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■第十五章 採点票なしにプレイヤーに知らせることはできない


さて、最終章である。

まずはこの章のタイトルであるが、「採点票なしにプレイヤーに知らせることはできない」
というのは何だか意味がよくわからない。そこで原著をみたら原語では

You Can't Tell the Players Without a Scorecard.

とある。コレでもまだわからんので、とりあえずググって調べてみた。

すると、ここでいう「スコアカード」というのは、どうやらプロ野球の選手名や背番号が書かれた、いわば簡単な選手名鑑のようなものだとわかった。そして、アメリカでは昔、試合をやっている球場の前に行くと売り子がいて、この「You Can 't ・・・」という言葉を叫びながらスコアカードを売っていたらしい(スマホ全盛の今では流石にないだろうが)。


つまりこのセリフは慣用句で、「選手名鑑がないと、誰が誰だか区別がつかないよ。さぁ買った買った」という意味の売り口上なのだった。もちろん熱心なファンならばそんなものはなくても困らないので、野球をよく知らん観客向けに売っていたということなのだろう(ちなみに tell という動詞には「話す」だけじゃなくて「見分ける」という意味もあることを今回知った)。


そうすると、この章のタイトルというのは「UFOの問題はちゃんと事前に準備してかからないとワケわかんなくなっちゃうよ」ぐらいの意味で、さらに深読みすれば「だからオレの本読んでね」と言いたいのであろう。スッキリした。



さてと、ずいぶん前置きが長くなってしまったが、以下、本章の概要を追っていこう。ここで一つの論点となるのは、「米政府の立ち位置」といったものである。


冒頭で出てくるのは、1953年のロバートソンパネルの話である。UFOファンならご承知のように、これはCIAがUFOへの対処法を考えるため科学者等を招集して開催した委員会であったわけだが、乱暴にいってしまえば「UFOの目撃なんてものは無視していいから」というのがその結論であった。要するに、目撃報告なんてものはほとんどクズ。安全保障上の問題にもなってないし科学的知見が得られるわけでもない、そんなもので騒いでいると人心が乱れるからUFO話なんてものは火消しするに限りますナ――というのだった。


で、以下はちょっと寄り道になってしまうが、キールはこれに対する民間の研究団体の反応を記している。つまり、連中は「なんだよ、政府は何でもかんでも隠蔽する気なのか!」といって怒ったのである。まぁそういうリアクションもアリだとは思うのだが、キールは「そうはいっても研究団体のほうもアホだよなぁ」という話をここで始める(ここでとりわけ念頭に置かれているのは全米空中現象調査委員会 NICAPのようである)。


錯誤の第一は、「MIB メン・イン・ブラック」の問題である。東洋人風の目。高い頬骨。オリーブ色の肌。そんな特徴をもった男たちが目撃者や研究者のもとに現れ、沈黙をまもるよう脅迫していく――これがMIB事例の典型的なパターンであるわけだが、研究団体の連中は、いよいよ政府不信が募っていたこともあるのだろう、こうした怪しい人物を米政府の回し者とみなした。むろん、キールに言わせれば米政府がそんなことをするワケはない。彼らは「超地球人」の息がかかった者たちである。つまり、研究者団体のお歴々は分かっていない。


さらにキールはNICAPに対して、「アンタら、政府は何でも隠すって言うけど、有名なヒル夫妻事件のとき、最初に受けた報告を握りつぶして隠匿したのオタクらでしょ?」といって非難している。要するに、こういう奇っ怪な事件こそUFOの本質に迫る重要なカギであるのに、「いかにもあやしい」とかいって放置してしまった罪は重いというのがキールの主張である。彼はここで「UFO組織は自ら、空軍以上にUFO事件を抑圧してきた」とまで言っている。やっぱり分かってないのである。


要するに、当時のNICAPは「UFOというのは地球の外から宇宙人が乗ってきた宇宙船である」というドグマに反する証拠だとか、あるいは不気味な事例、心霊現象めいた事例、おどろおどろしい事例は拒絶していたので、キールとしてはよっぽど腹が立っていたのだろう。

キールはこの辺にまつわる、もう一つのエピソードも書いている。もともと彼は「地球外起源仮説」もアリだと考えていたようなのだが、それを批判し始めるようになってから業界のリアクションは一変したのだという。




わたしがCIAエージェントだといううわざが国中に広まった。ことに、接触者たちは、地方のUFO研究者たちに、ほんとうのジョン・キールは空飛ぶ円盤に誘拐されてしまっており、わたしとそっくりの狡猾な男がわたしにとって代わっているのだと耳打ちするようになった。(290頁)


ちなみに、高名なUFO研究者のジャック・ヴァレもまた(ほぼ同時期だと思うが)「地球外起源仮説」を否定しはじめた途端、白い目で見られるようになり、「パーティーに紛れ込んだスカンク」扱いをされたと述懐している。当時のアメリカの雰囲気がしのばれる。


閑話休題。こんな具合でひとしきりアメリカのUFO研究を批判した後で、キールは再び「米政府とUFOのかかわり」について論を戻す。で、こんなことを言いだす。




わが国の情報機関の技能を過小評価しないようにしよう。彼らには、この本で扱っているのと同じようなデータを収集し、消化吸収するだけの能力があると考えよう。彼らは何年も前にこういうことすべてを解決し、それを彼らなりの方法で、できるだけこっそりと処理しているのだと考えてさしつかえないものとわたしは思う。(290頁)




責任ある政府なら、この奇怪な事態を一般大衆に説明しようなどと本気で考えてはいないだろう。わが国の軍当局は、そのために、それを説明しようとせずに、その現象の実在性を否定するという、より単純な政策をとらざるをえなかった。(292頁)


なんとまぁ米政府も、UFOというのはどっかから来た宇宙船なんかでなく、ある種の超常現象だと知っている。いるけれども、なんとも説明のしようがないから「そんなものはナイ」と言っている。先のロバートソンパネルなんかもそうなんだが、米政府がほぼ一貫して「不思議なものなんて、あ・り・ま・せ・ん!」といい続けてきた背景には、そういう事情がある、というのである。何ともブッとんだ解釈! この辺はさすがキールだ。


さらにキールは、ではこの「超地球人」というのは放っといて良いものなのか、みたいな話をする。本書の原題通り「トロイの木馬」として人間社会を何らかのかたちでむしばみ、「征服」するつもりなのか。あるいは単なるイタズラをするぐらいで、そんな気に病むような存在ではないのか。


この辺の記述はなんだかとても分かりにくかったが、最終的には「連中もべつに<征服>とかは考えてないンじゃね? 米政府もそんなシビアな事態は想定してないみたいだし」というようなことを言っている(気がする)。


で、最後には、これからもUFO研究は進めていかにゃならん、過去の悪魔学やら心霊研究とかの知見も生かしていけば面白いと思うよ、みたいなことをひとしきり言ってから、ニール・アームストロングの「ミステリーは、われわれの人生において不可欠の要素であります」という言葉を引いて全巻終了である。

とまれ、ところどころよく分かんないところもあったが、要するに「超地球人」というのは、姿かたちはその都度変えてくるけれども、太古の昔から前から人類の前に現れてはイタズラめいたことをしてきた不可解な存在である――という彼の主張はよく分かった。「なぜ」という部分は最後まで読んでも結局わからんかった。が、まぁ面白かったから許す。UFOファンの方は、機会があれば、ぜひ一読されるがよかろう(ただし、古本屋でもなかなか売ってないし、売ってても馬鹿高いという問題は最後まで残るw)。 (おわり)


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■第十四章 敵陣突破!


さて、「UFO問題にクビを突っ込むとロクなことがない」という話は本書でも何度か出てきたところであるが、こうした問題を真正面から取り上げたのが本章である。要するに「超地球人」というのは、関係した人間に嫌がらせをしたり、時には酷い仕打ちを加えたりするトンデモないヤツらだというのである。


キール自身、1966年に研究を始めてからいろいろと不思議な経験をしてきたという。とりわけ電話絡みの話は多く、行き当たりばったりで泊まったモーテルに何故か自分あての電話メッセージが残されていたり、「宇宙人」と称する者から電話がかかってきたりすることも再々あった。むろんそれだけではなく、夜中に寝ていたら巨大な黒い幽霊が出現したこと、ポルターガイスト現象に見舞われたことなどもあったようだ。もちろん、たびたび出没した「メン・イン・ブラック」なんかも連中の眷属ということになる。

それでもキールの場合は何とか「ヤツら」と折り合いを付けることができた。だが、中には被害を被った者たちもいる。とりわけ面白いのは(といってはイカンのだが)単に嫌がらせをされたというンではなく、「宇宙人」から予言を伝えられ、それがけっこう当たっているものだからすっかり信用していたら最後の最後にハシゴを外されて、哀れ社会から爪弾きにされてしまいました、みたいなパターンである。


ここで一つ挙げられているのが1967年のケースである。彼によると米国などではこの年の春以降、「UFOの搭乗者」はもちろん、霊媒や自動筆記など様々なルートを通じて、お互い関係のない各地の人々に様々な予言が降ってくるという不思議な現象があったらしい(キールからみればその発信元はすべて「超地球人」だということは言うまでもない)。


そして、本書によれば、キール自身も当時、こうした予言騒動の渦中にあった。この年の10月、彼は「UFOの乗員」を名乗る者からの電話で「まもなくオハイオ川で大惨事があり多くの人が溺死する」との警告を受けた。さらに12月11日には、やはり謎の電話で「アリゾナ州トゥーソンで飛行機事故がある」と告げられた。


それからどうなったかというと、12月18 日、トゥーソンでは本当にジェット機がショッピングセンターに突っ込む事故が起きた(注:キールは「事故は電話の翌日に起きた」と書いているが、これは記憶違いか。あるいは電話は17日にかかってきたのかもしれない)。

12月15日には、
ウエストバージニア州とオハイオ州を結ぶ吊り橋、シルバーブリッジがオハイオ川に崩落する大惨事が発生した(ちなみにこの橋はキールが取材した「モスマン事件」の現場ポイント・プレザントのすぐ近くにあって、事故の顛末は彼の著書『プロフェシー』で詳述されている)。

要するに彼が教えられた予告は「当たった」。


このほか、7月19日にノースカロライナ州ヘンダーソンで起きた航空機の空中衝突事故、現職のオーストラリア首相だったハロルド・ホルトが12月17日に海水浴をしていて行方不明になった出来事など、この時期に流布した予言で当たったものは幾つもあったらしい。


ただ、ここがポイントのようなのだが、一連の予言の中で最も衝撃的で、人々を震撼させた
ローマ法王(当時はパウロ6世)がトルコで暗殺される」あるいは「ニューヨークシティが大洋に滑り込む(地震で?」といった予言は完全に外れてしまった。あるいは「今年12月24日には何か未曽有の大事件が起きる!」という「お告げ」も、このころ世界中の霊媒やUFOコンタクティーたちのところに下りてきたのだが、もちろん最終的には何も起きなかった。信じて大騒ぎしていた人は当然、「世間を騒がす不届きものめ!」と糾弾されて面目を失ってしまうのである。

われわれ日本のUFOファンとしては、起こりもしない天変地異の予言を信じ込んでしまって「
リンゴ送れ、C」事件を起こしてしまった宇宙友好協会(CBA)のエピソードをついつい連想してしまうところである。ともあれキールはこう書いている。





彼らはすべての人間のできごとについての完全な予知能力を持っていると信じ込ませることができる。そして、これらの人々が完全に信じたとき、超地球人たちはその舞台に一人のジョーカーを登場させる。(273頁)




これらの人々(注:予言を受け取った人々)は、空飛ぶ円盤や地球人を信じざるをえないようなできごとをつぎつぎに経験する。そのあとで、彼らは、自らを破滅させる約束や考え方で、身動きができなくなってしまったのである。(276頁)



要するに、「彼ら」はオイシイ撒き餌をまいて人間を信用させ、すっかり間にうけた人間が「大変なことになる!」などと大騒ぎを始めたら、プイとどこかに消えてしまう。そうやって人間を破滅させて喜んでいるのではないか、というのである。なんだか「初回無料!」とかいって健康食品を買わせ、その実、バカ高い価格で継続購入する条項を契約書に仕込んで暴利をむさぼる悪徳商法のようなやり口である。汚い。


で、本章ではこういう魔の手に落ちた挙げ句、自ら犯罪をおかすところまでいってしまった人の実例なんかも挙げている。たとえば――

    1952年、ブラジル・サンパウロ州でUFOの搭乗員と出会ったアラジノ・フェリックスは、やがてそいつらとの交流を開始。「ディノ・クラスペドン」という名で「わたしの空飛ぶ円盤との接触」なる小冊子を刊行したりする。それ自体は話題にもならなかったようだが、1965年になると、彼はアラジノ・フェリックスの名で予言者として世間にその姿を現す。

    同年には近くリオデジャネイロで起きる洪水、1967年にはマーティン・ルーサー・キングやロバート・ケネディの暗殺を予言し、これはいずれも当たった。さらに彼はブラジルでの暴動勃発を予告し、以後、実際に警察署襲撃や銀行強盗が続発しはじめる。

    ところが、1968年に犯人グループを芋づる式にたどっていって捕まえたメンバーの首魁は、なんとこのフェリックスその人であった! どうやら彼は「宇宙の友人」の口車に載せられて、「ブラジル支配計画」に乗り出していたようなのだった・・・


類似のケースはこのほかにもいろいろ紹介されている。1960年代はじめにUFOを目撃したのがきっかけで「予言者」になってしまったフレッド・エヴァンスなる人物は、連中から何を吹き込まれたのか、オハイオ州クリーヴランドで奇怪なグループを結成。そいつらは1968年7月23日に人々を狙撃しまくるテロ行為をおこなった、等々。

*なお、キールはこうした話の後で、UFOの搭乗員とコンタクトした人々がしばしば耳にするという「不思議な言語」についてチョロチョロっと書いている。それはギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語など、いろんな言語がちゃんぽんになったものらしい。それがどうしたという気もするが、あるいは「超地球人」にも「文化」というようなものがあって、そういう言語がヤツらを識別する一つのあかしだと言いたいのかもしれない。知らんけど。


さて、本章の最後には、これまで触れてきた「超地球人の悪辣さ」とは一見あんまり関係なさそうなテーマが出てくる。彼らは意のままにテレポーテーションしたり――あるいは人をテレポーテーションさせる――能力をもっているのではないか、という話である。

キールがとりあえずここで紹介しているのは、1968年5月、アルゼンチンをクルマで走行していたジェラルド・ヴィダル博士とその妻が、突然濃い霧に包まれたかと思うと、なぜか48時間がたっていて、かつ6400キロ離れたメキシコシティに着いていた、という結構有名なミステリーである。


要するに、UFOと遭遇した人間はこの種の時空を超えた体験をすることがあり、テレポーテーション以外にも、いわゆる「ミッシングタイム」であるとか、逆に様々な体験をしたハズなのに気がつくとほとんど時間がたっていなかったという「時間圧縮」現象が起きるのだ、ということを言っている。つまり「ヤツら」は事ほど左様に人間をコントロールするすべに長けており、それ故に連中に見込まれた人間たちはどうしたって狂信に追い立てられてしまうということを言いたいのかもしれない。


まぁこの期に及んでも「じゃあ、なんでそんなことするのよヤツらは?」という疑念は晴れないままなのであるが、そんな割り切れない思いをよそに本書はいよいよ最終章へと突入していく。(つづく


*なお、章題は原語で「Breakthrough!」というのだが、何だか意味がよくわからなかった。邦訳は「敵陣突破!」としているが、「突破されちまった!」みたいなニュアンスなのか、あるいは「オレはヤツらの真相に突っ込んだぞ!」という感じなのか? お分かりの方はご教示ください

*
ジェラルド・ヴィダル博士の事件については、どっかでありゃHOAX(すなわちインチキ)だったという話を読んだ気がするのだが、今になってみると見当たらない。記憶違いかもしれないが心当たりの方はこちらもご教示のほどよろしくです




(付記)その後、「
ジェラルド・ヴィダル事件はガセ」という記述をジャック・ヴァレの『コンフロンテーションズ』第6章でハッケンしたので以下に引用しておく。


UFOを真面目に研究している者であれば、アマチュアでさえ当然知っている「ヴィダル事件」というものがある。これは、ラテンアメリカにあっはこれまで最重要視されてきたUFO事件のひとつである。

ヴィダル夫妻はある晩、マル・デル・プラタで知り合いとディナーの宴を囲むべく、車でブエノスアイレスを車で発った。が、彼らは目的地にたどり着くことができなかった。彼らの車は結局メキシコで見つかったのだ。彼らは厚い雲のような霧に周囲を取り巻かれ、次いで時間の感覚というものを失ってしまった。ガソリンを買うこともなく、パスポートも所持していないのに、どうやってこれほどの距離を超えてやってきたのか、彼らはメキシコの当局者に説明することができなかった。この事件の顛末は、10冊は優に超す書籍に詳しく紹介されている。

だから、私がアルゼンチンを訪れたときに「詳しく知りたい」と思っていた事件は幾つかあったのだけれど、この事件は当然そのひとつであった。ところが私のアルゼンチン人の友だちは、これを聞いて笑った。彼らもそのヴィダル夫妻をずっと捜してきたのだという。彼らは「ヴィダル夫妻の知人」を知っている人にまで網を広げて探しに探した。「ヴィダル夫妻を知っている」と言い張る人がいないではなかった。だが、結局ビダル夫妻を見つけることはできなかった。

そう、ヴィダル夫妻など最初からいなかったのだ。そんな事件は起きていなかった。

 *ちなみにこの事件、ヴァレは『マゴニアへのパスポート』にはマコトにあったこととして記している。




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■第十三章 ワニにかまれた傷を確実に治す法


さて、キールはここまで「様々な超常現象とUFO現象というのは元をたどれば同じものである」ということを執拗に主張してきた。その延長線上で、この章では「聖母マリアの顕現」に代表される宗教的な奇跡もやっぱり根っこは同じなんだよネ、聖母として出てくるのも実は「超地球人」なんだよネという――おそらくはカトリック教徒が激怒しそうな――ことを主張している。ということで以下、議論は聖母マリアの顕現を中心に展開していく。


まず彼が紹介するのは、1846年、フランスのラ・サレットで、10代の子供2人が原野で「聖母マリア」を目撃した事例である。聖母はその際、アイルランドの飢饉やヨーロッパでの小麦の凶作を予言した(実際その通りになった)。さらに1858年、フランスのルルドでは14歳のベルナデッダ・スビルー(邦訳ではベルナデット・スビル)が聖母と出会う。有名な「ルルドの奇跡」である。


次いで、これは聖母とは全然関係ないハズなのだが、たぶん「ヤツらとの遭遇が<良きもの>をもたらした事例」ということで連想がはたらいたのだろう、1965年9月3日夜、テキサス州ブラゾリア郡でクルマでパトロール中の警官が楕円形の光体と遭遇した事例をキールは紹介している。この時どんな「良いこと」が起きたのかというと、警官の一人はたまたまペットのワニにかまれて(!)左手の人差し指にひどいケガを負っていたのだが、おそらくは物体が発する光線を浴びたことで、彼のそのケガはすっかり治ってしまったのである(本章のタイトルはここから来ている)。


ちなみに、ちょうどこれと全く同じ日、ニューハンプシャー州エクセターでは、走行中のクルマが楕円形の赤い物体に追い回されたのを発端に、大勢の人間がUFOを目撃する事件があった。これがいわゆる「エクセター事件」であるが、ヒル夫妻事件を取材した『中断された旅 The Interrupted Journey 』で名高いライターのジョン・フラーが『エクセターのできごと Incident at Exeter』(未訳)という本を書いたこともあり、この事件は広く人々に知られることになった。


こうなると、同じ日に起きた事件でありながら「ワニ事件」のほうはどうしたって比較されて「冗談でしょ?」という扱いを受ける。ところがキールは、エクセター事件のほうこそ「まことにつまらない目撃」だと言い放ち、むしろ「ワニ事件」が重要なのだと主張する。事の真相に迫るには、むしろこの手のワケのわからん「ばかげたケース」のほうが大事だというのだった。このあたり、実にキール節全開ナリ。



ここでキールは、しばしばUFOと同時に現れて空を飛び回る「翼のある生き物」の話を唐突に始める。1877年のニューヨーク・ブルックリン。1922年のネブラスカ。1963年11月16日の英国ケント州。とどめは1966-67年のウェストヴァージニア州ポイント・プレザントにおけるいわゆる「モスマン」事件で、これについてはリアルタイムで取材したキールがのちに『プロフェシー The Mothman Prophecies』を著したことでも有名だ。


なんでそんな話をイキナリ持ち出すのだろうとオレは一瞬思ったのだが、たぶんこれは「空中に出現する聖母、翼で空飛んでるヤツ、どっちも同類ですから」という理屈なのだろう。キールにありがちな「流れぶったぎり」パートから話は再び「聖母」へと立ち戻り、ここからは有名な「ファティマの奇跡」をめぐるストーリーが始まるのだった。



この話は皆さんもよくご存じだとは思うが、改めて簡単に説明すると、まずは1917年5月13日、ポルトガルのド田舎のファティマで、小さな子供たち3人が光る球体と遭遇する。うち2人には「自分は天国から来た。これから6か月間、毎月13日にここに来るがよい」といった声が聞こえた。それが「聖母マリアの顕現だ!」という話になっていく。

実際に聖母は毎月13日にその場所に出現し、次第に多くの人が詰めかけるようになる(ただし、こうした野次馬には光こそ見えたが聖母を目にすることはできなかったようである)。あれやこれやあった末、やがて最後の顕現の日となる10月13日が来る。現場には7万人の群衆が詰めかけた。そこでは回転する銀色の円盤が乱舞するさまが誰からも目撃されたという。


この一件に関しては「聖母が三つの預言を残した」とか色々な逸話があるのだが、ここではその辺は一切省略。で、キールがこれについてどう言っているかという話になるわけだが、彼は子供3人の中で最年長のルシア・ドスサントス*が1915年以来、たびたび天使のようなものと出会っていたことに注目し、「ヤツら」はルシアがあらかじめ「心の準備」をするよう事前に仕込みをしていたのだと言う。そう、彼にしてみれば、この出来事は明らかに「超地球人」が仕組んだもの、そんなことは当然至極、当たり前のことなのだった。

    *訳書では「ルーシャ・アボボラ」。ちなみに「アボボラというのは original name」と書いてる資料があるので、彼女は何かの理由で改名したのかもしらん

もっといえば、キールによればこのファティマの奇跡というのは、「彼ら」にとっても乾坤一擲の大勝負であったようだ。時代はもう20世紀。人間もだいぶ科学的・合理的な思考をするようになってきて、「彼ら」が何か不思議な現象を起こしても「そんなのあるわけないジャン」とかいって人はなかなか振り向いてくれない。「じゃあ一大ページェントやって力づくで人間驚かせたるワイ」、そういう意図があったというのである。すなわち――




懐疑論が横行していたので、超地球人たちは、これらの予言へ目を向けさせる唯一の方法は、ほとんど反論できそうにない、そして聖職者に――そして世界に――こどもたちが言っていることは真実だと信じ込ませるような、慎重なデモンストレーションを演じることだと考えたのである。(258-59頁)



ただキールは、一連の出来事が「宗教的な奇跡」という文脈に回収されてしまったのは「超地球人」にとっては誤算だったのでは、とする。要するに、カトリックの人たちは「なんという奇跡だ!」とかいって感心してくれたかもしらんが、「宗教なんてもうイラネ」の人たちは「いや、もう聖母なんて話は御免被りますので」ということで、結局リーチできなかった。全体的にみればダメだったジャンという話。だからキールは次のように書く。




慎重に計画され、ファティマで意図的におこなわれたデモンストレーションは、したがって、超地球人たちに関する限り、失敗だったことになる。そういうデモンストレーションは、たしかに聖書時代にはひじょうに効果的だったが、時代は変わりつつあり、新しい方法が必要だった。人類は科学的になってきた――だから、その現象も一見、科学的な枠組のものに替えるべきなのかもしれない。(259頁)




ファティマ型の多くの現代の奇跡があったのだが、狂信者のサークル以外では、あまり大きな注目を集めなかった。空飛ぶ円盤のほうが、そうした奇跡よりもずっと宣伝効果があった。(同)



「いや、そんなことは最初から電通に相談すりゃよかったんだよマーケティング甘すぎるよ」とオレなどは思うのだが、ともあれ「彼ら」は次なる策として空飛ぶ円盤というイメージを用いることにしたというのである。


もっとも、「ファティマ」以降、こうした宗教的な幻像が消え去ったわけではない。キールはそんな事例をさらに幾つか紹介している。


例えば1961年6月18日、スペイン・ガラバンダルでは、12歳のコンチタ・ゴンザレスをはじめ4人の女の子が9歳ぐらいにみえる「天使」と出会った。彼女たちはその後も聖母や天使との遭遇を重ね、こうした目撃体験は1000回以上(!)に達した。1968年7月22日夕、カナダのケベック州セント・ブルノでは6人の少女たちが聖母マリアを目撃。1969年1月、メキシコ・ウルアパンでは7歳の女児が「グアダルペの聖母」と名乗る幽霊のようなものと遭遇した。


ということになると、これはキール自身がハッキリ言っているわけではないが、どうやらこうした現象は、「超地球人」と出会う人間の心のありよう――例えば特定の信仰があるとかないとか――によってコンテンツが微妙に変わってきたりするンではないのか。


いや、そこまでは言っていないのかもしれないが、少なくともキールは、UFOをも含む様々な奇現象は「超地球人」からの働きかけをうけた「人間」を起点として生まれるものだという意味のことを記している。




そのできごとや幻影は、現実にでなく、心の中だけで生じるのである。外に現れたものは、そのメカニズムの一部にすぎず、原因というよりはむしろ副産物なのである。(266頁)




接触者たちのほんとの体験は、ある強力な電磁気エネルギーのビームが、生物学的感覚チャンネルを無視して、その心に向けて送られているのだから、彼あるいは彼女の心の中でのことなのである。(同)


またぞろ「電磁気エネルギーのビーム」だとかエセ科学風の奇妙なことを言い出したのはかなわんが、最終的に言いたいことはだいたい分かった。そして、最終的にはまたこんな話になる。



「われわれは、これらの現われすべてを別々のカテゴリーや研究に分離するという人間的な誤りをおかしてきた。悪魔学者、天使学者、神学者、UFO学者はみな、同じ現象を少しちがった視点から調べていたのである。(同)



そう、悪魔学者も神学者もUFO研究者も実はみんな同じナカマ。「人類みな兄弟」(Ⓒ笹川良一)であったのだ。

それにしてもこの「超地球人」、基本的にはイタズラを仕掛けたり人を欺いたりするイヤなヤツだというのだが、その割にときどき当たる予言を教えてくれたり、ケガ・病気のたぐいを直してくれたりするというのはいったい何なのか。というか、そもそも人間にちょっかいを出してくる目的は何なのか。ここまで読んでも全くわかりません。(つづく


しかし毎回ついついダラダラとりとめのない長文になってしまう。反省。











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■第十二章 壮大なぺてん師たち

「超地球人」をめぐるキールの思索は、ここにきて歴史的な考察へと歩みを進める。要するに、連中は今でこそ「宇宙人」を偽装して姿を見せるようになったけれども、かつては「悪魔」のような存在として人間の前に出現していたのではないか、というのである。出没自在で、平気で壁を通り抜けたりするところは「悪魔」も「宇宙人」も変わらない。



悪魔やその化身やにせ天使たちは、むかしの人間に嘘つきや略奪者として認められていた。この同じ詐欺師たちが、いまは長髪の金星人として現われているのである(212頁)


もちろん、彼らに対して警戒を怠ることはできない。なんとなれば連中は「善人であることもあるが悪人であることがずっと多い」(213頁)からである

さらにキールは、「彼ら」は人間が出現する以前から「先住者」として地球にいたのではないか、と言い出す。こうした話は聖書の偽典である「忘れられたエデンの書」に書いてあるとか何とか言っているが、この辺の主張は流石に根拠薄弱である。もっとも、最近の話題にひっかけていうと何だかエヴァンゲリオンを連想させるようなところもある。面白いといえば面白い。


「面白いこと」といえば、この辺りでキールはもうひとつ興味深いことも言っている。UFOの乗員たちはしばしば武器のようなもので人間を麻痺させる。だが、よくよく考えればこれはホントに「攻撃を受けたから麻痺した」のだろうか――彼はそんな疑問を提起している。つまり、順番としては麻痺が最初にあって、そのあとに超常的存在が現れるのではないのかというのである。


それってどういうことよと我々は思うワケだが、彼は説明のために「その存在(注:超地球人のこと)は知覚者自身のエネルギーを利用することによってすがたを現す」(214頁)という超心理学方面のアイディアを紹介する。要するに、身体を駆動させるエネルギーが失われる≒身体が麻痺するのと同時にそのエネルギーが吸い取られ、「彼ら」を実体化させるために利用されるんじゃないか、そういうことを言っているのである。こういうエキセントリックな発想もまたキールの魅力の一つだろう。


同時にキールは、こういう現象に関わりをもつのは「ヤツら」の介入を招くので、とても危険なことだともいう。彼に言わせれば、研究家や目撃者につきまとうとされる黒衣の男、すなわち「メン・イン・ブラック」は、黒い肌と東洋人風の顔をしている点で吸血鬼に似ている。それぐらい恐ろしいということなのだろう。そして、「UFO現象に夢中になった若い男女がこうした幽霊からおそろしい訪問を受け(中略)こわくなってUFOの探求を断念したといったケース」(215頁)は何百とある。




だからわたしは、親たちに、こどもたちが夢中になるのを禁ずるように強く勧めるのである。学校の教師やほかのおとなたちも、ティーンエイジャーたちにその問題に興味を持つようにすすめたりすべきではない(216頁)



うーん、オレなどは今や絶滅危惧種であるUFOファンを何とか増やしていきたいと考えているのだが、キールから

「やめたほうがいい」

と言われてしまった。いや、だがこれは、そう言われれば言われるほど「じゃあやってみたい!」と考えてしまう人間心理を踏まえた彼一流のレトリックではないのか。一筋縄ではいかないキールだけについついそんな深読みもしたくなってくるのだが、どうなんだろう。


もっともキールは、いったん読者を怖がらせた後で、「彼ら」は時として病気を癒やしたり人を助けたりすることもあるという。良き天使としての側面である。また、「彼ら」はどうやら両性具有であるとか意味不明のことを言い出す。要するに「彼ら」のことはよくわからんのだった。



さて、キールは本章の後段で、西洋でいう「四大の霊」、つまりは「
地・水・風・火の四大元素を司る四種の霊魂」であるとか妖精・小人のたぐいは、いわゆる「宇宙人」の同類ではないのかという話を始める。この辺のことはいろいろ詳しく書いてあるが、ここでは省略してひと言でいってしまえば、要するにこういうことなのだ。



現れるものは、歴史を通じてずっと同じである。それらのできごとについてのわれわれの解釈だけが変化してきたのである(227頁)


ついでに言っておくと、「彼らが姿を現すためには生物のエネルギーが必要なのではないか」というアイデアは先ほども紹介したところであるが、改めての「ダメ押し」として、彼はこんなことも書いている。




これらの生きものが、自らを具体的な形体に再構成することを可能にする生命エネルギーを必要としているのだということは推測できる。フラップ地域で、よく犬や家畜が消えるのは、そのためかもしれない(229頁)


「彼ら」が犬に執着を示したいわゆる「イヌ事例」、あるいは家畜が狙われる「キャトル・ミューティレーション」について、これなんかは一つの示唆を与える指摘でもあろう。



次いでキールが注目するのは「心霊術」である。1848年、ニューヨーク州ハイズヴィルに住んでいたフォックス姉妹の周囲に起きた心霊現象をきっかけに近代スピリチュアリズムが勃興したことは広く知られているが、モノが現れたり消えたり飛んだりするポルターガイストなども含め、心霊現象全般もまたUFO現象に通底しているというのが、ここでのキールの主張である。


ちなみに彼はここでちょっとした「心霊うんちく」も傾けている。

モルモン教の創始者であるジョゼフ・スミスが一時期住んでいた場所とハイズヴィルは数マイルしか離れていなかったこと。

フォックス一家が「その家」に引っ越してくる前、すなわち1847年にはミッチェル・ウィークマンという人物の一家がそこに住んでいて、やはり幽霊騒ぎがあったこと。

若干時代をさかのぼった1820年頃には、テネシー州ロバートソン郡のジョン・ベルという人の家で盛大なポルターガイスト現象が起き、「ベル・ウイッチ」と称されて今に至るもとても有名な事件として記憶されていること。

*ちなみに「ジャクソニアン・デモクラシー」で知られる後の大統領、アンドリュー・ジャクソンもベル家を訪問したことがあったという。その際、乗ってた馬車が止まってウンともスンとも動かなくなったンだが、突然「将軍、馬車を動かしてください」という金属的な声が聞こえてきて、すると馬車は再び動き出した――という話があるらしい。で、どうやらこのジャクソンの話はウソらしいんだけど、「ヤツらは自動車ばっかじゃなくて馬車をも停めた」という意味ではすこぶる面白い

・・・・・・といった感じで、こういう話はオレは全然知らんかった。キールを読むことはとても勉強になるのだ(しかし何の勉強だw)。


さて、この章は、キールも力が入ってるのかずいぶん長い。ここまで書いてきたら、こっちも疲れてしまった。なので、この辺から後の細々した議論も端折りたいが、ただ235-236頁あたりでは19世紀のUFO報告(むろんUFOという言葉は当時なかったけれども)とポルターガイストの件数をグラフ化した試みが紹介されていて、その両者の増減はリンクしていたとキールは言っている。統計が取られた範囲などハッキリしないので何だか怪しいデータには違いないが、こういうハッタリめいたうんちくは話半分でもそそられるものがある。


いよいよ章の最後のほうになると霊媒の話も出てくる。降霊会で「当人が知るはずのない言語でしゃべりだす」といったような、合理的な説明がしにくい現象が起きたりすることもないではない。だが、そこでは一方で見え透いたウソが語られたりもする。要するに、こうした心霊関係のさまざまな出来事においても、その背景には常に「超地球人」がいる。

もっといえば、およそ不思議な現象というのは心霊だろうがUFOだろうが、すべて「彼ら」が仕切っている――極めて乱暴に総括してしまえば、キールはそのようなことを主張しているようだ。なんと素晴らしい大統一理論だ!(つづく


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■第十一章 「きみたちは宇宙のバランスを危うくしつつある!」


さて、「超地球人」についての考察を始めたキールは、本章にいたって「彼らが人間に向けて語ったこと」にスポットを当てる。


本章冒頭で彼が取り上げているのは、彼らが「あんたら人類は核兵器なんか開発しちまって危なっかしすぎる。何とかしなさい」と説教をしていったケースである。こういうエピソードがUFO事件につきものであるのは周知の事実であるが、ここでキールはそうした事例を幾つか列記している。例えばこんな具合である――。


1957年8月20日、アルゼンチン・キリノで円盤と遭遇した空軍の衛兵は(おそらくはテレパシーで)「原子エネルギーの誤用が、きみを破滅させようとしている」と話しかけられた。
1959年4月24日、ブラジル・ピアタで円盤を目撃したへリオ・アギアルは、その時なぜか気絶してしまう。やがて彼が意識を取り戻すと、その手には自らの字で「原爆実験をただちに中止せよ」と書かれた紙片があった。
1957年9月7日未明、英国チェシー州ランコーンで着陸した円盤に乗せられたジェイムズ・クックは、中にいた「宇宙人」から「きみたち地球の住民は、もし調和の代りに力を利用しつづければ、バランスをめちゃくちゃにしてしまうだろう」「その危険について彼らに警告したまえ」と告げられた。


さて、こうした警告をどう考えるかであるが、「なるほど連中も結構いいこと言うじゃんか」という気がしないでもない。実際にキールがこの本を書いた1970年頃というのは米ソ冷戦で偶発核戦争の危険がなお叫ばれていたし、いわゆる公害も社会問題化していた。だからこそ日本でもその辺の危機を煽った五島勉の『ノストラダムスの大予言』(1973年)が大ベストセラーになったのである。そういう意味では「あんたら人類このままじゃダメじゃん」というヤツらの指摘はけっこう本質を衝いていたのではないか。

ただ、キールがこういうメッセージをありがたがっている様子はない。これはオレの推測なのだが、キールはたぶん

「ったく偉そうにご託宣ならべやがって。そんなベタな説教されなくてもこちとら分かってンだよ陳腐なんだよ」

みたいなことを考えていたのではないか。というのも、あとの方まで読んでいくと分かるが、キールは「連中は一見もっともらしいことを言うことがあるけれども基本的に信用しちゃならん」ということを終始考えていたフシがあるからだ。


さて、それはそれとして、ここまで並べてきたようなユニークな事件は「1957年」にしばしば起きていたようで、この年はUFO史上でもちょっと注目すべき1年だったらしい。ジャック・ヴァレ『マゴニアへのパスポート』の後半部には、1868年からの百年間、世界各地で起きたUFO事例923件を列記した「UFO着陸の1世紀」というパートがあるのだが、このうち1957年の事案は68件ある。ちなみにヨーロッパで大ウェーブがあった1954年が136件で突出しているんだが、「68」というのも相当である。

ということで、キールは本章後段では「1957年」のUFOシーンというものにスポットを当てる。


そんな文脈で登場するのが、アダムスキ-と並び称されることもあるコンタクティー、ハワード・メンジャー(訳書ではメンガー)である。彼はニュージャージー州ハイ・ブリッジで看板書きをしていた男で、第二次大戦中から宇宙人とコンタクトしていたのだが、1957年まではそのことは口外してはならんと言い含められていた。それゆえメンジャーはこの頃になってようやく自らの体験を語りだしたらしく、ラジオ・ショーに登場するなどして有名人の仲間入りをする


しかし、キールのまなざしはなかなかシビアである。



ハワード・メンガーは、このことで金持になっただろうか? とんでもない。彼は自分の看板書きの仕事と自分の名声を失った。最後には、彼はほかの州に逃げ出さざるをえなくなり、そこで彼のむかしの商売でかろうじて生計を立てているにすぎない。(204頁)


要するに、メンジャーというのは「ヤツら」の言い分を真に受けたことによって最終的には「変な人」という烙印を押され、身を滅ぼしてしまった人だと言っているのである。


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 メンジャーと奥さん


逆にいえば、それは「連中はこうやってひと一人の運命を狂わせてしまうこともある危ないヤツらだ」という主張でもある。もう勝手放題、好き放題。そういう意味でいうと、ここでスポットが当たっている1957年というのは、先に触れたように「説教事例」を含めて奇妙な事件の当たり年だったから、キールは引き続き連中の傍若無人ぶりがうかがえる奇妙な事例を紹介していく。

ここで興味深いのは、彼の紹介する1957年11月はじめの複数の事件が何となくお互いに連動していたようにみえることである。以下の3件なんかはちょっとしたコンボになっている。



1957年11月5日@ネブラスカ州カーニー
ラインホルト・シュミットなる人物が飛行船のようなものを修理している搭乗員と遭遇した。そこで会話した相手はドイツ語をしゃべるフツーの男だったというから、キールも言うようにこれは19世紀末の幽霊飛行船事例が半世紀後に再現されたようなもので、何とも奇妙な話である。ちなみにシュミットはこのあとしばらく精神病院にぶち込まれたそうで、彼もまた「ヤツら」に惑わされて酷い目に遭った人間の一人だったわけだ(なお、現在絶賛発売中のUFO同人誌「UFO手帖 5.1」にはこの事件を取り上げたものぐさ太郎αさんの「アダムスキーみたいな人たち」第4回が掲載されているので、興味のある方はぜひ買うように



1957年11月6日の早朝@テネシー州ダンティ
愛犬フリスキーとともに外に出た12歳のエヴァレット・クラークは、野原で静止している輝く物体と、その近くにいる男女4人組を発見した。彼らはこの犬を掠おうとしたが、フリスキーは噛みついてなんとかその魔の手を逃れたそうだ。一部UFOファンの云う「イヌ事例」である

*ここで注目したいのは彼らが「ドイツ兵みたいながらがら声」で話していたというクラークの証言で、前日の事件でラインホルト・シュミットのお相手が「ドイツ語をしゃべってた」という話となんだか奇妙にリンクしている



同じく1957年11月6日の夜@ニュージャージー州エヴァリッツタウン
農夫のジョン・トラスコが飼い犬にエサをやるため外に出たところ、輝く卵形の物体と小男を発見した。小男は「わたしたちは平和な人間です」「わたしたちはトラブルを起こすのをのぞみません。あなたの犬が欲しいだけです」と話しかけてきたが、トラスコが一喝すると物体に乗り込んで飛び去っていったという。やはり「イヌ事例」である

*これもテネシー州の事件の目撃者が「エヴァレット」君だったのに対して、今度の事件の場所は名前がよく似た「エヴァリッツタウン」。そしていずれも「犬が狙われた」。この二つもどっかつながってる。この暗合についてキールがここでアレコレ言ってるワケではないが、ちなみにジャック・ヴァレは自著でこの点について論及している


ついでに言っとくと、キールによればこの11月6日にはオハイオ州モントヴィル、カリフォルニア州プラヤ・デル・レイ付近、ミシシッピー州でも「搭乗者」の目撃事件があった。

11月上旬にはこうした連続目撃事件が何だか互いに関係しあうような感じで起きた。キール自身は「ヤツらが洒落っ気を出してそういう連続目撃事件を演出した」とまで言っているワケではないが、読む側からすると「こりゃあ連中、人間からかっておもしろがってんじゃネ?」という感想を抱かざるを得ない。

結果として、そうした体験をさせられた人間は総じてペテン師扱いされたり酷い目に遭うのだが、キールはそうした人々はむしろ被害者なのだという。



一九八七年以後の接触者たちは、われわれに、彼らがUFO乗員たちに告げられたことを伝えている。嘘つきはそのUFO乗員たちで、接触者たちではないのだ。(209頁)


そうした接触が起こると、彼らは意図的にばかげたインチキ情報を伝える。(中略)このミステリー全体はわれわれを混乱させ、懐疑的にするために計画されてきたのだ。
だれかが、どこかで、われわれを笑いものにしているのである。(210頁)



「やっぱりそうなのか」ということで、だんだん分かってきた・・・・・・ような気がしないでもない。(つづく

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■第十章 「あなた方のタイム・サイクルは?」

この章で語られるのは、キールいうところの「超地球人」とは一体いかなる存在なのか――という問題である。ここではその説明のために何やら彼独特の怪しげな物理学が展開されているのだが、正直いって何を言ってるのかサッパリわかりません(笑)。しかし、それで済ませてしまっては申し訳ないので、そのあらましだけでも確認していこう。

さて、この章の冒頭では一つのUFO事件が紹介されている。1966年11月のある夜、ミネソタ州でラルフ・バトラー夫人ともう一人の女性が、当時盛んに目撃されていた光体群を眺めていたところ、その女性のほうが突然トランス状態になってしまい「あなた方のタイムサイクルはどうなっていますか?」「一日は何時間ですか?」というような質問を発してきたのだという。バトラー夫人は親切に答えてやったようだが、彼女自身はこれを空飛ぶ円盤とテレパシー交信をした経験だと考えていたようだ。

その翌年には、その体験談をきこうということで空軍の「リチャード・フレンチ少佐」と名乗る男が彼女のもとを訪ねてきた。彼は二日連続でやってきたようだが、その二度目、夫人がゼリーをふるまおうとしたところ、男はゼリーをボウルごと飲もうとしたという。ちなみに後日、ミネソタ州の空軍に問い合わせると確かに「フレンチ少佐」はいたが、それは例の訪ねてきた男とは全然違う人間だった。要するにこの男はUFOの目撃者のところにやってきて脅迫したり奇行を重ねるとされている「メン・イン・ブラック」であったらしく、とりわけこのゼリーのエピソードはそのトンチンカンぶり故に多くのUFOファンの間で愛され、語り継がれている(笑)。

いや、話が長くなったが、結局この事件に関してキールが注目しているのはゼリーの一件とかではなくて、ヤツらが発した(とされる)「あなた方のタイムサイクルはどうなっていますか?」という質問であるらしい。この事件を入り口として、要するにヤツらと人間とでは「時間という観念」が異なっているのだ――という方向に話をもっていく。

で、まず彼は、地球における一日の長さは自転、一年の長さは公転に拠るので、結局地球の時間のフレームワークはこの地球上だから成り立つモノで、結局、時間は相対的なものなのだというようなことを言いだす。

    【注】ただ、ここでキールはちょっと唐突に不可解なことも書いている。プレアデスは「空の民族」の故郷だとする民間伝承は多くあるので、「空飛ぶ円盤が実際に地球外宇宙船として存在しているのだとしたら、プレアデスはその発信地としてかなりの可能性をもつかもしれない」(185頁)。その説はテッテ的に否定してたんじゃなかったのかよ? ここはちょっと意味不明でアル

で、「時間という概念の相対性」みたいなところから連想したのかしらんが、彼は「光速に近い速度で移動する物体では時間の進み方は遅くなる」という、SFなどでおなじみの例の浦島効果の話をもちだす。

ここからの飛躍がスゴイのだが、つまりそういうことがあるのなら「超高周波分子が超高速度で運動して、われわれの時間の場から脱出したり、影響されなくなったりすることは可能はなずである」(186頁)。

よくわからん。わからんけれども、高周波のエネルギーを操作すれば(というのも意味不明なのだが)時間を操作することも可能であるということを言いたいようだ。さらにUFOというのは高位のエネルギーの現れで、それは「目に見える周波になるだけでなく、それらはわれわれに物質的なもの、現実的なものと見える形もとり、知的に見える活動もするのである」(187頁)。

「えっ??」と100回ぐらい聞き直したい感じだが、しょうがないのでキールがこの辺りで書いていることを強引にまとめてみると、彼らはエネルギーを自在に操って人間の感覚世界を超越した不可思議な現象を起こすこともできるし、脳内のパルスをコントロールして人間の考えも操作できる、UFOというのはそのような能力によって生み出された現象に違いない、キールはそういうことを言っているのである。

最後のほうでキールは、この「超知能」をもつ存在を「顕微鏡を通じて微生物を観察している人間」になぞらえている(この場合の微生物にあたるものが即ちわれわれ人間であることは言うまでもない)。

う~ん、何だかこのエセ物理学みたいなのはカンベンして頂きたいところだが、とりあえずキールがイメージしているものはちょっとは見えてきたかもしれない。「超地球人」というのは、ようするに人類をオモチャ扱いして遊ぶような能力をもつ何らかの知性体であるらしい。(つづく
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■第九章 物的証拠の不在


さて、キールはここまでの議論で、空に現れる奇妙なモノというのは、彼のいう「超地球人」が、時代時代に応じたスタイルをその都度考案しながら人間に見せつけてきたものだという話をしてきた。天使のような宗教的存在から飛行船、飛行機、さらにはロケットへ――そんな流れがあったワケだが、それが戦後になってまた変わったという。そう、いわゆる「空飛ぶ円盤」の登場である。


この点についてキールはちょっと面白いことを言っている。ご承知のように、戦後ほどなく世界は米ソ対立の冷戦期に入る。そんな時代にむやみに「幽霊ロケット」なんか飛ばしてたら偶発的な戦争が起きかねない。そこで連中も、今度はそんな危険を招かないヤツ、つまりは敵国じゃなくて地球外から来てる「空飛ぶ円盤」というものを考案して飛ばすことにしたんじゃないのか――というのである。彼のいう「超地球人」、意外と人類のことを心配してくれてるじゃないの(笑)。


話を元に戻すと、この「空飛ぶ円盤」、総じていえば「いかにも超高度文明が生み出しそうなたモダンでメタリックな宇宙船」の雰囲気を身にまとっておった。戦後ともなると人類も地球外に知的生命体が存在する可能性には十分理解が及ぶようになっているから、そこでこういうヤツを飛ばせば「どっか外宇宙の文明の進んだところから飛来しているんじゃないの?」と思ってくれるだろう。そういう狙いで連中はこういうものを飛ばし始めたというのがキールの読みである。実際、1947年のケネス・アーノルド事件以降、「UFOというのは宇宙船である」という観念は人々の間に広く定着した。


しかし。「でもこの説って全然立証されてないよネ」というのがキールの立場である。なんとなく今はUFOにまつわるデフォルト理論みたいになってるけど、それは全然違いますからネということを以下、キールは主張している。

そもそもこの宇宙人仮説であるが、「宇宙船を捕獲する*」あるいは「宇宙船が公の場に着陸する」といった事態でも起きない限り決定的証拠にはならない。そして、そんなことはこれまで起きていない。
次善の策としてUFO地球外起源説の人たちが考えたのは「円盤が落とした・残したモノ」を拾ってくることだったという。つまり「こりゃ地球上にはありえない特殊なモノだ!」とかいう展開で傍証を固めようという作戦である。


*ちなみにここで彼がフランク・スカリーが広めた墜落円盤のウワサ、つまり「アズテック事件」について論及しているのは感慨深い。今なら「ロズウェル事件」が真っ先にあがるところだが、本書はロズウェルが再発見される前の1970年の刊行なのです)


まぁしかし、キールに言わせれば連中はもともと地球にいるのだから、そんな地球外のものなんて落としていくワケはないのである。彼はここで、ナゾの飛行体がイカリを降ろして地上をひきずったり、あるいは人をひっかけたりした事例を複数紹介している。このうち、アイルランド・クロエラ(956年)、イングランド・ブリストル(1200年ごろ)、テキサス州マーケル(1897年4月26日)の事例は、いずれもイカリをつないでいたロープをつたって男が下りてきたが、最終的にはロープを切り離して逃げていったというお話である。要するにキール、連中はそんな特殊なモノを落としてくワケがないんで、いくら一生懸命拾ってもムダでしょうとイヤミなことを言っているのである。*


*なお、この「吊り下げられたイカリ」にまつわる諸事件はジャック・ヴァレ『マゴニアへのパスポート』第5章でも紹介されている


この流れでキールは、20世紀に入ってから連中が何か落としたり残していった(と思われる)有名な事例を紹介していくのだが、彼によれば確かにロクなものはみつかっていない。

ワシントン州のモーリー島事件(1947年)で投下された鉱滓は鉄や亜鉛など。ブラジル・カンピナスで投下された「銀色の液体」はスズ。ソコロ事件(1974年)で残された物質はシリコン。ブラジル・ウバトゥバの爆発事件(1957年)の破片は単なるマグネシウム。1956年7月6日、何か箔片みたいのが空から降ってきた日本の「銚子事件」にも触れているが、これなんかもいわゆるチャフとほとんど同じとかいって一蹴しておる。

それから、一部のUFOファンの間で圧倒的な人気を誇るジョー・サイモントン事件(1961年)についていうと、彼が連中からもらったのは「ただのコーンミールと塩と油」でできたパンケーキだった(邦訳書ではホットケーキ。当時はパンケーキといってもみんな分からなかったのだろう)。彼らはこうやって物体を適当にばらまく「加工品ゲーム」やってんじゃないの、とキールは言っている。


これに続いてキールは(本書の前のほうでもちょっと触れていたが)彼らの「自分たちは宇宙から来ていると思わせる作戦」について触れている。彼によれば、地上に降りているUFOのところで乗員たちが何やら修理しているような動きをみせている例はたくさんあって、例えばここでは1966年3月23日、オクラホマ州テンプルで起きたエディ・ラクストンの目撃事例(機体のわきに数字らしきものが書かれていた事件としても有名だ)を挙げている。


ということで、「UFO地球外起源説に従ってモノを考えても全然ホントのことはわかりませんでした」というのがここまでの議論である。

最後の部分で、キールはUFOに関して妖精めいた小人が目撃された事例に論及している。そして、宇宙人仮説にこだわる研究家たちはこういうものは「アホらしい」といって無視しがちであるけれども、実はUFO現象というのは極めて主観的な要素が多いので、UFOの落とし物を調べたりしてるよりも、こうした一見突拍子もない体験をしてる人も無視せずにその主張に耳を傾けたほうがよっぽどいいんだよネ――キールはおおむねそのようなことを言って本章を締めくくる。まぁ仮に何か落としていったら一所懸命調べなきゃイカンとは思うけれども、おおむね同感である。(つづく


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今回は「中休み」ということで、「UFO超地球人説」とは直接関係ない話をひとくさり。

ジョン・キールについては日本語の翻訳本がかなり出ているせいか、日本語のウィキペディアにもちゃん項目が立っている。それはそれでイイのだが、その元になったとおぼしき英語版のウィキペディアのページと比較してみると、ちょっとおかしなところがあった。


具体的にいいますと、キールの著作『プロフェシー The Mothman Prophecies』(旧訳題名は『モスマンの黙示』)に触れたパートで、ジョン・C・シャーウッドが『Skeptical Inquirer』2002年5- 6月号に書いた「Gray Barker's Book of Bunk」なる論考にまつわる話が出てくるのだが、この論考はシャーウッドとグレイ・バーカーが共同執筆したものであるかのように書いてある。

だが、グレイ・バーカーは1984年に死んでいる(笑)。どうやら「バーカーとかつて一緒に仕事をしたことがあるシャーウッドが執筆した」というくだりを誤訳したらしいのだが、オレはウィキペディアの編集の仕方がよくわからない。そのへん分かってる方はゼヒ当該ページにいって手直ししてきてくださいお願いします m(_ _)m


なお、ついでといってはナンだが、シャーウッドが書いたこの「Gray Barker's Book of Bunk」というのが気になったので、ちょっと調べてみた。どうやらこのシャーウッドというのは元新聞記者で、UFOモノなんかもけっこう書いてたことからキールたちとは結構親しかった人物のようである。

で、検索したら『Skeptical Inquirer』のサイトにオリジナルの記事があった。くだけた表現が多く、学校英語しか知らんオレには荷が重かったが、辞書を引き引きザッと読んでみた。以下はその話(細部間違ってたらゴメン)。


さて、記事のタイトル「Gray Barker's Book of Bunk」というのは直訳すれば「グレイ・バーカーのクソ本」ぐらいの意味であろう。そこからも容易に想像されるように、この論考は基本的にグレイ・バーカーをディスったものである。

要するに「バーカーという人はUFO話を適当にでっち上げてカネ儲けに利用した悪いヤツだ」ということを、かつてバーカーと組んででっち上げに荷担したこともあるシャーウッドが懺悔半分でつづったものらしい。こういう話なので、日本語版ウィキペディアで「シャーウッドとバーカーが共同執筆した」みたいな記述があるのは大間違いなのである(誰か早く行って直してきてw)

話をもとに戻す。シャーウッドによればバーカーのインチキぶりはいろんな人が書いてて、「彼はUFOなんてものは信じちゃいなかった、ただカネ儲けのために本を書いていた」みたいな証言もたんとあるようだ。彼がやはりUFO研究家のジェームズ・モズレーと組んで、米国務省のストレイスなる人物の名前で「あんたの言ってることは本当だ」みたいなニセ手紙をジョージ・アダムスキ-に出したりした一件なんかもシャーウッドはここで改めて持ち出している。


で、シャーウッドはそこからキールとバーカーの関係を論じていくのだが、結論的には「キールってバーカーのインチキ見逃しちゃってるじゃん! ダメじゃん!」ということを言いたいらしい。「アンタもインチキ本出したゆうて自白してますやん、他人のこと言えますのん?」とツッコミを入れたくなるが、まぁそれはいいや。

ともかくこのシャーウッドの論考でポイントとなるのは、キールの『プロフェシー』に出てくる一つのエピソードである。これはヴィレッジブックス版『プロフェシー』でいうと341頁以下に出てくる話だが、いちおうその概略を説明しておこう。



1967年7月14日の夜、キールのところに「グレイ・バーカー」を名乗る男から電話がかかってくる。二人は同じ研究者仲間ということで、もちろん知り合いである。ところが、その口調は確かにバーカーのものなのだが、「キールさん」などと妙に他人行儀な話し方で何だかおかしい。

で、その当時、ニューヨーク地区で「グレイ・バーカー夫人」と名乗る女性が迷惑電話をかけまくるという出来事が頻発していたので(この件の詳細については書いてないのでよくわからない)、キールがその話を振ってみたところ、バーカー(を名乗る男)は「いやぁ、誰にも電話なんかしてませんよ」と答えたというのだが、実はバーカーは独身であった。

要するにバーカーはニセモノだったわけである。ちなみに翌日、キールが念のためバーカーに電話をしたところ、「いいやそんな電話かけてないよ」という。アラ不思議、これもUFOにまつわる怪異ではあるまいか――だいたいがそんな話である。



ところが、このシャーウッドがその後、キールとバーカーの間に交わされた書簡類を調べてみたところ


キール「あのさぁ、あの電話やっぱオマエがかけたんじゃね? オマエあの時どこにいたの?」

バーカー「うーん、どうだったっけ? ただ、通信記録はあったんだよなー。意識なくすほど酒は飲んでなかったし、ホント不思議だよなー」


というようなやりとりが1967年中になされていたらしい。要するに『プロフェシー』の話とはだいぶん様子が違う。ほとんどバーカーが「私がやりました」とゲロってるに等しい。さらにいえば、バーカーとつるんでたモズレーもシャーウッドに対して「そりゃバーカー飲んでたんじゃネ?」みたいな事を口走っていたようである。「なんだ全然怪異なんかじゃないジャン」という話になる。


ちなみにキールがこの本を出版するのは1975年であるから、その時点ではキールには「バーカーにかつがれた」という認識があったハズなのだが、この本ではミステリー風にこのエピソードを取り上げている。であるから、シャーウッドは「あの、あなたがバーカーと交わした手紙と、あの本とでは齟齬がありますよね? どういうことなんです?」とキールに問い合わせたのだが、結果ナシのつぶてだったそうだ。

我々はキールを読んでて「この人、やっぱどっかでちょっと話を盛ってるんじゃネ?」などとしばしば思うのだが、そういう意味では「やっぱりネ・・・」と思わんでもないエピソードである。だが、オレは許す(笑)。


*なお、日本語版ウィキペディアではこの件について以下のような記述がある。この箇所については別に間違いはなくて、まぁそういうことなのだろう。




シャーウッドによるレポートによると、モスマンについて、キールが調査をしていた時点で書いた文書と、彼の最初の本との間には重大な相違点がある、との報告がなされ、本の内容の精度について疑問を投げかけた。また、キールがその食い違いの原因を明らかにすることはなかった、とも報告された。






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■第八章 その謎を作図する


「既知のモノに擬態してみせるUFO」というこれまでの話の延長線上ということなのだろう、この章でのキールは「流星に似てるんだが流星ではない物体」について書いている。


最初に紹介しているのは1966年4月25日にカナダ方面から米国北東部に向かって飛来してきた「流星」の話である。これが目撃されたのは午後8時15分頃のことだったが、その経路には複数の目撃者がいたようで、キールはそんな人々の奇妙な証言を複数紹介している。


たとえばペンシルベニア州トワンダ近くのハイウェイでは、走行中のクルマのエンジンがとまり、ヘッドライトが消えた(これはいうまでもなくUFOにつきものの電磁効果というヤツである)。

また同州アプランド近くでは上空から何かが落下。それを発見した少年によれば、物体の高さと幅はそれぞれ1フィート、長さは2フィートで、ゴムが焼けるような臭いをさせて燃えていた。ちなみに、翌日現場に行った人たちはそこに小さな石炭のようなものを見つけたという(なおこの少年は目撃後に一時的に目が見えなくなり、両目が腫れてしまった。何らかの輻射を浴びたもののようだが、こういう話もUFOにはつきものである)。


このペンシルベニアの「流星」にまつわるミステリーはまだ続く。

キールが語るところによれば、ソヴィエトのタシケントではペンシルベニアでの事件とほぼ同じ時刻に――つまり現地時間の4月26日早朝となる――突然閃光がひらめく現象が起き、さらにはまもなくその一帯で大地震が発生した。Wikipediaにも
「タシュケント地震」という項目あるので、そういう地震があったこと自体は確かなようだ。米国とタシケントの出来事になんか関係があったとしてどういう関係なのかよく分からないので困ってしまうのだが、こういう話で読者を煙に巻くあたりがいかにもキールである。

ついでにいうと、
キールはここでしばし寄り道するようなかたちで、「流星」ないしは空飛ぶ円盤の出現と時を同じくして地震が起きた事例を幾つか紹介している。この点についてはそれほど深掘りしていない。ちょっと残念であった。


とまれ、ここで彼が報告している物体は、「尾を引きながら空を飛んでいく光体」ではあってもやたらノロノロ飛んでいったりするので、やはり流星ではない。ここまで読んできた読者としては「なんでそんな紛らわしいんだ! あ、やっぱりこれも流星を装ってみせるヤツらの手口なのかもしれないね」と何となく考えたくなってしまうのだった。


さて、本章の後半になると、キールはやや切り口を変える。1966年7-8月、ネブラスカ州とその近隣州ではこうした流星様の物体が目撃されるフラップが発生したのだが、ここで彼は、一連の証言に基づいて物体が飛行したルートを再現することを試みている。


例えば、1966年6月13日午後10時過ぎに目撃された物体は「緑色」ないしは「周りに赤いバンドのついた青緑色」という点で証言が一致していたが、これはネブラスカ州→ミズーリ州・アイオワ州→イリノイ州といった順番で、円弧を描きつつ移動していたことが判明した。このようにして彼は、複数の事件について地図上に飛行ルートをプロットしていった。その結果、どうやらこうした物体はカナダをも含む「大きな円」に沿うようにして出没しているのではないか――という結論に達する。


もっともオレはアメリカの各州の位置関係なんてものは全然わからない。そこで、いちおう彼の主張に沿って白地図にそのコースをプロットしてみたので、ここにはその画像を貼っておこう。ここに記したコースはその円の一部になるのだと思うが、彼がイメージしていたのはたぶんこんなものだと思う。

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さらにキールは、「この大きな円にリンクする形でUFOの多く出没する区域=窓というものが多数存在しており、そこは地磁気異常がある場所であることが多い」「フラップはこの大きな円に沿って移動することが多いので、次なる発生場所はある程度予測できるのだ」みたいな怪しいことまで言っている。


そればかりではない。本章の最後になると、チャールズ・フォートの「ファフロツキーズ」概念を援用して、「そもそもこういう流星みたいにして落ちてくるものは外宇宙から来るンでなくて、何ものかが中空に<物質化>させたものなんじゃねーの?」といったことまで口走る。暴走は止まらない。いいぞキール。(つづく


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■第七章 未確認飛行機


さて、UFOというと円盤型というのが通り相場のように思われているが、この章でキールはまず「飛行機に似てるけれどもどう考えても飛行機ではありえない飛行物体」の目撃事例を俎上にあげる。


考えてみるとキールはここまで、19世紀末の幽霊飛行船騒動なんかを題材に「ヤツらはその当時の技術レベルからしてそんな違和感のないモノを擬態してやってくる」といった議論をしてきた。その流れでいえば、飛行機が一般化してくるとともに「謎の飛行機」が出現しはじめたという話になるのはごく自然なことであろう。かくて彼は、本章冒頭で「はっきり見分けられる翼や尾翼を持つ通常のプロペラ機は、UFOミステリーの不可欠の一部である」(117頁)と宣言する。


ここで問題にされるのは、認識票や規定に定められたライトを備えていない飛行機だったり、航空力学的にはちょっと飛行不能と思われる小さな三角翼をつけた飛行機だったりする。あと、フライング・ボックスカーと称された貨物輸送機C-119にソックリの飛行機が常識では信じられない超低空飛行をした事例、あるいは彼がウェストバージニア州ポイントプレザントで自ら体験した「エンジンを停止して頭上を滑空していった双発機」の話なども紹介している。

434th_TCW_Bakalar_Air_Force_Base_C-119
C-119の写真

というのが本章の導入部。
キールはここまでおおむね時代に沿ってUFO事例を論じてきたわけであるが、その流れを踏まえて、ここからは1932-38年にスカンジナビアで起きた正体不明の「大型飛行機」による目撃フラップを詳しく紹介している。それらは吹雪の最中であっても難なく飛行し、低空を旋回して地上にサーチライトを浴びせることもたびたびであったという。ちなみにキールによれば、「ニューヨーク・タイムズ」は――何年の記事かは知らんが――「犯人は日本だ」とする記事を載せたというから、満州事変後の日本が世界からどうみられていたか、ちょっと考えてしまいますな。


ここからキールは、場所が同じスカンジナビアということもあってか、1946年以降の「幽霊ロケット」騒動へと筆を進める。要するにノルウェー、スウェーデンあたりの上空でロケット状の物体が盛んに目撃されたという話なのだが、キールによればスウェーデン当局は2000件以上の報告を集めたとされる。東京大空襲を指揮した米軍のジェイムズ・ドーリットルが調査協力のためストックホルムに飛んだという、UFO本でよくみかけるような話もここには書いてある。


で、ここまでのところで「幽霊飛行船」「幽霊飛行機」「幽霊ロケット」というものが相次ぎ登場したわけであるが、さらに「幽霊ヘリコプター」というものもあるとキールは言いだす。何だか謎の光体が目撃された後、それを追うように登場するのが定番であるらしい。ここでは、輝く物体が去ってからヘリ7機とジェット機10-12機が現れたニュージャージー州ワナクの事例(1966年10月11日)、卵形物体を取り巻くかたちで7機のヘリが目撃されたメリーランド州ローズクロフト・レーストラックの事例(1968年8月19日)などが紹介されている。


さてさて、ここまでのところを改めて振り返ってみると、前にも言ったようにキールは「飛行船だとか飛行機を擬態しているようにみえる飛行物体」にえらくこだわってきた。それは何故かと考えると、彼は「UFOというのは宇宙人が乗ってきた宇宙船だとかアンタら言うけど、そんなのウソだから」と言いたいのである。だから「UFOといえば未来っぽい円盤形」みたいなイメージをぶち壊しにかかる。「歴史をさかのぼってみるとおんなじような出来事あったけど、全然円盤とかじゃなかったじゃん」と言いたいのである(たぶん)。


であるから、彼は本章の最後でいよいよ「宇宙人来訪説」をツブシにかかる。どういう論法かというと、世界中で目撃されてきたUFOというのは(おそらく1947年のアーノルド事件以降を念頭に置いてのことだと思うが)その形状についてみると、ほとんど同じものがない。タイプ分けをしようにも「タイプなどというものは何もないのかもしれない」(137頁)。宇宙人来訪説を前提とすると、そこから導かれる結論は二つ。全部がウソであるか、あるいは「あるおどろくべき正体不明の文明が、全力をあげて無数の異なったタイプのUFOを製造し、そのすべてをわが地球に送っている」ケースである(137-38頁)。


キールはそんなこたぁないだろうといって、もう一つのアイデアを示す。UFOはハードな物体のかたちを取ることができるが、大きさや形を自在に変えることもできる。「宇宙人の乗り物」なんかとは違う何かよくわからんものだというのである。


彼によれば、ある目撃者はこんなことも語っていたという。「わたしが目撃したものが機械的なものだとはとても思えないんです。たしかに、あれは生き物だったにちがいありません」。キールはUFO=生き物説を主張しているワケではないが、もう宇宙船説なんてほっといていいやん、とここで言い出したのである。(つづく


*なお、「同じ形状のUFOは存在しない」という主張はとりもなおさず「アダムスキー型円盤」といったものの存在を否定していることになるわけで、いきなりこう断言するキールは好きである


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■第六章 変幻自在な空の幽霊


キールは、引き続き本章でも謎の飛行物体の歴史をたどっていく。1905年8月2日にカリフォルニアで目撃された物体は「翼を巨大な鳥のように羽ばたかせていた」・・・そんな怪しい話を一発カマして我々を驚かせた後、彼は1909年に世界各地で起きた一連の出来事にスポットを当てる。


この年の7月、ニュージーランドでは葉巻型物体が目撃され、ひきつづき夏から冬にかけてはスウェーデンに「翼のついたマシン」や「明かりをつけた気球」が現れた。さらに12月末にいたると米国東部のニューヨークやマサチューセッツ州あたりでは新たなフラップが起きたのであるが、この事件に絡めてまたまた怪しげな人物を登場させてくるのがキールの真骨頂である。


その人物こそ誰あろう、マサチューセッツ州ウスタの実業家にして、発明家でもあるウォーレス・E・ティリングハストであった(知らんがなw)。

彼は地元でもけっこうな名士であったようなのだが、この年の
12月12日、突然記者会見を開く。そこで彼が語ったのは「自分は巨大な単葉機を発明した。試験飛行にも既に成功している」みたいな突拍子もない話であった。翼長は72フィートというから約20メートル。乗員も3人ぐらい乗れるというから当時の技術水準からすると凄いシロモノである。で、ここからが奇妙なんだが、この会見からさほど間を置かず、12月21日頃からマサチューセッツ一帯では強い光を放つ飛行体が盛んに目撃されるようになった。


そうなると、当然ティリングハウスは「あんたの仕業なのか?」とみんなから追い回されるのだが、何故か彼はハッキリしたことを言わずに逃げ回る。ようやく12月30日になって、スポークスマンを通じて「飛行機、来年2月にボストン航空ショーで一般公開しますから」と発表したのはイイのだが、なんとも皮肉なことに飛行物体の目撃はそれきり止まってしまう。

なんだかワケのわからない話である。だが我らがキールは、ここで彼一流の推理を披露してみせるのだった。これをオレ流にかみ砕いていえば、以下のような話になる。




――1896年の飛行船騒動の時には、西海岸に現れて地元の法律家たちに「世間を騒がせている飛行船は自分が発明したものだ」と触れてまわった怪しい人物がいたワケだが(前回記事
を参照のこと)今回の一件はその一種のバリエーションである。


つまり、謎の飛行機を飛ばしている「例のヤツら」は、今回は表に出ず、地元の名士であるティリングハウスを代理人として使ったのだ。

まずティリングハウスに接触した「ヤツら」は、「この飛行機は自分たちが発明したヤツだ」といって謎の飛行物体に実際に彼を乗せてやる。次いで、「一連の試験が終わったら飛行機ビジネスの利権をアンタにあげるから、マスコミ発表とか代わりにやってくれ」といった話を持ちかける。

ティリングハウスはこの話をすっかり真に受けてしまう。それで記者会見を開いたのはいいのだが、突然ヤツらはハシゴを外して姿を消してしまった・・・


「いや、ホントのところはティリングハウスをつかまえて洗いざらい話してもらえばいいンじゃねえの?」と思うところだが、ひょっとしたら失踪でもしちまったのか、その後の彼がどうなったか書いてないので仕方がない。我々としてはとりあえずキールの推理におつきあいするしかないのである。この辺りが彼のうまいところで、とにかく何でそんな手の込んだ悪戯をするのか皆目意味は分からんけれども、とにかくUFO現象というのは一から十まで「ヤツら」の仕掛けた「ぺてん」なのだということを、キールはここでも重ねて言っているのだった。


この章ではさらに、1910年8月30、31日の両日、ニューヨークのマンハッタン島の上を「長くて黒い複葉機」が低空飛行した話なども紹介している。日本でいえば新宿の真上を謎の物体が飛び回ったような話であるから「ホンマかいな」と思うが、まぁニューヨークの「トリビューン」にそう書いてあったと彼は言っている。もはや完全にキールのペースである。(つづく


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■第三章 幻想の世界


この章でキールは、UFOが突然姿を見せたり消したりする現象を説明しようということなのだろう、人間の知覚というものについて論じている。どうやらそのキモは「人間の知覚域には限界がある」ということらしく、電磁気のスペクトルというのは波長の短い宇宙線から長い方は電波に至るまでとても広大な領域にわたっているのだが、そのうち人間が視覚で知覚できるのはごく限られた可視光線だけだ――と強調している。


アマチュア無線技士電話級(笑)の資格こそもっているが基本的に文系脳のオレとしてはこういう話になるといまひとつちゃんと理解できていないのではないかと不安になってくるのだが、まあいいや、ともかくオレが理解するところでは、キールは「この宇宙の中で人間が見たり聞いたりできる現象世界というのは限られており、その外側には人間の知覚を超えた不可解なものがうごめいている」ということを言いたいようなのだった。


ただ何というか、ここでキールはうまいこと議論を混線させていて、「だから人間の知覚を超えた現象をもたらす、何らかの主体というものもあるんですよ」という方向に話をずらしているような気がする。


たとえば彼はこういう言い方をしている。




われわれの世界もまた、何かもっと大きい、われわれの感覚や理解力を超えた何ものかの一部かもしれない。(中略)これらのエネルギーは、われわれと共存し、われわれに将来とも気づかれずに同じ空間を占めることすらできるにちがいない。

われわれが本書で概観してきた証拠はこの知覚されない共存を明確に示しているし、いまやわれわれは"それ"あるいは"それら"あるいは天界の偉大な何者かと妥協しなければならないときである。(49頁)


まぁ確かに人間が知覚不能な世界やエネルギーといったものはあるんだが、そこから「人間の了解不能な世界があり、その世界におけるアクターというものも当然存在する」みたいな方向に何だかうまいこと誘導されてる感が否めないのである。


ともあれ、キールはここで「UFO現象をもたらす主体」という概念を議論の中にうまいこと密輸入することに成功した(笑)。そして、彼らの知覚域は人間のそれを超えていることを示唆する。それゆえに彼らがフツーに行動していても我々にはそれが「見えたり消えたり」する。


というか――ここがスゴイんだが――キールはさらに一歩進んで「彼らは意図的に<見せたい自分>を<人間の知覚域>に向けてチューンして見せているンではないか」といった仮説まで持ち出すのである。



われわれの輝く物体(注:UFOのこと)は色、サイズ、形が変わるが、このことはそれらが一時的に地球上の物体に見せかけるような操作が可能なエネルギーから成っていることを示す。(58頁)



孤独な目撃者たちが、地上に降りてパイロットたちによって修理されているハードな物体に出くわしたといった報告がたくさんあった。(中略)ほんとうはわざとやってるんじゃないかとしか思えないようなこうした事故があまりにも多い。それらは、その物体は実在のもので機械的なものだという信仰を強めようとしているのかもしれない。(60頁)

こういう風に「暴走」していくのがまさにキールの魅力である。


■第四章 時間外からのマシン


この章からキールは、歴史を振り返りながら、そこに今日でいうUFO現象に類したものを探っていく(むろん、それは「宇宙人は昔から地球を訪れていた!」という意味ではない。ここまでお読みの方ならお分かりだとは思うけれども)。


そこでまず取り上げられるのは、空中に「火の柱」が現れたといった記述のある旧約聖書である。あるいはキリスト教における天使というのも、見ようによっちゃUFOの搭乗員みたいなもんじゃネ?ということも言っている。もひとつ、奇妙な生きものの訪問を受けて、のちにモルモン教を興すことになるジョセフ・スミスを取り上げているのも興味深い(余談ながら、ジャック・ヴァレもUFO現象とのかかわりでジョセフ・スミスに論及している)。


18、19世紀になっても奇妙な物体、奇妙な人の報告は続いたが、1896~97年になると巨大な葉巻型の物体が人々の前に姿を現すというエポックメイキングな事例が起きるようになる。いわゆる幽霊飛行船騒動である。これが次章のテーマとなる。



■第五章 壮大なぺてん


さて、19世紀末の幽霊飛行船騒動というのは、米国の中西部諸州を中心に各地で謎の飛行船が出没し、時に着陸した搭乗員たちと目撃者が会話を交わしたとも言われている一連の事件である。本章でキールは、その主立った事件を紹介しながら、最終的にはこれを「ぺてん Deception」という言葉で総括している。


それでは何が「ぺてん」なのかという話になるわけだが、ここに本書の第三章末尾でキールが言っていた話がつながってくる。つまり、UFOの搭乗員たちは、なぜだか知らんが地球の人間たちに「偽りのストーリー」を植えつけようといろいろ画策してるんじゃネ?という話をキールはしていたのだった。連中はこの19世紀末の時点でも、そういう怪しい動きを繰り広げていたとキールはいうのである。


キールは「これは試験飛行中の飛行船だ」といった説明を目撃者が聞かされた話を紹介しているほか、「世間を騒がせている飛行船は自分が発明した」という謎の人物が1896年11月、西海岸に出現した話なども伝えている。彼によれば、この人物はカルフォルニア、さらにはサンフランシスコで、高名な法律家2人を相次いで訪問したという新聞記事が残っているそうだ。その男は黒い肌、黒い目であったが、ちなみにキールはこれをUFO目撃者のもとに現れて恫喝などをしていくとされる「メン・イン・ブラック」に類したものと考えているらしい。加えて目撃地域では、その飛行船から投下されたものと思われる航行記録の記されたカードみたいなものも再三見つかっているという。


むろんそんな飛行船は当時実在しえなかったワケで、要するにこういう情報は全部欺瞞であり、物証もインチキである。なんでそんな偽装をするのかという話になるわけだが、ここでキールは一つの推論を提示している。いささか長いが引用してみよう。




容貌、言語などがわれわれと全くちがうものもいる正体不明のよく組織された人間の集団が、一九八七年に、空から合衆国中西部の大規模な"調査"を行うのが得策だと判断したと仮定してみよう。

(中略)

彼らは自分が存在していることをわれわれに知られたくもなかったし、もしわれわれが彼らの航空機に気づくようになれば、われわれは自動的に彼らのことに気がつくようになるだろう。だから彼らは、この"侵入"をなるべく気づかれないでやれるような、あるいは少なくとも無害に見えるプランを考案しなければならなかった。(97頁)


こっそりと、衝突が生じないようなかたちで人類の社会を観察している者たちがこの地球にはいるのだ――そんな極めてラディカルな方向に向かって、キールの思考はさらに驀進していく。(つづく



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UFO問題に関心のある方であればご承知かとは思うが、2009年に亡くなったアメリカのUFO研究者、ジョン・キールというのは、「UFOというのはエイリアンが飛ばしている宇宙船なんかじゃない。あれはこの地球上に人類とともに存在してきた何らかの超常的存在が顕現したものなのだ」という、いわゆる「超地球人説 the Ultraterrestrial Hypothesis」で有名な人物である。

こういう考え方はオレの好きなジャック・ヴァレの議論ともかなりの程度重なっていることもあり、彼にはかねてから好感をもっていた。幸い彼の本はそこそこ日本語にも訳されているので、その多くはこれまで買い求めていたのだが、ただ一冊、古本でもけっこう値が高くなってしまってこれまで入手できなかったのがあった。

それが「Operation Trojan Horse」(1970)の邦訳書「UFO超地球人説」(1976、早川書房)であったワケだが、これを先日ネット経由でようやく入手することができた。

あぁ良かった良かったというところであるが、と同時に考えた。オレも最近だんだん頭がボケてきたのか、読んだ本の中身を片っ端から忘れてしまう。せっかく何年越しかで探してきてようやく入手できたこの本なのであるから、忘れる前にその内容をブログにメモしておけばよいのではないか。

もひとついうと、先に書いたようにこの本はなかなか出回っていない。入手していないUFOファンの方に、ここではだいたいどんなことが書いてあるのかお伝えしておくのも意味があることだろう。

というワケで、これからヒマな時に各章の内容などをここに記していこうと思うのだった。今回はその第一回め。

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■第一章 秘密の戦争

1966年3月、キールはUFOの調査研究を始めたのだが、第一章ではその当時のことを書いている。まずは新聞などのニュース・クリッピングサービスでUFO情報を収集したのだが、こうやって年間に集めた情報は1万件。そんなデータからおぼろげに見えてきたものがあったのだという。

UFOは水曜日に出現することが多い。かつ目撃が特定の「州内」に限定される傾向がある。ということはUFOというのは人間が作った「曜日」だとか「行政管区」といったものを理解しているのか? いかにもキールらしい問題提起がさりげなくなされている。

さらに1967年3月8日の前後、カンザス、イリノイ両州を中心に起きたフラップから22事例を一気に紹介し、読者を驚かせたところで次章へと怒濤の展開。



■第二章 答えなんかどうでもいい! 問題は何か?

UFOとは「疑似物質的 paraphysical」なものではないのか――それが本章におけるキールの主張のキモである。キール自身も「疑似物質仮説とは正確には何か?それが本書の中心テーマである」とこの章で言っている。

では「
疑似物質」とは何ですかという話になるわけですが、キールによれば、それは「すなわち固形物で構成されたのではないもの not composed of solid matter」である。

と言われてもイマイチよくわからんと思うのだが、要するに一番平たくいってしまえば「UFOというのは宇宙人が飛ばしている宇宙船なんかじゃない」ということである。つまりアレは何らかのマシン、乗り物、機械のたぐいじゃないと言っているのである。そうじゃなくて、一見モノのように見えてもそうじゃない、実はなんかよくわからん超常的存在、時によっては霊的なものとして考えたほうが良かろうとキールは言うのである。

まぁその辺の話はおいおい出てくるのだと思うが、とりあえずこの章では、彼の言う「
疑似物質仮説」に近い立場の人々(大きな括りでいえば「あれはボルト&ナット製の宇宙船なんかじゃない」と考えている人々)を紹介している。こんな面々だ。

――ジェラルド・ハート、アーサー・C・クラーク、英国のダウディング卿 ハロルド・T・ウィルキンス、ウィルバート・B・スミス、ブライアント・リーヴ、アイヴァン・T・サンダーソン、ジャック・ヴァリー(注:ヴァレのことである)・・・

彼によれば1955年には「疑似物質情報の爆発」があったそうで、つまりこのころ、客観的にみれば宇宙船説に都合が悪い情報やたら出てたじゃん、ということを言いたいのであろう。にも関わらず、ET仮説や政府の検閲(いわゆる陰謀論だろう)みたいな話ばっかはやっていたので、キールは何だかご立腹である。

本章の最後には、英国空軍で元帥をしてたヴィクター・ゴダード卿という人物を引いており、いまいち意味はよくわかんなかったけれども、ゴダード卿はここでUFO現象は霊的・オカルト類似現象だと言っているらしい。それって何よ、という話は以下で詳しく論じられていくのだろう。たぶん。




◆蛇足1
本書では「接触者」という言葉が再三登場しているが、確認してみると、これはやはり「contactee」の訳語であるようだ。いまなら「コンタクティー=宇宙人と友好的に会見したと称する人々」ということでそのままで通じると思うが、当時はそうでもなかったのかもしれない

◆蛇足2
自ら「スゲー資料調べした」とか言ってるだけあって、なかなか渋い情報も散見される。邦訳書30頁にはUFO関連で「円盤 saucer」なる表現が初めて用いられた例というのが出てきている。それは1878年1月24日(木)、米テキサス州の農夫ジョン・マーティンが頭上を通過する円形の物体を目撃した事例で、その際に「デイリー・ニューズ」が「ソーサー」と報じた、とある。我々はつい「ソーサーと言われたのはアーノルド事件が最初」とか言ってしまうが、そこに一石を投じています(どうでもいいけどw)


◆蛇足3
原著(のPDF)と照らし合わせると、翻訳ではところどころ割愛してる箇所がみつかる。訳書をお持ちの方のために気づいた範囲でやや具体的に言っておくと、例えば36頁「パーマーは・・・生涯をその問題に捧げることになる。」の段落のあとだが、原著にはこうある。「Captain Ruppelt even accused him of “inventing” flying saucers. He almost certainly did. ルッペルト大尉は、彼は空飛ぶ円盤を「でっち上げている」と言って非難までした。実際、彼はほとんどそれに類したことをしていた」。なんで略したのだろう?

あと、
38頁の「一九五五年から一九六六年までは、UFO問題の実際的研究はほとんどおこなわれなかった。」のあと、一段落が割愛されている。ルッペルトの本の影響で1956年6月、ワシントンDCでCIAやロケット技術者たちが参加したシンポジウムが開かれ、それがきっかけで、タウンゼント・ブラウンを代表とする民間調査期間NICAPが結成された――ということが書いてある。 

◆蛇足4
「UFOってオカルト的な現象じゃネ?」的なことを言っている(らしい)ヴィクター・ゴダード卿、ググってみると超常現象にとても関心をもっていたようだ(→Wikipedia)。で、このWikipediaの記事にも書いてあるが、戦後まもなく上海から東京に飛行機で飛ぶことになった時、知り合いから「あんた飛行機事故で死ぬ夢みたよ」とか言われた。で、気にしながらも実際にフライトしたんだが、その飛行機は佐渡に緊急着陸したのだった(死ななかったけど)。なんか「そっち系の人」だったようである。(ちなみにこの話はイギリスで映画「The Night My Number Came Up」になったそうな。日本でも佐渡の人々の側からこの不時着事故を描いた映画「飛べ! ダコタ」というのがあるという。全然知らんかった)


(次回につづく――とはいったが今回これだけ書くのに疲労困憊したのでw次回以降はたぶんスゲー簡単なものになるかもしれません

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