カテゴリ: 朝日新聞を嗤ふ

朝日新聞にはパブリック・エディター制度というものがある。社の内外の人間に「朝日の報道姿勢を検証してもらいましょう」といって提言をしてもらう制度だと思われ――オレの記憶では確か例の「慰安婦誤報事件」を反省して作ったものであったハズだが――それはともかく、朝日の社員としてそのパブリック・エディターをやっておる山之上玲子という人が最近書いた「政権評価の声、感じ取れたか」という原稿がTwitterなどでそこそこ話題になっているらしい。

オレ流に乱暴に要約すると「朝日新聞はずっと安倍政治を批判してきたが、安倍政権への支持率はけっこう高くて、こないだの世論調査では実績を評価するという人が71%もいた。朝日はこれまでそういう人たちが考えていることを軽視したり無視してきたのかもしれない。私たち、これはちょっと反省したほうがいいかもね」という主張である。

だが、これに対するオレの感想は「バカバカしい!」の一語に尽きる。

いつも言っているように、朝日新聞は常に庶民の味方を気取っているのだが、最近の庶民はほとんどが「政治なんてもの、ま、こんなもんじゃネ?」とかいって安倍独裁政権を支持してきた。笛吹けど踊らず。こりゃどういうことなんだ? おれ達どっかヘンだったかな? 朝日新聞がそう自問したくなるのはワカル。

ワカルけれども、オレからすりゃそりゃ多くの国民がバカだからそうなっているだけの話であって、いまさら猫なで声を出して「皆さんが安倍支持した理由とか、私たちもちゃんと耳を傾けるべきでした」などと言ってもムダである何となればバカにつける薬というものは無いから。

「庶民は正義である」というタテマエがある以上、なかなか言いづらいことではあるのだろうが、山之上玲子記者もこんな下手に出る必要はさらさらなく、例えばエーリヒ・フロムでも引用して自ら自由を捨てて権力に盲従する大衆心理の愚でも説きつつ、「お前ら国民のオメデタイのにはほとほと呆れたゼ」か何かいって国民大衆にケンカを売るべきだったのである。


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さて、本日9月16日に安倍内閣は総辞職し、菅政権がスタートする。

そんなタイミングにあわせてということなのだろう、本日の天声人語は安倍政治の総括のようなことを書いている。

オレなりにまとめると、「経済政策はまずまず良かった。だが、モリカケなどの疑惑については全部誤魔化して国民が忘れるのを待つ、という姑息な手段をとってきた。なんとも酷い政権であった」といった内容である。

まぁ基本的には正しい認識だと思うのだが、一番最後のところまで読んで「ん?」と思った。


▼それでも支持は離れないだろうとおごり、世論とはそんなものだと高をくくる。安倍政権の姿を、菅政権は継承するのだろうか。


いや、「世論とはそんなものだと高をくくる」とか言われても、実際、世論はこの間ずっと安倍政権を容認してきたではないか。どんな悪辣なことをしようが選挙をすれば自民党は連戦連勝だったわけで「それでも支持は離れなかった」し、「世論とはそんなもの」だったのである。

いちおう民主主義のタテマエからいえば、選挙で勝てば「あぁ、モリカケなんてものは選挙民は大して気にしてないんだ」と考えても別に間違いではない。それを「おごり」だとか「高をくくる」とか批判されても自民党としては困ってしまう。「だって自民党勝ったでしょ?」てなもんだ。だとすれば、天声人語がここで批判するべきは「そんな自民党に平気で票を入れてしまうアホな国民」だったのである。

だが、およそ朝日新聞というのは「庶民大衆というのは権力者によって抑圧されているかわいそうな人びと」というステレオタイプをもっているので、「大衆はバカだ」ということをよう言わん。安倍がどんなヘタを打ってもここまで政権を続けてこられたのは、要するに大衆がアホだったからである。それを言わずして、安倍が「おごっている」とか言ってもムダである。結果、今回も残念ながらまったく説得力のないコラムになってしまった。言うまでもなく、菅政権はそんな「安倍政権の姿勢」を継承するのである。

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【追記】
と言っていたら、発足したばかりの菅内閣の支持率は74%だったそうだ(日経新聞の世論調査)。愚昧な国民はこうやって自公永久独裁政権をずっと支持し続けていくのであろう(笑




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もともと「UFOがどうこう」だとかそういうネタばっかり書いているこのブログであるから、もとより来訪者がやってくることなど殆ど期待してはいない。

それでも時として意外なリアクションというものがあるにはあって、例えばオレは朝日新聞に不定期連載されていた「アロハで田植えしてみました」「アロハで猟師してみました」という所謂「アロハ記者シリーズ」が好きで、これをネタとしてツッコミを入れつつ感想を記すエントリーを何度か当ブログにも書いてきたのだったが、この5月、その書き手である朝日新聞記者・近藤康太郎氏とおぼしき人物からのコメントが当ブログに書き込まれていたのだった(よく見たら連絡先の記載があったので迷惑があってはイカンと思って今は非公開にしてある)。

要するに「ブログで意見を頂戴したお礼に新著を寄贈したいのですが」という話であり、つまり著者はエゴサの結果、こんな辺境ブログにまでやってきたということだったのであろう。オレとしては「おぉよくぞこんなトコまで!」&「好き勝手なこと書いてるのに何と殊勝な人なのだろう!」という驚きと若干の喜びとがあったのだけれどもよくよく考えると、その厚意に甘えたりすると、今後新シリーズが始まってまたネタにしようという時に批判の筆が鈍るオソレがある(笑)。

なので、今回は自腹でその本を買ってきて感想文を書こうと思った。さいきんようやく読み終わったので、以下、その「感想文」を記すことにした。で、その新著というのは『アロハで猟師、はじめました』である(たぶん)。

アロハで猟師、はじめました
近藤康太郎
河出書房新社
2020-05-23


一言でいうと、著者は洋楽やら文芸・思想に詳しい朝日新聞の名物記者である。だが愛社精神みたいなものは持ち合わせていないアウトローで(この辺に好感を抱く)、社外でのライター活動とかもとても大事にしている人らしい。で、そういう人間なので、「このご時世、好きなこと書いて生きていくためには会社から放り出されても最低限の食い扶持が確保されていたら安穏であろう」という発想から、長崎の田舎の支局長に転じたのを機に朝の1時間だけ野良仕事をして田んぼを作るというプロジェクトを開始する。彼はその後、異動で大分の田舎の支局に移るのだが、「狩猟もすればオカズもとれて宜しかろう」ということで、この間、鉄砲撃ちや罠猟の修行なども着々と進めていったのであった。

この間の出来事は順次朝日新聞の記事に連載され、オレもそれを読んできたのであるが、すべてを書き切ることもできないのでモノしたのがこの『アロハで猟師、はじめました』ということらしい。一言でいうと、この本は田舎暮らしでもとりわけその猟師仕事の日々を記したものである。

この本、こないだ毎日新聞の書評で社会経済学の松原隆一郎氏も激賞していたけれども、結論からいうと、たいへん良い本であった。もちろんこの企画にはネタ臭が色濃く漂っている。過去のエントリーでも書いたことだが、そもそも充実した年金制度で知られる朝日新聞の記者がこれから「生活に困る」事態に陥るのというは考えにくいコトであり、「万一に備えて田んぼを作り狩猟をする」必然性はたぶん皆無である(笑)。

ただ、そんな半分冗談みたいなところからスタートしてはいるけれども、とりわけ今回の猟師シリーズは自らの手で鹿を殺す場面を詳細・精密に描いたりしている。これはマヂである。「他の生きもののいのちを頂いて生きていくしかない人間存在の哀しさ」みたいなものを真正面から見据えている。「動物かわいそう」みたいなアホを相手に商売していかなきゃいけない日本の商業新聞の限界にも果敢に挑戦している。とても良い。

もっとも、違和感がないではない。

著者はいわゆる新自由主義的な経済至上主義に違和感をもっているようで、それに対し、農作物や狩猟の獲物を融通しあうような田舎の「贈与の社会」を対置して描いている。そりゃもちろんそういう地域の絆というのは素晴らしいモノかもしれないが、もともと田舎出身のオレなどからすると、そこんとこはちょっと美化しすぎじゃねーかと思わんでもない。

田舎というのは、確かに「インナー・サークル」に入ってしまえば生きやすい。ただし、一般論ではあるがいきなりやってきた「ヨソ者」に対して田舎の人々は総じて冷たい。アイツは何者か。仕事は何だ。何しに来たのか――徹底的に観察し、詮索する。で、害がなさそうだ、地域の和を乱すようなことはなさそうだという話になって、ようやく間合いを詰めてくる。うまくいけば仲良しだ。要するに視線は内向きである。

そういえば最近のコロナ禍でも、田舎で感染者が出れば「どこの誰だ?」「アイツは何してたんだ?」と地域はパニック状態に陥り、感染者やその家族は「和を乱した連中」ということになって吊し上げられてしまう、という話も聞く。麗しき相互扶助は、実は外部に対する強い警戒・閉鎖性と表裏一体じゃないのか、日本の田舎というのは全然変わっていないんじゃねーかと思う。著者がうまいこと地域に溶け込めたのは、もちろん一流新聞の支局長という立場もあったろうし(朝日新聞の支局長というのはおよそ日本のどの地域にあってもVIPである)、文章からも伝わってくる陽性で開けっ広げなキャラというのもあったのではないか。根が陰気なオレがこんなことしようとしても、そもそも洟も引っ掛けられまい。

とまぁいろいろ思うところもあるが、都会でサラリーマンをしている身からすれば「う~ん、これでいいのかなぁ?」と思うことはままあるわけで、「いやオルタナティブはナイでは無いンだぜ」という著者の体を張った挑戦は魅力的である。眩しい。

現在は大分県日田市で仕事をしているようだが、このところの大雨で被害とかはないのだろうか? とまれ、また新聞で「続報」など読めれば、と思う。



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 黒川弘務・東京高検検事長の賭けマージャン疑惑について、朝日新聞社は20日、同社の50代男性社員が黒川氏とのマージャンに参加していたとして「不要不急の外出を控えるよう呼び掛けられた状況下でもあり、極めて不適切な行為でおわびする」とのコメントを出した。
©一般社団法人共同通信社


というニュースが流れている。以前からオレが言っているように「朝日≓反体制」というのは半ば「商業左翼」というか販売政策的なカンバンであって、現場の記者レベルでは体制と結構ズブズブだったりする。その辺はこのあたりのエントリーでも書いていたことである。「何をいまさら」の感アリ。

*追記 最初「朝日記者」としていたが、元記者だったのでタイトル訂正
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表向きは政府批判の反体制を気取っていながら朝日新聞、その実、裏では体制とズブズブ――というのはモノの分かった人間には既に常識である。なにかというとネトウヨは「朝日は反日新聞だ国賊だ」などと騒ぎ立てるけれども、社の幹部などは安倍あたりとツーカーでそのあたりは阿吽の呼吸で馴れ合っているのである。

早い話が、こないだの新型コロナ問題に関する首相会見で注目されたように、こういう記者会見では首相サイドと記者クラブが事前に談合をして「台本」を作り、その台本通りにやりとりする。その場で「そりゃおかしい!」といって疑問を突きつける、みたいなことはしない。というか、できないお約束になっている。そして、反体制を気取る朝日も「こんな仕組みはおかしいので変えよう」などとは絶対言わないのだった


いや前フリが長くなってしまったが、以下本題に入る。

朝日で原発問題を執拗に取材してきた青木美希という記者が、こんど現場を外されて閑職の「記事審査室」に回されるというので話題になっているらしい。つまり反原発で頑張ってきた記者が社の上層部から「ちょっとやりすぎや。もうええやろ」ゆうて足を引っ張られたという図式である。そう、朝日の「原発ハンタイ」というのは、あくまで大衆ウケがいいからやってるだけのポーズに過ぎない。今回の一件でそういう「知る人ぞ知る真実」ってヤツが満天下に明らかになってしまった。

ちなみにこの記者のツイッターを読むと、彼女はなかなかの苦労人である。家は貧乏だったが苦学して大学までいき、地元の「北海タイムス」という新聞社に入ったはいいが、しかしこの新聞社は経営難でまもなく潰れてしまう(余談ながらこの会社を舞台にした小説が増田俊也の傑作『北海タイムス物語』である。傑作なので読むように)。
しかしこんな災難にもめげず、彼女は同じく地元の北海道新聞に入って腕を磨き、最後は天下の朝日新聞に引っ張られたということのようだ。そして、こういう経歴からもわかるように、この人は記者としてはすこぶる優秀で、新聞協会賞をなんと過去三度も受賞しているという。たぶんそんな記者は他にいない(と思うたぶん)。

そして、そういう記者はフツーは定年までずっと取材現場に置いておくというのが業界の定石である。つまり「記事審査室」への異動については、上層部の相当に意図的な判断があったものと思われる。

もちろん、オレが何度も言っているように朝日新聞では伝統的に誤ったエリート主義が横行しているので、地方新聞から途中入社してきた叩き上げの記者があまりにも優秀なのをみて「外様のクセにでしゃばるんじゃねえ!」という低次元の判断が働いた可能性もある。

ただそればかりではなく、彼女が一生懸命やっている原発問題についても「まぁ本音をいえばどうなろうが構やしねえ」という暗黙の了解があるからこそ、こういう人事が実現してしまうというのも確かなことだ。

いや、実のところ、オレは朝日の反原発スタンスの報道には危ういところがあると前々から思っていて、たとえば東日本大震災後に始めた連載記事「プロメテウスの罠」でかつて「福島第一の事故のあと、首都圏で鼻血を出す人が増えている」とゆーデマまがいの記述をみつけた時には憤慨したことがある。

実はこの青木記者の「新聞協会賞3つ」のうちの一つは、この「プロメテウスの罠」取材班として受けたもののようで、そういう意味ではなんだか鼻白んでしまうところもないではないのだが、それはともかく「商売としての反体制」の裏側をこうも赤裸々にさらけ出してしまうとなると、もうこれは組織として末期症状ではないのだろうかと部外者ながら余計な心配までしてしまうぞ。

そういえば、前々から業界では朝日新聞の記者を形容して言う「ニセ紳士」なる言葉があった。なかなか変われるものではないのだ。人間も、組織も。








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ということで、今日の朝日新聞を見ていたら、愛読していた不定期連載企画「アロハで猟師してみました リターンズ」が終わってしまった。

何度も書いているが、これは天下の朝日新聞で「不良」を気取っておる名物記者が、会社をクビになっても農業や狩猟で食っていけるよう実地訓練をいたしましょうという設定で田舎で野良仕事等に挑戦するサマを描いてきた企画である。

今回筆者は鉄砲で撃ったカモを各方面にプレゼントしたおかげで原稿依頼が増えたゼうっしっし、というような事を書いているが、この記者は実際はけっこう筆力が認められている人物であるようだから端的にいうとこれはウソであるが、しかしそういう偽悪趣味みたいなものをオレは買っている。それこそが「取り澄ましたニセ紳士」という旧来の朝日イメージをぶち壊していくところが面白いということもあるからだ。なので、こういう終わり方はアリだと思う。が、ちょっと寂しくなるな。


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今朝の朝日新聞「天声人語」は、最近の雪不足で泣いているというスキー場の話を前フリにしつつ「地球環境がおかしくなっているのではないか」と嘆ずる、まぁよくありがちなヤツだった。

発想が陳腐なだけに出来は今ひとつであったが、今回クビをひねってしまったのは実は「内容」というよりは書き出しの部分である。


スキー場でリフトから降り立った瞬間はいつも、絵画のなかにいるような気分になる。ゲレンデの向こうに見える山並みがきれいで、晴れていれば青空が彩りを添える。


というンだが、「リフトから降り立った瞬間」の人間というのは、その時点で山の斜面に向き合っている。ゲレンデの向こうに山並みが見えるかというと――もちろん見えるスキー場もないではないのだろうが――あんまり見通しはよくないような気がする。

むしろリフトから降りてUターンし、眼下に広がるゲレンデを目にした時のほうが「絵画のなかにいるような気分になる」のではないか。「リフトから降り立った瞬間」という言い方をするから無理が出てくるのだ。いくら村野四郎なんか引用しても既にバンカイ不能である。

なのでしょうがない、オレが添削してやろう。するとこんな感じになるだろうか。


スキー場でリフトから降り立ってゲレンデに向き合う。その瞬間、絵画のなかにいるような気分になる。向こうに見える山並みがきれいで、晴れていれば青空が彩りを添える。



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さて、最近は「天声人語」批評もすっかりサボっているのだが、今日はクリスマスイブの日ということで天声人語も関連ネタを書いてきており、これがまた箸にも棒にもかからないシロモノだったため久々に取り上げることにした。

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例によってカネを払わないと朝日新聞のサイトでは読めないので、批評上必要な箇所として最後の部分を貼っておくけれども、要するにクリスマスの話を前振りにして、「日本というのは様々な外国の文化を取り入れてきてそれは結構世の中に定着してきている、ああ面白い国であるなぁ」という、ただそれだけの話である。

まぁ別に毒にも薬にもならないコラムといえばそれまでであるが、オレとしてはここでその例証としてクリスマスを持ってくる性根が気に入らないのである。

実は天声人語は以前これと同工のコラムを書いており、それは違うだろうというのは以前にも当ブログで書いたので関心のあるかたはそちらを見て頂きたいのだが、要するにコイツは本来宗教的な行事であるクリスマスを単に美食を楽しむ歓楽イベントかなんかと思い込んでいるんではないか、という話である。


確かにこの最後の部分で「節操なき嫌いはあれど」とか言い訳はしているが、けっきょく「目も耳も舌も、楽しく味わえるものが増えるのは悪いことはない」などといって、つまりは理屈なんか一切なしで「暴飲暴食して大騒ぎできる南蛮渡来のイベント」としてクリスマスもハロウィーンも楽しもうゼ、というアホ丸出しのことを言っているのだった。

そもそも加藤周一の「雑種文化」論をここで持ち出しているけれども、こういうバカどもが「クリスマスだ、ワーイうまいもの食って飲んで楽しむぞ-」と騒いでいるのをみて、加藤が「なるほど日本は外来の文化を我がものとして取り入れているスバラシイ」などと言うワケがなかろうが。そんなものを殊更に「雑種文化」などと呼んでたたえたハズがないのである(もっとも彼の雑種文化論はずっと前に読んだだけで全く覚えていないので、万一加藤がクリスマスのバカ騒ぎを称揚していたらゴメンナサイw)

というワケで8年前に厳重注意して差し上げたことが全然改まっていなかったのでちょっと腹が立っているワケだが、もちろん天声人語子がわざわざ「 天声人語 批判 」かなんか打ち込んで検索した末にこんな過疎ブログを見に来るワケはないのでそこんとこは暖簾に腕押しでカナシイけれども、まぁ言いたいことは言っておく。

*追記
なお、念のためオレも「 天声人語 批判 」でググって、本当にこのサイトが出てくるか確かめてみたのだが、少なくともベスト100には影も形もなく、どうやらいくら天声人語子が検索してもここにはたどり着かないことが判明した。まったくもって蟷螂の斧(笑)



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というわけで、オレの好きな朝日新聞の連載シリーズの新章が始まった。
「アロハで猟師してみました リターンズ」というのである。

これについては過去にいろいろ書いているので詳しくはそっちを見て欲しいが、今回、筆者は朝日新聞の大分・日田支局長という設定になっていて(イヤ「設定」とかいうと全部計算ずくでしょう的ニュアンスが入るので失礼なのだかw)、そこから長崎の田んぼに出かけてイロイロ仕事をするというストーリーのようだ。

で、前々から言っているように、オレはこの連載に「心温まる良い話」みたいな要素は一切期待しておらず、もうちょっとハードボイルドというのか何なのか、破滅型記者のムチャクチャな暴走ぶりを見てみたいと思っている。その意味で前回シリーズは、大手新聞では半ばタブーとなっている動物の屠殺シーンなんかもシッカリ描いていて、とても好感を持った。

今回はまだ一回目なのでそのゼンボーは明らかになっていないが、ただ一回目を読む限りでは、なんかこう、「アロハ記者とその愉快な仲間たち」みたいな方向性がほの見えているのが少し気になる。そういうのはやめてネ。
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さて、またまた夏の甲子園の季節がやってくる。

各地の地方予選もほぼ終わりつつあるが、最近大きなニュースとして報じられたのが岩手県・大船渡高の超高校級エース、佐々木朗希投手をめぐる一件である。

皆さんよくご存じとは思うが、要するにこの高校の監督、岩手県大会決勝戦でこの佐々木投手をマウンドに上げなかった。決勝まで勝ち上がってくるのにかなり消耗しているし、ここで投げさせるといよいよ故障してしまうンではないか――そんな思いがあったとされる。で、大船渡高校は負けてしまった。

「なんだよ、甲子園まであと一勝っていう試合なんだから投げさせてやりゃあよかったのに!」。どうやらそんな声が澎湃と湧き上がっているらしいのである。

という前置きを経て、さて、今朝の朝日新聞「天声人語」である。ネットでは全文が見られなくなってしまったので、ここでは末尾の部分を貼りつけておくにとどめる。が、朝日新聞に高校野球を論じさせるといつだってトンチンカンになってしまうのはいつのものことで、今回もバカなことを書いている。


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この部分を読んで頂ければ分かるように、「投げさせた方が良かった」とも「これで良かった」ともハッキリ言わない。

「投げさせろ」と言ったら、「ケガもクソも関係ねーからとにかく頑張れ」とゆー古くさいスポ根主義を擁護することになってしまうので「進歩派」を気取る朝日新聞としてはそうは言いにくいところである。

かといって、「投げなくて良かった」といえば、たかが子供の野球を天下の一大事のようにあおり立てて商売の道具にしてきた朝日新聞のこれまでを自己否定してしまうことになるので、そうも書けない。

つまり天声人語子は、この件について別に言いたいことなどないのだろう。世間で大騒ぎになってるので主催者側としても何かひと言書いておこうかなーと考えたはいいが、自分のアタマで突き詰めて考えたことがないので、なんとなく曖昧なことを語って行数をかせいでいたらいつのまにか終わってしまった、というアレである。

であるから、最後に「夢をおいかけることと、途中で燃え尽きないこと。バランスが大切で、かつ難しいのは、どのスポーツも変わらない」とか言っておるが、これも適当にひねり出した文句で、現実は全然違うだろう。高校野球が今や一大ビジネスになっちまったからこそ「投げる・投げない」が大問題になってしまったワケで、有り体にいえば今回の一件が「難しい」のは、「この佐々木投手はプロ野球に入って大活躍することが期待されており、となると、いま故障でもされたら水の泡である」というオトナ世界の事情が一枚噛んでいるからなのである。

そこらで部活をやってる平凡な高校生だったら別になにも「難しくない」。
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今回は朝日新聞読書面について。

朝日の読書面はそこそこ面白いと思っている。もっとも、一つ問題があるのは書評委員の人選で、朝日のメンバーの中には過去にライバル紙の読売新聞で書評委員をやっていた人がけっこういる。つまり他紙で評判の良かった人を「引き抜いてきて使う」パターンが定着してきている(ちゃんと調べてないが、体感的には約20人中だいたい3、4人はそういう人がいる感じだ。ちなみに逆に「朝日から読売へ」という人はほとんどいない。たぶん)。

よく考えると、朝日新聞はいつも「読売巨人軍はFAでヨソの一流選手を引き抜いて来ることばっかり考えてる! いいのかそれで!」という批判をしているので、自分ンとこの読書面で全く同じようなことをやってるのはなんとも解せない。担当の記者さんは自分の眼力を信じて、オリジナリティのある人選をしていただきたいものである。

閑話休題。今回は別にそんなことを言いたいわけではなかった。けさの読書面を読んでたら、とても難解な書評が出ていたので驚いたのである。

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著作権法上の問題があるのでここでは批評に最小限必要な部分のみ示しているが、これはグレアム・ハーマン『非唯物論』という本の書評である。

最初の段落を読むと読者は、「なるほどなるほど、これは社会学・哲学系の本であって<オブジェクト指向存在論>と<アフターネットワーク理論>について書いてあるのだな。で、建築方面でもそのへん話題になっているワケね」と考える。もっともほとんどの読者はオブジェクトなんたらとかアフターなんとかと言われても何がなんだかわからない。しょうがないので、「おそらく次にその説明が来るのだろうネ」と思って読み進む。

が、しかし。読者はそこでさらに混乱を強いられる。


「建築をエコロジーのなかの一つのアクターとして捉える」

「建築という対象に内在する活力」


「???」

たぶん読者の8割ぐらいはここで読むのをやめてしまうだろう。で、オレが言いたいのは、一般市民を対象とする新聞でこういう書評を出してはならないということである。

念のため言っておくが、これはこの書評を書いた評者を責めているわけではない。書き手は建築家の方のようだが、こういう難解(っぽい)な本を平易に説明する才能というのは本業の才能とはまた別のものであって、スラスラ読める書評を書けなかったからといって非難される筋合いはない。

だからここで問われるべきは、この書評を受け取った担当記者、そして最終的にその書評原稿を通してしまった編集長(というのかな?)の姿勢なのである。

一読してよくわからない。二読三読して、ようやくナニをいいたいのかおぼろげにわかってくる。そういう文章というものは勿論あってもよいけれども、大衆向けの新聞でそういうものを載せるのは(一般論ではあるが)よろしくない。少なくとも読書面ではダメだとオレは考える。

たぶん受け手の担当記者も最初、「え、なんだこれ難しいなー」と思ったに違いない。そしてたぶん「もうちょっと平易に書いてくれませんかネ?」みたいに書評者にお願いしたハズだ。で、以下は全くの推測になるのだが、おそらくそんなやりとりを二度三度して、だが最後はもう面倒くさくなったのだろう、「ハイこれでいいです」と言ってしまった。で、編集長さんも「ま、いっかー」ぐらいのノリでスルーしてしまった・・・。これを善意で解釈すると(笑)「朝日の読者はインテリが多いから、社会学の動向ぐらい知ってるよなー。ま、知らんほうがバカだから、これで十分だろうよ」ぐらいの判断があったのかもしれぬが、それはそれで大問題である。

とまれ、新聞の存在意義が問われている昨今、こういう安直な姿勢は自らのクビを締めることになるのではないか。最初に書いたようにオレは朝日の読書面はまずまず面白いものを作ってきたと思っているから、今回のようなユルい紙面に対してはひとこと諌言申し上げたかったという次第。






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久しぶりに「天声人語」について。

統一地方選が終わったタイミングということもあってか、けさの「天声人語」は「地方議会で議員のなり手がいない」という話だった。

選挙にでるには会社を辞めなければならんのでリスクが多い。仮に当選してもたいした報酬が出るわけでもない。となると「プロとして責任を重くし、報酬も上げる」か、「アマチュアだと割り切り、兼業をおおいに認めて、報酬も日当程度にする」かの二択である。政治学者の待鳥聡史氏の議論をふまえてそういうことを言っている。

まあ、これは理詰めでいけばそういうことになるのだろう。ただ、最後まで読むとなんだか「また朝日が説教をしているなぁ」感が色濃くにじみ出てしまうのだった。こんな感じ。


何事も締め切りが大事だ。わが議会はどうするかの議論をすぐに始め、次の選挙までに必要な改革をする。それくらいのスピード感がほしい。4年後の統一地方選でまた頭を抱えないために。


なにか問題があったら「早急に対応しなければならない」というのは正論である。正論であるけれども、そういう正論に沿ってすぐに話が進まないのにはそれなりの事情というものがあるのだ。

今回の問題でも、たとえばこのご時世に「地方議員の報酬を上げる」などといったらアホな大衆が「オレらがこんなに貧乏しておるのに! そんなことは許さん!」といっていきり立つのは目に見えておる。

兼業OKにして議員になるハードルを下げようというアイデアも実際には難しい。いまだに多くの企業は労働者に対してテッテ的な滅私奉公を要求する。で、その割に終身雇用は保障しないし、内部留保はため込んでも給料は上げないという図々しい企業が増えているのがなんとも気に入らんのであるが、ともかくそういう企業が「兼業」などを軽々に認めるワケはないのだ(とゆーか、そんな柔軟な発想のできる企業が多かったら今の日本はこんな惨状に陥らなかったような気もする)。

そのへんをすっとばして、「何事も締め切りが大事だ」「スピード感がほしい」とか一般論をぶって何事かを言ったかのような気になってしまう。これが「天声人語」の悪いところなのだ。

それがうまくいかん背景というものがある。たぶんそれはこの国が抱え込んだ長年の宿痾のようなものと骨がらみなのであって、とりあえずそこに一太刀浴びせるぐらいのことをしてほしい。それでないと「名物コラム」の名が泣くというものである。

と同時にオレなどは、「隗より始めよ」というヤツで、朝日新聞サンも長期低落傾向にある新聞業界の立て直しに「スピード感」を発揮してほしいと思う。なぜ売れないのか。どうすれば新聞を守れるのか。そのあたりを考えた上で果敢に対策を実行する。「何事も締め切りが大事」なのだから。

せっかくなので、ここで一つ提案をして差し上げよう。まず急ぐべきは夕刊の廃止。ネット時代にあって夕刊の存在意義というのは急速に薄れており、こんなものにリソースを割いている余裕はない。じっさい、産経新聞は夕刊廃止にいちはやく踏み切っておる。

当然、販売店が「やめてくれ」といって泣きついてくるだろう。だが、正論に沿って大ナタを振るうべきだと自分で言っているのだから仕方あるまい。


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朝日新聞の連載企画「アロハで猟師してみました」が終わってしまったようだ。

例によってネット上ではカネを払わんと全文が読めないけれども、最終回の記事にいちおうリンクを貼っておこう。

で、オレもかねてから期待していたように、書き手の近藤康太郎記者は「ヒトは他の生物を殺めるという原罪を背負って生きていくしかないのダ!」というテーゼを強調して去っていったのでソコは大変結構である。あるけれども、この最終回はちょっとリクツが勝った感じで強引にまとめに入った感じもある。

推測するに上のほうのヒトから「ちょっと過激すぎるんじゃネ(怒」とか言われて――あるいは他のマスコミの記者を支局に招き入れて楽しく遊んでいるシーンとかあったのでそっちがマズかったのかもしらんが――とにかく終了したテイにせねばならず、そこでいわゆる「俺たちの戦いはこれからだ!」的なシメを強制された感もないではない。

それはちょっと深読みしすぎかもしらんが、なんかお上品な朝日新聞にアナーキーなテイストの記事が載ったのはなかなか痛快ではあった。二の矢、三の矢を待つ。

【追記】
その後、この筆者は「アロハで猟師、はじめました」という本を出したので、感想文を書いてみた→こちらへ

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えーと、いつも愛読している朝日新聞の「アロハで猟師してみました」4回目がけさの朝刊に載っていた。例によって朝日のサイトではカネを払わんと全部読めない仕掛けになっているが、念のためリンクを貼っておこう。

閑話休題。前回狩猟でとらえた鹿を殺す話を書いたアロハ記者に対してオレは「こういう話はお茶の間の偽善者たちにはウケが悪く、おそらくは新聞社にもカワイソーとかいって抗議が殺到するのだが、そんなことで自粛しようとか毛頭考えず、平気で商業新聞のタブーに挑んだアロハ記者えらいぞ」といった意味のことを書いた

で、けさの新聞を読むと、「読者どん引き。遠くで、引き潮の音が聞こえる」などと書いているので、ヤッパリ馬鹿な読者から抗議がけっこうきたのだろう。にもかかわらず、今回の記事でも「そういうアホどもは読まないでどっかいっちまえシッシッ」ということを言っている。いや、正確にいうともう少しお上品で、次のような表現なのだが。

「そっちサイドはちょっと・・・・・・」という優しき読者様は、この辺で下の<ひととき>に移ってくださいとお願いしておく。また会いましょう。


というわけで、全くハンセーなどせず鹿を解体するシーンなどを描いている今回の記事は大変よろしい。



で、もうひとつ感心したところがある。さらに先のほうまで読んでいくと、こんなことを書いているのである。


スーパーでパック詰めされた食肉は、完全に漂白された命だ。都合の悪いところを不可視可して、わたしたちは安穏・便利な生活を送っている。その点、原発と似ている。


これもなかなか朝日新聞では吐けないセリフなのだ。なぜかというと、朝日新聞的視点からすると原発というのは絶対悪である。だがこのアロハ記者の語り口はそういう一刀両断の姿勢とはかなり違う。

東日本大震災のあと実質的に原発ゼロでどうにかこうにかやってきた時期もあったけれど、それまで都会の住民は実際にはどっか遠いところで操業している原発の電気をつかって安楽な生活をしてきた。「これって動物を誰かさんに殺してもらって自分は平気で肉くってる構造と似てるんじゃネ?」と言っているわけで、つまりここでは「動物を殺すこと≒原発」という図式が成り立っている。つまり「そうはいっても原発うごかさんとダメなんじゃないの?」という主張と読めないこともない。いや、そこまでは言ってないにしても、一方的に「悪」を仕立て上げる(朝日新聞的)思考からは一歩引いている。

いいねえ。この調子でガンガン攻めていっていただきたい。




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朝日新聞ではこのところ、日曜日の社会面に「窓」というタイトルをつけたコラムを載せている。いや、コラムというのはちょっと正確ではなくて、なんというか、「街で見聞きしたイイ話」を紹介するコーナーみたいなものである。

「窓」というと、1980年代、「黒田軍団」と呼ばれた読売新聞大阪社会部のメンメンが、読者と新聞とが交流する欄として設けた「窓」という欄をどうしたって連想する。なんかパクりっぽいような気がするが、まあしかし、黒田軍団はその活動が東京本社のエライ人たちに睨まれ、結局解体させられてしまったので、ライバル社としての朝日新聞が嫌がらせ的に「窓」という欄を作るのはアリだと思う。

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閑話休題。今朝の「窓」――具体的にいうと

返事は「なんちゃじゃあない」とびきり親切な集落

という見出しのついた記事なのだが、これを読んで「朝日新聞、ダメだなあ」と思った。

どういう話かというと、高知県のド田舎の村に引っ越した都会人の話である。最初はなんかちょっとよそよそしい。それでも徐々に距離は縮まっていって、ナニも言わずに農作業手伝ってくれるまでになった。一言でいうと、「田舎の人情、いいなあ」という話である。

*例によってこの記事、朝日新聞のサイトに行っても全部読ませてくれないのであるが、一応リンク先を貼っておくとココである*

で、何がダメなのか。やや遠回りにはなるが、説明してみたい。

オレ自身田舎の出身で、こういう土地の空気はそれなりにわかるので、たまにみかけるこういう田舎賛歌みたいな記事にはとても違和感を感じる。まず、大原則として押さえておかねばならないのは「田舎の社会はとても閉鎖的である」ということだ。

都会者が移住してきた。すると連中はまず「警戒」する。おかしなヤツじゃないのか。村の平穏を乱したりしないか。遠巻きに様子を見る。ずっと観察する。そんなにキケンじゃなさそうだ、となると、やや距離を縮めてくる。村の行事への参加を「許す」。野菜のお裾分けもしてあげよう。そうやって徐々に徐々に仲間として認めていく。「身内」になればもう分け隔てはない。そこまでいけば、もう「村人」である。

だがしかし、オレなんかからすると、こうやって村人が遠くから都会者をずーっと「観察」しているプロセスからして、なんだか気持ち悪い。人を勝手に品定めする。それからおもむろに受け入れるか否かを、これまた勝手に判断する。だから受け入れられればいいが、否認されたらそこでの暮らしは相当に難しいものになる。

田舎に引っ越した都会人が「ゴミ捨て場は町内会が管理している。よって町内会費を払わない新参者には使わせない」みたいな嫌がらせをうけるという話もよく聞くようになった。いや、これはまだそれなりの理屈が通るからいいのだが、田舎の人間の論理はかなり奇妙なもので、たとえばわかりやすいのは共産党員(笑)とかだと「あいつはアカだ。仲間には入れられん!」とかいって拒否されたりするのである。「このムラとしては、農道通してもらったから自民党の××先生の応援しないといかんなー」という世界である。

さて、ここで改めて朝日の記事を読んでみる。まぁ、この人の場合は受け入れてもらってヨカッタね、という話である。だがしかし、よく考えると朝日新聞というのは常日頃、保守的で閉鎖的で自民党の金城湯池だったりする田舎の「後進性」みたいなのを批判してきたのではなかったか。「個人の確立」みたいな近代主義的価値観に立って「個のない田舎の封建性」を叩いてきたのではないか。

そして、そういう「後進性」みたいな部分と、この記事が称揚するような「濃密な地域の絆」みたいなものは実は表裏一体なのである。それが今頃になって「田舎、いいな~」みたいな寝ぼけたことを書いている。田舎の風土を否定してきたこれまでの記事は何だったのか。朝日新聞は田舎に屈したのか。あるいは何も考えていないからこんなのを書けるのか。

田舎の論理に負けたなら「はい負けました」と書けばよい。何も考えずにこんな記事を書いてしまったのなら、ちょっと恥ずかしい。


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