種の「私塾」みたいなものが生成しているのだが、筆者は別に謝礼をもらうでもなく飲み会のカネなんかも自腹を切って出している。であるならば「その分は働いて返してもらうぞ」というワケで、弟子たちをフル活用して長崎の田んぼは現在耕地面積拡大中――といったストーリーである。


いやはや、こりゃすごいことになってきたなあと思う。

というのも、もともとこの企画というのは、社外でライター活動もしている朝日新聞の記者が「上の人間に睨まれて朝日をクビになっても最低限メシは食えるように自分で田んぼを作ってみよう」という初期設定のもとに始まったものである。その辺がいつのまにかどっかいっちまって、今では「都市文明や新自由主義に抗するための砦を田舎に築くのだ」みたいな話になってないか。

もちろん長編マンガとかが延々続いているうちに「最初のあの話どったの?」みたいになってしまうことはよくあるし、テレビの「鉄腕ダッシュ」なんかも最初は「地図上にダッシュ村という地名を載せたい」とかいって始まったものがいつの間にか完全に違うものになってしまった。なので、当初の意図から離れておかしな方向に逸脱していくのもアリだろう。

で、オレはこれ読んでて思ったのだが、アロハ記者は長崎だか大分だかに作りつつあるのはひとつのコミューンなのではないか。加えて注目すべきは、辛酸なめ子さんも挿絵のイラストの中で「ハーレム状態」という言葉を使って触れているが、このグループには若い女性記者・ライターが陸続と詰めかけているらしく、その限りでなるほどハーレムみたいに見えるということである。

コミューンに集まる若い女性――というと、ジジイ世代であればすぐ思い出すものがあろう、そう、キリスト者の千石イエスが作った宗教的コミュニティが世間から「洗脳してハーレム作ってるンじゃね?」とかいって糾弾された「イエスの方舟事件」である。

まぁアレなんかは実際な真面目な聖書研究サークルみたいなもので全然ハーレムとかじゃなく、いわば濡れ衣だったのであるが、とまれ我々の耳目を引いた出来事であった。確か「転移21」の山崎哲が劇にしたのを若き日のオレも観に行った記憶がある。

いや、話がやや遠回りしたけれども、今回の新シリーズは「若い女性がいっぱいいるコミューンは現代に成立するのか」という方向に暴走していったらどうか。いやどうかとかいってももう構想は固まってるだろうからムダなのだが。まぁ不定期連載だというので、その行く末を見守りたい。

追記

なお、オレはこの企画について「田舎は基本的に閉鎖的な社会で、そんな牧歌的なイイ話ばっかじゃないだろうよ」というような嫌みを再三書いてきたのだが、今回の記事で筆者は「オレは7年間もまじめに米を作り続けてきたんだよ、地域社会に根付くためにはそれぐらいのことしねえとダメなんだよ、話はそっからよ」的なタンカを切っていて(いや正確にはそこまで言ってないのだがw)オレ的にはなんかとても面白かった。




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もともと「UFOがどうこう」だとかそういうネタばっかり書いているこのブログであるから、もとより来訪者がやってくることなど殆ど期待してはいない。

それでも時として意外なリアクションというものがあるにはあって、例えばオレは朝日新聞に不定期連載されていた「アロハで田植えしてみました」「アロハで猟師してみました」という所謂「アロハ記者シリーズ」が好きで、これをネタとしてツッコミを入れつつ感想を記すエントリーを何度か当ブログにも書いてきたのだったが、この5月、その書き手である朝日新聞記者・近藤康太郎氏とおぼしき人物からのコメントが当ブログに書き込まれていたのだった(よく見たら連絡先の記載があったので迷惑があってはイカンと思って今は非公開にしてある)。

要するに「ブログで意見を頂戴したお礼に新著を寄贈したいのですが」という話であり、つまり著者はエゴサの結果、こんな辺境ブログにまでやってきたということだったのであろう。オレとしては「おぉよくぞこんなトコまで!」&「好き勝手なこと書いてるのに何と殊勝な人なのだろう!」という驚きと若干の喜びとがあったのだけれどもよくよく考えると、その厚意に甘えたりすると、今後新シリーズが始まってまたネタにしようという時に批判の筆が鈍るオソレがある(笑)。

なので、今回は自腹でその本を買ってきて感想文を書こうと思った。さいきんようやく読み終わったので、以下、その「感想文」を記すことにした。で、その新著というのは『アロハで猟師、はじめました』である(たぶん)。

アロハで猟師、はじめました
近藤康太郎
河出書房新社
2020-05-23


一言でいうと、著者は洋楽やら文芸・思想に詳しい朝日新聞の名物記者である。だが愛社精神みたいなものは持ち合わせていないアウトローで(この辺に好感を抱く)、社外でのライター活動とかもとても大事にしている人らしい。で、そういう人間なので、「このご時世、好きなこと書いて生きていくためには会社から放り出されても最低限の食い扶持が確保されていたら安穏であろう」という発想から、長崎の田舎の支局長に転じたのを機に朝の1時間だけ野良仕事をして田んぼを作るというプロジェクトを開始する。彼はその後、異動で大分の田舎の支局に移るのだが、「狩猟もすればオカズもとれて宜しかろう」ということで、この間、鉄砲撃ちや罠猟の修行なども着々と進めていったのであった。

この間の出来事は順次朝日新聞の記事に連載され、オレもそれを読んできたのであるが、すべてを書き切ることもできないのでモノしたのがこの『アロハで猟師、はじめました』ということらしい。一言でいうと、この本は田舎暮らしでもとりわけその猟師仕事の日々を記したものである。

この本、こないだ毎日新聞の書評で社会経済学の松原隆一郎氏も激賞していたけれども、結論からいうと、たいへん良い本であった。もちろんこの企画にはネタ臭が色濃く漂っている。過去のエントリーでも書いたことだが、そもそも充実した年金制度で知られる朝日新聞の記者がこれから「生活に困る」事態に陥るのというは考えにくいコトであり、「万一に備えて田んぼを作り狩猟をする」必然性はたぶん皆無である(笑)。

ただ、そんな半分冗談みたいなところからスタートしてはいるけれども、とりわけ今回の猟師シリーズは自らの手で鹿を殺す場面を詳細・精密に描いたりしている。これはマヂである。「他の生きもののいのちを頂いて生きていくしかない人間存在の哀しさ」みたいなものを真正面から見据えている。「動物かわいそう」みたいなアホを相手に商売していかなきゃいけない日本の商業新聞の限界にも果敢に挑戦している。とても良い。

もっとも、違和感がないではない。

著者はいわゆる新自由主義的な経済至上主義に違和感をもっているようで、それに対し、農作物や狩猟の獲物を融通しあうような田舎の「贈与の社会」を対置して描いている。そりゃもちろんそういう地域の絆というのは素晴らしいモノかもしれないが、もともと田舎出身のオレなどからすると、そこんとこはちょっと美化しすぎじゃねーかと思わんでもない。

田舎というのは、確かに「インナー・サークル」に入ってしまえば生きやすい。ただし、一般論ではあるがいきなりやってきた「ヨソ者」に対して田舎の人々は総じて冷たい。アイツは何者か。仕事は何だ。何しに来たのか――徹底的に観察し、詮索する。で、害がなさそうだ、地域の和を乱すようなことはなさそうだという話になって、ようやく間合いを詰めてくる。うまくいけば仲良しだ。要するに視線は内向きである。

そういえば最近のコロナ禍でも、田舎で感染者が出れば「どこの誰だ?」「アイツは何してたんだ?」と地域はパニック状態に陥り、感染者やその家族は「和を乱した連中」ということになって吊し上げられてしまう、という話も聞く。麗しき相互扶助は、実は外部に対する強い警戒・閉鎖性と表裏一体じゃないのか、日本の田舎というのは全然変わっていないんじゃねーかと思う。著者がうまいこと地域に溶け込めたのは、もちろん一流新聞の支局長という立場もあったろうし(朝日新聞の支局長というのはおよそ日本のどの地域にあってもVIPである)、文章からも伝わってくる陽性で開けっ広げなキャラというのもあったのではないか。根が陰気なオレがこんなことしようとしても、そもそも洟も引っ掛けられまい。

とまぁいろいろ思うところもあるが、都会でサラリーマンをしている身からすれば「う~ん、これでいいのかなぁ?」と思うことはままあるわけで、「いやオルタナティブはナイでは無いンだぜ」という著者の体を張った挑戦は魅力的である。眩しい。

現在は大分県日田市で仕事をしているようだが、このところの大雨で被害とかはないのだろうか? とまれ、また新聞で「続報」など読めれば、と思う。



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ということで、今日の朝日新聞を見ていたら、愛読していた不定期連載企画「アロハで猟師してみました リターンズ」が終わってしまった。

何度も書いているが、これは天下の朝日新聞で「不良」を気取っておる名物記者が、会社をクビになっても農業や狩猟で食っていけるよう実地訓練をいたしましょうという設定で田舎で野良仕事等に挑戦するサマを描いてきた企画である。

今回筆者は鉄砲で撃ったカモを各方面にプレゼントしたおかげで原稿依頼が増えたゼうっしっし、というような事を書いているが、この記者は実際はけっこう筆力が認められている人物であるようだから端的にいうとこれはウソであるが、しかしそういう偽悪趣味みたいなものをオレは買っている。それこそが「取り澄ましたニセ紳士」という旧来の朝日イメージをぶち壊していくところが面白いということもあるからだ。なので、こういう終わり方はアリだと思う。が、ちょっと寂しくなるな。


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というわけで、オレの好きな朝日新聞の連載シリーズの新章が始まった。
「アロハで猟師してみました リターンズ」というのである。

これについては過去にいろいろ書いているので詳しくはそっちを見て欲しいが、今回、筆者は朝日新聞の大分・日田支局長という設定になっていて(イヤ「設定」とかいうと全部計算ずくでしょう的ニュアンスが入るので失礼なのだかw)、そこから長崎の田んぼに出かけてイロイロ仕事をするというストーリーのようだ。

で、前々から言っているように、オレはこの連載に「心温まる良い話」みたいな要素は一切期待しておらず、もうちょっとハードボイルドというのか何なのか、破滅型記者のムチャクチャな暴走ぶりを見てみたいと思っている。その意味で前回シリーズは、大手新聞では半ばタブーとなっている動物の屠殺シーンなんかもシッカリ描いていて、とても好感を持った。

今回はまだ一回目なのでそのゼンボーは明らかになっていないが、ただ一回目を読む限りでは、なんかこう、「アロハ記者とその愉快な仲間たち」みたいな方向性がほの見えているのが少し気になる。そういうのはやめてネ。
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朝日新聞の連載企画「アロハで猟師してみました」が終わってしまったようだ。

例によってネット上ではカネを払わんと全文が読めないけれども、最終回の記事にいちおうリンクを貼っておこう。

で、オレもかねてから期待していたように、書き手の近藤康太郎記者は「ヒトは他の生物を殺めるという原罪を背負って生きていくしかないのダ!」というテーゼを強調して去っていったのでソコは大変結構である。あるけれども、この最終回はちょっとリクツが勝った感じで強引にまとめに入った感じもある。

推測するに上のほうのヒトから「ちょっと過激すぎるんじゃネ(怒」とか言われて――あるいは他のマスコミの記者を支局に招き入れて楽しく遊んでいるシーンとかあったのでそっちがマズかったのかもしらんが――とにかく終了したテイにせねばならず、そこでいわゆる「俺たちの戦いはこれからだ!」的なシメを強制された感もないではない。

それはちょっと深読みしすぎかもしらんが、なんかお上品な朝日新聞にアナーキーなテイストの記事が載ったのはなかなか痛快ではあった。二の矢、三の矢を待つ。

【追記】
その後、この筆者は「アロハで猟師、はじめました」という本を出したので、感想文を書いてみた→こちらへ

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えーと、いつも愛読している朝日新聞の「アロハで猟師してみました」4回目がけさの朝刊に載っていた。例によって朝日のサイトではカネを払わんと全部読めない仕掛けになっているが、念のためリンクを貼っておこう。

閑話休題。前回狩猟でとらえた鹿を殺す話を書いたアロハ記者に対してオレは「こういう話はお茶の間の偽善者たちにはウケが悪く、おそらくは新聞社にもカワイソーとかいって抗議が殺到するのだが、そんなことで自粛しようとか毛頭考えず、平気で商業新聞のタブーに挑んだアロハ記者えらいぞ」といった意味のことを書いた

で、けさの新聞を読むと、「読者どん引き。遠くで、引き潮の音が聞こえる」などと書いているので、ヤッパリ馬鹿な読者から抗議がけっこうきたのだろう。にもかかわらず、今回の記事でも「そういうアホどもは読まないでどっかいっちまえシッシッ」ということを言っている。いや、正確にいうともう少しお上品で、次のような表現なのだが。

「そっちサイドはちょっと・・・・・・」という優しき読者様は、この辺で下の<ひととき>に移ってくださいとお願いしておく。また会いましょう。


というわけで、全くハンセーなどせず鹿を解体するシーンなどを描いている今回の記事は大変よろしい。



で、もうひとつ感心したところがある。さらに先のほうまで読んでいくと、こんなことを書いているのである。


スーパーでパック詰めされた食肉は、完全に漂白された命だ。都合の悪いところを不可視可して、わたしたちは安穏・便利な生活を送っている。その点、原発と似ている。


これもなかなか朝日新聞では吐けないセリフなのだ。なぜかというと、朝日新聞的視点からすると原発というのは絶対悪である。だがこのアロハ記者の語り口はそういう一刀両断の姿勢とはかなり違う。

東日本大震災のあと実質的に原発ゼロでどうにかこうにかやってきた時期もあったけれど、それまで都会の住民は実際にはどっか遠いところで操業している原発の電気をつかって安楽な生活をしてきた。「これって動物を誰かさんに殺してもらって自分は平気で肉くってる構造と似てるんじゃネ?」と言っているわけで、つまりここでは「動物を殺すこと≒原発」という図式が成り立っている。つまり「そうはいっても原発うごかさんとダメなんじゃないの?」という主張と読めないこともない。いや、そこまでは言ってないにしても、一方的に「悪」を仕立て上げる(朝日新聞的)思考からは一歩引いている。

いいねえ。この調子でガンガン攻めていっていただきたい。




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さて、オレが朝日新聞で楽しみにしている数少ない連載企画「アロハで猟師してみました」の新しい記事が今朝の新聞に載っておった。連載とはいいながら、忘れた頃にポツポツと載るので油断できないのであるが。

この企画については過去に何度も触れてきたので、時間とヒマのある方はここあたりを見ていってもらえばいいと思うのだが、要するにコレ、硬直したビューロクラシーの如きテッペキの組織を誇る朝日新聞にもなんか無頼漢みたいな記者がいて、田舎に赴任したのを機に懲戒解雇されても食い扶持を稼げるように農業やら狩猟やってみっカーみたいなノリでいろいろチャレンジしてみるというふざけた企画なのだった。

ちなみに朝日新聞のサイトを見に行ったら過去記事なんかへのリンクもあるんだが、例によって数行だけ読ませて「あとはカネを払え」というシステムになっているのでした。新聞取ってないけど読みたいなーと思ったそこのアナタ、残念でしたね。

それはともかく、けさの記事はなかなか良かった。

今回の猟師シリーズが始まるにあたって、オレはこう書いた。


ちなみに今回の設定は「コメばっかり作っててもオカズがないので今度は狩猟でもやってみっか」というものである。

いいじゃないか。

人間は他の生物のいのちを奪うことで生きている。それはもっといえば「人間の性、本来悪なり」みたいなところにもつながっており、これまで人間賛歌のヒューマニズムを高らかに謳ってきた朝日新聞が、こういう企画でそーゆー人間の一面を掘り下げていくのだとすれば、これはこれで面白い。

今後に注目だな。


で、けさの記事は、まさしくアロハ記者がワナにかかった鹿を手にかけて殺す、というシーンを描いていた。実に期待通りの展開である。やってくれるじゃないか。

というのも、こういう「動物を殺す」シーンを詳細に書くのは、実のところ新聞的にはなかなかハードルが高いのだ。なぜならば、そういうことを書くとアホな読者がたくさんいて必ず「残酷だ」だとか「かわいそう」とかいって電話で抗議をしてくる。

「テメー何いってやがんだ、テメーは豚肉食わねーのか鶏肉食わねーのか」と言って反論すればいいんだが、なんせ「一見正論めいた感情論」に新聞は弱いので、そういう大衆の「意向」を忖度してしまいwリアルな屠殺シーンなどはついつい避けてしまうのだった。

ある意味、そういう世間を作ってしまったのは安手なヒューマニズムをふりまいてきた朝日新聞の責任かもしれず(いやこの場合は動物カワイソーなのでアニマリズムかw)、そういう意味でこういう記事を朝日新聞が載せたのは責任をとる意味でも大変素晴らしいことであった。そう、他の命を頂いて我々人間は生きている。そういうことを今回の記事はちゃんと直視しておった。先に「ふざけた企画」と書いたが、今回の記事はふざけたようでいてホントはそんなにふざけていない。

とまれ、アロハ記者にはこの調子でガンガン飛ばしていってほしいものである。



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さて、こういう辺境ブログはだいたい一日に10人ぐらい訪ねてきてくれれば御の字である。

それが昨日あたり15人ぐらいに急増(笑)していた。どうしたんだろうなーと思って調べてみると、以前書いた「アロハで田植えしてみました」関連のエントリーに若干名訪問者があった。

ここで簡単に説明しておくと「アロハで田植えしてみました」というのは、朝日新聞のアウトロー(を気取る)名物記者が田舎の支局長に転出したのを契機に「仮にクビになっても食っていけるように田んぼでコメを作ってみるか!」という、およそ冗談としか思えない設定に従って米作りに挑戦するとゆー企画であった。

*念の為言っておくと、朝日新聞の企業年金というのはスゲーいっぱいもらえるので、こういうベテラン記者が辞めたって相当なカネは毎月入ってくるだろう。だから汗水流して田んぼを作る必要は実際にはない。もっとも懲戒免職とかになったらそーゆー年金がもらえるかどうかは知らん

というわけで、そもそもの設定自体が異常に嘘くさいけれども、これまで「大衆はバカだ」と下々のものどもを見下してきた朝日新聞がその辺の農民にアタマを下げて教えを乞うというストーリーがなかなか痛快であり、オレもこのブログで「いいじゃないか!」と時にその辺の論評をしてきたのだった(この辺とか)。

で、実はこのたびこの企画の新シリーズ「アロハで猟師してみました」というのがまた紙面で始まったので、おそらく検索をかけたヒトがこのブログに(約5人ほどw)迷い込んできたのであろう。確かにオレも新聞のほうでこの企画を目にして「お!また始まったか!」と喜んでいたのである。

ちなみに今回の設定は「コメばっかり作っててもオカズがないので今度は狩猟でもやってみっか」というものである。

いいじゃないか。

人間は他の生物のいのちを奪うことで生きている。それはもっといえば「人間の性、本来悪なり」みたいなところにもつながっており、これまで人間賛歌のヒューマニズムを高らかに謳ってきた朝日新聞が、こういう企画でそーゆー人間の一面を掘り下げていくのだとすれば、これはこれで面白い。

今後に注目だな。





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朝日新聞の名物記者が2014年から不定期連載していた「アロハで田植えしてみました」がいよいよ本当に完結してしまった。

この連載、最初は新聞記事にはあるまじきアナーキーな香りが漂っててスゲー面白かった。オレが前に書いたエントリーから再録すれば、この企画というのは↓

「会社に忠誠心なんてねーからオレ。仮に辞めなきゃならんハメになっても、田んぼ一枚ありゃ筆一本、ライターとして好きなこと書いて、どうにかこうにか食っていけるんじゃネ? つーことでオレ、田んぼ作ってみるわ」というノリで、長崎の田舎で朝日新聞の一流記者が田んぼ作りに挑戦するという初期設定

とゆーことで始まったのだった。

だが、それがなんか回を追うにつれて甘くなってしまった。

確か前回のシリーズは田んぼ作りの師匠が急逝してしまって「涙のお別れ」みたいな話になっておったし、最後は「田舎の小学生たちとの心温まる交流」である。新聞的なエエ話になってしまったのが気に入らん。

以前のエントリーではこんな注文を出しておいた↓


今後はぜひ初心に立ち戻り、地域の人々との心あたたまる交流路線は捨て、もうちょっとこう、なんというか、世の中に毒を撒き散らすような悪どい方向に歩んでいってもらいたいと切に願うのである。


そう、そのように切に願ったンだが、ちょっと残念であつた。

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めったに更新しないのが悪いということもあるのだが、当サイトは基本的に全然人の寄ってこない人外魔境ブログである。ではあるんだが、たまさか数十人もの人々(笑)が訪ねてくる日というものがあって、たとえばここ数日がそんな感じである。

これはどういうことかというと、どうも朝日新聞の不定期人気連載コラム「アロハで田植えしてみました」シリーズがまた再開されたことと関係があるようだ。というのも、以前このコラムについて何度か感想文を書いちゃったりしたものだから、検索をかけた結果、何となくここまで迷い込んでくる人がいるらしいのである。

ただなぁ、オレ的には今回始まったシリーズはどうなのかと思うぞ。

この企画、最初は「会社に忠誠心なんてねーからオレ。仮に辞めなきゃならんハメになっても、田んぼ一枚ありゃ筆一本、ライターとして好きなこと書いて、どうにかこうにか食っていけるんじゃネ? つーことでオレ、田んぼ作ってみるわ」というノリで、長崎の田舎で朝日新聞の一流記者が田んぼ作りに挑戦するという初期設定であった。

ま、天下の朝日の名物記者が仮に退職したとしても長崎の田舎の田んぼを守りながらライター稼業を続けるかといえばそんな可能性は毫もなく、しょせん冗談企画だといってしまえばそれまでなのだが、何というか、「会社なんてオレ、もうどうでもいいから」的な、この朝日の名物記者の一種吹っ切れた、アナーキーな(ふりをしたw)たたずまいがオレとしてはとても気に入ったのだった。

が、今回のシリーズの入り方をみますと(詳しいことは新聞を読んでもらいたいけれども)一言でいえば、この名物記者が「水田作りは教育にもいいですよネ」的なノリで近くの小学校を巻き込み、自分の田んぼで子供たちに田植えの実習をさせる、というような話になっていた。

まぁ当人は「うまいこと働かせてやったワイ。ラクできてよかったのう」的な偽悪的なスタンスを装って書いてはいるんだが、結局これって、客観的にみれば「都会からやってきたおじさんと地域の子供たちとの心のふれあい」的な「良い話」ではないか。全然アナーキーじゃないじゃん。

気に入らん!

というわけで、今後はぜひ初心に立ち戻り、地域の人々との心あたたまる交流路線は捨て、もうちょっとこう、なんというか、世の中に毒を撒き散らすような悪どい方向に歩んでいってもらいたいと切に願うのである。



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以前楽しみに読んでいた朝日新聞の連載「アロハで田植えしてみました」の続編を今朝の紙面でハッケン。

もともとのは「都会育ちの朝日新聞の一流記者が九州の田舎で田んぼ作りに挑戦してみました」という企画であったンだが、今度は「機械を使わないで田んぼをやってみましょう」というコンセプトであるらしい。

まったくもう、なんとゆーか全く必然性のないシチュエーションを設定して記者が右往左往するところを楽しんでいただきましょうという下心がミエミエであり、もはやこれは上島竜平的なリアクション芸の世界である。ま、オレも嫌いではないけど(笑)。

ともあれ、これでしばらく朝日新聞をめくる楽しみができたぞ。前に連載やってた時にもこのブログに書いたが、朝日新聞とゆーのは基本的に近代合理主義的な世界観(啓蒙的世界観といってもよい)に染まっているので、今回の記事が「何でそんなことをしなければならないのか全然意味不明の愚行」に記者が意味を見出していくようなストーリーになっていけば紙面にデッカイ風穴があく、ということにもなろう。今後に期待(筆者が体を壊して突然終了という可能性もあるので、そういうスリル含みのところも含めて)。
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不定期掲載ながら楽しみにしていた朝日新聞・近藤康太郎編集委員の連載アロハで田植えしてみました」が、終わってしまつた。

いぜん書いたように、都会目線の朝日新聞のインテリ記者が田舎のしがらみだらけの人間関係=前近代的な集落共同体に屈服し、「嗚呼これが本来の人間の暮らしでアッタ、田舎の大衆=愚民という朝日伝統の大衆蔑視路線はマチガッテおりました~」みたいな「改宗」というか「回心」の物語になっていくのを期待しておったわけだが、そういう大転換もないまま終了してしまったのはいささか残念でアッタ。

ま、しかし、行間には「別に朝日新聞がつぶれよーがかまやしねーや」とゆーロック・スピリットが漂っており、つまり、ご当人にはこれからの朝日新聞を背負って立とうなどという気はさらさらなく、「オレって朝日的にはアウトサイダーだかんネ」とゆー立ち位置でもあるようなので、別に社長になりかわって頭を下げる必要もないのだとすればこれはこれで良かったのかもしれんナ(笑)
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朝日新聞の近藤康太郎編集委員の連載アロハで田植えしてみました」が、けさの新聞に載っている。

この人は確かもともと文化畑の記者で、音楽記者かと思っていたんだが読書面でも名前をみかけた記憶があり、あぁそういえば確か何か本を出してたような気もするし、で、いまは編集委員ということであるから、非常に多才な、いわゆる朝日のスター記者といっていいのであろう。

で、この人が諫早に住み込んで、素人ながら四苦八苦しながら「田んぼ作り」に挑戦してみます、というのが今回の企画である。月イチ掲載らしく、今回のが3回目の筈である。なかなか面白い。つまり都会派で田舎の農村なんか全然知らないヒトが野良仕事に汗水流し、かつそのようなムラの人々の生活くらし文化みたいなところを「おやまぁ」という目で眺める、という立ち位置がなかなか絶妙なのである。

で、もうひとつ、この企画は朝日新聞のブレークスルーにつながる可能性を秘めていると思っている(いささか大袈裟だw)。どういうことか。

けさの記事でも書いていたが、田舎の農村では「水利権」みたいなものが生命線で、そのためムラの実力者のごきげんをとったりしないといけないのである。人間関係なにより大事、ってワケで、四方八方気を配って暮らしていかないといけないのである。それは一方で「ムラのしきたりは守ってもらう!」という同調圧力の強い世界で暮らすということでもあるから、たとえば「今度の選挙、自民党の××先生に入れてけろや。こないだ農道通してもらったし」とか顔役が言ってきたら、ハイハイといって清き一票を投じないといけないのでアル。

で、そもそも朝日新聞というのは、そういう村落共同体の封建的体質みたいなものをずっと批判してきた。「田中角栄みたいに農村に露骨に利益誘導してそのかわりに票をもらう、みたいなのは民主主義に反するゾ。集団主義はやめて、ちゃんと個人の意志を尊重しなさいッ!」「地域のしがらみとかカネの誘惑にホイホイ乗って原発誘致するとは何事ぞ!」などと言ってきたのである。

いってみれば、農村に縁もゆかりもない、都会暮らしの自立した知識人(笑)の「正しい民主主義」観に従って、クソ貧乏くさい田舎の現実を切って捨ててきたのが朝日新聞である。オレなんかも田舎育ちだが、そういう田舎の息苦しいのが嫌いで東京に出てきたクチであるから、そういう朝日的スタンスが悪いとはいわん。いわんけれども、でも、何か自分がひとつ高みに立って、蒙昧な百姓どもを啓蒙してやるゾ的な姿勢を感じさせるあたりには、何とナシにイヤ~な感じをもっているのであった。


さて、そういう文脈で「アロハで田植えしてみました」を読んでみる。近藤記者はどうもバリバリの個人主義者であるらしいが、しかし個を滅して集団の中で生きる農村暮らしに直面して、先にも書いたように「おやまあこんな世界があったとは新鮮ナリ」と感じているようである。となると、これはひとつの「改宗の物語」になっちゃったりするんじゃねーかな、とオレはにらんでいる。

そう、「個人主義とか自立した個人なんてクソ喰らえ、田舎の共同性の中でどっぷり漬かって生きるというのが人間の本質的なあり方ではないか。農村=自民党の金城湯池=遅れた人々みたいなこと言ってスイマセン、そっちのほうが正しうございました」とか言い出したら面白いのではないか。いや、逆に「バカヤローおれはオレで勝手に生活したいんだよ、田舎モンにはこりごりだー」とかいって周囲とケンカして連載終了、というのも面白いかな。

ま、いずれにせよ今後の展開が注目される(笑)。






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