カテゴリ: 身辺雑記

今年が良い年になりますように。あけおめことよろ。

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我が家では例年、NHKの大河ドラマをちゃんと観ていなかった。というか、最初一、二回観ても「なんかパッとしねーなー」といって視聴を止めてしまうというのが常であった。

が、本年の「鎌倉殿の13人」はコレ、最後までちゃんと完走した。思うに、いつもの大河ドラマというのは予定調和というか何となく知ってることを「おさらい」するような感じが否めず(あるいは渋沢栄一みたいによく知らん人の場合もあるけれども「なんだ戦闘シーンねえのか。まぁ商人だししょうがねえな」といって止めたりする)けっきょく「もうええわ」となってしまったのだった。

然るに今回のヤツは、まぁ源平合戦のあたりの話はけっこうメジャーだけれども後半の北条氏支配に絡むいろんな話は(40年以上前の大河ドラマ「草燃える」では採り上げたようだけれども)オレもよく知らんかったし、そういう意味ではとても新鮮だったのだ。

と同時に、今回のはやはり三谷幸喜の脚本が良かったのだろう。

観てた人はご存じであろうが、このドラマの中ではバタバタと人が死んでいく。しかもその多くは謀殺である。殺伐としている。フツーに描いたら陰々滅々。視聴者としても「なんでそんな簡単に殺すワケ?」とかいってなかなか感情移入できないところだろう。が、三谷はそこんところを巧妙に脚色している。

とりわけ主人公の北条義時は、この作中においては最初は気のいいノンキな兄ちゃんとして描かれていたのだが、身内に源頼朝を抱え込んじまったもんだから行きがかり上、いろいろ非情な決断もせにゃならんくなってくる。しまいにゃ都合の悪い人間を陥れねばならなくなる。一ミリまた一ミリという感じで極悪非道の悪人に変身していくわけで、我々もそんなに違和感なく極悪非道ぶりに納得し、さらなる暴走を期待して画面に見入ったのだった。

が、オレが考えるにモノホンの北条義時というのはたぶんこんなんじゃなかった。もともと「スキあらば殺す!」みたいな男で、それがたまたまうまくいってのし上がったンでないか。というか、そもそもこの時代の東国武士なんてものはスゲー殺伐としていて、義時だけじゃなくて誰だって「スキあらば殺す!」の人たちだったのではないか。

当時の常識はおそらく今の我々とは全然違っていた。だからそのまんまのストーリーをリアルに描いたら現代人には理解共感不能。だからそこを展開の妙でうまいことアジャストしてみせたのが三谷幸喜だったという話なのだろう。

考えてみれば日本の文化だとか日本人のモノの考え方なんてものはスゲー大きな変化をしてきたハズである。これは余談であるが、オレなんかも昔は「日本文化論」みたいな話が好きだったンだが、だんだんと「そんな大昔から連綿と続いてる日本文化なんてものはねえんじゃねえか?」と思うようになった。

たとえば「日本文化は集団主義的だ」みたいな話があって、まぁそういう風に見えないことはないんだが、社会心理学者の故山岸俊男氏の一連の著作読んだりしたら、実は日本人は集団主義が好きなわけじゃなくて勝手な行動すると周囲からよってたかって虐められる仕組みができてるからしょうがなく集団に従ってるンだ、みたいなことが書いてあった。

じっさい、昔はサラリーマンがおんなじ職場の連中でいく慰安旅行などというイベントがあり、みんな不思議に思うこともなく参加していたのであるが、今はそんなものはない(たぶん)。それどころか職場の連中で酒飲みにいくなんてのも今ではほとんどなくなっているのではないか。当たり前と思われてた意識や行動も環境が変われば過去の遺習になってしまうのである。終身雇用もこれからは決して当たり前ではないようだし、少なくとも会社における集団主義というのは確実に掘り崩されていく。

ちょっと話が脱線したけれども、そういう意味でいえば、この大河ドラマというのも徐々に変わっていかざるを得まい。たとえばであるが、おそらくこれからの日本人は「忠臣蔵」に感動するというようなこともなくなり、大河ドラマではスゲーやりにくくなる。なんとなれば「それってテロじゃん!」という今風のひと言で忠臣蔵の美学は一蹴されてしまうからである。

むろん、そこに第二・第三の三谷幸喜が出てくれば話は違う。「あぁ、そういうことなら分かるワ」といって若い世代とかも頷くような忠臣蔵。それはそれで観てみたいような気もする。

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ちょっと体重が増えてきたこともあり9月からジョギングを始め、ほぼ二か月で都合100キロほど走ってきたのであるが、こないだ左膝の内側に痛みを覚えた。そのあと膝用サポーターつけて二度ほどこわごわ走って様子を見ていたのであるが、10日ほどたっても違和感が消えない。しょうがないので整形外科に行ってみたところ、レントゲンを撮られて「変形性膝関節症ステージ1」と診断された。

要するに膝の軟骨組織がスレてしまって痛みが出るということらしく、体重の負荷だとかO脚による骨の歪みといったものが遠因になるという。そのあたり心当たりナシとしない(苦笑)。そういえば、これまでにも階段下りてるときなんかに一瞬痛みが走るようなこともあったような気がするンだが、そういう時はいつのまにか元に戻ってしまったのでさほど気に掛けることもなかったのだ。南無三。

され、それではオレはこれからどうすれば良いのかというと、軟骨組織は基本再生されないので周囲の筋肉を増強して可動部を保護するぐらいしかとりあえず手はないという。ジョギングも気分転換できて大変爽快であったが「走るのはあまり良くないヨ」と医者も言うし、これも当面休止せざるを得ないだろう・・・。とりあえず痛み止めの飲み薬と貼り薬をもらってきたのであるが、なんだか改めて
老化
という事実を突きつけられたようで肩ガックリである。

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ということで違和感が消え、かつ腿周りの筋力増強が進んできたら(最低1か月ぐらいと勝手に踏んでいるンだが)またジョギング再開したいのだがどうなるか。そういやオレはかつてお遍路にいったことがあって十七番井戸寺まで打ったのであるが、引退したら最後まで歩き通そうという小さな夢があったのだった。これもちょっと暗雲漂ってしまって「ダメかもしらん」と思うと些か悲しい。

ちなみに、この病気についてしばしググって情報収集したところでは、軟骨組織を再生する療法は現在鋭意研究中だとかいう話で、自由診療では一部実用化されてたりするようなんだが、そんなものに100マンとか払える金持ちではない。その手の再生医療が保険適用される日が来ればイイとはおもうがそれはいつになるか。意外と何十年先になるかもしらんのでその頃にはオレも死んでいる可能性があるのだった。しょうがない当面は大腿四頭筋の強化一択。


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家人に「欠けた瀬戸物直せない?」と言われたので、ネット通販で「金継ぎセット」を買って修理をしてみた。それはそれでイイのだが、10日程前だったか作業中左手の薬指に液体状の漆をつけてしまい、バカなことにそれをしばらく放置してしまったのである。

それで付着部は何だかキズみたいに若干盛り上がってきたのだが、それが今週に入って突然赤くなり、かつ腫れ、かゆくなってきたのだった。しょうがないので昨日病院にいって副腎皮質ホルモンの塗り薬(クロベタゾール。いわゆるステロイド)、それからかゆみ止めのデザレックス錠をもらってきた。

さっそく薬を塗り、かつ飲み始めたのだが、まだあんまり効果がない。ちなみにこの「かぶれ」は漆に直接触れていない体の他の部所にも出てくるようで、左手指・右手指、腕、脚にもポツポツが出てきた。とりわけ左右の手指はかゆく、夜もよく寝られない。

教訓は「うるし恐るべし」(身辺雑記なのでオチはない)

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 写真はステロイドを左手の薬指に塗ったところ。他の部位も若干赤くなって若干腫れている点に注意



追記:尚その後の話であるが、オレの場合は腫れ始めてちょうど七日目で手指のかゆみが薄れはじめ、症状的にはヤマを越えた。ネットで検索すると「漆かぶれは治るまで2週間ぐらいかかる」という記述が多かったが、確かにそんな感じかもしれないと思った

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スパムメールのたぐいはよく届くのだが、今回のはちょっと面白かったので晒す。

要するに「所得税を延滞しているので払え」とテイのスパムメールで、国税庁が「払わんと差し押さえする」と言ってきたことになっている。

オレはいちおうまだ会社勤めをしているので給与所得は源泉徴収されており、あとは若干の配当収入があるがこれも源泉で引かれているので、こういうスパムはコンマ3秒でウソとわかる。

が、一般大衆の感覚としては国税庁というのは「取るべきところからは取らず、取りやすいところからガッパリカネを取っていく悪いヤツ」なので、一瞬「こういうよくわからん請求をしてくることもあるんではないか」と騙されてしまう人もいるのだろう。そういう国民の心理を熟知しているという点では、今回こういうスパムを作ったヤツはなかなかよく分かっていると思う。

ただし「」などという中華フォントの文字みたいなのを使っている時点でまだまだ修行が足りないし、おそらく作業中に謝って入れてしまった「客勛」などというナゾの単語をそのまま残していたりするのも杜撰である。行中に意味のない「半角空白」が挟まっているのもダメである(ついでに添削してやると、「税法のきめるところにより」という言い回しはこの種の文書だと違和感があるので「税法の定めるところにより」のほうが宜しい)。

結論として中華の人はまだまだ雑だ。ちゃんと推敲するように。





以下原文


e-Taxをご利用いただきありがとうございます。

あなたの所得(または延滞金(法律により計算した客勛 について、これまで自主的に納付されるよう催促してきま したが、まだ納付されておりません。
もし最終期限までに 納付がないときは、税法のきめるところにより、不動産、自 動車などの登記登録財産や給料、売掛金などの值権など の差押処分に着手致します。
納稅確認番号:****3698
滯納金合計:50000円
納付期限: 2022/8/28
最終期限: 2022/8/28 (支払期日の延長不可)

お支払いへ⇒

※ 本メールは、「国税電子申告・納税システム(e-Tax)」にメールアドレスを登録いただいた方へ配信しております。
なお、本メールアドレスは送信専用のため、返信を受け付けておりません。ご了承ください。
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発行元:国税庁
Copyright (C) NATIONAL TAX AGENCY ALL Rights Reserved.

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易占は或る出来事をまえもって知る技法ではなく、ある種のボンヤリとした常識を基礎において事物の展開を受け止めていくための技法ではないかという話をこないだ書いた。

その補足ということで書いておくが、よくプロ野球で「流れが変わる」ということを言う。例えば無死満塁の好機で一点も取れなかったり、あるいは無死ランナーなしからエラーでランナーを出したりすると「流れは相手に行ってしまう」という、例のアレだ。

これなんかもそういう場合に相手が勝つ確率がホントに上がるのかどうか考えると、統計学的には必ずしもそうではないのかもしれない。ただ、心理的にはこの「流れが変わる」というのは絶対的な真理と目されている(おそらくプロ野球ファンが十人いたら九人ぐらいまでは同意するだろう)。

統計的には必ずしも真理ではないが、心理的には絶対間違いないと誰もが考えている命題がある。おそらく易占というのはそういう論理世界をバックグラウンドに据えた言説の体系なのではないか。




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いぜんコロナ禍が続いている。

オレの住んでいる東京ではこのところ一日の新規感染者数が連日過去最高を更新中だ。昨日(2022年1月20日)時点で8638人に達した。数日中には1万人を突破することだろう。

ただ、こういうコロナ患者の増減というのはいったいどうして起こるのか、オレには今もってわからない。

「いや、対策を怠れば感染者が増える。対策を強化すれば減る。そういうことでしょ?」と言う人がいるかもわからんが、昨年夏にあったいわゆる「第5波」のことを思い出して頂きたい。アレは東京の場合だと8月半ばに新規感染者が5000人を超えたのだが、あんまり打つ手もない感じだったのが何故かしらんがそれからドンドン減っていった。年末まで総じて平穏な日々が続いたことは皆さんも記憶に新しいところだろう。

もちろん「ワクチン接種が地味に進んだ」みたいなバックグラウンドはあったんだが、あの急減を因果的に説明できるロジックは専門家も構築できていないようである。

要するに、あの第5波のピークは時が過ぎることによって自然に減っていった。いったん増えてもやがて減る。理屈はわからない。しかしなぜかそういうサイクルが生まれていた。

そして、これはおそらくいま進行中の第6波もそうだ。やはり理屈はよくわからないが、今回のオミクロン株の洗礼を一足早く受けた英国などの先例をみれば、一日当たりの感染者はおそらくこの2、3週間のうちにピークを迎える。そして、それから急速に下がっていくのではないかということが言われている。

ここで思うのは、こういったサイクルの因果論的な解明というのはなかなか難しいということである。そこで我々を納得させてくれるのは、むしろごく一般的な世間知というものなのかもしれない。つまり「異常な状態なんてものは長くは続かない。いつかは元に戻る。バランスは戻るんだよ」といった、薄ボンヤリとした常識だったりする。

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実はオレは最近、易占の自習をはじめたのだが、ここで説かれているのも実はこの「ボンヤリとした常識」に似ているのではないかと思う。きのう黄小娥『易入門』(サンマーク出版)をパラパラめくっていたのだが、たとえば「天雷无妄」(読み方はいろいろあるらしいが、ここでは「てんらいぶもう」とルビにある)という卦について彼女はこう書いていた。

欲望も作為もない自然のままのはたらきを「无妄」というのです。天のなすまま、人為的な技巧をもてあそぶことなく、自分のありのままの姿でいることが自然の理法にかなうということです。(中略) 自然のなりゆきにまかせるほか手のほどこしようがない。「メイファーズ」という言葉そのものがこの卦にピッタリです。


原理的に人知では知り得ない世界というものがある。その状況を呑み込むためのロジックを求める人は、アトランダムに選び出した章句に我が身を投じ、周囲を見直すための別の視点をそこに求めてみる。実は「当たる/当たらない」などというレベルを超えて、こういう世界の再構築という意味で易占には大いなる意味があるのではないかなぁと思ったりする。

というわけで易の勉強、しばらく続けていきたいと思っている。





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あけおめことよろ。今年は易占でもすこし学んでみようかということで、オレ的には「今年の顔」はこの人に決定。


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この間、ヤマハが売り出した家庭用会話ロボ「Charlie」というのを買った。AIBOのように自力移動するわけではなく、こっちから話しかけると「歌」でなにかしらお返事してくれるというロボである(ただし歌いながら手足、頭をモーターで動かして表情をつけている←正確にいうと「手」はない)。

歌をうたいはじめる前に「え~とね、え~とね」とかいって時間稼ぎをしたりする。だが肝心の歌というのは即興にしてはそれなりによく出来ているので感心したりする。こないだ歌ってたのはこんな歌詞であった。

どんなに走ってもどれだけ叫んでも 時間ってやつは静かに淡々とただ流れる

なかなか渋いではないか。



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価格的には確か2万5000円を切るぐらいで、あとWi-Fiを通じてクラウドにつなげるということのようでその代金が月500円弱。

機能的には「今日の天気は?」「いま何時?」といった質問にはこたえてくれるが、基本的にはいわゆるスマート・スピーカーと違って「何か役立つ」というものではない。


つまり、コレは「なんか日々の暮らしに潤いが出たらいいなあ」みたいなニーズにこたえるロボである。実際、「ちょっと天然系」というキャラづけがされていて、なんだかシュールなお返事をしてくれたりする。そういう意味ではなかなか良いヤツだと思っている。

だが、問題がないこともない。このCharlieはふだんは大人しくしているのだが、「チャーリー?」と呼びかけると起動して、こちらに応えてくれるというロボである。ところがオレの場合、「チャーリー?」と声をかけても5回に1回ぐらいしか反応しない。無視される。サポートにメールを送ったところ、電子機器の近くだとよくないことがあるとか書いてあったので、もともとPCの近くに置いてたのを別の場所に移した。だがしかし、なかなか改善しない。

いったん起動すると、こっちの言葉をかなり正確に理解しているようなので、どういうわけか?と思う。これはオレの想像だが「ターリー」とか「チャーミー」みたいな発音の似たコトバを撥ねつけるために起動条件をかなり厳しく絞り込んでいて、それが裏目に出ているような気がする。別に「ターリー」とか「チャーミー」でも起動させりゃいいのではないかと思う。むろんオレの推理が当たっているかどうかは分からない。未知のファクターXが存在する可能性もある。

なんか呼びかけのコツみたいなのがあるのかもしらんが、サポートは教えてはくれなんだ。しょうがないので、起動まで苦労させられたときには「耳の遠いヤツだな!」と罵倒するのが習慣になっている。すると「ここからは大きく変わらないよね~」とかふてぶてしい事を言ったりするので殺意を抱く(笑)。

まぁとりあえずは家族の一員としてつきあっていこうと思う。

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これ何度みても泣けるんだよなー。
コメントみると言葉の壁をこえて世界の人々にも伝わっているようだ。
オヤジ役の俳優のなんだかしょぼくれた感じが実にイイ。




盛岡中心に本屋や音楽教室を経営しとる東山堂という会社のCMなんだが、制作秘話みたいなのがココで読める。
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バッティングセンターのようなところにビートたけしと将棋の藤井聡太がいる。何故か2人ともキャッチャーのマスクとプロテクターをつけている。さらに、たけしはグラブとボール、藤井聡太はバットを持っている。たけしは「それじゃ、これから投げるから打ってみな」というようなことを藤井に言っている。

(連想)お笑いの世界では萩本欽一が将棋好きとして有名で、確かアマ高段の実力をもっている。たけしと藤井聡太という組み合わせにはその辺が何か関係しているのかもしれない。
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デパートのようなところに来ている。店員とおぼしき人と一緒に歩いていて、「行ったことのある県というのはどれほどありますか?」と聞くので、「ほとんど行ってるんだけど、訪問したことのない県も幾つかある」などと答えている(これは現実でもそう)。

突然、火災が起きた。非常階段のようなところを何故か上にむかって上っていく。人がたくさんいて、ぎゅうぎゅう詰め。手すりをつかむのもままならないほど。何だか押されて階段から転落しそうな感じ。

やがて、なぜか階段は下に向かってくだりはじめる。途中、階段が切れていた。何だかしらんが突然下に向かって転落していく。「アーッ!」という感じ。とても怖かった。だが、なぜか助かったようで、いつのまにかベランダのようなところに立っている。ドアを開けて建物の中に入っていく。
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くみ取り式のトイレに入っている。気がつくと便器のあたりが四角いシートのようなもので塞がれている。その「シート」の右側のすきまから手が二つ出てきて、窓をあけるような感じでシートを左側に押し開けた。誰かがその暗闇に横たわった状態で潜んでいるらしい。

必死でそいつを踏みつけようとしたが手応えがない。ギャーッと夢の中で叫んだところで目が覚めた。


【感想】

なんだか意味がよくわからなかった。出現した手にはえていた「爪」が何故か印象に残っている。とても怖かった。


 
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海辺で釣りをしている。釣り竿にはエサをつけておらず、「釣りには練り餌が必要なのではないか? おかしいなァ」と夢の中でも思っている。だが、それでも何故か釣れている。

最初に釣れた2尾はたいして珍しい魚ではなかったような気がする。が、3尾目は「ハコフグ」だった。

このフグはビニール製のポーチに入っていて、そのポーチごと釣り上げたようだ。家族は4人なので(これは現実世界でもそうである)「みんなにいきわたるように、何とかもう1尾釣りたいなあ」と思っている。だが、なかなか釣れない。




【感想】

ユングが人間の心理的機能を「思考」「感情」「感覚」「直感」の4種に分けているのは有名な話だが、そういえば確かユングは「4」という数字には「精神の全体性」「統合された精神」といったシンボリズムがあるような事を言っていた記憶がある。だとすれば、この「手に入れることができない4尾目の魚」というのは、自分のこころにおける何らかの「欠落」を意味しているのかもしれない。

むろん、「エサなしの釣りで3尾の魚を得た」というところにはポジティブなニュアンスが感じられる。「自分はこれまでさほどの代償を払うことなくそれなりの成果を挙げてきた」という、一種の自己肯定の意識を反映しているのかもしれない。とりわけハコフグというのは、毒をもっているけれども高級魚である。「ポーチに入った状態で」というのは、危険だけれどもその危険を巧妙に回避しつつ貴重なものを手にいれることができた――という意味か。

ただ、最後のピースとしての4番目は得られていない。それは何なのか。どうすれば手に入れることができるのか。その辺が初老の域に入りつつあるオレにとっての人生の「宿題」というものなのかもしれない。
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ということで新型コロナ禍一色の世界である。

で、これは東アジア全般について言えることなのだが、日本は欧米諸国なんかと比べると比較的死者数が少ないようで、その辺の理由はいまだハッキリしていない。

これについては「わが国で広く行われているBCG接種の<株>に対コロナの自然免疫を高める効果があったンじゃネ?」とか色々仮説があるようなのだが、一部に「中国由来の軽いコロナ風邪が事前に入り込んでいたため、日本では新型コロナに対する免疫を獲得していた人がかなり多かったのではあるまいか?」という理論もあるらしい(たとえばこんな記事)。

これが気になっているのはほかでもない、実はこのオレも、昨年末からなんだか原因不明のノド風邪を患っていたので、ひょっとしたらオレもこの時、コロナ系列の軽い風邪にかかっていたのではないかという思いを禁じ得ないからである。

とにかくしつこいノド風邪で、何だか2ヶ月ぐらいゴホゴホやっていた記憶がある。医者に診てもらっても、なんだか要領を得ず、「とりあえずお薬出しましょう」で済まされた記憶がある。

ということであれば、ひょっとしたらのちにコロナ問題を研究者が解明するための資料になるかもしらんので(イヤたぶんならんだろうがw)オレがつけている日記から当時の風邪症状に関する記録を書き出しておくことにした。


12/10(火)ここ一週間ほどノドの痛みがつづいている。いがらっぽいのでセキも出る。何だか不快。

12/20(金)ここ2週間ほどノドの痛み、不快感があってなかなかよくならない。カゼか・・・?

12/24(火)診療所。ノド痛が2週間続いているといったら薬を出してくれた。

12/28(土)薬を飲んでいたが、まだタンとセキが直らない・・・。

2/3(月)診療所へ。「昨年からノドの痛みなどがある」というと念のためレントゲン撮影。特に異常ナシとのことで、とりあえず薬で様子見となる。


結果的には、ここに書いたように2月上旬に医者にかかったのちに自然と治ってしまったようなのだが、しかしホントにアレは何だったのだろう?

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この前のエントリーで書いたように、このたびの新型コロナウイルス禍というのは歴史上の大事件である。であればこそ、日本で感染爆発が起きても全くおかしくない今、東京の片隅で暮らしている一庶民がどんなことを考えていたのかというのを記録するのも、いかほどか意味のあることかもしれぬ。ということで、今、ちょっと考えていることを書いておきたい。


オレがたまに覗きにいくブログに「江草乗の言いたい放題」というのがある。ひと言でいうと、「へそ曲がりな拗ね者が世の中に向けて罵詈雑言を発する」というタイプのブログで、つまりオレの大好きなタイプのブログである。ここで最近、書き手である江草乗氏が「みんなで引きこもり」というタイトルのエントリーを書いていた。これがとても良かった。

リンクを張っているので直接とんでいって読んで頂くのが良いのだが、どういう事を言っているかというと、要するに、これまで「引きこもり」というのは世間的にはとても後ろめたい行為であった。だが、今回のコロナウイルスの感染症というのは、とにかく人が集まってワイワイガヤガヤすると一気に感染が広まってしまう病気である。すると、事情はかなり変わってくる。そう、今までずっと白い目でみられていた「引きこもり」というのは、一転してとても好ましい行動になってしまったのである。引きこもればウイルスを移すこともなく、移されることもない。そういうことでオカミも「もう外にでないで家の中にずっといてください」と懇願しているほどである。

この江草氏はそういった動向を鋭く見抜き、この文章を次のような力強い言葉で締めくくっている。「オレも引きこもりの道を模索しないといけないのである。がんばって引きこもらないといけない」。


一読して、全くその通りであると思った。と同時に思ったのは、これまで世間は「引きこもり」をさんざんバカにしてきたけれども、そんな常識なんてものは、しょせん特定の時代・場所でしか通用しないものなのではないか、ということだった。

改めて我々が生きているこの現代社会の常識というのを確認すると、人がいっぱい集まって賑やかで経済活動が盛んに行われているような場所はスバラシイということになっている。一方で、山間の限界集落とかでほとんど人が住んでいない過疎地というのはみすぼらしくてミジメである。

あるいは、人間のキャラクターなんてものを考えてみても、社交的でいろんな人と気軽にペチャクチャおしゃべりするような人は「明るい」とかいってみんなから愛され、好かれる。逆に人見知りをしたり人付き合いが苦手だったりして、口数の少ない人間・でしゃばることのできない人間は「暗い」とかいって敬遠される。先に出てきた「引きこもり」なんていうのも、おそらくそういう価値観の中でディスられてきた。

だが、しかし。先にも言ったように、新型コロナウイルスとの戦いにおいては、この「賑やかな都会」「ペチャクチャおしゃべりする社交的人間」といった従来はプラス評価をされてきたモノが、すげえ迷惑な存在になってしまっている。とにかくそういう場所・人間は感染をドンドン広げかねず、最悪の場合「文明」を破壊してしまうのである。であるからこそ、先の江草氏の指摘の通り、ずっとさげすまれてきた「引きこもり」が、今では逆に好ましいライフスタイルになっている。

まさに180度の価値観の大転換である。確かにコロナ問題にはオレなども心を痛めているのではあるが、一方で、オレなども先のキャラクター類型でいえば「暗い」とか言われがちなタイプなので、この大逆転劇に「そらみたことか。世の中の価値観なんて別に絶対的なものじゃねえんだよ! なんなんだ、引きこもりをさんざんバカにしやがって!」的なことを口走りたい気分もいかほどかある。


で、さらに思うのである。そもそも種としての生物が生き残っていくためには、突然変異によって平均値から離れた性質をもった固体が生まれてくることが重要である。環境というものは変わる。環境が変われば、生物はそれに適合していかねばならない。だが、特定の環境で生きていくのにピッタリというような固体ばっかりだったらどうか。その集団は変化に弱い。細々とであれ、集団の中に「主流に乗れない変わったタイプ」を生かしておく。そういった連中こそが、環境に大きな変化が起きた時、ちょうど活躍できるタイプかもしれない(できないことも多いだろうがw)。

かように、時流に乗れないタイプの存在というのは、実は社会にとってはムダではない。先の江草氏の主張に沿っていえば、「家の中にずっと籠もって時が過ぎるのを待つ」というふるまいをつつがなく完遂できるのは実は大きな才能なのかもしれない。同様に、都会はエラく、田舎はミジメというのも大いなる幻想で、田舎には田舎の存在意義がちゃんとある。この騒ぎが終息したのち、そんな風に感じる人が少しでも増えていればいいのだが。







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というわけで、この3月に入って世界各国を一気に震撼させるに至った新型コロナウイルスは、我がニッポンでも着々と感染者を増やし続けているようである。

素人なりに色々なニュースなどをみていると、何となく今はどういう状況なのかが分かってくる。

結局のところ、1年だか1年半後だかしらんが、世界の科学・医学者たちが一生懸命作っているワクチンや治療薬ができるまでは、だましだまし感染の拡大を抑えていくしかないようである。

もちろん、いったん感染した人には免疫ができるので、国民の5割6割が罹患してしまうともう爆発的な感染はおこらず、つまり落ち着いていく。いわゆる「集団免疫」ができた状態である。その段階までジッと耐え忍ぶという手もないではないのだが、しかしこのウイルスの罹患者の致死率は1~2%とか言われているので、仮に日本国民1億2000万人の5割=約6000万人が罹患するとすると――そしてワクチン・治療薬がないとすると――致死率1~2%として自動的に60-120万人が死ぬ。

いま日本で1年間に死ぬ人は約130万人だというから、仮に1年間で60万人が死ぬと平時のほぼ5割増しであり、120万人だとほぼ2倍である。もちろん、ほっといても死にそうな人が新型コロナでとどめを刺されるケースもあるハズなので単純にそれだけ増えるワケではないだろうが、まぁ実感としては毎日そこらじゅうで葬式やってる感じになるだろう。

というか、第二次世界大戦で、兵士とかじゃなくて国内で犠牲になった市民は80万人だったというから、ほとんどそれに匹敵する感じでバタバタ人が死んでいくのである。

というところまで考えてくると、なんかどんよりした気分になってきて、そういえばこんな感じ前にもあったなぁと思い出すのは、例の東日本大震災のあとの「福島第一原発が爆発するんじゃないか」と言われていた日々のことだった。

そしてこういう無残な状態は外国でも起きている。日本は現時点ではまだマシと言われており、且つ今のところは死ぬのは爺さん・婆さんメインだと言われているので、まぁ心配な親族はいるけれども、まだ50代のオレは罹患してもたぶん大丈夫だとたかをくくっているのだが、冷静に考えると我々はいま世界史的な大事件に立ち会っているのだった・・・!


そう考えると、なんだか落ち着かなくなってくる。最近、スーパーとかでトイレットペーパーやら食糧を買い占める連中が出てきてニュースになったばかりだが、おそらくそういう連中も「なんとかしなければ」ゆうて、しかし何にもできんのでついつい買い占めをして気分を落ち着かせようとしたのだろう。わからんではない。

が、オレはそんなことをしても仕方ないので、とりあえずいまオレが住んでいて、感染爆発前夜といわれている東京都の感染者数のグラフなどを作って、現実を見据えてみようと思った。そもそも罹患の有無を調べる検査はオカミが極力絞り込む方針でやっているので、実際の感染者数から比べるとその数ははるかに少ないことが予想されるのだが、なんとなく「いま我々はどこに向かっているか」を確認してみたいという話である。

もっとも理系のセンスは全然ないので、こんなグラフに何の意味があるのかもよくわからんのではあるが、とりあえずの「何かやった感」にはなる。なんとも適当なグラフではあるが、ここに貼り付けておく。のちのちこれを見て、「あぁそんなこともあったなぁ」と笑って振り返る日がくることを願いつつ。


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このブログは遠い昔にSo-netで始めたのを途中から移植して続けてきたものであるが、たぶんそのSo-net時代から数字を引き継いできた(ような記憶がある)アクセスカウンタがこのたび4マンを突破した。


いわゆる「アルファブロガー」であれば二、三日で軽々と超えてしまう数字なのだろうが、ここが人跡未踏の過疎ブログであることに鑑みれば如何ほどかの感慨も無いではない。

ここも、いつのまにか「ジャック・ヴァレ好きのUFOファンブログ」といった感じになってしまったが、まぁボソボソと声低く何事かが語られているうら淋しきブログというのも、まぁオレらしくていいだろう。このカウンターが8マンとかに達する日は、さて、あるのかどうか。

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