カテゴリ: UFO

「読めもしないのについつい買ってしまったUFO洋書シリーズ」の最新刊が届く。今回のはニック・ポープ『Encounter in Rendlesham Forest』(2015)。いうまでもなく1980年のレンデルシャム事件を取り上げたものである。

この事件に関しては例の「ホルト文書」という公文書にも記載があり、実際に何かしら奇妙な出来事があったのは確かなのであるが、オレはというとこれについてあんまり系統だった知識は有しておらず断片的な情報を聞き知るばかりであった。そんなところにたまたまAmazonでこの本を見かけ、かつレビューの採点もなかなかヨロシかったので「じゃあこの本買ってちょっとお勉強してみようか」と思ってついついポチってしまったのである。

で、この事件というのは、要するに英国に駐留している米国の軍人たちが基地から哨戒に出たところでUFOとの遭遇体験をしたという話であるワケだが、本書はその最初の目撃者にして当事者であるところのジム・ペニストンとジョン・バロウズの両名が共著者という体裁になっている。要するに両人の協力を得てできた書籍と思われ、それだけでもなかなかに価値のある一冊になっているのではないかと思うのである。

ちなみにジム・ペニストンというと、彼はUFOとの接触にさいして或る種のメッセージと思われる「バイナリー・コード」を誰かさんから脳内に送り込まれた――みたいな非常に胡散臭くてかつ素晴らしい証言をしており、そのあたりの話をこの本がどう料理しているのかも楽しみだ。

もひとつ言っておくと、この事件についてUFOの目撃証言を最初に語り出した人物としてラリー・ウォーレンという男がいるのだが、コイツはペニストンとバロウズの話には出てこない人物で、つまりどういう流れでコイツが現場にいたテイで証言をしてるのかオレには長年疑問であった。それでさっきウォーレンの出てくるページを索引で調べてペラペラめくってみたのだが、そこにはこのウォーレンは伝聞だか何だか知らんが適当なことをしゃべってるヤカラではないのかみたいなことがチラチラ書いてあった。要するにレンデルシャム事件におけるウォーレンの話は適当に聞いてればヨロシイということなのだろう。ひとつ利口になった。

閑話休題。それはそれとしていつも思うことだが、「何でこの本を買ったか」みたいな話ばっかりして肝心の本を全然読んでいないというのは内心忸怩たるモノがある。が、そこは許せ。いつか読める日が来るのかどうか。それは神のみぞ知る。GOD KNOWS.

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「読めもしないのについつい買ってしまったUFO洋書シリーズ」(笑)がまた一冊届く。

今回のは『Saucers, Spooks and Kooks: UFO Disinformation in the Age of Aquarius』(2021)。直訳すると「円盤とスパイと変人と―水瓶座の時代におけるニセUFO情報」といったところか(ちなみにSpookという言葉には「諜報員」のほかに「怖い話」という意味もあるようなので本当はそっちかもしらん)。

著者のアダム・ゴライトリーという人はUFOのようなフリンジ・カルチャーに詳しい物書きのようであるが、本当のところはよくわかりません。ただ、本日時点でAmazonレビューをみてみると評点は4.4ということでなかなか評判は宜しいようだ。

そのレビューなどをザッとみる限りではこの本、例のポール・ベネウィッツの悲劇なども含めて米当局はどうやらUFOにまつわる怪情報を意図的にギョーカイに流して事態を混乱させてるんではないか――みたいな疑惑を追及しているものであるらしい。

これはX(旧Twitter)のほうにもちょっと書いたことであるが、要するにジャック・ヴァレ『Messengers of Deception』(1979)だとか、リチャード・ドーティ周りの怪しい動きを追ったマーク・ピルキントン『Mirage Men』(2010)とかの系譜に連なる本ということになるのだろう。実際にはその『Mirage Men』も全然読まンで放置している実態というものもあり、こっちに行き着くのはいつになるか――というか生きてるウチに読めるのかもわからんのだが(笑)まぁソコはなんとかしたい。

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アメリカの科学ジャーナリスト、Sarah Scolesの『They Are Already Here: UFO Culture and Why We See Saucers』(2021)が届く。

ジャーナリストのUFO本というと例のロス・コーサートなんかもそうだが「ミイラ取りがミイラになる」問題がしばしば起きるので、ここらでイッパツ解毒剤の服用でもせんといかんのではないか――といった感じで買うてみた。

取りあえず最初の方をちょっとめくってみたが、彼女、例の2017年12月の「アメリカ政府はUFO調査やっとるやん」というニューヨーク・タイムズのスクープが一つの契機になって「コリャちょいとマジメにUFO問題考えないとダメやろ」ということでこの仕事を始めたらしい。

こないだ読んだコーサート『UFO vs. 調査報道ジャーナリスト: 彼らは何を隠しているのか』が「墜落UFOだとか必ずしもガセとは言えんぞぉぃ」のベクトルが濃厚なポジとすればコレはネガサイドからの探究ということになるのでないか。まぁ、例によって途中で放り出してしまってなかなか読めないという展開は容易に予想されるのではあるが(笑)。

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在野のUFO民俗研究家として知られる小山田浩史先生がこのほどX(旧Twitter)のスペースにて『マゴニアへのパスポート』を読むと題した連続講義を始められた。

昨日26日夜にはその一回目の講義が行われ、第一章の途中までの話が紹介されたのであるが、「UFOといえば宇宙人」という幼稚っぽい通念を否定し続けてきたが故に日本のユーフォロジーでは異端者扱いされてきたヴァレの初期の仕事を振り返ろうという点において実に意義ある試みである。いちおう小生の出した私家版翻訳をベースに議論を進めていただいているようでもあり、これまた実に喜ばしい。

ちなみに昨晩は、「同書冒頭にヴァレが紹介しているパレンケの石棺だとか遮光器土偶の話はよくよく考えると『UFOに類する現象を人間は太古から目撃し続けてきた』というヴァレの主張とはいまひとつ噛み合っていないのではないか。このくだりは要らんかったもしらんネ。面白い議論が始まるのはむしろ第二章以降なんよ」と的確な指摘をされておられた。

まぁヴァレというのは小説も書いているぐらいなので「ツカミで何か読者の興味引きそうな話をかまさんとアカンやろ」的な発想でパレンケや土偶の話を仕込んだのだろう。じっさい原著にはパレンケの石棺の写真なんかも図版として載せており、まぁコレはオレの私家版翻訳本では著作権的にマズいかもしらんので割愛をしたのだが(ちなみにこの私家版では著作権的に問題があるかもしれない図版は全て掲載を見送った。残念だが仕方がない)ともかくヘンなところはヘン、オカシイものはオカシイという小山田先生の姿勢には見習うべきものがある。

初回の講義は約30分程度でレコーディングもされているので聴くことができる。さらに今後も不定期ながら講義は続けていかれるようであるから、ヴァレに関心のある諸兄は小山田先生のアカウントに要注目である。



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1945年8月に米ニューメキシコ州サンアントニオではUFOの墜落回収事件が起きていた――とするジャック・ヴァレの著書『Trinity』については、これまで当ブログでも再三論じてきたところである。

要するにこれはHOAXであって、老境に入ったヴァレが焦りのあまりガセネタに飛びついてしまった事例ではなかったかとオレなどは考えているワケだが、この『Trinity』批判の急先鋒である米国のダグラス・ディーン・ジョンソンのサイトから「新しい記事書いたよ」というメールが来たので久々にそのサイトを覗きに行ってみた。

ここで記されているのは最近の『Trinity』をめぐる動きである。

たとえばであるが、今回の記事によればヴァレは散発的にジョンソンの批判に対する弁明をサイト上などに発表しているのだが、部分的に「あぁ確かにそこは目撃者の勘違いだったかもしれないネ」といったことも言い始めているという。要するに若干譲歩する構えはある。しかし、それでもヴァレは「事件そのものは確かにあった」という一線は死守するつもりらしい。おいおい、もう諦めなさいよと言わんばかりにジョンソンはこの記事でも改めて疑惑のポイントを蒸し返している(その詳細は過去のエントリーで触れているのでココでは繰り返さない)。

ちなみに共著者のパオラ・ハリスは第3版にあたる『Trinity』の改訂版を近々出すと言っているようで、そこではジョンソンの批判に対するリアクションも盛り込まれるものと思われる。それからついでに言っておくと、パオラ・ハリスはこの事件の映画化プロジェクトがウォルト・ディズニーとの間で進んでいるなどと実にアヤシイことも口走っている。この『Trinity』問題、これからどうなっていくのか。ヴァレはどうするつもりなのか。今後も生温かい目で推移を見守っていきたい。

なお、最後にこの記事に掲載されていた図表を以下に添付しておこう。目撃者のレミー・バカ(故人)という人物は、事件が新聞記事とかで公になる前に「実はオレ、UFO墜落事件の目撃者なんスよね」とかいってUFO研究者に話を売り込みにいったことがあるのだが、その内容というのはのちのち語り出した事件のストーリーとは相当違っていた。この一事だけでも証言の信憑性が怪しまれるワケであるが、この図表はその相違点を並べてみたものである。心証としては「コリャ全然駄目だろ」という感じデアル。

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世界的ユーフォロジスト、ジャック・ヴァレの著作『マゴニアへのパスポート』の私家版翻訳本は不肖ワタクシ花田英次郞が2016年以来定期的に販売をしてきたところですが、このたび新装版を増刷しましたので通販を再開したいと思います。
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ちなみにこれはどういう本かといいますと、前半分はヴァレによるUFO論、後ろ半分は1868年から1968年にいたる世界各地のUFO事案923件を簡単に紹介した事例集という構成になっておりまして彼のUFO論パートは実はそんなに長くはないのですが、そこで展開されている議論がどういうものであったかについてはこの私家版の末尾につけた「訳者あとがき」を以下に貼り付けておきますので参考にして頂ければ幸いです。


訳者あとがき

 

 本書はJaque ValleePassport to Magonia」(初版1969年刊)の翻訳である。なお、本文中の地名・人名表記は必ずしも現地語に即した正確なものではないことに留意されたい(とりわけフランス語人名・地名は要注意)。訳者の能力を超える理解困難な個所についても論旨をつなぐべく強引な訳出を試みているため、誤訳が多々あると思われるが、この点もご寛恕願いたい。

 さて本書『マゴニアへのパスポート』だが、UFOに関心のある者であれば、一度は耳にしたことのある書物といえるのではないか。1947624日、米国で起きたケネス・アーノルド事件以降、UFO研究の本場はまずもって米国であり、そこでは、多くの研究者の関心は「UFO=地球外生命体(ET)による宇宙船」説が正しいか否か、いわゆる「ボルト・アンド・ナット」セオリーの是非にあった。だが、この説には幾多の難点があった。「彼ら」はなぜ地球を訪れているのか。なぜ然るべき組織・人々とコンタクトを取らないのか。なぜ彼らは訪問のあかしとなる物的な証拠を残していかないのか――そんな根本的な疑念にこたえるべく、UFOシーンに新たな視座を導入したのがヴァレによる本書であった。

 そもそも「空に現れる不思議な物体」の目撃は、20世紀になって初めて起こり始めた出来事ではない。さらにいえば、未知の飛行体と不思議な生き物が同時に出現するような事件も、古くからしばしば報告されてきた。よく考えてみれば、ケルトをはじめとする各地の妖精譚なども、UFO(ならびにその搭乗者)の出現事例と同一のパターンに沿ったストーリーのようにみえる。その出現のメカニズムはなお明らかではないにせよ、UFO現象は、その時々の人々のありように応じて記述されてきた一連の出来事と同根のものだ――本書におけるヴァレの問題意識は、おおむねそのように要約できるだろう。

 もとより「物理的現象」としてUFO現象は解明できると考える「ボルト・アンド・ナット」派にとってみれば不愉快な議論であったに違いない。とかく怪しげなものと見下されがちなUFO研究を「科学・物理現象」の土俵に上げ、何とか市民権を獲得したい――そう考えた人々の立場もわかるし、彼らにしてみればUFOをある意味、心霊現象とも相通じるものとして考察するような主張は、自らの足を引っ張るものとしか感じられなかっただろう。実際、当時の研究者たちの間には相当な反発があったことは、ヴァレ自身も再三記している。

 だが、本書で紹介される悪夢のような数々の事例を見れば、この現象の背後には、単なるET仮説には収まらない奇っ怪な世界がポッカリ穴を開けていることに気づかざるを得ない。一種の怪異譚の系譜にUFOを位置づける、こうした「ニュー・ウェーブ」的アプローチが今日どれほどの影響力を保っているのか、残念ながら小生に語る資格はないが、他にも同様のまなざしを宿した魅惑的な著作――たとえばそれは近年物故したジョン・キールの作品であり、本邦における稲生平太郎『何かが空を飛んでいる』――があることを我々は知っている。

 個々の記述をみていけば首をかしげざるを得ない点もある。たとえば本書には日本に関係する記述が何か所かあるが、その多くは詳細な地名・固有名などを欠き、報告の信憑性に疑念を抱かせる。その中で相対的に具体的な記述があるのは1956126日に静岡県島田市で起きたという搭乗者の目撃事例(事例458)であるが、これとても実際には気球が誤認されたもので、情報が錯綜するなかで「搭乗者が目撃された」という虚偽情報が混入したものと思われる。さらに付言すれば、紹介された事例の中にはでっち上げとの評価が定まったものも相当数あるらしい。

 だが、古今東西の様々な神話的伝承から今日のUFO目撃談まで、すべてを同一のパースペクティブのもとに見通そうとした著者の試みは、「ボルト・アンド・ナット」説が確たる成果を挙げ得ぬまま今日に至っている現実を思えば、現に有力なもう一つの道=オータナティブであるといえるのではないか。しかもそれは、「人間とは何か」という普遍的な問いに通じるものを秘めていた。

 残念ながらUFOが人々を引きつけた時代は去りつつあるように見える。だが本書は「我々はどこから来てどこへ行くのか」という問いを、20世紀という時代に即してきわめてクリアに描き出している。では、21世紀に生きる我々はこれから空に何を見いだしていくのか――本書で展開された議論の射程は、おそらくそんなところにまで及んでいる。 

                              花田 英次郎


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1冊1800円(送料込み。銀行振込の前払いのみ)。A5判・392ページ。カバーなしの簡単な作りです。誤訳等あったらごめんなさい(と予め謝る)。

こちらに申し込みページへのリンクを貼っておきますので通販ご希望のかたはリンク先のメールフォームにご記入のうえ、お申し込みください。




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日本維新の会に浅川義治という代議士がいる。

その素性とかはよく知らんのだが、この人物は国会でスキあらばUFOUAPにまつわる質問をすることで有名なのだった。

 それでオレは今回国会の会議録検索システムをのぞいてみたのだが、各種委員会に出るたび彼はまるで義務であるかのようにしてUFOの話をするのだった。たとえば2022427日の衆議院内閣委員会では「いじめ」についての質問をしているのだが、その中で「自分は過去の委員会審議でUFOについての質問をしたことがあったがこれについては批判的な意見がすいぶんあった、こういう感覚を持っている人がいじめられるんだなと私は身をもって分かっている。そこでいじめに絡む次の質問をするのだが――」などと相当にムリヤリな文脈でUFOを前振りに使ったのだった。

 ちなみにこの議事録読んでてちょっと面白かったのは、この2022年4月27日の内閣委委員会では浅川氏に続いて同じく日本維新の会の足立康史氏が質問に立ったのだが、足立センパイはこの場でけっこう辛辣なことを語っている。 



浅川議員が当選してくるまでは、党内で、私がちょっと変わった人だと言われていましたが、彼が来ると、私が普通の人のグループに入りまして……(発言する者あり)いやいや、普通の人のグループに入っていまして。それから、どんな質問でもしていいんですが、さすがに、この内閣委員会で官房長官をお呼びしてUFOの質問をしたときは、もうやめてくれ、こう申し上げたことは付言しておきたいと思います。

 

なんだかずいぶん浅川氏に冷たいのである。要するに「そんな質問すなや!」という意味のことを言っているに等しい。浅川氏、立つ瀬無し(笑)。

  しかし彼はこりないのだった。

 2023119日の衆議院安全保障委員会で、彼は912日にメキシコ下院議院であったUAP公聴会にはるばる出席してきたという話を語っている。要するに世界はいまUFOUAPに注目しておるのであって日本もちゃんと調査せねばなるまいという文脈での話なのだが、その公聴会にはオンラインの参加者としてアヴィ・ローヴやライアン・グレイブスといったUFOシーンにおける著名人も来ていたんだぞと懸命にアピールしている(もっともこの公聴会では極度に怪しいUFO研究家として知られるハイメ・マウサンが登場し、宇宙人の遺体と称するものを持ち出して全世界の失笑を買った話には流石に触れていないw)。

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 メキシコ議会に持ち出されたエイリアンの「遺体」(イタイ) 


いや~コリャ変わり種の議員サンだわという話である。だが、冷静に議事録読んでみると彼自身はそんなにハチャメチャな話をしているわけでもないのだった。この安全保障委員会では、たとえばこんなことを言っている。 



私が言っているのは宇宙人が乗ってきている円盤の話じゃなくて、国防上、もしかしたら脅威になるかもしれない、自然現象であるかもしれないし、未知の兵器かもしれない、そういったものの存在を前提、前提というか、脅威あるいは何らかの対応として見ているかどうか、対象として見ているかということを私は論じているので、宇宙人のUFOとかという前提ではないんですね。

 

 これ自体はなかなか真っ当な言い分であるのだがUFO熱というものが極度に冷え切った日本において、いくら安全保障みたいな観点から「UFO大事だから」とかいってもなかなか風は吹かない。世間的にはUFOについて質問しとるヒマがあったら国民の暮らしなんとかせんかいという話にならざるを得ない。

 さらにいえば、日本維新の会というのは風任せの選挙互助会みたいな部分がおおいにあるので、厳しいことを言わせてもらえばこの人物もそうそう長いこと国会にいられるとは思えない。じっさい、彼は前回衆議院の小選挙区(神奈川1区)で選挙に出たのだが大敗し、重複立候補していた比例南関東ブロックのドンケツでかろうじて復活当選した人物であるらしい(ソースはWikipedia)。

 なんだか徒花感が漂うのだが、まぁかつてはアントニオ猪木なんかが国会でしばしばUFOに関する質問をしていたこともある。UFO議員の系譜をたどるというか、令和の国会の知られざる一断面として「こういう人もいたんだ」ということを語り継いでいくことにも如何ほどか意味があるのではないだろうか…………いや、そうでもないか(笑)。


★オマケ
なおその後、この浅川議員のインスタでこんな写真をハッケンしたのだった。要するに「宇宙人は地球に来ている」とかイイカゲンなことばっかり吹いている自称UFO研究家の竹本良氏=写真右=とのツーショットなのだが、マジメにUFO問題を考えようというのならこんな人とつるんでたらダメだろう。この時点で信頼度はマイナス1800ポイントである。
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もはや日本の秋の風物詩といっても過言ではない超常同人誌「UFO手帖」刊行の時期が今年もやってきた。これまた恒例ではあるが11月11日に開催された文学フリマ東京では早速に頒布が行われたところであり、さらには近々通販も始まるという話になっているようだ。

小生は今号にも少しばかり原稿を載せてもらった利害関係者であるわけだが、それだけにこの「UFO手帖8.0」はゼヒ多くの人に読んでいただきたいのである。というわけで今回は、この新刊の内容を簡単に紹介してみたい。

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今号の特集というのは題して「UFO DIG-UP!」。直訳すれば「UFOの掘り起こしだよっ!」といったところか。その狙いは冒頭部に書いてある。

「UFO手帖」というのは2005年創刊の「Spファイル」の後継誌であるわけだが、この「Spファイル」のキャッチフレーズは「オカルトをほじくれ!」であった。要するに彼らの原点は「ヘンテコな事件や人物や書籍や作品をほじくりかえすこと」。であれば、これまでの「UFO手帖」ではイロイロひねった特集もやってきたけれども、ココは初心に返ってあんまり知られてない事件・忘れられつつある事件を「さあどうだっ!」とズラリ広げてお披露目してやろうじゃないの。本号というのはおおよそそういうノリで作られている。

さて、特集のしょっぱなで紹介されている「サンダウン事件」というのがまさにこの「さあどうだっ!」事例の典型である。ひと言でいえばコレは、英国で1973年5月、子供二人がピエロみたいな怪人物に遭遇したという奇譚なのだったが、ソイツの風体は一見「オズの魔法使い」の「ブリキの木こり」みたいなソレで(ただしコイツは金属製のロボットではなかったようだ)、自分が住んでいるらしい小屋に子供たちを招いて何だかよく分からない禅問答みたいなやりとりを交わしたりした。


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ちなみにこの小屋は金属製で「着陸したUFO」みたいに見えないこともないので「サンダウン事件」はいちおうUFO関連事象とされているのだけれども、別にこの小屋が空中に浮かんだワケでもない。なのでたとえば妖精譚といってもさほど違和感はないだろう。最近であれば変質者出没情報にもなりかねない。それぐらい既成概念のワクをはみ出している。ワケわからん。そしてワケわからんからこそ面白いでしょう。そういう話になっている。



本特集には以下、こういうヘンな事件が目白押しである。「日本昔ばなし」の如き不思議な味わいを漂わせる「伊豆事件」(1979年)。ナゾのエンバンが貨物列車を50キロ以上牽引した――というか昨今のエネルギー問題を考えると「牽引してくれた」といいたくなるw――「ソビエト列車番号1702事件」(1985年)。UFOに殺されたりエイリアンとSEXしたりというエログロ趣味の読者諸兄が大好きなエピソード集もある。

で、こういうのを続けざまに読んでいると、「UFO現象というのはなんてバカバカしいのだろう」と思わざるを得ない。だがこのバカバカしいというコトバ、実はちょっと高尚に「不条理」と言い換えることも可能なのであって、実際にジャック・ヴァレはUFO現象の本質をこの「不条理性」に求めていたりする。すると何だか違う世界が見えてくる。この不条理というのは、ヘンテコなUFO体験を懲りもせず証言し続けてきた人間存在の不可解さともどこかでつながっているんではないか。凄いことなんじゃないかこれは。

――とまぁヘリクツを並べてしまったがそんな話はともかく、ここで一つ確実に言えることがあるとすれば、原点に回帰した今号の特集はなかなかに新鮮であるということだろう。ということは、来年以降はここからまた何か新しい展開があるのではないか。今号の特集はそんな余韻を漂わせている。

さて、ずいぶん長くなってしまったので特集以外の記事については簡単に。

「UFOと音楽」「UFOと映画」「シリーズ超常読本へのいざない」といった連載モノは相変わらず好調である。とりわけ小生の琴線に触れたものを挙げておくと、西尾拓也のマンガ作品「むー」を論評した「UFOと漫画」は出色であった。細かい内容には触れないが、「ここではないどこか」を希求する少年少女の心性とUFOはどこかで繋がっているのではないか、そうした世界を断念することで人はオトナになっていくのではないか――といった深いことがココでは語られている。

「冷戦下における中国・ソ連の日本向け雑誌から」というタイトルの「古書探訪」の論考も興味深かった。資本主義と合体した近代主義モダニズムとUFOとの間には密接な関係アリというのが小生の持論であるが、冷戦末期に至ってUFOをめぐる言説が中ソで浮上したという指摘にはなかなか考えさせるものがあった。そうそう、それから雑誌に載ったUFO記事を網羅する「新編・日本初期UFO雑誌総目録稿」は1968-70年に突入。地味だけど後世に残るのはこういう仕事のような気がする。

連載以外の単発モノもそれぞれに面白くて、例えば科学雑誌とオカルト雑誌の間を振り子のように揺れた雑誌「UTAN」の数奇な運命をたどったエッセイには世代的に懐かしさを覚えた。


あ、そうだ、それで最後に一つ言っておきたいことがあった。「UFO手帖」はこのところ気鋭の新たな書き手をいろんなところからスカウトしてきて誌面が活性化してきたのであるが、今号でもザクレスホビーさん、夜桜UFOさんといった方たちがデビューを飾っている。

コレは今号の「寄稿者紹介」の小生のスペースに書いたことでもあるのだが、「UFO手帖8.0」の成否について易を立ててみたところ、火風鼎の初六を得た。平たくいえば「器の中のものをいったん全部外に出して新しいものを入れると調和が取れてさらに発展する」ぐらいの意味である。初心に返り、かつ新しい書き手も迎え入れた「UFO手帖」の今後はますます明るい……ハズである。(おわり)



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こないだKickstarterで求めたUfology Tarotから一枚。ここに登場しているのが誰であるかお分かりであればなかなかのUFO通と言えよう(なお後ろに写っているのはオーブではなく街灯であるw)。


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というわけでジャック・ヴァレの『Trinity』はどうも彼にとっての黒歴史になってしまったという話を延々書いてきたわけであるが、前にちょっと書いたようにこの本はこのほど『核とUFOと異星人』(ヒカルランド)というタイトルで翻訳本が出たばかりである。税込み6600円というバカ高い本なのでそんなに買う人が多いとは思えんが、彼のUFO本(限る単著)のうち商業出版で翻訳されたのは実質単著と思われるこの本を含めてたった2作であり(余談ながら、この『核とUFOと異星人』には原著にない訳者の文章(?)がだいぶん加筆されていたり翻訳にかなりの問題点も見受けられたりもするのでヴァレの言説を精密に読みたい方は原著と照らし合わせながら読まれるのが良いと思う)それだけに『核とUFOと異星人』という本を読んで「あぁヴァレってこういう人だったのか!」と思われるととても悲しいし、一方では最近また「マゴパス再版しないのですか?」というコメントなども頂戴したこともあるので、ヴァレの本当にクリエイティブなところが存分に発揮されたのは『マゴニアへのパスポート』(と『見えない大学』あたり)だと考えているオレとしては、蟷螂の斧ではないけれどもオレが以前刷ったこの本の個人訳をまた増刷してみようかなと考えているのだった。

年内になるか来年になってしまうか、そのへんはちょっと分からんけれども、マゴパス増刷についてはまた具体的なことが決まったらこのブログ等で告知したいと思うのでご希望の方は今しばらくお待ちください。m(_ _)m   →関連情報





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ジャック・ヴァレよ、どこにいく…

結論的なことを言ってしまうと、ヴァレは今回、タチの良くない人たちの言うことを真に受けて非常に恥ずかしい本を出してしまったのではないかと思う。

Trinity』を最初に読んだ時、オレは「老境に入ったヴァレは残された時間は少ないという焦りからついつい判断を誤ってしまったのではないか」という風に考えた。ただ、ジョンソンの火を噴くような入魂のレポートに目を通した今となってみると、その錯誤というのはちょっとしたミスでは収まらないレベルのものではなかったのかと感じている。

そもそも『Trinity』の副題は「The Best-Kept Secret」、つまり「実によく隠されてきた秘密」というのだが、この時点で話はねじれている。このストーリーというのは、端的にいえば証言をしてくれそうな関係者が軒並み死んじまってから「実はこんな事件がありました」とか言い出す人が出てきたというだけの話なのだ。ハッキリいえば別に「隠されていた」とかそういうものではないのである。

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       ジャック・ヴァレ

いや、実際のところこれをディベートだと考えれば圧倒的に優勢なのはジョンソンのほうである。であれば、ジョンソンの説得力のある批判に対して、ヴァレは「そう言われれば根拠薄弱なのは否めない。反省すべき点が多いのは認める。言い過ぎた」とでも言うしかないと思うのである。ところがヴァレは「事件は本当にあった」というスタンスからジョンソンに対して反論をしている。しかもそれは本質的な部分で反論のテイをなしていないようである。

ジョンソンのレポートには、この一件に関する著名なUFO研究家のコメントなども紹介されているのだが、たとえばドナルド・シュミットの述べている言葉は、悲しいことに核心をズバリ衝いていると思う――曰く、「この事件は100%でっち上げだ」


ここでオレは、ジャック・ヴァレの著書『Revelations』(1991年刊。『人はなぜエイリアン神話を求めるのか』のタイトルで邦訳あり)に出てくる或るエピソードを思い出す。米国のUFO&オカルト業界界隈では1950年代以降、インチキくさいネタを関係者に売り込んで回るカルロス・アレンデという人物が暗躍していた。アレンデは、戦時中に行われたという「フィラデルフィア実験」のストーリー――要するに1943年に米海軍が磁力を用いた或る種の軍事実験をしていたところ、駆逐艦が360キロ先にテレポートしてしまったという駄法螺だ――を吹聴しまくったことで有名な怪人物であるが、1960年代になって、この人物はヴァレに手紙を送ってきた。細かいことを全部端折っていうと、アレンデはUFO絡みの重要情報が書き込まれた(という触れ込みの)書物を持っていると称し、「これ買わんか?」と言ってきたのである。二人の間では手紙のやりとりがしばらく続いたというのだが、さて、ヴァレはどうしたか? そう、コイツ香具師やろと見抜き、「そんなん要らんわ」といって追い返したのである。


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   カルロス・アレンデ

UFO業界というのはかくも怪しげな連中が徘徊する世界であるわけだが、ジャック・ヴァレは『Messengers of Deception』(1979年刊)でも奇っ怪なUFO理論を唱える人々、陰謀論を説く連中などを一刀両断していた。要するに百鬼夜行のUFOシーンにあって懐疑的な精神を失わず、真贋を見抜く目をもつ研究家として彼は一目置かれていたのである。

そんなヴァレがなぜこんな粗雑な主張を信じるようになってしまったのか。「騏驎も老いては駑馬に劣る」といった言葉で済ませてしまえば話は簡単ではあるが、オレはこの事態をなかなか呑み込むことができないでいる。そして哀しい。

願わくは――これからでも遅くない――ヴァレには自らを懐疑する姿勢を取り戻してほしいと思う。と同時にUFOファンとしては肝に銘じたい。UFOが分かったと思った瞬間、人は間違えてしまうということを。

――幻のサンアントニオ事件からちょうど78年目の8月16日記す     (おわり)


【追記】
なお、この件に関連しては『Trinity』の翻訳書『核とUFOと異星人』についてもイロイロと思うところがあったのでX(旧Twitterですかw)にイロイロ書き込んだ。一連の書き込みをツイログにまとめているのでいちおうリンクを貼っておこう

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パオラ・ハリスってどうよ?

 ここまではジョンソンの指摘を踏まえつつ『Trinity』にまつわる様々な問題点をみてきた。その中でオレが一つ思ったのは、ヴァレを自らの調査に引き込んだパオラ・ハリスという自称ジャーナリストは、何だかとても危なっかしい人物なのではないかということであった。
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  パオラ・ハリス


 本書を読むと、ヴァレは至る所でハリスのことをえらく褒めている。ハリスは母国イタリアの
UFO事件についてアレン・ハイネックに情報提供をしていたんだとか、あるいは米国の軍人上がりのフィリップ・コーソーが書いたUFO本のイタリア語訳を出したんだとか、まぁ実績があって信頼できるユーフォロジストなんだということを再三強調しているのである。

しかし、『Trinity』でも再三引用されているハリスのバカやパディージャに対するインタビューを見てみると何だか要領を得ないやりとりが多いし、誘導尋問的な質問も目立つ。このサンアントニオ事件のストーリーというのは、実際にはハリスの手助けを得て作り上げられたものではないかという気さえしてくるのだ。

にも関わらずヴァレがハリスを高く評価しているというのは、要するに「サンアントニオ事件は本当に起きたものだ」と主張するためにはハリスのインタビュー記録を肯定し、依拠するしかなかったからなのではないか(実際、ヴァレがこの事件に取り組み始めた時点でバカは死去していたので、バカの言い分についてはハリスのインタビューを鵜呑みにするしかなかったのである)。

 はてさて、このハリスという研究家は本当に信頼していいのだろうかと思うのだが、実はこの点についてもジョンソンは鋭く切り込んでいる。彼は、この『Trinity』が刊行されるまで彼女のことは全く眼中になかったらしいが、改めて調べてみたところ、彼女は怪しいUFO写真で名高いコンタクティー、ビリー・マイヤーを支持するなど、業界では「何でも信じこんでしまう」人物とみなされていたことを知る。

 実際、ハリスは有名な調査団体MUFONの機関誌、UFOジャーナルの2016年6月号にサンアントニオ事件についてのレポートを執筆しているのだが、ジョンソンによれば、当時のMUFON内部では「こりゃガセネタじゃねーのか? いいのかよ」みたいなことをいいだす人も出てきて、結構な問題になったらしい(ついでに言っておくと、このMUFONジャーナルの記事では事件の発生日は「8月16日」ではなく「8月18日」となっている。つまり「公式ストーリー」と日付が違う!)。

ちなみにジョンソンは、「ヴァレがハリスと組んだことが2021年に明らかになると、その事実は、程度の差こそあったものの多くの篤実なUFO研究家に驚愕をもって受け止められた」とも書いている。さもありなむ。
 


で、ここで若干脱線させていただきたいのだが、「なんでヴァレはこんなの信用しちゃってるの?」という文脈で――これは直接サンアントニオ事件にかかわる話ではないけれども――ジョンソンは一つのエピソードを紹介している。

Trinity』の中には、サンアントニオ事件の現場近くで起きたソコロ事件(1964年)に論及したパートがあるのだが、ここでヴァレは、ソコロ事件を調べたレイ・スタンフォードの『Socorro 'Saucer' in a Pentagon Pantry』(1976年刊)という本を激賞している。

ちなみにレイ・スタンフォードというのは若い頃、宇宙人とのチャネリング、つまり「宇宙イタコ」をやってた人物なのだが、この「宇宙イタコ」で「地球に近々大変動が起きる!」というメッセージを受けたので、兄弟と一緒に本を書いた。これが実は日本とも関係大ありで、日本のUFO団体、CBA(宇宙友好協会)がこの本を鵜呑みにし、1960年に「リンゴ送れ、シー」事件というけったいな事件を起こしてしまったのは有名な話である。まぁこれはまた別の話なので興味のある方は自分で調べて頂きたいのだが、ともかくこのスタンフォードは「宇宙イタコ」のあともUFO研究は続け、ソコロ事件の本なども書いていたのである。

閑話休題。話を戻すと、『Trinity』では「ソコロ事件の現場からはナゾの金属粒子が見つかったンだが、その事実は当局によって揉み消された」というスタンフォードの主張が肯定的に紹介されている。だがジョンソンに言わせれば、これはとんでもないことであるらしい。彼は「その主張はUFO研究家のリチャード・ホールにデバンクされたやろ! 何いっとんのや!」と言って激しく怒っている。オレはこの件については全く知識がないのでどっちの主張に分があるのかよく分からんのだが、ともかく彼は「スタンフォードみたいなヤツ信用しちゃアカンでしょ」といってヴァレに意見している。偏見かもしらんが、オレも元「宇宙イタコ」の人は警戒したくなる。

 さて、そういう目で『Trinity』を読んでみると、確かにこの本のヴァレは総じて危なっかしい。例えば、本書には「UFOが現場に何かしらの物体を落としていった事例」として1987年の「オーロラ事件」や1947年の「モーリー島事件」が出てくるのだが、一般的にこの辺の事件はUFO業界でもHOAX(デッチ上げ)の可能性が高いとされている。


確かに『Trinity』でのヴァレは、あまりに人を信用しすぎている。(つづく

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第三の目撃者?

 「サンアントニオ事件」の目撃者は、ホセ・パディージャとレミー・バカの二人しかいない。いや、正確にはアボガド形の墜落物体を目撃し、その内部に入った(とされる)パディージャの父親、警官のアポダカもいるのだが、二人とも既に亡くなっている以上、もはや証言を得ることはかなわない。となると、明確な物証もない以上、この事件が本当にあったかどうかはパディージャ、バカの証言次第ということになってしまう。どうしたって信憑性は弱い。これを補強するにはどうすれば良いか。突破口は一つある。残骸の回収・移送作業に関わった(とされる)軍関係者の証言をゲットすれば良いのだ。

 ――といった思考回路をたどったのかどうかは知らんが、『Trinity』の中にも、軍関係者にまつわるエピソードは若干出てくる。

 まずはバカの証言なのだが、彼は「墜落物体の回収作業に携わった兵士の中には、のちにホセ・パディージャのイトコと結婚した人物がいた」と言っている。バカによれば、この兵士は自らの体験をホセの父親には話していたのではないかと言っている。だが残念でした、例によってこの兵士はもう死んでいるそうだ。またしても死人に口なし、である(念のため言っておくと、ジョンソンのレポートはこの点については特段追及をしていない。どうせウソだろ、ということか)。

  しかし、ヴァレとハリスはこんなことにはめげないのである。サンアントニオ事件については、実は「軍人だったオレのオヤジは当時この墜落事件に関わった」と言い張っているウィリアム・P・ブロフィなる人物がいて、『Trinity』ではこの人物の証言が肯定的に取り上げられているのだった。

    【注】オレのもっている『Trinity』初版を見ると、この人物はブロシィ(Brothy)という名前で出てくるのだが、ジョンソンはブロフィ(Brophy)と書いている。どういうことかと思ってググってみると、どうやらジョンソンのいう「ブロフィ」の方が正しいようなのである。この辺からして、『Trinity』は校閲すらロクにしていないずいぶん杜撰な本であることが分かってしまうのであるが、ともかく彼の名前は「ブロフィ」である、ということで先に進みたい。

brophy
 ウィリアム・P・ブロフィ

 
それではこのブロフィはどんなことを言っているかという話になるわけだが、『Trinity』初版においては、その証言というのは本文ではなくそのほとんどが脚注の中で紹介されていてスコブルあっさりした扱いを受けているのだが、そのあらましは以下の通りである。

  ブロフィの父親はウィリアム・J・ブロフィ(1923-1986)という名前で、終戦時にはニューメキシコ州アラモゴードの第231陸軍航空隊に配属されていた軍人であった(注:つまりこの親子はいずれも「ウィリアム・ブロフィ」という名前で何ともまぎらわしいのだが、とりあえず以下では単に「ブロフィ」といった場合は息子のほうを指すことにしたい)。

  さて、ブロフィがこのオヤジから生前聞いたところによれば、1945年8月15日頃、訓練飛行でたまたま現場付近を飛んでいた軍用機から「地上に何やら煙が上がっている」との報告が本部にあり、これを受けて上官から命令を受けたオヤジは現場に急行。彼は墜落した物体を発見するとともに現場処理にあたった――というのである(ちなみに彼は現場近くに「インディアンの少年」2人がいるのもみかけた、という話になっている)。

  これが本当であれば有力な傍証ということになるのかもしれない。ところが、ジョンソンによればこのブロフィという男、実は相当な食わせもので、全く信用ならない人物であるらしい。どういうことかというと、彼はもともとUFOマニアで、以前からクソ怪しいUFO話をひろめていた経歴があったというのである。

  具体的にいえばこのブロフィ、2003年に「父親が軍人として関わったUFOの墜落・回収事件について報告する」というテイで、世界的に有名なUFO雑誌「フライング・ソーサー・レビュー」に投書を都合3通送り、それらは同年春号から3号連続で同誌に相次いで掲載されている。そこで彼が報告した事例というのは二つあり、ひとつは1947年7月3~4日にニューメキシコ州のマクドナルド牧場で、もうひとつは1950年12月5~6日にメキシコで起きた(という触れ込みの)事件であった。だが、何とも不思議なことに、その投書のいずれにも、父親から聞いていたのなら当然書いていたはずの1945年8月のサンアントニオ事件への論及は一切なかった

 要するに、2003年に「マウンテンメール」紙が事件を報道し、さらにはライアン・ウッズやティモシー・グッドが著作で事件を取り上げた後になって、つまり事件のアウトラインが世間に知られるようになってから、ブロフィは突然サンアントニオ事件と父親の関係を語り出したということになる。

その辺の経緯を振り返ってみると、当ブログのTrinity』批判を読む02でも触れたように、バカは2011年にサンアントニオ事件をテーマとした『Born on the Edge of Ground Zero』なる自費出版本を出したのであるが、これは実際にはパオラ・ハリスによるバカたちへのインタビューが大きな比重を占めており、つまりは広報担当の(?)ハリスがプロモーター役として仕掛けた本だったと思われるのであるが、ブロフィはこの本にいきなり登場、ハリスのインタビューに応えるかたちで父親のサンアントニオでのUFO回収譚を語り始めたのであった。想像するにブロフィは、サンアントニオ事件のウワサを聞き、かつパオラ・ハリスが熱心にこの事件の調査をしているという話を耳にした時点で、「オレ、情報もってるぜ」といってハリスに接触してきたのではないか。

ちなみにジョンソンは、念の入ったことにブロフィの弟にも取材をかけている。それによるとブロフィ・シニアが軍人時代にUFOと遭遇する体験をし、息子たちにその話をしていたこと自体はどうやら本当だったようなのだが、弟は「兄は盛る人なので……」みたいなことを言っていたらしい。

結局のところ、ブロフィ・シニアは本当に「第三の目撃者」だったのだろうか。ここまで紹介してきた ジョンソンの調査に拠るならば、その可能性は極めて低いと言わざるを得ない。

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  墜落物体から持ち帰った「ブラケット」を手にするホセ・パディージャ
 

【余談その1】
 前にも書いたようにオレは2022年の『Trinity』の改訂版はもっていないのだが、ジョンソンによれば、この改訂版ではブロフィ・シニアにまつわるパートはずいぶんと加筆され、しかもこの改訂版では初版で示されたストーリーからだいぶん話が改変されているらしい。
 どういうことかというと、改訂版では、ブロフィ・シニアは地上から墜落現場に向かったわけではなく飛行機上から現場を目撃した――つまり搭乗機から現場の墜落機体を目撃したのは他ならぬブロフィ・シニアであったという話になっているのだそうだ(その際、地上には「インディアンの少年2人」がいるのを目にした――というのはこのバージョンでも変わらない)。
 ではなぜそんな改変をしたのかという事になるわけだが、パディージャたちは当初、「墜落現場に行った時、周囲には誰もいなかった」と言っていたのだが、彼らはいつの間にか「上空には飛行機が飛んでいた」と証言を変えてしまった経緯があるらしい。要するに、平仄があうよう証言内容についてのすり合わせをしたというか、「つじつま合わせ」をしたのではないか――どうやらジョンソンはそんな風に考えているようだ。 

【余談その2】
 なお、ブロフィは前出の『Born on the Edge of Ground Zero』(2011年刊)掲載のインタビューでは、父親から聞いた話として「現場には身長4フィートでカマキリのような顔をした生物3体がいて、彼らはロズウェル基地に移送された」とも語っていたそうだ。ブロフィを信用するならこの重大証言についてもちゃんと考察を加えるべきだと思うが、『Trinity』ではなぜかこの部分については論及がないようである。どうせ信用するんなら全部信じてやれよとオレは思った。(つづく

 

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経歴詐称?

 これは直接サンアントニオ事件にかかわる話ではないのだが、ジョンソンによれば、目撃者二人にはともに自らの経歴に関してウソを言っている(あるいは経歴を盛っている)疑惑がある。要するに「目撃者はちゃんとした人物なので信用してよかろう」という心理的効果を狙ったのではないか、という指摘である。

【レミー・バカの場合】
 ジョンソンの調べによると、バカは1938年生まれ。1955年に16歳でワシントン州タコマに移住し、現地の高校を卒業。米海兵隊やボーイング社の整備士を経て州歳入局の仕事などもしていた(ようなことをジョンソンは書いているが裏が取れた話かどうかはよくわからない)。やがて1995年にはカリフォルニアに移って保険代理店業に転身。2002年にはワシントン州に戻り、2013年に死去した。

 さて、そんなバカの経歴についてジョンソンが問題にしているのは、彼がワシントン州に住んでいた1970年代の話である。以下はバカの主張ということになるのだが、彼はその頃、タコマのヒスパニック系コミュニティの中で一目置かれる存在になっていたことから1976年のワシントン州知事選挙で民主党から出馬したディクシー・リー・レイ(1914-94)の選挙スタッフとなる。この選挙でディクシー・リー・レイは見事当選。結果、バカは論功行賞ということなのだろう、州知事の側近を務めることになった――というのが彼の言い分である。じっさい彼は自分を「キングメーカー」とまで言っていたそうだ。

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ディクシー・リー・レイ(1914-94)。女性である

 しかしレイ知事のスタッフ幹部リストやら当時の新聞やらを調べまくったジョンソンは、選挙スタッフを務めたのは事実だけれども「幹部スタッフに近い立場にあったことなど一度もなかった」と断言している。そんな大物だったことを示唆する記録・痕跡は一切なかったというのである。

 また、この話から派生してくるエピソードが一つある。このディクシー・リー・レイには、知事就任以前に米原子力委員会(当時)で委員長をしていたキャリアがあった。バカはそれを踏まえて、「当選に尽力したことへの感謝ということで、レイから原子力委員会の極秘ファイルを見せられたことがある。そこにはなんと自分の体験したサンアントニオ事件のことが載っていた!」と主張していたのである(注:ここで「なんで原子力委員会にUFOの極秘ファイルが残ってるん?」と不審に思われる方もいるだろうが、ヴァレの考えでは、そもそも当時のUFOというのは原爆実験があったのを見て関連施設周辺に慌てて飛んできたワケで、そんな事情もあったために原子力委員会はその調査に一枚噛むことになった――ということになっているらしい)。

 要するに、たまたまディクシー・リー・レイを選挙で応援したら、たまたま彼女にはUFO事件のファイルを秘匿していた原子力委員会のトップだった経歴があり、なおかつそこにはバカ自身が当事者であるところのサンアントニオ事件の記録も残っていたので見せてもらうことができた――ということをバカは主張しているのだった。

そんな風に偶然に偶然が重なるウマイ話があるかよという気がするのだが、ジョンソンはとりあえずこれに対して「ディクシー・リー・レイが政府機関を去る時に機密書類を持ちだすことなんてできなかったろうし、退任後に入手することだってムリ。それに仮にそんなことしたら重罪じゃないか。アンタはディクシー・リー・レイを犯罪者扱いするのか!」といって怒っている。

ちなみにバカがハリスにこの話を明かしたのは200910年頃だというから、その時点でディクシー・リー・レイは死んでいる。これも「死人に口なし」案件か。

【ホセ・パディージャの場合】
 ジョンソンの一連のレポートを読むと、彼はどうやら「サンアントニオ事件」というのはレミー・バカが「主犯」となって作り上げたストーリーで、ホセ・パディージャはそれにつき合わされた「共犯者」であると言いたいようである。ラジオ番組などでの二人の発言を改めてチェックすると、能弁なバカに対してパディージャは言葉少なに頷いたりするパターンが多い、というようなことを言っている。

 例えば、20101210日に放送されたメル・ファブレスをパーソナリティとするラジオ番組では、当初レミー・バカとパオラ・ハリスも出演する予定だったが、トラブルがあってホセ・パディージャが一人で登場せざるを得なくなった。彼はしどろもどろになってしまったようで、ジョンソンはこのインタビューを「Padilla's Bungled Interview」――つまり「パディージャの大失敗インタビュー」と名づけ、勝手に「PBI」などという略語まで作っている(ちなみにパディ-ジャはこの時のインタビューで「墜落現場付近では樹木が燃えたりしてはいなかった」と「公式ストーリー」に反する発言をしていたりする。おいおい、ダメじゃん)。『Trinity』では、パディージャは一度目にしたものは忘れない記憶力(いわゆる「瞬間記憶能力」のことだろう)の持ち主だとかいって持ち上げられているのだが、それ本当かよという疑念も兆してくるのである。

 ということで、なんだかちょっと話が脇道に逸れてしまったけれども、ここからは本題に戻りまして、「実はそんなパディージャのほうにも経歴詐称の疑いはあるのだ」という話をしていきたい。 

 ジョンソンによれば、パディージャは19361124日生まれで、死没したバカと違って現在も健在である。その経歴について自ら語るところでは、13歳でニューメキシコ州兵に入隊し、1950年代にはカリフォルニアに移住。兵役で赴いた朝鮮戦争(1950-53年)では負傷を負ったという。帰国後は「カリフォルニア・ハイウェイ・パトロール」に32年間にわたって奉職したが、その間にも犯罪者から腹部に銃弾を浴びせられる体験をしたと述べている(ちなみに「ハイウェイ・パトロール」というのは一種の警察機関・法執行機関で、民間の警備会社などとはワケが違う)。

 しかし、ジョンソンの執拗な調査は、そのすべてが疑わしいことを告げている。まず「わずか13歳で州兵入隊」というところからしていかにも怪しい。パディージャは戦後の混乱期だったため特例として認められたと主張しているようだが、ニューメキシコ州では実際に18歳未満の州兵入隊を認めていないし、過去に特例があったという証拠もない。ジョンソンは、念のため氏名・生年月日・社会保障番号でニューメキシコ州兵とニューメキシコ空軍州兵の隊員記録を検索してみたそうだが、果たして該当者はヒットしなかった。次いで「朝鮮戦争従軍」の件であるが、ジョンソンが国立公文書記録管理局のオンライン検索で「朝鮮戦争の負傷者リスト」を検索したところ、ここでも彼の名前は出てこなかった。

 とどめは「カリフォルニア・ハイウェイ・パトロール」である。実はこの組織、1970年代までは身長が5フィート9インチないと入隊できないという規則があった。しかし、2021年のニューメキシコ州政府の記録ではパディージャの身長は5フィート3インチしかなかった。勤続32年で定年の60歳を迎えたものとして計算すると、入隊はどうしたって1960年代でなければならない。しかし当時の規則では彼は入隊できない。矛盾が生じる(もっとも、年取って彼の身長が6インチ≒15センチ以上縮んだ可能性は微レ存w)。

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  ホセ・パディージャ(写真右)=the MUFON UFO Journal, June, 2016より=

 加えて「カリフォルニア・ハイウェイ・パトロール」の在職記録に当たったところ、ここにもパディージャの名前はナシ。勤務実績があれば当然受け取っているはずの退職者年金の給付記録もなかった。朝鮮戦争で負傷を負った愛国者。凶悪犯に銃弾を撃ち込まれてもひるまなかった法執行官。そういう人間を装えばみんなに信用してもらえるだろう――パディージャの心中にはそんな思惑があったのではないか。しかし、どうやらそんな作戦は裏目に出たようである。(つづく

 

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エディー・アポダカの謎

レミー・バカとホセ・パディージャの証言の中には、明らかに客観的事実と矛盾している部分がある。その一つがエディー・アポダカ(19232008年)=写真=をめぐる問題だ。
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 繰り返しになるが、このアポダカというのは墜落の二日後に現場を訪れ、パディージャの父親とともに墜落物体の中に入った(とされる)ニューメキシコ州の警察官である。

 さて、そのどこが問題なのかというと、確かにかつてこの地域を担当したエディー・アポダカなる警察官が実在したのは事実なのだが、アポダカは第二次世界大戦でヨーロッパに出征し、1945年8月の時点では陸軍航空隊の伍長として英国にいたことがジョンソンの調査で判明したのである。彼がアメリカに戻ってきたのは同年11月。州警官としてソコロ郡に着任したのは1951年。どうしたって1945年8月のサンアントニオにいられたワケがないのである。
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  アポダカ(白丸の人物)が戦時中に加わっていた第370戦闘機中隊の面々

ただここでオレがちょっと引っかかったのは、このアポダカの名前が「墜落物体を見にいった人」として2003年の時点でベン・モフェットの新聞記事に出ていたことである。ジョンソンによればアポダカは2008年まで生きていたようなので、仮に彼がこの記事を読んだら「こりゃウソじゃ!」と言い出すリスクがある(実際にはそんな事態は起こらなかったワケだが)。不用心極まりない。それだけにバカたちが何でアポダカの名前を出したのかはよく分からない。ひょっとしたら「アポダカもいい年だし、もう死んでんじゃネ? リアリティも出てくるから名前出しちまえ!」などと考えたのかもしれない。

ちなみにこの墜落事件にまつわるストーリーがホントなのかどうか証言してくれそうな人物としては、アポダカのほかパディージャの父親とか、詳細は省くが「羊飼いのペドロ」とかいった人物がいる。しかし、どうやらこうした人々も、バカたちが精力的に話を広め始めた2003年の時点では亡くなっていたようである。死人に口なし。彼らがウソをついていた可能性は非常に高いと言わざるを得ない。(つづく

 

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さて、ここからはダグラス・ディーン・ジョンソンによる「サンアントニオ事件HOAX説」の細部を見ていきたいのだが、まずはそれに先だって『Trinity』が記す事件のあらましをいま一度確認しておきたい。 

    1945年8月16日、米ニューメキシコ州サンアントニオで、放牧中の牛の様子を確かめるためホセ・パディージャ(当時9歳*)、レミー・バカ(同7歳)の二人が馬に乗って放牧地となっている荒野に出かけていったところ、突然爆発音が聞こえ、遠くに煙が上がった。二人がその現場に向かうと、地面にはグレーダーで削られたような溝が出来ており、周囲の灌木は燃えていた。どうやらその溝は何かが猛烈な摩擦熱を発しながら地表を削り取っていった痕のようで、この溝に沿って進んでいくと、そこには側面に穴が開いているアボガド形の乗り物のような物体があった。


    *注:『Trinity』では二人の年齢は9歳と7歳になっているが、ジョンソンは二人の正確な生年月日を確認したようで、パディージャは19361124日生まれ、バカは19381026日生まれとしている。これに従えば事件当時の二人の年齢は実際には8歳と6歳だったことになる。なお、パディージャは現在も存命であるが、バカは2013年に亡くなっている

    二人が200フィートほど手前から観察していると、物体の近くには身長4フィートほどで頭がカマキリのような小人が3体ほどいるのが見えた。小人は地上をスーッとスライドするように動き回っていた。小人はウサギの鳴くような声を出しており、バカには彼らの「悲しい気持ち」が(おそらくはテレパシーのようにして)伝わってきた。それから二人は辺りが暗くなってきたので家に帰った。彼らは、幅約4インチ×長さ15インチほどで、形状記憶合金のようなアルミホイル状の物体を現場で拾ったという

    17日は何事もなかったが、18日になってから、ホセの父親と知り合いの州警官エディー・アポダカが、少年2人の案内で現場に行ってみることになった。物体は同じ場所にあったが、ナゾの生物の姿はなかった。ホセの父親とアポダカは物体の中に入ったが、戻ってきた時にはただならぬ様子で、少年2人に「このことは誰にも言うな」と命じた

    同じく18日の午後、好奇心を抑えきれぬ二人はこっそり現場を再訪した。そこには軍用ジープと兵士たちの姿があり、物体の破片を拾う作業などをしていた。翌19日にはホセの家を陸軍の軍曹が訪れ、「気象観測気球が墜落した。搬出用の車両を通すため牧場のフェンスにゲートを作り、道路も敷設する」と通告した(なお、二人はその後も毎日のように現場に通い、兵士たちの作業を見守ったという)

    8月下旬になると(日にちはハッキリしない)この物体はトレーラーに乗せられて搬出された。二人はその日、兵士が現場を離れた隙にトレーラーに忍び寄り、パディージャは物体の内部に侵入。近くにあったバールを使って、内部のパネルに取り付けられていた金属製の部品(ここでは「ブラケット」と称されている)をはがし、家に持ち帰った(ただしこの「ブラケット」はありふれた地球製のアルミ製部品らしいとヴァレ自身も認めており、何の証拠にもなっていない) 

この後もいろいろと紆余曲折はあるのだが、ともかくこれがサンアントニオ事件のあらましということになる。さて、だいたいの予備知識を頭に入れていただいたところで、ジョンソンがどんなツッコミを入れているのかをさっそく見ていこう。

目撃者の証言がコロコロ変わっている

 『Trinity』によれば、この事件が公になったのは2003年で、レミー・バカから「こんな話がある」という連絡を受けた地元の新聞「マウンテンメール」のベン・モフェット記者が、同紙の20031030日号・116日号で事件を報じたのが最初だった(ちなみにモフェットは二人の幼なじみだったという)。

 これを受けて、バカとパディージャは同年1118日にはジェフ・レンスなるラジオパーソナリティ(けっこう有名な人らしい)の番組に出演。さらには一部のUFO研究者も関心を示し、ライアン・S・ウッドの『MAJIC Eyes Only』(2005年)、ティモシー・グッドの『Need to Know』(2007年)といった書籍でも事件は取り上げられた。

 ちなみに『Trinity』の共著者であるパオラ・ハリスもその頃からバカたちに接触し始めたようだが、本格的な調査に着手したのは2010年ごろらしい。2011年にはバカ名義の自費出版本として『Born on the Edge of Ground Zero』なる書籍が刊行されたが、その内容はハリスによるバカやパディージャへのインタビューが中心だったというから、どうやらハリスは、次第に二人のパブリシティ担当(?)みたいな役割を果たすようになっていったようだ。一方で2017年から事件に取り組み始めたジャック・ヴァレはほどなくハリスと合流、2021年になって両者の共著として『Trinity』が刊行された――以上が今にいたるまでのだいたいの流れである。

  しかし、ジョンソンによれば、このモフェットの記事が出る前にも注目すべき出来事はあった。彼によれば目撃者の一人、レミー・バカは、とあるUFO研究家に「売り込み」をかけ、事件について電話で話をしていたのだという。そして――ここが重要なのだが――その際にバカが話した内容は、『Trinity』のストーリーとはかなり違っていたのである!

  このUFO研究家というのはドナルド・シュミットと組んでロズウェル本を出したりしているトーマス・キャリーという人物なのだが、彼によれば、2002年か03年の初め頃、このバカからいきなり電話があったのだという。要するに「話を聞いてくれ」ということで、とりあえず彼は応じた(ここで注意したいのは、これがベン・モフェットの記事が出る前のことだったという点である)。

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左はトーマス・キャリー。右はレミー・バカ

 さて、そこで語られた内容であるが、まず事件があったのは「1946年のたぶん8月」で、少年二人は「ピックアップトラックでグラウンド・ゼロに向かっていった」途中で墜落物体を見つけたのだという。ちなみに発見時に「爆発音がした」といった話もここでは出てこなかった。物体の形状自体も、アボカド形ならぬ「円盤」形だったとされる。物体に穴が開いていたという点は変わらないが、「円盤のには虫を思わせる人影があった」と語られるだけで、その詳細についての描写はなかった

  また、少年2人がホセ・パディージャの父親と州警官とともに現場を再訪したのは、墜落の2日後ではなく「翌日」だったとバカは語った(ちなみにこの時の取材では州警官の名前は明かされていない)。また、その時の円盤は何故か土に覆われていて、その姿をちゃんと確認することはできなかったという。もう一ついっておくと、二人が持ち帰ったブラケット状の物体に関しても、バカは円盤の中にあったものではなくトレーラーに積み込まれていた残骸からかっぱらってきたものだ、というようなことを言っている(要するに物体の中には誰も入っていない)。

  さて、ここでは『Trinity』に記されている公式のストーリーと相違している部分を赤字で強調してみたのだが、ここまで違うストーリーが語られていたとなるとどうだろう。どうしたって「この人の証言どうなのよ?なんで体験の核心部分がコロコロ変わるわけ? 信用していいのかよ?」ということになるのではないか。ちなみにこのときトーマス・キャリーはカセットテープでインタビュー記録をとっており、バカは「そんなこと言うとらんわ」という言い逃れはできない(もっともバカは2013年に亡くなっているので追及のしようはないのだが)。

  ちなみにキャリーは、会話を録音していたカセットテープの片面30分が終了したあと裏返すのを忘れて取材を続けていたというのだが、録音されてないやりとりの中で、バカは「これで何か稼げねーかな?」みたいなことを言い出したので「こりゃダメだ」と思ったようだ。さらにバカは「これはロズウェル事件の前の話だ」と何度も言ったが、考えてみればここにも裏の狙いがありそうだ。ご承知のようにロズウェル事件は1947年に起きたものだが、それに先行する墜落事件があったとなればストーリーの商品価値は高くなる。じっさい、翻訳本の版元であるヒカルランドのサイトに行ってみると、「書籍紹介」の冒頭部分には「ロズウェル事件よりも前だった!」という惹句がいきなり掲げられている!

 そんなこんなで、キャリーは「コイツ、この話でカネ儲けする気かよ?」という心証を抱いたらしい。それで、今回の『Trinity』の件が出てくるまでバカの取材テープのことはすっかり忘れていたというのである。

    【注】ここでカネ儲けの話が出たのでついでに言っておくと、『Trinity』には「仕事が面倒になったのか、現場の兵士たちがUFOの残骸を土中の裂け目に放り込んでいるのをみかけた」とか「オレたちは破片のたぐいを後で回収しようと思って溝に埋めた」みたいなバカたちの証言が出てくるのだが、ジョンソンはこれについても「UFOの残骸回収作業の名目でスポンサーからカネを引っ張る狙いがあったンでないか」と指摘している。要するに糸井重里がTBSと組んでやった徳川埋蔵金発掘プロジェクトみたいなものである(笑)。


  さて、バカはこのキャリーの取材から数か月後、今度は新聞記者のベン・モフェットに体験談をもちこんで取材を受けることになるが、そうやって世に出た新聞記事のほうは基本的に『Trinity』の記述と整合性が取れたものになっているようだ。これについてジョンソンは、「キャリーに話したストーリーがイマイチ受けなかったので、バカはねじりはちまきでブラッシュアップした新しい筋書きを考え出し、新たなターゲットであるベン・モフェットとの取材に臨んだのではないか」みたいな推理をしている。これだけ言うことが変わってしまっては、そう見られても仕方あるまい。まぁその後、ライアン・ウッドやティモシー・グッド、ハリスやヴァレ(!)が相手にしてくれたので、シナリオ改変の効果は十分あったと言えそうではあるのだが。

     *なおジョンソンは、バカが1995年の時点で別のUFO研究者に接触を図っていた事実も明かしている。それがロズウェル事件の調査で知られるドナルド・シュミットで、彼がカリフォルニア州ベンチュラで講演をした際、当時そこに住んでいたバカが現れて「自分は1947年にThe Plainで起きたUFO墜落事件を目撃した」といった話をしてきたのだという。どうやらシュミットは彼を軽くあしらったようなのだが、当時のバカは「スキあらば自分のストーリーを売り込みたい」とチャンスを狙っていたように見えなくもない。このほかスタントン・フリードマンへの接触もあったようだが、彼はガン無視したらしい。

  閑話休題。そのほかにも、関係者の発言の中で事実関係がブレている部分はある。例えば、墜落があった日、少年二人はどれぐらい遠くから物体を観察していたかという点について、『Trinity』には200フィートという数字があるが、パオラ・ハリスが「MUFONジャーナル」2016年6月号に書いた記事では500フィート、2010年頃にハリスがパディージャに対して行ったインタビューでは360フィートということになっている。これは一体どう考えればいいのだろう?(つづく




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高名なUFO研究家、ジャック・ヴァレが、ジャーナリストのパオラ・ハリスと組んで2021年に刊行し、世界的に注目を集めた話題作『Trinity』については、当ブログでも既に紹介したところであるが、 今回はこの本が実際あったUFO墜落事案として認定している「サンアントニオ事件」はHOAXである、つまりは「デッチ上げ」であるという主張を紹介してみたい。

ただその前に、そもそもこの『Trinity』というのはどういう本であったのかを改めておさらいしておこう。

そもそも何でこの本が世界のUFOシーンで話題になったのかというと、端的にいえばヴァレはこの本で「宗旨替え」をしたんでないかというギワクが持ち上がったからである。もともとヴァレというのは「UFOが外宇宙から来ているというのはウソである」と主張し、かつ「ロズウェル事件」みたいなUFOの墜落・回収事件といったものには総じて批判的な人物であった。つまりは何かっつーと「UFOイコール宇宙人」みたいなことを言い出すミーハー系とは一線を画し、「コントロールシステム仮説」とか称して小難しい理屈を駆使するような冷静沈着インテリ系研究家として売ってきた人物であった。

ところが彼は、本作で「1945年8月16日、米ニューメキシコ州サンアントニオではモノホンのUFOの墜落事件が起きていた!」ということを言い出した。「なんだそりゃ、ヴァレがそこいらのミーハーUFOファンみたいなこと言い出したよ」という話になる。「どうしちゃったのヴァレ?」である。実際のところ、この本を読んでもちゃんとした「UFO墜落の物証」みたいなものはない。冷たくいえば証言があるだけ。ヴァレは何だか根拠薄弱な話にのっかっちゃったという感じは否めないのだった。

 もっとも、オレには、そんな一歩を踏み出してしまった彼の気持ちが分かるような気がせんでもない。ヴァレは現在84歳。長年UFO研究を続けてきたけれどもよくよく考えるとUFOの真実というものは未だに全然みえてこない。いよいよ老境に入って焦り出したヴァレは「何とかして生きているうちにブレークスルーを果たしたい!」と考えていたのではないか。そこで出会ったサンアントニオ事件に彼は夢をみてしまった。ついつい冷静さを失い、「これぞモノホンの事件だ!」と大甘判定を下してしまった。そういうことではなかったかとオレは思うのだった。

 ――とまぁ、ここまでの話は以前書いたエントリーの焼き直しなのだが、今回書きたいのはその先で、果たしてサンアントニオ事件というのはHOAX、つまり「でっち上げ」であるという証拠がここにきて出揃ってきたのである。そんな『Trinity』批判の先頭に立っているのはアメリカのダグラス・ディーン・ジョンソンという研究家だ。オレはその来歴を全然知らんのだが、ともかく彼は今春ネットに3か月だかを費やしたテッテ的調査の内容をアップし、そして大きな反響を呼んでいる。正直いって「あぁやっぱそういう話になっちゃったか~」という感じもある。だが、彼のファンであるからこそスルーしてしまうワケにはいくまい、この本が彼の「黒歴史」になろうともそこまで含めてのヴァレなのだ、ここは最後まで見届けねばなるまいとオレは思った。


というわけで、ここからはこのジョンソン氏のデバンキング・サイトの内容をご紹介していきたい(→入り口はこの Crash Story: The Trinity UFO Crash Hoax というサイト)。ボリューム的にもずいぶんあるので、大部分はブラウザ上のグーグル翻訳機能を使って日本語で読む手抜きをしたが、そこはお許し頂きたい(笑。以下、次回につづく


*余談ではあるがこの『Trinity』、先に『核とUFOと異星人』(ヒカルランド)というタイトルで邦訳が出たばかりである。実のところ、この翻訳には何故か原著にないことが長々書いてあったり誤訳があったりしてオレに言わせれば若干残念な本なのだが、それはともかくこういう翻訳本が出たことでサンアントニオ事件に興味を抱く人もこれからいかほどか増えていくかもしらん。であればこそ、『Trinity』にはいろいろと批判があって、じっさいに結構辛辣なデバンキングを浴びている――という情報にもそれなりに意味があるのではないかとオレは思っている。

【核とUFOと異星人】人類史上最も深い謎
ジャック・フランシス・ヴァレ博士
ヒカルランド
2023-08-03




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毎年秋の文学フリマ東京開催にあわせて発行されてきた国内屈指の超常同人誌「UFO手帖」が今年もつつがなく完成し、11月20日に東京流通センターで開催された文フリにてめでたく頒布と相成った。小生はたまさかこの雑誌に原稿を書かせていただいている利害関係者の一人であるわけだが、それ故に近々始まるであろう通販に向けて若干の宣伝にもなればよからうということで、以下、今回は僭越ながらその内容を説明させていただくことにした。

昨年刊行の前号ではなんと都合200頁に達するという大増ページで斯界を驚嘆させた「UFO手帖」だが、今号「7.0」もそのボリュームは実に192頁! いったいどういうことなんだよ何をそんなに書くことがあるんだよという皆さんの疑問も尤もであろう。さて、それでは今回の特集はいったい何かという話になるわけだが、そのタイトルはなんと「フォーティアンでいこう!」。要するに「チャールズ・フォート」がテーマなのだった。

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もっとも、「なんと」とか言っても話が見えない人がいるかもしらんので簡単に説明しておくと、チャールズ・ホイ・フォート(1874-1932年)というのは古今東西の奇現象を図書館とかに行って集めてまわったアメリカの奇人である。

たとえばであるが、空からいきなり魚やカエルみたいなものが大量に降り注いでくる「ファフロツキーズ」(Fafrotskies)という現象に注目したり、あるいは皆さんよく知っている「テレポーテーション」という言葉を編み出したり、人体自然発火現象について調べたりした人物だといえばその傑物ぶりは何となくお分かりいただけるだろう(もちろん今でいうUFOのような現象についても情報を集めてまわっている)。

そんな伝説的な人物だけに、やがては彼の名にちなんでこの手の奇現象を調べる好事家を指す「フォーティアン」などという言葉まで出来てしまったぐらいで――ちなみに今回の特集タイトルはここから来ている――さらには英国では『フォーティアン・タイムズ』などという超常専門誌が出来たほどである。要するに彼は奇現象界のレジェンドともいうべき人物なのだった。

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*今号の表紙は、従ってこの「ファフロツキーズ」に引っかけて天空から落下してくるフォートを描いているワケである。本誌専属アーティスト・窪田まみ画伯渾身の力作である


ただし、実はこれまでこの人物についてのまとまった紹介というのは日本ではあんまりなかった。そんな超常現象界のVIPであるというのに彼の本というのは我が国では全然翻訳されてこなかったのである。たとえばこれはかなり有名な話だが、1980年代には国書刊行会という出版社から、超常現象研究家である南山宏氏の翻訳でこの人の主著『呪われた者の書 The Book of the Damned』が刊行される計画があった。ところがいつまでたっても出版されない。それから30年有余年たっても、なお日の目をみていない。数年前になって突然「どうやら刊行の見通しがたったようだ!」みたいな怪情報がネットに広まったこともあった。でも、やっぱり出ない。

なんでそんなことになっているのか。

以下はオレの勝手な推測だが、彼が書いた英語の文章というのは一般的な文法を無視したようなハチャメチャな文体である(ように思える)。じっさいのところ、全然翻訳が出ないのでオレもヤケクソになり、「じゃあ自分で訳したるわ!」といって原著をめくってみたことがある。しかし、もう何十年も前に受験英語を勉強しただけの英語力しかないオレには全く歯が立たず、その野望は最初の数頁でついえた(その挫折の記録はココw=なおフォートの本の著作権は既に切れているのでヤル気がある人は勝手に翻訳して公開することが可能である)。

つまり、要するにあまりに奇っ怪な文章なので、名翻訳家として知られた南山氏をもってしても「う~ん、こりゃちょっとうまくイカンわ」ということで翻訳作業が頓挫してしまっているのではなかろうか。そこで国書刊行会の中の人が「そんなこたぁないわい! ナニ失礼なこと言うてんねん!」というのであれば、ハイわかりましたごめんなさいと土下座して謝りますので代わりにすぐ作業を開始して下さい。

あるいは真相はそんなことではなくて、超常現象のナゾが明らかになると不都合があるディープ・ステートないしはメン・イン・ブラック方面から「出版したらタダじゃすまんからな!」とかいって横ヤリが入っているのかもしらんが、そういう話だったのならば国書刊行会は脅しに屈することなく出版人の誇りにかけて引き続き出版計画を進めて下さい(要するに何でもいいから早く刊行してください笑)。

話がずいぶんと横道にそれてしまった。ともかく彼の本というのは現時点で日本語では読めない。断片的に「フォートはああ言ってる、こう言ってる」という情報はあってもなかなかよくわからん。隔靴掻痒の状態が続いていたのである。

しかし。
そんな奇現象界のレジェンドをこのまま放置しといていいのか――おそらくはこんな問題意識から今回「UFO手帖」の人々が立ち上がった。フォートはどういう人物でどんなことを考えてたのか、ちゃんと紹介してやろうじゃないか。そういう話である。

というわけで、この特集では同人の皆さんがそれぞれのアプローチでフォートにかかわる論考を執筆している。とりわけオレが驚愕したのは「UFO手帖」の名物編集長・秋月朗芳氏の恐るべき執念である。本号にもその辺のことは書いてあるけれども、編集長は今回、フォートの主著を片っ端からゴリゴリと機械翻訳にかけたらしい。すごい力業である。先に述べたようにフォートの文章は悪文であり機械翻訳でもなかなか手に負えないと思うのだが、ともかく編集長はそうやって強引にフォートの読解を推し進めた。ブルドーザーで密林に突っ込んでいくような蛮勇を振るったのである。なんと素晴らしいことだろう!

かくて本号では、フォートの著作やその人生、後世の小説や映画に与えた影響などが多角的に論じられている。そうやって見えてくるフォートの神髄とは何なのかというのはこの同人誌を買って読んでいただくしかないのであるが、ひとつだけ言っとくと、オレが読みながら考えたのは「フォートというのは我々のような陰キャ系オカルトファンにとっては一つのロールモデルなんじゃねえか」ということだった。

日常生活は適当にほっといて調査作業に精を出す。ひたすら奇現象を愛でる。異界へのとば口に立ってセンス・オブ・ワンダーを噛みしめる。「こんな不思議なことがあったようだゼ」とかいってネタを広めてまわる(しかもこんな勝手な活動ができたのは親戚から思わぬ遺産が転がり込んだから、というのもイイ)。他方、「フォーティアン協会」なんてものができて神輿に乗せられそうになるとビビってしまって「オレには関係ない」といって逃げる。まさに理想……ま、健全な皆さんにとってはどうでもいい話ではあった(笑)。

とまれ我々はいま、超常界にそびえ立つチャールズ・フォートという孤峰の下へと辿り着いた。これから山頂を目指していく者たちにとって、おそらく今回の「UFO手帖」は格好のガイドとなってくれるに違いない。



さて、特集以外にも今号にはいろいろ満載である。ずいぶんと話が長くなってしまったので(老人性の挙動)以下は簡単に。

UFOにまつわる音楽・漫画・アニメ・映画などを紹介するのは既に「UFO手帖」の定番企画となっているが、今号では「UFOとUFO本」なる企画も始まった。ここでは今年刊行された『イラストで見るUFOの歴史』『UFOs 政府の軍・政府関係者たちの証言録』がレビューされている(いずれも良書)。ひとつ気がかりなのは、次号で「めぼしい本が出なかったので今年は休載です」という事態が起きないかということである。出版社の中の人たちの頑張りに期待したい。

それから、期せずして過去のUFO事件を振り返る論考が目立ったのも今号の特徴であったかもしれない。

たとえばイタリアの寒村でオバハンが宇宙人(?)に花束とストッキングを奪われた「チェンニーナ事件」の真相に迫ろうというレポートがある。他方、例の「ケネス・アーノルド事件」について「巷間伝えられてる話はウソが多いから」ということで電子顕微鏡でアラを指摘して回るような論考もある。

かつて日本のコンタクティ松村雄亮が宇宙人(?)と一緒に入った伝説の喫茶店を探して現地付近を探査したレポート、なんてのもある。実際にはその建物はもうなくなっていたのだが、辺りをウロウロしていた報告者が「あ、やべっ、オレって傍目からすりゃ完全な不審者だわ」といってうろたえる場面(意訳)がスコブル秀逸だった。おめでとう比嘉光太郎君、後ろ指さされることを自覚しつつUFO研究に一身を投じるべく一線を越えてしまった今、君は一人前のUFO者だッ!(われながら何を言ってるのかw)

それから今回オレは「ジャック・ヴァレ、あるいは老ユーフォロジストの見果てぬ夢について」というタイトルで原稿を書いてます。これは孤高のユーフォロジスト、ジャック・ヴァレが先に共著として出した『Trinity』という本の簡単なレビューなんだが、何でこんなヘンな題名なのかというと「あぁ天下のジャック・ヴァレも今回の本はちょっと勇み足だったよなぁ、でも彼も年とったし仕方ねえのかもなあ」という話である。イヤすいません、ヴァレ知らん人には何言ってるかわからんですよね(笑)。ちなみにUFO手帖には書ききれなかった細部にも触れたロングバージョン的な『Trinity』レビューはこのブログにも載せているので関心がある方はお読みください。

もう疲れたので、あとは買って読んで下さい。UFO手帖7.0のTwitterアカウントあたりをチェックしていれば、そのうち通販のお知らせがアナウンスされるでしょう。最後にもひとつだけ言っとくと、ここ数号で新しい書き手が続々登場してきたので、この同人誌はまだまだ大丈夫だと思います。ひきつづきご贔屓に。(おわり)


【追記】

チャールズ・フォートは、「チェッカー checkers」というボードゲームにヒントを得て「スーパーチェッカーズ supercheckers」なるゲームを作った人物でもあるという。これは関連の書物などにもしばしば出てくる話なのだが、この「スーパーチェッカーズ」についての情報というのはググってみてもなかなかヒットしない。

かろうじてこの件に触れた昔の新聞記事(Pittsburgh Press, February 20, 1931)を載せてるサイトは見つけたのだが、そもそもオレはチェッカーとは何なのか全然知らんので、読んでもどういうものか皆目わからんかった。ただ、この記事を読むと、フォートは自作のこの対戦ゲームでベンジャミン・デ・カセレスやティファニー・セイヤーといった連中と「おれナポレオン」「おれはシーザーだかんな」とかいって「ごっこ遊び」をしながら楽しく遊んでいたようである。心温まるエエ話である😅

というわけで、ボードゲームにお詳しい人で「スーパーチェッカーズ」の詳細をご存じの方がいたらゼヒ情報お知らせください。m(_ _)m

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 これはしばしば見かけるフォートの写真であるが、この手前に見える何だかよくわからんものが「スーパーチェッカーズ」のボードなのだそうだ

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 ホセと会話するジャック・ヴァレ(「Trinity」より)

ジャック・ヴァレはこれまで――例の「ロズウェル事件」なども含め――いわゆるUFOの墜落・回収事例というものに懐疑的な見方を取ってきた。「米政府はハードウェアとしてのUFOなど手に入れてなどいない。そして米政府はいまだUFOの真実に迫り得ていない」。彼がこれまで展開してきた主張はそのようなものだったとオレは理解している。そんな経緯を踏まえてみると、本書『Trinity』で彼は或る種の「宗旨替え」をしてしまったようにも見える。

「サンアントニオ事件」というのはウソ偽りのない墜落・回収事例であり、米軍は1945年の時点で実際にUFOの機体回収を行っていた。いや、ひょっとしたら米当局は「搭乗者」の身柄を押さえた可能性すらある――彼が本書で示唆しているのはそのようなことである。すると、これは年来のヴァレの主張と矛盾するのではないか? 「米政府は何も分かっちゃいない」という主張を頷きながら読んできたヴァレの愛読者からすれば、これはいささか当惑せざるを得ない事態である。米軍がUFOを――そして「搭乗者」をも――回収していたのだとすれば、そのテクノロジーや起源といったものについて、かなりの情報を手にしたと考えるのが自然ではないか。おそらくはそのような疑問を抱くであろう読者に向けて、ヴァレは本書ではこう述べている。



テクノロジーの世界におけるあらゆるサインは、最初の原爆が爆発した1か月後、サンアントニオで「アボカド」が発見されて以降に行われたリバース・エンジニアリング計画が失敗したことを指し示している。


つまり、UFO由来のハイテク技術など全く実用化されていない現状をみれば、その解析作業からは最終的に何の成果も得られなかったと考えるほかない、という見立てである。まぁそういう理屈ならばヴァレの従来の主張と矛盾せずに済む。済むけれども、そんなUFOの回収事件がホントにあったとしたら、その後の米当局のUFO調査プロジェクトが――たとえばコンドン委員会のようなものだ――あんなにグダグダ迷走することはなかったんじゃねーかという疑問も浮かぶ。ドラマになぞらえて言えば、伏線が張られたまま、ほったらかしになっているような感じである。

こうして見てくると、オレなどはここに、老境に入ったヴァレの「焦り」を感じてしまったりするのだ。

――UFO研究に身を投じて70年。しかし、その正体はいまだ判然としていない。「自分が生きているうちにもはや進展はないのだろうか」。そう思っていたところで出会ったのが「サンアントニオ事件」。調べてみればこの事件、何と人類初の原爆実験があった場所・時代ときびすを接するようにして起こっているではないか。ここには重大な意味があったに違いない!

・・・・・・とまぁ、そんな感じでヴァレはこの事件の真贋についてついつい「甘い」評点を下してしまったように思われる。本書の表題が人類初の原爆実験「トリニティ」から取られたのにはそんな事情があるワケだが、ともあれヴァレは「この事件は原爆実験と深いつながりをもっている」という仮説の下、サンアントニオ事件に独自の意味づけをしようと些か強引な試みを本書で繰り広げているのである。

     *    *    *    *

いや、何だかずいぶんとヴァレについて否定的なことを言ってしまったようだ。いや、ただ、それでもなおヴァレは「終わった人」ではないとオレは思っている。何となれば、一見したところ奇矯にも思えるロジックを駆使し、独自の世界を構築していくのはヴァレの真骨頂とするところであり、その片鱗は本書でも一瞬のきらめきを見せているからなのだ。では彼は本書でどんな思索を繰り広げているのか。以下、なかなかにスリリングなその内容を見ていきたい。

あらかじめ結論めいたことを言っておくならば、この「サンアントニオ事件」というのは何者かが「トリニティ実験」へのリアクションとして起こしたものである、というのがヴァレの基本的スタンスである。言うまでもないが、このトリニティ実験というのは、第2次大戦終結の最後の切り札として原爆開発に取り組んでいた米国政府が、1945年7月16日にニューメキシコ州で行った人類初の核実験である。サンアントニオ事件が、このトリニティサイトからわずか40キロしか離れてしない場所で起きたこと。それがまずは両者の密接な関係を示唆しているとヴァレは言う。

さらにヴァレは、「アボカド形」と評されたUFOの形状もこのトリニティ実験と関わりがあるのでは、と言い出す。どういうことかというと、このトリニティ実験においてはプルトニウムを用いた原爆が用いられたのであるが、「ガジェット」と命名されたその寸詰まりの形状はサンアントニオ事件のUFOによく似ている、というのである。さらにこの実験では、万一爆発が失敗した場合に猛毒のプルトニウムが散乱するのを防ぐため、当初は「ジャンボ」と呼ばれた巨大な鋼鉄容器の中で原爆を爆発させる予定だったのであるが、現場近くに運び込まれた「ジャンボ」の形状もまたUFOに酷似していた(実際にはこの「ジャンボ」はトリニティ実験では使用されずに終わっているのだが)。

要するにヴァレは、UFOのヌシである「何者か」は人間が準備している核実験のことをよ~く観察していて、「これはアンタらの核実験に対するアンサーだから」といった意味合いで同形のUFOをわざわざ飛ばしてみせたのではないか、という意味のことを言っているのである。なんだかよく分からないがスゴイ発想である。

WS000393
 「Trinity」より


なお、ここでついでに言っておくけれども、本書でヴァレは、流れをぶった切るようにして伝説的UFO事件であるところのソコロ事件(1964年)とヴァレンソール事件(1965年)についても詳細に論じている。どういうことかというと、ここでも彼は多分UFOの形状というものを意識している。つまり、信憑性の高い(と彼が考えている)この2ツの事件で目撃されたUFOもやっぱりサンアントニオ事件のソレと似てるじゃん、ということを言いたいのであろう。

WS000395
 「Trinity」より

以上をまとめてみると、ヴァレの考えは以下のようなものだ――人類が核兵器を手にしてしまったことに対して、連中はおそらく「警告」のために何らかのリアクションをせねばなるまいと考えた。そこで彼らは

①トリニティサイトにほど近い場所で
②トリニティ実験からカッキリ1か月後の「8月16日」という日を選び
③「これはトリニティ実験への応答なのだ」と理解してもらえるよう敢えて「ジャンボ」と同形のUFOを送り込んできた

――という話なのである。

ちなみに「UFOが第2次大戦後に数多く目撃されるようになったのは核兵器による人類の自滅を警告するためだ」というのは、それこそコンタクティーの皆さんはじめ多くのUFO関係者が唱えてきた陳腐な説ではある。ヴァレが最終的にそっち寄りのことを言い始めたのは若干残念なような気もするが、とにかくそういう文脈で話は進んでいく。


ただし、「空から飛んできて墜落した物体が米軍に回収された」となれば、これは「宇宙からやってきたと考えるほかあるまい」というのが普通の発想なのだろうが、彼がそこで自説を撤回することなくキチンと踏みとどまっている点には注意したい。読む前は「なんだヴァレも遂にET仮説に堕してしまったのか?!」という疑念を抱いていたのだが、それは「冤罪」であった。彼はこの期に及んでなお「UFOは外宇宙から飛来した」といういわゆる「ET仮説」には疑義を呈しているのである(偉いぞヴァレ!) たとえば本書には以下のようなことが書いてある。



我々はUFO現象を考える際に大きな誤りを犯してきたものと私は考えている。第一の大きな誤りというのは――UFOが実在するとしての話だが――別の可能性を排した上で「この現象は他の惑星から宇宙を越えてきたエイリアンに起因しているに違いない」と仮定したことである。




ユーフォロジストたちが今も提唱している安直な説明――つまり「どこか向こう」にある仮説上の惑星から都合よくやってきた訪問者がおり、彼らはたまたま我々のようなヒューマノイドで、我々の吸う空気を呼吸しているというものだ――は70年間にわたって存続しつづけている。もちろん、それですべての説明はつく。(中略)しかし、それを科学ということはできない。



無論、UFOを飛ばしているのがいわゆる「宇宙人」ではないとすれば、一体それは何者なのかという問いは残ってしまう。本書でも彼は明確な答えを提示し得ていない。ただし、彼のイメージの中では、「サイキック」に関わるレベルで人類に影響を及ぼそうとしている未知の存在の姿が確かに見えているようでもある。本書のいたるところでヴァレは、次のような自問自答を繰り返している。




UFOというものが、人間が今の知識や社会の発展レベルでは決してリバース・エンジニアリングができないようデザインされたものだったとしたら? 彼らのターゲットは違うレベルにあったとしたら? つまり、それが象徴的なレベルのもので、生命と我々との関係にかかわるものであったら? サイキックのレベルにおけるもので、宇宙と我々との関係にかかわるものであったら? 彼らはそこに存在論的な警告を込めていたのだとしたら?




その物体が単に物理的な乗り物というより、一種の情報物理学(これは今日生まれつつある科学である)の産物であったとしたら? それは物理的なものでありつつ、同時に――より良い言葉がないのでこう言うのだが――「サイキック」なものでもあるとしたら? 人類初の大規模かつ歴史的な原子力の解放があってから1か月後、古代からの伝統ある場所にテレパシーを使う奇妙な生きものを配置して、それはなにをしていたのか?




それは我々が原子力を発見したことに対する直接的な返答だったのか? 希望に満ちた対話の始まりだったのか? それともメッセージだったのか? それは、我々が今後生き残っていくためのささやかな可能性を受け取れるよう、外部にいるアクターが求めていた反応――つまり我々の精神を強制的に開放し、我々の傲慢を取り除き、人間とは違うものの意識に耳を傾ける機会を設けることで或る種の反応を引き起こすべくパッケージされたものだったのか?



なんだか禅問答のようではあるが、このあたりの言い回しは、実はヴァレが「コントロール・システム」というような奇っ怪な議論を打ち出した頃と殆ど変わっていないのである。それから次に引用するのはなかなかに衝撃的なくだりなのだが、ここを読むと、「サンアントニオ事件」のUFOというのは「彼ら」が人間にメッセージを伝えるため意図的に墜落させたものではないか、といったことまでヴァレは言っている。実に悪魔的な仮説である。




もし連中がアルファケンタウリなどから来ているのではなかったとしたら? もし連中の乗り物が墜落するよう意図されていたとしたら? それが贈り物だったとしたら? あるいは何らかのシグナルだったら? あるいは警告だったとしたら? 戦略的な対話に向けての希望を託した第一歩だったら? それが我々がいま用いている基本的な語義の通りの「宇宙船」ではなかったとしたら? 連中がその搭乗員の生死など気にかけていないとしたら?


そう、彼が想定しているような知的存在が本当にいて、1945年の夏にUFOの墜落というかたちでメッセージを送っていたのだとすれば、「彼ら」はいまの地球をみて何を考えているのだろう。オレはついついそんなことも想像してしまいたくなるのだった。

     *    *    *    *

さて、まとめである。

縷々述べてきたように、私見ではあるが、この「サンアントニオ事件」が正真正銘のリアルなUFO墜落・回収事件だったのかは疑問である。だが、ヴァレがこの事件に或る意味「賭けた」心境は分かるような気がする。そして、そこから先は例によってヴァレ一流の思弁的な議論となる。「UFOを飛ばしている者たちは何処から来ているのか」という問題についてのヴァレの考えは俗に「多次元間仮説」というよく分からない言葉で説明されてきたのだが、本書でもそこは全く五里霧中のままであった。しかし、それでもなお読み進めていくうちに、目前にはやはり夢幻の中に遊ぶような魅惑的なヴァレの世界が広がっていく。

おそらく本書はヴァレにとって最後の著作ということになるのでは、という予感がある。長年よく頑張っていただきました――全巻を読み終えた今、オレの心中にはそんな言葉が自然と浮かんでくるのである。(おわり)


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UFOファンであればご存じの方も多いと思うのだが、ジャック・ヴァレは「UFO問題の背後では米政府が暗躍している」という、一種の「陰謀論」を唱えてきた人物としても有名だ。もっともそれは、矢追UFOスペシャルで散々聞かされた「米政府はひそかに宇宙人と接触して密約を結び、人間の拉致を黙認する代わりにハイテク技術の供与を受けている」といったおどろおどろしいものではない。

オレの理解によれば、ヴァレの陰謀論というのは以下の如きものである。




米政府はUFO問題が何やらとてつもなく重要であることは察しているので、その核心に一般大衆が接近することは何としても阻止しようと必死であり、これまでもニセ情報を流すなどのディスインフォメーション作戦を展開してきた(もっとも連中は未だにUFOの正体をつきとめるには至っていないのであるが)。

ただ連中もなかなか侮れぬところがあって、大衆のUFO現象への関心を隠れミノにして、コッソリ秘密兵器を開発するようなあくどいこともやってきた。要するに、実験のため開発中の最新鋭機を飛ばしても一般市民は「おおUFOが飛んでる!」とかゆうて勝手に勘違いしてくれる。コリャ都合が良いワイ使えるワイという話である。




確かにUFOがしばしば出没するとされてきた例の「エリア51」は実際には新型航空機などを開発する拠点であったというし――そのあたりはアニー・ジェイコブセン『エリア51 世界でもっとも有名な秘密基地の真実』(2012、太田出版)に詳しい――その限りでは「米政府はUFO問題に絡む陰謀を張りめぐらせてきた」という彼のテーゼもあながちデタラメとはいえない。

してみると、このサンアントニオ事件に関して「米当局がどう立ち回ったのか」というのは当然ヴァレの大きな関心事ということになる。オレなどからすれば今ひとつ証拠が脆弱なこの事件ではあるが、ヴァレはここで「いやいやいや実際に当局は何だか怪しい動きしてたじゃん!」ということを言い募る。そうした当局の暗躍こそが事件がホントにあったことの証拠になるじゃないか、ということでもあるのだろう。以下では本書からその辺にまつわる話を紹介してみたい。


まず第一に興味深いのは、墜落現場のあたりではどうやら何者かが今なお現場の「改変」作業にいそしんでいるらしいというエピソードである。

本書によれば、そのUFOの墜落地点の周りにはずっと植物が生えず、長さ30フィートの楕円形のエリアがぽっかりと空いていたらしい。この手の逸話はUFOの着陸事件とかにはよくあることだ。つまり現場には墜落に伴う何らかの物理・化学的影響があったことを示唆しているワケでそれはそれで面白いポイントなのだが、今回問題になるのはソコではない。その後に起きたことである。

調査に取り組んでいたパオラによれば、2010年代も半ばになって、突然その楕円形エリアを覆うかたちで奇妙な植物が生え出てきたのだという。触るとチクチクし、アレルギー反応を起こす厄介な毒性植物で、それはのちの調査で「nightshade」と「cocklebur」であることが判明している。つまりこの毒性植物には二種類があったということだ。

ちなみに「nightshade」というのは和名でいう「イヌホオズキ」に相当するものらしい。「イヌホオズキ」で検索してみると、これはナス科の一年草で、高さは通常は20~30cm、大きくなれば90cmほどにもなる。また「cocklebur」はキク科の一年草である「オナモミ」のことで、丈は20センチから1メートル程度になるという。

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 イヌホオズキ(左)と「オナモミ」

こうした毒性植物は、ヴァレ自身、2018年に初めてその現場に行った際に確認している。周辺には全く見当たらない毒性植物がその場所にだけ密生しているということは、つまりそれは誰かによって植えられたのであろうとヴァレは考える。「この場所に近づくな」。おそらくはそういう意図がある。そして、普通に考えればそんなことをするのは墜落があったことを知っているもの――つまり軍なり何なりである。もちろんヴァレ自身も言っているように、そんなものを植えれば「ここが現場です」ということをご丁寧に教えるに等しい。なんだか馬鹿馬鹿しいような気もする。だが、UFOにまつわる話にはそういう馬鹿馬鹿しさがつきものなのも一面の真理である。

さらにその翌年。ヴァレが再び現場を訪問した時には、前回から地勢に変化があった。つまり、一帯で土木工事が行われた形跡があったのだという。それは一帯の洪水対策のため近くに堰堤を築く工事か何かだったようで、墜落地点の周囲もだいぶ整地されていたというようなことが書いてある。

【注】ここで念のため言っておくのだが、実はオレはこの辺りを読んでいて「オヤッ?」と思った。というのはこの現場というのはニューメキシコ州の乾燥した荒野の真ん中のはずである。ここいらにも峡谷もあるようなことは書いてあるが、そもそも「洪水」なんてものが起きる土地なのか? 納得がいかない感じはあるが、ニューメキシコの気候風土を改めて調べるのも面倒臭い。しょうがないのでここは話を先に進めたい


この再訪時には、前年に確認した「毒性植物の生えた楕円形」の部分も一部が表土を剥がされており、そこからは植物の姿が消えていた。要するにかなり地形が変わっていたのである。ヴァレは「あわよくば穴でも掘ってUFOの破片でも見つけてやろうと思ったが、表土は土中深くに埋まってしまったので諦めた」というようなことも書いている。要するにヴァレは、「何者かが自分たちの調査を監視し妨害している」というところに話を落とし込もうとしている。

【注】このあたりを読んたオレは「仮に治水目的の土木工事があったのなら、公的セクターに事業主体だとか工事内容について記録した書類とかあるはずだろ? まずはその辺を調べろよ」と思ったのだが、高齢のヴァレにそんなことを言うのは無理難題かもしらん。なので、ここもこれ以上は突っこまずに話を先に進めたいw

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  墜落現場で毒性のある植物を前にするホセ(2018年)



さて、「監視し妨害する何者か」の影は、また別のところにも現れている。パオラ・ハリスが、ホセ・パディージャの姪のサブリナをつかまえて取材をした話は前回紹介したが、この時にも奇妙なことがあった。

2020年10月、ハリスはサブリナにまずは電話をかけて話を聞いたのだが、そのとき「いずれお会いして直接話をうかがいたい」とサブリナに告げた。ところが同年12月になって再び電話をかけたところ、サブリナはひどく驚いていた。何故かといえば一回目の電話で話をした次の日、男の声で電話がかかってきて「パオラはそっちには行けなくなった。我々が面倒をみることにするよ」とサブリナに告げていたのだという。パオラという名前も出てきたので、「知り合いが代理で電話をかけてきたのかなと思った」というのだが、むろんパオラに心当たりはない。

要するに、盗聴でもしたのか、前日に二人が電話で話した内容を知っている何者かが一種のいたずら電話をかけてきたのである。普通に考えれば、そんなことができるのは国家安全保障局か巨大IT企業か、といったところだろう。まぁこの話が本当なら、ヴァレならずとも闇からこちらをうかがっている「巨悪」の存在を想定したくなるというものだ。

であれば、米当局が関心を抱き、民間人が首を突っこむことを良しとしない奇っ怪な事件が本当に起きていたのかもしらん・・・・・・と思うかどうかは、まぁ人によるのだろう。とまれ、ここまで紹介してきたような話を踏まえて、さてヴァレは、最終的にこの事件の全体像をどんな構図の中でとらえているのか。ここで伝説のユーフォロジストの見解を聞きたくなるのは人情というものである(いやオレだけかもしらんけどw)。というわけで、次回はその辺の総まとめを。(つづく

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