カテゴリ: UFO

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「UFO冬の時代」に苦吟しつつも、こないだの米当局のUAP報告書公開で若干息を吹き返したであろう全国3万5千人のUFOファンの皆様、如何お過ごしでしょうか。

さて、年に一回の刊行ペースを愚直に守り、今や国内UFO同人誌界の雄と目されるに至った「UFO手帖」が本年も無事刊行された(他にUFO同人誌なんてあるんかというツッコミはスルー)。実は小生も執筆陣の片隅に名を連ねているので、今回はPRも兼ねてその内容を簡単に紹介させていただく。

11月23日の「文学フリマ東京」にて世間サマにお披露目されたこの新刊であるが、今回はなんと全200ページ!  今号はとりわけ分厚い。と同時にアツイ。なんでそんなアツイのか。まぁ実のところそれは簡単な話で、ひと言でいえば今号の特集が「ジョン・A・キール」だからである。

熱心なUFOファンであればご承知かとは思うが、キール(1930-2009)というのはアメリカのUFO&超常現象研究家である。だがそのスタンスというのがちょっと変わっていて、もともとアメリカ辺りではネコも杓子も「UFOって宇宙人の乗り物だよねー」といっていた1960年代後半に「ちげーよ。UFOは宇宙船なんかじゃねーよ」と言いだして一躍注目を集めた変人である。

詳しくは今号を読んでいただければいいのだが、要するに彼は、UFO現象というのはこの地球に昔から住んでいる「超地球人 the Ultraterrestrial」が起こしているものであって、そいつらはUFOだけじゃなくていろんな超常現象を起こして人間をからかって遊んでるのだ、みたいな面白いことを主張したのである。

ヘンでしょ? ヘンなのだが、このUFO同人誌の名物編集長・秋月朗芳さんはこのヘンなユーフォロジストが大好きなのだった(そして執筆陣も総じてキールを好いている・・・と思う。たぶん)。で、まぁ好きなだけに、編集長はこの人物で特集を組むからにはちゃんとしたものを作りたいということで、なかなか踏ん切りがつかなかったのだとオレは推察するのだが、しかし今回思い切って「やってみよう」ということになった。だから自然、アツクて厚い本になってしまった。

さて、その特集である。上の写真は表紙であるが、窪田まみ画伯の筆になる有象無象に囲まれたジョン・キールがまずソソるではないか。で、ページを繰っていくと、キールの「理論」解説だとか精密なビブリオグラフィだとかがあって全200ページ中の80頁までが特集に費やされているのだった。これはとてもとても充実しているを言わざるを得ない。

中でもオレが一番気に入ったのは編集長自ら執筆した「いつかわかる話」という表題のキールの評伝である。なんで彼はUFOみたいなものに惹かれたのか。そのあたりをらせん状に辿っていく。そうやって彼の人生を辿っていくと何だか淋しくなってくる。UFOは寂しい。そういう話なのである(どういう話だ)。だから全国のキールファンは絶対読まないとダメなのである。


特集以外も充実している。UFOの出てくる漫画やアニメ、映画の紹介コーナー、それから漫画「フラモンさん」といった定番企画はむろんのこと、熊本・有明海にUFOの痕跡を追うルポ(!)なんてのまである。

それから今回非常にウケたのは「イーグルリバーのパンケーキ」を実際に作ってみましたという凄い企画である。これは「田舎の爺さんの家の前に宇宙人みたいな連中がやってきて、水ほしがったのであげたらお返しにパンケーキをくれた。食ったら段ボールみたいだった」というイーグルリバー事件に注目したもので、書き手の太田健さん(本誌初登場だ)は分析にかけられたことで判明したそのパンケーキの成分、つまりはソバ粉や小麦等をまぜて実際になんかそれっぽいのを焼いて食ってみようという暴挙に出たのだった。これはおそらく世界初の試みであり、いわば世界のユーフォロジーに対する大いなる貢献といえよう(笑)。ついでに事件の真相をめぐる推理みたいなのもあって、これも面白い。

あ、そだそだ、忘れてならんのは、UFO本の名著『何かが空を飛んでいる』の著者であるところの稲生平太郎さんが、1990年代初め、英国の有名な超常雑誌「フォーティアン・タイムズ」の記事をもとに雑誌「Az」に連載してた「アズ・フォーティアン・タイムズ」の記事で、これが3本再録されている。さすが稲生先生、手練れだよな~と感心するばかりである。

というわけで、まだまだいろいろと面白いのがいっぱい載っているのだが、いささか疲れたので、あとは通販で買って読んでください。近日中に版元の「Spファイル友の会」のサイトでアナウンスがあるでしょう(追記:そのご通信販売サイトが立ったようです→コチラ)。

とまれ、こういう同人誌はだんだん作り手もヨレてきて腰砕けになりがちなものであるが、どうです、第6号にしてページ大幅増量というのは! 編集長が新しい書き手を連れてきたりしてこの雑誌はスゲー元気である。 UFOシーンの未来に曙光が見えてきた(のならいいな)。

*なお、オレは今回キールの著作を紹介する「『UFO超地球人』読書メモ」というのを書いたが、実はこのブログに以前12回にわたって書いた記事をスゲー短くしたみたいなヤツである。ブログの記事は全部読むとダレるだろうから「UFO手帖」買って読んでいただくが吉(ステマ



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さて、UFO研究家のジャック・ヴァレが今年刊行した『Trinity』という本が話題を呼んでいる。いや、別にそんなに話題を呼んでるワケではなく、単にオレが関心をもっているだけの話なのだが、まぁそれぐらいは話を盛ってもいいだろう。




これはパオラ・ハリスというイタリアの女性研究者とヴァレの共著なのだが、要するに「1945年8月、米国の原爆実験地として有名なトリニティの近くでエンバンの――というかホントはアボガド型なのだが――墜落事件があり、これを当時9歳と7歳の少年が目撃。そこにはカマキリみたいな生物もおりました。機体や生物は米軍に最終的に回収されてしまったようだが、少年たちはスキをみて機体から何か部品みたいなものを持ち帰りました」という話があり、これについていろいろ書いた本である。

まだ全然読めてないのでアレだが、これって最初はイギリスの研究家、ティモシー・グッドが発掘して自分の本にチラッと書いた事件らしい。しかしあんまり筋がよくないと思われていたのか、殆ど誰も相手にしてなかった。そこに現れたのがこのパオラ・ハリスさん。目撃者2人にインタビューするなどいろいろ頑張っていたところで、別ルートで調査を始めたヴァレと遭遇。一緒に本を出すことになったという流れのようだ。

で、今回なんでコレが注目されてるかというと、ジャック・ヴァレというのは「UFOが地球外の宇宙から来てるなんて考えたら大間違いだから。アレって妖精とかそういう昔からある奇現象の一つだから」ということを言いだして名前を売った一流ユーフォロジストなのだが、この本が出たということは、そういう人が今回「エンバンの墜落事件があった」みたいなことを言いだすに至った、ということに他ならない。

ご承知のようにエンバンの墜落というのは、これまで宇宙人の死体回収とセットで語られてきたストーリーだったワケで、そうすると「あれ、ジャック・ヴァレって宇宙人否定論者だったんじゃないの? 宇宙人説に鞍替えしたの? だったら大いなる変節じゃん!」ということになってしまうのである。長年の読者に対する裏切りではないか。そういう話である。


で、Amazonのレビューみても「なんだヴァレも耄碌したな」みたいなことが書いてあったりするンだが、しかし、オレとしてはいちおう自分でちゃんと読んでからヴァレが耄碌したのかどうか判断したいと考えた。もっとも、そうはいいつつ英語力の限界もあるし、全然手がつかない。なんかイライラが募るのであった。


なので今回は、この本の「結論」というところをパラパラっとめくってみたのだった。辞書を引かないとなんだか三分の一も分からんのだが、その最後のところで、その「宇宙人地球外起源説=ET仮説」に関連するようなことを若干言っていた。そこを読むと、うーむ、ちょっとハッキリしないが、なんかやっぱりET仮説をディスってるみたいな雰囲気がないではない。とりあえずの備忘として、今回はそのあたりを訳出して以下に貼っておく。(原著293p)



 我々はサン・アントニオ近郊で起きた事件の重要性を十分に明らかにしたなどというつもりはない。

 その物体は地球外から来た乗り物だったのか? そうだとすると、進んだ技術であれば当然備わっていたハズの生命維持装置や航行装置といったものが何故か欠けている。

 他国から送り込まれたデコイ、ないしは警告だったのか? そうだとすると、なぜその乗員は既知の地球上の生物と大きく異なっていたのか。

 そして、映し出されたビジョンはどうだろうか?(訳注:目撃者がテレパシーで搭乗者とコミュニケートしたことを指すのかな) 材料の奇妙な特性についてはどうか?(訳注:全部読んでないのでよくわからないが、目撃者が乗り物から持ち帰ったという金属の物体のことを言っているのかもしれない)

 私たちに言えることは、ただこういうことだ――この出来事というのは、測定可能なハッキリとした痕跡があった上に信頼出来る目撃者もおり、シッカリと調査されたけれども、責任ある政府・科学者たちによる調査が尽くされた後もなお未解明のままになってしまった数多くの事例――ソコロやヴァレンソール事件などだ――の中の一つに数えることができるだろう。

 アカデミズムの科学者たちからはあからさまに無視されているが、こうした事件においては、我々の集合心理の中にサブリミナル的に注入されたイメージというものがふんだんに見て取れる。そしてそのイメージというのは、一流の知識人たちから無視されることによってなおさら強化される。

 そのイメージは今も我々の内側で働いており、世界中のメディアを通じて宇宙の真実といったものをそっと指し示し、人間の意識にインパクトを与え続けている。我々がそれを無視するのは危険なことである。

 これらの事件には否定しようにも否定できない謎がある。その故に、トリニティのUFO墜落事件のストーリーというのは、本のページを繰って早々に閉じてしまうようなことが許されず、我々がずっと読み続けていかねばならない人類史のドキュメントであり続けるのだ。



うーん、最後のところは禅問答風ですね。まぁヴァレも物理的実体としてのUFOというのはもともと認めているので、ブツとしての墜落エンバンは認めつつ、「でもそれって宇宙から来たんではない」と言っているのだろうか? その場合は「じゃあどこから来たのよ?」ということになるので、これはなかなか厄介な議論になりそうだが、そこを何とかうまいこと逃げ切ればヴァレの「名誉」はかろうじて守られることになろう(自称UFO問題評論家ならではの偉そうなモノ言いw)。

とまれ、ちゃんと読んでみないと二番底、三番底ということもある。いつになるかはわかりませんが、読了してからまた感想文でもかければ。


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ちなみにこれが少年たちが持ち帰った金属製の「ブランケット」。
寸法がメートル準拠になってるらしく、米軍ではインチ制なのでつまり「米軍のものではない」みたいなことをヴァレは言っている



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木というのは必ずしもUFOから身を隠すのに安全な場所ではない――絶体絶命の際、隣人が必ずしも頼りにはなってくれないように。ある種の人たちにとってみれば、テレビのソープオペラというのは、家の外をうろついているUFOなどよりもっと重要なものかもしれないのだ。
1991年9月の或る日の午後6時頃、自転車で家に向かっていたジェリナルドに対して、UFOが抱いた関心はよこしまなものだった。彼は当時18歳で、両親と兄弟2人とともに、リオ・グランデ・ド・ノルテ州アカリの南東4マイルに位置する農場で暮らしていた。

一日中おじの農場で働いた彼は、広大なインガ農園を貫いている荒れた小径を、ウォークマンで最新ヒット曲を聴きながら走っていた。沈んでいく太陽を背にした彼は、農園の母屋や納屋から約200ヤードの辺りに通りがかった。

「暗くなりかかった頃でしたが、大きなボール状の光が山の方からこっちに向かってくるのが見えたのです」。ジェリナルドはその一年後、我々にそう語った。「それは色とりどりで、青、赤、緑といった色をしていました。それは僕の方に降りてきたのですが、すると突然、僕のウォークマンの音が聞こえなくなった。僕は驚きのあまり、自転車を放り出して木の下に走り込みました。それで、かがみこんで両腕を木の幹にまわしました」

「その光体は近づいてきて、木の真上で静止しました。ええ、ちょうど木の上でした。僕はその下に長い間いました。時々上を見上げてそれを見ようとはしたけれど、そうするにはあまりに怖かった。とても寒かったのですが、同時に上からは凄い熱も感じた。あまりにも熱いので、木が燃えてしまうのではないかと思いました」

 ■木が倒される

ジェリナルドは木の幹に20分ほど抱きついていた。だが、熱があまりにも強くなってきたので、それ以上そこにとどまっているのは危険だと彼は思った。彼の左側2、3フィートの辺りには有刺鉄線のフェンスがあった。そこで彼は鉄線の下に飛び込み、それから必死で25フィートほど這って囲いの内側に入ろうとした――そして何とか間に合った。

「ちょうど僕がフェンスの下に飛び込んだ時、大きな破裂音が聞こえました」とジェリナルドは語った。「さらに少し進んだところで、二度目の破裂音がしました。そこで木が塀の上に倒れ込み、横倒しになるのを見たのです」

ジェリナルドは、次に何が起こるのか恐怖を感じつつ地上で腰をかがめた。その木のてっぺんは破裂した状態で倒れ込み、彼が先ほどその下をくぐったフェンスを粉々にしていた。見るからに恐ろしげな、青く光る球体は焦げてくすぶっている切り株の上になお浮かんでおり、辺りのものすべてを照らしていた。

「僕は本当に怖くなって、震えてその場に座り込んでいました」。そうジェリナルドは話した。「僕はまだその光の中にいたんです。その物体は僕を追いかけているのだと思いました。ところがその時、その光は消えて、それからもう一度点いたかと思うと西の方に去って行きました。光が消えた時、僕が感じていた寒さも消え去ってしまいました」

彼の話は、単なるティーンエージャーの空想だとして退けることができるかもしれないが、彼の他にも、その遭遇体験にまつわる不思議なものを目にした人もいた。それは200ヤードほど離れた大きな農家にいた56歳のセバスチアーニ・サリスで、そこは彼の一家が所有している農場であった。彼女はジェリナルドの身に起きたことのほとんどを目撃していたのだった。

我々は、ジェリナルドと話をした後、その隣人の家に行ってみた。セバスチアーニが言うには、そのUFO事件が発生した時、彼女はノヴェラ――つまりテレビでメロドラマを観ていた。

「ノヴェラを観ていた時、犬がやたらと吠えるのが聞こえたのです」。そう彼女は言った。「犬のことを放っておくなくて、何に吠えているのか、窓のところに見に行ったのです。シャッターを開けると、木の上に『火』が見えました。それは青色がかった光る球体で、直径は6070センチほどでした。放電する強烈な青いスパークのようなものを出していました。辺り一面が明るくなっていました」

「そこで私はドアのところに行って、様子を見ました。その球体はとても低いところにいて、木に触れるような高さでした。そして、その木の下には男性がうずくまっていました。最初は彼が木の下にいるのがわかりませんでした。というのも、その光のせいでよく見えなかったのです」

次に起きたことを理解するには、説明が必要だろう。ブラジルでは、テレビのメロドラマは晩の早い時間帯に放送されており、毎晩それを全国の人口の四分の一にあたる約4000万人が観ている。ノヴェラはあまりに人気があるため、1992年にメロドラマのスターが殺されて彼女の共演者が逮捕された時など、そのニュースは政治腐敗のスキャンダルで大統領が辞任した話をすっかり霞ませてしまったほどだった。

 ■メロドラマに戻る

セバスチアーニはこうした熱心な4000万人視聴者の一人である。木のてっぺんに青く燃える球体があり、その木の下には若い男性がいるという風景が如何に奇妙であったとしても、彼女は自らをその番組から引き離そうなどとは思わなかった。

「私が観ていたノヴェラは捨て難かったので、ドアと窓を閉めて、テレビを観に家に戻ったのです」。自分がジェリナルドを見殺しにしたことを認めた彼女は、笑いながらも決まりが悪そうにそう言った。

「そのあとしばらくしたら彼はドアのところに来て、たたき始めました。彼はとても狼狽した様子で、『何が起こったのか見て! 空飛ぶ円盤が木の上にいる!』と言いました。彼は、それが近づいて来た時、ひどい寒気がしたとも言いました。彼は帽子をなくしてしまったようで、自転車を道の真ん中に放り出していました。それから彼は、私に自転車を取ってきてほしいと言いました。でも私は、まだあそこに光るものがいるのでそんなことできないわ、と言いました」

その意味するところは、その時点でUFOはまだ遠方の空中にいた、ということである。「二人とも怖がっていたのです」と彼女は続けた。「私は『農場の支配人に電話をして、彼に頼みましょうよ。だって私には取ってくるなんてことはできないから』。支配人には私が電話をして、その自転車は彼が取ってきてくれました。

彼女は木が倒れる瞬間を見てはいなかったが、それが倒れたことは知っていた。

「木が裂けて砕ける音は聞きました」。セバスチアーニはそう言った。「その木は青々と茂っていたのですが、翌朝見に行ってみると、とても奇妙なことになっていました。というのは、その木の周りには焼け焦げた繊維が残っていて、葉っぱは全部焼けていました。まるで巨大な爪で引っかかれたみたいでした」

ジェリナルドはそれからやっと1マイルも離れていない自分の家に着いたのだが、それがその事件が始まってから2時間後のことだった。「息子は半狂乱でした」と、母親のマルタは我々に語った。「まともに話せないほどだったのです」

この事件を最初に調査したサリス・パガニーニは、当時アカリでUFOグループを主宰していた高校生で、シンシア・ルーチェと私をその農場に案内してくれたのも彼だった。同様に我々を手助けしてくれたのはロナウド・ファリエス――彼はカンピナ・グランデで活動する十数人の研究家の一人で、それ以前にパライバで起きた事件について寛大にも我々に情報を与えてくれた人物である――そして彼の妻・ジャケリンで、いずれもアカリの住民であった。

ジェリナルドはその事件後、頭痛、吐き気といった後遺症に悩むことはなかった。が、彼の母親のマルタは、それ以降、彼はある種の心理的な問題を抱え込むことになったと信じている。「息子は何だかボーッとしていることが多くなったのです。それに臆病になってしまった」。そう彼女は話した。

ジェリナルドはその遭遇体験のあった翌日、再び仕事に出かけた。いつも通りウォークマンを聴きながらであったが、それは完全に元通りに動くようになっていた。彼はが日中、焼け焦げた木を目にしたのは、その時が初めてだった。

我々もその木をじっくりと見てみたのだが、引きちぎられて炭状になってねじ曲がった上半分はその時も幹の近くに転がっていて、壊れたフェンスの上を引きずられた形跡があった。地面にあった2本の大きな枝は横側に大きな裂け目が走り、広い口を開けたようになっていたが、それはおそらくはUFOが発した強烈な熱によって樹液が煮えたぎったせいだと思われた。焦げてはいるが、なお直立している幹の部分からは新たにひこばえが出始めていた。、いつの日にかまたちゃんとした木に育つのだろう。そんなことを思わせた。

 ■嵐も送電線もなく

ジェリナルドの身にこの事件が起きた夜、空は晴れあがっていた。雲は全くなかったから、稲妻があった可能性は全くない。木の近くには電線もなく、木を燃えた原因が電気だった可能性――つまり電線同士が接触して火を出すとか、あるいは変圧器が爆発したというような可能性もなかった。

UFOとの遭遇事件で木やその他の植物が燃えるというのは珍しいこととは言えないが、それほど頻繁に起きるものではない。年老いた牧場主のジャヌンシオはヤシの木にしがみついたわけだが、頭上のUFOが発する熱はあまりにも熱かったため、彼は自分が焼き殺されるのではないかと思った。ジャヌンシオの見積もったところでは、その出来事は2分も続かなかったのだが、あまりにも熱かったため、もうちょっと長く続いていたら自分は死んだだろうと彼は確信していた。

その熱が耐えがたいほどになった時、ジェリナルドが味わった感覚というのも同じようなものだったに違いない。その木は地上わずか3、4フィートの辺りで折れており、直立している幹の部分は地面近くまですべて焦げていた。その幹というのは彼がしがみついていた部分であって、もし彼がそこにずっといたら焼かれてしまった、というのも十分にありうることだ。

ますます強くなっていく熱にさらされている間、彼が感じたという寒さについていえば、それは彼が受けた強いショックのせいだったという説明は可能だろう。だが、UFOが去っていった瞬間、その寒さも同時に消えてきまった。そして、ショックというのはそんなに急に去ってしまうものではない。

ともあれ、この事件が始まった時点で、そのUFOはある種の電磁気を放射していたに違いない。なぜならジェリナルドのウォークマンはその時、音を発さなくなってしまったからである。

しかし、その物体がジェリナルドを狙っていたのであれば、なぜそれはその仕事を完遂しなかったのだろう? それは自転車に乗っていた彼に狙いをつけ、彼が木の下に隠れていた時もずっとその真上にいた。UFOを操るエイリアンは彼がそこにいることを知っていたと考えねばならないし、実際彼らは、ジェリナルドが耐えられなくなって逃げ出さざるを得なくなるまで熱を浴びせ続けた。

だが、恐怖のあまり、たった20フィートしか離れていない囲いの中でうずくまっていた時、そのUFOは彼を追い回すような試みをしなかった。そのかわり、UFOは光を消してその場を去り、1、2マイル西のところに再び現れた。こうしたエイリアンたちの正体が何であれ、彼らは死をも辞さない「いじめっ子」のように振る舞い、自分たちがいかに力を持った卑劣漢であるかをジェリナルドに見せつけたかったようでもある。仮にそうだったとしたら、その意図は完全に彼に伝わっていた。

彼はひどく脅かされたのではあるが、その翌日の夜、再び友人たちと外出するのを恐れることはなかったし、それはその後も変わらなかった。「夜に家に籠もってろなんて、誰にも強制できないよ」。彼はそう言って笑った。


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*特に意味はない
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別にブログに書くこともないのだが、ずっとほっといて死んだのかと思われるのもシャクなので、とりあえずネットで拾った写真を貼る。


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■古代スラブの伝説におけるUFO


ユーフォロジーにおいて近年一般的になっている傾向として、現代のUFO報告事例に似たものを神話や民俗の中に探そうというものがある。ジャック・ヴァレ博士によって収集・分析されたデータが示すところでは、古い民俗伝承に出てくる存在や現象と、現代における接近遭遇報告の間には奇妙な類似点が存在している。それは単に「奇跡の星」や「神々の馬車」といったものと空飛ぶ円盤の見た目の類似にとどまらず、そのような現象と出会ったのちの事後効果といったものにもついて言えることだ。多くの民話や神話には、神秘的な力(ドワーフやノーム、天使や神といったものだ)に触れた者はそれ以前には戻れない、というテーマが広く見られる。彼らがその遭遇によって惑い、混乱するというのは、現代のUFO体験者(コンタクティーやアブダクティー、接近遭遇をした者たちだ)と変わらない。


ちょっとした想像を付け加えれば、古代スラブの信仰や宗教の中にもUFOのそれに似た要素は見いだすことができる。


ポーランド人というのは広くいえばスラブ民族に属しており、ロシア、チェコ、スロバキア、ウクライナ、ベラルーシ、セルビア、クロアチア、ボスニアといった各国と同じグループに入る(それぞれの言語はある程度まで互いに理解できるほどだ)。中世初期、我々の祖先たちは東部・南部ヨーロッパに広がり、初期の国家の原型を作った。ポリャーネ族の国としてのポーランドは10世紀に出現したが、現代の歴史学によれば、ヴィスワ族が立てた初期の国家は、現在クラクフのあるポーランド南部地域に既に8世紀には存在したものとされている。


スラブ系の部族はいずれもが同一の信仰を有しており、高名な研究者であるAndrzej Szyjewskiによれば、それぞれのグループは独自の神々を崇拝する一方で、同時にすべての部族に共通する神々をも信仰していたという。そうした神々としてあったのが、例えば4つの顔をもつS'wiatowit(「世界を見通す者」の意)であり、あるいは 地上に在る神で、おそらくは「野人」として描かれた Weles ないし Wolosという神――である(その名は「毛」と結びついている)。

残念ながら、ポーランド部族の宗教について我々が知っているのはこれぐらいである。966年にキリスト教への改宗が行われた跡、ローマ・カトリックの神父たちは古き神々に捧げられた習俗や伝統をすべて破壊してしまったのである。彼らはあまりにも仕事熱心であったため、古代スラブの信仰に関わる考古学的な遺物は全く後に残らなかった。カトリック教会は、従ってポーランドのアイデンティティに関わる文化的・歴史的なホロコーストに責任を有しているわけだが、現代においてもなお彼らはそのことを認めようとしていない。


異教の伝統と信仰の一部は幸運にも民衆の中に生き残っており、UFOにまつわる隠された資料のいかほどかは知ることができる。伝統的な信仰とUFOとの間に同等物を探ろうという試みも、行きすぎれば曲解につながるおそれはあるけれども、ここに一つ、未確認飛行物体との直接的な類似性をみせる古いポーランドの民俗というものがある。それはポーランド各地で異なった名前で呼ばれているものであるが、最も一般的なのはOgnik(炎の意)あるいはS'wietlik (ホタルの意)である。


研究者たちが未確認飛行物体を目撃した高齢者に会うと、彼らはそれを表してOgnikということがしばしばある。例えば第二次大戦後、チェンストホバ地方の或る成人女性が、「パチパチいう」音をたてる巨大な光る球体との接近遭遇についての報告をしているのだが、彼女は民俗的な文脈から、それをむかし話に聞いた妖精のようなものと受け取ったという。従って、Ognikにまつわる報告というのも、現代のUFOとの遭遇と比すべき出来事から生じてきたものといえるのかもしれない。それ以外のものも、いわゆる「ゴーストの光」――ポーランド版の「狐火」であったのは疑いのないところだ。


今ひとつの重要な民俗学的なテーマというのは「惑星人」(Planetnicy)――つまり 風とともにやってきて、時に地球に降りてくるという空の民にかかわるものである。「彼らは通常、リネンの服を着た老人の姿で描かれる。また時として彼らはそれとは違う姿で描かれることもあって、その場合は老人の頭に子供の体をもつ、性別不詳の小さなモンスターである」。これについての詳細は、ポーランドの民俗における悪魔についての優れた辞典を編んだアダムとバルバラのPodgo'rscyの著作で読むことができる。


ユーフォロジーと民俗学の比較について通じた人には、上記のパラグラフについて注釈する必要もないだろう。


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■第十五章 採点票なしにプレイヤーに知らせることはできない


さて、最終章である。

まずはこの章のタイトルであるが、「採点票なしにプレイヤーに知らせることはできない」
というのは何だか意味がよくわからない。そこで原著をみたら原語では

You Can't Tell the Players Without a Scorecard.

とある。コレでもまだわからんので、とりあえずググって調べてみた。

すると、ここでいう「スコアカード」というのは、どうやらプロ野球の選手名や背番号が書かれた、いわば簡単な選手名鑑のようなものだとわかった。そして、アメリカでは昔、試合をやっている球場の前に行くと売り子がいて、この「You Can 't ・・・」という言葉を叫びながらスコアカードを売っていたらしい(スマホ全盛の今では流石にないだろうが)。


つまりこのセリフは慣用句で、「選手名鑑がないと、誰が誰だか区別がつかないよ。さぁ買った買った」という意味の売り口上なのだった。もちろん熱心なファンならばそんなものはなくても困らないので、野球をよく知らん観客向けに売っていたということなのだろう(ちなみに tell という動詞には「話す」だけじゃなくて「見分ける」という意味もあることを今回知った)。


そうすると、この章のタイトルというのは「UFOの問題はちゃんと事前に準備してかからないとワケわかんなくなっちゃうよ」ぐらいの意味で、さらに深読みすれば「だからオレの本読んでね」と言いたいのであろう。スッキリした。



さてと、ずいぶん前置きが長くなってしまったが、以下、本章の概要を追っていこう。ここで一つの論点となるのは、「米政府の立ち位置」といったものである。


冒頭で出てくるのは、1953年のロバートソンパネルの話である。UFOファンならご承知のように、これはCIAがUFOへの対処法を考えるため科学者等を招集して開催した委員会であったわけだが、乱暴にいってしまえば「UFOの目撃なんてものは無視していいから」というのがその結論であった。要するに、目撃報告なんてものはほとんどクズ。安全保障上の問題にもなってないし科学的知見が得られるわけでもない、そんなもので騒いでいると人心が乱れるからUFO話なんてものは火消しするに限りますナ――というのだった。


で、以下はちょっと寄り道になってしまうが、キールはこれに対する民間の研究団体の反応を記している。つまり、連中は「なんだよ、政府は何でもかんでも隠蔽する気なのか!」といって怒ったのである。まぁそういうリアクションもアリだとは思うのだが、キールは「そうはいっても研究団体のほうもアホだよなぁ」という話をここで始める(ここでとりわけ念頭に置かれているのは全米空中現象調査委員会 NICAPのようである)。


錯誤の第一は、「MIB メン・イン・ブラック」の問題である。東洋人風の目。高い頬骨。オリーブ色の肌。そんな特徴をもった男たちが目撃者や研究者のもとに現れ、沈黙をまもるよう脅迫していく――これがMIB事例の典型的なパターンであるわけだが、研究団体の連中は、いよいよ政府不信が募っていたこともあるのだろう、こうした怪しい人物を米政府の回し者とみなした。むろん、キールに言わせれば米政府がそんなことをするワケはない。彼らは「超地球人」の息がかかった者たちである。つまり、研究者団体のお歴々は分かっていない。


さらにキールはNICAPに対して、「アンタら、政府は何でも隠すって言うけど、有名なヒル夫妻事件のとき、最初に受けた報告を握りつぶして隠匿したのオタクらでしょ?」といって非難している。要するに、こういう奇っ怪な事件こそUFOの本質に迫る重要なカギであるのに、「いかにもあやしい」とかいって放置してしまった罪は重いというのがキールの主張である。彼はここで「UFO組織は自ら、空軍以上にUFO事件を抑圧してきた」とまで言っている。やっぱり分かってないのである。


要するに、当時のNICAPは「UFOというのは地球の外から宇宙人が乗ってきた宇宙船である」というドグマに反する証拠だとか、あるいは不気味な事例、心霊現象めいた事例、おどろおどろしい事例は拒絶していたので、キールとしてはよっぽど腹が立っていたのだろう。

キールはこの辺にまつわる、もう一つのエピソードも書いている。もともと彼は「地球外起源仮説」もアリだと考えていたようなのだが、それを批判し始めるようになってから業界のリアクションは一変したのだという。




わたしがCIAエージェントだといううわざが国中に広まった。ことに、接触者たちは、地方のUFO研究者たちに、ほんとうのジョン・キールは空飛ぶ円盤に誘拐されてしまっており、わたしとそっくりの狡猾な男がわたしにとって代わっているのだと耳打ちするようになった。(290頁)


ちなみに、高名なUFO研究者のジャック・ヴァレもまた(ほぼ同時期だと思うが)「地球外起源仮説」を否定しはじめた途端、白い目で見られるようになり、「パーティーに紛れ込んだスカンク」扱いをされたと述懐している。当時のアメリカの雰囲気がしのばれる。


閑話休題。こんな具合でひとしきりアメリカのUFO研究を批判した後で、キールは再び「米政府とUFOのかかわり」について論を戻す。で、こんなことを言いだす。




わが国の情報機関の技能を過小評価しないようにしよう。彼らには、この本で扱っているのと同じようなデータを収集し、消化吸収するだけの能力があると考えよう。彼らは何年も前にこういうことすべてを解決し、それを彼らなりの方法で、できるだけこっそりと処理しているのだと考えてさしつかえないものとわたしは思う。(290頁)




責任ある政府なら、この奇怪な事態を一般大衆に説明しようなどと本気で考えてはいないだろう。わが国の軍当局は、そのために、それを説明しようとせずに、その現象の実在性を否定するという、より単純な政策をとらざるをえなかった。(292頁)


なんとまぁ米政府も、UFOというのはどっかから来た宇宙船なんかでなく、ある種の超常現象だと知っている。いるけれども、なんとも説明のしようがないから「そんなものはナイ」と言っている。先のロバートソンパネルなんかもそうなんだが、米政府がほぼ一貫して「不思議なものなんて、あ・り・ま・せ・ん!」といい続けてきた背景には、そういう事情がある、というのである。何ともブッとんだ解釈! この辺はさすがキールだ。


さらにキールは、ではこの「超地球人」というのは放っといて良いものなのか、みたいな話をする。本書の原題通り「トロイの木馬」として人間社会を何らかのかたちでむしばみ、「征服」するつもりなのか。あるいは単なるイタズラをするぐらいで、そんな気に病むような存在ではないのか。


この辺の記述はなんだかとても分かりにくかったが、最終的には「連中もべつに<征服>とかは考えてないンじゃね? 米政府もそんなシビアな事態は想定してないみたいだし」というようなことを言っている(気がする)。


で、最後には、これからもUFO研究は進めていかにゃならん、過去の悪魔学やら心霊研究とかの知見も生かしていけば面白いと思うよ、みたいなことをひとしきり言ってから、ニール・アームストロングの「ミステリーは、われわれの人生において不可欠の要素であります」という言葉を引いて全巻終了である。

とまれ、ところどころよく分かんないところもあったが、要するに「超地球人」というのは、姿かたちはその都度変えてくるけれども、太古の昔から前から人類の前に現れてはイタズラめいたことをしてきた不可解な存在である――という彼の主張はよく分かった。「なぜ」という部分は最後まで読んでも結局わからんかった。が、まぁ面白かったから許す。UFOファンの方は、機会があれば、ぜひ一読されるがよかろう(ただし、古本屋でもなかなか売ってないし、売ってても馬鹿高いという問題は最後まで残るw)。 (おわり)


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■第十四章 敵陣突破!


さて、「UFO問題にクビを突っ込むとロクなことがない」という話は本書でも何度か出てきたところであるが、こうした問題を真正面から取り上げたのが本章である。要するに「超地球人」というのは、関係した人間に嫌がらせをしたり、時には酷い仕打ちを加えたりするトンデモないヤツらだというのである。


キール自身、1966年に研究を始めてからいろいろと不思議な経験をしてきたという。とりわけ電話絡みの話は多く、行き当たりばったりで泊まったモーテルに何故か自分あての電話メッセージが残されていたり、「宇宙人」と称する者から電話がかかってきたりすることも再々あった。むろんそれだけではなく、夜中に寝ていたら巨大な黒い幽霊が出現したこと、ポルターガイスト現象に見舞われたことなどもあったようだ。もちろん、たびたび出没した「メン・イン・ブラック」なんかも連中の眷属ということになる。

それでもキールの場合は何とか「ヤツら」と折り合いを付けることができた。だが、中には被害を被った者たちもいる。とりわけ面白いのは(といってはイカンのだが)単に嫌がらせをされたというンではなく、「宇宙人」から予言を伝えられ、それがけっこう当たっているものだからすっかり信用していたら最後の最後にハシゴを外されて、哀れ社会から爪弾きにされてしまいました、みたいなパターンである。


ここで一つ挙げられているのが1967年のケースである。彼によると米国などではこの年の春以降、「UFOの搭乗者」はもちろん、霊媒や自動筆記など様々なルートを通じて、お互い関係のない各地の人々に様々な予言が降ってくるという不思議な現象があったらしい(キールからみればその発信元はすべて「超地球人」だということは言うまでもない)。


そして、本書によれば、キール自身も当時、こうした予言騒動の渦中にあった。この年の10月、彼は「UFOの乗員」を名乗る者からの電話で「まもなくオハイオ川で大惨事があり多くの人が溺死する」との警告を受けた。さらに12月11日には、やはり謎の電話で「アリゾナ州トゥーソンで飛行機事故がある」と告げられた。


それからどうなったかというと、12月18 日、トゥーソンでは本当にジェット機がショッピングセンターに突っ込む事故が起きた(注:キールは「事故は電話の翌日に起きた」と書いているが、これは記憶違いか。あるいは電話は17日にかかってきたのかもしれない)。

12月15日には、
ウエストバージニア州とオハイオ州を結ぶ吊り橋、シルバーブリッジがオハイオ川に崩落する大惨事が発生した(ちなみにこの橋はキールが取材した「モスマン事件」の現場ポイント・プレザントのすぐ近くにあって、事故の顛末は彼の著書『プロフェシー』で詳述されている)。

要するに彼が教えられた予告は「当たった」。


このほか、7月19日にノースカロライナ州ヘンダーソンで起きた航空機の空中衝突事故、現職のオーストラリア首相だったハロルド・ホルトが12月17日に海水浴をしていて行方不明になった出来事など、この時期に流布した予言で当たったものは幾つもあったらしい。


ただ、ここがポイントのようなのだが、一連の予言の中で最も衝撃的で、人々を震撼させた
ローマ法王(当時はパウロ6世)がトルコで暗殺される」あるいは「ニューヨークシティが大洋に滑り込む(地震で?」といった予言は完全に外れてしまった。あるいは「今年12月24日には何か未曽有の大事件が起きる!」という「お告げ」も、このころ世界中の霊媒やUFOコンタクティーたちのところに下りてきたのだが、もちろん最終的には何も起きなかった。信じて大騒ぎしていた人は当然、「世間を騒がす不届きものめ!」と糾弾されて面目を失ってしまうのである。

われわれ日本のUFOファンとしては、起こりもしない天変地異の予言を信じ込んでしまって「
リンゴ送れ、C」事件を起こしてしまった宇宙友好協会(CBA)のエピソードをついつい連想してしまうところである。ともあれキールはこう書いている。





彼らはすべての人間のできごとについての完全な予知能力を持っていると信じ込ませることができる。そして、これらの人々が完全に信じたとき、超地球人たちはその舞台に一人のジョーカーを登場させる。(273頁)




これらの人々(注:予言を受け取った人々)は、空飛ぶ円盤や地球人を信じざるをえないようなできごとをつぎつぎに経験する。そのあとで、彼らは、自らを破滅させる約束や考え方で、身動きができなくなってしまったのである。(276頁)



要するに、「彼ら」はオイシイ撒き餌をまいて人間を信用させ、すっかり間にうけた人間が「大変なことになる!」などと大騒ぎを始めたら、プイとどこかに消えてしまう。そうやって人間を破滅させて喜んでいるのではないか、というのである。なんだか「初回無料!」とかいって健康食品を買わせ、その実、バカ高い価格で継続購入する条項を契約書に仕込んで暴利をむさぼる悪徳商法のようなやり口である。汚い。


で、本章ではこういう魔の手に落ちた挙げ句、自ら犯罪をおかすところまでいってしまった人の実例なんかも挙げている。たとえば――

    1952年、ブラジル・サンパウロ州でUFOの搭乗員と出会ったアラジノ・フェリックスは、やがてそいつらとの交流を開始。「ディノ・クラスペドン」という名で「わたしの空飛ぶ円盤との接触」なる小冊子を刊行したりする。それ自体は話題にもならなかったようだが、1965年になると、彼はアラジノ・フェリックスの名で予言者として世間にその姿を現す。

    同年には近くリオデジャネイロで起きる洪水、1967年にはマーティン・ルーサー・キングやロバート・ケネディの暗殺を予言し、これはいずれも当たった。さらに彼はブラジルでの暴動勃発を予告し、以後、実際に警察署襲撃や銀行強盗が続発しはじめる。

    ところが、1968年に犯人グループを芋づる式にたどっていって捕まえたメンバーの首魁は、なんとこのフェリックスその人であった! どうやら彼は「宇宙の友人」の口車に載せられて、「ブラジル支配計画」に乗り出していたようなのだった・・・


類似のケースはこのほかにもいろいろ紹介されている。1960年代はじめにUFOを目撃したのがきっかけで「予言者」になってしまったフレッド・エヴァンスなる人物は、連中から何を吹き込まれたのか、オハイオ州クリーヴランドで奇怪なグループを結成。そいつらは1968年7月23日に人々を狙撃しまくるテロ行為をおこなった、等々。

*なお、キールはこうした話の後で、UFOの搭乗員とコンタクトした人々がしばしば耳にするという「不思議な言語」についてチョロチョロっと書いている。それはギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語など、いろんな言語がちゃんぽんになったものらしい。それがどうしたという気もするが、あるいは「超地球人」にも「文化」というようなものがあって、そういう言語がヤツらを識別する一つのあかしだと言いたいのかもしれない。知らんけど。


さて、本章の最後には、これまで触れてきた「超地球人の悪辣さ」とは一見あんまり関係なさそうなテーマが出てくる。彼らは意のままにテレポーテーションしたり――あるいは人をテレポーテーションさせる――能力をもっているのではないか、という話である。

キールがとりあえずここで紹介しているのは、1968年5月、アルゼンチンをクルマで走行していたジェラルド・ヴィダル博士とその妻が、突然濃い霧に包まれたかと思うと、なぜか48時間がたっていて、かつ6400キロ離れたメキシコシティに着いていた、という結構有名なミステリーである。


要するに、UFOと遭遇した人間はこの種の時空を超えた体験をすることがあり、テレポーテーション以外にも、いわゆる「ミッシングタイム」であるとか、逆に様々な体験をしたハズなのに気がつくとほとんど時間がたっていなかったという「時間圧縮」現象が起きるのだ、ということを言っている。つまり「ヤツら」は事ほど左様に人間をコントロールするすべに長けており、それ故に連中に見込まれた人間たちはどうしたって狂信に追い立てられてしまうということを言いたいのかもしれない。


まぁこの期に及んでも「じゃあ、なんでそんなことするのよヤツらは?」という疑念は晴れないままなのであるが、そんな割り切れない思いをよそに本書はいよいよ最終章へと突入していく。(つづく


*なお、章題は原語で「Breakthrough!」というのだが、何だか意味がよくわからなかった。邦訳は「敵陣突破!」としているが、「突破されちまった!」みたいなニュアンスなのか、あるいは「オレはヤツらの真相に突っ込んだぞ!」という感じなのか? お分かりの方はご教示ください

*
ジェラルド・ヴィダル博士の事件については、どっかでありゃHOAX(すなわちインチキ)だったという話を読んだ気がするのだが、今になってみると見当たらない。記憶違いかもしれないが心当たりの方はこちらもご教示のほどよろしくです




(付記)その後、「
ジェラルド・ヴィダル事件はガセ」という記述をジャック・ヴァレの『コンフロンテーションズ』第6章でハッケンしたので以下に引用しておく。


UFOを真面目に研究している者であれば、アマチュアでさえ当然知っている「ヴィダル事件」というものがある。これは、ラテンアメリカにあっはこれまで最重要視されてきたUFO事件のひとつである。

ヴィダル夫妻はある晩、マル・デル・プラタで知り合いとディナーの宴を囲むべく、車でブエノスアイレスを車で発った。が、彼らは目的地にたどり着くことができなかった。彼らの車は結局メキシコで見つかったのだ。彼らは厚い雲のような霧に周囲を取り巻かれ、次いで時間の感覚というものを失ってしまった。ガソリンを買うこともなく、パスポートも所持していないのに、どうやってこれほどの距離を超えてやってきたのか、彼らはメキシコの当局者に説明することができなかった。この事件の顛末は、10冊は優に超す書籍に詳しく紹介されている。

だから、私がアルゼンチンを訪れたときに「詳しく知りたい」と思っていた事件は幾つかあったのだけれど、この事件は当然そのひとつであった。ところが私のアルゼンチン人の友だちは、これを聞いて笑った。彼らもそのヴィダル夫妻をずっと捜してきたのだという。彼らは「ヴィダル夫妻の知人」を知っている人にまで網を広げて探しに探した。「ヴィダル夫妻を知っている」と言い張る人がいないではなかった。だが、結局ビダル夫妻を見つけることはできなかった。

そう、ヴィダル夫妻など最初からいなかったのだ。そんな事件は起きていなかった。

 *ちなみにこの事件、ヴァレは『マゴニアへのパスポート』にはマコトにあったこととして記している。




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■第十三章 ワニにかまれた傷を確実に治す法


さて、キールはここまで「様々な超常現象とUFO現象というのは元をたどれば同じものである」ということを執拗に主張してきた。その延長線上で、この章では「聖母マリアの顕現」に代表される宗教的な奇跡もやっぱり根っこは同じなんだよネ、聖母として出てくるのも実は「超地球人」なんだよネという――おそらくはカトリック教徒が激怒しそうな――ことを主張している。ということで以下、議論は聖母マリアの顕現を中心に展開していく。


まず彼が紹介するのは、1846年、フランスのラ・サレットで、10代の子供2人が原野で「聖母マリア」を目撃した事例である。聖母はその際、アイルランドの飢饉やヨーロッパでの小麦の凶作を予言した(実際その通りになった)。さらに1858年、フランスのルルドでは14歳のベルナデッダ・スビルー(邦訳ではベルナデット・スビル)が聖母と出会う。有名な「ルルドの奇跡」である。


次いで、これは聖母とは全然関係ないハズなのだが、たぶん「ヤツらとの遭遇が<良きもの>をもたらした事例」ということで連想がはたらいたのだろう、1965年9月3日夜、テキサス州ブラゾリア郡でクルマでパトロール中の警官が楕円形の光体と遭遇した事例をキールは紹介している。この時どんな「良いこと」が起きたのかというと、警官の一人はたまたまペットのワニにかまれて(!)左手の人差し指にひどいケガを負っていたのだが、おそらくは物体が発する光線を浴びたことで、彼のそのケガはすっかり治ってしまったのである(本章のタイトルはここから来ている)。


ちなみに、ちょうどこれと全く同じ日、ニューハンプシャー州エクセターでは、走行中のクルマが楕円形の赤い物体に追い回されたのを発端に、大勢の人間がUFOを目撃する事件があった。これがいわゆる「エクセター事件」であるが、ヒル夫妻事件を取材した『中断された旅 The Interrupted Journey 』で名高いライターのジョン・フラーが『エクセターのできごと Incident at Exeter』(未訳)という本を書いたこともあり、この事件は広く人々に知られることになった。


こうなると、同じ日に起きた事件でありながら「ワニ事件」のほうはどうしたって比較されて「冗談でしょ?」という扱いを受ける。ところがキールは、エクセター事件のほうこそ「まことにつまらない目撃」だと言い放ち、むしろ「ワニ事件」が重要なのだと主張する。事の真相に迫るには、むしろこの手のワケのわからん「ばかげたケース」のほうが大事だというのだった。このあたり、実にキール節全開ナリ。



ここでキールは、しばしばUFOと同時に現れて空を飛び回る「翼のある生き物」の話を唐突に始める。1877年のニューヨーク・ブルックリン。1922年のネブラスカ。1963年11月16日の英国ケント州。とどめは1966-67年のウェストヴァージニア州ポイント・プレザントにおけるいわゆる「モスマン」事件で、これについてはリアルタイムで取材したキールがのちに『プロフェシー The Mothman Prophecies』を著したことでも有名だ。


なんでそんな話をイキナリ持ち出すのだろうとオレは一瞬思ったのだが、たぶんこれは「空中に出現する聖母、翼で空飛んでるヤツ、どっちも同類ですから」という理屈なのだろう。キールにありがちな「流れぶったぎり」パートから話は再び「聖母」へと立ち戻り、ここからは有名な「ファティマの奇跡」をめぐるストーリーが始まるのだった。



この話は皆さんもよくご存じだとは思うが、改めて簡単に説明すると、まずは1917年5月13日、ポルトガルのド田舎のファティマで、小さな子供たち3人が光る球体と遭遇する。うち2人には「自分は天国から来た。これから6か月間、毎月13日にここに来るがよい」といった声が聞こえた。それが「聖母マリアの顕現だ!」という話になっていく。

実際に聖母は毎月13日にその場所に出現し、次第に多くの人が詰めかけるようになる(ただし、こうした野次馬には光こそ見えたが聖母を目にすることはできなかったようである)。あれやこれやあった末、やがて最後の顕現の日となる10月13日が来る。現場には7万人の群衆が詰めかけた。そこでは回転する銀色の円盤が乱舞するさまが誰からも目撃されたという。


この一件に関しては「聖母が三つの預言を残した」とか色々な逸話があるのだが、ここではその辺は一切省略。で、キールがこれについてどう言っているかという話になるわけだが、彼は子供3人の中で最年長のルシア・ドスサントス*が1915年以来、たびたび天使のようなものと出会っていたことに注目し、「ヤツら」はルシアがあらかじめ「心の準備」をするよう事前に仕込みをしていたのだと言う。そう、彼にしてみれば、この出来事は明らかに「超地球人」が仕組んだもの、そんなことは当然至極、当たり前のことなのだった。

    *訳書では「ルーシャ・アボボラ」。ちなみに「アボボラというのは original name」と書いてる資料があるので、彼女は何かの理由で改名したのかもしらん

もっといえば、キールによればこのファティマの奇跡というのは、「彼ら」にとっても乾坤一擲の大勝負であったようだ。時代はもう20世紀。人間もだいぶ科学的・合理的な思考をするようになってきて、「彼ら」が何か不思議な現象を起こしても「そんなのあるわけないジャン」とかいって人はなかなか振り向いてくれない。「じゃあ一大ページェントやって力づくで人間驚かせたるワイ」、そういう意図があったというのである。すなわち――




懐疑論が横行していたので、超地球人たちは、これらの予言へ目を向けさせる唯一の方法は、ほとんど反論できそうにない、そして聖職者に――そして世界に――こどもたちが言っていることは真実だと信じ込ませるような、慎重なデモンストレーションを演じることだと考えたのである。(258-59頁)



ただキールは、一連の出来事が「宗教的な奇跡」という文脈に回収されてしまったのは「超地球人」にとっては誤算だったのでは、とする。要するに、カトリックの人たちは「なんという奇跡だ!」とかいって感心してくれたかもしらんが、「宗教なんてもうイラネ」の人たちは「いや、もう聖母なんて話は御免被りますので」ということで、結局リーチできなかった。全体的にみればダメだったジャンという話。だからキールは次のように書く。




慎重に計画され、ファティマで意図的におこなわれたデモンストレーションは、したがって、超地球人たちに関する限り、失敗だったことになる。そういうデモンストレーションは、たしかに聖書時代にはひじょうに効果的だったが、時代は変わりつつあり、新しい方法が必要だった。人類は科学的になってきた――だから、その現象も一見、科学的な枠組のものに替えるべきなのかもしれない。(259頁)




ファティマ型の多くの現代の奇跡があったのだが、狂信者のサークル以外では、あまり大きな注目を集めなかった。空飛ぶ円盤のほうが、そうした奇跡よりもずっと宣伝効果があった。(同)



「いや、そんなことは最初から電通に相談すりゃよかったんだよマーケティング甘すぎるよ」とオレなどは思うのだが、ともあれ「彼ら」は次なる策として空飛ぶ円盤というイメージを用いることにしたというのである。


もっとも、「ファティマ」以降、こうした宗教的な幻像が消え去ったわけではない。キールはそんな事例をさらに幾つか紹介している。


例えば1961年6月18日、スペイン・ガラバンダルでは、12歳のコンチタ・ゴンザレスをはじめ4人の女の子が9歳ぐらいにみえる「天使」と出会った。彼女たちはその後も聖母や天使との遭遇を重ね、こうした目撃体験は1000回以上(!)に達した。1968年7月22日夕、カナダのケベック州セント・ブルノでは6人の少女たちが聖母マリアを目撃。1969年1月、メキシコ・ウルアパンでは7歳の女児が「グアダルペの聖母」と名乗る幽霊のようなものと遭遇した。


ということになると、これはキール自身がハッキリ言っているわけではないが、どうやらこうした現象は、「超地球人」と出会う人間の心のありよう――例えば特定の信仰があるとかないとか――によってコンテンツが微妙に変わってきたりするンではないのか。


いや、そこまでは言っていないのかもしれないが、少なくともキールは、UFOをも含む様々な奇現象は「超地球人」からの働きかけをうけた「人間」を起点として生まれるものだという意味のことを記している。




そのできごとや幻影は、現実にでなく、心の中だけで生じるのである。外に現れたものは、そのメカニズムの一部にすぎず、原因というよりはむしろ副産物なのである。(266頁)




接触者たちのほんとの体験は、ある強力な電磁気エネルギーのビームが、生物学的感覚チャンネルを無視して、その心に向けて送られているのだから、彼あるいは彼女の心の中でのことなのである。(同)


またぞろ「電磁気エネルギーのビーム」だとかエセ科学風の奇妙なことを言い出したのはかなわんが、最終的に言いたいことはだいたい分かった。そして、最終的にはまたこんな話になる。



「われわれは、これらの現われすべてを別々のカテゴリーや研究に分離するという人間的な誤りをおかしてきた。悪魔学者、天使学者、神学者、UFO学者はみな、同じ現象を少しちがった視点から調べていたのである。(同)



そう、悪魔学者も神学者もUFO研究者も実はみんな同じナカマ。「人類みな兄弟」(Ⓒ笹川良一)であったのだ。

それにしてもこの「超地球人」、基本的にはイタズラを仕掛けたり人を欺いたりするイヤなヤツだというのだが、その割にときどき当たる予言を教えてくれたり、ケガ・病気のたぐいを直してくれたりするというのはいったい何なのか。というか、そもそも人間にちょっかいを出してくる目的は何なのか。ここまで読んでも全くわかりません。(つづく


しかし毎回ついついダラダラとりとめのない長文になってしまう。反省。











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■第十二章 壮大なぺてん師たち

「超地球人」をめぐるキールの思索は、ここにきて歴史的な考察へと歩みを進める。要するに、連中は今でこそ「宇宙人」を偽装して姿を見せるようになったけれども、かつては「悪魔」のような存在として人間の前に出現していたのではないか、というのである。出没自在で、平気で壁を通り抜けたりするところは「悪魔」も「宇宙人」も変わらない。



悪魔やその化身やにせ天使たちは、むかしの人間に嘘つきや略奪者として認められていた。この同じ詐欺師たちが、いまは長髪の金星人として現われているのである(212頁)


もちろん、彼らに対して警戒を怠ることはできない。なんとなれば連中は「善人であることもあるが悪人であることがずっと多い」(213頁)からである

さらにキールは、「彼ら」は人間が出現する以前から「先住者」として地球にいたのではないか、と言い出す。こうした話は聖書の偽典である「忘れられたエデンの書」に書いてあるとか何とか言っているが、この辺の主張は流石に根拠薄弱である。もっとも、最近の話題にひっかけていうと何だかエヴァンゲリオンを連想させるようなところもある。面白いといえば面白い。


「面白いこと」といえば、この辺りでキールはもうひとつ興味深いことも言っている。UFOの乗員たちはしばしば武器のようなもので人間を麻痺させる。だが、よくよく考えればこれはホントに「攻撃を受けたから麻痺した」のだろうか――彼はそんな疑問を提起している。つまり、順番としては麻痺が最初にあって、そのあとに超常的存在が現れるのではないのかというのである。


それってどういうことよと我々は思うワケだが、彼は説明のために「その存在(注:超地球人のこと)は知覚者自身のエネルギーを利用することによってすがたを現す」(214頁)という超心理学方面のアイディアを紹介する。要するに、身体を駆動させるエネルギーが失われる≒身体が麻痺するのと同時にそのエネルギーが吸い取られ、「彼ら」を実体化させるために利用されるんじゃないか、そういうことを言っているのである。こういうエキセントリックな発想もまたキールの魅力の一つだろう。


同時にキールは、こういう現象に関わりをもつのは「ヤツら」の介入を招くので、とても危険なことだともいう。彼に言わせれば、研究家や目撃者につきまとうとされる黒衣の男、すなわち「メン・イン・ブラック」は、黒い肌と東洋人風の顔をしている点で吸血鬼に似ている。それぐらい恐ろしいということなのだろう。そして、「UFO現象に夢中になった若い男女がこうした幽霊からおそろしい訪問を受け(中略)こわくなってUFOの探求を断念したといったケース」(215頁)は何百とある。




だからわたしは、親たちに、こどもたちが夢中になるのを禁ずるように強く勧めるのである。学校の教師やほかのおとなたちも、ティーンエイジャーたちにその問題に興味を持つようにすすめたりすべきではない(216頁)



うーん、オレなどは今や絶滅危惧種であるUFOファンを何とか増やしていきたいと考えているのだが、キールから

「やめたほうがいい」

と言われてしまった。いや、だがこれは、そう言われれば言われるほど「じゃあやってみたい!」と考えてしまう人間心理を踏まえた彼一流のレトリックではないのか。一筋縄ではいかないキールだけについついそんな深読みもしたくなってくるのだが、どうなんだろう。


もっともキールは、いったん読者を怖がらせた後で、「彼ら」は時として病気を癒やしたり人を助けたりすることもあるという。良き天使としての側面である。また、「彼ら」はどうやら両性具有であるとか意味不明のことを言い出す。要するに「彼ら」のことはよくわからんのだった。



さて、キールは本章の後段で、西洋でいう「四大の霊」、つまりは「
地・水・風・火の四大元素を司る四種の霊魂」であるとか妖精・小人のたぐいは、いわゆる「宇宙人」の同類ではないのかという話を始める。この辺のことはいろいろ詳しく書いてあるが、ここでは省略してひと言でいってしまえば、要するにこういうことなのだ。



現れるものは、歴史を通じてずっと同じである。それらのできごとについてのわれわれの解釈だけが変化してきたのである(227頁)


ついでに言っておくと、「彼らが姿を現すためには生物のエネルギーが必要なのではないか」というアイデアは先ほども紹介したところであるが、改めての「ダメ押し」として、彼はこんなことも書いている。




これらの生きものが、自らを具体的な形体に再構成することを可能にする生命エネルギーを必要としているのだということは推測できる。フラップ地域で、よく犬や家畜が消えるのは、そのためかもしれない(229頁)


「彼ら」が犬に執着を示したいわゆる「イヌ事例」、あるいは家畜が狙われる「キャトル・ミューティレーション」について、これなんかは一つの示唆を与える指摘でもあろう。



次いでキールが注目するのは「心霊術」である。1848年、ニューヨーク州ハイズヴィルに住んでいたフォックス姉妹の周囲に起きた心霊現象をきっかけに近代スピリチュアリズムが勃興したことは広く知られているが、モノが現れたり消えたり飛んだりするポルターガイストなども含め、心霊現象全般もまたUFO現象に通底しているというのが、ここでのキールの主張である。


ちなみに彼はここでちょっとした「心霊うんちく」も傾けている。

モルモン教の創始者であるジョゼフ・スミスが一時期住んでいた場所とハイズヴィルは数マイルしか離れていなかったこと。

フォックス一家が「その家」に引っ越してくる前、すなわち1847年にはミッチェル・ウィークマンという人物の一家がそこに住んでいて、やはり幽霊騒ぎがあったこと。

若干時代をさかのぼった1820年頃には、テネシー州ロバートソン郡のジョン・ベルという人の家で盛大なポルターガイスト現象が起き、「ベル・ウイッチ」と称されて今に至るもとても有名な事件として記憶されていること。

*ちなみに「ジャクソニアン・デモクラシー」で知られる後の大統領、アンドリュー・ジャクソンもベル家を訪問したことがあったという。その際、乗ってた馬車が止まってウンともスンとも動かなくなったンだが、突然「将軍、馬車を動かしてください」という金属的な声が聞こえてきて、すると馬車は再び動き出した――という話があるらしい。で、どうやらこのジャクソンの話はウソらしいんだけど、「ヤツらは自動車ばっかじゃなくて馬車をも停めた」という意味ではすこぶる面白い

・・・・・・といった感じで、こういう話はオレは全然知らんかった。キールを読むことはとても勉強になるのだ(しかし何の勉強だw)。


さて、この章は、キールも力が入ってるのかずいぶん長い。ここまで書いてきたら、こっちも疲れてしまった。なので、この辺から後の細々した議論も端折りたいが、ただ235-236頁あたりでは19世紀のUFO報告(むろんUFOという言葉は当時なかったけれども)とポルターガイストの件数をグラフ化した試みが紹介されていて、その両者の増減はリンクしていたとキールは言っている。統計が取られた範囲などハッキリしないので何だか怪しいデータには違いないが、こういうハッタリめいたうんちくは話半分でもそそられるものがある。


いよいよ章の最後のほうになると霊媒の話も出てくる。降霊会で「当人が知るはずのない言語でしゃべりだす」といったような、合理的な説明がしにくい現象が起きたりすることもないではない。だが、そこでは一方で見え透いたウソが語られたりもする。要するに、こうした心霊関係のさまざまな出来事においても、その背景には常に「超地球人」がいる。

もっといえば、およそ不思議な現象というのは心霊だろうがUFOだろうが、すべて「彼ら」が仕切っている――極めて乱暴に総括してしまえば、キールはそのようなことを主張しているようだ。なんと素晴らしい大統一理論だ!(つづく


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■第十一章 「きみたちは宇宙のバランスを危うくしつつある!」


さて、「超地球人」についての考察を始めたキールは、本章にいたって「彼らが人間に向けて語ったこと」にスポットを当てる。


本章冒頭で彼が取り上げているのは、彼らが「あんたら人類は核兵器なんか開発しちまって危なっかしすぎる。何とかしなさい」と説教をしていったケースである。こういうエピソードがUFO事件につきものであるのは周知の事実であるが、ここでキールはそうした事例を幾つか列記している。例えばこんな具合である――。


1957年8月20日、アルゼンチン・キリノで円盤と遭遇した空軍の衛兵は(おそらくはテレパシーで)「原子エネルギーの誤用が、きみを破滅させようとしている」と話しかけられた。
1959年4月24日、ブラジル・ピアタで円盤を目撃したへリオ・アギアルは、その時なぜか気絶してしまう。やがて彼が意識を取り戻すと、その手には自らの字で「原爆実験をただちに中止せよ」と書かれた紙片があった。
1957年9月7日未明、英国チェシー州ランコーンで着陸した円盤に乗せられたジェイムズ・クックは、中にいた「宇宙人」から「きみたち地球の住民は、もし調和の代りに力を利用しつづければ、バランスをめちゃくちゃにしてしまうだろう」「その危険について彼らに警告したまえ」と告げられた。


さて、こうした警告をどう考えるかであるが、「なるほど連中も結構いいこと言うじゃんか」という気がしないでもない。実際にキールがこの本を書いた1970年頃というのは米ソ冷戦で偶発核戦争の危険がなお叫ばれていたし、いわゆる公害も社会問題化していた。だからこそ日本でもその辺の危機を煽った五島勉の『ノストラダムスの大予言』(1973年)が大ベストセラーになったのである。そういう意味では「あんたら人類このままじゃダメじゃん」というヤツらの指摘はけっこう本質を衝いていたのではないか。

ただ、キールがこういうメッセージをありがたがっている様子はない。これはオレの推測なのだが、キールはたぶん

「ったく偉そうにご託宣ならべやがって。そんなベタな説教されなくてもこちとら分かってンだよ陳腐なんだよ」

みたいなことを考えていたのではないか。というのも、あとの方まで読んでいくと分かるが、キールは「連中は一見もっともらしいことを言うことがあるけれども基本的に信用しちゃならん」ということを終始考えていたフシがあるからだ。


さて、それはそれとして、ここまで並べてきたようなユニークな事件は「1957年」にしばしば起きていたようで、この年はUFO史上でもちょっと注目すべき1年だったらしい。ジャック・ヴァレ『マゴニアへのパスポート』の後半部には、1868年からの百年間、世界各地で起きたUFO事例923件を列記した「UFO着陸の1世紀」というパートがあるのだが、このうち1957年の事案は68件ある。ちなみにヨーロッパで大ウェーブがあった1954年が136件で突出しているんだが、「68」というのも相当である。

ということで、キールは本章後段では「1957年」のUFOシーンというものにスポットを当てる。


そんな文脈で登場するのが、アダムスキ-と並び称されることもあるコンタクティー、ハワード・メンジャー(訳書ではメンガー)である。彼はニュージャージー州ハイ・ブリッジで看板書きをしていた男で、第二次大戦中から宇宙人とコンタクトしていたのだが、1957年まではそのことは口外してはならんと言い含められていた。それゆえメンジャーはこの頃になってようやく自らの体験を語りだしたらしく、ラジオ・ショーに登場するなどして有名人の仲間入りをする


しかし、キールのまなざしはなかなかシビアである。



ハワード・メンガーは、このことで金持になっただろうか? とんでもない。彼は自分の看板書きの仕事と自分の名声を失った。最後には、彼はほかの州に逃げ出さざるをえなくなり、そこで彼のむかしの商売でかろうじて生計を立てているにすぎない。(204頁)


要するに、メンジャーというのは「ヤツら」の言い分を真に受けたことによって最終的には「変な人」という烙印を押され、身を滅ぼしてしまった人だと言っているのである。


menger2

 メンジャーと奥さん


逆にいえば、それは「連中はこうやってひと一人の運命を狂わせてしまうこともある危ないヤツらだ」という主張でもある。もう勝手放題、好き放題。そういう意味でいうと、ここでスポットが当たっている1957年というのは、先に触れたように「説教事例」を含めて奇妙な事件の当たり年だったから、キールは引き続き連中の傍若無人ぶりがうかがえる奇妙な事例を紹介していく。

ここで興味深いのは、彼の紹介する1957年11月はじめの複数の事件が何となくお互いに連動していたようにみえることである。以下の3件なんかはちょっとしたコンボになっている。



1957年11月5日@ネブラスカ州カーニー
ラインホルト・シュミットなる人物が飛行船のようなものを修理している搭乗員と遭遇した。そこで会話した相手はドイツ語をしゃべるフツーの男だったというから、キールも言うようにこれは19世紀末の幽霊飛行船事例が半世紀後に再現されたようなもので、何とも奇妙な話である。ちなみにシュミットはこのあとしばらく精神病院にぶち込まれたそうで、彼もまた「ヤツら」に惑わされて酷い目に遭った人間の一人だったわけだ(なお、現在絶賛発売中のUFO同人誌「UFO手帖 5.1」にはこの事件を取り上げたものぐさ太郎αさんの「アダムスキーみたいな人たち」第4回が掲載されているので、興味のある方はぜひ買うように



1957年11月6日の早朝@テネシー州ダンティ
愛犬フリスキーとともに外に出た12歳のエヴァレット・クラークは、野原で静止している輝く物体と、その近くにいる男女4人組を発見した。彼らはこの犬を掠おうとしたが、フリスキーは噛みついてなんとかその魔の手を逃れたそうだ。一部UFOファンの云う「イヌ事例」である

*ここで注目したいのは彼らが「ドイツ兵みたいながらがら声」で話していたというクラークの証言で、前日の事件でラインホルト・シュミットのお相手が「ドイツ語をしゃべってた」という話となんだか奇妙にリンクしている



同じく1957年11月6日の夜@ニュージャージー州エヴァリッツタウン
農夫のジョン・トラスコが飼い犬にエサをやるため外に出たところ、輝く卵形の物体と小男を発見した。小男は「わたしたちは平和な人間です」「わたしたちはトラブルを起こすのをのぞみません。あなたの犬が欲しいだけです」と話しかけてきたが、トラスコが一喝すると物体に乗り込んで飛び去っていったという。やはり「イヌ事例」である

*これもテネシー州の事件の目撃者が「エヴァレット」君だったのに対して、今度の事件の場所は名前がよく似た「エヴァリッツタウン」。そしていずれも「犬が狙われた」。この二つもどっかつながってる。この暗合についてキールがここでアレコレ言ってるワケではないが、ちなみにジャック・ヴァレは自著でこの点について論及している


ついでに言っとくと、キールによればこの11月6日にはオハイオ州モントヴィル、カリフォルニア州プラヤ・デル・レイ付近、ミシシッピー州でも「搭乗者」の目撃事件があった。

11月上旬にはこうした連続目撃事件が何だか互いに関係しあうような感じで起きた。キール自身は「ヤツらが洒落っ気を出してそういう連続目撃事件を演出した」とまで言っているワケではないが、読む側からすると「こりゃあ連中、人間からかっておもしろがってんじゃネ?」という感想を抱かざるを得ない。

結果として、そうした体験をさせられた人間は総じてペテン師扱いされたり酷い目に遭うのだが、キールはそうした人々はむしろ被害者なのだという。



一九八七年以後の接触者たちは、われわれに、彼らがUFO乗員たちに告げられたことを伝えている。嘘つきはそのUFO乗員たちで、接触者たちではないのだ。(209頁)


そうした接触が起こると、彼らは意図的にばかげたインチキ情報を伝える。(中略)このミステリー全体はわれわれを混乱させ、懐疑的にするために計画されてきたのだ。
だれかが、どこかで、われわれを笑いものにしているのである。(210頁)



「やっぱりそうなのか」ということで、だんだん分かってきた・・・・・・ような気がしないでもない。(つづく

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■第十章 「あなた方のタイム・サイクルは?」

この章で語られるのは、キールいうところの「超地球人」とは一体いかなる存在なのか――という問題である。ここではその説明のために何やら彼独特の怪しげな物理学が展開されているのだが、正直いって何を言ってるのかサッパリわかりません(笑)。しかし、それで済ませてしまっては申し訳ないので、そのあらましだけでも確認していこう。

さて、この章の冒頭では一つのUFO事件が紹介されている。1966年11月のある夜、ミネソタ州でラルフ・バトラー夫人ともう一人の女性が、当時盛んに目撃されていた光体群を眺めていたところ、その女性のほうが突然トランス状態になってしまい「あなた方のタイムサイクルはどうなっていますか?」「一日は何時間ですか?」というような質問を発してきたのだという。バトラー夫人は親切に答えてやったようだが、彼女自身はこれを空飛ぶ円盤とテレパシー交信をした経験だと考えていたようだ。

その翌年には、その体験談をきこうということで空軍の「リチャード・フレンチ少佐」と名乗る男が彼女のもとを訪ねてきた。彼は二日連続でやってきたようだが、その二度目、夫人がゼリーをふるまおうとしたところ、男はゼリーをボウルごと飲もうとしたという。ちなみに後日、ミネソタ州の空軍に問い合わせると確かに「フレンチ少佐」はいたが、それは例の訪ねてきた男とは全然違う人間だった。要するにこの男はUFOの目撃者のところにやってきて脅迫したり奇行を重ねるとされている「メン・イン・ブラック」であったらしく、とりわけこのゼリーのエピソードはそのトンチンカンぶり故に多くのUFOファンの間で愛され、語り継がれている(笑)。

いや、話が長くなったが、結局この事件に関してキールが注目しているのはゼリーの一件とかではなくて、ヤツらが発した(とされる)「あなた方のタイムサイクルはどうなっていますか?」という質問であるらしい。この事件を入り口として、要するにヤツらと人間とでは「時間という観念」が異なっているのだ――という方向に話をもっていく。

で、まず彼は、地球における一日の長さは自転、一年の長さは公転に拠るので、結局地球の時間のフレームワークはこの地球上だから成り立つモノで、結局、時間は相対的なものなのだというようなことを言いだす。

    【注】ただ、ここでキールはちょっと唐突に不可解なことも書いている。プレアデスは「空の民族」の故郷だとする民間伝承は多くあるので、「空飛ぶ円盤が実際に地球外宇宙船として存在しているのだとしたら、プレアデスはその発信地としてかなりの可能性をもつかもしれない」(185頁)。その説はテッテ的に否定してたんじゃなかったのかよ? ここはちょっと意味不明でアル

で、「時間という概念の相対性」みたいなところから連想したのかしらんが、彼は「光速に近い速度で移動する物体では時間の進み方は遅くなる」という、SFなどでおなじみの例の浦島効果の話をもちだす。

ここからの飛躍がスゴイのだが、つまりそういうことがあるのなら「超高周波分子が超高速度で運動して、われわれの時間の場から脱出したり、影響されなくなったりすることは可能はなずである」(186頁)。

よくわからん。わからんけれども、高周波のエネルギーを操作すれば(というのも意味不明なのだが)時間を操作することも可能であるということを言いたいようだ。さらにUFOというのは高位のエネルギーの現れで、それは「目に見える周波になるだけでなく、それらはわれわれに物質的なもの、現実的なものと見える形もとり、知的に見える活動もするのである」(187頁)。

「えっ??」と100回ぐらい聞き直したい感じだが、しょうがないのでキールがこの辺りで書いていることを強引にまとめてみると、彼らはエネルギーを自在に操って人間の感覚世界を超越した不可思議な現象を起こすこともできるし、脳内のパルスをコントロールして人間の考えも操作できる、UFOというのはそのような能力によって生み出された現象に違いない、キールはそういうことを言っているのである。

最後のほうでキールは、この「超知能」をもつ存在を「顕微鏡を通じて微生物を観察している人間」になぞらえている(この場合の微生物にあたるものが即ちわれわれ人間であることは言うまでもない)。

う~ん、何だかこのエセ物理学みたいなのはカンベンして頂きたいところだが、とりあえずキールがイメージしているものはちょっとは見えてきたかもしれない。「超地球人」というのは、ようするに人類をオモチャ扱いして遊ぶような能力をもつ何らかの知性体であるらしい。(つづく
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■第九章 物的証拠の不在


さて、キールはここまでの議論で、空に現れる奇妙なモノというのは、彼のいう「超地球人」が、時代時代に応じたスタイルをその都度考案しながら人間に見せつけてきたものだという話をしてきた。天使のような宗教的存在から飛行船、飛行機、さらにはロケットへ――そんな流れがあったワケだが、それが戦後になってまた変わったという。そう、いわゆる「空飛ぶ円盤」の登場である。


この点についてキールはちょっと面白いことを言っている。ご承知のように、戦後ほどなく世界は米ソ対立の冷戦期に入る。そんな時代にむやみに「幽霊ロケット」なんか飛ばしてたら偶発的な戦争が起きかねない。そこで連中も、今度はそんな危険を招かないヤツ、つまりは敵国じゃなくて地球外から来てる「空飛ぶ円盤」というものを考案して飛ばすことにしたんじゃないのか――というのである。彼のいう「超地球人」、意外と人類のことを心配してくれてるじゃないの(笑)。


話を元に戻すと、この「空飛ぶ円盤」、総じていえば「いかにも超高度文明が生み出しそうなたモダンでメタリックな宇宙船」の雰囲気を身にまとっておった。戦後ともなると人類も地球外に知的生命体が存在する可能性には十分理解が及ぶようになっているから、そこでこういうヤツを飛ばせば「どっか外宇宙の文明の進んだところから飛来しているんじゃないの?」と思ってくれるだろう。そういう狙いで連中はこういうものを飛ばし始めたというのがキールの読みである。実際、1947年のケネス・アーノルド事件以降、「UFOというのは宇宙船である」という観念は人々の間に広く定着した。


しかし。「でもこの説って全然立証されてないよネ」というのがキールの立場である。なんとなく今はUFOにまつわるデフォルト理論みたいになってるけど、それは全然違いますからネということを以下、キールは主張している。

そもそもこの宇宙人仮説であるが、「宇宙船を捕獲する*」あるいは「宇宙船が公の場に着陸する」といった事態でも起きない限り決定的証拠にはならない。そして、そんなことはこれまで起きていない。
次善の策としてUFO地球外起源説の人たちが考えたのは「円盤が落とした・残したモノ」を拾ってくることだったという。つまり「こりゃ地球上にはありえない特殊なモノだ!」とかいう展開で傍証を固めようという作戦である。


*ちなみにここで彼がフランク・スカリーが広めた墜落円盤のウワサ、つまり「アズテック事件」について論及しているのは感慨深い。今なら「ロズウェル事件」が真っ先にあがるところだが、本書はロズウェルが再発見される前の1970年の刊行なのです)


まぁしかし、キールに言わせれば連中はもともと地球にいるのだから、そんな地球外のものなんて落としていくワケはないのである。彼はここで、ナゾの飛行体がイカリを降ろして地上をひきずったり、あるいは人をひっかけたりした事例を複数紹介している。このうち、アイルランド・クロエラ(956年)、イングランド・ブリストル(1200年ごろ)、テキサス州マーケル(1897年4月26日)の事例は、いずれもイカリをつないでいたロープをつたって男が下りてきたが、最終的にはロープを切り離して逃げていったというお話である。要するにキール、連中はそんな特殊なモノを落としてくワケがないんで、いくら一生懸命拾ってもムダでしょうとイヤミなことを言っているのである。*


*なお、この「吊り下げられたイカリ」にまつわる諸事件はジャック・ヴァレ『マゴニアへのパスポート』第5章でも紹介されている


この流れでキールは、20世紀に入ってから連中が何か落としたり残していった(と思われる)有名な事例を紹介していくのだが、彼によれば確かにロクなものはみつかっていない。

ワシントン州のモーリー島事件(1947年)で投下された鉱滓は鉄や亜鉛など。ブラジル・カンピナスで投下された「銀色の液体」はスズ。ソコロ事件(1974年)で残された物質はシリコン。ブラジル・ウバトゥバの爆発事件(1957年)の破片は単なるマグネシウム。1956年7月6日、何か箔片みたいのが空から降ってきた日本の「銚子事件」にも触れているが、これなんかもいわゆるチャフとほとんど同じとかいって一蹴しておる。

それから、一部のUFOファンの間で圧倒的な人気を誇るジョー・サイモントン事件(1961年)についていうと、彼が連中からもらったのは「ただのコーンミールと塩と油」でできたパンケーキだった(邦訳書ではホットケーキ。当時はパンケーキといってもみんな分からなかったのだろう)。彼らはこうやって物体を適当にばらまく「加工品ゲーム」やってんじゃないの、とキールは言っている。


これに続いてキールは(本書の前のほうでもちょっと触れていたが)彼らの「自分たちは宇宙から来ていると思わせる作戦」について触れている。彼によれば、地上に降りているUFOのところで乗員たちが何やら修理しているような動きをみせている例はたくさんあって、例えばここでは1966年3月23日、オクラホマ州テンプルで起きたエディ・ラクストンの目撃事例(機体のわきに数字らしきものが書かれていた事件としても有名だ)を挙げている。


ということで、「UFO地球外起源説に従ってモノを考えても全然ホントのことはわかりませんでした」というのがここまでの議論である。

最後の部分で、キールはUFOに関して妖精めいた小人が目撃された事例に論及している。そして、宇宙人仮説にこだわる研究家たちはこういうものは「アホらしい」といって無視しがちであるけれども、実はUFO現象というのは極めて主観的な要素が多いので、UFOの落とし物を調べたりしてるよりも、こうした一見突拍子もない体験をしてる人も無視せずにその主張に耳を傾けたほうがよっぽどいいんだよネ――キールはおおむねそのようなことを言って本章を締めくくる。まぁ仮に何か落としていったら一所懸命調べなきゃイカンとは思うけれども、おおむね同感である。(つづく


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今回は「中休み」ということで、「UFO超地球人説」とは直接関係ない話をひとくさり。

ジョン・キールについては日本語の翻訳本がかなり出ているせいか、日本語のウィキペディアにもちゃん項目が立っている。それはそれでイイのだが、その元になったとおぼしき英語版のウィキペディアのページと比較してみると、ちょっとおかしなところがあった。


具体的にいいますと、キールの著作『プロフェシー The Mothman Prophecies』(旧訳題名は『モスマンの黙示』)に触れたパートで、ジョン・C・シャーウッドが『Skeptical Inquirer』2002年5- 6月号に書いた「Gray Barker's Book of Bunk」なる論考にまつわる話が出てくるのだが、この論考はシャーウッドとグレイ・バーカーが共同執筆したものであるかのように書いてある。

だが、グレイ・バーカーは1984年に死んでいる(笑)。どうやら「バーカーとかつて一緒に仕事をしたことがあるシャーウッドが執筆した」というくだりを誤訳したらしいのだが、オレはウィキペディアの編集の仕方がよくわからない。そのへん分かってる方はゼヒ当該ページにいって手直ししてきてくださいお願いします m(_ _)m


なお、ついでといってはナンだが、シャーウッドが書いたこの「Gray Barker's Book of Bunk」というのが気になったので、ちょっと調べてみた。どうやらこのシャーウッドというのは元新聞記者で、UFOモノなんかもけっこう書いてたことからキールたちとは結構親しかった人物のようである。

で、検索したら『Skeptical Inquirer』のサイトにオリジナルの記事があった。くだけた表現が多く、学校英語しか知らんオレには荷が重かったが、辞書を引き引きザッと読んでみた。以下はその話(細部間違ってたらゴメン)。


さて、記事のタイトル「Gray Barker's Book of Bunk」というのは直訳すれば「グレイ・バーカーのクソ本」ぐらいの意味であろう。そこからも容易に想像されるように、この論考は基本的にグレイ・バーカーをディスったものである。

要するに「バーカーという人はUFO話を適当にでっち上げてカネ儲けに利用した悪いヤツだ」ということを、かつてバーカーと組んででっち上げに荷担したこともあるシャーウッドが懺悔半分でつづったものらしい。こういう話なので、日本語版ウィキペディアで「シャーウッドとバーカーが共同執筆した」みたいな記述があるのは大間違いなのである(誰か早く行って直してきてw)

話をもとに戻す。シャーウッドによればバーカーのインチキぶりはいろんな人が書いてて、「彼はUFOなんてものは信じちゃいなかった、ただカネ儲けのために本を書いていた」みたいな証言もたんとあるようだ。彼がやはりUFO研究家のジェームズ・モズレーと組んで、米国務省のストレイスなる人物の名前で「あんたの言ってることは本当だ」みたいなニセ手紙をジョージ・アダムスキ-に出したりした一件なんかもシャーウッドはここで改めて持ち出している。


で、シャーウッドはそこからキールとバーカーの関係を論じていくのだが、結論的には「キールってバーカーのインチキ見逃しちゃってるじゃん! ダメじゃん!」ということを言いたいらしい。「アンタもインチキ本出したゆうて自白してますやん、他人のこと言えますのん?」とツッコミを入れたくなるが、まぁそれはいいや。

ともかくこのシャーウッドの論考でポイントとなるのは、キールの『プロフェシー』に出てくる一つのエピソードである。これはヴィレッジブックス版『プロフェシー』でいうと341頁以下に出てくる話だが、いちおうその概略を説明しておこう。



1967年7月14日の夜、キールのところに「グレイ・バーカー」を名乗る男から電話がかかってくる。二人は同じ研究者仲間ということで、もちろん知り合いである。ところが、その口調は確かにバーカーのものなのだが、「キールさん」などと妙に他人行儀な話し方で何だかおかしい。

で、その当時、ニューヨーク地区で「グレイ・バーカー夫人」と名乗る女性が迷惑電話をかけまくるという出来事が頻発していたので(この件の詳細については書いてないのでよくわからない)、キールがその話を振ってみたところ、バーカー(を名乗る男)は「いやぁ、誰にも電話なんかしてませんよ」と答えたというのだが、実はバーカーは独身であった。

要するにバーカーはニセモノだったわけである。ちなみに翌日、キールが念のためバーカーに電話をしたところ、「いいやそんな電話かけてないよ」という。アラ不思議、これもUFOにまつわる怪異ではあるまいか――だいたいがそんな話である。



ところが、このシャーウッドがその後、キールとバーカーの間に交わされた書簡類を調べてみたところ


キール「あのさぁ、あの電話やっぱオマエがかけたんじゃね? オマエあの時どこにいたの?」

バーカー「うーん、どうだったっけ? ただ、通信記録はあったんだよなー。意識なくすほど酒は飲んでなかったし、ホント不思議だよなー」


というようなやりとりが1967年中になされていたらしい。要するに『プロフェシー』の話とはだいぶん様子が違う。ほとんどバーカーが「私がやりました」とゲロってるに等しい。さらにいえば、バーカーとつるんでたモズレーもシャーウッドに対して「そりゃバーカー飲んでたんじゃネ?」みたいな事を口走っていたようである。「なんだ全然怪異なんかじゃないジャン」という話になる。


ちなみにキールがこの本を出版するのは1975年であるから、その時点ではキールには「バーカーにかつがれた」という認識があったハズなのだが、この本ではミステリー風にこのエピソードを取り上げている。であるから、シャーウッドは「あの、あなたがバーカーと交わした手紙と、あの本とでは齟齬がありますよね? どういうことなんです?」とキールに問い合わせたのだが、結果ナシのつぶてだったそうだ。

我々はキールを読んでて「この人、やっぱどっかでちょっと話を盛ってるんじゃネ?」などとしばしば思うのだが、そういう意味では「やっぱりネ・・・」と思わんでもないエピソードである。だが、オレは許す(笑)。


*なお、日本語版ウィキペディアではこの件について以下のような記述がある。この箇所については別に間違いはなくて、まぁそういうことなのだろう。




シャーウッドによるレポートによると、モスマンについて、キールが調査をしていた時点で書いた文書と、彼の最初の本との間には重大な相違点がある、との報告がなされ、本の内容の精度について疑問を投げかけた。また、キールがその食い違いの原因を明らかにすることはなかった、とも報告された。






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