カテゴリ: UFO

さて、わが国で発生したUFO事件として業界筋ではそこそこ有名なものの一つに「旅館紫雲事件」というのがある(実際はそんな呼称が広く用いられているワケではないが、ここでは便宜上そういう呼び方をさせていただく)。

この事件についてはむかし当ブログのエントリーに書いたことがあるので関心のある方はそちらをご覧いただきたいのだが、簡単にいうと1970年代半ば、京都・大原の旅館「紫雲」を舞台に、そこの女主人である河上むつさんが「エイリアン」や「MIB」とおぼしきアヤシイ連中と再三遭遇し、あるいは怪光線を浴びせられるなどたびたび奇っ怪な体験をしたとされる事件である。

ちなみにこの河上むつさんは仮にご存命であったとしても今はたぶん100歳ぐらいになってるハズで、そういう意味ではもはや新情報もクソもないとは分かっているのだが、今回何となくGoogle検索に「河上むつ」と打ち込んでみたところ、ちょっと奇妙なPDF文書がヒットしてきたのだった。
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その文書はココに添付しておくのでご覧いただきたいのだが、要するにコレは、京都市長が旅館業法にもとづいて関係する法人・個人に「不利益処分」を下すことになったので、「何か文句があるなら聴聞に出てきて下さいネ」ということで公示した文書のようである。日付けは令和6年とあるから昨年2024年の1月4日で、比較的最近のモノなのだが、ここに「不利益処分」を受けることになる人物として「河上むつ」という名前が出てきているのである。むろん同名異人という可能性もあるが、不利益を受ける対象者として併記されている法人をみても「紫雲」近辺の地名「古知谷」を社名とした会社があったりするから、この河上さんはくだんの河上さんであると考えてよさそうだ。

ではこの文書は一体何を意味しているのか。オレも法律方面は素人なので憶測まじりで言うのだが、この聴聞を所管しているのは「京都市保健福祉局医療衛生推進室医療衛生センター宿泊施設適正化担当」という異常に長ったらしい名前の部署のようであるから、ここでいう「不利益処分」というのはおそらく旅館業の許可取り消しみたいなものなのだろう。

ここから想像されるのは、かつて存在していた旅館「紫雲」はどういう経緯かは知らんが河上さんを含む複数の法人・個人が営業権を分掌(?)するかたちとなっていたのだが、実際には旅館の営業どころか廃業して久しいことが判明したので、「じゃあ許可は取り消させていただきますネ」と行政サイドからこの時点で引導を渡された――というストーリーである。

「それがどうした」という話ではある。あるけれども、既に実体を失っていたとはいえ、この時点まで少なくとも書類上ではその存在が認められていた旅館「紫雲」は、おそらくこの処分によって名実ともに消滅してしまった。ちなみに旧「紫雲」があった場所のストリートビューをみると直近では2023年5月時点の画像があり、ここにはかろうじて形態を保っている家屋の姿を見ることができるものの、それも今では半ば廃屋化しつつあるようだ。かろうじて残っている物理的な痕跡すらも今後遠からず消滅してしまうのだろう(というか既に現時点で消えているかもしれない)。

歳月人を待たず。最近では米国発のUAP騒動がそれなりの注目を集めているとはいうものの、国内に目を転じれば1970年代に盛り上がったUFOブームも今は昔。こうやって「紫雲事件」も歴史の闇に呑み込まれていく。半世紀前のUFO熱を知る身としては寂寥の思いを禁じ得ないのである。

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米紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)が今月上旬、「米当局はこれまでUFOのニセ情報拡散工作を続けてきた!」と報じた先の記事は大きな反響を呼んだところであるが、その続編ともいうべき記事がこのほど公開された(このエントリー参照のこと)。

米東部時間6月21日付の記事のタイトルは「Was It Scrap Metal or an Alien Spacecraft?  The Army Asked an Elite Defense Lab to Investigate」。直訳すると「それは金属クズなのか、それともエイリアンの宇宙船だったのか?――軍は一流防衛研究所に調査を依頼した」といったところだろう。

ここで改めて今にいたる経緯を復習しておくと、近年の米国では「米政府はひそかに墜落したUAPを捕獲してリバース・エンジニアリングをしている」といった主張が一部「ホイッスルブロワー」と称する人々によって盛んになされているワケであるが、米政府のUAP調査機関AARO(全領域異常解決局)は「ホンマにそんなことあるんかい?」ということで、これまで事実解明に向けた調査を続けてきた。

その結果、AAROとしては昨年の時点で「とりあえずそんな事実はなかったわ」という結論を出しているのであるが、「詳しい話はまた後日別の報告書で出しますんで」という話になっている。このたびの一連のWSJの記事というのは、言ってみればその調査の内実をいちはやく報じたものであって、要するに「UAP/UFO シーンの背後にはこんなアヤシイ動きがあるんやで」ということを暴露しているのである。

そこで先の第一弾に続いて今回の第二弾が光を当てているのは、この手の「エイリアンの宇宙船捕獲セリ!」みたいな言説を吹聴している人々の存在である。だがよくよく読めば、この記事の射程は「なんなんだコイツらは?」みたいなところにはとどまらず、むしろその向こう側に見え隠れする、彼らを巧妙にコントロールしようとしている「何者か」のところににまで及んでいる気がしないでもない・・・・・・あ、いや、しかし今ここであまり先走ったことを言ってもよく分からんだろうな。よろしい、ではまずは順を追ってこの記事の内容を追っていくことにしよう。

この記事の導入部では、まず「墜落した円盤の破片」をめぐる一つのエピソードが紹介されている。それによると1966年、ラジオ番組「コースト・トゥ・コーストAM」で名高いパーソナリティ、アート・ベルのもとに「ロズウェル事件で墜落した円盤の破片だ」という金属片が送られてきた。いろいろと紆余曲折を経たようではあるが、その金属片は2019年になって、アーチスト上がりのトム・デロングが設立したUFO ビリーバーの団体「トゥー・ザ・スターズ・アカデミー」に買い取られる。

案の定、ここで検査された金属片は「なんとコレ地球上のものではなかったよ!!」という話になってしまうワケだが(笑)、そう語ったのはこの団体の顧問である地球物理学者エリック・デイビスである。 彼はテレポーテーションやら反重力装置の研究などに長年取り組み、アメリカのUFOシーンでも一目置かれている人物だ*。そしてこの「トゥー・ザ・スターズ」には、AAROに先立つ政府のUAP調査プログラムに参画していた元国防総省のルイス・エリゾンド、高名な超心理学者ハロルド・パソフもメンバーとして連なっていた。要するに「トゥー・ザ・スターズ」にはUAP政府秘匿説を牽引する大物3氏が揃っていた。では彼らに対してAAROはどのような調査を行ったのか。導入部につなげるようにして、記事はここから本題へと入っていく。

    *注:この記事では論及されていないけれども、エリック・デイビスというのはUFO業界を騒がせた「ウィルソン―デイビスメモ」の当事者としてもとっても有名である。「なにそのウィルソン―デイビスメモって?」という人もいるかもしらんので簡単に説明しておくが、これはUFO大好きで知られた宇宙飛行士エドガー・ミッシェルが2016年に死んだ後、その遺品から発見された文書で、エリック・デイビスが米国防情報局長官も務めたトーマス・ウィルソン元海軍中将と2002年に面談した時の記録とされている。オレは伝聞でしか中味を知らないが、ここでウィルソンは「墜落したUFOを民間企業がイロイロ調査してるプロジェクトがあるってんでオレも調べてみたんだけど、結局『アンタには教えられません』ゆうて拒否されちまってさあ」と語っているのだそうだ。なお、当然ながらトーマス・ウィルソンはメモは作りものだと言って完全否定しており、デイビスのほうは基本ノーコメントだが何となく肯定してるニュアンスのことも言ってるらしい。関心のある方は各自調べられたし。


さて、まずはエリック・デイビスである。AAROが調査を進めていく中で、「米政府が宇宙船をひそかに調べている」という話の源泉の一つはどうやらこのエリック・デイビスだということになったらしい。そこで当時のAARO局長ショーン・カークパトリックは「ホントのとこはどうなの?」と話を聞いてみたのだという。するとデイビス、イロイロと面白い事を言ったそうだ。

曰く――「エイリアン関連のプログラムはアメリカだけじゃなくてロシアもやってるよ。オレ、ロシアに墜落したUFOについてCIAから調査頼まれたことあるし。ロシアはUFOからぶっこ抜いたレーザーシステムのリバースエンジニアリングやってるんだってサ(かなり意訳)」

CIAは「イヤ彼にはそんなこと頼んでない」といって否定したそうだが、まぁそれはイイ。連中がいつも本当のことを言うとは限らないのは当然である。それはそれとして、こうしたAAROの調査では興味深いことが一つ分かったという。このプロセスでデイビスが入手していたデータに当たってみると、それはロシアが実際に開発しているレーザープログラムに関するホンモノの資料だったという。要するに、アメリカでもロシアでも墜落UFOが研究対象になっているという話に証拠はないんだけれども、「UFOから引っこ抜いた」とされる新たなレーザーシステム自体は確かに実在していた。ということは、「ロシアにUFOが墜ちた」という部分は本当の話に接ぎ木されたウソになる。これは実際に進めているプログラムの目くらましとしてアメリカ向けにロシア自身がばらまいたニセ情報だったのでは――AAROはそんな判断をしているのだという。記事にも書いてあるが、「リアルな兵器をUFOだといって隠蔽する」手口をアメリカばかりかロシアもやってたのだとしたら何とも面白い。

記事では次いでハロルド・パソフをめぐるエピソードを記す。2004年、パソフはバージニア州で開かれたホワイトハウス企画のパネルに招かれたことがあるという。テーマは「政府の墜落宇宙船回収プログラムの存在は最終的に公表すべきか?」。要するに、これまで政府が秘匿していた情報を明かした時、どんな事態が生じるかを考えて対応策を練ってほしいというものだった。コレが本当の話だったら、ホイッスルブロワーたちの証言にも若干の信憑性が出てくる。そこで調査に入ったカークパトリックだが、当時のブッシュ大統領首席補佐官に問い合わせたところ「宇宙人の秘密を暴露する計画など一切知らない」という返答があったのだという(あとでまた触れたいが、評者のみるところこの話には巧妙にパソフをコントロールしようという何者かの意思が見て取れる)。

最後にルー・エリゾンドである。彼は政府内でのUAP調査のプロセスで、人間ならざる知性体は来訪していると主張する人物だ。カークパトリックとしても当然その話を聴取することになる。だが、自ら確たる証拠を示すことは守秘義務の問題もあってできないと彼はいう。次善の策としてエリゾンドはこう語る。「国防総省のオフィスの金庫にハードディスクが保管されている。そこに全てのファイルはある。数日前に元同僚に確認済みだ」。だが、ブツを押さえるべく数時間後にFBIがオフィスを急襲したところ、肝心の金庫は空だった。付言すれば、AAROはエリゾンドのかつての上司に「エイリアンに関するプロジェクト」について聞いたりもしたが、「聞いたことがない」と一蹴されたという。要するに全くウラは取れなかったというのである。

さて、ここでいったん冒頭に出てきたナゾの金属片についていえば、AAROがその後、この金属を入手してオークリッジ国立研究所で検査にかけたところ、最終的にコレは何の変哲もない合金であることが判明したという。「コレは地球のものではない」みたいな主張もあったけれども公的機関がちゃんと調べたらそんなことはなかった。大逆転を可能にする「物証」は存在していなかった。

そして、デイビス、パソフ、エリゾンドに当たっても、やはり彼らから確たる証拠を得ることはできなかった。だがこの記事を読む限りでは、彼らが「自分でわかっていて虚偽を申し立てている」という印象は乏しい。記者の含意はおそらく「彼らの主張は限りなくあやしいが、実は彼らもまた何者かに騙され巧妙にコントロールされている」というものではないのだろうか。個人的にはずっと、この手の人士は「仕掛ける側」――ヴァレ言うところの「欺瞞の使者」だろうという気がしていたので、そのへんのニュアンスにはなかなかに考えさせられた。

とまれ、「実在するUFOを隠す」というのではなく「UFOがあるように見せかける」陰謀というのは一体どこまで広がりを見せていたのだろう。今後のAAROの報告、あるいは現地のジャーナリストの仕事でもいいのだが、さらにその辺の実態が分かってくればなかなか面白いことになりそうだ。続報を待ちたい。(おわり)



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 「米国防総省が秘密裏にUFO/UAPの調査を行っていた」という2017年のニューヨークタイムズのスクープをきっかけに、UAP問題が近年改めて注目されているのはUFOファンならご承知のところであろう。

 紆余曲折あった末、米政府は2022年に改めて調査機関AARO(全領域異常対策室)を立ち上げているが、一方では「政府は墜落したUAPを回収してリバースエンジニアリングを行っている」といった主張も世間の耳目を集めている。この種の主張は、政府内でUAP問題に携わってきたという人々が「ホイッスルブロワー」として米議会公聴会などで証言しており、これを受けて一部議員が「政府は情報公開せよ!」と騒ぎ出すなど、事態は風雲急を告げているようでもある。

 だが、本当に「米政府は墜落したUAPを捕獲している」などという事実はあるのだろうか。

 この点については、UFO業界でも長く語られてきた一つの仮説がある。墜落エンバンが存在するという話はしばしば内部事情を知ると称する者たちによってリークされてきたのだが、それを支持する物的証拠はこれまで一切表に出ていない。これは即ち「UFOは墜落していないけれども、ニセの情報を意図的に流してきた者たちがいる」という事を強く示唆しているのだが、その黒幕というのは実は米政府なのだ――という仮説である。

 まぁ要するに一種の陰謀論である。ただ、「米政府は墜落エンバンを密かに保有している」といったショッキングな陰謀論と比較すると、こっちは「墜落エンバンなんてありません」というのが前提の議論なので、いささか「格落ち」というか、かなりマイルドな陰謀論で、そういう意味ではより蓋然性は高い(と思う)。実際、1980年代には米空軍の諜報員リック・ドーティーなる人物が「UFOは地球に飛来している宇宙船である」といったおはなしを複数のUFO研究者に吹き込み、業界を攪乱させたという故事もある。

 このドーティーは今も健在で、「いやマヂで宇宙人は来てたよ。詳しいことは機密事項なので言えんけど」みたいなことを吹いており、まさに怪人というにふさわしい人物なのだが、彼が関わった事例を具体的に挙げると「ポール・ベネウィッツ事件」というのがある。どういう話かというと、ニューメキシコ州のカートランド空軍基地の近くに住んでいたポール・ベネウィッツという科学者&事業家がUFOを目撃し、空軍に連絡をする。これを受けたドーティーは彼に接触したのだが、そこで何をしたかというと「そう、あんたの目撃したのは間違いなくUFOですぜ」と煽るような情報を次々に与えた(ちなみにドーティーは、この件についてはニセ情報を伝えたことを認めている)。これを真に受けたベネウィッツは「宇宙人は地下基地まで作っている! 嗚呼宇宙人の脅威だ大変だ!」ということで精神が錯乱していき、最後は死んでしまったのである。

 では何でそんなことになってしまったのかであるが、当時空軍基地では秘密のプロジェクトが行われており、ベネウィッツが電波の傍受とかイロイロ始めたンで、当局が「あんたの見てるのはUFOですぜ」とミスリードすることで真相がバレるのを防いだのではないか・・・というのが定説であるらしい(ちなみにこの事案には空軍のほかNSAとかモロモロ絡んでたとも言われる)。

 そうすると、自分のトコの兵器開発を隠すために「何かよく分からないものが飛んでいるのはアレはUFOなのです」とニセ情報を流すのは米当局の常套手段ではなかったのか、という疑念が生じる。陰謀論といやぁ陰謀論なのだが、実例もあるだけに一定の説得力はある。
 

さて、前振りがずいぶん長くなってしまったが、そういうトコロに今回注目すべき情報が流れてきた。米国の一流メディアとして知られる「ウォール・ストリート・ジャーナル」が6月6日、この問題に関するスクープを放った。タイトルは「アメリカのUFO神話を煽ったペンタゴンのニセ情報」。

 どういう内容かというと、先述のAAROは、UAPの目撃事例の調査に加えて、これまでの米政府のUFO問題に対する取り組みをリサーチして「エイリアンのエンバン捕獲」といった主張の真偽も調べてきたのであるが、そのプロセスで、ペンタゴンがこれまで意図的にUFOにまつわるニセ情報を流布してきた事実が判明したというのである。

 記事中、具体的な事例としては、とある空軍大佐が1980年代、「エリア51」で開発されていたステルス戦闘機の存在を隠すため、地域住民に「米軍はここで回収したエンバンの研究をしている」といった話をバラまいた話が出てくる。

 あるいは、空軍のとある極秘プロジェクトに参画する将兵たちはエイリアンの乗り物の実在を示唆する資料を渡され、「口外するな」と命じられるようなことが恒常的に行われていた――といった話も出てくる(ちなみに彼らが参加したプログラムは「ヤンキー・ブルー」というコードネームで、そうした乗り物のリバースエンジニアリングに関わるものだと説明されたという)。これなどは大衆のみならず軍内部の多くの人間もまんまと騙されていたということだろう。

 加えて記事の後段では、核ミサイルサイロにまつわる話も出てくる。1967年、モンタナ州のとある軍施設の上空に楕円形に見える物体が現れたが、その直後に10発のミサイル発射システムがダウンした(記事中に明記されてはいないが所謂「マルムストロム事件」のことであろう)。つまり「UFOによって核施設が無力化された」事例ということになるワケだが、記事によれば、AAROの調査でこれは人為的に引き起こされた事件だったことが判明したのだという。つまり米軍は電磁波パルスで核兵器を無化するシステムを開発しており、現場の兵士には何も知らせることもなく、その実験が行われたというのがその「種明かし」である。

 むろんコレは報告書というようなものではないので、この記事だけでは個々の事例の詳細がよくわからず、隔靴掻痒の感は否めない。それでも天下のWSJだけに、そんなに飛ばして書いているということはないだろう。その上で「証拠を捏造した」とまで断言しているのは相当に重い。巷間ささやかれていた「米政府は秘密兵器の隠れミノにUFOの噂を利用すべく、根も葉もないニセ情報を自らバラまいてきた」説も相当に信憑性があるように思えてくるのである。今回の報道は、或る意味でエポック・メイキング的な意味を持っているのではないかと思う。

 そこで気になるのは、この「陰謀」がどれほどのレベル・深度で展開されてきたかということだ。

 ちなみにAAROは2024年2月に「Report on the Historical Record of U.S. Government Involvement with Unidentified Anomalous Phenomena (UAP) Volume I」という報告書を出しており、先述したように米当局のこれまでのUAP問題への関わり方を総括しているのだが、その際には様々なハレーションを恐れてか、こういう欺瞞工作のくだりは省かれてしまったようだ。ただし記事中には、今後公開を予定している報告書の続編では、いかほどかその内容が公開されるかもしれないというようなことも書いてある。

 もう一つ言うと、この記事自体にも続きがあるようで、そこでは「墜落した宇宙船の金属片」をめぐるストーリー(?)が紹介されるようなことが末尾で予告されている。面白そうじゃないか。期待して続編を待ちたい。(その2へつづく


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 いぜん閑古鳥が鳴いている当ブログであるが、今回紹介したいのはジャック・ヴァレの著書『欺瞞の使者 Messengers of Deception: UFO Contacts and Cults』(1979年)である。まずは本書がいかなる本なのかということについて粗々の解説をしておきたいのだが、大きくいうとこれは「陰謀論」の本である。

  ヴァレに興味のある方は先刻ご承知かと思うが、ユーフォロジストとしての彼の一枚看板は「UFOの地球外起源説(いわゆるET仮説)はデタラメだよ!」というものである。要するにUFOというのは宇宙人なんかとは全然関係ない、何だかよくわからん超自然的な存在であるということを彼はこれまでずっと主張してきた。一方で彼は「UFO現象というのは人間を何らかの形でコントロールする意図を有しているのではないか」といって、これを「コントロール・システム仮説」などと称しているのだが、これなんかもこの反ET説から派生するかたちで出てきているのだった。

  しかし、「それじゃあそもそもUFOの正体は何なのよ」という疑問が浮かぶ。こういう話になるとヴァレはまた禅問答のような話をしはじめてしまうので結局よくわからない。従ってでココではそういう話は省略するのだが、ともかくヴァレにはこの反ET論者としての顔がある。ところがヴァレにはもう一つの看板がある。それが「陰謀論者」としてのヴァレであって、この本はまさにそういう問題意識から書かれたものなのだった。

  それは、とりあえず「UFOは実在するのか」「UFOとは何なのか」といった問題とは離れたところで出てくる議論である。そういうものが実在するのかどうかはさておいて、この社会には、世間に流布しているUFOにまつわる伝説・おはなしを自分たちの何らかの目的のためにうまいこと利用している悪どい組織・団体があるんではないか――彼はしばしばそういうことを説いている。本書のタイトルにもなっている「欺瞞の使者」というのは、まさにそういう連中のことを指しているのである。

 ただ、本書で「欺瞞の使者」扱いされているのはUFOをネタに信者さんを集めているようなカルトばかりではなくて、米政府なんかも一種の陰謀の主体として想定されている。実際、陰謀論者としてのヴァレは「米政府はUFOの正体なんか全然分かってない。でも、たとえば開発中の秘密兵器がUFO扱いされたら大衆から真相が隠されてとっても都合が良いよね。だから米政府はこれまで故意にUFOにまつわるホラ話を流してきたフシがある」みたいなことをこれまで盛んに言ってきた(ここでは触れないが、彼はそういう陰謀が実在する証拠として「ペンタクル・メモ」と称する文書を見つけたとかいって大騒ぎしたこともある)。

  ここでちょっとだけ脱線すると、ヴァレはこの「米政府はどこまで知っているのか」という論点にかんして、2021年の最新刊『Trinity』で「どうも米軍は1945年の時点で墜落UFOを回収・調査していたようだ」ということを言いだしている。要するに従来の主張との整合性がちょっとおかしくなってきているのだが、そこは「いやいや回収してリバースエンジニアリングなんかもしたンだけど、結局何も分からんかったようだ」みたいなロジックで逃げようとしているようなのである。ここまでくるとどうも彼は陰謀論のダークサイドに堕ちかけているようで心配なのだが、話を元に戻すともともと彼にはそういう陰謀論者としての素地があったのだ。

  かくて「UFO方面で蠢いているアヤシイ人々を追ってみました」ということで彼が書いたのがこの本だったわけだが、参考までにいうと、ヴァレの数少ない邦訳書に『人はなぜエイリアン神話を求めるのか』(1996――原題は『Revelations: Alien Contact and Human Deception』(1991)――というのがあるンだが、これなんかも陰謀論系列の本ということができる。

  個人的にはこの「陰謀論者としてのヴァレ」というのはあんまり好きではない。しかし、この本を読むとなんかよくわからん有象無象のUFOカルト的なものがイロイロ出てきたりして、UFOをめぐる「うさんくささ」というのが行間からジワジワとにじみ出ているような気がする。言ってみれば本書はそういう「怪作」として楽しむべき本なのだろう。いつかちゃんと内容の紹介もしてみたいと思っているのだが、それはまた後日。



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 書影。これはたぶん初版のであるがなかなかに洒落ている

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 ユーフォロジーに関するSNSの書き込みなどで、最近「スピ系」というコトバを見かけることが増えてきた。文脈的にはUFOやその「搭乗者」を宗教的・霊的なアイコンとして盲信する人々・営為を指すコトバのようで、どうやらそこには揶揄の調子もいかほどか含まれているようだ。だがそれは果たして真っ当なワーディングといえるのか。私見ながら、ここには大きな問題がある。

 もちろん当方も、個人的にはUFOと霊的存在を重ねて考えるような人々・営為には疑念をもっている。もってはいるんだが、しかしここで何故「スピ」という語句が持ち出されねばならないのか、よく分からないのである。

 言うまでもなく、ここでいう「スピ」というのは「スピリチュアル」の略であろう(ちなみにスピリチュアルと似て非なる「スピリチュアリズム」というのは、一般には死後の霊魂存在や霊との交信を肯定する「心霊主義」を指しており、ここでいう「スピ」とは若干位相を異にしているものと思われる)。

 だが、「スピリチュアル」というコトバには当然歴史的に積み重ねられてきた意味がある。この「スピ系」というのは、そうした従来のスピリチュアリル/スピリチュアリティと如何なる関係にあるのか。そこで想定されている「スピリチュアル」とは一体何なのか。このあたりを曖昧にしたまま「スピ」というコトバを無自覚的に用いてしまうのであれば、それはユーフォロジーではなく床屋のおっさんから聞かされるUFO話とたいして変わらない。ネトウヨの皆さんが「左翼」の何たるかも知らずに反対者を「パヨク」と呼んで、「オレからみればその程度よ!」と悦に入っているようなものであろう。

 では「スピリチュアル」とはそもそも何なのか。たまたま今読んでいる吉永進一『霊的近代の興隆』(国書刊行会)にその辺にかかわるくだりがあったので、以下引用してみる。



 
アメリカにおいて、現在「スピリチュアリティ」と総称される領域は、それ以前には「ニューエイジ」と呼ばれていた領域とほぼ重なり、歴史を遡って十九世紀後半であれば、スウェーデンボルグ主義、スピリチュアリズム、催眠術、マインドキュア(ニューソート)、神智学、東洋宗教などが含まれる。個人志向の傾向がつよく、既成のキリスト教に対して批判的なスタンスをとり、自然科学に対して親和的である。信仰よりも学習や修行を重視する傾向がある。内的な霊性(スピリチュアリティ)を重視し、世界を善と見ることが多く(以下略)」(156頁)




 この引用部を読んだだけでも分かるだろうが、スピリチュアルという概念には相当に重層的な意味が込められている。「スピ系」という括り方はいささか雑すぎるのである。

 さらに言えば、わが国では宗教学者の島薗進が、いまさら宗教には帰れないけれども近代合理主義を越えた「霊的」な価値を希求せずにはおれない現代人の心性を捉え、「近代」と「宗教」にかわる第三の道としての「スピリチュアリティ」を肯定的に捉え直す議論を続けてきたことも広く知られている。同じく宗教学者の堀江宗正も、現代日本における「宗教的なもの」のありようをつかみ取る上で「スピリチュアリティ」という概念はとても重要であると主張している。かような知的営為を踏まえてみると、「こいつらスピ系な!」みたいな物言いはいささか脳天気に過ぎるのではないかと思えてくる。

 ちなみに私見では、こうした研究でいうところの「スピリチュアリティ」は、「組織・団体に頼らず個人として内面を掘り下げていく」というところに大きな特徴があるのだが、「スピ系」というコトバにはそんな含意もなさそうだ。結局のところ、「スピ系」というのは「なんか宗教っぽい」ぐらいの符牒にしかみえないのである。

 もちろん、かつて一世を風靡した江原啓之が「スピリチュアリスト」などと称していたこともあり、スピリチュアリティというのはイコール「霊魂がどうこうみたいな話」程度の浅薄な理解が一般に広まっているのも事実だろう。だからこそ「スピ系」といった軽いコトバで大衆にアプローチしたいという意図も分からないではないが、先にも述べた通り、そのような言説はユーフォロジーではなく与太話に終わってしまう可能性がきわめて高い。

 まぁ学術研究のようにいちいちコトバの定義から始めよとまでは言わんけれども、「なんとなく」や「雰囲気」に乗っかった議論というのは、如何に世間的に胡散臭いユーフォロジーであっても警戒せねばならぬものだと思う。というか、胡散臭いユーフォロジーであるからこそ避けるべきものだと思うのだがどうか。(おわり)


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在野のUFO研究家でオレなども若干おつきあいのある小山田浩史先生から、このほど妖怪マニア界隈の方々が作っている同人誌「南瓜」(亀山書店)のご恵投を頂いた。この雑誌には小山田先生が「南米円盤魔界紀行 エンバウーラの章」なるUFOエッセイ――というか論考を寄せており、「アンタもこれ読んでちったぁ勉強せいや」ということかとは思うけれども(笑)ともかくありがたやということで早速拝読させて頂いた。まぁ何かお返しがしたいところだが実際は何もできん。ここはご厚意にこたえるべくせめて感想文でも書いて僅かなりとも恩返しができれば……ということで今このエントリーを書いている。

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小山田先生のことを知らん人のためにココで簡単な紹介をしておこう。この方はもともと民俗学・文化人類学が専門で大学院にまで行ったというインテリである。ウワサでは大学でUFOをテーマにした論文を書こうとして指導教官にうしろから羽交い締めにされて止められたという武勇伝があるらしく、要するに筋金入りのUFO者。生業は別におありのようだが、ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)という民間団体のメンバーとして『UFO事件クロニクル』(彩図社)といった本に怪事件の紹介記事を書いてたり、あるいはNHKの「幻解!超常ファイル」で栗山千明様にジャック・ヴァレについて講義するという輝かしい経歴(笑)もお持ちである。

ちなみに小山田先生のスタンスはフツーのUFO研究家とは若干違う。先のASIOSのメンバー紹介のページをみると「大学・大学院で民俗学・文化人類学を学んだことにより超常現象を『「ある/ない(いる/いない)』だけでとらえず、人間や社会にとってどのような意味があるのかといったことまで含めて眺めて楽しむ視点を得た」とある。コレをオレ流にいいかえると、小山田先生は「UFOの正体は何か」といった問題はひとまず脇に置き、むしろ「そのような現象を体験し報告してきた人間とはいったい如何なる存在なのか」といった問題意識からUFOにまつわる出来事を捉え直そうとしているのだろう。

こういうアプローチは「UFO肯定派と否定派がゲキトツ!」みたいなテレビ番組でよくみる安直なフォーマットからは外れているが故になかなか理解されにくいとは思うのだが、これはUFO現象というのは畢竟一種の宗教類似現象なのではないかと考えているオレにとってもとても共感できる。そういう意味で、小山田先生にはフレイザーの『金枝篇』のUFOバージョンみたいな大きな仕事をいつかまとめていただきたいものだとオレは常々思っているのだった。



というワケでずいぶん前振りが長くなってしまったが、今回の眼目はあくまでも小山田先生の書いた「南米円盤魔界紀行 エンバウーラの章」の紹介である。で、ひと言でいうとコレは「日本でも通称エンバウーラ事件としてそこそこ知られているUFO事件をめぐるナゾ解きのおはなし」ということになる。どういうことかというと、小山田先生によれば、この事件についてはかねてより大きなナゾがあった。同じ事件のハズなのに、日本で流布してるおはなしにはワールドワイドに広まっている情報と齟齬をきたしている部分がある。「一体それは何故なのか」といったところを名探偵・小山田は追っていく。

具体的にいえば、ここで俎上に上げられているエンバウーラ事件について国内で流通しているストーリーというのは以下のようなものだ。



1969年2月6日の朝、ブラジルのピラスヌンガ市でティアゴ・マチャドなる19歳の青年は遠くに降下していく物体に気づき、近くまで行ってみた。すると着陸した物体からは宇宙服にヘルメット姿の「宇宙人」が出現。いろいろやりとりもあったようだが、この小柄な宇宙人は「エンバウーラ!」と叫んでからマチャド青年を光線銃で銃撃。あわれマチャド青年は気を失ってしまった――。


ナゾの宇宙語(?)である「エンバウーラ」という言葉がなかなかに印象的である。であるが故にこの事件は「エンバウーラ事件」という戒名をつけられたのだが、さて、実はココで困った事態が生じてしまう。肝心かなめの「エンバウーラと叫んでから撃った」というパートであるが、改めて調べてみるとどの海外文献を漁ってみてもそんな話は全然出てこない。となると、この事件を日本に紹介した人物の捏造が疑われる。その人物の名は超常現象モノで知られたライターの中岡俊哉! やはりコレは怪人物・中岡のやらかしなのか? と、そこに急遽もうひとつの「エンバウーラ事件」が浮上し……!?

……とまぁこんな感じでナゾ解きは進んでいくワケであるが、ネタバレになってしまいますのでここから先は現物をどうにかして入手してお読みください。


で、結論を秘したままでイロイロ言ってもよくわからんとは思うのだが、コレ読んでオレが感じたのは日本のユーフォロジーの後進性みたいなものである。

要するに、日本においてUFOというネタはもともと中岡とか黒沼健みたいな怪奇作家やライターといった人種が先導して移入してきたものである(むろん研究家という人種もいたが社会的影響力でいえばあまりにも微力だったろう)。いやもちろん本場アメリカでも雑誌屋のレイモンド・パーマーあたりが「面白い読みもの」という文脈で最初期のUFO話の流布に尽力したという事実というのはあるのだが、単なる面白ネタを超えた問題として軍部だとか科学者とかがやがてこの界隈にクビを突っ込んでいったのもまた事実。比較すると、どうしても日本では「面白ければヨシ」の風潮がなかなか抜けない。だったら筆の立つ読みものライターが主戦場に出るし、テレビでもバラエティ番組のネタとして消費される。イロイロと問題が起こる。そういうことではないのだろうか。

とまぁ別に小山田先生がそんなことを言いたかったワケでもないとは思うけれども、今回の論考からもUFOをめぐるあれやこれやを考えさせていただいた。それと、どうやら先生は今回ポルトガル語の文献なども入手してイロイロと調査をされたようであり、そういう真摯な姿勢は我々も見習いたいものである。次回作も頑張ってください。(おわり)

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わが国屈指のUFO同人誌『UFO手帖』の新刊が今年も刊行され、この12月1日に開催された文学フリマ東京にてめでたくお披露目と相成った。
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 『UFO手帖9.0』書影。この表紙もなんだか「メリークリスマス!」的で心地よい!

 
『UFO手帖9.0』と題した今号であるが、その特集は「真夜中の円盤仮説」。小生は今回も執筆陣の片隅に加えていただいており、いわば利害関係者ということになるわけだが、今号もひいき目ナシで相当に力の入った仕上がりである。文学フリマに来場いただけなかったファンもたんとおられるであろうから、ここではその概要をオレ流にお伝えし、近々始まるであろう通販開始への期待を膨らませていただこうと思う。 


さて、最近の世界のUFOシーンの動向を振り返ってみれば、米国においては国防総省に設けられたAARO(全領域異常対策室)がUFO改めUAP問題の解明に乗り出すことなり、この問題に関して議会で公聴会が開かれるなど新たな動きが出ているのは皆さんご承知の通り。これは余談であるが、フジテレビで現在放送中の『全領域異常解決室』というのも明らかにこのAAROの名称をパクっているワケであって、長年「UFOなんて古いよね~」というUFO氷河期の冷え切った空気に覆われてきたわが国の状況もひょっとしたらこれから変わってくるんではないだろうか。

そんなタイミングで我らが「UFO手帖」が気合いを込めてブッ込んできた特集はまさに乾坤一擲、「じゃあUFOって結局のところ何なのよ!?」という究極のテーマに切り込むものであった。つまり空飛ぶ円盤-UFO-UAPについての仮説をいろいろと提示し、ナゾ多きUFOの真相に迫ってみようというものなのだった。

 だがしかし。

ここが実に痛快なのだが、この特集は「UFOは宇宙人の乗り物だ」というメジャーなET仮説を基本的にガン無視している。なにしろ編集長のペンパル募集氏自らが健筆をふるったメイン論考のタイトルが「UFO生物説は鳴り止まない」である!

これは、2004年に米カリフォルニア沖で米軍機がナゾの飛行体(?)と遭遇、赤外線カメラでその姿をとらえたことで知られるかの有名な「チクタク事件」について調べていた編集長が、「このUFOってなんか戦闘機とじゃれあってたんじゃね? ひょっとして………コレ生物?」と閃いてしまい、これまで業界の一部でささやかれてきた「UFO生物説」の歴史にスポットを当てた力作なのだった。で、「コレまんざら奇説で済ませたらアカンのでは?」と思わせてしまうこのドライブ感。エエです(末尾で矢追純一UFOスペシャル的な煽りを一発カマしているのも好感がもてる。子細は買って確かめてくださいw)。

お次は「精神投影説とその拡張」(馬場秀和氏)なる論考である。コレは「UFOというのは無意識的な精神のはたらきによって人が目撃してしまうものではないか」という精神投影説について考察を加えているのだが、もちろんこの仮説は「でもUFOって着陸痕とかレーダーとか物的証拠も残すよね?」とツッコまれるとスゲー弱い。弱いので、筆者はそこを何とかすべく物理学における量子論を援用するなどして「拡張された精神投影説」の可能性を探る。探るのだが、最後に「でもちょっとムリ筋だわな」といってこの仮説を突き放すのだった。そんなぁ…………ホンマ人が悪いぜよ。でもまぁ面白いからエエけど(笑)。

ちなみに今号には、とある縁からスペインのUFO研究者、ホセ・アントニオ・カラバカ氏も「UFO現象の心の中で」という原稿を寄せている。世界にはばたかんとするUFO手帖の勢いを感じさせるのだが(爆)彼のこの論考も広義の精神投影説をテーマにしたものなので、今回の特集の中に収録されている。ちなみに彼は「歪曲理論」(ないしは「歪み理論」。本稿では「知覚変化理論」と訳されている)というのを唱えているのだが、これをオレ流に説明すると、UFO現象が人と場所によって全然違うストーリーになってしまうのは、UFO体験が目撃者の精神世界と外部の「何ものか」の間のコミュニオン――霊的交流とでも申しましょうか――からそのつど生成されるからで、目撃者は定常不変なモノをそのまんま知覚しているわけではない、いわばUFO体験は両者の共犯関係から生じているのだと言っている。……なに言ってるかよくわからんでしょ。まぁ普通はそうです(泣)。が、今号ではちょうどカラバカ氏の説に触れた「UFOとトゥルパ」(金色髑髏氏)という論考も掲載されているので、そのあたりも含めて味読していただければとても面白いと思います。

特集にはこのほかにも「秘密兵器説の盛衰」(ものぐさ太郎α氏)だとか円盤仮説本の紹介コーナーとかいろいろあって充実しとるけれども、ところどころに「円盤ミニ仮説」と称して執筆陣がふざけたアイデアを披瀝しているミニコーナーが挿入されていたのが面白かった。というのも、「本特集ではET仮説は基本ガン無視している」と先に書いたのだが、実はこのコーナーに限っては「宇宙人」の訪問を前提とした上で、「地球は中二病の楽園」とか「地球・道の駅説」だとか、宇宙人をインバウンド観光でやってきたノーテンキなお上りさん扱いしていたりする。宇宙人、お笑いのネタとしてであればアリなのかw

要するにこの雑誌の作り手たちは或る意味スレているというのか、「UFOは宇宙人の乗り物」といったプリミティブで単純な発想には些か飽いてしまっているようなのだった。いやだがよくよく考えてみると、最近UAP問題に注目が集まっているアメリカ議会周りの議論では、どうしたって異星人を連想させてしまう「エイリアン」などというコトバに代えて、「Non-human intelligence (NHI)」、つまりは「非人間知性体」といったコトバが用いられることが多くなってきていたりする。すれっからしのようでいて『UFO手帖』、実はスゲーマジメで、これで時代の先端をいっている(ホントか)


特集の紹介をしていたらずいぶん長くなってしまったので、あとは駆け足で。UFOにまつわる音楽、マンガを紹介するコーナーは今年も健在。「虚偽記憶、催眠、幻覚とUFO」(オオタケン氏)という、この雑誌ではあまり見かけない(失礼!)マジメな論考もあれば、日本人が円安に泣いている昨今を思うと相当にバブリーな「UFO事件地探訪 in ニューヨーク・マンハッタン」(夜桜UFO氏)といったユニークな記事もある。そういえば今号には、現地に在住しているMARO氏の「フィンランドのUFO事情」なんてのもあるし、先に紹介したカラバカ氏の寄稿もあってなんだか国際色豊かである。この路線も面白いので、今後に期待したいものである。

そうそう、それで最後にひとつ、稲生平太郎名義でUFO本の名著『何かが空を飛んでいる』を出したことで知られる英文学者の横山茂雄氏はこれまでにも本誌に再三登場しているのであるが、今号では「『聖別された肉体』補遺(1)」「藤澤親雄についてのノート」という原稿2本を執筆いただいている。直接UFOには関係ないように見えるけれども、こうした広義のオカルト研究はどうしたって根っこではUFO問題とも繋がってくるのであって、そこは具眼の士であれば敢えて語らずとも知るところである。味読していただきたい。

ということで本誌を読みたいという方はこのサイトの辺りを定期巡回されるが良かろう。どうかご贔屓に。(おしまい)

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マーク・ピルキントン『ミラージュ・メン』(2010)

■第1章 境界部へ

「船はそこにあるのさ。見上げた人々の目には見えるんだ」 ――グレイ・バーカーの『アダムスキの書』(ソーサリアンブックス、1965


 「あのクソったれは何だ!」とティムが叫んだ。彼の声は恐怖というよりも驚きをにじませていた――それは初めてUFOを見た人間にとってはさもありなんというものだった。

 1995年の7月中旬、明るく晴れた午後のこと。友人のティム、当時のガールフレンドのリズ、そして私は、パンクしたタイヤを取り外す作業をしていた。場所はヨセミテ国立公園の東の境界から27マイル離れたティオガパス・ロード沿いのテナヤ湖。私は22歳だったが、私が前輪を取り替えようとしていたクルマも同い年だった。それは1973年製のオンボロで青空のような色をしたフォード・ギャラクシー500。バックシートにはマットレスを敷いていた。私たちは80日以上かけてアメリカを一周する旅に出ていて、ほとんど2ヶ月ほどが過ぎていた。しかし、そのクルマは限界に達していた。直近でクルマを点検した整備士たちは、あえぐように走る2トンのケダモノで私たちが旅を続けるのをやめさせようとした。そこから私たちは200マイルほど進んできたわけだが、私がスパナを握りしめてそのクルマの下に入り込んでいたのにはそんな事情があったわけだ――そこでティムが叫び声を上げた。

 ティムは私の前に棒立ちになり、信じられないという風に言った。「あれは何だ?」。私は「わからない。でも30分ほど前に同じものを見たぜ。ここから数マイル下のほうで」と応じた。

 私はタイヤのナットを回し続けたが、心もまるでコマのようにグルグルと回転し続けた。私たちが見たものが何であれ、それは20分ほど前に道路上で目撃したものと全く同じものだった。

 ヨセミテからここに向かう途中で、クルマのタイヤはパンクしてしまった。新しいタイヤを持ってこようと、リズと私は最寄りの町、リー・ヴァイニングへヒッチハイクをして向かった。それはモノ湖のわきにあって、石灰に覆われたような殺風景な光景の広がっている、かつては採鉱業の最前線にあった小さな町だった。仕事が済んだ私たちは、通りかかった2人乗りのコンバーチブルスポーツカーに乗り込んだ。リズは前に座り、髪をきれいになでつけたドライバーとぎこちない会話をしていた。一方の私は、ドライバーシートの後ろの空間に足を突っ込んで、修理されたホイールを抱えながら座っていた。

 風の強い二車線の舗装道路を走りながらヨセミテへと戻ってくると、涼しい山の空気が吹き付けてきた。樹木が密集した北側の森のところをカーブした時、木々の間に光るものが目に入った。防火帯になっている直線道路の90フィートほど先、高いモミの木の間に全く予想もつかないものがあったのだ。それは地表3フィートのあたりに滞空しているようで、静止していた。

 それは光を反射する銀色の完全な球体で、直径はおそらく8フィート。磨き上げられた巨大なクリスマスツリー用のオーナメントのようだった。それは私にルネ・マグリットの謎めいた作品『La Voix des Airs 天の声』に描かれた、緑豊かな風景の中に吊されたベルを連想させた。それは美しく、穏やかで、不気味で、そして違和感に満ちていた。

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  La Voix des Airs 

 私が自分が見ているものがどんなものかを認識した途端、それは木々の後ろに消えてしまった――私たちが曲がりくねった道路を走っていく間に。数秒後、私たちはまた別の防火帯用の道路を通過していったのだが、さきほどと同じ場所に目をこらした。それはまだ同じ場所にいた。水銀のように輝き、不動で、奇妙なほど完璧だった。一瞬の閃光を放ってからそれは木々の間に消えたのだが、それからまた別の曲がり角、別の道路を経て、再びあのいまいましい球体が出現した。私は、頭の中で説明を探したけれど、それを口に出すことはなかった。リズやドライバーは特に異常なものを見たような様子もなかったし、仮に私が何を言うべきかわかったとしても、爆音するエンジンと風の音の中でそれを伝えることは不可能だった。

 球体と森を後にした私たちは、自分たちのクルマに戻ってきた。それはきらめく湖と険しい岩山の間に挟まれた場所にあった。クルマをジャッキアップしてその下に潜り、ホイールを取り付ける作業をしている間、私は自らが見たものについて口にすることはなかった。ティムが叫び声を上げたのは、その時だった。私の視界にあったのは彼の足首と足だけだったが、彼とリズは興奮して大きな声を上げた。

 「早く!これを見ろ!いったい何なんだ!?」

 立ち上がった時、私はそこで何を見ることになるかは分かっていた。

 午後の日差しを受けて、それは湖の上を意志を持っているかのように滑り、私たちに向かって進んできた。穏やかに浮かんでいるさまは、まるでどこかの粘性のある流れに運ばれているかのようだった。それは先に見た球体とまったく同じように見えたが、同じものではなかった。というのは、それは約1/3マイル離れた湖の反対側からやってきたからだ。それは私たちの頭上約50フィートほどのところを飛んでいたが、全く音をたてず、急いでいる感じもなく、それでもどこか決然としたものを感じさせるような動きだった。そして、丘の穏やかな輪郭に沿うようにしてそれは視界から消えていった。この間の時間は1分足らずだった。

 「あれ、何だったの?」。リズが私たち全員の思いを代弁するように言った。虚無が一帯を満たした。頭は答えを探そうとしたが、何も出てくることはなかった。

 クルマの下に戻った私は、さらに少しナットを外して、不安が忍び寄ってくる感覚を抑えようとした。が、無理だった

 「まったくもって信じられない!もう一つ来るぞ!」とティムが叫んだ。

 急いで体を出すと、ちょうど間に合ってもう一つの球体を見ることができた。前のものとまったく同じで、湖の上をゆっくりと私たちに向かって進んできた。そのルートは先ほどのものとまったく同じだった。そして、それは丘を越えるように上昇し、まるでそこを毎日通っているのだという風に穏やかに進んでいった。

 私はカメラを取りにクルマに飛び込んだが、間に合わなかった。球体は消え去っていた。それが最後だった。

 おそろしく奇妙で、本当の話である。これは他の何千ものUFOの物語とも似ている。この話には、その当時私がUFOに多少興味を持っていたという事実によって、いささか奇妙さの度が増しているところもある。正直に言うと、その当時私はUFOに取り憑かれていた。私はこれまでずっと超常現象と異常なものに興味を抱き続けてきた――ほとんどの子供がエニド・ブライトンを読んでいる間に、私はH.G.ウェルズやブラム・ストーカーを読んでいたのだ。 しかし、どういうわけか1980年代後半になると、徐々にUFOが私の主要な関心事になっていったのである。(つづかないw)

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■オズ・ファクター

 ジェニー・ランドルズは著書『UFOリアリティ』(1983年)において、「現実世界から切り離され、異なる環境のフレームワークに運び去られてしまう感覚」について言及している。彼女は、この感覚がUFOの目撃者によって時折報告されることを踏まえて、こう述べている。「それは我々がUFOを理解する上でもとても重要なものの一つである。それはおそらく、目撃者は一時的に我々の世界から別の世界に――その世界の現実はこちらとは微妙に異なっている――運び去られていることを示唆している・・・『オズの魔法使い』の国にちなんで、私はそれを『オズ・ファクター』と呼んでいる」。サイキック現象を論じた『シックス・センス』(1987年)では、彼女はこのオズ・ファクターを心理学者や超心理学者が「変性意識状態」と呼ぶものと同一視している。

以下はUFOにかかわるストーリーの中でオズ・ファクターが報告された一事例である。それは1978721日、まだ暑さの残る夏の夜、午後1015分頃にイギリス・マンチェスターのデイヴィフルムで起こったもので、ランドルズが「W夫妻」と呼んでいるカップルが薄明の空に黒っぽい円盤が浮かんでいるのを目撃した。この円盤はオーラに包まれており、そこからは3040本の美しい紫色の光線が車輪のスポークのように様々な角度に発射されていた。その長さは真ん中にある円盤の直径の12倍ほどまで伸びていた。ランドルズの記すところでは、一分半ほどすると「光線は順番に内側にたたみ込まれていき、物体はゆっくりと消えていった。その大きさは向かいの家の屋根と比較しても相当に巨大なものであった」。W夫妻が当惑しつつ語ったことによれば、その目撃の間、いつもは賑やかな通りは不思議なほど静かで、クルマや歩行者は全くみえなかった。W婦人はのちに、二人でその物体を見ている間、自分は「特別な存在」になっていて、かつ「孤独」な感じだったと語った。

 もう一つの類似した事件は、ドーセット州プールのジーン・フィンドレーによって報告された。1980126日の朝91分、バスを待っていた彼女は「上を見なければ」という衝動を感じたが、それは「まるで頭の中で誰かの声が命令してきたような感じでした」。彼女は近くの木の上にホバリングしているドーム付きの円盤型UFOを見た。彼女は「魔法にかけられた」ような感じで、「平和、静けさ、温かさ」といった感情がわき上がる中、彼女はその物体が光線を放ち、一回転し、それから超高速で飛び去るのを見た。時計を見ると「時は飛ぶように過ぎていた」――ちょっとの間の出来事のように感じたが、実際には4分が経過していた。この目撃は繁華な都市のラッシュアワーにあったものにもかかわらず、彼女によれば、その間あたりは「静まりかえって」おり、周囲から人影は絶えていた(ランドルズ、1983年)。

 オズ・ファクターが関わっているかもしれない目撃事例は、1989415日のカリフォルニア州ノヴァトからも報告されている。この日の午後530分、自宅の前庭にいた父親と息子は、仰角75度のあたりで「軸のようなものでつながった二つの球体」――つまりはダンベルのような形をした物体がゆっくりと下降していくのを見た。二つの球体は金色で、その周りには白い光輪があった。

 5週間後に目撃者にインタビューした心理学者でUFO研究者のリチャード・F・ヘインズによると、「ダンベルの見かけの角度の大きさは、父親が腕を伸ばした先の親指の幅よりはやや小さく、だいたい1.5度であった」。さらにこれは双眼鏡越しだけでなく裸眼でも見えたのだが、その物体の近くでは四つの小さな金色の円盤が動き回っていた。ヘインズはこう記している。「父親は、物体を観察しているあいだ、通常はこの時間だと多くいるはずの子供や犬がいなかったのは奇妙だと語った」。さらに目撃者は「不思議なんだが、アレを見た人間は他には全然いなかった」とも述べた(ヘインズ、1989年)。ちなみにこの事件は新聞では報じられなかった。

以下に示す物理的効果を伴った刮目すべきオズ・ファクターのエピソードは―― これを専門用語でいえば第二種接近遭遇となるわけだが――195912月の或る日の朝、545分頃にカリフォルニア州プロベルタの南方半マイル地点で発生したとされている。ラリー・ジェンセンはその日、米ハイウェイ99号線を仕事にいくため走っていたのだが、ラジオが「パチパチ」という音を立て始め、ライトは暗くなった。そこで道路脇に車を止め、ヘッドライトを点検するために車から降りたところ、彼はヘッドライトが使い古しの電池で動く懐中電灯のように弱々しく光っているのを見て愕然とした。

 すると彼の視界の端に、巨大で明るい青緑色の三日月型の物体が、高さ60フィートのあたり、位置的には彼の後方四分の一マイルの場所でホバリングしているのが見えた。その物体は幅80から90フィート、厚さは15から20フィートほどあるように見えた。すると突然、不可解なことに、彼は自分の服がずぶ濡れになっていることに気付き、押しつぶされるような不安な感覚を覚えた。そればかりか、調査員に語ったところによれば、彼は「磁石に引き寄せられるように、宇宙へ吸い上げられる感じがした」。

 彼は車のドアに飛びつき、常に持ち歩いていたライフルを掴もうとしたが、代わりにサイドミラーにぶつかって後ろ側によろめいた。二度目の試みでやっと車内に入った彼は、バックミラーを覗いたが、物体は見えなかった。しかし、右側の窓から外を見ると、UFOが数マイル先で北東方向に向かい、シエラ丘陵を浅い角度で登っていくのが見えた。10秒も経たないうちにその姿は消えた。

 ジェンセンの車のライトは再び点灯した。ホッとした彼は再び出発したが、200ヤード進んだところで再び車を止めた。焦げたゴムの匂いがしたからである。ボンネットを開けると、バッテリーのキャップが吹き飛んでいた。バッテリー自体も「膨らんで変形し、びしょ濡れ」になっており、発電機は動かず、電機子とフィールドワイヤーが溶けて一体化していた。が、調査報告によれば、この体験にはさらに奇妙な要素があった。

     加えて彼の記憶に強く残ったのは、この出来事の直前からプロベルタの北半マイルに至るまで、ハイウェイ上で一台の車にも遭遇しなかったということである。これは彼の人生で空前絶後の経験であった。U.S.99Wはサンフランシスコからポートランドおよびシアトルへの主要幹線道路である。交通量は非常に多い(サーニー、タイス、スタバー、1968年)。


ランドルズの見解は以下の通りである。「オズ・ファクターの存在が、UFOとの遭遇の核心には目撃者の意識というものがあることを指し示しているのは明らかだ…客観的現実を上書きする主観的データは、内側から(つまりは我々の深層から)発しているものかもしれないし、外部から(例えば他の知性から)来ているものかもしれない。あるいはその双方から、ということもあるのかもしれないが」

 ――  ジェローム・クラーク編「UFOエンサイクロペディア第3版」より



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  ジェニー・ランドルズ(UFOlogy Tarotより)

       

       

       





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■ジャック・ヴァレ(1939年~)
 フランス・ポントワーズ生まれの世界的なUFO研究者で、スティーブン・スピルバーグ監督の「未知との遭遇」でフランソワ・トリュフォーが演じたフランス人科学者のモデル。天文学者、ベンチャー・キャピタリスト、小説『亜空間Le Sub-Espace』でフランスのジュール・ヴェルヌ賞を受賞したSF作家としても知られる。

1954年にヨーロッパで起きたUFOの目撃ウェーブを機に、UFOに関心を抱く。パリ天文台に一時勤務した後、1962年に渡米。ノースウェスタン大でコンピュータ科学の博士号を取得するなどの活動を続ける一方、J・アレン・ハイネックとの交友を深める中で本格的にUFO研究を始める。妻ジャニーヌとの共著『科学への挑戦 Challenge to Science』(1966年)でUFOにかかわるデータの統計分析に取り組むなど、当時は科学的な方法論に依拠したアプローチで知られていた。

ET仮説については当初肯定的な姿勢を取っていたが、1969年に刊行した『マゴニアへのパスポート Passport to Magonia』で、ヴァレはそのスタンスを一変させる。同書では、民俗学・宗教学的な知見を援用して、西洋における妖精や精霊の伝承とUFO現象の類似点を指摘。UFOは歴史を超えて人類が体験してきた奇現象に類したものだとして、一転してUFO=宇宙船説を否定する議論を展開した。

有力研究者であるヴァレの「転向」は、ET仮説が主流の米国では一大スキャンダルとなり、多方面から批判を浴びたものの、ヨーロッパのUFOシーンにおいては総じて好意的な評価を受け、UFO研究における「ニュー・ウェーブ」という流れを作り出す上で大きな役割を果たした。

次いで1975年に刊行した『見えない大学 The Invisible College』では、UFOとサイキック現象との関連性を指摘するとともに、「コントロール・システム」というユニークな概念を提唱する。室温を制御するエアコンのサーモスタットのように、「UFOは人間の信仰や意識をある方向に誘導する働きをしている」という主張である。そのコントロールを意図している主体が何者かは明示しておらず、いささか思弁的な議論として批判も多いが、単純なET仮説に甘んじることのないヴァレの真骨頂を示すものである。

このほか、『欺瞞の使者 Messengers of Deception』(1979年)、『レベレーションズ Revelations』(1991年)などの著書では、UFO現象をよこしまな活動の隠れみのとして利用しようとする組織の存在について考察を加えた。こうした一種の陰謀論もヴァレにとっては重要な一つのテーマであるが、その主張には論拠が乏しいとの批判もある。

その後はUFO研究から距離を置いた時期もあったが、2010年には古代から1947年までのUFO類似現象をカタログ化したクリス・オーベックとの共著『ワンダーズ・イン・ザ・スカイ Wonders in the Sky』を刊行。2021年にはイタリアのジャーナリスト、パオラ・ハリスとの共著『トリニティ Trinity』を出版した。同書は1945年8月、米ニューメキシコ州未知の飛行体が墜落し、搭乗者ともども米軍によって回収されたという触れ込みの「サンアントニオ事件」を検証したもので、ヴァレはこの事件は現実にあった可能性が高いと主張。墜落物体を異星人の宇宙船とみなす立場からはなお距離を置きつつも、いわゆるUFOの墜落回収事件には懐疑的だったヴァレがそのスタンスを変えたことで大きな話題となった。ただし、同事件をめぐる関係者の証言には疑問点も多く指摘されており、軽挙妄動しない冷静なスタンスで知られたヴァレの「変節」を危ぶむ声も多い。現在は米サンフランシスコ在住。

邦訳書に『人はなぜエイリアン神話を求めるのか』 (竹内慧訳、徳間書店、1996年:原著は「Revelations」)、アレン・ハイネックとの共著『UFOとは何か』 (久保智洋訳、角川文庫、1981年:原著は「The Edge of Reality」)、『核とUFOと異星人』(礒部剛喜訳、ヒカルランド、2023年:原著は「Trinity」)。小説としては『異星人情報局』 (礒部剛喜訳、創元SF文庫、2003)がある。
注:
なお『人はなぜエイリアン神話を求めるのか』UFOとは何か』の著者名表記はジャック・ヴァレー

 ■主な参考資料

Jacques ValléeForbidden Science: Journals 1957-1969 2nd Edition』(North Atlantic Books,  1992)
Jerome ClarkThe UFO Encyclopedia2nd editionOmnigraphics Books, 1998


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ジェフリー・クリパルによるジャック・ヴァレ論の冒頭部。続きは気が向いたら。


不可能なるものの書き手たち ジェフリー・クリパル
第三章 フォークロアの未来テクノロジー ~ジャック・ヴァレとUFO現象

    もし圧倒的な質感をもった3次元のホログラムを作り、それを時を超えて投影するような事ができるものと仮定すれば、私としては「それこそがまさにこの農夫が見たものではなかったのか」と言ってみたい気がするのだ・・・我々は、そこには確かに人間が住んではいるのだが、いま・ここに帰還することを断念して初めて赴くことのできるような平行宇宙の問題を取り扱っているのではないか?・・・そして、そのようなミステリアスな世界から、意のままに物質化して出現し、あるいは「非物質化」して姿を消すことのできるようなモノが投影されているのではないか? となると、UFOとは「物質」というよりは「窓」というべきではないだろうか?
     ――ジャック・ヴァレ『マゴニアへのパスポート』

    十分に発達したテクノロジーは魔術と区別がつかない。
     ――アーサー・C・クラーク


初めてジャック・ヴァレを読んだとき、私はすぐさま思ったものだ。西洋の秘教の歴史、伝統的なフォークロアの真実、現代のSFの神秘的なまでの魅力、超常現象のリアリティといった事どもについて――ヴァレの言い方によるならば「人間の意識のうちに明らかに存在する魔術的性質」[1] にかかわってある「イメージの世界のリアリティ」や「呪われた事実」の一切合切に関して、ということになるわけだが――我々に教えるに足る「何か」を手にした書き手を私は発見したぞ、と。言い方を変えるならば、私はそこで、自分はいま、もう一人の「不可能なるものの書き手」に出会っている、ということに気づいたのだった。

 それは単にヴァレの書いている内容のゆえ、というわけではなかった――もちろん、それだけで「不可能なるものの書き手」たりうることができないのは当然だ。その要諦は彼のものの書きよう、彼が「不可能なものを可能にする」際のやり方にこそあった。そこで彼は、自らの疑問を整理していく際の如才なさであるとか、いわばピースがバラバラになってしまったパズルを組み立てるため、彼の知る歴史的データというパーツを比較考量しながら嵌め込んでいくような手の込んだ手法といったものを用いていた。

私はまた、彼が古代・中世から我々の生きている超近代的な世界にいたるまで、様々な素材を関連づけていく方法にも魅せられてしまった。これは明確に言えることだが、彼は特定の「時代」というものを絶対視していないし、ある地域の文化を他との比較におけるモノサシとして絶対視するようなこともしない。彼にとっての歴史研究というのは、「われわれ」と「かれら」を区別するものではなく、自分たちの時代や言語、その文化に基づくものを「我尊し」とばかりに特別視するものでもない。それは汎地球的な「わたしたち」を対象とするものであって、その領域は時間的にいえば何千年もの期間に渡り、広大なるサイキック・システムがそれぞれのかたちをとった無数のものどもを含み込んだものなのである。

同様に重要なことなのだが、ヴァレの比較対象を旨とするイマジネーションは、知識というものが或る一つの秩序の中に閉じこめられてしまうことを断固として拒否する。結局、ここにいる人物は、先駆的なコンピュータ科学者にしてベンチャーキャピタリストでありながらも、同時にパラケルススの稀少本を購入し、神秘的なものへの志向をもつ人文学者でもあるのだ。彼は若いころ、文化系か技術系かということで進路を選ばなければならない教育の仕組みの不備をあざ笑い、SFをバカにする科学者たちに対しても嫌悪以外の感情をもつことができなかったという。少なくとも彼にとって、ファンタジーというのは真面目な思索のひとつのかたちであった。[2]

 彼は明らかに、こうした若き日の理想を大切に守りながら生きてきた。ヴァレは、SF小説のネタにふさわしいような多元宇宙論や、神話的なコントロール・システムといったものについての思索を深めてきた(実際に彼自身もSF小説を5作ものしている)。だが同時に彼は、火星の地図を作る仕事に携わったり、パルサーの基本周波数であるとか、さらにはビジネス戦略とか情報テクノロジーに関する本も出したりしてきた。彼のビジネスマンとしてのキャリアと文化にかかわる活動というのは、こうした二つの顔を反映したものなのだ。ヴァレは、シリコンバレーのコンピュータ産業や発展期のインターネットにかかわる初期の起業家だった。そして彼は同時に、スティーブン・スピルバーグによるSF映画の古典「未知との遭遇」でフランソワ・トリュフォーが演じたフランス人科学者、クロード・ラコームのモデルとなった人物でもあったのだ。

 私がいま取り組んでいる考察の視点からすれば、ジャック・ヴァレは、まさに現代において霊知を知る者が住まうべき場所、すなわち、現代的なかたちをとった霊知もしくは「禁じられた知識」(それは「条理」を超越し、さらには「信仰」をも完全に超越したものだ)の真っ只中で生きている。もちろん、そう言っているのはこの私であって、これは彼自身の言葉ではない。だが、驚くべきことに、彼の言葉にはそのような表現がまことににふさわしいような響きがある。

結局のところ、彼もまた、自らの取り扱う問題を言い表す際には「条理を超えた」という表現を用いているわけだし、自らの人生は「禁じられた科学」への探究に情熱を注いだものだと言っている――ちなみに「禁じられた科学」というのは、可能性の極限を追求すべく、条理を重んじる主張をラディカルに否定してみせた日記を彼が出版した際につけたタイトルでもある。[3] 彼はそのような物言いで、「新たにフランス流の思考の元締となった、融通のきかない合理主義者たち」に軽蔑のまなざしを投げかけているわけなのだ(『禁じられた科学』1192頁)。

同じようにして彼は、啓蒙・合理主義にたつ哲学者たちに対しても、退屈きわまりない「官僚的なオリの中に200年間にわたって」(同197頁)われわれを閉じこめている、とのあざけりを浴びせている。彼は、UFO問題の実在を否定する「古い科学者たち」に対してもほとほとウンザリしている、という。1961年、自らの日記に次のように記した時点で、彼はすでに合理的で世の受けは良いけれども馬鹿げた彼らの言い分に対して飽き飽きしていたのだ――「我々のリサーチは、彼らの創造性の欠如や、何でもかんでもひとしなみに画一的なものの中に落とし込んでしまおうという欲求(それを彼らは誤って「合理主義」と名づけているわけだが)によって骨抜きにされてしまうだろう」(152)

が、ヴァレが自らのうちに秘めたその深遠なる霊知主義に照らせば、教義を有する宗教ならばドグマに満ちた合理主義よりはマシ、といった話になるわけでもない。彼は既成の宗教には徹頭徹尾懐疑的で、概していえばそれを社会的なコントロールシステムの如きものであって、永遠の真実を託すに足るものなどとは全く考えていない。かくて彼は、自らは「一般的なイメージでいうところの神への信仰などはない」と告白する。それは、彼がスピリチュアルな感受性をもっていない、という意味ではない。のちに見ていくように、実際には彼の霊的な感受性には実に奥深いものがあるのだけれど、彼はそれを宗教的なものというよりは、神秘主義の領分にかかわるものだとしている。

ヴァレにとって、神秘主義というのは宗教やその教義の体系とは全く関係のないもので、「通常の時空から離れたところに意識を方向づけるものであり、思考を差し向けるもの」である。[4] そして、これもあとで見ていくことになるが、彼は文字通りの意味でそのような主張をしているのだ――科学界からは「禁じられている」けれども、彼にしてみれば至極科学的な方法を用いることによって。

かくてヴァレは「条理」と「信仰」のいずれをも超越した場所で、秘された知識(すなわち霊知である)の保持者――いや、それに取り憑かれた者というべきかもしれないが――としての立場から文章をつづっている。そのような、「知」における第三の道というのは、彼の言う「より高次元にある精神」と密接に結びついている。それは伝統的にはイマジネーションやファンタジーの世界を介して、さらに近年でいえばSFを通じて表現されてきたものである。そんな彼にとっての「知の世界におけるヒーロー」というのは、次のような人々だった。

ニコラ・テスラ――彼は現代に生きたアメリカの天才で、電気やレーダー、ラジオ技術といったものをあまりにも奇抜な方法でオカルトと融合させたという意味において天才と称すべき人物のひとりであった。アイザック・ニュートン――彼は正統的な科学に取り組む一方で自ら錬金術と占星術とを実践した人物だった。そしてヘルメス主義の哲学者にして物理学者でもあったパラケルスス――そのテキストについて、ヴァレは十分な注意を払いつつ研究を進めてきたのだった (196)。実際、パラケルススのような人物やそのヘルメス主義的な科学に敬意を払っていたヴァレには、「こうした古き時代のヘルメス主義者たちは、他にどんなことをしていようとも、現代思想の真の創設者として称賛されるべきだ」という強い思いがある (同書176)

ヴァレにとって、西洋の思想――それは表面を覆う合理主義と宗教を突き抜けたところにある「真の思慮」に満ちた思想のことである――というのは根本的に秘教的な営みなのであって、その全体像や、その意味といったものに対して、我々は最近になってようやく注意を払い始めるようになったに過ぎない。それはなお我々の手には負いかねる。だからこそ我々は、それを自分たちの目に届かないところに置いているのだけれど。

だが、ジャック・ヴァレが「禁じられた知識」という時、その「禁じられた」という側面がもっぱら彼の神秘主義にのみ由来するものでないことは強調しておくべきだろう。それはまた、米国政府の活動が生み出したものでもあるのだ。いや、より正確にいえば、ここは「米空軍の活動」というべきだろう。実際のところ、ヴァレは非公式な立場で4年間、政府のプロジェクト(すなわち「プロジェクト・ブルーブック」である)がまとめたファイルについて独立した立場から研究にかかわった人物なのだが、その相方はといえば軍所属のプロフェッショナルや科学者たちで、彼らは他の人間たちが知らない、そして知るべきでもなく、実際に知り得ることもできなかった事について「知っていた」者たちだった。

しかしヴァレは、そのような人々が、とても重要な或る事柄に限っては本当は「何も知らない」ことを悟ったのである。どういうことか? 彼らは、何とも愚かなことに「ここより外側にある」何ものかを追いながら、馬鹿げた、そして実ることのない行動を「この場所」で展開していたのである。彼らは、いわば「キッチリと組織された昆虫のコロニーが、予期せぬ出来事によって突然の災難に見舞われたときのような」反応をみせた(同書155)。彼らがその「リサーチ」で何をしようとしたかといえば、それはロケット科学者を集めて作戦遂行計画を作り、撃墜しようという意図をもってUFOをジェット戦闘機で追跡することに過ぎなかった。彼らにとってUFOとは、「この世界や我々の存在とはいったい何であるのか」といった問題について、我々の認識を大きく転換させる可能性を秘めた深遠なる謎などではなかったのだ。それらは単なる「ターゲット」に過ぎなかった。

彼がのちに著した英語の小説『ファースト・ウォーカー』(訳注:邦訳『異星人情報局』)で、彼は自らの考えを仮託するかたちで、作中の困惑したパイロットに語らせている。その登場人物はこう自問する。「オレたちは、自分たちの理解できないものはすべて撃ち落とさねばならない、といった具合で、空にある物体は何でもあっても自動的にターゲットになるんだと思ってきたんだが、いったいどこがまずかったんだろうか?」[5] こうした軍部ならではの思考は、愚かとはいわぬまでも、いかにも単純で思慮を欠いたものとしてヴァレに衝撃を与えた。それは明らかに無駄なことだった。

言い換えてみれば、ジャック・ヴァレが知るに至ったのは、厳密な意味で「これは主観的なものである」とか「客観的なものである」といった断定的な説明をするのは無効だ、ということなのだ。そうした説明は「ともに真である」ともいえるし、「ともに間違っている」ともいえる。ヴァレが超常現象のことを書く時――そしてこれこそが、私を彼の「不可能なるものを書く」営みに引きつけた理由なのだが――彼は純粋に心的なもの、ないしは主観的に存在するもの(それはそれで非常に興味深く、深遠なるものではあるが)についてのみ考えているわけではない。彼が考えをめぐらせている対象は、次のようなものなのだ――繰り返しレーダースクリーン上に出現する根源的に不可解な現象。過去何十年にもわたって各国の政府やその軍隊との間に深い関わりあいをもってきた、もしかしたら「潜在的な敵」であるかもしれない勢力。我々の最強のジェット戦闘機からも容易に逃げおおせてしまう、進歩した未来のテクノロジー。そして、我々のフォークロアや宗教、文化を何千年にもわたって裏面から規定してきた、不可解というしかない「神話的なもの」の存在・・・。つまり彼は、神話的でありながら同時に物理的にも存在し、スピリチュアルなものでありながら同時に物体でもある、そのような「何ものか」について考えているのだ。

読者諸兄がいま戸惑っておられるとしたら、それはむしろ結構なことだ。合理主義に基づく「確からしさ」や宗教的な信仰は、ここでは「敵」である――混乱は幸福を運ぶ天使である。不条理と疑念は、我々をはばたかせる翼である。だからこそ、いまこの状況に在る根源的な不可思議さというものは、改めて論ずるに足るものなのだ。

だからこそ注目し、強調したい点がある。

結局のところ我々は、西洋の文化史上、特異的な地点へと近づきつつあるわけだ。それは人間の意識のうちにある妖しくも神秘的な特性をターゲットとして政府が極秘の調査プログラムを開始した時代であって、いわば超自然現象が国家の安全保障の上で留意せねばならぬものになってしまったがために、各国の政府がレーダー上に出現したオカルト的なものを超音速ジェットで追いまわしているという世界である。[6]

一方では、我々は、フォークロア的な要素をもつ未来のテクノロジーについてイメージを得ることのできる地点にも接近しつつある。そのプロセスを通じて我々は、「平行宇宙」が存在する可能性や、我々の文化のソフトウエア的な部分を書き換えるべく、我々の意思とはかかわりのないところで、ホログラムの幻像が時間を超えてこちら側に投影されている可能性――といったものに思いをはせるようになるのかもしれない。そんな世界を想像してみる。そこでもなおUFOはモノとしての形をとった「物体」であり続けているかもしれない。が、それと同時に、UFOが或る種の象徴、ないしは他の次元に対して開かれた形而上学的な「窓」として、さらにいえば我々が「他の惑星から来たエイリアン」などではなく「別の時代から来た進化した人間」と遭遇するであろう時空への入り口として観念され、その役割を果たしていくということも考えられるのである。(つづく…?)


[1]
ジャック・ヴァレ「マゴニア・コレクション」(リファレンス・アンド・リサーチライブラリー)注釈付きカタログ第1巻「超常現象研究」(私家版、20027月)3

[2] ジャック・ヴァレ『禁じられた科学:1957-1969年の日記』(ニューヨーク:マーロウ&カンパニー、1996年)44頁。『禁じられた科学2巻:1970-1979年の日記』(ベルモント・イヤーズ社)は自費出版(著作権は2007年、ドクマティカ・リサーチ社)。以下では書名に続いて巻数と頁を記す

[3] 「条理を超えた」というフレーズは、ジャック・ヴァレ『マゴニアへのパスポート:フォークロアから空飛ぶ円盤へ』(シカゴ:ヘンリー・レグナリー社、1969年)110頁と、『ディメンションズ:エイリアンコンタクトのケースブック』(ロンドン:スーベニアプレス、1988年)136頁の2か所で章題として用いられている

[4] 『禁じられた科学』1147-148頁。この点に関する重要な記述は『禁じられた科学』 24261頁にもある

[5] ジャック・ヴァレ『ファースト・ウォーカー』(トレーシー・トームとの共著になる小説。バークレー:フロッグ社、1996年)22

[6] 1970年代半ばにいたる当時の状況については、デビッド・マイケル・ジェイコブス『アメリカのUFO論争』(ブルーミントン:インディアナ大学出版、1975年)参照のこと。ジェイコブスはプロの歴史家で、こののち、1980-90年代のアブダクションを巡る論争では、その目的はエイリアンと人間の交配種を育てることであると唱え、論争における重要な人物となった。この問題を論じた第二の著作が『シークレットライフ~一次史料により記録されたUFOアブダクションの報告』(ニューヨーク:ファイアサイド、1992年)である


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「読めもしないのについつい買ってしまったUFO洋書シリーズ」の最新刊が届く。今回のはニック・ポープ『Encounter in Rendlesham Forest』(2015)。いうまでもなく1980年のレンデルシャム事件を取り上げたものである。

この事件に関しては例の「ホルト文書」という公文書にも記載があり、実際に何かしら奇妙な出来事があったのは確かなのであるが、オレはというとこれについてあんまり系統だった知識は有しておらず断片的な情報を聞き知るばかりであった。そんなところにたまたまAmazonでこの本を見かけ、かつレビューの採点もなかなかヨロシかったので「じゃあこの本買ってちょっとお勉強してみようか」と思ってついついポチってしまったのである。

で、この事件というのは、要するに英国に駐留している米国の軍人たちが基地から哨戒に出たところでUFOとの遭遇体験をしたという話であるワケだが、本書はその最初の目撃者にして当事者であるところのジム・ペニストンとジョン・バロウズの両名が共著者という体裁になっている。要するに両人の協力を得てできた書籍と思われ、それだけでもなかなかに価値のある一冊になっているのではないかと思うのである。

ちなみにジム・ペニストンというと、彼はUFOとの接触にさいして或る種のメッセージと思われる「バイナリー・コード」を誰かさんから脳内に送り込まれた――みたいな非常に胡散臭くてかつ素晴らしい証言をしており、そのあたりの話をこの本がどう料理しているのかも楽しみだ。

もひとつ言っておくと、この事件についてUFOの目撃証言を最初に語り出した人物としてラリー・ウォーレンという男がいるのだが、コイツはペニストンとバロウズの話には出てこない人物で、つまりどういう流れでコイツが現場にいたテイで証言をしてるのかオレには長年疑問であった。それでさっきウォーレンの出てくるページを索引で調べてペラペラめくってみたのだが、そこにはこのウォーレンは伝聞だか何だか知らんが適当なことをしゃべってるヤカラではないのかみたいなことがチラチラ書いてあった。要するにレンデルシャム事件におけるウォーレンの話は適当に聞いてればヨロシイということなのだろう。ひとつ利口になった。

閑話休題。それはそれとしていつも思うことだが、「何でこの本を買ったか」みたいな話ばっかりして肝心の本を全然読んでいないというのは内心忸怩たるモノがある。が、そこは許せ。いつか読める日が来るのかどうか。それは神のみぞ知る。GOD KNOWS.

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「読めもしないのについつい買ってしまったUFO洋書シリーズ」(笑)がまた一冊届く。

今回のは『Saucers, Spooks and Kooks: UFO Disinformation in the Age of Aquarius』(2021)。直訳すると「円盤とスパイと変人と―水瓶座の時代におけるニセUFO情報」といったところか(ちなみにSpookという言葉には「諜報員」のほかに「怖い話」という意味もあるようなので本当はそっちかもしらん)。

著者のアダム・ゴライトリーという人はUFOのようなフリンジ・カルチャーに詳しい物書きのようであるが、本当のところはよくわかりません。ただ、本日時点でAmazonレビューをみてみると評点は4.4ということでなかなか評判は宜しいようだ。

そのレビューなどをザッとみる限りではこの本、例のポール・ベネウィッツの悲劇なども含めて米当局はどうやらUFOにまつわる怪情報を意図的にギョーカイに流して事態を混乱させてるんではないか――みたいな疑惑を追及しているものであるらしい。

これはX(旧Twitter)のほうにもちょっと書いたことであるが、要するにジャック・ヴァレ『Messengers of Deception』(1979)だとか、リチャード・ドーティ周りの怪しい動きを追ったマーク・ピルキントン『Mirage Men』(2010)とかの系譜に連なる本ということになるのだろう。実際にはその『Mirage Men』も全然読まンで放置している実態というものもあり、こっちに行き着くのはいつになるか――というか生きてるウチに読めるのかもわからんのだが(笑)まぁソコはなんとかしたい。

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アメリカの科学ジャーナリスト、Sarah Scolesの『They Are Already Here: UFO Culture and Why We See Saucers』(2021)が届く。

ジャーナリストのUFO本というと例のロス・コーサートなんかもそうだが「ミイラ取りがミイラになる」問題がしばしば起きるので、ここらでイッパツ解毒剤の服用でもせんといかんのではないか――といった感じで買うてみた。

取りあえず最初の方をちょっとめくってみたが、彼女、例の2017年12月の「アメリカ政府はUFO調査やっとるやん」というニューヨーク・タイムズのスクープが一つの契機になって「コリャちょいとマジメにUFO問題考えないとダメやろ」ということでこの仕事を始めたらしい。

こないだ読んだコーサート『UFO vs. 調査報道ジャーナリスト: 彼らは何を隠しているのか』が「墜落UFOだとか必ずしもガセとは言えんぞぉぃ」のベクトルが濃厚なポジとすればコレはネガサイドからの探究ということになるのでないか。まぁ、例によって途中で放り出してしまってなかなか読めないという展開は容易に予想されるのではあるが(笑)。

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在野のUFO民俗研究家として知られる小山田浩史先生がこのほどX(旧Twitter)のスペースにて『マゴニアへのパスポート』を読むと題した連続講義を始められた。

昨日26日夜にはその一回目の講義が行われ、第一章の途中までの話が紹介されたのであるが、「UFOといえば宇宙人」という幼稚っぽい通念を否定し続けてきたが故に日本のユーフォロジーでは異端者扱いされてきたヴァレの初期の仕事を振り返ろうという点において実に意義ある試みである。いちおう小生の出した私家版翻訳をベースに議論を進めていただいているようでもあり、これまた実に喜ばしい。

ちなみに昨晩は、「同書冒頭にヴァレが紹介しているパレンケの石棺だとか遮光器土偶の話はよくよく考えると『UFOに類する現象を人間は太古から目撃し続けてきた』というヴァレの主張とはいまひとつ噛み合っていないのではないか。このくだりは要らんかったもしらんネ。面白い議論が始まるのはむしろ第二章以降なんよ」と的確な指摘をされておられた。

まぁヴァレというのは小説も書いているぐらいなので「ツカミで何か読者の興味引きそうな話をかまさんとアカンやろ」的な発想でパレンケや土偶の話を仕込んだのだろう。じっさい原著にはパレンケの石棺の写真なんかも図版として載せており、まぁコレはオレの私家版翻訳本では著作権的にマズいかもしらんので割愛をしたのだが(ちなみにこの私家版では著作権的に問題があるかもしれない図版は全て掲載を見送った。残念だが仕方がない)ともかくヘンなところはヘン、オカシイものはオカシイという小山田先生の姿勢には見習うべきものがある。

初回の講義は約30分程度でレコーディングもされているので聴くことができる。さらに今後も不定期ながら講義は続けていかれるようであるから、ヴァレに関心のある諸兄は小山田先生のアカウントに要注目である。

【追記 2024/05/18】
なお小山田浩史先生が昨晩スペースで話しておられたが、ここんとこ別のお仕事がたんと入ったとかいうことで、当面この企画はお休みだそうである。些か残念であるがボランタリーにやっておられるモノであるから無理難題は言えん。再開の日を待つのみ。

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1945年8月に米ニューメキシコ州サンアントニオではUFOの墜落回収事件が起きていた――とするジャック・ヴァレの著書『Trinity』については、これまで当ブログでも再三論じてきたところである。

要するにこれはHOAXであって、老境に入ったヴァレが焦りのあまりガセネタに飛びついてしまった事例ではなかったかとオレなどは考えているワケだが、この『Trinity』批判の急先鋒である米国のダグラス・ディーン・ジョンソンのサイトから「新しい記事書いたよ」というメールが来たので久々にそのサイトを覗きに行ってみた。

ここで記されているのは最近の『Trinity』をめぐる動きである。

たとえばであるが、今回の記事によればヴァレは散発的にジョンソンの批判に対する弁明をサイト上などに発表しているのだが、部分的に「あぁ確かにそこは目撃者の勘違いだったかもしれないネ」といったことも言い始めているという。要するに若干譲歩する構えはある。しかし、それでもヴァレは「事件そのものは確かにあった」という一線は死守するつもりらしい。おいおい、もう諦めなさいよと言わんばかりにジョンソンはこの記事でも改めて疑惑のポイントを蒸し返している(その詳細は過去のエントリーで触れているのでココでは繰り返さない)。

ちなみに共著者のパオラ・ハリスは第3版にあたる『Trinity』の改訂版を近々出すと言っているようで、そこではジョンソンの批判に対するリアクションも盛り込まれるものと思われる。それからついでに言っておくと、パオラ・ハリスはこの事件の映画化プロジェクトがウォルト・ディズニーとの間で進んでいるなどと実にアヤシイことも口走っている。この『Trinity』問題、これからどうなっていくのか。ヴァレはどうするつもりなのか。今後も生温かい目で推移を見守っていきたい。

なお、最後にこの記事に掲載されていた図表を以下に添付しておこう。目撃者のレミー・バカ(故人)という人物は、事件が新聞記事とかで公になる前に「実はオレ、UFO墜落事件の目撃者なんスよね」とかいってUFO研究者に話を売り込みにいったことがあるのだが、その内容というのはのちのち語り出した事件のストーリーとは相当違っていた。この一事だけでも証言の信憑性が怪しまれるワケであるが、この図表はその相違点を並べてみたものである。心証としては「コリャ全然駄目だろ」という感じデアル。

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世界的ユーフォロジスト、ジャック・ヴァレの著作『マゴニアへのパスポート』の私家版翻訳本は不肖ワタクシ花田英次郞が2016年以来定期的に販売をしてきたところですが、このたび新装版を増刷しましたので通販を再開したいと思います。
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ちなみにこれはどういう本かといいますと、前半分はヴァレによるUFO論、後ろ半分は1868年から1968年にいたる世界各地のUFO事案923件を簡単に紹介した事例集という構成になっておりまして彼のUFO論パートは実はそんなに長くはないのですが、そこで展開されている議論がどういうものであったかについてはこの私家版の末尾につけた「訳者あとがき」を以下に貼り付けておきますので参考にして頂ければ幸いです。


訳者あとがき

 

 本書はJaque ValleePassport to Magonia」(初版1969年刊)の翻訳である。なお、本文中の地名・人名表記は必ずしも現地語に即した正確なものではないことに留意されたい(とりわけフランス語人名・地名は要注意)。訳者の能力を超える理解困難な個所についても論旨をつなぐべく強引な訳出を試みているため、誤訳が多々あると思われるが、この点もご寛恕願いたい。

 さて本書『マゴニアへのパスポート』だが、UFOに関心のある者であれば、一度は耳にしたことのある書物といえるのではないか。1947624日、米国で起きたケネス・アーノルド事件以降、UFO研究の本場はまずもって米国であり、そこでは、多くの研究者の関心は「UFO=地球外生命体(ET)による宇宙船」説が正しいか否か、いわゆる「ボルト・アンド・ナット」セオリーの是非にあった。だが、この説には幾多の難点があった。「彼ら」はなぜ地球を訪れているのか。なぜ然るべき組織・人々とコンタクトを取らないのか。なぜ彼らは訪問のあかしとなる物的な証拠を残していかないのか――そんな根本的な疑念にこたえるべく、UFOシーンに新たな視座を導入したのがヴァレによる本書であった。

 そもそも「空に現れる不思議な物体」の目撃は、20世紀になって初めて起こり始めた出来事ではない。さらにいえば、未知の飛行体と不思議な生き物が同時に出現するような事件も、古くからしばしば報告されてきた。よく考えてみれば、ケルトをはじめとする各地の妖精譚なども、UFO(ならびにその搭乗者)の出現事例と同一のパターンに沿ったストーリーのようにみえる。その出現のメカニズムはなお明らかではないにせよ、UFO現象は、その時々の人々のありように応じて記述されてきた一連の出来事と同根のものだ――本書におけるヴァレの問題意識は、おおむねそのように要約できるだろう。

 もとより「物理的現象」としてUFO現象は解明できると考える「ボルト・アンド・ナット」派にとってみれば不愉快な議論であったに違いない。とかく怪しげなものと見下されがちなUFO研究を「科学・物理現象」の土俵に上げ、何とか市民権を獲得したい――そう考えた人々の立場もわかるし、彼らにしてみればUFOをある意味、心霊現象とも相通じるものとして考察するような主張は、自らの足を引っ張るものとしか感じられなかっただろう。実際、当時の研究者たちの間には相当な反発があったことは、ヴァレ自身も再三記している。

 だが、本書で紹介される悪夢のような数々の事例を見れば、この現象の背後には、単なるET仮説には収まらない奇っ怪な世界がポッカリ穴を開けていることに気づかざるを得ない。一種の怪異譚の系譜にUFOを位置づける、こうした「ニュー・ウェーブ」的アプローチが今日どれほどの影響力を保っているのか、残念ながら小生に語る資格はないが、他にも同様のまなざしを宿した魅惑的な著作――たとえばそれは近年物故したジョン・キールの作品であり、本邦における稲生平太郎『何かが空を飛んでいる』――があることを我々は知っている。

 個々の記述をみていけば首をかしげざるを得ない点もある。たとえば本書には日本に関係する記述が何か所かあるが、その多くは詳細な地名・固有名などを欠き、報告の信憑性に疑念を抱かせる。その中で相対的に具体的な記述があるのは1956126日に静岡県島田市で起きたという搭乗者の目撃事例(事例458)であるが、これとても実際には気球が誤認されたもので、情報が錯綜するなかで「搭乗者が目撃された」という虚偽情報が混入したものと思われる。さらに付言すれば、紹介された事例の中にはでっち上げとの評価が定まったものも相当数あるらしい。

 だが、古今東西の様々な神話的伝承から今日のUFO目撃談まで、すべてを同一のパースペクティブのもとに見通そうとした著者の試みは、「ボルト・アンド・ナット」説が確たる成果を挙げ得ぬまま今日に至っている現実を思えば、現に有力なもう一つの道=オータナティブであるといえるのではないか。しかもそれは、「人間とは何か」という普遍的な問いに通じるものを秘めていた。

 残念ながらUFOが人々を引きつけた時代は去りつつあるように見える。だが本書は「我々はどこから来てどこへ行くのか」という問いを、20世紀という時代に即してきわめてクリアに描き出している。では、21世紀に生きる我々はこれから空に何を見いだしていくのか――本書で展開された議論の射程は、おそらくそんなところにまで及んでいる。 

                              花田 英次郎


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1冊1800円(送料込み。銀行振込の前払いのみ)。A5判・392ページ。カバーなしの簡単な作りです。誤訳等あったらごめんなさい(と予め謝る)。

こちらに申し込みページへのリンクを貼っておきますので通販ご希望のかたはリンク先のメールフォームにご記入のうえ、お申し込みください。




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日本維新の会に浅川義治という代議士がいる。

その素性とかはよく知らんのだが、この人物は国会でスキあらばUFOUAPにまつわる質問をすることで有名なのだった。

 それでオレは今回国会の会議録検索システムをのぞいてみたのだが、各種委員会に出るたび彼はまるで義務であるかのようにしてUFOの話をするのだった。たとえば2022427日の衆議院内閣委員会では「いじめ」についての質問をしているのだが、その中で「自分は過去の委員会審議でUFOについての質問をしたことがあったがこれについては批判的な意見がすいぶんあった、こういう感覚を持っている人がいじめられるんだなと私は身をもって分かっている。そこでいじめに絡む次の質問をするのだが――」などと相当にムリヤリな文脈でUFOを前振りに使ったのだった。

 ちなみにこの議事録読んでてちょっと面白かったのは、この2022年4月27日の内閣委委員会では浅川氏に続いて同じく日本維新の会の足立康史氏が質問に立ったのだが、足立センパイはこの場でけっこう辛辣なことを語っている。 



浅川議員が当選してくるまでは、党内で、私がちょっと変わった人だと言われていましたが、彼が来ると、私が普通の人のグループに入りまして……(発言する者あり)いやいや、普通の人のグループに入っていまして。それから、どんな質問でもしていいんですが、さすがに、この内閣委員会で官房長官をお呼びしてUFOの質問をしたときは、もうやめてくれ、こう申し上げたことは付言しておきたいと思います。

 

なんだかずいぶん浅川氏に冷たいのである。要するに「そんな質問すなや!」という意味のことを言っているに等しい。浅川氏、立つ瀬無し(笑)。

  しかし彼はこりないのだった。

 2023119日の衆議院安全保障委員会で、彼は912日にメキシコ下院議院であったUAP公聴会にはるばる出席してきたという話を語っている。要するに世界はいまUFOUAPに注目しておるのであって日本もちゃんと調査せねばなるまいという文脈での話なのだが、その公聴会にはオンラインの参加者としてアヴィ・ローヴやライアン・グレイブスといったUFOシーンにおける著名人も来ていたんだぞと懸命にアピールしている(もっともこの公聴会では極度に怪しいUFO研究家として知られるハイメ・マウサンが登場し、宇宙人の遺体と称するものを持ち出して全世界の失笑を買った話には流石に触れていないw)。

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 メキシコ議会に持ち出されたエイリアンの「遺体」(イタイ) 


いや~コリャ変わり種の議員サンだわという話である。だが、冷静に議事録読んでみると彼自身はそんなにハチャメチャな話をしているわけでもないのだった。この安全保障委員会では、たとえばこんなことを言っている。 



私が言っているのは宇宙人が乗ってきている円盤の話じゃなくて、国防上、もしかしたら脅威になるかもしれない、自然現象であるかもしれないし、未知の兵器かもしれない、そういったものの存在を前提、前提というか、脅威あるいは何らかの対応として見ているかどうか、対象として見ているかということを私は論じているので、宇宙人のUFOとかという前提ではないんですね。

 

 これ自体はなかなか真っ当な言い分であるのだがUFO熱というものが極度に冷え切った日本において、いくら安全保障みたいな観点から「UFO大事だから」とかいってもなかなか風は吹かない。世間的にはUFOについて質問しとるヒマがあったら国民の暮らしなんとかせんかいという話にならざるを得ない。

 さらにいえば、日本維新の会というのは風任せの選挙互助会みたいな部分がおおいにあるので、厳しいことを言わせてもらえばこの人物もそうそう長いこと国会にいられるとは思えない。じっさい、彼は前回衆議院の小選挙区(神奈川1区)で選挙に出たのだが大敗し、重複立候補していた比例南関東ブロックのドンケツでかろうじて復活当選した人物であるらしい(ソースはWikipedia)。

 なんだか徒花感が漂うのだが、まぁかつてはアントニオ猪木なんかが国会でしばしばUFOに関する質問をしていたこともある。UFO議員の系譜をたどるというか、令和の国会の知られざる一断面として「こういう人もいたんだ」ということを語り継いでいくことにも如何ほどか意味があるのではないだろうか…………いや、そうでもないか(笑)。


★オマケ
なおその後、この浅川議員のインスタでこんな写真をハッケンしたのだった。要するに「宇宙人は地球に来ている」とかイイカゲンなことばっかり吹いている自称UFO研究家の竹本良氏=写真右=とのツーショットなのだが、マジメにUFO問題を考えようというのならこんな人とつるんでたらダメだろう。この時点で信頼度はマイナス1800ポイントである。
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もはや日本の秋の風物詩といっても過言ではない超常同人誌「UFO手帖」刊行の時期が今年もやってきた。これまた恒例ではあるが11月11日に開催された文学フリマ東京では早速に頒布が行われたところであり、さらには近々通販も始まるという話になっているようだ。

小生は今号にも少しばかり原稿を載せてもらった利害関係者であるわけだが、それだけにこの「UFO手帖8.0」はゼヒ多くの人に読んでいただきたいのである。というわけで今回は、この新刊の内容を簡単に紹介してみたい。

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今号の特集というのは題して「UFO DIG-UP!」。直訳すれば「UFOの掘り起こしだよっ!」といったところか。その狙いは冒頭部に書いてある。

「UFO手帖」というのは2005年創刊の「Spファイル」の後継誌であるわけだが、この「Spファイル」のキャッチフレーズは「オカルトをほじくれ!」であった。要するに彼らの原点は「ヘンテコな事件や人物や書籍や作品をほじくりかえすこと」。であれば、これまでの「UFO手帖」ではイロイロひねった特集もやってきたけれども、ココは初心に返ってあんまり知られてない事件・忘れられつつある事件を「さあどうだっ!」とズラリ広げてお披露目してやろうじゃないの。本号というのはおおよそそういうノリで作られている。

さて、特集のしょっぱなで紹介されている「サンダウン事件」というのがまさにこの「さあどうだっ!」事例の典型である。ひと言でいえばコレは、英国で1973年5月、子供二人がピエロみたいな怪人物に遭遇したという奇譚なのだったが、ソイツの風体は一見「オズの魔法使い」の「ブリキの木こり」みたいなソレで(ただしコイツは金属製のロボットではなかったようだ)、自分が住んでいるらしい小屋に子供たちを招いて何だかよく分からない禅問答みたいなやりとりを交わしたりした。


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ちなみにこの小屋は金属製で「着陸したUFO」みたいに見えないこともないので「サンダウン事件」はいちおうUFO関連事象とされているのだけれども、別にこの小屋が空中に浮かんだワケでもない。なのでたとえば妖精譚といってもさほど違和感はないだろう。最近であれば変質者出没情報にもなりかねない。それぐらい既成概念のワクをはみ出している。ワケわからん。そしてワケわからんからこそ面白いでしょう。そういう話になっている。



本特集には以下、こういうヘンな事件が目白押しである。「日本昔ばなし」の如き不思議な味わいを漂わせる「伊豆事件」(1979年)。ナゾのエンバンが貨物列車を50キロ以上牽引した――というか昨今のエネルギー問題を考えると「牽引してくれた」といいたくなるw――「ソビエト列車番号1702事件」(1985年)。UFOに殺されたりエイリアンとSEXしたりというエログロ趣味の読者諸兄が大好きなエピソード集もある。

で、こういうのを続けざまに読んでいると、「UFO現象というのはなんてバカバカしいのだろう」と思わざるを得ない。だがこのバカバカしいというコトバ、実はちょっと高尚に「不条理」と言い換えることも可能なのであって、実際にジャック・ヴァレはUFO現象の本質をこの「不条理性」に求めていたりする。すると何だか違う世界が見えてくる。この不条理というのは、ヘンテコなUFO体験を懲りもせず証言し続けてきた人間存在の不可解さともどこかでつながっているんではないか。凄いことなんじゃないかこれは。

――とまぁヘリクツを並べてしまったがそんな話はともかく、ここで一つ確実に言えることがあるとすれば、原点に回帰した今号の特集はなかなかに新鮮であるということだろう。ということは、来年以降はここからまた何か新しい展開があるのではないか。今号の特集はそんな余韻を漂わせている。

さて、ずいぶん長くなってしまったので特集以外の記事については簡単に。

「UFOと音楽」「UFOと映画」「シリーズ超常読本へのいざない」といった連載モノは相変わらず好調である。とりわけ小生の琴線に触れたものを挙げておくと、西尾拓也のマンガ作品「むー」を論評した「UFOと漫画」は出色であった。細かい内容には触れないが、「ここではないどこか」を希求する少年少女の心性とUFOはどこかで繋がっているのではないか、そうした世界を断念することで人はオトナになっていくのではないか――といった深いことがココでは語られている。

「冷戦下における中国・ソ連の日本向け雑誌から」というタイトルの「古書探訪」の論考も興味深かった。資本主義と合体した近代主義モダニズムとUFOとの間には密接な関係アリというのが小生の持論であるが、冷戦末期に至ってUFOをめぐる言説が中ソで浮上したという指摘にはなかなか考えさせるものがあった。そうそう、それから雑誌に載ったUFO記事を網羅する「新編・日本初期UFO雑誌総目録稿」は1968-70年に突入。地味だけど後世に残るのはこういう仕事のような気がする。

連載以外の単発モノもそれぞれに面白くて、例えば科学雑誌とオカルト雑誌の間を振り子のように揺れた雑誌「UTAN」の数奇な運命をたどったエッセイには世代的に懐かしさを覚えた。


あ、そうだ、それで最後に一つ言っておきたいことがあった。「UFO手帖」はこのところ気鋭の新たな書き手をいろんなところからスカウトしてきて誌面が活性化してきたのであるが、今号でもザクレスホビーさん、夜桜UFOさんといった方たちがデビューを飾っている。

コレは今号の「寄稿者紹介」の小生のスペースに書いたことでもあるのだが、「UFO手帖8.0」の成否について易を立ててみたところ、火風鼎の初六を得た。平たくいえば「器の中のものをいったん全部外に出して新しいものを入れると調和が取れてさらに発展する」ぐらいの意味である。初心に返り、かつ新しい書き手も迎え入れた「UFO手帖」の今後はますます明るい……ハズである。(おわり)



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こないだKickstarterで求めたUfology Tarotから一枚。ここに登場しているのが誰であるかお分かりであればなかなかのUFO通と言えよう(なお後ろに写っているのはオーブではなく街灯であるw)。


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