実際のところ、この書評は当ブログにかつて書いたという一連のエントリーの短縮板のようなものであるし、さらにいうと、この本についてはダグラス・ディーン・ジョンソンというアメリカの研究家がヴァレの主張を揺るがす事実を幾つも指摘しており、そのあたりを解説したという記事も当ブログで別途執筆してきたところである。
ヴァレは昨年、イタリア出身の女性研究家、パオラ・ハリスとの共著という形で『Trinity トリニティ』を刊行したのだが、その中で彼はトンデモないことを言い出したのである。曰く、「1945年夏、米ニューメキシコ州サンアントニオにUFOが墜落する事件が起き、米軍はその機体を――そしておそらくはその搭乗員をも――回収していた!」
一週間ほどが過ぎ、墜落物体が搬出された日にも特筆すべき出来事があった。ホセは、軍人たちがいなくなったすきに物体内部に侵入し、パネルに取り付けてあった金属部品をもぎ取ることに成功したのである。英語でいう「ブラケット」、つまり棚受け金具によく似たこの部品は、事件唯一の「物証」として今もヴァレたちの手元にある。
我々はUFO現象を考える際に大きな誤りを犯してきたものと私は考えている。第一の大きな誤りというのは――UFOが実在するとしての話だが――別の可能性を排した上で「この現象は他の惑星から宇宙を越えてきたエイリアンに起因しているに違いない」と仮定したことである。
「米政府はUFOのことが全然分かっていない」という主張も別に撤回したわけではないようで、「捕獲したUFOは人間の知識レベルでは決してリバース・エンジニアリングができないようなシロモノだったのでは」みたいなことを書いている。そのテクノロジーがあまりに高度だったため、米軍も飛行原理などは全く解明できずに終わってしまったという理屈なのだろう。相当強引な主張だと思うが、ともかくそういうことを言って彼はツッパっている。
その物体が単に物理的な乗り物というより、一種の情報物理学(これは今日生まれつつある科学である)の産物であったとしたら? それは物理的なものでありつつ、同時に――より良い言葉がないのでこう言うのだが――「サイキック」なものでもあるとしたら? 人類初の大規模かつ歴史的な原子力の解放があってから1か月後、古代からの伝統ある場所にテレパシーを使う奇妙な生きものを配置して、それはなにをしようとしたのか?
それは我々が原子力を発見したことに対する直接的な返答だったのか? 希望に満ちた対話の始まりだったのか? それともメッセージだったのか? それは、我々が今後生き残っていくためのささやかな可能性を受け取れるよう、外部にいるアクターが求めていた反応――つまり我々の精神を強制的に開放し、我々の傲慢を取り除き、人間とは違うものの意識に耳を傾ける機会を設けることで或る種の反応を引き起こすべくパッケージされたものだったのか?
もし連中の乗り物が墜落するよう意図されていたとしたら? それが贈り物だったとしたら? あるいは何らかのシグナルだったら? あるいは警告だったとしたら? 戦略的な対話に向けての希望を託した第一歩だったら? それは我々がいま用いている基本的な語義の通りの「宇宙船」ではなかったとしたら? 連中がその搭乗員の生死など気にかけていないとしたら?
要するに彼は「UFOというのは物的存在でありつつ超常現象の側面も持つ存在であり、何者かが人類に何らかの影響を及ぼすべく飛ばしているものだ」ということを言っている。ただ今回、彼はこうした自らの理論にサンアントニオ事件を強引に「接ぎ木」した。UFOには物理的側面と超常的側面があるというのは先に述べた通りだが、この事件をホンモノと認めたことによって、少なくとも彼の主観の中では物理的実在の問題はクリアされたはずだ。おそらく彼は「一歩進んだ」と考えている。「とりあえず僕はここまで突き止めたよ。あとは頼むからね」。ヴァレの真意はおそらくその辺りにある。
























