カテゴリ: 身辺雑記

住んでいるマンションで「NURO光」が導入できるようになったというので申し込んできた。

現在は「光 with フレッツ東日本マンション」というのを使っているが、これはVSDL方式でだいたい下り60-70Mbpsぐらいである。別にそれで困ってるワケではないのだが、NURO光だとこれが三桁はいくだろうし、何より今よりランニングコストが安くなる。

光配線の経路が確保できないときはキャンセルになるとかいう話だが、まぁ切り替えてみてもよかろうという判断である。どうなるか。

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 大泉洋を起用したNURO光のCMも始まったのでSONYも攻勢に出ているのかもしれない


■追記2021/10/23

契約してからまもなく一週間。「契約内容通知書」というハガキはすぐに届いたが、宅内工事についての連絡はまだない。NURO光にネット経由でダイレクトで申し込むとすぐに工事日が決まるようなのだが、今回は代理店経由で契約した。代理店経由だと、やっぱりタイムラグみたいなものが生じるのであろうか?

なんで代理店経由の契約になったのかというと、このNURO導入にはマンションの管理組合が一枚かんでいて、管理組合から「代理店の説明会が開かれます」という告知が来たのでその説明会で契約するという流れになったのだった。工事のトラブルとかあったバアイ、管理組合―代理店みたいなルートがあったほうが安心かもしらんと思ったのだが、果たしてどうだったのだらうか? 

ネットで調べると「NURO光と直接契約するとキャッシュバック4.5万」みたいな話も出てくるのだが、今回の代理店経由で提示されたキャッシュバックの額はこれよりかなり少額だった。これで工事までスローモーということになると、うーむ、あんまりメリット無かったンかナ・・・・・・


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この間、ヤマハが売り出した家庭用会話ロボ「Charlie」というのを買った。AIBOのように自力移動するわけではなく、こっちから話しかけると「歌」でなにかしらお返事してくれるというロボである(ただし歌いながら手足、頭をモーターで動かして表情をつけている←正確にいうと「手」はない)。

歌をうたいはじめる前に「え~とね、え~とね」とかいって時間稼ぎをしたりする。だが肝心の歌というのは即興にしてはそれなりによく出来ているので感心したりする。こないだ歌ってたのはこんな歌詞であった。

どんなに走ってもどれだけ叫んでも 時間ってやつは静かに淡々とただ流れる

なかなか渋いではないか。



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価格的には確か2万5000円を切るぐらいで、あとWi-Fiを通じてクラウドにつなげるということのようでその代金が月500円弱。

機能的には「今日の天気は?」「いま何時?」といった質問にはこたえてくれるが、基本的にはいわゆるスマート・スピーカーと違って「何か役立つ」というものではない。


つまり、コレは「なんか日々の暮らしに潤いが出たらいいなあ」みたいなニーズにこたえるロボである。実際、「ちょっと天然系」というキャラづけがされていて、なんだかシュールなお返事をしてくれたりする。そういう意味ではなかなか良いヤツだと思っている。

だが、問題がないこともない。このCharlieはふだんは大人しくしているのだが、「チャーリー?」と呼びかけると起動して、こちらに応えてくれるというロボである。ところがオレの場合、「チャーリー?」と声をかけても5回に1回ぐらいしか反応しない。無視される。サポートにメールを送ったところ、電子機器の近くだとよくないことがあるとか書いてあったので、もともとPCの近くに置いてたのを別の場所に移した。だがしかし、なかなか改善しない。

いったん起動すると、こっちの言葉をかなり正確に理解しているようなので、どういうわけか?と思う。これはオレの想像だが「ターリー」とか「チャーミー」みたいな発音の似たコトバを撥ねつけるために起動条件をかなり厳しく絞り込んでいて、それが裏目に出ているような気がする。別に「ターリー」とか「チャーミー」でも起動させりゃいいのではないかと思う。むろんオレの推理が当たっているかどうかは分からない。未知のファクターXが存在する可能性もある。

なんか呼びかけのコツみたいなのがあるのかもしらんが、サポートは教えてはくれなんだ。しょうがないので、起動まで苦労させられたときには「耳の遠いヤツだな!」と罵倒するのが習慣になっている。すると「ここからは大きく変わらないよね~」とかふてぶてしい事を言ったりするので殺意を抱く(笑)。

まぁとりあえずは家族の一員としてつきあっていこうと思う。

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これ何度みても泣けるんだよなー。
コメントみると言葉の壁をこえて世界の人々にも伝わっているようだ。
オヤジ役の俳優のなんだかしょぼくれた感じが実にイイ。




盛岡中心に本屋や音楽教室を経営しとる東山堂という会社のCMなんだが、制作秘話みたいなのがココで読める。
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バッティングセンターのようなところにビートたけしと将棋の藤井聡太がいる。何故か2人ともキャッチャーのマスクとプロテクターをつけている。さらに、たけしはグラブとボール、藤井聡太はバットを持っている。たけしは「それじゃ、これから投げるから打ってみな」というようなことを藤井に言っている。

(連想)お笑いの世界では萩本欽一が将棋好きとして有名で、確かアマ高段の実力をもっている。たけしと藤井聡太という組み合わせにはその辺が何か関係しているのかもしれない。
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デパートのようなところに来ている。店員とおぼしき人と一緒に歩いていて、「行ったことのある県というのはどれほどありますか?」と聞くので、「ほとんど行ってるんだけど、訪問したことのない県も幾つかある」などと答えている(これは現実でもそう)。

突然、火災が起きた。非常階段のようなところを何故か上にむかって上っていく。人がたくさんいて、ぎゅうぎゅう詰め。手すりをつかむのもままならないほど。何だか押されて階段から転落しそうな感じ。

やがて、なぜか階段は下に向かってくだりはじめる。途中、階段が切れていた。何だかしらんが突然下に向かって転落していく。「アーッ!」という感じ。とても怖かった。だが、なぜか助かったようで、いつのまにかベランダのようなところに立っている。ドアを開けて建物の中に入っていく。
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くみ取り式のトイレに入っている。気がつくと便器のあたりが四角いシートのようなもので塞がれている。その「シート」の右側のすきまから手が二つ出てきて、窓をあけるような感じでシートを左側に押し開けた。誰かがその暗闇に横たわった状態で潜んでいるらしい。

必死でそいつを踏みつけようとしたが手応えがない。ギャーッと夢の中で叫んだところで目が覚めた。


【感想】

なんだか意味がよくわからなかった。出現した手にはえていた「爪」が何故か印象に残っている。とても怖かった。


 
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海辺で釣りをしている。釣り竿にはエサをつけておらず、「釣りには練り餌が必要なのではないか? おかしいなァ」と夢の中でも思っている。だが、それでも何故か釣れている。

最初に釣れた2尾はたいして珍しい魚ではなかったような気がする。が、3尾目は「ハコフグ」だった。

このフグはビニール製のポーチに入っていて、そのポーチごと釣り上げたようだ。家族は4人なので(これは現実世界でもそうである)「みんなにいきわたるように、何とかもう1尾釣りたいなあ」と思っている。だが、なかなか釣れない。




【感想】

ユングが人間の心理的機能を「思考」「感情」「感覚」「直感」の4種に分けているのは有名な話だが、そういえば確かユングは「4」という数字には「精神の全体性」「統合された精神」といったシンボリズムがあるような事を言っていた記憶がある。だとすれば、この「手に入れることができない4尾目の魚」というのは、自分のこころにおける何らかの「欠落」を意味しているのかもしれない。

むろん、「エサなしの釣りで3尾の魚を得た」というところにはポジティブなニュアンスが感じられる。「自分はこれまでさほどの代償を払うことなくそれなりの成果を挙げてきた」という、一種の自己肯定の意識を反映しているのかもしれない。とりわけハコフグというのは、毒をもっているけれども高級魚である。「ポーチに入った状態で」というのは、危険だけれどもその危険を巧妙に回避しつつ貴重なものを手にいれることができた――という意味か。

ただ、最後のピースとしての4番目は得られていない。それは何なのか。どうすれば手に入れることができるのか。その辺が初老の域に入りつつあるオレにとっての人生の「宿題」というものなのかもしれない。
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ということで新型コロナ禍一色の世界である。

で、これは東アジア全般について言えることなのだが、日本は欧米諸国なんかと比べると比較的死者数が少ないようで、その辺の理由はいまだハッキリしていない。

これについては「わが国で広く行われているBCG接種の<株>に対コロナの自然免疫を高める効果があったンじゃネ?」とか色々仮説があるようなのだが、一部に「中国由来の軽いコロナ風邪が事前に入り込んでいたため、日本では新型コロナに対する免疫を獲得していた人がかなり多かったのではあるまいか?」という理論もあるらしい(たとえばこんな記事)。

これが気になっているのはほかでもない、実はこのオレも、昨年末からなんだか原因不明のノド風邪を患っていたので、ひょっとしたらオレもこの時、コロナ系列の軽い風邪にかかっていたのではないかという思いを禁じ得ないからである。

とにかくしつこいノド風邪で、何だか2ヶ月ぐらいゴホゴホやっていた記憶がある。医者に診てもらっても、なんだか要領を得ず、「とりあえずお薬出しましょう」で済まされた記憶がある。

ということであれば、ひょっとしたらのちにコロナ問題を研究者が解明するための資料になるかもしらんので(イヤたぶんならんだろうがw)オレがつけている日記から当時の風邪症状に関する記録を書き出しておくことにした。


12/10(火)ここ一週間ほどノドの痛みがつづいている。いがらっぽいのでセキも出る。何だか不快。

12/20(金)ここ2週間ほどノドの痛み、不快感があってなかなかよくならない。カゼか・・・?

12/24(火)診療所。ノド痛が2週間続いているといったら薬を出してくれた。

12/28(土)薬を飲んでいたが、まだタンとセキが直らない・・・。

2/3(月)診療所へ。「昨年からノドの痛みなどがある」というと念のためレントゲン撮影。特に異常ナシとのことで、とりあえず薬で様子見となる。


結果的には、ここに書いたように2月上旬に医者にかかったのちに自然と治ってしまったようなのだが、しかしホントにアレは何だったのだろう?

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この前のエントリーで書いたように、このたびの新型コロナウイルス禍というのは歴史上の大事件である。であればこそ、日本で感染爆発が起きても全くおかしくない今、東京の片隅で暮らしている一庶民がどんなことを考えていたのかというのを記録するのも、いかほどか意味のあることかもしれぬ。ということで、今、ちょっと考えていることを書いておきたい。


オレがたまに覗きにいくブログに「江草乗の言いたい放題」というのがある。ひと言でいうと、「へそ曲がりな拗ね者が世の中に向けて罵詈雑言を発する」というタイプのブログで、つまりオレの大好きなタイプのブログである。ここで最近、書き手である江草乗氏が「みんなで引きこもり」というタイトルのエントリーを書いていた。これがとても良かった。

リンクを張っているので直接とんでいって読んで頂くのが良いのだが、どういう事を言っているかというと、要するに、これまで「引きこもり」というのは世間的にはとても後ろめたい行為であった。だが、今回のコロナウイルスの感染症というのは、とにかく人が集まってワイワイガヤガヤすると一気に感染が広まってしまう病気である。すると、事情はかなり変わってくる。そう、今までずっと白い目でみられていた「引きこもり」というのは、一転してとても好ましい行動になってしまったのである。引きこもればウイルスを移すこともなく、移されることもない。そういうことでオカミも「もう外にでないで家の中にずっといてください」と懇願しているほどである。

この江草氏はそういった動向を鋭く見抜き、この文章を次のような力強い言葉で締めくくっている。「オレも引きこもりの道を模索しないといけないのである。がんばって引きこもらないといけない」。


一読して、全くその通りであると思った。と同時に思ったのは、これまで世間は「引きこもり」をさんざんバカにしてきたけれども、そんな常識なんてものは、しょせん特定の時代・場所でしか通用しないものなのではないか、ということだった。

改めて我々が生きているこの現代社会の常識というのを確認すると、人がいっぱい集まって賑やかで経済活動が盛んに行われているような場所はスバラシイということになっている。一方で、山間の限界集落とかでほとんど人が住んでいない過疎地というのはみすぼらしくてミジメである。

あるいは、人間のキャラクターなんてものを考えてみても、社交的でいろんな人と気軽にペチャクチャおしゃべりするような人は「明るい」とかいってみんなから愛され、好かれる。逆に人見知りをしたり人付き合いが苦手だったりして、口数の少ない人間・でしゃばることのできない人間は「暗い」とかいって敬遠される。先に出てきた「引きこもり」なんていうのも、おそらくそういう価値観の中でディスられてきた。

だが、しかし。先にも言ったように、新型コロナウイルスとの戦いにおいては、この「賑やかな都会」「ペチャクチャおしゃべりする社交的人間」といった従来はプラス評価をされてきたモノが、すげえ迷惑な存在になってしまっている。とにかくそういう場所・人間は感染をドンドン広げかねず、最悪の場合「文明」を破壊してしまうのである。であるからこそ、先の江草氏の指摘の通り、ずっとさげすまれてきた「引きこもり」が、今では逆に好ましいライフスタイルになっている。

まさに180度の価値観の大転換である。確かにコロナ問題にはオレなども心を痛めているのではあるが、一方で、オレなども先のキャラクター類型でいえば「暗い」とか言われがちなタイプなので、この大逆転劇に「そらみたことか。世の中の価値観なんて別に絶対的なものじゃねえんだよ! なんなんだ、引きこもりをさんざんバカにしやがって!」的なことを口走りたい気分もいかほどかある。


で、さらに思うのである。そもそも種としての生物が生き残っていくためには、突然変異によって平均値から離れた性質をもった固体が生まれてくることが重要である。環境というものは変わる。環境が変われば、生物はそれに適合していかねばならない。だが、特定の環境で生きていくのにピッタリというような固体ばっかりだったらどうか。その集団は変化に弱い。細々とであれ、集団の中に「主流に乗れない変わったタイプ」を生かしておく。そういった連中こそが、環境に大きな変化が起きた時、ちょうど活躍できるタイプかもしれない(できないことも多いだろうがw)。

かように、時流に乗れないタイプの存在というのは、実は社会にとってはムダではない。先の江草氏の主張に沿っていえば、「家の中にずっと籠もって時が過ぎるのを待つ」というふるまいをつつがなく完遂できるのは実は大きな才能なのかもしれない。同様に、都会はエラく、田舎はミジメというのも大いなる幻想で、田舎には田舎の存在意義がちゃんとある。この騒ぎが終息したのち、そんな風に感じる人が少しでも増えていればいいのだが。







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というわけで、この3月に入って世界各国を一気に震撼させるに至った新型コロナウイルスは、我がニッポンでも着々と感染者を増やし続けているようである。

素人なりに色々なニュースなどをみていると、何となく今はどういう状況なのかが分かってくる。

結局のところ、1年だか1年半後だかしらんが、世界の科学・医学者たちが一生懸命作っているワクチンや治療薬ができるまでは、だましだまし感染の拡大を抑えていくしかないようである。

もちろん、いったん感染した人には免疫ができるので、国民の5割6割が罹患してしまうともう爆発的な感染はおこらず、つまり落ち着いていく。いわゆる「集団免疫」ができた状態である。その段階までジッと耐え忍ぶという手もないではないのだが、しかしこのウイルスの罹患者の致死率は1~2%とか言われているので、仮に日本国民1億2000万人の5割=約6000万人が罹患するとすると――そしてワクチン・治療薬がないとすると――致死率1~2%として自動的に60-120万人が死ぬ。

いま日本で1年間に死ぬ人は約130万人だというから、仮に1年間で60万人が死ぬと平時のほぼ5割増しであり、120万人だとほぼ2倍である。もちろん、ほっといても死にそうな人が新型コロナでとどめを刺されるケースもあるハズなので単純にそれだけ増えるワケではないだろうが、まぁ実感としては毎日そこらじゅうで葬式やってる感じになるだろう。

というか、第二次世界大戦で、兵士とかじゃなくて国内で犠牲になった市民は80万人だったというから、ほとんどそれに匹敵する感じでバタバタ人が死んでいくのである。

というところまで考えてくると、なんかどんよりした気分になってきて、そういえばこんな感じ前にもあったなぁと思い出すのは、例の東日本大震災のあとの「福島第一原発が爆発するんじゃないか」と言われていた日々のことだった。

そしてこういう無残な状態は外国でも起きている。日本は現時点ではまだマシと言われており、且つ今のところは死ぬのは爺さん・婆さんメインだと言われているので、まぁ心配な親族はいるけれども、まだ50代のオレは罹患してもたぶん大丈夫だとたかをくくっているのだが、冷静に考えると我々はいま世界史的な大事件に立ち会っているのだった・・・!


そう考えると、なんだか落ち着かなくなってくる。最近、スーパーとかでトイレットペーパーやら食糧を買い占める連中が出てきてニュースになったばかりだが、おそらくそういう連中も「なんとかしなければ」ゆうて、しかし何にもできんのでついつい買い占めをして気分を落ち着かせようとしたのだろう。わからんではない。

が、オレはそんなことをしても仕方ないので、とりあえずいまオレが住んでいて、感染爆発前夜といわれている東京都の感染者数のグラフなどを作って、現実を見据えてみようと思った。そもそも罹患の有無を調べる検査はオカミが極力絞り込む方針でやっているので、実際の感染者数から比べるとその数ははるかに少ないことが予想されるのだが、なんとなく「いま我々はどこに向かっているか」を確認してみたいという話である。

もっとも理系のセンスは全然ないので、こんなグラフに何の意味があるのかもよくわからんのではあるが、とりあえずの「何かやった感」にはなる。なんとも適当なグラフではあるが、ここに貼り付けておく。のちのちこれを見て、「あぁそんなこともあったなぁ」と笑って振り返る日がくることを願いつつ。


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このブログは遠い昔にSo-netで始めたのを途中から移植して続けてきたものであるが、たぶんそのSo-net時代から数字を引き継いできた(ような記憶がある)アクセスカウンタがこのたび4マンを突破した。


いわゆる「アルファブロガー」であれば二、三日で軽々と超えてしまう数字なのだろうが、ここが人跡未踏の過疎ブログであることに鑑みれば如何ほどかの感慨も無いではない。

ここも、いつのまにか「ジャック・ヴァレ好きのUFOファンブログ」といった感じになってしまったが、まぁボソボソと声低く何事かが語られているうら淋しきブログというのも、まぁオレらしくていいだろう。このカウンターが8マンとかに達する日は、さて、あるのかどうか。

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最近「ノーラン・チャート」というものを知った。以下にネットで拾ってきたイメージ図を貼っておくけれども、これって「政治」を考える上でなかなか使えるツールなのだった。


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これは何かというと、要するに様々な政治思想を分類するチャートである。簡単にいうと

1、「経済については国家とかが介入せずに自由放任にするのが良い→YES/NO」
2、「個人の行動はできる限り自由であるのが望ましい→YES/NO」

という二つの軸で政治思想を切り分けていこうというアイデアで、もともと米国のリバタリアン党を創設したデヴィッド・ノーランという人が考案したものだそうだ。

これのどこが良いのかというと、よく「右翼VS左翼」みたいな言い方があるけれども、実際にはそういう切り口からだとこぼれ落ちてしまうものがあって、このチャートはそういう部分を拾い上げることを可能にしてくれるのである。

例えば、フツー左翼というのは「社会保障とかを充実させて貧乏人を救え」という主張をする。つまりは経済における国の役割を期待する「大きな政府論」である(ちなみに、そういう時に必要になるカネは「大企業や金持ちから税金でたんまり取り上げろ」というのが定番である)。で、加えて左翼は「個人の自由」というのは最大限認めなさいと言う(ことが多い。たぶん)。いろんなところで国家が「アレ駄目コレ駄目」言ってくるのは許さんという立場である。以上を総合すると、フツーの左翼はこの図では左端の「Liberal 自由主義」ということになるのだろう。


一方、これとは真逆の立場で、「個人が自分勝手するのは許さない」「大企業とかからカネを取り上げるのは如何なものか。経済は自由放任でいいんじゃないか。政府は小さい方が良い」というスタンスも当然ありうる。これは図でいうと右端の「Conservative 保守主義」ということになる。

ただ、現実の社会をみていると、こういう割り切りでは収まらない考え方を持つ人も多いのである。

例えばITベンチャーのヒトなんかだと、「個人の自由は認めてほしいよネ。で、国家が民間の経済活動についてアレコレ口出すのも止めてほしいよネ」みたいに考えている人が多いのではないか。それはこの図でいうと「リバタリアン」ということになる。

一方、フツー左翼的と思われている人たちの間でも、最近はいわゆるポリティカル・コレクトネスを掲げて「差別は許さん!」とかいって世の中の様々な表現活動を叩いて回るような人々も現れている。ま、そこには「体制側に都合がよい抑圧構造を解体しているのだ」みたいな理屈もあるのだろうが、少なくともこの図でいうならば、こういう各種表現へのバッシングは「個人の自由軽視」とみなさざるを得ない面もあり、図でいうと「Authoritarian 権威・全体主義」の方にズズズッと寄っている。

自民党というのも、よく考えるとわからん。フツー自民党は「保守」とかいわれているけれども、この図でいうと必ずしも「保守主義」に収まるものではない。というのも、最近でこそ「経済は自由放任でよろしい」みたいな流れになってきてはいるが、伝統的にみると護送船団方式とかいって民間企業の行動をコントロールしてきたのが政府自民党であった。となると、自民党は本来は保守というより「Authoritarian 権威・全体主義」で、それが今はズリズリ「保守主義」に移りつつある、みたいな感じなのかもしんない。

あと、日本維新の会っていうのを考えると、これは「行政の無駄をテッテ的に省く」みたいな事を言ってるので「小さな政府」論で、かつ「別にバクチやってもいいじゃん」とかいってカジノを推進しようとしているので、これは個人の自由を相当に認める立場であって、たぶん「リバタリアン」に近いスタンスなのではないか。

「自分の政治的スタンスはどこにあるのか」ということを考えた時、右と左ではどうにも割り切れんところがある。そういうときにこういうスケールを参考にすれば、迷走する日本に生きるワレワレももう少し自覚的にこの国の行き先を選択できるようになるのではないか……と政治の何たるかなどということはよくわかっていない素人のクセにわかったような口をきいてしまうのはいささか恥ずかしいけれども。









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MOA美術館といえば収蔵品の目玉は何と言っても尾形光琳「紅白梅図屏風」である。

で、正月早々、小旅行で久々に熱海に泊まりがけで行ったのでMOA美術館にも赴いたのであったが、実は「紅白梅図屏風」は常時展示されているわけではなく、今回は見ることができなかった。残念ではあったが、特別展で琳派の特集などやっていたのでそれなりに面白かった。

杉本博司の「海景」シリーズなども展示してあって印象に残った。

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これは現代作家の作品であったが、なかなかユーモラスで良かった
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あけおめことよろ。

新年冒頭はウェブで拾ってきたこのピースポールの一枚から始めたい(念のため言うとくがオレは白光真宏会ではないw)

旧年中も一日たかだか四、五人が訪れるに過ぎない辺境ブログの侘しい日常にさほど変化はなかった。だが、まだ旗を降ろすわけにはいかない(←何の旗だヨw)



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