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マーティン・ガードナーのフォート論はこれが最後です。オシマイのほうは直接フォートではなく、アンソニー・スタンデンという化学者を批判することに終始していますね。そこはちょっと残念。(前回はこちら



英国の化学者で現在は米国籍を得ているアンソニー・スタンデンは1950年、『科学は聖牛なり』と題した著書で「科学主義」を手ひどく批判し、大きな反響を呼んだ。スタンドンはセント・ジョンズで1942年から46年まで教鞭を執ったが、「カトリック・ワールド」(1950年2月号)によれば、その体験は「最終的に彼をキリスト教への改宗に導いた」。

スタンデンの見るところ、現代の科学者たちをひとかたまりのグループとしてみるならば、彼らは自信過剰にして傲慢、自惚れ屋であって、自分たちが思っているほど賢いわけではない。対して、古典主義に情熱を燃やす教育者たち――つまりモーティマー・アドラーやロバート・ハッチンズのような人々は、謙虚で控えめな人物といえるだろう。さらにジョン・デューイは、文明の未来は科学的なモノの見方が広がるかどうかにかかっていると示唆したことについて苦言を呈している。ヒレア・ベロックは「科学が広まれば広まるほど世界は悪化する」と述べていないだろうか、と(ベロックの科学に関する知識については第11章で考察したい)。

ここにはアリストテレスを称えるおなじみの太鼓の音が響いている。曰く――このギリシャの哲学者が「重い物体は軽い物体より早く落下する」と言ったのは、最終的に正しかった。なぜなら空気抵抗が物体に及ぼす影響は物体が重いほど小さいからである。そうしてみると、ガリレオがあれほどまでに賞賛されるのは如何なものだろう。それに、ガリレオはピサの斜塔から二つのおもりを一緒に落としたことなどない。それは他の塔で行ったことだったのだ、等々。だがここでスタンドンが語っていないことがある。アリストテレスは、落下物体の事例を「真空は存在しえない」という全く的外れな主張の証拠として持ち出していたのである。

スタンデンはこう告げている。「科学の第一の目的は神の御業を通じて神を学び、神を讃えることである」。社会学者たちは愚かなことに、自分たちは神学抜きで倫理の科学を発展させることができると考えている。生物化学者たちは我々に「進化のプロセスは徐々に階梯を踏んで進むものだ」と信じさせようとしている。だが実際には、「進化は大きな飛躍を経て進んできた」という考えを支持する余地も同等にある(スタンデンはここで自らの真の意図を明かしていない。もし進化が飛躍を経て進むのであれば、人間の魂は動物のそれとは歴史的にみて明らかに断絶したものであり得る――彼はそう言いたいのだ)。生物学者が「基本的に動物の生命が目指すものは快適さである」というような戯れ言を吐いたなら、「これに対して必要十分な答えはこうである――たわごとだ」

彼は結論づける。「科学者たちが我々を騙そうとしないか、我々は注意深く見守る必要がある」。チャールズ・フォートも同じ考えをこう表現した。「…もし誰も天文学者たちの言うことを確かめようとしなかったら、彼らは好きなことを何でも言える自由を得ることになる」

スタンデンは「科学は現代の偉大なる聖牛である」と記している。。少しでもユーモアのセンスを持っている科学者であれば、自分たちが科学の前に深く頭を垂れているという図に笑いを禁じ得ないだろう。だが、同じ牛なら、科学者たちはフォートが引いているこちらの話のほうをより面白がるのではないか。

1899年5月25日、トロント・グローブ紙は、或る雌牛が二頭の子羊と一頭の子牛を出産したという記事を載せた。

フォートはこうコメントしている。「これが皆の心にどう響くかはわからない。だが標準的な生物学者はどうかといえば、私が『象が自転車二台と子象一頭を生んだ』と話しても、いずれも馬鹿げた話として五十歩百歩の扱いをするだろう」

古き良きフォートよ! 空に向かって進むんだ!(おしまい)

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チャールズ・フォートの主著『呪われた者の書』については、国書刊行会が南山宏訳で邦訳書の刊行準備を進めているという話がずっとあったワケだが、これまで何十年待っても出てこない。結局は出ないのかYOという感じになっていたのだが、なんとここにきて、同社から本年『呪われし者の書』なる書名でいよいよ刊行成るとのアナウンスがあった(というかそれらしきXのポストがあっただけだが)。

だがまぁ流石にここまで公言してしまったのだから今度は大丈夫だろう。

あな嬉しや。

というわけで、当ブログも勝手連的協賛企画(笑)として、今回はこれまで不定期で紹介してきたマーティン・ガードナーによるチャールズ・フォート論のつづきを掲載しましょう(前回はこちら)。もちろんカードナーは正統科学の立場からフォートに対してイロイロと難癖をつけているわけだが、まぁそういう批判を受け止めた上でフォートを読むというのも立体的にその実像が浮かび上がることにつながるんではないかと思ったりするのである。というわけで以下つづき。



『野生の才能』の中には笑いを誘う部分もある。「おはようございます!」としゃべってから、うっすら漂う緑色の蒸気の中に消えた犬がいた――そんな新聞記事をフォートが否定している箇所である。フォートが問題にしたのは「犬がしゃべった」という部分ではない。彼はしゃべる動物についての切り抜きなど山ほど持っていた。問題は「うっすら漂う緑色の蒸気の中に消えた」というところだったのだ。「そんな犬の話には騙されない」と彼は言っている。だが彼は、自分がそういう線引きをしたのは、結局のところ誰もがどこかには線を引かねばならないからなのだと明言している。そして彼は、この線引きが正しいといえるのは「真実か間違いか」を分けているからだ――というような言い方は慎重に避けている。

おそらく我々は、フォートの言を真面目に受け取りすぎたあまり、彼の仕掛けたもう一つのワナにはまってしまっているのだ。彼は無知な人間にはほど遠く、現代の量子論における「不確定性原理」などを論じたところをみれば、こうした問題をもちゃんと把握していたことがわかる。「電子は『アトランダム』に動く」という考え方に反対するのは今風ではない。ではあるけれども、フォートがそうした考えに向けたあざけりには、アインシュタインやバートランド・ラッセルによって為された、よりテクニカルな批判と響き合うものがあるのだ! フォートが科学的に間違ったことを口走る時でも(じっさいそういうことは多いのだが)、それはわざとやったのか、あるいは無知であるが故にそうしたのかはよくわからないのである。

奇妙なことに、フォートはSFにはほとんど関心がなかった。彼がごくわずかであれSFを読んでいたという形跡は全くない。彼の思弁は人を楽しませてくれるもののさほど独創的ではないのだが、その理由は恐らくそこのところにある。たとえば、彼のいう「星々をのぞかせて回転する殻」という概念はおそろしく陳腐なものだし、実際のところ彼以前に或るイタリアの奇人が提唱したものである。フォートは現代のSFに強い影響を与えたというのはしばしば語られるところであるが、それは過大評価のように思われる。彼のアイデアに基づいた長編小説は十数編、短編であれば数十編ほどあるのは確かだが、そうした作品はSFというよりも「怪奇譚」に類するものだ。「テレポーテーション」というようなフォートの術語の幾つかはSFファンタジーでおなじみの言葉になったが、総じて言えば彼のアイデアというのはストーリー上の巧妙な仕掛けとしては余りにも平凡過ぎるものである。ドライザーは、フォートの著作にはSFの素材になるものがあることをH・G・ウェルズに認めさせようとしたことがあるが、うまくはいかなかった。ウェルズはフォートの思弁は面白おかしいものだけれども科学的にみればしょせんイカモノだと断じていたのである。

フォーティアン協会が今なお存続しているのは理解しがたいことである。仮に我々が、市民のほとんどが科学の何たるかをちゃんと理解している時代に生きているとしたら、科学者たちに自らの限界というものを思い起こさせてくれる組織が存続する意味はあったかもしれない。しかし、売店に占星術の雑誌が並び、ヴェリコフスキーの本が売れている現状をみれば、我々はそんな時代から如何に遠いところにいるかは明らかだ。

1931年の時点では面白おかしく楽しむことがすべてだった。だが今日、フォーティアン協会の雑誌「ダウト」は、本当ならフォートとともに葬り去られるべきだったジョークをただダラダラと垂れ流す存在になってしまった。それは、フォート流の常套句をひたすら繰り返す以上のことはしていないし、面白くもないニュースを報じ、フォートがセイヤーに遺した全く価値のないメモを印刷することしかしていない。とりわけ問題なのは――それは全く笑い事ではないのだが――近年の同誌が「ポリオの原因になる」として扁桃腺切除に反対し、 [動物の]生体解剖に攻撃を加えていることだ。さらに、本来フォートとは関係のない、編集者の政治的な偏見がしばしばニュースに差し込まれていることに問題があるのは言うまでもない。

フォーティアン協会が推している「科学者」たちですら、総じていえば凡庸で独創性を欠いている。一例を挙げよう。アルフレッド・ウィルクス・ドレイソン少将は、フォーティアンたちの間ではフォート本人に次いで尊敬を集める地位にある人物だが、彼は前世紀の後半、イングランドのウールウィッチ王立陸軍士官学校で教授を務め、地球の氷河期を地軸の傾きから説明した。

この「ドレイソン仮説」は英国、特に軍関係者の間で流行した。ドレイソンは私財を相当に投じて数多くの書籍や小冊子を出版したが、正統派の天文学がこれに反論することにはひどく腹を立てていた。フォーティアン協会会員で現代の占星術師だったアルフレッド・H・ベイリーは1922年、『ドレイソン問題』を刊行した。ちなみに読者諸兄が少将の理論を探究したいと思った場合に備えて言っておくと(まぁそんなことはないと思うけれども)同書は今もフォーティアン協会が販売している(このほかドレイソンについての貴重な参考資料としては、アルジャーノン・F・R・ド・ホーシー提督による『ドレイソニア』(1911年)や、R・A・マリオット少佐による小冊子が数冊ある)。

近年の状況について言えば、フォーティアン志向というのは、高等教育の場において微弱ながらもある程度観察可能なほどには見てとることができる。その理由としては、おそらく一つには宗教的な正統主義の復興があるし、第二に [科学が生んだ] 原子爆弾への憤りというものがあるのかもしれない。それは、ハッチンスとアドラーによる「グレート・ブックス運動」*の或る部分において絶妙なかたちで現れた。もちろんこれは公然と語られたワケではないが、グレート・ブックス運動を進めた教育者たちのことを知った者は、推進者たちの多くが(概してであるが)科学者たちを愚かな連中と見做していた事実に驚かされるだろう。「愚かだ」というのは、リベラルアーツの教授たち、とりわけグレート・ブックスにかかわる仕事に熱心な教授たちに比べて愚かだといっているのである。
 
*訳注:20世紀中盤のアメリカで、主にロバート・メイナード・ハッチンスとモーティマー・J・アドラーによって展開された教育運動。西方の古典文献(グレート・ブックス)を基盤としたリベラルアーツ教育を普及させることに主眼を置いた



ハッチンスとアドラーによる全54巻の『西洋世界のグレート・ブックス』(1952年刊)には科学の「古典」が再録されているが、それらはあまりに古く、かつ専門的すぎるため、科学史の専門家以外にはほとんど価値のないものである。ハーバード大学の科学史家であるI・バーナード・コーエン助教授は、この叢書の書評(『サタデー・レビュー』1952年9月20日号)で次のように述べている。「ここに収められた科学の『グレート・ブックス』には、一種の考古学的価値しかない。地質学のような分野が丸ごと省かれているだけでなく、過去2世紀半にわたる主な科学思想の潮流についても、そのほとんどが出てこないのである」

アナポリスのセント・ジョンズ・カレッジでは、ロバート・ハッチンズの教育観が最も成功したかたちで実践に移されているが、実際のところをいえば、科学については大混乱が生じている。学校案内は、同校では他のどんな大学にも増して数学と科学実験とが必須になっていると豪語し、コンパス、ノギス、定規のようなものに至るまで、学生が使用する全ての器具をこれ見よがしのリストに掲載している。しかし、科学史における過去の重要ポイントにばかり重きを置いているため、学生たちが現代の科学をキッチリと把握するための時間はほとんど残されていないのだ。(つづく

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*マーティン・ガードナー『奇妙な論理Ⅱ』の邦訳で省かれた第4章「フォーティアン」のつづき。今回も引用されているフォートの文章に困惑してChatGPTのお知恵を借りるなどしたw(前回はこちら)。



この序文の最初のほうで、セイヤーはフォートについてこう書いている。「・・・タイプライターを打つ両手は抱腹絶倒ネタの源だ・・・彼は相手を怒鳴りつけ、真面目な先生方の偉そうな態度にはバカ笑い。彼らの失敗に嘲笑を浴びせ、その矛盾には大笑い。読者のことをクスクス笑い、記者連中に忍び笑いを向ける。こんなことに取り組んでいる自分自身をも嗤って、書評をみてはニヤリと笑う。挙げ句の果てに、私が実際にフォーティアン協会を組織したときにはご苦労様なことだと大笑いしたのだった」 

「・・・チャールズ・フォートはこれ以上なく素晴らしい『ユーモアのセンス』の持ち主であり、そのユーモアは思慮深い人間が人生をどうにかこうにか耐え抜いていけるようにしてくれるものだ。これは彼の著作を読むときに決して忘れてはならないことであって、そこを忘れてしまったら、あなたは彼の策にハマることになる。彼は時にあなたを激怒させることがあるだろうが、そんなときは思い出してほしい。彼はわざと怒らせようとしているのであって、あなたが激昂したまさにその瞬間、彼は顔を上げてあなたをおちょくるポースをとっているのだ・・・」 

となると、こういう問いを発する人がいるかもしれない。もしフォートが自らの仮説を信じていなかったとすると、なぜ彼は26年もの年月を、彼自身「つまらない作業」と表現したことのある仕事――つまりロンドン・デイリーメールの25年分の記事を調べるという仕事に費やしたのか。その答えは、フォートの狂気の背後には傍目にみえる以上の大きな意味が潜んでいるから、ということになる。 

フォートはヘーゲル主義者だった。詰まるところ、存在というのは統一体である(ここでいう存在というのは、我々が観察可能な宇宙にとどまらず、およそ存在している万物という意味である)。「すべての根底にある統一体」「すべてが互いに通い合うネットワーク」というものは現にあり、それはすべてを結びつけている。彼はこう記している。「我々すべては虫やネズミ [訳注:卑称なものの比喩] であって、全てを包含しているチーズ [訳注:大いなる統一体の比喩] の異なる表現に過ぎない」。フォートは宗教的な人間ではなかったが、万物のよりあつまった総体が知性をもつ有機体である可能性を認めていた。それを神と呼んでも何ら差し障りはない。「おそらく神は――あるいは『それ』と呼ぶべきかもしれないが――彗星を垂れ流し、地震を闇雲に吐き出すような存在かもしれない・・・」 

つまり、究極の現実・真実というものはあるのだが、我々「小さな虫やネズミ」には、砕けた光、半分の真実、幻の現実が見えるだけである。あらゆるものは「ハイフンで結ばれた存在状態」にある。フォートは「現実的-非現実的」「ありそう-ありそうもない」「善-悪」「物質的-非物質的」「可溶性-不溶性」といった形容詞をたゆまず用い続けた。あらゆるものは互いに連続しあっているから、真実と虚構の境界にラインを引くようなことはできない。科学が「赤いものは受容するけれども黄色いものは排除する」となったとき、オレンジはどこに分類すればいいのだろう? 同様にして、科学が正しいとして受け入れているものに誤りを含まないものはなく、科学が切り捨てたものの中にも必ず何らかの真実が含まれている。 

この「万物は連続している」ということについて沈思熟考した末に、フォートは徹底した懐疑主義へと到達した。「他に抜きん出て勝るものナシ」という信条を掲げた古代ギリシャの懐疑主義者たちと同様に(ちなみにこの信条は「特定の信仰が他に比べてより真実である」といった考えを否定したものである)フォートは何ものをも受け入れなかった。彼はこう記した。「獅子座が形作る大鎌は、巨大な疑問符のように天空に輝いている・・・事が何であれ答えを知っている者など誰もいない」。そしてまたこう言う。「私は何も信じない。太古から岩のように固まってきた知恵や、偉大だとされてきた古今の教師たちに対して私はずっと距離を置いてきた。おそらくはそうやって孤独に身を置いてきたために、他者を歓待する私の流儀は奇妙なものになってしまったのかもしれない。玄関口にやってきたキリストやアインシュタインの面前ではドアを閉めるけれども、裏口にやってきた小さなカエルたちやヤドカリには歓迎の手を差しのべるのだ」

 

フォートは「自分が書いたものは自分でも全く信じていない」と書いたが、ここで頭に入れておくべき重要なことがある。それは、彼は自らが読んだものも一切信じることがなかったということだ。「私は・・・ハッキリいってこの本に書いたこと全てはフィクションとしてお示ししている」。彼は『ワイルド・タレント』でそう述べているが、これに付け加えてすぐさまこう記した。これがフィクションだというのは、ニュートンの『プリンキピア』、ダーウィンの『種の起源』、数学の定理だとか、印刷されたありとあらゆるアメリカ史がフィクションだというのと同じ意味で言っているのだ、と! 

フォートはすべてを疑った。その懐疑は自らの思索にも及んだ。が、彼の熱心な信奉者たちは、フォートは巷間言われているような「科学への敵対者」ではなく、知識の儚さを忘れてしまった科学者に対してのみ敵対したのだと主張した。彼らはフォート主義の健全で健康的な側面を強調している。確かに疑いのない科学理論などありえないというのは本当のことだ。あらゆる科学的「事実」が、新たな「データ」が出てくるたびに不断の修正に晒されるというのも事実である。科学者を名乗るものでそれを否定する者はいない。しかし、同じ科学理論といっても、高い確証を得られるもの・得られないものと様々あるのもまた事実。フォートはこの基本的な事実を見ようとしなかった――あるいは気がつかないふりをした。そしてこうやって見逃すことこそがフォート主義の欺瞞的で不健全な側面なのだった。もしベーカー街遊撃隊 [訳注:シャーロキアン団体] のメンバーが「シャーロック・ホームズは実在する」と考え始めたら、健全なる楽しみは消え去ってしまうだろう。同様にして、フィーティアンが「あらゆる科学理論は等しく馬鹿げている」と本気で信じるようになったら、この団体の豊かなユーモアは無知な冷笑に取って代わられてしまう。

 

フォート自身、あらゆるものは連続的であるとしつつ、不連続というものがあることも認めていた。彼はこれを一風変わった言い方で表現している。彼が言うには、或る微少な生命体が動物なのか植物なのかを判定するのは不可能だが、かといってカバとスミレのような極端な対比においては両者の判別が不可能というわけではない。「誰だって敬意を表するためにカバを束にして送ろうとはしない」。そこまで認めたのなら、真実である確率が高い理論と、それがとても低い理論との間にも同様にラインを引くことができようものだが、どうやらフォートの頭にそんな考えは浮かばなかったようだ。 

この問題はより突っ込んで考える必要がある。何故なら、それは本書の内容すべてにかかわる大きな意味を持っているからだ。仮に我々が真実と虚偽、科学と疑似科学を区別できないのだとしたら、この本はニュートンやダーウィンのような人について書かれた [フォート言うところのフィクション] ものと変わらないのかもしれない。ひとかどのファーティアンであれば「当然だ!」というところだろう。だが、「我々には区別ができる」というのは明白な事実だ。当然ながら「黄色と赤の間のオレンジ」のようにボーダーラインについての事例はとても多く、或る理論がちゃんとしたものか・まがい物か、正気なのか狂気なのか、我々がハッキリ言えないケースはある。だが極端な場合、たとえばカバとスミレのようなケースを考えれば、我々はアインシュタインの仕事の科学的価値とヴェリコフスキーの貢献度といったものをちゃんと区別できる。アインシュタインが間違っている可能性もあるし、ヴェリコフスキーが正しいわずかな可能性(その可能性はほとんどゼロなのだが)もあるにはある。しかし、連続体の両端が極端に離れている以上、一方を科学者、もう一方をニセ科学者と分類しても我々がとがめられることはない。 

フォート自身、この線引きは可能だということは分かっていたに違いない。彼は本の中で、なぜ自分はサンタクロースを無視したかについて慎重に説明している。彼はこう書いている。「私はデータ、あるいはデータと称されるものにはうるさい。そして私は、雪の上、家の屋根、それから煙突へと続く不思議な足跡の記録(ないしは記録と称するもの)には出くわしたことがないのだ・・・」。かくして、データの不在がサンタクロース実在の可能性に影響を与えたことは明らかで、フォートはそれを踏まえてサンタクロースを敢えて「閉め出した」のだった。(つづく

 

 

 

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*マーティン・ガードナー『奇妙な論理Ⅱ』の邦訳でチャールズ・フォートを論じていた第4章「フォーティアン」がカットされていたのを悲しんで、だったら適当訳で紹介してみようという企画の超ひさしぶりの第二回。文中フォートの文章の引用があるのだが機械翻訳を駆使しても何がなんだか分からなかったので(笑)その辺はテキトーに雰囲気だけ味わってください(第1回はこちら)。

フォートが示唆するところでは、地球は総じていえばずっと静止しているものである。「それは回転するには回転しているのだろうが、その回転というのは1年かそこらで一周する公転である。誰もがそうだろうが、何が合理性を成り立たせているのかについては私なりの考えがある。それが私の考える [論敵との間の] 妥協案ということになる」。彼は、フーコーの振子のような、地球が毎日自転していることを示す伝統的な「証拠」に対してかなり詳しく反論を加えている。

地球を回る星々の動きを説明するために、フォートは、地球というのは不透明な殻によって(それはそう遠くないところにあるのだという)覆われているのだと仮定した。星というのはその殻に空いた穴で、そこから光が漏れ出すのだとする。星のまたたきというのは、おそらくはその殻の「振動」による。その殻は不動のものではない。「最も剛性のある物質でも、局所的に渦が起きることはあるだろう。それ故に星々は――あるいは「小さな穴は」といってもいいのだが――お互いに旋回しあっているのかもしれない・・・」。時として流星は殻のうちのゼラチン状の部分を通じて降り注ぐ。それらが通過する際に、物質の塊を引きはがしながら。フォートは、ゼリー状の物質が空から降ってきた何百もの記録を集めた。彼は飛行士たちに向けて、「あなたたちも『干しぶどうみたいに』いつか空にくっついてしまうかもしれない」と警告した。ただ彼は、「空すべててがゼラチン質だというのは荒唐無稽だ。一部の領域だけがそうなっているという説のほうが説得力があるだろう」ともいっていた。

フォートの示唆したところによれば、星雲というのは殻の上で輝いている斑点である。暗黒星雲は不透明な斑点だ。中には「広々とした円形の洞窟に垂れ下がっている巨大な鍾乳石のように」突き出た部分があるのかもしれない。そうしたものの一つに、馬の首星雲と呼ばれるものがある。それは「蛍光色の紙吹雪が舞う狂乱の中にあって巻き込まれまいと断固孤立を守る存在の如くである。それは個体にすらみえる暗闇である。選挙の夜になぞらえれば、それは民主党の祝賀でブロードウェイの他のすべてが狂乱状態になっている下、共和党支持のウールワースビルがひとり置かれた姿のようである」。

フォートは『見よ!』でこう書いた。「星々の地には文明があるかもしれない。あるいは星々の殻のくぼんだところには、地球の植民地ともなりうる、広大で居住可能な領域があるのかもしれない」。ここには来たるべき宇宙旅行についてのフォートの詩的ビジョンが見てとれる。



時は来たれり
スローガンは響く――
空へ向かおう!

星々への旅。あふれる冒険者――映画ニュース――広報係やインタビュー――リラ星に向かう男は持っていくタバコの銘柄を広告することで経費を節約する。

そして、そうしたすべてはごくありふれたものとなる。

おうし座とオリオン座への個人ツアー。ベガ星の近くでの夏休み。「僕の父親が言うには、月に行く前には遺言を書いていくという時代があった」「それでも、昔の空にはどこか穏やかなものがあった。口紅や席巻、水着の看板なんてものを見上げているとだんだんイライラしてくる」



フォートはこう断言した。――上空のどこかにはスーパー・サルガッソー海というものが浮かんでいて、その中には彼いうところのジェネシストリンという島がある。こうした領域には様々な物体や生物がいて、しばしば地上に落下してくるのだと。

フォートは空から奇妙なものが振ってきたという幾千もの記録を収集した。それは虫、魚、死んだ鳥、レンガ、加工された石、鉄製品、色のついた雨、小さなカエル(しかしながらオタマジャクシが降った記録が全くなかったことに彼は困惑した)。そしてタマビキガイ。そのほとんどはスーパー・サルガッソー海に吹き寄せられてきたゴミで、その時期はともかく、それらはもともと地球や他の惑星にあったものだという。

赤い雨についてはちゃんと実証された事例がある。赤みを帯びたチリが水と混ざり合ったのだというのが従来の説明なのだ。しかし、フォートはもっと良い説明があると言った。




タンパク質でできた海、ないしは孵化中の卵の如きもの(そのプロセスで地球は発達の一つの中心となる)を流れる血の川。ジェネシストリンには超動脈があるということ。夕焼けはすなわちそれらの意識であるということ。それらは時に空をオーロラで染めるということ・・・

あるいは太陽系全体が生きた存在であるということ。つまりこの地上に降り注ぐ血の雨は、その体内からの出血だということ—— 

あるいは海に巨大な生物が存在するのと同じように、空に巨大な生物がいるということ――

あるいは特別な何か・特別な時間・特別な場所があるということ。ブルックリン橋ほどの大きさの何かが宇宙空間で生きているが、セントラルパークほどの大きさの何かがそれを殺してしまう—— 

かくて血はしたたり落ちる。



チャールズ・フォートにはこのほかにも同様に奇抜な理論が山とある。本書が終わるまでに、我々はその多くに論及する機会があることだろう。しかしいま我々は、彼の仰天モノの思弁についてどう考えるかをハッキリ決めねばなるまい。フォートはユーモアの人だったのか。それとも頭のおかしい人か。ヘクトが言ったように、彼の著作は「桁外れのジョーク」だったのか。それとも彼は自ら提唱した諸理論を本気で信じていたのか。

ティファニー・セイヤーはその辺のことを知っていて当然の人物であるが、彼はフォートの四冊の著作を収録した1941年版の単行本の序文で、明確な回答を示している。「長年にわたり彼と親交のあった者として、このように断言しても私は許されることだろう。彼はそのようなことを一切信じていなかった。……チャールズ・フォートは決して偏屈者ではなかった。彼は自らの驚くべき『仮説』を1ミリも信じていなかった。道理のわかった大人が彼の文章を読めば分かるように。彼は自らの主張を冗談めかして提示したのだ――エホバがカモノハシを、そしておそらくは人間を創造したように……」 
つづく
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*マーティン・ガードナー『奇妙な論理Ⅱ』の邦訳書でチャールズ・フォートを論じていた第4章「フォーティアン」がカットされていたのを悲しんで、だったら適当訳で紹介してみようという企画の1回目。途中で挫折するかもしんない。

 第4章 フォーティアン

 本書では、遅かれ早かれチャールズ・フォートを取り上げねばなるまい。私はそう考えてきた。フォートは天文学者に対して重砲の照準を向けるようなことをしてきたのだし、その想像力を自由にはばたかせ、「空」というものについて全く正統的ではない見方を提示してきた。それ故、この辺りで彼のことを紹介するのは丁度良い頃合いであろう。

 チャールズ・ホイ・フォートは1874年、ニューヨーク州オールバニに生まれた。少年時代、科学に興味を抱いた彼は、鉱物や昆虫の採集、そして時には鳥を剥製にするようなこともした。彼は大学には行かなかった。記者としてしばらく働き、さらに小説の執筆にも取り組んで短編を幾つか仕上げた後、フォートは相当な額の遺産を相続することになった。彼は自らの研究にちょっと信じられないほどの時間を費やすことになったのだが、それを可能にしたのはこの [資産が生み出す] 収入であった。それから没するまでの26年間、彼は古い雑誌や新聞を熱心に調べ、既存の科学の概念とは合致することのない、ありとあらゆる奇妙な出来事について記録を残した。その仕事のほとんどは大英博物館においてなされたものだったが、のちにニューヨークに戻った彼はブロンクスで妻のアンナと暮らしつつ、ニューヨーク公立図書館で引き続きその研究を続けた。

 彼は大柄だがシャイな熊のような人物で、茶色いセイウチひげを生やし、分厚い眼鏡をかけていた。彼の居室はノートや記事の切り抜きが詰め込まれた靴箱で一杯だった。その壁には蜘蛛と蝶々の標本が額に入れて架けられ、ガラス[ケース?]には空から落ちてきた汚らしい石綿状の塊を保管していた。彼の気晴らしといえば、自ら考案した一人遊びで、「スーパー・チェッカーズ」というゲームに興じることだった。それは数千にも及ぶ四角が排された巨大な盤面に、1千ものコマが登場するものだった。作家のティファニー・セイヤーによれば、彼の妻は夫の胸のうちで何が起きているかが全く理解できず、「彼のものを含めて全く本というものを読むことがなかった」。

 フォートには二人しか友人がいなかった。[セオドア・]ドライザーとセイヤーである。「フォートは天才である」と確信していたドライザーは、自らの出版社にかけあって、フォートの4冊の著作のうち最初の本となる『呪われしものの書』を出版させた。フォートがこの「呪われたもの」という言葉で示したのは、「教条的な科学によって排斥されたありとあらゆるモノの見方」――それはつまり彼の資料のうちにある、今は「失われてしまった精神」ということになるわけだが――であった。彼が自らに課した使命というのは、こうした資料をその呪いから「解放する」ことだった。その本は一風変わった息をつかせぬような文体で書かれているが、そこには時折、深淵なる叡智、高尚なユーモア、華麗な章句といったものが姿をのぞかせている。

 フォートの2冊目の著作『新たなる地』は、ブース・ターキントンの序文を付して1923年に刊行された。この頃までに多くのアメリカの作家たちは、フォートの言葉でいうところの科学者たちの「聖職者めいた技術」に対し、彼が面白おかしく加える攻撃に魅了されるようになっていた。1931年、セイヤーはサヴォイ・プラザで開いた歴史的な祝宴にそんな作家たちを召集し、そこでフォーティアン協会が生まれるところとなった。創設メンバーにはドライザーとセイヤーに加えて、アレクサンダー・ウールコット、ターキントン、ベン・ヘクト、バートン・ラスコー、ジョン・クーパー・ポウィスといった文学界の名士たちが顔を揃えていた。

 三番目の著作は『見よ!』(Lo!)というタイトルだった。『見よ!』という書名はセイヤーが提案したのだが、なぜそんな名前を考えたのかについて、セイヤーは以下のように記している。「そのテキストの中では、天文学者が倦むことなく計算を続けた上で、ここに新星が現れるであろう、そこに何かが見えるだろう、だから<見よ!>といって空を指さす姿が描かれているからだ――もっとも彼らが指さすその場所には何も見ることはできないのだが。この『見よ!』というタイトルに、フォートはすぐに同意した」。フォートの最後の著作『野生の英知』(Wild Talents)は、彼が1932年に亡くなって数週間後に刊行された。

 1937年、ティファニー・セイヤーは自費を投じて「フォーティアン協会マガジン」の刊行を開始した。今日「ダウト」と呼ばれている雑誌である。フォートは、未刊行のノート32箱分をセイヤーに遺贈した(この措置にドライザーは激怒した)。その雑誌を刊行した目的の一つはこうしたノートを活字化することにあって、実際にそうしたノートは雑誌に毎号掲載されるようになる。だが、その雑誌の最大の目的は、科学者たちが説明不能な事例だとか、科学者たちにケンカを売るようなストーリーを掲載することで彼らをとことん困らせてやることにあった。かくて、ある英国の天文学者があるとき自らの望遠鏡をfall offした時、「ダウト」はその出来事におおはしゃぎする記事を掲載した。こうしたニュースは、シカゴのジョージ・クリスチャン・バンプのようなフォーティアンの「通信員」、さらには読者によってセイヤーのもとに送られるのだった。

 協会が印刷したパンフレットは、その設立の目的を以下のように記した。


 フォーティアン協会は物事を深く考える者たち――つまり、仮に法というものが存在しなくてもその生き方を全く変えない男女たち、条件づけによって引き起こされる反射に従うのではなく、脳の働きに従うか、さもなくば自らのうちにある一種の神秘的な閃きに従って行為する男女の作る国際的な集まりである。(中略)メンバーには高名な科学者、物理学者、医師たちに加え、カイロプラクター、スピリチュアリスト、キリスト教徒といった者たちがおり、中にはカトリックの神父も一人いる。

 この協会には、今や人に省みられることがなく、我々が共感を寄せることがなければそのほとんどが絶びさってしまったかもしれない様々な理念に退避する場所を提供する。(中略)であるから、ここには「地球は平らである」と信じる人々も数多くいれば、動物の生体解剖に反対する者、予防接種に反対する者、ワッセルマンテストに反対する者、さらには諸国家の軍縮が良きものだと今日もなお信じている者たちもいる。

       (略)

 この協会のメンバーは、フォート主義が有する唯一のドクトリン――つまり軽々に判断を下すことなく、さしあたってはそれを受け止め、そして永遠に問い続けるという方法論をその胸に抱いている。


 いろいろな意味で、フォーティアン協会は、シャーロック・ホームズを崇敬する「ベイカー街遊撃隊」[訳注:ホームズを助けるストリートチルドレンたちの組織]の連中に似ている。 遊撃隊がホームズは実在の人物であったかのようなポーズを取っているのと同様に、フォーティアンたちは、フォートの展開した荒っぽい議論というものは、皆が受け入れている科学――すなわち「確立された非常識」(これはフォートの言葉である)と同等程度には真実なのかもしれない、というポーズを取っている。

 根本的なことを言えば、その協会というのは大いなるジョークであるわけだが、セイヤーやほとんどのメンバーはそれを極めて真面目なものだと見ているようで、誰かが「そんなものはジョークだろう」と仄めかしたときに怒ってみせる、ということもそのジョークの一部分をなしている。ついでにいえば、フォーティアンたちが連絡を取り合う際には1年を13か月とするカレンダーに基づく日付が用いられており、それは設立記念のディナーが行われた1931年を元年としている。そして、当然ながらその13番目の月は「フォート」と名づけられているのである。

 フォートの科学に対する態度を精査し、それについての結論を下す前に、我々としては彼の特異なコスモロジーを一瞥しておいたほうがよいかもしれない。

 フォートは天文学者たちに強い不信の念を抱いていた。『新たなる地』の前半部はそのほとんどすべてが、天文学者たちはクズで、物事を予見することにおいては占星術師よりも劣っており、その大きな発見は偶然に生まれたものであること、そして彼らはずるがしこくも自らの「中世の科学」が基本的に信頼に値しないことを大衆から隠している――といったことを論証するのに費やされている。

 「彼らは天王星の軌道を計算してみた」。フォートはこう記している。「が、それはどこか別の方角に行ってしまった。彼らは釈明をし、さらに計算をしてみた。彼らは何年も何年も釈明を重ね、計算をし続けたけれども、天王星はさらに別の方へ、別の方へと繰り返し逸れていってしまった」。最終的に彼らは自らのメンツを守るため、他の惑星が天王星を「摂動」させていることにした。それから50年を経て偶然海王星を見つけるまで、彼らは空の違う場所に望遠鏡を向け続けてきた。だがその海王星もまた予測不能な動きをみせた。フォートはこう言い立てた。もし天文学者たちが自分たちが考えているほど偉いのなら、海王星の向うにある別の惑星を発見してもらおうではないか、と。この文章は1930年に冥王星が発見される前に書かれたものであったが、しかしフォートは最後に勝利した。冥王星は天文学者たちが予測したよりも、はるかに小さいことが明らかになったからだ。

 フォートが自らのコスモロジーを緻密に組み立てることはなかった。だが、彼はそれについて一連の示唆的な言辞を残しており、彼自身の考えによれば、それは決して天文学者たちの唱える太陽系という概念に比べてみれば馬鹿げた代物だ、ということにはならなかった。「・・・泣きながら宇宙をいく手負いのもの。それは真っ当で健全なるシステムに対し、太陽表面のキズ、恐ろしい月、科学によって破壊された文明とをつきつけ、震撼させる。天上にあるライ病患者は震える領域を差し出す。さすればそこには慈悲のあるシステムから黄金の彗星が注がれるであろう・・・」

つづく

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