久しぶりに天声人語ネタ。
今朝の天声人語は酷かった。批評に必要な範囲の引用は著作権法でも許されているので今回もその冒頭部を貼っておく。
要するにイタリアに比べると日本はまだまだちゃんとした防災対策が出来ていないという話で、司令塔をちゃんと作って行政の縦割りもやめなさいという説教をしている。ああそうですかという話であるが問題はソコではない。
冒頭部を読んでいて、オレはこの箇所に引っかかった。
オレの知る限り「震災復興」という言葉が日本で一般化したのは阪神大震災以降のことである。阪神大震災があったのは1995年。しかしこの文章を読むと1976年の7年後というから1983年に「震災復興策の一環でできた高校」が存在していたことになる。
ん? どして? ここで5秒ほど考えた末にやっと疑問が解けた。そうかこの筆者は当時日本にいたわけではなくて、イタリアにいたのである。日本の新聞で日本語の文章を書いている記者なので基本的にはこの国で生まれ育った人間なのだろうというアタマでいたのだが、実はそうではなかった。たぶん筆者は帰国子女というヤツで、当時はイタリアの高校に通っていたのである。しかしこの人はその辺のことをハッキリ書かない。なのでオレも勘違いしてしまったのだ。
要するに、文章のイロハとしては、だからここで「自分はイタリアにおりました」という話をひと言しておけばよかった。そうすれば誤解される恐れはない。なのにそれをしなかったというのは「文章がヘタ」という風に言ってしまえばそれまでなのだが、要するにこの筆者は日本にフツーに住んでフツーに暮らしている人々への想像力が悲しいほどに欠落しているのだろう。
「イタリアで高校生活を送った人」というのは我々からするとちょっと変わった体験をしてきた人物と映るのだが、たぶんこの筆者のアタマの中では「まぁ天声人語書いてるような人間はそもそも国際派のエリートなんよ。別に私はイタリアの高校出ましたとかダサいこと書かんでもそれぐらい察しろよ」ということになっているのだろう。そしていわゆる「出羽守論法」を披瀝してしまうのである。
この辺がオレが常々言っている「朝日新聞のエリート趣味」の表れであって、若い頃から世界的な視野を養ってきたオレ様が何も知らんアホどもに説教してあげましょうとゆー傲岸不遜な態度が透けてみえる。
ついでに「出羽守論法」についてひと言いっとくと、そもそもイタリアと日本はその社会の成り立ちや現況なども違うワケで何でもかんでもイタリアみたいにできるハズがない。たまさかおまえさんがイタリアで高校生活を送ったからといってそんな説教をする権利を自動的に得たと思ったら大間違いなのである。(おわり)
【注記】なお、朝日新聞批判だというのでたまたま迷い込んできたが別にアカ批判もしとらんので拍子抜けしたという人がいるかもしらんので念のため書いておくが、オレは基本リベラルであって別に特別高等警察のように朝日の思想傾向を断罪しようとしているワケではない。オレが問題にしているのは朝日の紙面から漂う「わしらインテリが無知蒙昧な連中に啓蒙を施してあげよう」的な貴族趣味である。今はもうそういう時代ではないのである
今朝の天声人語は酷かった。批評に必要な範囲の引用は著作権法でも許されているので今回もその冒頭部を貼っておく。
要するにイタリアに比べると日本はまだまだちゃんとした防災対策が出来ていないという話で、司令塔をちゃんと作って行政の縦割りもやめなさいという説教をしている。ああそうですかという話であるが問題はソコではない。
冒頭部を読んでいて、オレはこの箇所に引っかかった。
私はその7年後、震災復興策の一環でできた高校で学ぶ機会を得た。
オレの知る限り「震災復興」という言葉が日本で一般化したのは阪神大震災以降のことである。阪神大震災があったのは1995年。しかしこの文章を読むと1976年の7年後というから1983年に「震災復興策の一環でできた高校」が存在していたことになる。
ん? どして? ここで5秒ほど考えた末にやっと疑問が解けた。そうかこの筆者は当時日本にいたわけではなくて、イタリアにいたのである。日本の新聞で日本語の文章を書いている記者なので基本的にはこの国で生まれ育った人間なのだろうというアタマでいたのだが、実はそうではなかった。たぶん筆者は帰国子女というヤツで、当時はイタリアの高校に通っていたのである。しかしこの人はその辺のことをハッキリ書かない。なのでオレも勘違いしてしまったのだ。
要するに、文章のイロハとしては、だからここで「自分はイタリアにおりました」という話をひと言しておけばよかった。そうすれば誤解される恐れはない。なのにそれをしなかったというのは「文章がヘタ」という風に言ってしまえばそれまでなのだが、要するにこの筆者は日本にフツーに住んでフツーに暮らしている人々への想像力が悲しいほどに欠落しているのだろう。
「イタリアで高校生活を送った人」というのは我々からするとちょっと変わった体験をしてきた人物と映るのだが、たぶんこの筆者のアタマの中では「まぁ天声人語書いてるような人間はそもそも国際派のエリートなんよ。別に私はイタリアの高校出ましたとかダサいこと書かんでもそれぐらい察しろよ」ということになっているのだろう。そしていわゆる「出羽守論法」を披瀝してしまうのである。
この辺がオレが常々言っている「朝日新聞のエリート趣味」の表れであって、若い頃から世界的な視野を養ってきたオレ様が何も知らんアホどもに説教してあげましょうとゆー傲岸不遜な態度が透けてみえる。
ついでに「出羽守論法」についてひと言いっとくと、そもそもイタリアと日本はその社会の成り立ちや現況なども違うワケで何でもかんでもイタリアみたいにできるハズがない。たまさかおまえさんがイタリアで高校生活を送ったからといってそんな説教をする権利を自動的に得たと思ったら大間違いなのである。(おわり)
【注記】なお、朝日新聞批判だというのでたまたま迷い込んできたが別にアカ批判もしとらんので拍子抜けしたという人がいるかもしらんので念のため書いておくが、オレは基本リベラルであって別に特別高等警察のように朝日の思想傾向を断罪しようとしているワケではない。オレが問題にしているのは朝日の紙面から漂う「わしらインテリが無知蒙昧な連中に啓蒙を施してあげよう」的な貴族趣味である。今はもうそういう時代ではないのである